斬壺(きりつぼ)   作:木下望太郎

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第5話

 

 翌朝。空も白まぬうちに支度を済ませ、剛佐と弟は宿を出た。二人の間に言葉はなかった。

 やがて日が昇り、空が白く輝いた頃。以前立ち合った、街道脇の山道に童は待っていた。道端の岩に腰かけ、手持ちぶさたにか脇差をもてあそびながら。

 

 腰かけたまま、頭をかきながら童が言う。

「来たかおっさん。銭は――」

「取れい」

 懐から出した巾着を放る。童が受けたそれは、重く銭の音を立てた。

「何も先に渡さんでも」

「よい、三途の渡し賃と思え」

 言いながらも剛佐の顔はこわばっていた。ああ、さっきの隙、巾着を受け止めた隙に斬りかかっていれば。殺せていたかも知れないのに。

 

「それじゃまあ、遠慮のう。ときに今日は助太刀付きか」

「これはただの立ち会い人、手出しはさせぬ。うぬも、こやつに手出しはしてくれるな」

 童は立ち上がりながら言う。

「そらぁ構わんが……そうじゃ、先に銭もらうて悪いけぇの。これだけでも返しとくわ、そら」

 腰に差した何本もの脇差、そこから一つを鞘ごと抜いて放る。見覚えのあるそれは剛佐の脇差だった。

 

 両手を伸ばし、受け止めたそのとき。獣の速さで走り込んだ童が、その抜き放った刃が。剛佐の目の前にあった。

「もう死んだぞ。……命は返したる、刀置いて去ね」

 

 手にした脇差を取り落とし、剛佐は笑った。笑っていた、息をこぼし、肩を揺すり、腹の奥から声を漏らして。

 

 握った、突きつけられた刃の峰を。もう片方の手で拳固をくれた、あっけにとられたような童の顔に。

「ふざけるな。これでも死んだか、わしが死んでおるか!」

 

 跳び退き、刀を抜き放つ。三歩の運足、全身の力で振り下ろす刀。

斬壺の型で放ったそれはしかし、受け止められていた。童が構えた二本の脇差で、挟むように。片方の脇差で刀を押さえたまま、もう一本を童は横へ抜いた。そして剛佐の胴を払う。どうにか退いてかわせたが、着物の前が裂けていた。

 

 舌打ちした童が構え直す。

 剛佐は間合いを取りながら下段へ構える。飛び込んできたなら刀を上げて脇差を払い、その隙に斬り込む――そのつもりだったが。先に弾かれたのは剛佐の刀だった。もう一本の脇差が斬りかかってくる寸前、何とか跳び退く。刃にさらわれた髭が、何本か宙を舞った。

 歯を噛み締めて斬り返す。童の手にした脇差、その一方を手から弾き飛ばした。が、その手応えはあまりに軽かった。童は表情も変えず、残った脇差で刀を押さえた。空いた手で腰から別の脇差を抜き、斬りかかってくる。剛佐の目の前を刃が過ぎる。斬られていた、ほんの少し脇差が長ければ。いや、まともに踏み込まれていれば。

 その後も同じだった、斬りかかっては返され、返しかけては斬りかかられ。防ぎ、かわすのがやっとであった。

 

 どれほどそうしていた頃か。自らでも一足には跳べないほど間合いを取り、童は口を開いた。構えを解き、柄で頭をかきながら。

 

「おっさん、腕ぇ上げたか。前よりゃだいぶやるやないか」

 構えを崩さず、流れ落ちる汗も拭わず剛佐は言う。

「……手心(手加減)か」

 童は笑った。何とも、晴れた空のような笑みだった。

「何のことやら」

 

 剛佐は長く息をついた。長く長く息をついた。それはため息ではなく、紙風船がしぼむような、そんな息だった。

 どうしたのだろうか、あの技は。若き日、溶けそうなほど汗にまみれて覚えた技の数々は。それらは確かに今も、拭い去れぬほど体に染みついているというのに。そして、手心か。

 

「ふ……ふふ。はは、くっははは」

 笑っていた。童と同じ顔で。見上げた空は青かった。日はその光に黄色みを帯びて、山の上で輝いていた。

 

 剛佐は刀を地に突き立て、その場に座した。背筋を伸ばし、手を地につけて。平伏した。

「お見事。お見事なり」

 童が手を下ろしたのか、脇差の鞘が、からり、と鳴った。

 

 伏したまま剛佐は言う。

「貴殿、既にして剣の達者なり。見込んで御願いがあり申す、二つ」

 顔を上げて続ける。

「一つ。貴殿に習い覚えた流派はなかろう、しからば。我が流派、八島払心流に加わられたい」

「兄上?」

 弟の声が飛んだが、剛佐の表情は変わらなかった。

「貴殿の才に我が流派の術理加われば。必ずや天下に恥じぬ名人となろう、斬り剥ぎなどでなく」

 童はただ口を開け、目を瞬かせているばかりだった。

 

 構わず剛佐は再び伏す。額まで地につけて。

「二つ。拙者と立ち合いを。真に真剣の立ち合いを」

「兄上!」

「黙りおれ! ……立ち合いを、所望いたす」

 風が吹いた。木々がざわめく。剛佐の頬から汗が滴った。

 

「おっさん。……顔上げてくれ」

 童は脇差を納めていた。頭をかきながら言う。

「よう分からんが。わしゃ武士やない、あんたのことも斬りとうはない。お断りじゃ」

「ならば……賭けぬか」

 剛佐は立ち上がり、刀を手にする。

「貴殿がどうあろうと、拙者は斬りかかる。貴殿が立ち合うまで何度でも。それで貴殿が勝てば、三十……いや、五十両差し上げ申そう」

「兄上、何を……」

 弟が駆け寄るが、剛佐はその手を払いのけた。

「黙れ。借財しても構わん、そのときは何としても用意いたせ」

 童の方へ向き直って続ける。

「その代わり。拙者が勝てば、我らが門下に加わっていただく」

 

 何度も目を瞬かせた後、声をこぼして童は笑う。

「おっさん、そりゃ話がおかしかろ。わしが勝ったときゃええが、おっさんが勝ったときゃあ。わしゃ斬られて命がなかろ、どないして弟子入りせえ言うんじゃ」

 剛佐は円く口を開けた。ふ、と息をついて笑う。

「そうか。そうじゃの、可笑しいの。ま、忘れてくれても構わん」

 土を払い、刀身を拭う。構えた。

「参るぞ。……抜けい」

 

 

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