--20××年2月20日 23:20
ーー都内渋谷区某所
『--そのウマ娘は、誰よりも誇り高く砂を駆けた。
芝よりも足を酷使するダートを駆け抜け、喝采を響かせるように土に舞う。
彼女のひたむきな走り、疾走する大逃げの様相は、可憐と言うにはあまりに凜々しかった。
だが、彼女が皆から愛されたのは、その走りだけではなかった』
『みんな! ありがとうーーーーー!!!』
『--トレードマークのツインテール。
母から貰ったリボンをチャームポイントに、彼女は愛らしく、見るものへの憧憬を誘う。
彼女の声にダンスに笑顔に、人々は心躍らせ、熱狂する。
その様は、まさしく
その、ウマ娘の名は……』
『ずばりね! スマートファルコンさんですよね! ね!』
『人気ウマドルとして、もはや伝説……ええ、スマートファルコンです』
『いやぁファルコン様キタコレ!!!!! すっごく好きです!!』
低い声がセクシーな男性声優の読み上げた口上に、スタジオ内のタレントウマ娘が興奮しきった様子で司会のアナウンサーへと答える。
事務所備え付けのテレビの中で繰り広げられるやりとりに、男は事務仕事から少し手を休めて苦笑する。
「……いやぁ、今見ても可愛いな、ファルコンは」
「……テレビ見てないで、仕事してください、
男は傍らの事務机に座る、ツインテールのウマ娘へとテレビに向いていた目線と顔を向ける。
お互いの机の上にはたくさんの栄養ドリンクの空缶が並んでいた。
蛍光グリーンの上着に白いシャツを着て、男をたしなめるような言葉を放ったウマ娘は、ディスプレイから目を離さず……どこか気恥ずかしげに……呆れた口調で言い捨ててみせた。
「明日のプレゼン、あの子達のデビューイベントが掛かってるんですから」
そうして、テレビの中に写るウマ娘と同じ、紫、黄色、ピンク……三色リボンのデザインをした髪飾りを右耳から垂れた前髪に備えたウマ娘は、赤ぶちの野暮ったい眼鏡をくいっとあげる。
「私の残業代だって、出さないと怖いところから怒られちゃうんですからね」
「大丈夫だよ、そこは最優先で考えてるところだ」
肩をすくめていう男に、ウマ娘は大きく一つ、ため息をついた。
「それはプロデューサーさんのお給料と
「ははっ、だんだん見通されて、頼もしい限りだ」
「笑い事じゃないです!」
「まぁまぁ、ここらで少し休憩しようよ。ほら、デジタルが出てるわけだし」
暖簾に腕押しとばかり、男はすっかりテレビの方に向かって椅子を回転させているのを見て、ウマ娘も視線を流す。
そこにいたのは、かつてトレセン学園で共にウマ娘のアイドル……ウマドルを追いかけていた推し友だった。
同時に、
「……こんな時間のバラエティにも出るようになった、なんて、最近すごいですよねぇ、デジタルちゃん」
「ポテンシャルすごかったもんなぁ……スカウトしとけば良かったかな」
「今のプロデューサーならできるかもですね」
何気ない会話に、終着点も答えも要らない。
仕事の会話でありながら、方向性が間違っていないゆえに成立する、曖昧な会話をしながら、男もキーボードへ指を走らせる。
次の企画売り込みに向けた資料作成だ。明日の打ち合わせまでに、詰められるところは詰めておきたかった。
ふと、そこで手を止めることなく、男は傍らのウマ娘を見る。
テレビの中にあった姿よりも少し大人びた、愛らしいウマ娘だ。
「……本当に、いつも残業、手伝わせてしまって……ありがとうな、ファルコン」
「……今日頑張れば一区切りです。それに、事務所の皆も最高にウマドルしてくれたから、資料作成だって思ったより早く終わりそうだし」
「それは、ファルコンのおかげだよ。さっきのミーティングでの発破かけ、皆の瞳の色が変わってたものな」
「……もう、どうしたんですか? そういう嬉しい言葉は、頼もしい所属ウマドルちゃんたちに言ってくださいよ、プロデューサー」
にへらっと困ったように微笑むウマ娘……スマートファルコン。
かつて彼女が男を呼ぶ呼び名がトレーナーだったものが、プロデューサーになって、三年。
男にとって初めてトレーナーとして契約したウマ娘、男にとっての推しウマ娘であり……今は、男がプロデューサーとして運営する小さなウマ娘芸能プロダクションの、唯一の事務員である彼女と、今日も残業に勤しんでいた。
--Chu!トキメキのヒミツ♡
--初うまぴょいまであと1時間
--20××年2月20日 23:40
--初うまぴょいまであと52分
「……ああ、懐かしいな」
「……ほんとだね」
CMを挟んで、テレビから、聞いたことの或る競技場の歓声が聞こえた。
トレーナーがいち早く気がつき、スマートファルコンが同意を見せる。
テレビの番組の名は「レジェンドウマ娘メモリアル」。
深夜帯に視聴率を稼ぐ、SNSでも話題の番組の今日のテーマは、なにを況んや、スマートファルコンだった。
『スマートファルコンさんは、ドバイワールドカップの惜敗後、脅威の帝王賞三冠を制し、まさに絶頂というところで引退されましたね』
『ええ、ダートをかける力強い走りを、まさしく砂のハヤブサの如しと形容していましたが、一緒に走れば、どんなウマ娘ちゃん達相手でも一歩先を行く、その背中はむしろ砂の帝王の如しでした。それでいて、砂まみれのレースから一転、ステージパフォーマンスは最っ高の無限乗で、当時のダートウマ娘ちゃんたちの憧憬を一心に背負った、デジタン永久推しのウマ娘です! ほんっっっっっっっっっっっっっとうにね! 素晴らしい、理想のウマドルでしたからねっっっっっ
!!!!』
番組の顔とも言うべき解説役のウマ娘として活躍するアグネスデジタルは、トレセン学園に所属していた頃から、多くのウマ娘への紳士的ながら過剰な愛、そして芝もダートも制する勇ましき変態ぶりで名を馳せていた。
台本のない彼女の熱中トークが、この番組の売りで、まもなくゴールデン進出も近しい、という噂もある。
「もう……デジタルちゃんったら」
ぴくんと耳を震わせて、スマートファルコンが気恥ずかしそうに呟いた。
アグネスデジタルの推しウマ娘であることを、よく自覚していたスマートファルコンらしい反応に、プロデューサーの頬が思い出に緩む。
「最初のライブからずっとデジタルは来てくれてたけれど、昔は、芝とのファン数の差に苦しんだときもあったよなぁ」
「……あー、そんなときもありましたねぇ」
テレビの中で熱弁するアグネスデジタルが、トレセン学園の制服で河川敷の傍らでミニライブをするスマートファルコンのステージの最前列で、ペンライトを振りたくっていた日々は、鮮烈に二人の記憶に残っていた。
テレビの映像は、アグネスデジタルの熱弁をBGMに、トレセン学園での様々なレースの映像、引退レースにいたるまで三連覇を成し遂げた帝王賞にいたるまでが流れていた。
「プロデューサーさんはトレーナーとしてそんなファル子のこと、ずっと支えてくれてたんだものね」
「……ほんとうに、いろいろあったな」
『彼女は、草の根活動の頃から、いつでもファンサ完璧でした。ファルコン様が引き連れたと言っても過言ではない、東京大賞典の伝説のライブは、もう私だって声からして叫びましたもの、ええほんとすごかったですよ!!!』
ノンストップのアグネスデジタルの解説に、プロデューサーとスマートファルコンは目を見合わせて笑う。
アグネスデジタルが語り、映像が切り替わる東京大賞典。
彼女がトレセン学園でデビューしてから、極めて大切だと言われるシニアの三年目、その集大成で迎えたG1レースだ。
格式の高い芝のレースに比べ、ダートのレースに来るお客さんは少ないと、スマートファルコンを苛んでいた苦悩を、一気に吹き飛ばした伝説の一夜。
伝説の集大成にして、新たな伝説の開始と、湧き上がったファンの熱狂を背に、プロデューサーとスマートファルコンは後に続くレースの日々を駆け抜けていった。
「いろんな地方のダート、走りに行ったよな」
「あの頃によくしてくれたレース場の人のおかげで、今もなんとかなってますものね」
「たづなさんには少し地方行きすぎって怒られたりもしたしなぁ」
「あの頃、フラッシュさんがいてくれなかったら、学園での単位確実に落としてたよ……」
「……フラッシュか……彼女と行った……あのドバイは、かなり悔しかった」
「……でもドバイで勝てなくて、皆に答えられなかった私を、ウマドルとして励ましてくれたあの時のこと、多分、一生忘れないと思うかなぁ」
いつの間にかCMが挟まっていたのも気がつかず、二人はかつての日々の話に華を咲かせる。
今につながるかつての日々。
そして大一番を逃してからの、ラストランまでの日々。
スマートファルコンはそこで、ふと、言葉を濁す。
「……それに……あの時はファル子、多分、忘れない……」
「……えっと、それは……」
「だって、あの日、あの時……ファル子、トレーナーさんに告白、できたし……」
「……それは触れないでいたのに……」
しみじみと熱く語り合っていた二人の語勢が、じっとりと湿り出す。
世界の大一番、ドバイワールドカップ。
トレーナーにとっても、スマートファルコンにとっても、あのレースは苦い思い出だった。
気合い充分で挑んだレース出走時、日本と違う風に、衣装がゲートにひっかかり、彼女の逃げ脚を活かすことができなかった。
大逃げを得意とする彼女にしてみれば、レースにすらならない不甲斐ない内容だった。
そんな失態を演じたドバイワールドカップの後、気弱になったスマートファルコンへ、ウマドルとして答えられないままでいいのか、とトレーナーは敢て檄を飛ばした。
言われたスマートファルコンはトレーナーに、当時の本心を吐露していた。
『トレーナーさんさえ、いてくれたら……それでもいい。トレーナーさんと、一緒にならウマドルじゃないくていいよ!』と。
ウマドルのファン一号として支え続けたトレーナーにとって、それは、親愛の告白に等しい言葉だという理解は、トレーナーにだってあった。
「……えへへっ、あの時のトレーナーさん、格好よかったなぁ。『ファル子はみんなのファル子だからその気持ちに応えられない。みんなのファル子としての、君を支えるために、俺はここにいるんだ』って」
「やめてくれ……そんな一言一句……」
「ふふふっ、イヤですー。……だって、あの言葉のおかげで、その後の帝王賞で、国内最後のライブができたんだもの」
気恥ずかしげに顔を覆うプロデューサーに、スマートファルコンは嬉しそうに、少し意地悪く唇を笑みの形に大きくあげた。
そうして大きく笑んで見せて、ふわりと、目を細める。
「……最後まで、走りきって本当に良かったって、思えたの、あの時のトレーナーのおかげだもの」
ドバイワールドカップからの帰国後、スマートファルコンが出場した帝王賞の会場。
パドックに現れたスマートファルコンを、ファン達は割れんばかりの大きな歓声で迎えた。
『お疲れ様! 惜しかったね!』『最後まで諦めなかった姿、よかったぞ!』『最推しファル子を応援するぞ!!!』
不甲斐ない、みんなに申し訳ない、そう思っていたスマートファルコンと、仮に罵声を受けたとしてもスマートファルコンを守ろうとしていたトレーナーが、二人ともあっけにとられるほどの、歓喜と労いの声だった。
歓声が大きな波のようにダートレースの会場に蠢き、スマートファルコンのラストランは、彼女以外に勝てようがないほどの、圧倒的な逃げの一着。
後に続いたウィニングライブの終盤、スマートファルコンは、これまで数多の人を沸かせてきたマイクをステージに置いて、彼女自身の有終の美を飾ったのだ。
「……それはファル子が本当に、プロのウマドルだったからだよ」
「……みんなと、トレーナーのおかげです」
呟く元トレーナーにして現プロデューサーとスマートファルコンは、言葉を噛みしめるようにテレビから目線をそっと外して、目を瞑る。
彼らの耳に残った『ありがとう! スマートファルコン』という言葉と、すすり泣く声は、今でも染みついて離れていなかった。
--20××年2月20日 23:54
--初うまぴょいまであと38分
CMから復帰したテレビ番組はひととおりのメモリアル映像をダイジェストで見終えて、番組のシメに向かおうとしていた。
『にしても、惜しくも引退されてからのスマートファルコンさんの動向は全く分からないんですよね、デジタルさん』
『えっ?! あっ、は、ハイッ。ザンネンナガラシリマセンネェ……イヤーイッタイドコデ、ゴカツヤクナサレテイルノカー』
『新たなウマドルの登場が期待される今日この頃、デジタルさん最近注目ダートウマ娘といえば、どなたですか?』
『注目のダートウマ娘ですね! お答えしましょう、最近のデジたん一推しウマ娘、それはですね! この前のブリーダーズカップ ディスタフで見事勝利した……』
番組も終わろうとして、スタッフのテロップが流れ始めているというのに、推しウマ娘への愛に、アグネスデジタルは再燃していた。
その様を苦笑しながら見つめて、プロデューサーはテレビを消した。
「もう、いいんですか?」
「ああ、いい休憩だったからね」
苦笑してプロデューサーはリモコンを所定の位置に置いた。
中断していた明日のプレゼン資料に取りかかるべく、スマートファルコンと並べている事務机に向き合って、PCのキーボードに指を走らせる。
テレビからの音が途絶え、こぢんまりとした6畳ほどの事務所に、二人がキーボードを叩く音がなる。
そこへ壁掛け時計が時刻を告げる秒針の音が重なって、数分。
仕事のための沈黙を、先に破ったプロデューサーは何と無しに言葉を放った。
「ファル子ならそれこそデジタルみたいに、テレビにでる元ウマ娘トレーナーとか、そういうタレントだったり女優だったり、そういう道だってあったんじゃないか」
「……ファル子は、ウマドルが大好きなの。ウマドルが大好きだからウマドルがもっとキラキラになれるよう、支える側になりたかったんです」
「レースで勝って、ファンの皆にありがとーって伝えられる、あのキラキラしたステージは、誰もが幸せな空間だったから」
「『あんなステージを、今度はつくって欲しい』……それに、乗ってきてくれたのが、トレーナー……も・と・い、プロデューサーでしょ?」
「……まぁ、な」
プロデューサーは言われつつ、書き直したプレゼン資料を漠然と眺めた。
今できる限りのアピールを詰め込み、引き立たせるストーリーも描けている。
傍らでスマートファルコンがまとめてくれている資料はあとで確認するが、おそらく心配はない。
明日のプレゼンは絶対食いついてくる確信があった。
そう思えるほど……トレーニングを組み上げていたかつてから、数年の時は、トレーナーをプロデューサーにしていた。
プロデューサーはふと、傍らのスマートファルコンのうなじを見て、そっと目線をそらした。
(……プロデューサー、か。そして、ファル子も、もうウマドルじゃ、ない)
漏れそうになる苦笑と、呼ばれ慣れてきたはずのプロデューサーという呼称に感じる、むずがゆさに、唇が歪みそうになる。
誤魔化すように人差し指の甲で抑え込んで、唸るようにしながら、プロデューサーは深く息を吐く。
(……思い出の中にしまったはずだったのにな)
息を吐いたところで、拭えぬ心の熱が湧いていた。
一緒に歩んできたスマートファルコンに、本当なら、ドバイワールドカップの時に返すべきだった秘めていた想いが燻り始めていた。
いつの間にか、キーボードを打つ音は止んでいた。
「「……」」
プロデューサーの目線は、スマートファルコンの嫋やかな背中を見ていた。
スマートファルコンもディスプレイを眺めたまま、身体を動かさない。
小ぶりながらファンの声は一人残らず拾うと言われたウマ耳だけが、時計の針の音に合わせるようにせわしなくひくついていた。
「
流れたしじまを、二人の言葉が重なって破った。
互いを呼びかける言葉に、二人は驚くように視線を交して……振り向いたスマートファルコンに、プロデューサーは手を差し伸べて先を促した。
「……さきに、どうぞ」
「そうしたら……うん」
ツインテールはそのままに、赤ぶちの眼鏡をそっと上げて、スマートファルコンは椅子を回転させてプロデューサーに向き合った。
黒いタイトスカートの上に手を置いて真っ直ぐにプロデューサーを見つめるスマートファルコンは、テレビの中より随分と大人の女性になっていた。
それでも、プロデューサーの瞳の中にあっては、鮮烈なウマドルとしてのファル子……そして秘めたる想いを向けてきた、心の中にいた彼女の面影が見えていた。
--20××年2月20日 24:06
--初うまぴょいまであと26分
「プロデューサーは、あの時、ウマドルとしてファル子を大切にしてくれたよね」
「……ああ」
「……そうしたら、ね、プロデューサー。今は、どう、かな」
おずおずと、スマートファルコンの目線が、眼鏡のフレームから溢れるように上目に男を捕らえてくる。
艶めく唇が、きゅっと閉じて、スマートファルコンの緊張は見て取れていた。
だからこそ余計に、プロデューサーは、言葉を返そうとした口を開いて……閉じてしまっていた。
スマートファルコンは見て取って、むしろ言葉を重ねていく。
「もう私……アイドルじゃ、ないよ?」
(……そう、なんだよな)
「どこにでも居る、事務員さんなんだよ」
(こんな可愛らしい事務員はそういない)
「プロデューサーが私を、ウマドルとしての私をずっと大事にしてくれてたのは、わかってるけれど」
(……いや、ごめん、本当は)
「……今のファル子は……もう、だめかな」
「そんな事はない!」
トレーナーの手が、スマートファルコンの膝上にあった手を取っていた。
身体は立ち上がって、椅子が勢いに任せて、後方の壁に当たって止まる。
目を見開いたスマートファルコンの前にプロデューサーは、そこでようやく、思考より先に声が出ていたことに気がついた。
「あ、えっと……その」
「……だめ、じゃ、ないって」
大きいスマートファルコンの瞳が、プロデューサーの姿で埋まっていた。
言葉の衝撃に戸惑っているスマートファルコンを前にして、プロデューサーは息を飲んだ。
そして、決めた。
(あの時、逃げたのは、俺の方だ。……なら)
プロデューサーはスマートファルコンと目を合わせるように、彼女の手を掴んだまま、床にしゃがんだ。
「だめじゃ、ないよ……本当は、ずっと一緒にいたくて、いて欲しくて……そこでファル子にウマドルの事務所を作りたいっていわれたのをいいことに、乗っかったんだ」
「……でもでも、プロデューサー、まじめに、ファル子の夢を応援してくれて、たよね?」
「もちろん。……大切な人の夢を応援できて、楽しくて、嬉しかったんだ」
「……っ!」
スマートファルコンの頬に、朱がじわりと滲む。
大切な人、という言葉の意味がすれ違うほど、二人は浅い付き合いではなかったし、日々の言葉を大切に交してきていた。
「だから……ダメじゃない。いいや……ファル子は、俺だけのウマ娘だ」
「っ! ……え、あっ……そ、その」
「……ずっと、言いたかった。俺の一番のウマドルで、そんな君とずっと一緒に居たくて俺も、我慢してた」
消え入りそうな声でもごもごとするスマートファルコンに、プロデューサーは手を握ったまま、じっと彼女の面立ちに自身の面立ちを寄せていく。
座る彼女の手は捕らえられて、逃げることは、できそうにない。
「……ファンのことを一生懸命大切にしていた君を大切にしたかったから。俺も、本当は……ファル子」
「……はい」
互いの呼気を感じるほどに近寄った二人の頬が、そっと近づいて、離れる。
二人の耳を、高鳴る互いの鼓動だけが打ち付ける一瞬があった。
「……君が、君がずっと欲しかった」
「……えへへっ、やっと……やっと聞けたっ」
きちんと言葉にしたプロデューサーの瞳の中で、スマートファルコンの満面の笑顔が浮かぶ。
それは、ウマドルとしての輝かしい笑顔とは違う、自分にだけ向けられた、愛らしい笑みだった。
--20××年2月20日 24:27
--初うまぴょいまであと3分
……PCの電源は切った。
資料の準備は、万全に整っている。明日の仕事は、11時からの大一番。
戸締まりはきちんと済ませた。
電気も消した。
しかし、二人は事務所に残った。
終電の時刻は実際の処とっくの昔に過ぎていた。
今日は二人とも泊まりがけのつもりで、泊まりがけの仕事は、もはや慣れたものだ。
普段お泊まりがけの時には、今日の様に、事務所近くの銭湯に駆け込んで身を清める。
終えてコンビニでゆっくり明日の朝ご飯を買って、備え付けのロッカーに常備してあるジャージを寝間着に着つつ、翌日の仕事に備える。
そんなことは、よくあることだった。
……けれど今日は少しだけ、二人とも銭湯での時間が長くなった。
コンビニによりはしたけれど、朝食を買い忘れた。
それでも、今の二人にとっては些末なことだった。
「……少し、二人だと小さいね」
「……寝袋、フラッシュにあげちゃったからしかたないな」
ソファに肩を寄せ合う人影が二つ。一つには、ウマ耳がゆったりと揺れていた。
「フラッシュさんがどうしてもっていってたんだもん、しかたないよ」
「……まぁ、おかげで、今は温かいけれど」
「……そうだね」
同じせっけんの匂いが仮眠室に溢れた。
時計の音が、やけに大きく聞こえた。
「……長い間、いえなくて……勇気が無くて、ごめん」
「ううん……ここまで一緒にいた時間は、とても大切だったから……それに、ね?」
「うん?」
「……その分これから、たくさんファル子のこと、いーっぱい愛してくれるでしょう?」
「そ、それは……は、はい……」
「……え、えへへっ」
「……恥ずかしがってる?」
「だ、だって、フラッシュさんからの、受け売りなんだもん」
「……それはまた……なんというか……」
2月。
ダートウマ娘にとっては春の大一番が近い頃合い。
部屋の中は暖房が効いているとはいえ、肌寒さを覚えても不思議ではないが、むしろ熱く、肌は蒸気を纏っているようだった。
「あ、でも一つだけ心配が……」
「……なぁに?」
「元、だけどウマドルとプロデューサーが、そういう関係になったら、他のウマドル達に変な影響がでたりとか、そういう……」
「あーっ……そうしたら絶対バレちゃダメだね……ふふっ、なんか、ファル子、ウマドルみたい」
「……そりゃ、ファン一号がここにいるからな」
飛び切り可愛らしい笑顔が、二人きりの暗闇に輝く。
闇を切り裂くようにまばゆい、愛らしい笑顔。
だがそれは、今この一時にあって、それは二人だけの至宝の笑顔だった。
「うふふっ、そうしたら……いつまでも、追いかけてきてくれるかな?」
「……いいとも」
「……ふっ、あはははっ」
「ふふっ、ははははっ」
くすくすと小さな笑みだった笑声が、少しだけ大きく共鳴する。
ソファに並んだ影は、ゆっくりとその境界線を失って。
「……っ」
息を飲む声と共に影は一つになって、歓声より甘い声に溶け合っていく。
--20××年2月20日 24:32
--初うまぴょいまであと零分。
なお所属ウマドルにはバレていた模様