この百合は営業じゃないのかもしれない   作:金木桂

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蛇足6

 

 結局、みこみーの大学受験祝勝会は言葉にならない複雑な残り香を後に幕を引いた。

 

 あの後、みこみーは頭を下げて帰っていった。みこみーらしくない引き際の良さは、今はネット人格のみこみーではないという意思の誇示にも見えた。

 

 みこみーの行動は唐突なように思えたけど実際はそうじゃない。受験期、下手をすればそれ以前から疑っていたのかもしれない。みこみーは年相応に危うい部分はあるけど賢い。自身の思惑を私やリンに悟らせないことくらい容易なことだろう。

 

 それにしても養子縁組なんて考えもしなかった。リンの家族問題は私の中で、リンがまだ起き上がっていなかった期間からタブーだったからだ。でもみこみーにとってはそうじゃない。解決すべき問題の一つと考えている。きっとそれは正しい。みこみーを責めるのはお門違いだ。

 みこみーは暗にこう言っている。

 

 

 『親との関係を切るか、そこまでせずとも法律的に距離を取るべき』と。

 

 

 あれから3日。リンは苦悩するように心の奥に引き籠っている。

 今まで目を背けてきたのはリンも同じだったのだ。両親という存在が温度感を帯びて心臓に纏わり付く。

 

 きっとリンも心の底では理解していた。

 どうにかしなきゃならない。このままじゃ立ち行かないと。

 リンは14歳の女子中学生で、来年には高校受験だって控えている。高校は義務教育じゃない。それでも未成年者として親の庇護を離れることは出来ない。

 

(のんちゃん……わ、私、どうすればいいかな)

 

 不意にリンの声が脳を突く。

 答えの無い問いに喉が詰まった。思考が巡る。

 苦悩してるのは私も同じだった。

 リンの人生が私のしょうもない一言で左右される、その事実が重く背筋に伸し掛かる。

 

 現状維持か、現状打開か。

 論理的には悩む必要も無いのに、冷静な判断力を私は失している。

 

 リンの父親から郵便が来たのはそんな時折だった。

 昼になって郵便がやってきた。レターパックで、郵便員から受け取らなきゃならないから私が対応した。

 

(リン……これ)

(た、多分)

 

 送り主の苗字は灰崎。灰崎明生。

 リンと同じ苗字なので確認をすれば、やはりリンの父親か。

 

(リン、開けてみて)

(う、ううん……。のんちゃん開けて……、私、ゆ、勇気が……)

(……分かった)

 

 文具立てからカッターを取り出す。

 レターパックの封を綺麗に切って、中身を取り出そうと手を中に入れた。

 紙面1枚と……これは鍵?

 それもディンプルキーだ。少なくともこの家のものではなさそうだけど……。

 

(なんて……書いてあるの?)

 

 紙にはプリンターで印刷された無機質な文章が印字されている。目を通せば一応手紙らしかった。

 

【久しぶりですね淋。早速本題ですが、その家を売り払うことにしました。祖父の家を相続して都合が良かったので淋を住まわせる住居にしましたが、近頃手が空きましてそういう無駄な物を処分する時間を作れそうです。代わりの物件を近場で契約しました。鍵も同封しています。2週間後に引っ越しのトラックが来るので、それまでに荷物は纏めてください】

 

 これは……。

 思わず身体が固まってしまった。なんて自己中心的な文章なのだろう。体裁こそ丁寧だけども、これは有無を言わせぬ命令に等しい。これがリンの父親か……。

 

 文書の末尾には引っ越し先の住所が記載されている。部屋番号からして、どうやらアパートだかマンションの一室であるらしい。

 

(のんちゃん、わ、私も見る)

 

 そう言われたのでリンと入れ替わった。リンは暫く文字を辿るように読んでいると、不意にグシャリと握り潰した。

 

「み、身勝手すぎる……! あのクソ父親……!」

(り、リン……?)

「の、のんちゃんとの、思い出の家が!! 無駄!? 処分!? ぶ、侮辱だよねこれ……!!」

(落ち着いてリン)

 

 気持ちは分かるけども、感情的になっちゃダメだ。

 

(今日明日ならともかく2週間の猶予はあるじゃないか)

(の、のんちゃんはいいのこれで?)

(勿論理不尽さは感じるよ。でもまずは新居を確認してみるべきだと思う)

(迎合……するの?)

(迎合じゃないよ)

 

 確かに私からすれば正直どちらでもいい。リンが健やかに暮らせる環境であればそれ以上、住居にこだわりはしないつもりだ。

 とはいえ、リンの感情にも寄り添いたいという気持ちもある。急に住居を奪われたら誰だって腹が立つしね。

 

(情報収集しようリン。何事も着実にやろう)

 

 素直に転居を受け入れるにしても、退去勧告を無視するにしても、徹底抗戦するにしても、まずは情報が欲しい。

 でなければ正確な判断が出来ない。

 

 リンは嫌そうだったけど、説明すれば最終的には渋々と了承した。

 

 

 

 

 

 

─── ─── ───

 

 

 

 

 

 リンの父親が用意した新居は今の家と違い駅近に存在した。

 繁華街にもほど近く飲食店も多い。スーパーも2つある。少なくともショッピング面では今より便利な立地であることは疑いようもない。

 

 そして肝心の新居はと言えば、おおよそ築40年くらいはありそうな古っぽい外観をしたアパートの3階だった。建築時にケチったのかエントランスどころかエレベーターすら無い。仕方なく階段で登った。

 

(ここ、だよね?)

(そのはず。開けてみよう)

 

 封筒に入った鍵をリンが錠前に差し込み捻ると容易に鍵は開いた。

 

 中に入って、照明のボタンを押すとパチンと照明が付く。既に電気は通っているらしい。やけに用意が良い。

 

(リンの部屋より少し広いかな?)

(う、うん)

 

 1Kだ。玄関にキッチンがあって、扉がある。それ開けると10畳あるかないかくらいの洋室が現れた。

 家具は何も無く、あるのはキッチンの戸棚と収納だけ。収納に関しては襖のような横開きだ。恐らく元は和室だったのを洋室にリノベーションした名残りなのだろう。

 

 風呂とトイレは別。キッチンのコンロは3口で、試しに捻ればガス火が付いた。この分だとインターネットも整備済みかもしれない。

 

 懸念点はセキュリティかな。インターホンにはモニターが無いし、アパートにロビーも無いから部屋と外界を隔てるのは玄関扉1枚だけ。女子中学生の一人暮らしを考えるとセキュリティが少し気になる。

 

(男の一人暮らしなら全然良いんだけどね、このくらいで)

(お、男……?)

(あーなんでもないよリン。セキュリティが怖いかなぁ、リン一人で住むんだからせめて住民しか入れないロビーとか欲しいね)

 

 すると刹那の間を置いて強めの声。

 

(の、のんちゃんも一緒! 一人とか、言わないで!)

(…………そうだね。ごめん)

 

 リンもいずれは独り立ちしなきゃならない。でも今はまだその時じゃないか。

 私が将来を考えている間にもリンはおもむろに壁を触り出す。

 

(そ、それより私、壁が気になる)

(壁?)

(う、うん……薄い気がするの)

 

 コンコンとリンは壁をノックする。軽快な音が響く。

 ……この感じ、石膏ボードだ。中は空洞っぽい。リンが壁に耳を当てれば多少隣人の音が聞こえてきた。

 

 この防音性能、恐らく軽量鉄骨造か鉄筋コンクリート造のどちらかだ。外の音があまり聞こえないから多分防音性の高い後者だと思うけど、その中でもラーメン構造の可能性が高い。これは梁や柱にコンクリートを流し込むが、部屋と部屋は石膏ボード等で区切る方式である。一方で壁式構造というのもあって、こっちは文字通り壁のように外との境界も部屋同士もコンクリートで埋めるから防音性能・遮音性能共に秀でている。昔賃貸選びの時にネットで調べて得た知識である。

 

(のんちゃん……この壁だと配信、難しいよね)

(防音材とか遮音シートで覆えばきっとマシにはなるけど、やってみないとどうにも。配信に適さない家であるのは間違いないと思う)

(は、配信できない?)

(難しいかも。少なくとも夜の配信なんかは辞めたほうが良いかな)

 

 日中や夕方なら問題ないだろうけど……この防音性能じゃなぁ。

 

(そ、それはだめ! の、のんちゃんは、配信をするべき)

(リン……)

(私、絶対に引っ越さないからね。のんちゃんを、こんな鳥籠に閉じ込めるなんて、出来ない)

 

 私はリンの心情を汲んで頷いた。正直なところ、心から同意したわけじゃない。私のVtuber活動は結局自己満足でしかなくて、リンの人生設計よりは遥かに軽い。リンの人生の妨げになると感じたならこの活動を停止する心構えは消えかけた時からしてきたことだ。

 でもそんな心構えをきっとリンは否定するだろう。リンは私に依存している。きっとそれは当然のことで、リンは本来親から無償の愛情を与えられるべき年齢のまだ子供。でもいつかは大人になる。大人になるってことは働くってことだ。私の活動が邪魔になるだろう。そうでなくともいずれは友達を沢山作って結婚もして、私の存在が疎ましくなる。その時が私の消失点。卒業の瞬間だ。

 

 ……喜ぶべきか悲しむべきか、今のリンを見るとまだかなり先の話みたいだけどね。

 

(のんちゃん、わ、私、引っ越さないから!)

 

 引き絞った弦のような声音に意識が現実に舞い戻る。リンは相変わらず父親の用意した家に反発しているみたいだ。気持ちは大いに分かる。

 

(それなら方法は一つしかないと思う)

(ほ、方法……)

(リンの父親と話そう)

 

 刹那、リンの額に眉間が刻まれる。

 

(そ、それは……)

(話さないと分からないと思う。リンが無理なら私が話すけど)

(…………。)

 

 無言になってリンは悩み始めた。

 思えばリンは最低でも二年は父親と会っていない。私は当事者じゃないから分からないけど、それだけの期間距離を置けば、やはり会い難いものなのだろう。それに父親のことをリンは嫌っている。少なくとも好いてはいない。

 

 なのにリンは父親のことを真面目に考えた時、仏頂面ながらも複雑そうに思案を巡らせている。

 でもその理由は私でも理解できる。

 好きとか嫌いとか、そういう感情が表に出る間はまだその相手に感情を抱いている証拠で、リンは肉親に対する情を捨てきれていないのだと思う。それもそうだ。事実として彼らは家族で、それを赤の他人と割り切れるほどリンは大人じゃない。割り切る必要だって恐らく無い。家族を他人と割り切った先に待つ人生がリンの為になるとは思わない。

 

 20分ほど見学して、特に何か物を残すこともなく私とリンは新居を後にした。

 

 

 

 

 

─── ─── ───

 

 

 

 

 

 内見を終えて2日ほど経って土曜日だった。

 この2日間でまず、みこみーにこの一件を説明した。養子云々は置いておくにしても、もし引っ越しするとなればみこみーにも大いに迷惑がかかってしまう。夜は配信できないということは即ち、みこみーと一緒に配信できる機会も基本土日に限られてしまう事を意味する。

 

 みこみーは反駁することもなく私の話を一通り聞くと、ヒートアップしてリンの父親へと苦言を呈した。

 

「あり得ないですよ、リンちゃんをほったらかしにして何年も帰っていないなんて! 自分の子供じゃないんですか! お金と住居を用意すれば良いってもんじゃないんですよ、野生動物じゃないんですから!」

 

 まるで自分事のようにというか、家族を蔑ろにされたような大層な怒り方だった。みこみーはリンを妹分みたいに思ってる節がある。ちょっと過剰な愛も含有されているけども。ともかく、それを考えればリンの父親への強い懐疑心も分かる。

 

「のん先輩! 私をリンちゃんの父親に会わせてください! 殴ります! 2発殴ります!」

 

 果ては暴力沙汰を厭わない台詞に私もどうどうと宥めた。きっと止めなかったらみこみーは必ず決行する。殴るどころかよりエグい手段に出るかもしれない。いくらリンの父親がネグレクトしているからと言って、相方の目に見えた凶行を容認することは出来ないな。逮捕されて困るのはみこみーだけじゃない。見過ごした私や、無関係ではないリンだって自責の念を覚える。

 

 なにせ、目指すは二人のハッピーエンドだ。バッドエンド主義者には悪いけども私は身近な人物には常に幸福な人生を歩んでほしいと真に思っている。

 

 私は去年一度、リンの目覚めと共に自分のレゾンデートルを失したことで消えかけたことがある。結局リンとみこみーの求めに応じる形でこの世界にしがみついてしまった訳だけど、それ以降はリンの人生を良きものにするために幸福な人生に必要なものは何かと頭の片隅で考えるようになった。

 

 地位、名誉、金、仕事、家族、恋愛等々。

 

 きっと全部大事だ。どれかが無いと心が欠けて視座が歪む。

 

 私が思うに重要なのはバランスだ。

 人間、各要素に対する満足度には上限がある。だからどれかに偏っても幸福になるのは難しい。

 全ての要素を程良く掬っていって、それで器が満杯近くなって幸福感を得られるんじゃないだろうか。

 

 だからリンの父親とは円満な仲にならなくとも、或る程度お互いに納得がいく妥協点が必要で。

 

「リン、やっぱり私は父親と話すべきだと思う。それがリンのためになるかなと」

 

 みこみーとの配信終わり、私はリンに話題を投げ掛けた。

 リンは突然の言葉に面食らったようだったけど、すぐにぶるりと反応を見せる。

 

(む、無理だよ……何話せばいいか分からないし……)

(でも引っ越したくないんでしょ)

(そ、そりゃ……のんちゃんはいいの……? 配信、あまり出来なくなるのに)

(別に良いよ。リンの不都合になるのなら配信頻度なんてどうってことはない)

(ふ、不都合だよ。私にとって、のんちゃんの配信が無くなるのは、著しく不都合だよ)

(なら、話をする必要があると思う。この家の所有者はリンの父親なんだから、話さないと何も解決しないよ)

(そ、それはっ……そうだけど……!)

 

 酷なことを強いている自覚はある。

 人間関係は複雑怪奇だ。リンは父親を恐れている。それは偶に出る父親への暴言からも明らかで、あれはリンなりの虚勢だと私は聞いていて思う。

 だけど肉親としての情も感じていないわけじゃない。長年喋っていないから対話をするにもどう接すればいいか距離感も測れない。様々な感情に縛られて、この三日間の輾転反側がある。

 

(リンは、父親とどうしたい?)

(どうもこうも……あっ)

 

 そこでリンが、頭の中で糸が切れたみたいに言葉を止める。

 

(の、のんちゃん、家出しよう)

 

 ……家出。本気なのかな。

 でもこうしてリンが自身の意志を強く伝えてくること自体、みこみー関連を除いてほぼ無い。本気な気がする。

 

(リン……)

(あんな父親と会話すること、なんて、無いよのんちゃん。わ、私はのんちゃんとなら生きていける。今までも、これからも)

(リン、それは……)

(のんちゃん、身体借りるね)

 

 身体の所有権を握ると、リンは早々に荷物を小さなバックへと纏め始めた。

 夜逃げ同然に身支度を進めるその姿は子供そのもの。

 逃げたところで何も解決しないのは分かりきっている。リンは馬鹿な子じゃない。それを理解した上で、それでも耐え切れないストレスに家出という選択肢を取ろうとしているんだ。

 私は精神世界の中で、痛ましいその光景に目を伏せる。

 

 ……止めとくべきだった。リンの父親と話すべきだなんて言うのは。

 正論がいつも正解であるとは思ったことはないけど、今回は明らかに間違いだった。

 少し前までは消極的な自殺願望すら抱えていたリンが、現実と向き合うことを拒みたくなるのは予想されたことだったろうに。

 家庭環境はボロボロ。父親への不信感は高く積層していて、それで今回の一件。親から逃げたいという衝動に駆られても不思議なことじゃない。思春期真っ只中の不安定な年齢なんだ。合理性を以った判断を求めるにはリンは幼すぎる。

 

 ───いや。待てよ。

 それ以前の話だけど……私が全てリンに指示を与えていた今までの方が間違っていた……?

 家出という逃避行動はリンが自分の意志で起こした行動だ。つまりはリンが自分なりに考えた結果だ。今までは私が色々と言って聞かせて、倫理に沿って合理を説いて、リンを正しい道へと誘おうとしていた。

 でもそれが、幼さを理由に本来リンが自分で経験して身に付けるべき理非曲直の判断機会を全て私が奪っているとしたら……?

 それ即ち、私の過干渉が全ての根源ということにならないだろうか。

 

 まったく、儘ならないものだね。私はリンを思ってやっていたつもりなのに。

 これ以前も、これからも、私に依存する人生をリンには歩んでほしくない。

 

 ……後悔は一旦置いておこう。まずはリンの唐突な行動を諫める必要がある。

 しかし家出を否定して下手にリンの激情を撫でるのも下策だろう。一先ず前提を肯定して話を進めることにする。

 

(リン、家出して何処に行くの?)

 

 返事は少しだけ遅れてやってきた。

 

(わ、わからないけど……ここじゃない、遠くへ)

(遠くって……宿泊施設とかどうするの?)

(のんちゃん、だ、大丈夫……これは私の問題だから、私が何とかする……!)

 

 突発的な思い付きにしか過ぎない案だとしてもリンはどうやら本気だ。こうしている間にも荷物を全て詰め切ったバッグを背負って、部屋を出ようとしている。

 ……これは、リンなりに覚悟を決めてしまったのか。どうも簡単には止まる感じではない。

 

(分かった。なら一つ提案なんだけど、みこみーの家なんてどうだろう。本人は受け入れてくれる気がするけど)

 

 あまりみこみーに迷惑を掛けたくなかったとはいえ、そうも言ってられない。みこみーなら、私と違って等身大の同年代なら、リンの決意も揺るがすことが出来るかもしれない。

 

(み、美湖沢は関係ない)

(リンと養子縁組したいとも言ってた。完全に関係がないわけではないと思うよ)

(それでも、赤の他人、だから!)

 

 駄目か。

 みこみーに対して普段嫌悪感を表に出している素振りをするリンだけど、それはリンなりのみこみーへの親しみの表れだとは思う。でも私とは違って、やはり最後の一線が敷かれているらしい。他人かどうか。私はリンからすれば家族よりも家族らしい隣人で、みこみーは最も友人や知人に近しい他人だ。その垣根が両者を隔たせる限り、リンがみこみーを頼ることはしないだろう。

 

 リンは着替えやノートパソコンなど入った荷物を背負うと、一瞬だけ部屋の前を俊巡するような素振りを見せた後に、部屋を出た。そのまま家を施錠して外へと出る。

 家出か。前世では家族と喧嘩して半日ほど家出をしたことがある。その時は近場の公園や図書館で半日を潰した後、行き場もなく、最終的には家族の冷めた視線に気まずさを覚えつつも観念して帰宅した記憶がある。

 

 今回のリンの家出については、そもそもリン以外に誰も家にいない。帰宅したところで誰もリンを責める人はいない。そう考えるとかつての私と同様、1日で終わるかもしれない。

 

 しかしコンビニでお金を下ろし始めたところでリンの決意の固さを知る。

 リンはATMで10万円、手始めに口座から財布に忍ばせた。

 

(のんちゃん……い、行ったことないとこ、行こう)

 

 私が甘かった。

 リンは完全に遠くへ行く気だ。ここではない何処かへ。

 

(でもどこに行くのリン)

(と、取りあえず東京。それで新幹線使う)

 

 言葉通りバスを使って最寄り駅へ向かうと、上りの高崎行き電車に乗り込んだ。時刻は土曜の午後2時半。乗車客はいるものの、座席シートは疎らに空きが目立つ。リンは一番端っこのシートで壁に寄りかかりながら転寝をした。

 

 揺られながら私は考える。

 この家出計画、私はさっきは突如思い立って行動に移したものだと思っていたけど、もしかしたらリンは少し前からずっと考えていたんじゃなかろうか。突発的と言うにはあまりにも手際が良すぎる。荷物を纏めるときの持ち物選別もそうだし、ATMでお金を引き落とすのも予め立てた計画に沿うような滑らかな動きだった。

 

 リンが浅い睡眠に浸っている間にも私はスマホで調べてみる。きっとリンは本当にこの関東から最も遠い地域に行く気だ。飛行機を使う気は無いようだから沖縄は無いだろう。同じ理由で海外も除外。南なら鹿児島、北なら北海道の函館かな。

 

 ……これは勘でしかないけどリンなら北海道に行く気がする。リンは寒い方が好きで、美味しい海鮮もあるし、何より知床半島とか宗谷岬まで行けば関東から最も離れた場所になるはずだから。

 

(……あれ。寝ちゃった私……の、のんちゃん。東京着いた?)

(そろそろ新橋だからもうすぐだよ)

 

 30分ほどで目が覚めたリンに身体を渡して、すぐに東京駅に着いた。

 

(人……多すぎる!)

(土曜日の東京だからね)

 

 四苦八苦しながらもリンは東京駅の往来を掻い潜り、東北新幹線の乗り換え改札前へとやってくる。

 リンは路線図を数秒ほど眺めて、よし、という声を心の中で呟いた。

 

(き、決めた。のんちゃん、いくら丼食べに行こう)

(そうだね)

 

 予想は当たり。行き先は北海道だ。

 

 非日常な気分に酔いしれているのか、リンはちょっと浮かれている。旅気分なんだと思う。まあ落ち込んでいるよりは大分良いか。

 東京から新函館北斗までの切符を発券。初めて新幹線の切符を買うことになって、戸惑いながらもちゃんとリンは乗車券と特急券を発券した。

 

 そのまま新幹線改札を通過。リンが乗る新幹線は20分後に東京駅を発着するものだ。

 

(の、のんちゃん。新幹線ってどうやって乗るの……?)

 

 え、今更?

 結構手慣れた感じだったから知ってると思ってたよ。

 

(取りあえず始発だし、発着10分前にはホームにいれば良いと思う。今回自由席だから多分前寄り……1号車にいればいいんじゃないかな)

(さ、流石のんちゃん。新幹線、分かるんだ)

(一応ね)

 

 前世で2回しか使ったこと無いからあまり先輩面できないけど。

 

 そんなこんなで自販機でお茶を買って21番線ホームに上ってすぐ、今回乗車する新幹線はやってきた。プラットホーム上、自由席の列はそこそこ並んでいるけど恐らくこの感じなら座れそうだ。

 

 10分ほど待って、新幹線のドアが開いたのを機にずらずらとした列に混じって車内へと入る。

 運が良くA席が取れた。二人並び、窓際の席だ。

 

 大して時間も開けずに出発ブザーが鳴って、新幹線はしめやかなモーター音を響かせながら走行を始める。

 都会の車窓を眺めながら、きっと1時間後には開けた農地の中を走ったりするんだろうと考えているとリンが言う。

 

(の、のんちゃん……これで、正解だよね?)

 

 非常に歯痒い。間違いを間違いと言えない大人でごめんリン。

 せめて今だけは旅行気分でいてほしい。

 

(今は忘れようリン。折角の北海道だからさ。リンは北海道に行ったことあるの?)

(ううん、りょ、旅行すら一度もしたことないから……)

(あれ、小学校の修学旅行は……)

(クラスメイトと、行きたくないから休んだ)

 

 昔から引きこもりがちだったようだ。想像は何となくつくけども。 

 確かに仲良くないクラスメイトと行く旅行が楽しいかと言えば微妙かもしれない。でもそれだって一つの社会経験なんだ。将来のリンを構築する大事な一欠片になるんだ。よし、リン。絶対に中学の修学旅行は行かせてやる。無茶も無理強いもしないけども、行った方が良いような心持ちにはさせてあげるから覚悟して。

 

 車窓を眺めながら取り留めのない話をリンと交わす。

 その内、仙台を超えた辺りでリンはまたウトウトし始めた。斯く言う私も少し眠い。寝るのはいいけど一瞬だけスマホを指で弄る。

 

 深夜に函館公園で待ってる。

 

 私はスマホをポケットに戻して、リンと寄り添うように睡魔に身を任せた。

 

 

 

 

 

─── ─── ───

 

 

 

 

 

 4時間ほど経過して、ようやく新函館北斗に到着したのは午後7時半だった。

 

 もうすっかり周辺は夜の帳が下り切っていて、リンみたいな女子中学生が出歩いていると目立つ時間帯になってきた。特に新函館北斗駅周辺は田舎さながら閑散としているから一入だ。駅舎こそ現在は新幹線の終着駅で立派だけど、駅前にはレンタカー屋やバスロータリーくらいしか目ぼしいものもない。

 

(な、何も無いね……いくら丼……)

(函館駅なら店あるかも)

(え……ここは違うの?)

(違うね)

 

 詳しくはないけど市街地まではJRで行かなくてはならなかったはず。

 

 電車に乗って更に20分かかった。そうして午後8時を回る。一応まだ空いている店もありそうだった。

 適当に海鮮がショーケースに並ぶ飲食店に私(個人店だったのでリンは怖気づいた)は入って、リンご所望のいくら丼を注文。どうも夜は海鮮居酒屋でやっている店舗だったらしく、女子中学生一人での入店を怪訝な目で見られながらも私とリンは運ばれてきたいくら丼を食した。流石北海道、海鮮の原産地は都内とレベルが違う。美味しかった。

 

 お腹を擦りながら退店。最後まで懐疑的な目を向けられて居心地が悪かったことが唯一不満点だけど、リンの明らかに女子中学生然とした顔立ちを思えばしょうがないことだろう。

 

(ま、満足…………)

 

 それにリンはあんまり気にしなかったようだ。普段なら絶対に気付いて嫌な気分になっていたはずだし、非日常感がリンの敏感な神経を削いだに違いない。美味しかったのなら、よかったよかった。

 

 ……で、いくら丼の話はこれで終わり。

 ここからは現実の時間。

 

(リン、今日は宿とかどうするの)

 

 午後9時を回った函館市街は人も少なく灯りもぽつぽつと灯る程度で、正直心細い。3月と言えどまだ薄寒い北海道の気候も手伝って、リンは不安感を滲ませるように口元を縛った。

 

(……取りあえずユースホステルに行ってみる)

 

 ユースホステルというのは青少年のためのドミトリー型宿泊施設で、未成年だけでも一応泊まれる施設になる。他の中学生ならいざ知らず、インドアなリンから即興的にユースホステルなんて言葉は出てこまい。なるほど、やっぱり多少は下調べはしていたなリン。

 ただ、詰めが少し甘い。

 

(無理だと思うよ)

(ど……どうしてそう思うの、のんちゃん?)

(ユースホステルのみならずホテル全般そうなんだけど、未成年者の宿泊には必ず保護者の同意が必要なんだ。だから泊まれないと思う)

(で、でも未成年者でも宿泊できるって……!)

(海外ならね。国内だと民法の影響で確か、保護者の許諾抜きの未成年者だけの宿泊は出来ないんじゃなかったかな)

 

 うろ覚えながらも私が断言すれば、リンは狼狽えるように目を見開いて手で自分の髪を撫でた。

 私の認識、子細は間違っているかもしれない。でも概ねは当たっているはずだ。昔同じように家出を試みた時にこれを知って、私は遠出を諦めたのだから。

 

 保護者という言葉にリンは表情を暗くする。リンからすればいま一番聞きたくないワードだろう。

 

(ひとまずさ、今日は帰れないし野宿しかないと思う)

(野宿…………)

(そう野宿)

 

 満喫なんかも未成年者を深夜帯に受け入れてくれるほど懐は広くない。いや、懐が狭いのは多分日本の法律だ。なんの法が悪いかは賢くない私には詳らかには分からないけど、でも親元から逃げ出した未成年が一時的に夜を乗り越せる商業施設がどこにもないっていうのはあまりにも救われない。有名な新宿の東横はそうやって生まれてしまったんじゃないか。

 

(取りあえず道で寝る訳にも行かないし、公園が良いと思う。ベンチもあるしさ)

 

 リンは微かに首を縦に振ることで肯定の意を示した。

 

 函館には函館公園という大きな公園があるそうだ。

 それは函館駅から更に市電に乗って数駅乗った、函館山の麓辺りに存在する市営公園だ。ただし終電は既に行ってしまったようで、仕方なく3キロ弱の距離を歩くことになった。

 

 2時間ほどかけて歩くと函館公園が見える。一応中には入れるらしい。

 園内にはあと半月すれば薄紅色を咲かせるだろう桜並木が生え揃っていて、それから函館山の案内看板がある。小規模な動物園みたいなものも隣接して存在するらしく、かなり立派な公園ではある。ただ夜だからそれ以上に不気味さを感じる。公園内は灯りに乏しいのも薄気味悪さを助長させていた。

 

 園内にあるベンチの一つにリンは腰を掛けた。北海道の冷涼とした夜風が肌を浚う。リンは溜まらずバックの中から替えのパーカーを取り出して膝元に置いた。

 

「のんちゃん、家族ってなんだろうね」

 

 誰もいないからかリンが声を出して私に語り掛ける。

 春前の深々と夜が広まった公園内で、その声はよく響いた。

 

「父親は多分私が嫌いで、だから私も父親が嫌いだと思っていた。でも、美湖沢から養子の話を出されて、離別は違うとも思った。き、嫌いだし、一緒にいたいとは思わない……それは多分そうだけど、養子になって、事実上縁を切るのはまた別の話……わ、分からないけど。そんな気がしたの」

 

 リンは夜空を眺望した。生憎と今日の函館は曇り。星も月も見えない暗澹たる空模様。

 

「美湖沢は……嫌いだけど嫌いじゃない。ウザイところもあるけどのんちゃんのことが好きだし、変だけど優しいし。のんちゃんのことは、言うまでも無いよね。こういう場所で告げるのは、その、照れるから……」

(うん。私もリンが好きだよ)

「す、ストレートに言われると困る……」

 

 頬を掻きながらリンが斜め上の暗闇を見詰める。

 当然、私はリンに親愛の念を覚えている。親の気持ちを疑似的に味わっている形に近い。リンも私に似た感情を抱いているのは筒抜けだ。私とリンは現状、一心同体の一歩手前なのだから。

 

「の、のんちゃん……私、どうすれば良いと思う? 結局、ダメだった……私ひとりじゃ、家出すらままならない」

 

 そんなことはない。そんなことはないよリン。是非は置いても、リンは私なんかよりよっぽど家出を完遂している。関東圏はおろか、中学生の身分で函館まで家出する中学生も世の中に早々いないだろう。今回の一件でリンの秘めたる行動力には私は驚かされた。

 でも、その上で言わなきゃならない。

 

(リンが決めることだよ)

「の、のんちゃん……?」

(私はリンが父親と話すべきだと思ってる。でもそれはリンが納得の上じゃないと駄目だって、私はこの家出で思い知った。私が無理に説得したとしても、それは本当にリンの為になるのか。私が言ったからやるだけにならないか。ねえリン、厳しいことを言うけど、一人で暮らすって言うのは自立心が必要なんだよ)

 

 厳しいことを言っている自覚はある。でも心を鬼にしなきゃならない。リンは私に依存しちゃならないんだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってよのんちゃん……そ、そんな突き放さないで」

(リンが道を決めて、リンが道を拓くんだ。もう来年には高校生、次のステップなんだよリン)

「の、のんちゃんがいないと私は……! 私にはこれまでもこれからも、ずっと、のんちゃんしか……!」

 

 その刹那だった。

 

「───私がいますよ!!」

 

 一陣の風が吹き抜けて、雲間が割れる。

 月明かりがスポットライトの如く上空から覆い照らして───。

 

 その中心に、美湖沢御子が立っていた。

 





蛇足かつ完結詐欺な気がしてきた。
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