ーーもう此処へは来るつもりはなかった。
そう思いながら直刃は懐かしの地に、赤穂へと足を踏み入れた。
「……」
駅の至る所に貼られている赤穂浪士を紹介するポスター。
勇ましい武士の姿として描かれているそれらを見て、小さく笑う。赤穂浪士の本当の姿を、その真実を知るからこそ零れた笑み。その笑みに釣られて思い出す1年前の懐かしい記憶とーー愛しい人達の姿。
《すぐは~♪》
《直刃》
《直刃殿ー!》
《直刃しゃん♪》
思い出すだけでも胸が暖かくなるその記憶に、その声にいつまでも浸っていたいと思いながらも、それを堪えて駅の外へと向かう。
その懐に忍ばせた一枚の手紙を胸に抱きながらーーー
「おい直刃、手紙だぞー」
《それ》が届いたのはあまりにも突然だった。
一年前、あの島から……江戸の世から戻ってきた俺は剣道を続けながら、彼女達の歴史をーー忠臣蔵の話を1人でも多く知ってもらいたいと語り部の様な活動をしていた。
幸いな事に多くの人が俺の話に耳を傾けてくれている。俺だけが知る本当の赤穂浪士の話を聞きに遠方からも人が来てくれている程だ。
最近では赤穂浪士に関係する施設や関係者からも支援を受けられる様になり、その活動は日に日に忙しくなっている。
けれどもその忙しさを苦だと思った事は一度もない。
もう二度と会うことは出来ないけど、彼女達の歴史を、彼女達が生きた証を俺が話す事で1人でも多くに知ってもらう事が出来る。
その嬉しさに比べたら、この程度の忙しさなど何も問題はない。
そんな俺の所に手紙が届くのはさほど珍しい事でもない。
語り部の活動を支援してくれている人からや俺の話を聞いて忠臣蔵や赤穂浪士に興味を持ってくれた人からの感謝の手紙なんかが良く届いている。なので今回もきっとそういった物だろうと自分の姉である鐺から受け取るのだが……
「……?」
受け取ったそれに首を傾げる。
渡された茶色の小さな封筒には住所も氏名も書かれていない。
ただ《深見直刃様へ》とだけ書かれている質素な物だ。
今まで受け取った手紙にはないそれを不審に思いながら封筒を開けてみると、中に入っていたのは折り畳まれた一枚の便箋。
その便箋を開き中を見てーーー絶句した。
《下記の日付にて赤穂の地で待つ
赤穂浪士と新撰組の戦いを知る者より》
「…………」
思い出すはあの最終決戦の前に起きたとある事件。
黒幕から赤穂浪士が死んだと思わせる為に現代へタイムスリップする筈だった直刃達が辿り着いた時代ーー幕末。
攘夷派と佐幕派がそれぞれの思惑を抱いて争い、そして徳川が作りし江戸の世がーー武士が終わりを迎えた時代。
そこで起きた戦いこそ赤穂浪士と新撰組による衝突。
決して歴史に書き残される事のないそれを知るのは戦った当人達のみしかいない。
それなのにこの手紙の送り主はそれを知っている。
歴史の闇に埋もれたこの戦いを、知っている。
「……いったい誰なんだ」
最初に思い浮かんだのは《甲佐一魅》。
赤穂浪士の真実を明かし、吉良家の無念を晴らそうとする為に過去へとタイムスリップし、清水一学の身体を使って歴史を変えようとしていた人物。
彼女もまた黒幕によって利用されていたのだが、最終的には共に黒幕と戦った仲間であり、赤穂浪士と新撰組との戦いを知る1人でもある。
けれども即座に違うと判断する。
彼女とは今でもたまに程度だが連絡を取っているからこんな遠回しな真似をするとは思えない。それに既に彼女も、そして俺自身もあの時代での事は満足した結末を迎えて後悔していない。そんな彼女が今更過去を掘り返す様な真似をするとは思えない。だから違うと判断するが……そうなればいったいこの手紙の送り主は何者なのかと謎は深まるばかり。
そう思いながら、俺は指定された時刻をーー丑三つ時である深夜2時を予約していたホテルで待っていた。
手紙に書き記された指定時刻は丑三つ時。そして指定場所は《大石内蔵助邸》。
この手紙の送り主が何者かは分からない。
けれども手紙の内容。そして待ち合わせに赤穂とご城代の邸を選んだ事と言い、これだけは確信を持って言えた。
この手紙の主は俺が過去へ飛ばされた事を、忠臣蔵の仲間達と共にあの時代を生き抜いた事を知っていると。
どうして呼び出されたのか、その目的は分からない。
けれども、会わなければならないと思った。
会って話をしなければならない、そう思わされたのだ。
だからこそ直刃はこの手紙の指示に従い赤穂へと参った。
自分が最後を迎える時。その時までは足を踏み入れないと決意していた赤穂へと決意を破って参ったのだ。
絶対に話を聞かせてもらう、そう覚悟を固め、直刃は時を待った。
ーーその先で待つ己の未来を知る事なく。
「…………」
丑三つ時である深夜2時。
指定された通りの時刻に大石内蔵助邸へと参った直刃の前で本来なら閉まっている筈の門が開け放たれて待っていた。
入ってこいと誘わんとしている門を前に直刃は念のためにと購入しておいた木刀を手に中へと進む。
門から庭へと通じる道のりで人と会う事は無かった。
無人の邸宅を己が踏みしめる足音だけが鳴り響く道を歩んでいく。
自然と手に握る木刀には力が入り、緊張している事を示す様に手汗がべっとりと染みだしている。
緊張から感じる喉の乾き。それを唾で誤魔化しながら歩き続ける。
本来なら数分も掛からない庭へ続く道、その道をゆっくりと時間を掛けて歩み、そしてやっと庭へと辿り着いた直刃の前にーー《彼》はいた。
庭にある池、その前に佇むのは1人の男。
生憎の曇り空で月の光さえ届かない暗闇の中ではそれしか分からないが、直刃は理解した。
この男こそ自身を呼び出した人物なのだと。
「……待たせた、かな?」
緊張、そして警戒。
二つの感情を抱きながらもそう呼び掛けると男が此方を振り向く。
振り向いた男の顔は暗闇で見る事は叶わない。だが直刃はすぐに《それ》を察した。暗闇の中でも唯一分かる程のーー《怒り》に。
そしてその怒りに込められた《殺意》と、一年前までは当たり前の様に見ていた腰に差された大小。それらを前に瞬時に理解した。
ーーこの男の目的は俺の命だと。
「ーーッ!?」
男の目的。それが何であるのかを即座に悟ると直刃は手にしていた木刀を構えようとするが、その動きよりも先に目の前の男が動く。
「(居合いッ!?)」
男の動き、そして構えからすぐに男が成そうとしている動きを理解する。
だが、直刃に出来たのは理解するまで。かつては幾度も死線を潜り抜けてきたが、元の時代に戻り、平穏とした日々の中で気付かない内に衰えていた身体ではそれ以上の行動は出来なかったのだ。右鞘からの高速抜刀――何処か既知感を感じさせるそれを前に直刃は対応する事も出来ず、腹部に激痛が走る。
「がはッ!?」
切られた。そう理解するよりも先に身体が激痛に耐えきれずに倒れようとし、咄嗟的に片手でなんとか支えるが腹部から漏れだす大量の血液と、逆の手で抑えていなければ流れ出してしまう臓物の感触を手に感じながら理解する……理解してしまう。
――助からない、と。
あの時代で三度の死を経験しているからこそ分かる己の死。
それを理解してしまうと同時に、己の命の灯火が消え始めたのが嫌でも分かってしまった。
「な……な…ぜ……」
もうどう足掻いても助かる道はない。
だからこそ直刃はせめてと思った。
もう助からないのなら、もう死を避けられないのなら、せめて知りたいと思った。
何故俺を殺したいのか、何故俺を殺したのかを。
だが続きの言葉が出てくる事は無かった。
口から溢れだす大量の血液がそれを阻んだからだ。
薄れていく視界、失われていく温もり。
それらを体感しながらも直刃は男を見据える。
せめてと、せめてこの男が誰であるのかを知りたいと。
そんな直刃の願いを天が叶えてくれたのだろう。
曇り空から月が姿を現し、月の光が男の姿を照らし出す。
月の光によるライトアップ、その光に写し出されたのはーー
「ーーー!?」
ーー見覚えのある水色のだんだら模様の隊服とその隊服に書かれた己の命を奪った男の名前。
そしてーー
「――赦してくれとは言わない。恨んでくれて構わない。だが、それでも俺は変えると決意したんだ。たとえ世界中の人に恨まれようとも、俺は《歴史》を否定する。その為だけに今日まで時を待ったんだ。お前が愛しい人達を救おうとした様に、俺も歴史を変えてでもあの人達を助けて見せる」
「――勝つのはお前達《義》ではない。俺達ーー《誠》だ」
ーー男のその言葉を最後に、深見直刃の意識は闇の中へと消えていった。
「ーーーーぃーーおーーぉいーーおい!しっかりしろ!」
聴こえるその声に沈んでいた意識がゆっくりと覚醒していくのが分かる。
差し込む日の光。暖かい布団の温もり。そして側に控えている誰かの声。それらをやっと理解しながら瞼を開く。
「ーー!目覚めたか!まったく、ぶち心配させやがって!!」
其処に居たのは1人の女性。
着物……だろうか?肌の露出が多いそれを着た女性が瞳に涙を集めながら此方を心配そうに見詰めてきている。
「痛い所とかないか?医師に処置はさせたが、傷口が深くて助からないかもしれないって言われてたんだぞ?まったく助けた私にぶち感謝するんだな!しかし…お前程の武士がここまでやられるなんて……相手は誰だ?もしかして新撰組とまたやりあったのか?それとも元の時代で何かあったのか?」
傷口……?
それが何を意味しているのか理解できず、なんとなく腹部に触れてみるとーー激痛が全身を襲った。
「お、おい!お前はぶち馬鹿か!?縫っているとはいえまだ治ってない傷口を触る馬鹿がいるか!?」
女性が何を言っているのかいまいち理解が追い付かない。
ただ分かるのはこの傷口と言うのが刃物によって得た物と言う事とーーー
「……なぁ」
「ん?どうした?何か欲しい物でもーーー」
「ーーー君は、誰?」
ーー目の前にいる女性を俺は知らないと言う事だけだった。