身が凍えそうになる12月の息吹が大地を撫で上げる。
商店街の音質の良くないスピーカーからクリスマスっぽいソングが流れてきていて、嫌でも今日が12月24日なのだと理解させられる。本日の最低気温は1度。北の民からすれば「マイナスにすら行っていない温暖日和だなこのぬくぬく関東民め」とかマウントを取られそうな温度ではあるが、こと寒がりな私にとっては気温が1桁になった時点で家から出たくない。
不意の突風に身を竦ませる。既に指の感覚は無いし、顔全体が低温火傷したみたいに痛い。
思わず口が動いた。
「さぶい……代わってよリン」
(だ、駄目だよ、のんちゃん?)
脳内に住まうリンが即答してきた。いや、正確には脳内に住まっているのが私で、本来の住人がリンだから表現が逆なんだけどさ。
精神に引っ込んでいる間は感覚神経が繋がっておらず、リンには私が感じている寒さや痛みが伝わっていない。よってリンが身体の交代をすぐに断ったことは当然と言えた。
(私は美湖沢と会うの、嫌だし……それに頷いたのはのんちゃん)
(そうなんだけどね……この寒さはしんどい)
(あ、あのねのんちゃん、私だって嫌だよ? ましてや美湖沢のために、苦痛を味わうのは、もっと嫌)
とんだ嫌われようだった。哀れみこみー。好かれようとして受験期にも関わらずリン宛てに色々とAmazonでお菓子とか送り付けているものの、リンは全く靡く様子がなかった。私でも何でここまで嫌っているか分からないし、人間関係って複雑怪奇だ。
ともかく、私は駅に着くと暖を求めて近くの商業ビルに入って、柱に凭れ掛かるとスマホを取り出す。これから数分もしない内にみこみーも来るはずだ。
みこみーが絡むと少し前の騒動もあって配信という二文字が脳裏を過るが、今日に限っては配信とは何も関係ない。まだみこみーが受験期間中、というか今が修羅場ということもあって、オフコラボ配信なんてものをやる予定は無かった。まあこんな直前期に私と会おうとしていることから察するに受験自体はかなり余裕そうではあるが、一応取り決めとしてそうなっていた。
じゃあ何でみこみーと家の最寄り駅で会おうだなんて話に繫がるのか。
それは実に一カ月前の通話にまで遡る。
『冬ですね~のん先輩』
その日も普段と同じようにみこみーは予備校帰りだったけど、23時から通話を始めると、何故か万感の思いを込めるように言葉を噛みしながら呟かれた。
当時は11月上旬だったけど、秋というシーズンが倍速スキップされて突如室温が10度を下回り極寒地獄に陥った我が家では、全会一致でストーブを物入れから自室に運び込んだ直後だった。
ストーブの赤外線によって良い感じに蕩けた脳味噌で「そうだねー冬だねー」みたいにぬくぬくと返答すると、みこみーはさらに続けた。
『冬と言えばクリスマスですよね~。で、クリスマスと言えばやっぱり恋人ですよね~』
「唐突に一人でマジカルバナナを始められても反応できないよみこみ」
『クリスマスですよ!!』
うわ、うるさっ。耳がキーンってなった。
脳裏で私への心配と同時にみこみーへの敵愾心を募らせるリンを宥めながらも、私はPCの音量をちょっぴり下げた。
「だからどうしたの」
『折角! 二次元の垣根を越えて! 現実で会えた最初の冬ですしアレをやりましょうよのん先輩!』
「代名詞だと分からないよみこみ」
『ク・リ・パ! クリスマスパーティーですよ!』
自棄にテンションが高いぞ今日のみこみー。
で、何を言うかと思えばクリスマスパーティー?
「やらない。実質二人じゃパーティーにならないでしょ」
『何でですかのん先輩!? 相思相愛の先輩と後輩が集えばそれはもうパーティーですよ!?』
「やらないったらやらない、寒いし。あとみこみーはパーティーの意味を広辞苑で調べるべき」
謎の沈黙が場を支配する。
声を出すか迷っていると、10秒くらいでみこみーが歓声を上げた。
『のーん先輩っ! 広辞苑的にもばっちりパーティーです!』
調べてたんかい。あと絶対に広辞苑にそんな意味で載ってない。
まあそれはいいとして。
「みこみーがそれでいいならいいけど、私はやらないよ」
『何でですかぁぁ!? こんなにも私は頑張ってるのに!?』
「頑張ってるのは分かるけど受験だから当然だって」
受験についてはあんまり上から物を申せる立場じゃないけど、それでもみこみーに下手に出るのも変だからいつもの調子で私は返した。
……でもまあ頑張ってるのは傍目で見ていても分かる。凄い詳細に分かる。例えば今日は一対一対応の数学を3時間やって、長文読解のポレポレを2時間、重要問題集を1時間、名門の森を1時間、予備校の日本史テキストを2時間、古文の単語学習を1時間やったんだねってくらい詳らかに分かる。
何故なら私はみこみーの学習記録用のSNSアプリのアカウントを知っているからだった。当然私が探したわけじゃなく、二か月前にみこみーからアカウントの存在を教えられた。どうやらみこみーは、私が常日頃からみこみーの勉強の様子を監視していると思うと、恥ずかしい真似は出来ないという感情からとてもやる気が出るらしい。別に手間でも無いしみこみーの意欲が上がるならと二つ返事で了承したけど、正直ネットストーカーをしているような後ろめたい感情を覚えるから、みこみーの受験が終わったら早々に止める気でいる。
『私後輩ですよ!? のん先輩はこんなにも可愛くて愛らしくて今後とも末永く付き合う予定のある後輩を邪険に扱うんですか!?』
「末永く付き合うって部分だけ一応否定しておく。誤解の種だからね」
『末永くやりましょうよおおお!』
音量下げて正解だった。またもや大声で喚いている。
今日のみこみーは大分荒れてるけど、何か嫌な事でもあったのだろうか。
「みこみー、どうしたの。何か辛いことでもあったなら私に話してよ。多分何も出来ないけど」
『のん先輩聞いて下さいよ!』
途端に声を輝かせて話し始める。自覚がありつつ飴を放り込む私も私だけど、みこみーはチョロすぎて将来が心配だ。
みこみーの話を要約すると、どうも偏差値的により上の学部にチャレンジしてはどうかと言われたらしい。
今でもかなり難しい有名国立大学の理工学部志望ではあるものの余力が残っているのは事実で、予備校的には合格実績のために更に難易度を上げて地方国立の医学部をみこみーには受けて欲しいらしく、それで今日熱心に薦められたんだとか。それが溜まらなくみこみーの逆鱗に触れてしまったようで、こうも面倒な感じになっているらしい。
『医学部に入ったらネット活動の時間取れないじゃないですか、論外ですよ論外!』
「うーん。良く分からないけど、完全な他人の言葉だし別に気にしなくて良いんじゃない?」
『そうなんですけど! 何だか私の人生の全てが否定された気がして腹の虫が収まらないんですー!』
「そんな大袈裟な」
『私は本気なんです! のん先輩に本気なんです!』
「はいはい」
『むぃ! そうやって人の告白を簡単に流すのん先輩は嫌いですからね私!』
え、今の告白だったの? 人生で初めて告白されたな。
って、いやいや、そんな訳あるまいて。どう考えても話の流れ的にそういう色を帯びてなかっただろうに。
「まあ私からはその調子で頑張ってね、としか言えないよ。うん。頑張ってね。あとクリパはやらない」
『雑でものん先輩の声援なら百人力───また断りませんでした今?』
「気の所為じゃないかな」
『いーえ確かに聞こえました! 私の耳はのん先輩の一字一句、吐息一つすら聞き逃しません!』
それは気持ち悪いから止めて欲しい。
『やりましょうよークリパ! のん先輩……リンちゃん含めてクリスマスは暇なんですよね?』
「配信あるし」
(ひ、暇じゃないし……宿題とか推し活とかあるし……)
みこみーの二度目の要求に対して私とリンは同じ様に反駁した(リンは心の中にいるのでみこみーには届いていないが)。
私もリンもインドア派だ。特にこんな極寒に季節に好んで外出しようだなんて思わなければ、最近は外出の機会を減らすべく日用品も食料品も全て通販で頼んでいるレベルである。引きこもり二人、ただし最強。
私達の否定にみこみーは唸り声を上げる。
『のん先輩分かってますか? 私の言うことは逆らわないって誓いましたよね』
うぐっ。
それを言われると私としては否定が難しい。
(わ、私が許す。リンが断ったって、名前使っていいから)
(そうは言ってもみこみーには負い目があるからなあ)
(なおさら、断って。負い目なら私にも、感じるべき)
リンの顔が見えたならば、きっとみこみーをこれ程ないくらい剣幕で睨み付けていたに違いない。
しかし、リンの意見と私の意見は異なる。
絶対に言語化することはないだろうが、一応みこみーには普段からお世話になっている。
幾らそれと同じくらいみこみーのことをお世話をしている気がしたとしても、多少はその恩返し的な何かを果たすべきじゃないだろうか。この時の私はふとそう思った。
「……しょうがない。いいよ」
『良いんですか……!? ホントに!? のん先輩やった~大好き愛してます!!』
「はいはい」
(のんちゃん……わ、わたし、知らないよ……)
と、こうしてクリパの開催が決定してしまったのだ。
(でもリン、駅まで迎えに来た必要なかったんじゃない? みこみーはこっちの家分かるじゃん)
暖を取りつつも、時折自動ドアから吹き荒れる寒風に思わずぼやいてしまう。
(だだだ、だって。美湖沢がウチに来て、ピンポンしてきたら、ちょっとウザい)
(独特の感性。じゃあリン代わってよ。今日の体感気温マイナス3度くらいだから凄い寒い)
(そ、それは、違うと思う……そもそもの原因は、のんちゃん。あいつにデレたのんちゃんが悪い)
流石に理不尽だ。確かに私がクリパを肯定したのも1つ瑕疵はあるが、リンはクリパ会場をこちらの自宅にしたにも関わらず私情から駅まで向かえさせに行くという自分勝手さを披露してる。相殺してお互いの非はトントンくらいだと思う。中学生ということで少し甘えを許しすぎたか。
リンへの教育方針をちゃんと練らないと駄目かなとか考えていれば、みこみーから電話がかかってきた。
「もしもし、早く来てよ」
『どこいるんですか……??』
物凄い小声だった。耳元で囁かれているようでこそばゆい。
「中央改札から出てすぐのニブレの中の」
『あ、ビルの中なんですね。座標的に一階のバス停の前だと……んん! すぐ行きます〜失礼します〜』
話の途中だったのに遮られた上で切られた。
誤魔化すような言い方だったけど……みこみーは座標って言ってた。今私がいる場所はバスターミナルの上に突き出すように作られた商業施設の二階だ。これが意味することはつまり───。
(み、美湖沢、キモい……)
早速罵倒してきたリンに対して私は懸念点を確認することにした。
(そういうこと言っちゃ良くないよ。ところで私の知らないところでみこみーに会ったりした?)
(い、一度だけ家に来た)
(その時何か無かった? 例えばスマホを渡したとか)
(誕生日とかで、プレゼント、もらったかな。き、狐のキーホルダー)
(……それ、最悪捨てたいんだけど良い? もしかしたらGPS隠されてるかも)
(えっ……バックの中に、適当に入れてるけど……)
ドン引きするように言葉を失うリンを他所に私は持ってきたコンビニ行く用のカバンを探ってみる。あった。青色の狐がデフォルメされたアクリルキーホルダーで、レシートに埋もれてカバンの底で仰向けになっている。背中の部分にぱかりと開きそうな取っ掛かりがあって、指で開けてみると何か小型の機械がテープで固定されて入っている。マジかみこみー。みこみーならやりかねないと思って念の為確認しただけなのに、マジでやってるよ私の相方。
(あいつ……)
リンが怨嗟を込めるように嫌悪感を燻らせていると、背後から右肩をとんとん叩かれた。私は至って冷静に反対側から振り向いた。
リアルみこみーが立っていた。
肩を叩いて振り向いた顔に指を突き刺すじゃれつきを試みたのかと思ったが、そんなことは狙ってなかったようで、私の方に手を置いたまま不思議そうな顔をして静止している。
それにしても吸い込まれるような相貌だ。
受験で精神的には窶れているにも関わらず、不健康そうな面持ちは一切なく、相変わらずの肌の白さに、くるんとした甘いココアティーを混ぜ込んだような毛先はより美少女然とした魅力を引き立てている。白いふわふわのコートを羽織っていて、黒曜石色のスカートがひらりと風に吹き上げられて舞い上がって生脚がちらりと見えた。こんな真冬に生脚とかマジか。女子高校生のファッションに対する執念は病気じみている。肩には大きめのトートバックには魚がプリントされていて、少し幼さを感じるが、そんな子供っぽいセンスもみこみーの魅力と思えば全く気にならないどころか普通に良いと思う。
みこみーは間を置いて私の回避行動の意図を悟ったのか、ぷんすかとして見せた。
「もしかして私が指でちょんちょんとか御頬を突くとか思いました!? 私への信用性ゼロですか!?」
「みこみーを信じてるからこそだよ」
「それ絶対にやるって意味合いですよね!?」
心外ですよ! と言いたげにみこみーは頬を膨らませるとこちらを上目遣いで見てきた。思わず照れて顔を背ける寸前まで行った。あれから何度かみこみーと会ってきた私であるが、こういう事をされると普通に陥落寸前に陥りそうなくらいにはみこみーの顔はルナティック良い。そしてあざとい。
(み、御頬って言い方何? き、気持ち悪っ‥‥‥)
ただリンからの評判は頗る悪いようで、精神空間の中で変わらぬ嫌悪感を滲ませている。憐れみこみー。あざと可愛い仕草は同性、こと年下には刺さらないようだ。また距離が空いてしまった。最近はみこみーのことを"あいつ"とか"美湖沢"と名字呼び捨てとか、呼び方に遠慮が消えてきているし。そしてこれがまたみこみー的にはアリらしいから手に負えない。私はもう知らんぞ。
「そうだ、みこみーこれありがとう。でも中のブツは戴けないかな」
私は手に持っていたGPS発信機(と思われる小型機械、正直良くわからない)をみこみーに見せびらかす。
みこみーはニコニコとしたまま口を開く。
「バレちゃったんですね!」
「バレちゃったんですね、じゃないが。何を思ってそれを渡した。キリキリ吐いて。吐くかリンへの土下座を選んで」
「土下座すればまたこれ付けさせてくれるんですか?」
「んなわけあるか」
偶にみこみーの思考回路の論理構造が全く理解できないときがある。どうして土下座すればGPS発信機を許容すると思った。
「だって聞いて下さいよのん先輩〜。推しの位置は逐一やっぱり知りたいじゃないですか。それにリンちゃんが危ない場所に行ったらご家族の事情的に、真っ先に助けられるのは私しかいませんし!」
意気込んだ様子で拳を握りながらみこみーは熱弁した。
多少の理解の余地があるかもしれないけど、でもやっぱりGPSを仕掛ける理由になっていない。というか友達だろうが第三者がGPSを仕掛けるのに正当な理由など存在しない。何故なら普通に犯罪行為である。おそらく。
「GPSを付ける理由になってない。一応謝っておく、ごめん、でもこれ今壊すね」
「え、それ高かったんですよ!?」
(やっちゃえ、のんちゃん)
リンちゃんの声援も身中で受けたことなので、みこみーの声を無視して私は床に落とすと靴で踏みつける。非力な女子中学生の踏みつけと言えど、耐久性など左程も無いだろう機械は小さな破壊音と共に簡単に砕けた。よし、悪は消えたな。
私がしゃがんでゴミを拾い上げていると、みこみーの戸惑ったような声が上から降り注ぐ。
「ええ本当にやった……本当にやりましたよ……」
「そりゃやるよ。こっちは被害者だよ」
「むぅ……しかしまだです! こちらにはまだ4K対応の二郎、微かな布の擦れる音をも拾う三郎が……!」
「それリンに仕掛けたら絶交だから」
「酷いですよ! 幾らなんでも横暴です!」
どこが横暴なものか。というか他人のプライパシーを盗み見る行為がどうして正当化されると思ってるんだ。やっぱりみこみーは色々とおかしい。こんなしょうもない事をしていないで受験に集中してほしい。
(し、信じらない……や、やっぱりカスミーとは絶交しようよのんちゃん)
(まあまあ。みこみーの暴走具合は前から分かっていたことだから、取り扱いさえ間違わなければ優秀だから……ん? カスミー?)
リンがついにみこみーのことをカス扱いし始めた。
気持ちは分かるけど一旦落ち着いてもらおう。みこみーのイカれっぷりは今日が初めてじゃないし家凸の前科もある。
まあ、一旦置いておこう。
このことは本人の受験が終わったら追求するとして、今はクリスマスパーティーだ。
「じゃあ行こっか。食材とか買わないといけないし」
「そんなのん先輩のために葉山牛買ってきました!」
「ありがとうみこみ。ローストビーフだよね、後はワインがあれば最高じゃん」
「お酒はダメですよのん先輩、酔うなら私に酔ってくださいね♪」
(し、死んでほしい。惨たらしく、こ、殺してやりたい、この女……!)
またもやリンの口から暴言が飛び出した。本人に聞こえないからって言いたい放題であるこの女子中学生。他人に対してここまで物が言えるのならばもっと学校でも頑張ってほしいと思う。
みこみーは付け加えるように言う。
「ローストビーフじゃありませんよのん先輩! そんなちんけな物じゃありません!」
「え、違うの。クリスマスなのに」
「はい~ステーキです。3ポンドはありますよ」
「ええと、ええ?」
思わずみこみーが持ってる手荷物を凝視してしまった。3ポンドと言えば大体1.3kgくらいある。大きめのトートバックを持ってる理由が漸く分かった……というか3ポンド? 葉山牛と言えばブランド牛で、100gだとしても結構お高いはずである。それを1.3kgも? 一人頭400g……じゃなくて600g超じゃん。
ところで、私は小食である。
(リン、450gぐらい食べれる?)
(む、むりむりかたつむり……! そもそも、胃は共有だから、その確認は意味がないからね、のんちゃん……!)
(それもそっか。折角だからお腹一杯になる前に交代して味わおうね)
(それは、大変同意……!)
脳内会議の結果、ありがたく葉山牛を楽しむことをでリンと合意を取れた。
じゃなくて。
「それ、高かったよね。流石に払うよ」
「いやいやお気になさらず! 趣味を兼ねてるだけですし、お金ならまだまだありますので!」
「……少し引っかかったんだけど趣味ってどういう意味なの」
「直接的に供物を捧げることによってのん先輩のリアルアバターの骨肉になることで私ハッピー、これも私の趣味です」
「供物とか骨肉とかいう生々しい単語を使うのは辞めてほしいよみこみ。私がまるで邪神みたい」
精神力を犠牲に呼び出されるほど禍々しい存在になったつもりはない。あとシンプルに趣味が悪い。
(のんちゃん、こいつ、ヤバい)
(まあまあ、元からみこみーはこんな感じだから抑えて)
(と、盗撮盗聴女相手に、無警戒なのんちゃん、普通に、良くないと思う)
うわ、何も言えない。みこみーのイカレっぷりは既に白日の元に晒されているわけで。加えて住所特定からの家凸という燦然たる実績すらあるので、リンに対して弁明する余地が全く無い。弱った。
「みこみー、一生のお願いだから私のために品行方正になってよ」
一先ず本人に直接懇願してみることにしてみる。しかしみこみーの反応は芳しくなく、小首を傾げて不思議そうに眉で弧を描いた。
「え? 私って校内ではかなり品行方正で通ってますよ?」
「みこみー、プライベートの話を今してる」
「のん先輩が絡まない場所であれば私ってば普通に常識的ですよ?」
自身で理解しているのであれば私に絡むところでも是非その理知っぷりを披露してほしい昨今である。
「一旦この話はいいや。葉山牛の対価は払うから。とにかくこんな場所にいても仕方ないし、行こうみこみー」
「支払い方法はのんPayでお願いします」
「のんPayはご利用限度額に達しているため別の決済方法を選んでください」
「普通逆じゃないですか!?」
漫談のような会話をしつつも私とみこみーは寒風吹き荒れる冬の空の下に出ることにした。
スーパーではサラダやスープなどの副菜をメインに買うことにした。本当はオーブントースターで七面鳥を焼いて、レシピを見ながら試行錯誤をしてビーフシチューでも作ろうかと思っていた。でもメイン食材がステーキになってしまったので、必然的に七面鳥もビーフシチューも没案行きだ。
必要なものを買い揃えたことなので、みこみーを早速家に招き入れる。
みこみーは上下左右を見渡し、手で仰いで匂いを嗅ぎ、
「ここがのん先輩の家……!」
(リン、私どこから突っ込めば良いと思う? 来るのは三度目じゃんってところなのか、匂い嗅ぐなと言えば良いのか)
(それは、し、知らない……! こ、こっちに、聞かないで)
(だよね)
一番困惑していそうなのはリンである。いや、困惑じゃなくて嫌悪と諦観というのが正しいのかもしれないけども。
「私の家じゃなくて正確にはリンの家だよ」
「細かいことはいいじゃないですか〜。のん先輩もリンちゃんも合わせて私の推しです」
結局一番無難なことを言えば、みこみーは誇らしげに腕を組んでそんなことを宣ったが、何がそんなに誇らしいのだろうか。
(のんちゃん、か、代わって)
(う、うん)
リンからの言葉に素直に頷く。自分から代わろうだなんて珍しい。中学校でもこちらから代わろうとしなければ自主的に表に出ようとしないのに。これも成長だろうか。
私と代わったリンは、途端にそのダウナーな相貌に影を落とし、吃りながら言う。
「み、美湖沢、お前に、リンちゃんって呼ばれる、筋合いは無い」
お、おう。これを言うためだけに出てきたのかリンよ。
成長したなあと実感すればいいのか、みこみーから一度距離を取らせたほうが良いのか……。
悩んでいると、リンの表情とは対照的にパァァァッと目を輝かせる。
「もしかしてリンちゃん!? リンちゃんリンちゃんリンちゃん! アルティメット貴重ですね!?」
「や、喧しい。リンって、よ、呼ぶな美湖沢。え、あ、近づくな……!?」
「いいじゃないですか、愛でても減るものじゃないですし〜?」
みこみーは溌剌と体を揺らしながら妙に威圧感のある笑みを浮かべてリンに迫る。リンは一歩一歩後ずさるがすぐに玄関のドアが背中に当たる。完全に捕食者と被食者の構図である。あ、追い詰められた。
「へ、減る! SAN値とか、じゅ、純潔とか、そういう何かが!」
「つまりリンちゃん、ひいてはのん先輩の初めてになれるってことですね。望むところです!」
「し、死ね!」
死ねという言葉には賛同しかねるけど、その言葉を発するに至った情動には大いに頷いてしまう。みこみーのこういうところは良くない。本当に良くないと思う。
(助けてのんちゃん!)
あ、逃げてきた。急速に浮き上がる現実感に溜息を零したくなる。大体みこみーが悪い。自分が一定の人気を博しているVtuberだという自覚は無いんだろうか。無いんだろうな。みこみーだし。
「みこみー、リンを虐めるのは駄目だから」
みこみーはリンと私が入れ替わったことをすぐさま察して、一歩後退った。
「あれ、のん先輩おかえりなさい。虐めてないですよ? 愛ですよ?」
「歪んだ愛だ……」
「違いますよ、私のリンちゃんへのこれは深層水みたく澄み切った好意です。あ、のん先輩にはラブですから」
「はいはい」
適当に流して見せれば、ぷくぷくりと頬を大きくして顔を赤くして睨みつけた。不服らしい。Vtuber活動休止中なのに相も変わらず百合営業を貫く見込みーには感服の念すら抱きそうだ。私もみこみーのことは相棒として好きだよ。うん。
「どうすればのん先輩は私にぞっこんになるだろうか……やっぱり身体的接触を試みるしかないんですかね……」
ぶつぶつと何か不穏なことを呟くみこみーの横を擦り抜けて、リビングへと向かう。私個人としてはそのやり方は辞めておいたほうが良いとだけ言っておく。
洗面所で手を洗って、上着を適当にソファー横にある洋服ラックに掛けると、早速キッチンに立つ。みこみーから甲斐甲斐しく手渡しで葉山牛のステーキ肉を受け取って、思わず凄いなとか思ってしまった。赤身の色が綺麗で、白い脂が薄っすらとアクセント程度に入っている。どうやら1ポンドで一切れらしく、私とリンとみこみーでは到底食べ切れる量ではなさそうだ。分かっていたことだけども何でこんなに買ったんだろうみこみーは。取り敢えず余った一切れは冷蔵庫に入れてみこみーに持ち帰ってもらうことにする。
ちょっとこいつの値段は聞きたくないなあと思い始めつつも、早速スマホでステーキの焼き方レシピを見ながらキッチンでステーキを焼き始めた。私の人生でこんな高級ステーキを焼いたことは一度もないから若干の不安はあるけど、多少のミスは食材の良さでカバーされるだろう。火力を強火に調整しつつ、様子を見ながら裏返す。みこみーは背後でちょろちょろと見学しながらも、買ってきたサラダを盛り合わせているようだった。
焼き上がったので皿に上げる。それを2回繰り返すと良い感じに贅沢な空気が漂ってきた。
そして完成した料理を食卓に並べてみる。
「クリスマスって感じはしないね」
「ですね〜」
確かに豪華は豪華だ。上手くミディアムレア気味に焼き上がってくれた高級肉がその中心にいることは間違いないけど、買ってきただけのサラダやスープも食器に盛れば見栄えはする。
(リン、先に食べな)
(う、うん……のんちゃんは……?)
(後でで良いよ。良いステーキは昔、食べに食べたから)
(あ、ありがと……)
嘘をついてリンと交代した。いや、良いステーキを食べたことがあるのは嘘じゃない。ただそれがファミレスで2000円くらいのステーキだったというだけで、それだって美味しかった。
……まあそんなのは建前でしかないけどね。
個人的に、リンにはもっと色々と経験してほしいという思いがある。何だか親心染みていて変な感じはするけど、私がそう思わなかったら誰も考えないだろうから、私だけはリンを正面から見据えたい。
「じゃあ頂きましょうか!」
「いただき、ます」
リンは使いづらそうにナイフとフォークを持つと、ぎこちなく肉を切りながら口の中に含んだ。
(お、美味しいよのんちゃん……!)
(良かったねリン)
(う、うん……!)
その感想だけでも口に出してみこみーに共有してあげれば凄い喜ぶだろうに。
無言にも関わらず笑顔で食事を進めるみこみーと、反対にみこみーには絶対に顔を合わせず影を探すようにしてちょこちょこと食べるリン。空気が若干重いのはご愛嬌。リンはみこみーと食事するのは嫌だろうけど、みこみーは多分結構楽しんでる。
なんやかんや、リンはスープやサラダには手を付けないままにステーキだけを食べ終えてしまった。満足そうな面持ちの5秒後、ハッと気づいたように顔を上げて、ピッ!? とでも奇声をあげそうな顔をしながらフリーズした。
(の、のののんちゃんごめん!! 美味しくて全部、食べ、食べちゃった……!)
(いいよ、全然。気にしないで)
(気にする! のんちゃんは、私の、半身なのに!)
リンは私の事をそういう風に思っていたのか。何気に始めて知った気がする。因みに私からすれば年の離れた妹という感覚が近いかも知れない。目を離せばまた引きこもって社会から自主隔離を始めてしまいそうだけど、急に荒波に投げ込んだらそれはそれで溺死する気がするから、ゆっくりと丁寧に育ててあげるのが今後の方針である。
(じゃあサラダとスープはもらうね)
(それじゃ、釣り合わないよ)
(気にしないでリン。私は今日限定でヴィーガンの気分なんだ)
(ごめん……この分は今度スパチャするから)
(せんでええ)
何が悲しくてリンからスパチャを受け取らなきゃならないんだ。てか私が配信している最中は出てこれないのに、どうやってスパチャする気なのか。ともかく勘弁してもらいたい。
入れ替わる。光彩が鮮明になって、みこみーの表情がはっきりと見える。
みこみーも丁度食べ終わったらしく、目が合った。
「あ、のん先輩!」
「え、分かるの」
「当然です」
ドヤ顔で宣った。私とリン、見た目じゃ大して違いなんかないはずだけど。
そんな私の疑懼を読んだようにみこみーは口を開く。
「分かりますよ〜のん先輩のことなら全てまるっとお見通しです!」
「そっか」
「え、淡白過ぎませんか。結構私凄いこと言ったつもりなんですが」
「みこみだし」
「あちゃちゃ、もしかして過去の私がハードル上げちゃった感じですか? でものん先輩の期待は超えなきゃですよね……!」
「その期待はしてない」
「いえいえ任せてください! のん先輩の予想は裏切ってみせます!」
「裏切るな。マジで裏切るな」
心の底からの嘆願だと言うのにみこみーは笑顔のまま、分かってますよ〜、とか嬉しそうに頷いている。
違う。そういうフリじゃないから。腕を鳴らすな。
……まあ、みこみーだしな。この手の話で説得するのは素直に諦めた方が賢明だ。
気持ちを切り替えてスープとサラダを頬張ってみる。慣れ親しんだ既製品の味だ。ノーコメント。特に面白みのないものを食べたからか、二人が食べていた葉山牛の味が気になってきた。高級ステーキ、どういう味だったんだろう……リンには強がったけど私も食べたかったよ。
胃がそこそこに膨張してきたところで、皿が空になった。元より量が多かったわけじゃない。クリスマスパーティーというには葉山牛に全振りしすぎたこの食卓はあまりにもバラエティーに乏しかった。
で、クリスマスの締めと言えば勿論アレだ。
「ケーキ、取ってくるから待ってて」
「はーい」
ホールケーキを買わなくてホントに良かったと思いつつ、ド定番な苺のショートケーキを取り出した。リンはホールケーキのほうが良いと言っていたけど、どう考えてもこの三人で食べ切れるはずがない。食べ残りを明日に持ち越すにしても胃のキャパシティー的に限度というものがある。私のあの判断は決して食欲に流されないという、一応この中では最年長である年の功が発揮された瞬間であった。……それで良いのか私。
ショートケーキを皿に置いてテーブルまで運ぶ。ふと視線を向けるとみこみーはショートケーキではなく、じっと私を観察していた。少し怖い。
テーブルに置いた時点で初めてみこみーはケーキに目を向ける。
「あ、ショートケーキなんですね! でも普通のとは違うような?」
「クリスマスだから少し良いやつを取り寄せてみた」
「へー、ありがとうございます! あ、イチゴも大きいですね」
「何かこだわってるらしいよ。品種は知らないけど」
「私ののん先輩への愛と同じですね」
「そうなんだ」
「流石の淡白さ……例えるならのん先輩のあっさり風味ショートケーキ……」
人の反応をコラボカフェメニューみたいに言うな。まだコラボカフェを開催する予定は無いからね、みこみよ。
「コーヒーか紅茶、どっちがいい?」
「のん先輩と同じで」
「了解。ちょっと待ってて」
じゃあコーヒーかな。
電気ポッドでお湯を沸かす。きっかり一分で沸騰して、インスタント粉末が入ったカップにお湯を注いだ。こぽこぽとコップの底から泡を吹き出す音が心地良い。
更に牛乳と少々の白砂糖を入れる。リンは無糖ブラックを飲めないので、正確には大人ぶって飲もうとして凄い顔をするので、苦みを中和する緩和剤は必須だ。みこみーのカップにも同じように注いでいく。
ミルクチョコみたいな色合いになったコーヒーをみこみーの前に置いた。
「はいどうぞ」
「ありがとうございますー。のん先輩の厳選手作りコーヒー、有り難く頂きますね!」
「インスタントだし厳選でもないんだけど」
「いやいやのん先輩の手を介して作り上げられたこと自体に意味があるんですよ! 末端価格で2000円は下らない一品です!」
「ぼったくりだ」
「みんなそれくらい出しますよ~」
みんなって誰なんだろう。もしかしてそのみんなは一人しかいないんじゃないかな。
私やみこみーのファンだって流石にそんな金額出さないだろうと思う。前世では確かにそういう実態より強気な価格設定のコラボカフェは数えられないほどあった。もしやるのであれば良識的な価格にしたいという気持ちがある。ただまあ、現状のチャンネル規模感だといつのことになるやら。
(リン、食べて良いよ)
(悪いよ……の、のんちゃん、結局ステーキ食べてないのに……)
(いいって、甘いものは今は良いかなって。それにリンには食べて欲しいかな、こういうのは)
(……あ、ありがと)
親の気持ちってこんな感じなのかな。前世も含めて親になったことないのに不思議な感覚だ。
ステーキ同様、リンに譲る私自身に内心変な気分になりつつ入れ替わる。
リンは無言で食べ始めた。
みこみーもやっぱりそれを察したのか、口数が減った。でも無言でチラチラと観察する素振りは続けている。顔を見るたびに微笑ましそうに口元を綻ばせて、その度にリンが居づらそうに視線を反らしている。
うーんこの感じ。余計なこと言いそうだなあ。
「リンちゃん、好きだなぁ」
とか思っていれば、みこみーは熱の籠った妙に艶めかしい声を出した。
ほら口に出した。
リンが凄い形相になって足をばたばたとさせてみこみーから遠ざかる。
「お、おおお、お前、ほんと、お前……!!」
「あれ、もしかしてフラグ建っちゃいました? まあ玉を仕留めるならば外堀を埋めろって言いますもんね」
「言わない……言わないし! き、嫌い!」
「嫌よ嫌よもってやつですよね! 分かります!」
「そうじゃない……! ウリウリとやってくる、そ、そういう美湖沢の性格、本当に嫌だ……!」
「そんなこと言わずに~クリスマスプレゼントあげますから仲良くしましょう!」
「い、いらないもん……!」
あ、内側に引っ込んできた。本当にみこみーが苦手なんだな、リンは。でもこれもみこみーが悪い。大体みこみーが悪い。私に対する距離感でリンに対してもぶつかってるから、引っ込み思案でインドアなリンが困ってしまう。
「みこみーはもっとリンのことを良く見てあげるべき。リンは私じゃないよ」
「あ、のん先輩。分かってますよー! ……でも、リンちゃんにはアレくらいがいいんじゃないかなと思うんです」
「……みこみーはそう思うんだ」
「はい。のん先輩はそう思いませんか?」
「部分的には、そだね」
「アーキネーターですか??」
「ボケたんじゃなくて、リンはああでもしないと絶対に誰一人自分のパーソナルスペースに踏み込ませない。ただ配信中じゃないんだから、もうちょっと出力落とせればリンだって意固地に嫌がらないと私は思うよ」
「それは無理ですよ~だって私ですよ?」
みこみーはこちらにアピールするみたいに小首を傾げると、ケーキを頬張る。採れたての野菜を慈しむ農家のような、どこか優し気な瞳だった。
いつもそういう落ち着いた雰囲気をしていればきっとリンだってもう少し冷静になって、みこみーを受け入れるだろうに。
(の、のんちゃん……私寝るから)
(……そっか。ゆっくりおやすみ)
(う、うん)
きっと自分の話題を聞くことに耐え切れなかったのだろう。こういう仕草は何処となく中学生っぽい。
「リン、寝るって」
「おやすみなさいリンちゃん」
みこみーは律儀に手を振った。リンからの返事は無い。もう寝ちゃったのか、こそばゆくなって無視してるだけなのか。リンの性格的に後者なんじゃないかなと考えてみる。
「じゃ、リンちゃんも寝たことだしここからは大人の時間ですねのん先輩~」
「未成年でしょみこみー」
「のん先輩よりは大人です!」
「一つ教えてあげるけど、大人は態々自分を大人と言わない」
「えー」
「えーじゃないよみこみ」
文句がありそうな顔をするなそこ。
純然たる事実を突きつけただけなのに不満そうだ。
「18歳ですよ私、結婚可能年齢ですよ?」
「そうだね。結婚は出来るね」
「のん先輩はまだですね」
「そうだね。しないけど」
「しないんですか!?!?!?」
「いや何故驚く。そして何故近づく」
リンの身体で結婚とか常識的に考えてあり得ないだろと思うが、みこみー的にはあんまりピンと来ないのかもしれない。
……そして、それはリンも同じかもしれない。リンは私に色々と許し過ぎている気がする。Vtuber活動もそうだし、こうして身体を動かしていることもそう。
優しいということじゃなく、リンはまだ知らないだけなのだ。今、リンは自分という物を取り戻している最中である。そこに付け込むことはしたくない。
みこみーは私の顔を下から覗き込んだ。幼さが残る双眸が私を射る。
「難しい顔をしてますね」
「子供を二人も持つと、考えることが増えるんだよ」
「えーそれ私の事を言ってますか?」
「言ってる」
リンは元より、みこみーだって女子高生でしかない。来年には大学生だけど酒は飲めない。私の中ではやっぱり、せめて二十歳を越えないと大人とは言えない。
「ふーん、のん先輩私より背とか小っちゃいのに、私より力弱いのに、画面越しじゃない手が届く距離にいるのに、そんなことを言ってしまうんですね~」
「な、なにみこみー」
目が怖い。何というかマジだ。マジと書いて真剣だ。
私が後退ると、みこみーは一歩一歩追い詰めるように丁寧に歩を進める。すぐに背中が壁とぶつかった。
……えっと、これはどういうことだろう。何がみこみーを突き動かすんだ。
突然な理解不能の状況に怯える私を傍に、みこみーがすかさず私の横に手を伸ばして、壁ドンの構図になった。
「いーえ、何でもありませんよ? ここはのん先輩に大人を思い知らせようと」
「……こういうのは配信内でやった方が」
「のん先輩知ってますか? 幾ら営業でも生々しいのは結構引かれるんですよ?」
「そんなことは無いと思うけど。ネットの住民は沸き立つものだと」
綺麗な睫毛に、僅かながらも聞こえてくる呼吸の音。デジタルでは拾えないみこみーの現実感。
何とか冷静さを保ちつつも反論すると、平時の笑みを引き延ばしたような真面目な顔で、みこみーは呟いた。
「ちょっと嘘ついちゃいました。今してるのん先輩の可愛い顔を有象無象に見せたくない、これはそんな私の独占欲です」
「ええと、その、みこみ……?」
キャピキャピとした声を引っ込めた代わりにみこみーから出たのは、そんな怪しげな声音だった。
内なる感情を抑えつけるような。でも溢れ出さないように精一杯で、逆にみこみーの普段は醸し出さない異質感が、影に隠れた色っぽい瑠璃色の薔薇みたいな表情から発されて、私は戸惑う。
「そういえば、のん先輩は葉山牛の支払いを気にされてましたよね?」
「う、うん。あんな高いもの貰っても悪いなあと」
「じゃあ今頂きますね」
何を、と言われる前にみこみーの顔が近づいた。私が反応する間もなく、頬にぷくりとした温かくて柔らかい感覚が走って、直ぐに悟った。
みこみーにキスされた。
百合営業とかじゃなくて、アバター同士とかじゃなくて、現実でキスされた。
すぐに終わるかなと思ったのは頬にキスされて10秒くらい経った頃だった。
漸くみこみーの顔が離れて、唇から伝わってきた温度が急速に冷えていく。
自然とみこみーの桜色の唇に目が行った。
私の頬に、さっきまでアレが触れていたのだ。
そんな思考をすると全身が熱くなりそうで、冬なのに暖房要らずだと下らない発想が過って、それがまた自分らしくない。
みこみーは微熱を帯びた人目を惹く微笑みをして、目を一度ゆっくりと瞬きした。
「本当は、唇が良かったんですけど……それをしたらのん先輩が怒りそうだから頬にしときますね!」
「みこみー……?」
空白が過ぎる。お互いに目と目が離せず、でも何も言うことはせず。
しかしそれを破るのはいつも騒々しいみこみーだ。
斜め上を見ながら、みこみーは口を開く。
「……ええとですね、寧ろ葉山牛をこれだけでチャラにした私を讃えて欲しいといいますか、というかのん先輩の唇はこの世の万物と釣り合わないといいますか、でもこれだけじゃ物足りないと言いますか」
みこみーは口調こそ普段通りに戻ったが、言い回しがハチャメチャで明らかに混乱している。斯く言う私もそうだ。困惑している。何を隠そう、私だってこんな経験は人生で一度も無いのだ。
私が何も言えないでいると、みこみーも徐々に冷静さを取り戻したのだろう。
不安げにその瞳を潤わせて、私を視界の端で捉える。身体的には私より大きいのに、あんな大胆な行動をしてみせた癖に、その姿はとても小さく見えた。
……やっぱりみこみーは子供だ。衝動的に行動して、その行動の後で一喜一憂してしまう、ただの女子高校生でしかないんだ。
そう思うと、一気に少し前まで迫られて困っていた私自身が馬鹿らしく思えてきた。
「ダメ、でしたか……?」
「ダメじゃない、ダメじゃないよみこみー」
「えっと……のん先輩?」
「でも、次からはリンの許可を取ってほしい……かな。私の身体はリンの身体でもあるから」
別にリンを盾に使っている訳じゃない。
元はリンの身体であるのでこれは至極当然の話だ。
しかし多分リンはそんなアブノーマルな話を絶対に許容しないはずで……、内心ではみこみーのリアル百合凶行っぷりはこれっきりで影を潜めるだろうと思っていれば、みこみーの口角が上がった。
「分かりました! 正々堂々、二人揃えて丸っと口説けってことですよね!」
「いやそういうわけじゃ」
「分かりましたよのん先輩! 私はリンちゃんも懐柔してぜっったいに認めてもらいますから!」
そもそも私は懐柔された覚えないが。
「あのさ、ちょっと」
「それまでは綺麗な身体でいてくださいねのん先輩!」
高揚感に身を任せて会話しているみたいで、私の話を全然聞いてない。
駄目だ、もう暴走モードにしっかり突入しちゃってる。本気でリンを口説くつもりだこの相棒。
今自分が受験生であることも全部忘れちゃってるんだろうな、この顔を見ると。
その後は何事も無かったかのようにみこみーとの聖夜が耽っていく。
みこみーは21時まで居座ると、名残惜しそうな顔をしつつも弾む足取りで帰宅していった。
全体を通せば何だかんだ楽しかったクリスマスパーティーだけど、ただ一つ心残りがある。
……リン、ごめんよ。
みこみーの百合営業にリンまで全力で巻き込んでしまった。
責任が生じてしまった以上は、リンのことはこれまで以上に
決意を新たに窓際から夜空を見上げる。
……さて、何だかんだと片付けたし、私はリンの保護者である前にVtuberである。
視聴者のチキンを熱々にする責務がVtuberにはある。
もう23時と遅いけども、それでも未だにクリスマスイブ配信を待っている視聴者諸君のため、私は粛々と配信準備を始めた。
本当の本当に蛇足でした。
追記:以下キャラを忘れそうなので自分用のメモ。
■冬川のん
この物語の語り部。Vtuberオタクで自身もVtuberになりたかったがために、女子中学生に憑依して一カ月でVtuber活動を始めてしまうあんまり外向けに出来ない大学生(だった現在謎の存在)。
相方のみこみーのことをチョロいと思っているが、実際は自分の方がチョロいことを自覚していない。何だかんだとみこみーの言うことを聞いてしまうこととか、みこみーの美少女オーラに当てられると当然のように流されるところとか。みこみーの結婚届に捺印するかは防波堤たるリンに掛かっていると言える。
■美湖沢みこ
過激派百合大名。ネットでは相方の実家を特定して家凸した激ヤバ百合モンスターとして一定の知名度を誇り、そうじゃなくとものんに近付くためだけにV活動をしている女として有名。本人は良く匿名掲示板やSNSで暴れまわっているが、頭が良く適度な嘘を織り交ぜている為バレて居ないと思い込んでいる(実際はのんの話題に触れると布教かキレるかの二択なのでそこそこバレている)。ここ最近リンにも狙いを定めた。
■灰崎淋
別にVtuberでもネット活動者でもないしがない不登校の女子中学生。高校進学するかは未定。のんのことを親、或いは姉、或いはヒーローのような、世界で一番頼りになる存在として見ている。元々は引き籠りだったが、社会復帰は順調に進みのんやみこみー以外の人間ともギリギリ意思が伝わる程度の微風程度なコミュニケーションが出来るようになった。のんが、百合の為ならば手段を問わないみこみーに甘いのが心配。のんを守れるのは自分がいないという、母を守ろうとする正義感の強い男子小学生の気持ちを芽生えさせつつある。粗食だった反動か、美味しいものは沢山噛んで良く食べる。