「み、美湖沢……? なんでここに……?」
月下に佇むみこみーは神秘的に降った一筋な光で照らされながら、あえかな笑みを浮かべる。
「大変でしたよ~リンちゃんが北海道に行くって分かってから急いで親に許可を取って準備して飛び出してきたんですからね」
「こ、答えになってない!」
「いいじゃないですか、そんなの。些事です些事。……私も隣座っていいですか? 話をしましょう、リンちゃん」
「……す、好きにすれば」
「ではお隣失礼しますね」
みこみーはリンと同じベンチに座る。拳一つ分の距離に、リンが違和感を覚えたみたいに身動ぎをした。
「……わ、分かった。GPSでしょ。新幹線に乗ったから着いてきたんでしょ?」
「言っておきますけど、今回ホントにそういうのはしてないですよ。その話をする前にリンちゃん」
「な、なに?」
「こんなところじゃ寒いですよね。ホテル行きましょう。取ってるんです、少し離れたところに」
「取れたの……? まだ高校生、なのに?」
「高校は卒業して今は無職ですよ〜。それにお母さんに同意書も書いてもらいましたから」
カバンから1枚の紙を取り出す。宿泊同意書と書かれたその紙面にはみこみーの本名と、その母親の名前が記載されて印までしてある。
リンは眩そうに目を細めて、視線を草むらに投げ捨てた。
「い、行かない……! 美湖沢の手を借りたくない……!」
「それはどうしてですか?」
「だって……私は美湖沢に、優しくされるようなことを一度だって、したことがないから……!」
「……そんなふうに思っていたんですね」
グシャグシャに感情に塗れた吐露に、みこみーは今にも頭を撫でそうなくらいに慈愛深い笑みを湛える。
リンのみこみーに対する本心、初めて聞いた気がする。本気で嫌っている訳じゃないのは知っていたけど。
みこみーは胸に手を当てて息を吐いて、口を開く。
「リンちゃん、私は妹か弟が欲しかったんですよ」
「……妹?」
「そうです。私の家族は一人っ子家庭なので、姉妹みたいな、同年代の家族がいる家庭が羨ましかったんです。それで、言葉にすると気恥ずかしいのですが……リンちゃんのことは妹だと思ってます」
「そ、そんな事を言われても」
「迷惑ですか?」
2つの双眸が向かい合う。
僅かな光量を最大限に取りこんで煌めかせる大きな瞳に、根負けしたのはリンだった。
「そ、それくらいは迷惑……じゃないけど」
「嬉しいですリンちゃん! これからはみこみーって呼んでください!」
「か、勘違いするな! 妹として見られることを、受け入れただけで、お前を姉として見てはない!」
「むぃー、でもいいです。日々是好日、いつか私が姉になります!」
みこみーが渾身のガッツポーズを決める。
ところで養子にするんだったら親なんじゃないかな。少なくとも養親は姉にはなれないと思う。
まあ今は良い雰囲気だし、そんな現実的な意見を述べるのも野暮かとか考えていれば、みこみーは何か思いついたように指を立てる。
「あ、でものん先輩は妹でも娘でもなく嫁なのでそこのところは誤解しないでくださいね」
嫁じゃないが? 相棒だが?
反応を何も見せずにじっと見つめ続けるリンにコホンと息を吐いた。
「リンちゃん、もし私がただの他人にしか見えないのなら、私の借りという形でも構わないです。どうか私に頼ってくれませんか?」
「そ、そんなの、偽善だ……!」
「偽善じゃありませんよ。独善です」
みこみーは口元を僅かに上げて、目を細める。
偽善と独善は似て非なる概念だ。世間体故に心情とは異なる善行を繕う偽善に対し、後者はあくまで自分の心情に従った周囲を顧みない善行である。
みこみーらしい考え方だとか思ってしまって、ついその相貌を見た。不思議だ。宵闇なのに眩しく映って、目を惹きつけられる。
みこみーは何も言わないリンにクスりと一度笑い、その手を軽く引いた。
「独善に付き合ってくれませんか、リンちゃん」
「……卑怯者」
みこみーは一度耳をピクリと震わせるのみで、返事もせずに頷いて、リンを立ち上がらせた。か細いその声に額面通りの敵意は微塵も含有されていなかった。だからみこみーも特に躊躇せずリンの手を握ったのだろう。
……いやそれ以前に。
月光に当てられたリンの頬に桜が咲いているとなれば、誰だって真意は分かるというものだ。
─── ─── ───
みこみーが取ったのは駅から少し離れた割とシティーホテルだった。歩くには夜道が寒く、傍目から見れば不用心な女子2人旅(補導対象)とあって、近場でタクシーを拾ってホテルへと向かった。
近くまでくればホテルが身分不相応というか、学生だけで泊まる宿泊施設じゃないという感想が出てくるような、言うと立派な造りをしていた。20階くらいはあるだろう、最上階からは満面なく函館市内を一望できそうなほどの身長を誇る建物に、入り口前にはリムジンが何台も止まれそうな大きめのロータリー。私たちが乗ったタクシーもこのロータリーで停車したけど、流石にこの時間には他の宿泊客の送迎車などはいなかった。
更に中には入れば複雑な技巧を凝らされたシャンデリアや、これまた名前も分からぬ花模様の刺繍で縫製された朱色のペルシャ式絨毯の上に、人間工学よりも景観を重視したラグジュアリーな革張りソファと机が幾つも並んでいる。明らかに中の上……下手したら上の中くらいはあるね。1泊何万円になるのかは想像もしたくもないけど……流石にみこみーに全額払わせるのは申し訳ない。寧ろ7割8割は払うべきだろう。呼んだ側の責任として。
そのままこれまたカウンターでチェックイン。23時半を回っているというのにホテルマンは二人体制だった。
みこみーが手続きしている姿を後ろから眺める。どうも予約済みだったようで、料金も支払い済みらしい。特に指摘されることもなく、部屋のカードを一枚渡された。
……あれ、一枚。
これ、相部屋ってことか。なるほど。普段なら絶対に一人部屋に変えてもらうけど、今回ばかりは言い出しづらい。もしもがあれば互いの為にならないし、今日明日は視界を使わないことで何とか対処することとしよう。幸い精神体の中にいるときは五感を自由に遮断することができる。
部屋は10階の角部屋。部屋の中はセミダブルベッドが二つ、窓際には小さな丸テーブルにソファーが二つ向かいあって置かれていた。あとはユニットバスが一つあったが、浴槽が大きいこと以外はビジネスホテルの造りに見える。
「リンちゃん、大浴場行きましょう」
荷物を置くと、みこみーは早速とばかりにお風呂セットを小さなトートバックに入れてそんなことを宣う。平然と言ってのけたけど、そこはかとなく私情が臭って見えるのは普段の行いが私の角膜を歪ませているのか。
でもリンは大浴場なんて場所、嫌がるだろうなぁと思っていれば予想通り首を大きく横に振った。
「そ、それは嫌だ……一人で行って」
「えーっ。もしかして他人に身体を見せるのは恥ずかしかったり?」
「も、黙秘権を行使する」
「多分この時間なら大浴場誰もいませんよ?」
「もし、誰かが後から来たら……余裕で死ねる」
ぶるりとリンの背筋が震えて、本気の恐怖具合が伝わってくる。極度の人見知りであるリンにとって、他人と裸の付き合いするのは片手で逆立ちしながら市内一周するよりも困難極まる艱難辛苦だろう。
その様子を見てみこみーが自分を指差す。
「じゃあ私と二人っきりならどうですか?」
「そ、それだけは、確実に回避したい未来」
リンは警戒した面持ちを隠さずに一歩みこみーから離れる。多少はみこみーを懐に入れることを許した雰囲気があったけど、流石に裸の付き合いはダメらしい。これまでのみこみーの蛮行を思い出せば、うん、それもそうだ。
それに個人的には非常にありがたい。女子大浴場なんて行こうものなら私の精神値がごっそり削れるのは目に見えている。
「折角ですが仕方ありませんね……私は大浴場行ってきますね」
「う、うん。行ってらっしゃい」
「抱き着いていいですか?」
「な、なんで!」
リンが猫みたいに飛び退いた。全身を守るように腕で抱える。みこみーの生態に詳しい私だから多少理解できるけど、きっと「行ってらっしゃい」という言葉が嬉しくて、つい思わず本音が漏れてしまったのだろう。普通に自重してもらいたい。
ともかく、みこみーはお風呂セットを胸に抱えると名残惜しそうにリンを一瞥して外廊下へと出て行った。
リンは少しの間、瞼の裏に残ったみこみーの残滓に思いを馳せるように、漠然と閉まった扉を見る。
「ねえ、のんちゃん……みこみーって、意外と良い人なの?」
まあ良い人には違いない。
違いないけど……。
(でも倫理は無いからね。もしみこみーが暴走したら止めなきゃ駄目だよ)
(……年上なのに、手間がかかる)
仕方がないなあと言いたげにリンは口元に苦笑を浮かべた。
暫くしてユニットバスで身体を洗う。リンは手際良く手を動かして、10分ほどで身体と髪を洗い終えるとホテル備え付けの夜着に着替えてドライヤーを髪に当てる。今夜の会話でみこみーに多少は心を開いたとは言え、自分のお風呂を見られるのは断じて否という強い意志があるみたいだった。
まあ早めに身支度を整えるのは構わないけど、雑にやるのは良くない。
(リン、髪が生乾きだよ)
(こ、このくらいは放っておけば乾くよ)
(みこみーが見たらどう思うかな?)
艶やかに濡れた長髪に見惚れて、リンへ突撃する可能性も低くない。
私と同じ予測を立てたリンは呻き声を漏らして、即座にドライヤーのスイッチをオンにした。
─── ─── ───
髪を乾かし終えるとリンはベッドに倒れてすやすやと寝息を立て始めた。
どうも限界だったらしい。
それもそうだ。家出といえば一大イベントだ。加えてあまり乗ったことがないだろう新幹線に乗って、今まで土も踏んだこともなかった北の大地に踏み入れたのだから、その疲労たるや計り知れない。
私もそのまま寝てしまおうかと考えたけど、色々と手筈を整えてくれたみこみーを一人にするのは罪悪感がある。何せリンの無鉄砲な家出への対策班としてみこみーを呼んだのは私だ。リンが昼寝をしている短い間にチャットを送って情報を共有していたのだ。常識的に考えれば突然函館に来てなんて言われても来てくれるはずがないのだけども、一方でみこみーならば来てくれるだろうという確信もあった。実際に来てくれたのだから感謝しかない。
身体を起こして足をぶらぶらさせる。足の裏がじんじんと痛む。今日は結構歩いたからなあ。家出の痛みだ。
中途半端に開いたカーテンから市街を望む。街灯と家々の灯りがぽつぽつと闇を照らしていて、百万ドルの夜景とは言わずともほんのりとセンチメンタルな気分に浸ることができた。ホテルの十階でこれなら、函館山の頂上なんかはもっと期待ができるはず。いつかリンにもまっとうな観光旅行で行ってもらいたい。
そのうち、みこみーが部屋に帰ってくる音が聞こえた。
……これはまずい。
風呂上がりの上気した肌を直視してしまった私はつい目を反らす。なんというか、いつもは可憐なみこみーが今日は大人っぽく見える。
みこみーは私の様子に小首をコクリと傾げつつ、優し気な目つきになる。
「リンちゃん、寝ちゃったんですね」
「当たり前に分かるんだ」
「当たり前ですよ~のん先輩はだらだらキリッという感じで、リンちゃんはオドオドギュンって感じですから!」
「全然分からないよそのオノマトペ」
だらだらキリッて何?
荷物を置くと「いや~いい湯でしたよ。思わず牛乳なんか飲んじゃいましたね、さすが酪農大国北海道という感じの濃いミルク味で最高でした!」とみこみーは置いてあったうちわでパタパタと仰ぎながら私の隣に座る。みこみーの身体は未だ余熱を保っているようで、触れ合っていなくとも温度が伝わってきてこそばゆい。
……あれ。よく考えると2人っきりになるのは久々だ。みこみーがいるときはリンが警戒心を露わに吠えていたから、こうしてリアルでみこみーと一対一になるのはあの聖夜ぶりかもしれない。そんなことを考えていれば口が渇いてきて、言葉が全て掠れて消える。何だかいい香りが漂ってくる気すらしてきた。
みこみーの顔を見る。私の意志とは無関係に視線が桜色の唇に注がれて、それで慌ててみこみーの目を見て勝手に気まずくなる。
おかしいな。前までは普通に話せていたのに、何かをしようとすると一挙手一投足が気になって中々言葉が出てこずもどかしい。
蜘蛛の糸で絡め取られたような私をみこみーが覗き込んだ。
「のん先輩、今日はとても良い日です」
話しかけられて、暫時縫い上げられていた私の口が漸く開く。
「……そうなの?」
「はい! だってのん先輩が私を頼ってくれたんですから!」
「みこみーには結構頼ってる気もするけど」
「のん先輩が私を頼ってくれたことありましたっけ?」
言われてみれば無いかもしれない。Vを始める当初に立ち絵を依頼したり、リンのことを相談したりしたことはあれど、今日のように明確にみこみーに救いを求めたのは初めてかも。
「確かに無い……かな」
「私、嬉しかったんですよ。のん先輩は一人で何でも出来る人ですから」
そうでもないけどなぁ、と思っていればみこみーが慎重に言葉を選ぶように続けて言う。
「それに自分の問題は自己解決する人ですから」
何も言えないな。確かに私はみこみーより年上だし、強固な自律心を持った人間だと思われても然るべきなのかもしれない。
でも、そうか。私はそんなちゃんとした人間に見えていたのか。
ならば相棒として、一つ訂正しておかなきゃね。
「私はみこみーが思うほど立派な人間じゃないよ」
言葉を噛み締めながら言って、ジャリジャリと苦く渋い後味が口の中で残った。
立派ではない証明の1つとして、今回私は選んでみこみーを頼った訳じゃない。冬川のんとしての私が持つ頼れる人間リストにはみこみーの名前しか記載されておらず、消去法でみこみーを頼ったとも言える。そんな都合の良い使い方をしておいて、みこみーだけが信用の出来る人間などと厚顔無恥に嘯けるほど私の面は厚くない。そしてそんな考え方をしている以上、立派であるわけがない。
私の中の薄暗い思いを透かすようにみこみーのエメラルドのように煌く瞳が私を捉えた。
「のん先輩がどう思おうとも、私の想うのん先輩は変わりません。私にとってのん先輩はVtuberでもなければアイドルでもありません。最初から等身大なんです。等身大で私の特別がのん先輩なんです」
「みこみー……」
「だから卑下しないでください。憧れさせてください。私だけに弱みを見せてください。そしてみこみー助けてと頼ってください」
思わず私は自分の唇に触れて固まる。みこみーの瞳に私が映る。緊張するようにほっぺを紅潮させて口を中途半端に開く私が映る。
……分かってる。分かってるよみこみー。
でも、私に限ってこれは、言葉にしてならない類の感情だ。明確化してはならない、曖昧模糊に溶かして社会通念で滲ませるべき想いだ。
そうやって私は胸に蓋を落とす。器から溢れそうで少しキツくて苦しかったけど、やっと言葉は出た。
「みこみーにはさ、感謝してるんだ」
「……はい」
「何だかんだ私が今こうしてあるのはみこみーのおかげ。みこみーがいなければ私は亡霊のまま消えて、リンもまだ人生を悲観していたかもしれない。今日だってこんな遠くまで助けに来てくれた。みこみーは私の特別だよ」
「のん先輩、私は大したことなんて」
「みこみー以外とはペアは組めない。これは宣言しても良い。絶対に組まないしやれない。きっとみこみーが還暦を迎えても、生涯私の中ではみこみーを特別な相棒として見てると思う」
みこみーの言葉を遮って言うと、鼓動の早さを自覚する。トクトクという心臓から余裕が取り払われた音が胸を叩く。
正直、自分が何を言ってるか分からなかった。俯瞰するには体温が上がりすぎていて、上せたような頭では上手く言葉を用いれない。
ただ、だからこそいま思っていることを形にしたはずだ。これはきっと私の本心だ。最大限の表現だ。
まったく、私もみこみーのことを揶揄できない。直視してこなかった自分の裏側で、こんなにも重量を孕んだ感情を抱いていたなんて。
私は敢えてみこみーから顔を背ける。どういう表情をしているのか、見てしまうのが怖くなった。
みこみーは中々言葉を発さなかった。数秒経っても聞こえてくるのは互いの微かな呼吸音と、身動ぎして擦れる布の音。
否が応でもペシミスティックな想像が過る。
……もし、拒絶されたら。或いは困ったような笑顔で苦笑されたら。
徐々に不安になってきた私は自然と拳を握った。首筋を綿で絞められて、次第に呼吸を浅くなっていくような錯覚にすら襲われる。
みこみーが百合営業活動の一環で私に思わせぶりな態度を取っているとはもはや思っていない。
しかし、万が一という場合はある。億が一かもしれない。
どれだけそれが僅少な可能性だったとしても、エンタメ重視の配信戦略の一環だったときを考えると何故か酷く心が動揺してしまう。
……全部、私の勘違いだったのだろうか。
今日も、これまでも、あのクリスマスイブも。
何も言葉が返ってこないとやがて諦観が芽吹いてきて、私は観念してみこみーの顔をちらりと一瞥しようと目を動かした。しかし一瞥するつもりが、視線がその双眸に捕らわれた。
みこみーは瞳を潤ませながら、ただ熱に浮かれたように私をずっと凝視していた。
恐る恐ると視線を合わせると、みこみーは呆然としていた。涙が滲まない程度に潤んだ瞳が私を捉えている。
「な、泣いてるの?」
思わず見たままを言えば、みこみーは初めて自覚したように目の端を指で拭った。
蚊の鳴くような声で呟く。
「……嬉しかったんです。のん先輩にそう思われていたのが」
「そっか」
私は可愛いぬいぐるみを愛でるみたいにみこみーの頭を撫でようかと思って、止めた。それは私たちの関係性じゃない。
どちらかといえば───そう。
目を合わせたまま横に座るみこみーへと、ベッドのシーツをなぞるように左手を恐る恐ると伸ばす。指先が布の隆起で引っかかるたびにどうするか一瞬迷う。
私のそんな不安を読み取ったのか、みこみーが優しく手を捕まえた。割れ物でも扱うように私の手を握って、そのまま手で覆う。
思わずみこみーを見れば、慈愛に満ちた女神でもしなさそうなほど静謐な笑みを浮かべている。
湯上りの熱を帯びたみこみーの手は仄かに暖かくて、心が落ち着いた。