揺るがせ衝撃、異次元に届くまで 作:スターク(元:はぎほぎ)
やったやったと、ぼくは歓声の中を軽い足取りで歩く。今日はニンゲン達にとって大事な日、そしてぼくにとって大事な駆けっこの日。それに勝って、褒められたんだ。
いつもとは段違いに長い距離だった。お陰で一周した時に「ここが最後だ」と勘違いしちゃったのはぼくのミス。あの時、背中の兄ちゃんが止めてくれなかったら大変な事になってたかも。
そうそう、兄ちゃん。兄ちゃんがいっぱいいっぱい褒めてくれた、その事が一番嬉しかった。一番最初の駆けっこからずっとぼくに乗って、ぼくを叱ってくれて、ぼくを勝たせてくれるお兄ちゃん。そんなお兄ちゃんが、ぼくは一番好き。お兄ちゃんが仕掛けて回る最後の
そんなお兄ちゃんは今、ぼくの背中で前足から三つ細いの(ニンゲン達が“ゆび”って呼んでるヤツ)を伸ばしてる。どういう意味かはよく分かんない。きっかしょう?だとか、さんかん?だとか何だとか。
あっ、降りるの?どうぞどうぞ、また乗ってね。
「ありがとうな、ディープ」
お兄ちゃんの優しい鳴き声、これも好き。意味は分かんないけど心地良くて、今すぐ顔を擦り付けたい。でもいつも世話してくれるヒトが引っ張って来て、引き離されてしまった。
「
「お前はこっちな、お坊っちゃま君」
少しぐらい良いじゃん、と思っていると被せられる布。ううー、さっき首に被せられたのといいヒラヒラして落ち着かないよー。
ていうか、前の前のレースの時もそうだったけどニンゲン達がうるさ過ぎ!もうちょっと静かに出来ないのかなぁ、他の
あっ、ぼくしかいない……
でもまぁ、お兄ちゃんも世話してくれるヒトも皆幸せそうだし、ぼくも幸せだし、良いかなって。そう思ってた。
その時までは。
「いやぁ、凄いですねディープインパクト!サイレンススズカとどっちが凄いんですか!?」
お兄ちゃんが降りた方向から聞こえて来たのは、そんな声。他の声にかき消される程度には大きくなかったそれを、ぼくの耳が鮮明に拾ったのは、きっと。
「今する質問が、それですか」
お兄ちゃんが怒ったから。
ぼくはすぐに分かった。多分、お兄ちゃんをよく知るニンゲン達もすぐ分かったと思う。
それぐらい、背中越しでも分かるくらい、お兄ちゃんは怒っていた。静かに、でも確かに。
「あっーーすす、すみませんっ!」
「……ええ、大丈夫です。では」
お兄ちゃんが怒りを解いて、やっと時間が動き出す。さっきの事なんて誰も無かったみたいに、お兄ちゃんも他のニンゲン達も笑顔を振り撒きあって。
でも、ぼくは。
「ディープ?」
動けなかった。「サイレンススズカ」というその音が、ぼくの耳から離れなかったから。
あの時お兄ちゃんが見せた怒りが、今も顔に落としている影が、頭から離れないから。
ねぇ、お兄ちゃん。
そのサイレンススズカって、誰の事なの?
誰が、お兄ちゃんを悲しませてるの?
お兄ちゃんは答えてくれなかった。その後も、その次の日も。その目に隈を浮かべていて、ぼくに乗り辛そうにしていても。
その答えを知ったのは、少し経った日の事だった。
『サイレンススズカ?そういや母ちゃんから聞いた事あるような』
『ホント!?』
『うおっと、すげぇ食いつきだな』
あの日からサイレンススズカの事が頭から離れず、夜も眠れない…訳ではなかったけどあんまり物事に集中できなくて。仕方がないから隣や向かいの部屋の馬達、更には練習やその行き帰りですれ違う馬達に“サイレンススズカ”について聞いてみてた。これまでは特に成果を挙げれてなかったんだけど、やっと知ってる馬に出会えたんだ!
「ディ、ディープ!?待て待て、どうした」
「あれ…サムライハートが気に入ったんですかね?」
『ニンゲン達が困ってるぞ』
『良いから、引き離される前に早く教えて!!』
『まぁ良いけど…でも、俺も詳しく聞いてた訳じゃないからなぁ』
あんまり乗り気じゃなかったけど、なんとかゴリ押しで話を聞き出す。数少ないチャンスを逃したくない、その一心で。
『俺の母ちゃんはエアグルーヴって言うんだけどさ。なんか暑くなり始める時期のレースで、とんでもねぇ速さの馬にぶっちぎられて負けちまったらしいんだ』
『それが…サイレンススズカ?』
『ああ。その前から何回か会ってた仲だったらしいんだが、母ちゃんとしてはその一回が特に忘れられないらしい。それはそれはすんげぇ逃げっぷりだったと』
『……逃げ』
後ろから全員抜いちゃう僕とは真逆の走り。ずっと前で駆け抜けて、後ろを置き去りにする走り。
それが、サイレンススズカ。
お兄ちゃんは、その背中に乗ってたの?
『っとと、どうやらここまでらしい。また会えるかは分からんが、話の続きはその時にな』
『…うん、ありがと!』
『頑張れよ、俺ら世代のエースさん!!』
サムライハート君からの応援を受けて、ぼくは上の空だった気分を引き締め直す。そうだ、ぼくは一回も負けた事が無い強い馬なんだ。お兄ちゃんがどんな強い馬に乗ってようと、今のお兄ちゃんを乗せてるのはぼくなんだ。
そして、その日の練習で。
眩しい輝きを放つ栗毛の影を、見てしまう。
それが、ぼくの馬生が変わった日。
この小説書くに当たってディープのレースを調べたけど強過ぎィ!自分戦慄いいすか?(語録)