トウカイテイオー、三度目の骨折。その悲報が知れ渡るのに時間はそうかかることはなかった。三度目の骨折、そしてそれに伴うトウカイテイオーの引退を示唆する風潮。それがどんどんと世論になるのにツインターボは嫌気が差していた。
「よっ…ふっ…これなら動けそうだ…少し休憩にしよう…。」
そのトウカイテイオーは既に骨折は治ったが走らぬ日々が続いていた。夕暮れ時、トウカイテイオーはダンスの練習をしていた。そしてひと段落して休憩するためにベンチに座った。…その背後に立つ影が現れたことをテイオーは感づいた。
背中合わせとなったその人物からスポーツドリンクが渡された。
「飲む?」
「飲む。」
一言だけ返し、彼女から差し出されたスポーツドリンクの封を開け、口をつけ始めた。背後の彼女は立ったままのようだ。
「世間では色々言われてるみたいだけど。」
「そうだね、皆正式な情報がないから好き放題、言いたい放題だ。困っちゃうよね。」
テイオーは苦笑しつつそんな声色を漏らす。
「それで、貴方はどうなの?」
「どうって?」
「…どうもこうもないよ。」
「…キミってば結構意地悪なんだね。ツインターボ。」
「知らなかったの?私は捻くれた子供だから。」
ごくごくと飲む音が背後から聞こえる。テイオーは受け取ったスポーツドリンクを見つめていたが視界が震えてきた。
「…認めたくないよ。やりたかったことが出来ないって言われることがどれくらい辛いものか、皆わかってない。」
声が震える。瞳から落ちるのは涙か。
「…諦めるの?」
「…諦めたくないよ。でも、あきらめるしかないんだよ…!ボクは…もう、走れないんだよ!!」
次第に抑えていたものが決壊し、テイオーはその思いの丈をぶちまける。背後の少女は何も反応を見せず、静かな声で返すだけだった。
「…そう、じゃあトウカイテイオーは噓つきだってことか。」
「……何を…?」
テイオーは震える声でその少女に問いかけた。
「あなたは言った。諦めないことこそが大事だって。だからそんな貴方が諦めるのは他ならないあなた自身への裏切り。…じゃあ嘘つきってことだよね。」
「…良いよ、何とでも言ってくれよ。ボクはもう大噓付きさ。自分で発した言葉すら守れない、そんな負け犬だよ。自分が情けなくなるくらい、愚かしいウマ娘だよ…!!」
その無慈悲な言葉はトウカイテイオーを深く抉る。後ろの少女はふぅーと息を吐くと
「…今度のオールカマー、私は出る。」
「…それが何だってんだい?」
「あのライスシャワーも出る。メジロマックイーンを破った彼女は今や最強のウマ娘の一角と言ってもいい。」
「…そうだね、ライスは強いよ。それにシスタートウショウも出る。みんな手ごわいレースになるよ。GⅢとは思えないくらいレベルの高いレースだ。」
「だから、私は逃げる。」
「…え?」
その言葉に今まで背中合わせだったテイオーは彼女の方へと振り返った。
「逃げ切る。誰にも追いつけない、そんな異次元の逃げをして見せる。」
「…無理だよ、出来っこない。」
テイオーは吐き捨てた。
「その言葉、覚えておいて、トウカイテイオー。あなたが吐いたその言葉を、良く。」
彼女はヒラヒラと手を振り、そのまま消えて行ってしまった。テイオーはそんな後姿をただ見つめているだけだった。
「…シンボリルドルフ生徒会長、秋川理事長…私からこの人生を賭けての一世一代のお願いをどうか聞いてもらえますか?」
――――
「…ライスさん。」
「ターボさん…今日はよろしくね?」
9月19日。中山競バ場。…オールカマー当日。
「ライスさん、あなたとの初めての走りが今日であることを惜しいとは思いますが。…負けない、誰にも。」
「…ライスだって、もう誰にも負けないんだから。」
「良いよ、勝負と行こう。でも勝負にもならないほど離して勝つ。これは宣戦布告だ、ステイヤー。差せるならば差して見せろ。」
「…!」
「…ターボさん。私はあなたの事情を知っています。知っているからこそ手加減はしません。たとえ貴方が絶対に勝たなくちゃいけなくても私は勝つ。」
「良いよ、イクノ。戦いはそういうものらしいから。でも、それだからこそ私が勝つ。」
「…ずいぶんな自信ですね。…いや、今の貴方にはそれを言い切るだけの力が。…それにしてもネイチャさんやトレーナーは無事に行えているんでしょうか。」
「…あー…大分無茶言ってる自覚はあるけれど。…それでも、私はあの人たちを信じているから。」
「…そうですね、私たちは勝負です。」
『中山競バ場、オールカマー。各ウマ娘たちのゲートインが完了しました。』
ファンファーレが鳴り響く。ここまで来たらあとは流れるだけ呑み。余計な雑念など不要、必要なのはこの勝負を尽くす力のみ。
『各ウマ娘…一斉にスタートしました!』
求めるものは圧倒的な勝利のみ。些末なものなど切り捨てろ、極限まで神経を研ぎ澄ませ。
先行争いが始まる。ツインターボはどんどんと加速する。それこそが彼女の十八番…否、彼女にはもうそれしかない。
『ツインターボ、どんどんと加速していく。一番手を取ったのはツインターボ。二番手にハシルショウグン。外からモガミキッカ…ホワイトストーンも上がってきた。そして内側六番手、ゼッケン八番のライスシャワー。その後ろに追走するイクノディクタス。』
ツインターボは更に飛ばす。掛かりと思われるほどどんどんと飛ばす。
『ツインターボ。更に加速する、しかしこれは少しハイペースか?』
『従来の彼女と比べても掛かり気味ですね、一息どこかで入れるのでしょうか。』
――一息?休憩?…否、そんなものは不要。
全ての神経を足に回せ、今は他の物に力を入れるな。ただ走るためだけに人生の全てを裂け。
『ツインターボが大きく二番手以下に差をつけて逃げています!後続はライスシャワーを警戒してか、まだ勝負を仕掛けません!』
…好都合さ。来ないならば私は進むだけ。
『さぁこの場内のどよめきは…ツインターボのとにかく逃げ!!何バ身離れているか今の段階ではとてもではわかりません!』
――――おかしい、ターボさんの今までのレースならこんなペースで飛ばしていたらいつかスタミナが尽きてしまうはず。ライスがそこに付け入る隙は幾らでもあると思ってたはず…
後方集団でライスシャワーは徹底的にマークされつつも爆速で逃げる青いウマ娘を見て、疑問を呈していた。第三コーナーを通るライス。それにようやく彼女は真意に気が付いた。
(…まさか!!)
「…ッ!!」
―――やってくれたね、ターボさん…!
ライスシャワーがその足に込める力が更に伸びる。前方を走るウマ娘をそのステイヤーはねじ伏せる。どんどんと加速する。
『ここでライスシャワー、出てきた!モガミキッカを抜き去る!』
―――全て布石だったってことだね―――!!
―――ペースを抑えて走ってきたとはいえ、流石につらいな…それに背後から黒いプレッシャーが肌にビシビシと突き刺さってくるようだ。彼女は本気で差しに来ている。油断すればあっという間に食らわれてしまいそうだ。でも…でも、だからこそ。
「逃げ甲斐のある!!」
『ツインターボ!!更に早くなる!!前半のハイペースとはいったい何だったのかと思うほどツインターボ、更に加速する!ツインターボだけが!早くもツインターボだけが第四コーナーの曲がり角に!』
――心臓が張り裂けそうだ。全身の血管が今にも全て沸騰しそうなくらい熱い。この熱で全て無に帰してしまいそうだ。
血液が逆流する。口から赤いものが零れ落ちる。血などいつものことだ。目が赤く染まる。問題ない、今更視界なんて無くたってゴールへの道など感覚で掴める。
『ライスシャワー、これはもう届かないか!』
――ああ、これは勝てない。…彼女は覚悟の量が違う。…私などもう届くはずもない。勝とうなど烏滸がましい言葉だった。…でも良い、今はそれでいい。今は彼女に贈ろう。
「ッ…行けッ!!ターボ!!」
―――走れ!!
それは有り得ない光景だった。青いウマ娘はその目から血を流しながら、口の端に血を垂らしながら。走る、誰もいない先頭の景色を独占しながら。
―――見ているか、トウカイテイオー。これがお前の不可能と断じたものだ。これがお前が無理だといったものだ。これがお前が言った言葉だ。これがお前の教えた意味だ。これが――
「これが―――諦めないっていうことだ!!」
――――トウカイテイオーッ!!
『見事逃げ切ったぞ逃亡者ツインターボ!!11番、ツインターボ!今…ゴールインだ!後続に…12バ身の差をつけた!!』
それは後に語り継がれる伝説となった。そのウマ娘はまるで閃光のように走ったと―――長く語られる伝説の始まりだった。
「…ゴホッ…ガハッ…ウェッ…!!」
激しく咳き込みながら血の塊を吐き出したツインターボ。その様子を一人のウマ娘は見ていた。
「…ターボ、大丈夫ですか?」
「…イクノ…ああ、うん。今回は―――まだ大丈夫かな。」
メガネのウマ娘の手を借りて立ち上がる少女を黒髪のステイヤーはじっと見ていた。
「…凄いな。ターボさん…ヒーローみたい。」
後に彼女たちはもう一度ぶつかる。…そのことを彼女はまだ知らないが――再戦の期待に胸を躍らせる自分がいることにライスシャワーは驚いた。
――――
あの伝説となったオールカマーから一月後。トウカイテイオーは引退をしなかった。その結果だけ聞くとツインターボは満足したように練習に戻った。
「みんなすごい熱気だねトレーナー…。」
「そうですね、天皇賞秋――――この季節において最も皆が注目するレースが行われますからね。」
「それにイクノにネイチャ…ターボも。この天皇賞に参加できてるもんね!」
「喜ばしいことです。あまりパッとしないと言われたチーム・カノープスも既に過去の話。重賞制覇とこのようにGⅠに出場できる土台が作れたことで私たちの名前も売れてきました。」
東京競バ場、そこにチーム・カノープスのマチカネタンホイザとトレーナーの南坂がいた。
『17名のウマ娘が姿を現しています。1番人気、漆黒のステイヤー、ライスシャワーです。』
『本日もかなり研ぎ澄まされています。』
『2番人気にはブロンズコレクター、ナイスネイチャが入っています。』
『汚名返上となるか注目したいところです。』
『そして3番人気にはターフの飛ばし屋、ツインターボです。』
『一月前のでのオールカマーで見せた圧倒的な逃げはこのGⅠでどのように振るうのでしょうか?』
タンホイザは喜んでいた。二番人気、三番人気をチーム・カノープスで得られたからだ。
「やったよね、トレーナー。これでもっと私たちが注目されるね!」
「ええ、本当に喜ばしいことです。…これでターボさんの悲願にも近づく。」
『17名のウマ娘が今一斉にスタートしました!さあやはり先頭集団に躍り出てくるのは三番人気、三番ツインターボ。今日もターボエンジン全開で飛ばしてまいります。』
「やっぱり最初につくのはターボかぁ。」
「予想できたことですね。皆は最初から飛ばすわけでもない…しかしターボさんならば話は別です。最初から全力で飛ばすのは彼女らしい。」
「でも今回はGⅠだよ?通用するのかなぁ?」
(…体の調子が軽い。足取りも驚くくらい軽い。今までの苦しみが嘘のようだ。)
ツインターボは先頭を走りながら独自する。今まで自分を苦しめてきた心臓の痛みが嘘のように引いている。むしろ好都合ではあるのだが急に痛みが引いたことへの疑問は尽きなかった。だが彼女は飛ばす。体は思考とは別に加速する。
「…まるで痛みがない。」
走りながら、彼女は過去最高潮だった。これならばGⅠも獲れるかもしれない。そう甘い期待をした時…彼女は何となく心臓へと手をやってみた。それは普段痛みを抑えるように見えるかもしれない動作。なんて事はない、ただの確認のつもりだった。
「――――――――――――え?」
その心臓は鼓動を止めていた。そして彼女の意識はここで暗転したのだった。
『ツインターボ…転倒した!!ツインターボ、激しく転倒した!!レース場を大きくそれて激しく転倒した!大丈夫でしょうか!?』
「ターボッ!」
「ターボさん!!」
同じレースに出ていたイクノディクタスとナイスネイチャはチームメイトの危機にいち早く察知した。だが、観客席から飛んできた言葉に。
「いけません!!ネイチャさん!イクノさん!!走る足を止めてはいけません!!」
「トレーナー…!」
普段から考えられないほど大きな声を立てて叫んだのは南坂だった。…ネイチャとイクノは心配を振り切り、走る。…そしてレース場に参加ウマ娘以外のウマ娘が走っていた。観客席から飛び込んできたそのウマ娘は…
「ターボッ!!!」
マチカネタンホイザだった。ツインターボの元に彼女は観衆の目なども気にせず全力で走り出した。
「ターボッ!…トレーナー…早く…救急車を!!!」
タンホイザの絶叫がその日の東京競バ場へ響いたのだった。
――――――――
―――明るい光。差し込むのは何か。
視界が黒一色から急に色彩を帯びた。今まで真っ暗だった世界は急に絵の具で染め上げられたかのようだった。
「…ッ…。」
「…ターボッ!」「ターボさん!」
その言葉に意識が覚醒してきた。ツインターボは目覚めた。その視界が彼女のチームメイトを映した。
「…みんな。」
「ターボ、アタシが分かる?」
「ターボさん、痛いところは?」
「ちょ、みんなうれしいのは分かるけれどターボが大変だよ。」
「…ネイチャ、分かるよ。わかるから近い。イクノ…全身が痛いよ。タンホイザ…お気遣いありがとう…。」
全身が鈍い痛みが走るようだった。それでも彼女はまだ生きている。それがうれしかった。
「良かったよぉ…。」
「…一時期はどうなることかと。」
「…ほんとにね。」
三人のウマ娘は安堵をした。
「ねえ、今って何時?」
「…ターボ、アンタまる1日は意識不明だったわ。このくらいで目覚めれるのは流石ウマ娘ってことかねぇ?」
ネイチャの言葉にターボも安堵した。このまま一年眠りっぱなしとかだったら話にもならんと思っていたところだった。
「まぁ…頑丈さには定評があるから。」
「…む、それはいけませんねターボさん。頑丈さならば私を差し置いて名乗るなど。」
「はは、そりゃごめん、イクノ。」
鉄の女の異名を取るイクノディクタスにターボは片手をあげてごめんというジェスチャーをしようとした。
そう、しようとしただけだった。
「…あれ?」
「ターボ、どうしたの。そんな顔して。」
「やはりどこか痛みますか?」
「だから痛むのは全身だって…どうしたの、ターボ?」
少女は、諦めることをしなかった少女は。…初めて彼女らの前で…泣きそうな声を漏らした。
「…おかしいな…どうやっても…」
――――――――動かないんだ、私の右腕が………。