結果から述べると、リンはみこみーとの同居を選んだ。
今まで同じように一人で暮らすのではなく、みこみーという友人を頼ることを選んだのだ。
以下、それを聞いたみこみーとリンの一幕。
「リンちゃん~! リンちゃんラブ! リンちゃんラブ! 毎日ベッドの上で隣合わせになって、お互いの身体の表面積90%以上を触れ合う形で寝ましょうね!」
「す、するわけないだろ! 寝室は別々! 絶対、そこは、ゆ、譲れない!」
「なんでですかー!」
みこみーが非常に気持ち悪い興奮の仕方をしていたが、ともかく、これは大きな一歩だ。歴史に残ると言っても過言じゃない。
リンは最後まで悩んでいた。それこそ、その日朝まで同居か一人暮らしか考えて寝れなかったくらいには。
この決断に関しては私は特段、どちらにすべきとは言っていないし具体的な相談にも乗っていない。
だけども多分、決め手になったのはやっぱりみこみーのあの一言だと思う。
『の、のんちゃんがいないと私は……! 私にはこれまでもこれからも、ずっと、のんちゃんしか……!』
『───私がいますよ!!』
あの時のみこみーと言えば世界の全てを敵に回してもリンの味方に付きそうなくらい、覚悟を固めた表情と声音だった。あんなのを真っ向から言い放ち、その後だって父親にリンは絶対幸せにすると啖呵を切ってるんだ。リンがみこみーに肩を寄せたくなる気持ちは十二分に理解できる。
まあ……このくらいで考えるのは止めとくか。
幾ら一心同体とはいえ、思春期の女子中学生の内心を考察するのは良い趣味とは言えない。私はプライバシーを遵守するタイプなのである。
すったもんだがあってから、3月は忙しなかった。
一番の目玉は引っ越しだった。
まず同居可能物件の内見から始まり、引っ越し業者の手配、電気や水道、ネット回線を始めとするライフライン開通の手続き。さしものみこみーも高校卒業したばかりのまだ子供である以上、そういう各種手続きは初めての経験だったようで、思わず私も口を挟んだ。
「引っ越し業者は相見積もりをした方が絶対にいいよ。で、引っ越し業者にはちゃんと相見積もりしていることを話すと多少値引きが入る。重要なのは1社目で納得しないこと。荷物を見に来た引っ越し業者の営業は、他業者の見積もりを辞めて今ここで契約すればこの値段で頑張るとか言ってくるけど、絶対に3社目まで見るべき」
「へえ~そうなんですか! 流石のん先輩、お詳しいですね!」
「あとライフラインは早めに手続きすべきだね。遅いと入居日はガスが出なくて水風呂を強いられるとかよくある話だから、最低でも1週間前には申し込みをした方がいいよ」
「それは嫌ですね~。のん先輩ありがとうございます、1週間は遊びを見ようと思います」
「更に言うならインターネットは2週間……この時期なら3週間前かな。工事が必要だったりして、意外と開通まで時間がかかるんだ」
「あの……のん先輩? ちょっと詳しすぎませんか?」
おかげでレアなみこみーの困惑顔を見れてしまった。確かにリンと一緒に暮らしている私が引っ越し事情にあれこれと精通しているのはかなり変だったかもしれない。リンにもみこみーにも不便な思いをしてもらいたくないから、どれだけ怪しまれようが止めないが。
肝心な引っ越し先はマンションの一室になった。これはみこみーの両親の意見が強い。一人暮らしするにあたりセキュリティの良い物件に住めと、元より条件を出していたらしい。私も同意である。うら若き2人である、有事の際はセキュリティが最後の砦となる。まあ早々そんな事態に巻き込まれることもないだろうけど、活動者でもある以上それなりに気を使ってし過ぎということは無いはず。
部屋の構成は3LDK。
リビングに、みこみーとリンの私室が一つずつ。それから配信部屋だ。
「なんか本格的にネット活動者って感じですね〜」
「い、今更でしょ」
「やっぱ違いますよ! それ専用の部屋があるっていうのは!」
みこみーが妙に興奮した面持ちになるのも無理はない。
一人暮らし歴の無いみこみーにとっては初めての自分の城である。
ただリンは長らく一人暮らしだったため、そんなみこみーと波長が少し合わない。
「べ、別に言うほどでもないと思う」
「冷めてますねー冷めリンですねー。同棲するっていうのに悲しいです私」
「ど、同棲じゃなくて同居だけど……そ、そんな落ち込まなくても」
「え〜心配してくれるリンちゃん可愛い! で、いつ婚約届は書いてくれるんですか?」
「は、はあ!? 可愛くないし書かないし……! そ、それに婚約届なんて持って無いだろ!」
「え、つまり婚約届さえあれば書いてくれると言質を取っちゃった認識で良いんですね!」
「い、言ってない! 欠片も、微塵も、1ミリも……!」
「またまた〜照れなくて良いんですよ?」
「だ、黙って!!」
リンは怒った素振りを見せつつみこみーから離れて自室に戻ると、段ボールから荷物を開梱する作業に入った。ただリンをこれまでずっと見てきた保護者的にはみこみーの指摘通り、本当に照れ隠しの可能性が高い。
少しの間荷解きをしていると、部屋の戸が叩かれた。
「すみません、少し言い過ぎました……」
みこみーの少し沈んだ声。
どうも誂いすぎたと感じているらしい。
ただ、これまでずっとあんなノリなのに今更すぎるよなぁとか思っていれば困ったようにリンが言う。
「き、気にしてない……寧ろ謝られると調子が狂う、から。一々、その、気にしないで」
「……!」
刹那、ドアが開け放たれた。
飛びかかってくる茶色の影。
「リンちゃん! 松坂牛食べに行きましょう! 神戸牛でもいいですよ! 今日はリンちゃん記念日です!」
「だ、抱きつこうとしてくるな……! だ、ダルい!」
なんで牛肉限定なんだろうか。
みこみーの突進をリンは避ける。みこみーはベットに躓いて埋もれる。リンはその上からこれ以上暴れないように抑え込んだ。
「これで、観念、しろ」
「り、リンちゃんに組みふされちゃいました……ふふふ……これはこれで」
「こ、こいつ……無敵か……?」
無敵である。だってみこみーだし。
と、そんな感じでみこみーとの同居生活は順調な滑り出しを迎えていた。
数日暮らして思ったが、この二人、意外にも同居の相性が良い。
双方インドア派で互いの私生活に過度な干渉をしない点は分かっていたけど、みこみーがリンと似たような生活価値観を持っているのは少し驚いた。
生活価値観っていうのは掃除の頻度とかトイレットペーパーの補充とか、そういう話である。
リンは私が少々煩く言っていたから結構その辺几帳面で、みこみーは性格的にもう少し大雑把だと思っていたんだけど。
(リンとみこみーって同居する上での相性凄い良いよね)
思わず胸中で零すと、それを聞いたリンは非常に渋い表情でぶすっとした。
(あ、あいつとの相性なんて、良くも悪くもないし……)
良くも悪くもない、ね。
少し前までなら絶対に否定してきただろうに、これもリンの成長だろう。この調子でみこみーとの仲を深化させてほしいものだ。
「リンちゃん~! ご飯とお風呂の準備が出来ましたよ~! あ、でも私からと言うのであれば吝かじゃありません! ご飯もお風呂も冷めちゃいますが致し方ありませんね!」
「な、何も言ってない! 夕飯だけ、粛々と寄越せ!」
……相性、良いのだろうか、これ。
反抗期の娘みたいな言動のリンに、更に感じ入って喧しくなっていくみこみーを見て、自分の見解が合っているか不安になった。
────────
同居が始まり、荷解きも終わり生活が軌道に乗るとすぐに4月になった。みこみーは大学生に、リンは中学3年生になった。傍ら私は概ねニートという身分に相応しい生活をしていて成長が無い。配信ニートである。この数ヶ月、いや、みこみーが受験に徹してからの配信は専ら、本にすれば行間で消費されてしまいそうなほど代わり映えのない配信ばかりしてしまった。お蔭で登録者数は横ばいで、20万人にはまだ到達せず、再生数もあんまり芳しくない。
とまあ、代り映えしない毎日だからか、4月の焦燥感に私は駆られていた。
4月という季節は何も無くとも何かを始めなきゃならない気分にさせてくる。それはVtuberしか楽しみが無かった重度のインターネットオタクの過去の私でさえ当てはまるのだから、春の魔力というのはとんでもなく抗い難い。大学時代はクリエイターへの憧れから4月は決まって絵の勉強を始め、5月にイラストレーターが書いた美少女絵指南書を購入し、6月にはほっぽり投げるを何度も繰り返してきた私である。今でも桜を見ると心が満ち足りない現状への改善を求めてウズウズとする。
しかしこの年の春は、数日でそんな隔靴搔痒とした日々は終わりを迎えた。
リンが中学3年生に進級してすぐ、しげしげと観察する同級生の視線にリンは襲われたのだ。
「じーー」
リンはそわそわと居心地が悪そうに肩を縮こませる。
その少女は昨年度は見かけたこともない女子生徒だった。
まず目立つのは肩を少し超す程度に揃えられたパステルカラーの淡い水色の髪。
目尻は上がっていて不機嫌そうな印象を受ける。さながら気難しいリスみたいな、怖くはないけど話しかけづらい雰囲気。
確かにクラスメイトにこんな子いたね。リンとは遠い席の住人だった気がする。
(の、のんちゃん……なんだろう……この人。こわい)
(リンと仲良くなりたい女の子じゃないかな)
(や、やだけど。だだって、へ、変すぎるよこの人。さっきからずっと、その、見てくるし……怖いし……)
(人は見た目によらないんだよリン。もしかすると良い人かもしれない)
(だ、第一印象は重要だと思う……!)
リンも言うようになったなあ。
妙な感心を抱いていると、水色の少女は微かに顔を近づけて、リンの髪の匂いを引き寄せるように手で仰ぐとくんくんと嗅いだ。
「良い匂い」
(へ、変すぎる! のんちゃん……! この人たいへん変質者!)
(名前思い出した。確か
(それ、今は、とても、どうでも良いと思う……!)
顔が近づくたびに小動物みたいにビクビクと怯懦に身体を震わせるリン。
堂々たるスメハラを敢行した少女はと言えばジトリとリンを見つめている。
(リン、取り合えず対話をしなきゃ。レッツトークだよリン)
(わ、私から話すこと、何もない! こんな、変態と!)
(でもこのままだとずっと至近距離から生態観察されたままだよ)
(そ、それは嫌……だけど!)
暫し悩んだリンだったが、気づかないふりを続けても埒が明かないと決意を固めて、水色少女へと向き直った。
「あ、あの! なにか御用……でしょうか……?」
府上さんはリンを見た。目と目が合う。ここですぐに目を逸らして何でもないですと早口で告げて逃げなくなったのはリンのここ1年の成長である。
そして口を開く。
「……名前、灰崎さんよね」
「は、はい」
「良い声してるわ」
「あ、ありがとうございます……?」
「でも聞き覚えがあるのよ、その声」
不思議そうな顔をするリンと対照的に、私の方がぴくりと反応しそうになった。
まずい。これはリアバレか?
私の声は即ちリンの声でもある。
配信中は声音を少し声音を変えたり、声を張ったり、アクセントをずらしたりと、リンに繋がる証拠を減らそうとはしているが、同じ声帯を用いている以上どうしてもリンの声にVtuber冬川のんの面影を完全に消すことは難しい。
「冬川のん」
その固有名詞にリンはゆっくりと瞬きを一回した。一気に身体を強張らせる。
非常にマズい。そのなりでV豚だったか。
一応言い含めないと。
(平常心ですっとぼけよう。ここでバレたらちょっと事だよ)
(わわわわわわわ分かってる)
あ、駄目そう。
「冬川のんに声が似てるのね」
さらに懸念していた事実を府上さんは口にした。
リンの表情が面白いくらいに青褪めてしまう。
「に、似てるだけ。偶に言われる」
「ふうん。知ってるんだ、Vtuber」
「うへぇ……やっぱり、し、知らない。冬川のんって、だ、誰?」
「知らない割には淀みなく名前言えるのね」
「え、えっと、み、見たことあるから……」
「知らないって言ってなかった?」
水瓶の中で泳ぐ金魚みたいにぱくぱくと口を動かす。
あー、的確に自滅してしまった。リンにはまだ嘘をつくというコミュニケーションは早かったか。
(リン、ここは話をすり替えてみよう。例えば、府上さんはVtuber見てるの? とか聞いてみてさ)
(の、のんちゃん……わかった)
リンは意を決するみたいに唇を一度固く結ぶと、顔を上げた。
「あ、あの……!」
「なに?」
「あっ………………な、なんでもないです」
親の仇を睥睨するかの如く鋭い視線にリンは一瞬で言葉を引っ込めた。
……まあしょうがない。リンは人の悪意とか不機嫌みたいなものを直接ぶつけられることに慣れていない。目の前の人物が本当にそういう感情でリンを見ているかは分からないけども。
「灰崎さん、ちょっと放課後時間ある? 話したいことがあるんだけど」
「は、話したいこと……? こ……ここじゃダメなの?」
「ええ。リアルじゃどうしても話しづらいことよ」
リアルじゃ話しづらいこと……Vtuber関連の話かな。今までの会話を踏まえたただの予想だけど、何となくそんな気がする。
「べ、別にいいけど……」
「ありがとう。じゃあ放課後にまた席まで来るから」
そう言って府上さんは視線をリンから外して去っていった。……なんか真意が分からない女の子だ。
後ろ姿を戦々恐々とした瞳でリンが見遣る。
(の、のんちゃん……もし私が死んだらお葬式でお通夜配信してね)
(誰がするか)
ビビりすぎである。
授業が一つ終わるごとに憂鬱さが加速するのか、徐々に猫背になって最終的に机に突っ伏して現実から目を背けるのも束の間、気付けば放課後になった。
言葉通り府上さんは席までやってきて、仁王立ちでリンを見下ろす。
「それじゃ行きましょうか」
「はい……」
さながら死期を悟った家畜のようにリンは瞳を濁らせる。
(のんちゃん……毎年お盆には会いに来てね)
(だから死なないって)
怖いのは分かるけど、ただクラスメイトと話すだけで悲観的になりすぎだよ。
……みこみー以外にも話し相手、必要だね。
─── ─── ───
府上さんに追従するロボットと化してしまったリンが連れて行かれたのは、大きめの駅ならほぼ確実に駅中にあるようなよくある喫茶店だった。
オーダーカウンターで府上さんはブラックコーヒーを頼んだ。その次にリンは注文で躓きながらも何故かエスプレッソを頼んだ。
……うん?
一人でオーダー出来て偉いね、なんて素朴な親心よりもまずその苦味クラウンクラスな黒の液体に目が行ってしまった。だってブラックすら飲めないよねリン。にも関わらずエスプレッソは蛮勇すぎる。
(なんでエスプレッソ?)
(き、気持ちで負けたら、本当に負けだから……!)
負けじゃないと思うなぁ。
苦いコーヒー飲めますマウントで優越感を得れるのは小学生くらいまでだと思うよリン。
でも、まあ、何も言わないことにしよう。
殆ど私とみこみー以外関わらなかったリンの夜明けかもしれないのだ。野暮なことは言うまい。
コーヒーを持って壁際の小さな2人席に向かい合って座ると、府上さんはコーヒーカップを一口含んだ。
「ここ、良く来るの。落ち着くから」
「お、落ち着く……?」
リンは怪訝な顔になる。
駅前立地の安いチェーン店とあって、店内もかなりガヤガヤと騒がしいと思うけど……。
「何か考えてる時、ノイズがある方が嬉しいタイプなのよ」
「へ、へえ……」
「灰崎さんは喫茶店とか来ないタイプ?」
「あ、あんまり……」
あんまりと言うか全くというか、という態度を隠さず言うリン。
「ふーん、インドアなのね」
「と、というか、何の用……?」
仏頂面で建前じみた世間話を興じていた府上さんの目が一瞬、爛々と光った気がした。
「本題に入りましょうか。私べつに灰崎さんの私生活を掘りに来た訳じゃないし」
「そ、そう」
「私、実はこう見えて配信やってるの。Vtuberとして」
「う、んん、ええ……?」
唖然としてしまった。なんて強烈な告白だ。もし事実だとしたら、出会って1週間も経たない程度のクラスメイトに言うことじゃないと思うけど。
しかし府上さんの表情は何処か自信ありげに堂々とした表情を貫いている。
「検索すればすぐに出てくるのよ。氷神酔花って名前なんだけど知ってる?」
首をブンブンと振って否定するリンの一方で、私はちょっとだけ知っていた。
(確か、酔っ払い系Vtuberだ。去年くらいに出てきた人で、いつもは華やいだ綺麗な声で理知的な喋り方をする人なんだけどもアルコールを摂取すると一変、型破りな豪快令嬢になると専ら好評なVtuberだね)
(の、のんちゃん……)
(どうしたのリン)
(な、何でそんなキモい早口なの……?)
うっ……! 唐突に言葉の大鉈振るわれて大ダメージが……!
今までリンには話してきてないけど私はVtuberが好きだからしょうがないじゃん。声は何より、喋りの内容に合わせて自然と動く目も耳も頬も元がオタクなんだ、好きな話題になれば早口にもなる。
……と純粋無垢なリンに言い放つ勇気がなかったので、代わりに一言。
(年を取れば分かるよリン)
(ぜ、絶対に嘘だ)
(ほんとほんと)
(の、のんちゃんの嘘、分かりやすい。大体、適当なこと言うから)
(そんなことないよー酷いなもうー)
(み、美湖沢みたいな間延びした声で言わないで……! か、解釈違い……だから!)
とか内心で言い争っていれば、府上さんは黙りこくったリンを怪訝そうに見つつも、特に態度で示すこともなく得意げに言う。
「自分で言うのもなんだけどチャンネル登録者数1万人でそこそこの規模なのよ私。内容も結構清純派寄りよ?」
「で、でも配信中に酔っ払うん……だよね? てか、府上、み、未成年飲酒してるの……?」
「あれ、知ってたの?」
「お、思い出しただけ」
リンの言葉に府上さんは嬉しげに口角を上げる。
「私、体質でカフェインを摂取すると酔っちゃうのよ」
「……うん?」
「コーヒー三杯で泥酔するわ」
「ちょ、ちょっと待て! い、今お前が、その片手に持ってるもの!」
「え? ブラックコーヒーだけど?」
平然とマグカップを傾ける府上さんに動揺するリン。
まだ酔ってるように見えないけど、これは良くないんじゃ……。
「わ、私は酔っ払いの面倒、見るつもり無いからな……!」
「大丈夫よ大丈夫。この程度の量じゃ水と変わらないから」
「さ、酒みたいに言うな!」
「カフェイン量もこれくらいならね。いつも飲んでるエナドリはもっと凄いわ。ぶっ飛ぶもの、頭」
「じゃ、じゃあ飲むな!」
コーヒーを水と言う人、初めて見たな。氷神酔花と言えば泥酔芸という印象的だけど、その実コーヒーで酔っ払ってたのか……世の中には色んな人がいるもんだ。
それにしても、いい感じじゃないか。
リンも府上さんの勢いに飲まれて、みこみーと話す時と同じようにかなり言い返すようになってきた。うんうん。ちょっと変な人ではあるけど言動は今のところしっかりしてるし。近い内に菓子折りを持ってウチのリンをお願いしますと挨拶させてもらおう。
「まあそれでそれで本題だけど、氷神酔花の友人A役としてお願いしたいの」
少し上擦らせた声で府上さんはリンを見遣る。瞳は先ほどより蕩けていて、頬も薄っすら紅潮してるので、若干酔ってるように見えなくもない。
……いや、やっぱり酔ってないか?
「……は、はあ? 友人A?」
「つまるところエキストラ的な感じね。内容も簡単、喋りながら一緒にゲームとかで遊びましょうってだけ」
「な、なんでそんなのを私に……」
「2個あるのよ2個。まず灰崎さんはVtuber好きじゃない。それで私の活動にも理解があると思った」
「な、なんでそう思う……!?」
「だってキーホルダーカバンに付けてるし」
「……あっ」
スクールバックに目を落とせば、そこには冬川のん限定アクリルキーホルダーの姿が。去年期間限定で発売された一品で、くすんだ金髪に怠そうに細まった碧眼の冬川のんは我ながら可愛い。
「これ、これはその……」
「2個目に灰崎さんの声よ」
誤魔化そうとするが、Vtuberのキーホルダーをファン以外が持っている理由を思いつかずに言い淀むリンを無視して府上さんが続ける。
「こ、声って」
「灰崎さん、冬川のんに声似てるって言われない?」
「い、言われない……!」
一応本人だからね。
あと冬川のん、界隈内はともかく世間的にはそこまで有名じゃないので、そんな風に言ってくる人間も少ないと思う。
「そこで私、考えたの。灰崎さんが出てくれれば私の配信も盛り上がるんじゃないかって。冬川のんにそっくりな人が出てきたぞって」
「そ、そうかな……? なるか……?」
「なるわ。いいえ、絶対に絶対にしてみせるわ! 絶対に!」
懐疑的な眼差しを向けるリンに府上さんは堂々たる意思表明をする。その声音は先ほど比較して異様に弾んでいて。
(酔ってるね、これ)
(の、のんちゃんもそう思う……?)
(帰りは駅まで送ってあげようか)
(え、駅はすぐそこだけど……そうする)
「あ、あの……」
「勿論無報酬じゃないから。バイト代は渡すわ、色を付けてね。1回の配信で諭吉1人でどうかしら。今年クラスで見てから是非とも灰崎さん、貴方にお願いしたかったのよ」
府上さんはきっと本気だ。冗談ではなく、真剣にリンを自身の配信に出して配信をより盛り上げたいと考えている。
リンが悩ましげに私を見た気がした。でも私は首を横に振る。ここで答えを出すべきだリンだ。私じゃない。
(どちらでもいいと思うよ)
(で、でも)
(もしかしたら冬川のんとしての活動を懸念してるのかな。それなら大丈夫)
(そ、そうかな……? ゆ、百合営業ってコンセプトなのに、美湖沢以外と配信してるとバレたら、燃えない?)
まあ本当に私が他コラボしたら炎上する……というかその前にみこみーに襲われる気もするけど、リンが出る分には大丈夫。
……いや、訂正。
大丈夫にさせるんだ。
私の活動とリンの経験。どちらかを乗せるんなら私は後者を選ぶ。それだけの話。別にVtuberが駄目になったからって私がVtuber界隈を盛り上げる手段を失ったわけじゃないのだから。
(リン、私はリンのことが好きだよ)
(の、のんちゃん……!?)
(だからここから巣立っていくリンの姿をいっぱい見たい。リスクなんて気にしないよ。私はリンの方が大事なんだ)
(……う、うん)
私はリンの重しにはなりたくないしね。
だから後はリンがどうしたいかだけ。
リンは10秒ほど黙って悩んでいた。
府上さんはそんなリンを急かすことなく静かにコーヒーを飲みながら見守る。
まあ、すぐに答えが出るような話でもないか。あまりにも唐突な話だし、何よりリンは配信向きの性格じゃない。私以上に内向きな性格だし、喋るのも不得手な方だ。
程なくして、リンが顔を上げた。
「あ、あのさ、保留にしてもいい……? わ、私配信どうやるとか、何も分からないし……す、少し考えたい」
「もちろん。待つわ。連絡先交換しましょう、答えが出たら連絡を頂戴」
「わ、分かった」
互いにスマホを取り出してLineを起動。
府上さんの力もあってすんなりと交換が終わる。
何となく見ると、プロフィール画像はどうも砂で作られた城に向けてピースを向けている写真。
思わずリンは府上さんの顔を見る。リン程とは言わずとも、それなりにインドアレベルの高そうな影がかった表情。
リンと私の考えていることを察したらしく、府上さんは控えめに鼻を鳴らした。
「私、これでも現実捨ててないから。Vtuberだけが人生なんて思ってないもの」
「へ、へえ」
「と言うか灰崎さん初期アイコンじゃない。適当すぎない? 何とかしない、絶対にクラスで浮くわよこれじゃ」
「わ、わう……」
な、鳴いちゃった。
返す言葉も無かったようだ。私も設定は何一つしてなかったから同じ穴の狢だけども。
「まあ今日はそんな感じだから……良い返事をしてくれると嬉しいわ」
「ま、前向きに検討……やっぱり後ろ向きにも、検討するかも」
「どっちよそれ。別に良いけど」
「き、期待はしないでほしい」
素直に言うなあリンは。多分だけど相手のことを尊重した上で嘘をつきたくないという本心の表れだと思う。ちょっとした美徳だ。
ただ受け手の府上さん的には付和雷同とした回答にあまり納得入っていないらしく、胡乱に頷きながら、ふとリンの手元にあるマグカップに視線を注ぐ。
「ところで一口も飲んでないわよね? 飲まないの?」
「え、ええと……」
「……勘違いなら申し訳ないけど、もしかしてコーヒー苦手だった?」
「の、飲むわい!」
あ、勢いで飲んだ。
唖然と瞬きする府上さんを他所にリンはエスプレッソを一思いに飲み干した。それ、一気飲みするような飲み物じゃないんだけどなあ。
案の定、何かを堪えるようにぷるぷると震え始めるリン。
「に、苦い…………」
「灰崎さん……」
何を言うべきか迷って、でも語る言葉が見つからないなとでも言いたげに、非常に微妙な表情で府上さんはリンを見詰めるのであった。
今月の残業が60を越しそうなので更新は気長にお待ちを………………………。