言い訳はしない。疲れたから来た。
自分でもちょっと不味いなと思う程度に思考能力も肉体性能も低下したのを認めただけだ。
三度目ともなると戸惑うことなく引き戸を開けることが出来た。それが成長という名の慣れであるという事実は悲しくなるので直視したくない。
挨拶もそこそこにいつもの手順を踏んで横になると、マスタルがマッサージよりも先に話しかけてきた。珍しいこともあるもんだな、と思ったが、この人と会うのはまだ三回目だった。なんというか、昔から顔を合わせる親戚か近所のオヤジといった気安さがどうしても生まれてしまうのだ。……おちつけ。相手はインド人だぞ。
「よくきたな!横なれ。ソイヤ前も来てたね、タイチョーフリョをヨーガマスタルにお任せしたくなるのわかるけど、ヨーガをマスターしてカラダほぐすといいよ!」
今日のマスタルは機嫌がいいようだ。もしかしたら彼も慣れてきたのかもしれない。……三回しか顔を合わせていないのに妙に馴れ馴れしい気もするが、考えても無駄な事というものはいくらでも存在する。この怪しいマスタルのことを真剣に考えるくらいなら、角砂糖をほぐして結晶を一粒ずつ数えていた方がマシなことに思える。
「運動はしてるんですが」
そうはいっても会話は大切だ。安室透という存在は人を邪険に扱ったりしないキャラクターとして生み出したからだ。外では安室透、安室透だ。だから毎度骨抜きのでろっでろにほぐされた情けない笑い上戸は降谷零ではない。断じて違う。
「使ってない肉あるよ!ホーレホレホレホレホレ」
ゴキッメキメキメキゴッ、と、軽快な言葉とは裏腹に本日も盛大な音を身体は奏でた。いや、心なしいつもより激しい気もしないでもない。不安が加速する。
「アレー?」
「なんですか今の音、何ですか今の声!?」
「ラクになるー」
「……。」
確かに楽にはなった。ここのところはデスクワークが主体で腰から足の付け根がだるかった。それは認める。
でもなんで腕や肩から出た不自然極まりない音で腰から下が楽になるというのか。人体の神秘が奥深すぎてついていけそうにない。マスタルのノリにもついていけない。
その後も全身から嫌な音を立てる時間は続き、安室透は骨抜き状態になった。いいか、安室透が骨抜きになったんだ。
「効いたね!二千円置いて帰ってヨ!」
「えーと、お代です」
悔しいが確かに効いた。それでもって機嫌が良くても本日も無情に追い出されようとしている。
「お札が2枚、誤魔化しナシの円!カレー食べた?」
「ええ、美味しかったですよ」
覚えていたのかと思いつつも、一応接客業だからそういうことには細かいのかもしれないと考えを改めた。
あの隣町のカレー屋は調査結果でこの目の前の怪しいオッサンがオーナーであり、調理人は家から連れてきたシェフだということも判明しているために行ったのだ。
シェフはどうやらマスタルとは親友らしい。身分の差というものをあまり気にしないマスタルは、使用人たちととても仲が良いというのも大使館からの情報で知っている。
「あそこ息子よりオイシイ。息子はダメだね、ナンも不味い」
「…息子さんも店やってるんですね」
息子はニートじゃなかったのか。ああ、もう一人の息子の方か。
「ニートしてるよ!」
「えぇ???」
やっぱりニートの息子の方だった。なんなんだ、なんなんだこの親子は。労働なんて一切せずに一生を終えることを許された人らだというのに、息子も調理場に立つというのか。
いやこのマスタルにして息子ありだな。父親が日本に来てまでマッサージ店の怪しいオヤジをやっているように、息子も調理場に立って調理をするのだろう。彼曰く腕はそう良くないようではあるが。
「息子ネー、服欲しいってゆーのよ、外歩きたい、ニッポン行きたいからってー」
「はあ?」
まだ続くのか息子の話。本当に今日は機嫌がいいのかもしれない。というか、ハイ・カーストなら服屋の資本ごと買い取れるだろうに何を言っているんだ。
「私に似てワーガママ!あーはははワーガママァー」
「ええっと」
好きにマッサージ店やるのも我儘……なのか?我儘とはいったい、何を指す言葉だっただろうか。
ちょっとスケールと方向性が違い過ぎて理解できそうにない。
「だからお古あげたヨ、マスタルの」
「……えぇ?」
お古をあげた、という言葉でついまじまじとマスタルを見つめてしまった。どこの街にもある大手量販店の服だ。カタカナ四文字の、CMもやっているあの会社のシンプルなシャツだ。前回も確か同じメーカーの量販品だった。
と、いうことは息子はこの大量生産品の服をお下がりで貰ったというのか。買ってやれよハイ・カーストで履いて捨てるどころか日本で中古のビルを買ってマッサージ屋を営む金があるんだから。
やはりマスタルはマスタルという生物であり、同じ感覚を有する存在ではないのかもしれない。漠然と失礼なことを思い浮かべてしまった。
「マスタルいい服持ってるよ!」
「はあ」
あ。やっぱり良い服をあげたのか。高級品ともなれば親子で着ることがあっても不自然ではない。高品質なものは劣化しにくく、受け継がれることは別に珍しくないからだ。彼ほどの家ならばデザイナーだって囲っているだろうし、量販品を渡したというのは酷い誤解だったのだろう。
心の中の出来事とは言え謝罪をする。申し訳ない、あなたに妙な偏見を持ってしまっていた。
「ユニタロのシャツあげたの!」
「いい……服?」
前言撤回。当たってるじゃないか。
「三回洗ってもヨレヨレにならないヨ!襟も見てホラピンピンしてる!にーさんも買いなユニタロ!!」
「いい服……ユニタロ?三回……?」
「色水被っても洗えるヨ!」
「日本にホーリー祭はありません」
洗っても落ちないような謎の染料を思いっきりブチ込んだ色水飛び交う祭りは遠慮して欲しい。
ただでさえ昨今はハロウィンで羽目を外す者たちがいるというのに、無法こそ合法とでも言いたげな祭りを開催されてしまってはたまったものではない。自身の白い愛車がキャンバスに見立てられ、見るも無残な姿になっていくであろう祭りを思って頭が痛くなった。
おかしい、僕はついさっきマッサージを受けたはずだ。いや受けたのは安室透、安室透だ。だから被害にあうのも安室透……いや、車は共通だ絶対にホーリーだけは阻止したい。断じて独特なカラーリングにしたいわけじゃない。
色で塗りつぶすのはイカのゲームだけで充分だ。
「ホーリー楽しいヨ?オニーサンも一緒にどう?」
「やりません」
「色つける粉ならインドで買えるヨ?」
「買いません」
だめだ、心労が酷い。悪夢のカラーリングになってしまう愛車を思うとつらい。
大事に大事に乗っているとは口が裂けても言えないが、それでも愛着もあるし可能な限りメンテナンスをして保持をしているのだ。むざむざ落ちない色水に晒されるのを黙ってみている趣味はない。
「ア~ッハッハッハッハ!お疲れになっちゃった?サービスいる?」
「……なんですか?」
ひとを疲れさせておいてこのインド人、いけしゃあしゃあと言いやがる。そのやたらと似合っているターバン剥ぎ取るぞ。
そんな怨念の籠った視線をものともせずに奥へと引き込むと、ラベルの剥がされたペットボトルをもって戻ってきた。
白い飲み物のようだ。
「ラッシーやる。飲め」
「いえ、いりません」
そんな何が混入されているか分からない上に衛生状態の悪そうなものが飲めるか。
「あ、そう?じゃあマスタルが飲んじゃう。んんん~オイシネー」
ごくごくと嚥下するところを見ると、本当に不味いものは入っておらず、善意のようだった。
だがその善意を素直に受け取るわけにはいかない。自分は、僕は。この国のために。
「ラッシー飲まないならtandoori chickenのサービス券あげる。オイシーよ!おススメ」
「ありがとうございます」
でも自分の気持ちに素直になるのも大切だよな。うん、あそこのカレーは美味しかった。流石、ハイ・カーストお抱えのシェフの店だ。物凄く美味しくてナンをどれほどお替りしたことか。絶対に次はチキンも食べよう。
さっきまで再び重くなっていた身体は、魔法の紙切れ一枚で見事に復活を果たした。
マスタルは本当にひとを蘇らせるプロだ。やはり彼は聖者だ。
また来いよ二千円持って!
その声に笑顔で応えて店を後にした。
さて。この後もう一仕事頑張ろう。そうしたらマスタルおすすめのチキンを食べよう。
チキンを食べて、活をつけて。明日の日本を護るんだ。そう、僕は降谷零。マッサージに骨抜きになった男は安室透。あれは、僕じゃない。