「な、なんで美湖沢が同じベッドにいるの……!?」
翌朝、私はリンのそんな驚愕と慄きの声で目を覚ました。
朝から騒がしいなとか思っていれば、私の隣でみこみーがすやすやと寝ている。
あれ、結局昨夜は勢いのまま同じベッドで寝たんだっけ。
いやいや、違うぞ私。みこみーの勢いに騙されかけている。
確かに昨夜は違うベッドで寝たはずだ。寝入ったみこみーの顔をベッドで寝転びながら確認だってした。昨夜の私は寝つきが悪かったから覚えている。
つまりあの後、みこみーが私のベッドに侵入してきたのは疑いようもない。
……まあ私は構わないんだけど、リンが許すかといえばそんなわけも無く。
「お、おい! ここで、寝てるな!」
布団を剥ぐとガシガシとみこみーの身体を揺するリン。
しかしみこみーはぐにゃぐにゃとした言葉にならない寝言を口から漏らしながらも、全然起きる素振りを見せない。みこみーって朝弱いのか……初めて知った。
私が寝ぼけ眼でそんなことを考えていれば、堪えを切らしたリンがみこみーから手を放す。何をするのかと思えば口元を耳に近づけた。
ま、まさか……。
「お、起きろ!! あ、朝だって、言ってるでしょ!!」
「──────っむぃ!?!?!?」
爆音ASMR。というかもうほぼ爆音波といってもよいモーニングコールがリンの口から放たれた。
いつもこのくらい大きな声で話せればいいんだけどなぁとか保護者目線で見ていると、流石のみこみーも音響兵器には耐えれず目を大きくひん剥いて、上体をガバリと起こした。
「何事です!? 地震ですか!? 火事ですか!? それともバイオハザード!?」
「う、うざいから声は抑えて」
いやいやそれはブーメラン。
しかし状況を理解できていないみこみーは目をパチパチさせながらも真に受けて声をトーンダウンさせる。そしてリンを見つけた。
「ちょっと待ってください、リンちゃんがなぜ私の家に……もしかしてここはSSR級の天国!? それとも異世界転生したら神様がリンちゃんだった件について!?」
「いいから、落ち着け」
SSR級の大天国ってなんだ。混乱するのは分かるけどめちゃ朝弱いじゃんみこみー。
ぽこんとリンがみこみーの頭を軽く殴ると、みこみーは「にゅえっ」と鳴いた。だから何で配信外での奇声まで可愛いんだ。
「お、起きろ。ここはお前の家、じゃない」
「…………結婚したんでしたっけ私達」
「してない!!」
堪らず大声で反駁するリン。
みこみーはポンと手を叩いた。
「あ、思い出しました。函館に泊まったんでしたね、私達」
「よ、ようやくか」
ジト目で呆れを強めるリンに対して、みこみーは「いや~失敬失敬です」と軽口で反応して見せた。
午前8時前とあって、私たちはホテルの朝食を食べに二階にある朝食会場へと向かった。みこみーは素泊まりプランではなく朝食付きで予約していたらしい。昨日咄嗟に予約したことだろうに、なんとも準備が良い。
朝食はバイキング形式だった。和洋が別々のコーナーとして並べられていて、どちらも宿泊客がプレートをもって一列に並ぶ形式だ。しかし、並び自体が圧倒的に和の方が多い。
なんでだろうと目を凝らすよりも前にみこみーが零す。
「いくらにマグロなんてあるんですか~。朝から贅沢ですね~」
みこみーの言葉通り、和食のバリエーションの中には朝食には向かないような海鮮系のおかずが所狭しと置かれていた。行列の目的はどうも北海道の海の幸らしい。
ふむ……確かにいいな。海鮮。白飯にサーモンといくらとマグロを乗っけてわさび醤油、これこそが至高。後のことを考えず暴食するのも旅の醍醐味だろう。
とかなんとか考えていれば、リンがこっそりと頭の中で耳打ちをする。
(お、重いのは嫌だから、パンでいい?)
(いいよ)
おおっと。これは思考が漏れていたな。リンと私は同じ身体を共有する関係上、時折思考が漏れることがある。だから度々どうでもいい考え事が相手に伝わってしまっては、受け取り側はいつもの念話と思うので普通に返してしまう。まあ、遺憾ながら私とリンが一心同体である証拠以上の話ではないが。
女子中学生には朝から海鮮丼が重いのは仕方がない。ちょっとだけ残念だが呑み込もう。
和食とは別の方向に歩みだしたリンをみこみーの翡翠色の瞳が捉える。
「あれ、リンちゃん洋食派ですか。私は和食行ってきますね」
みこみーは流石に海鮮か。だろうなぁ。多分、このホテルの名物な気がするし、やっぱり海鮮を逃すのは少し勿体無い。
リンは洋食の列に加わると、大して待たずに食事が並べられたテーブルへと行きつく。クロワッサンやトマトとアボカドのサラダを手に取って、更にスモークサーモンを気持ち多めに取った。
(のんちゃん、これは、あげるね……?)
完全に気を遣われてるな私。
(別にいいよ。リンが食べたいものが私の食べたいものだから)
(のんちゃんが食べたいものが、私の食べたいものでもある)
(言うねリン)
(そ、そういうことは正直に言ってほしい。のんちゃん、ひ、秘密主義なところあるから)
む……。
何も言い返せない。リンにもみこみーにも話していないことは幾つもある。前世の話はその一つ。さらに話しづらいのは私が未だに消えようと考えていることだ。無論リンが自立した後の話で、今は良くともいずれは私の存在は邪魔になる。異物は異物らしく、不要になったら消えるべきだと私は思う。守護霊になる意思はあっても背後霊になる気は毛頭ない。
リンはバイキングの料理を取り終えると、空いている丸テーブルの一角。どうも自由席らしい。ふとみこみーを見れば、漸く料理を取り始めるところまで進んだようだった。
(ま、待つ方がいいかな……?)
席に座って悩むようにみこみーの姿を見るリン。
昨夜の出来事があってから少しはみこみーを認めたのか、みこみーに対する対応が柔らかくなっているな。
ただ私が安直に助言をしてもリンの情緒が育たたない気がする。
(リンはどうしたい?)
情緒教育にしては幼稚すぎる気もするけど、こうやって自分で判断を促せばきっとリンの自立も早まるはず。
(……ま、待つ。一応あんなのでも、のんちゃんの友人)
自分の友人とは言わないんだ。でもまあ天敵とか排除対象とか言わなくなったから進歩とも言えよう。
「待っててくれたんですね! リンちゃん天使!」
待つこと暫し、みこみーがようやく自分の食べる分を盛り終えてこちらにやってきた。
それにしても凄まじい量だった。お盆の上には朝食用の小ぶりな丼を三つ乗せ、その全てが海鮮丼だった。右からマグロサーモン丼、いくら丼、イカエビウニ丼という組み合わせ。大食いファイターかな?
さしものリンも天使という言葉よりもみこみーが持つ朝食の方に意識が行ったようで、明らかに異質なものをみるような目で頬を引き攣らせた。
「そ、それ全部、食べるのか、お前……」
「えへへ~やっぱり北の大地といえば魚類共を食べないと始まりませんからね!」
「そ、そうじゃなくて……」
「あ、さてはリンちゃん本当は海鮮食べたかったんですね~? どれか一つ要りますか?」
「い、要らない!」
リンはみこみーの食欲旺盛さにツッコむことは諦めたようだった。葉山牛を大量に持ってきたときも思ったけど、みこみー、さては結構健啖家だな?
いただきますと言ってリンはパンを小さな口に頬張った。みこみーもそれを見習ってか続いて復唱すると、いくら丼を頬張る。朝食用サイズの丼ものがそんなに大きくないのもあって、ぺろりと平らげるとお次はマグロに手を付け始める。そうやってリンが小さめのクロワッサンを二つ食べる間にみこみーはマグロ丼といくら丼を完食していた。
口元についた米粒を指でふき取って口に含むと、恍惚とした笑みを浮かべる。
「美味しい~~! やっぱり魚は北海道に限りますね!」
「す、すごい……そんなに朝から、食べれる気がしない」
「リンちゃんはもっと食べるべきだと思います! もっとふくよかになって抱き心地が良くなったら私は超ハッピーですので!」
ドカ食い教唆はやめてほしい。リンが興味を持ったらどうする。
デブリンになる未来を断ち切る言葉を考えていると、リンの視線がみこみーの胸に行った。
……ふくよかという言葉に反応したのか。確かに大きいよね。
(のんちゃん、もっと食べたほうが、大きくなるのかな……?)
(やめておいた方がいいよ。ああいうのは遺伝と聞いたことがあるし、無理する必要はない)
(そ、そっか……遺伝……)
意外と興味あるんだ。クラスメイトに気になる男子とかもいないだろうに……まあリンもお年頃ということだろう。こういう話題は私も立ち入りづらいから最低限の助言で留めておく。
「今日はどうする予定ですか?」
「ど、どうする……?」
リンは動揺したようにサラダを食べていた手を止める。
「いえ、折角だから函館を見回ってから帰るのもありだなと。家出、流石に続けないですよね」
「の、のんちゃん……」
蜘蛛の糸を縋るように私へと言葉を差し向けるリンに私は首を振った。
これはリンの問題だ。私じゃなくてリンが解決すべき問題だ。
(リン、私は何も言わない。リンが判断してみて。それがどう転がっても私はフォローするから)
酷な話だとは思う。でもリンに必要なのは飴じゃなくて現実に直面した経験だ。
「リンちゃん、私は味方ですよ」
言い方が厳しいと感じたのか、箸を置いてみこみーが拳を軽く握った。
リンは怯懦に震える顔をしつつも顔を上げる。
そうだ。リンにはみこみーがいる。まだ苦手意識を持っているようだけど、この感じなら裏返るのも時間の問題のように思える。
みこみーならリンを任せられる。私が消えた後もリンを見捨ることは絶対にしない。
まあ今はその件はともかくだ。
リンは私が助け舟を出さないと見るや、おずおずと意見を口にする。
「か、帰る……結局、保護者がいないと、な、何もできないから……」
「分かりました。じゃあ観光したら帰りますか」
「か、観光……?」
みこみーは腕を上げて、天井を指差しながら堂々と言い放つ。
「函館まで来て、何もしないまま帰るなんて勿体ないこと出来ませんよリンちゃん!」
─── ─── ───
とまあ、みこみーの私情によって私たちはまず函館山に向かった。昨日野宿しようとした公園の近くにあるロープウェイ駅でぐんぐんと山を登って、すぐに登頂。眼下の景色は函館の朝を一望できる素晴らしいものだったが、生憎とリンはそれよりみこみーが気になるようだった。朝日を浴びる函館市街を傍目にみこみーの横顔をちらちらと一瞥するリンにまじかと思う。違うよねリン。まさかだよねリン。百合の波動とかじゃないよねリン。いや時間の問題とは思っていたけどさ、早すぎる。
一方でみこみーは眼下の景色しか興味を持っていないようで、リンの視線には気づいていないようだった。
……なんだろう、ちょっと複雑かもしれない。本当に複雑だ。私がどうこう口を挟める話ではないのもあって言葉にならない。流石にほの字とかじゃないと思いたいけど、うーん。一旦忘れることにする。した。
「あれ、リンちゃんどうしました?」
しかし、みこみーも頻繁に横から視線が飛んでくれば流石に気付いたようで、小首を傾げながら疑問を口にした。
「な、何でもない。変な顔をしてたから、見てただけ!」
「ん~そんな変な顔でしたか私?」
「存在そのものが変!」
「酷くないですか!? え、私何かしましたかリンちゃん!?」
これはみこみーに同情。リンなりの照れ隠しだから許してほしい、というか本当にごめん。後でリンに注意と、みこみーにはフォローを入れなきゃならないかな。
騒ぎ始めたみこみーから視線を逸らしてリンは答えなかった。
函館山を後にして赤レンガ倉庫と海鮮市場へ行った。みこみーは完全に北海道旅行気分で「次はあの店入りましょう、絶対あの服リンちゃんに似合うと思うんです!」「函館といえばラッキーピエロ! ラッキーピエロですよリンちゃん!」「白い恋人じゃなくて冷凍ズワイガニ買うのもありですかね……リンちゃんはお土産何にします?」と元気溌剌としている。みこみーに振り回されたリンは次第に疲労困憊な表情になっていき、最終的にはみこみーをお土産屋に放り込んで自分はこっそりベンチに座った。
「な、何であんなに体力あるんだろう……のんちゃん、交代して」
交代したとて体力自体は引き継がれるんだけどなぁ……しょうがない。新幹線に乗るところまでは気張ろうじゃないか。
意識が明転すると一気に疲労感が全身に伸し掛かる。昨日の疲れもあるのに、朝からノンストップで観光し尽くせばそりゃ疲れるよ。
引き続きベンチで寛いでいれば、みこみーがお土産袋を提げてやって来た。
「お待たせしましたー! のん先輩はお土産買わないんですか?」
「まあね。リンが要らないのに私が買っても仕方ないし」
それにしてもホントよく気づく。
声音で判断してるならまだしも、言葉を交わす前から私とリンを見分けるそのメソッドは本当にどうやっているのか。
「のん先輩、リンちゃんはどうしましたか?」
「多分寝たよ」
「あぁ……少し振り回し過ぎましたかね」
「いいんじゃないかな。リンも楽しんでいたみたいだし」
みこみーに対する口こそ未だ良くないけど、それでも前より態度は軟化している。
「そうですかね……そうだと都合、じゃなくて嬉しいんですけど」
「みこみ、漏れてる漏れてる」
「いや本当ですよ? リンちゃんのことは好き好き愛してますので!」
それは知ってるし過剰な愛情だとも思うけど、それと都合が良いという言葉は矛盾しないのだよみこみー。そういう腹黒な面を見せるからリンから訝しまれるんだ。
「あ、のん先輩のこともビッグラブ&ウェディング.featみこみーですので」
「ごめん、意味がよく分からない」
「要するにみこのん原理主義同担拒否ってことです!」
「もっとよく分からなくなった」
みこみーの言う事は難解だ。言わんとするニュアンスは何となく分かるけども。
不意にスマホの時計を見れば午後2時を越していた。そろそろ函館を出て、新幹線駅の新函館北斗へ行かないと帰るのが深夜になってしまう。
「みこみー、そろそろ時間だよ。出よう」
「名残惜しいですけども……分かりました。今度はちゃんとした形で旅行行きましょうねのん先輩!」
「………………まあ、検討はしておく」
「何でそんなに長考するんですか!?」
私もリンも基本引きこもり気質なのだ。許せみこみー。
来た時と逆ルートで戻っていく。新函館北斗に着けば、新幹線のチケットはその場で購入。平日の真昼間だからか指定席もそこそこ空いていて、窓際2列をみこみーと横並びで取った。
「そうだのん先輩、修学旅行しませんか?」
新幹線が来るまでの待合室でみこみーがまた何か言い出した。
「修学旅行?」
「桜舞学院の修学旅行ですよー。さっきの話の続きじゃないですけど、我々桜舞学院の高校生としては修学旅行とかまだしてないですし、秋の京都に行くとかどうでしょうか?」
「それ、ただ普通に旅行したいだけの口実でしょ」
「そんなことないですよー! もーのん先輩ってば勘繰りすぎですってー!」
「旅行中に配信はするの?」
「あ、そろそろ新幹線が来ますね。移動しましょうのん先輩」
話を逸らすな。本当に私とリンと旅行したいだけじゃん。
Vtuber活動を疑似餌にして私を吊り上げようと試みるみこみーを抗議の目で見つつも、新幹線の時間は本当だったようで腰を上げる。
既に駅のホームには今から乗る予定の新幹線が停車していた。何なら折り返しの清掃も終わっていたらしくドアも開いている。
乗って、座って、動き出す。
北海道の豊かな景色が暫し流れ、青函トンネルが齎す海底の暗闇に車内が包まれる。
席は疎らにしか埋まっておらず、私とみこみーの座るE席D席の前後列は空席。同列のA席B席C席も誰も座っていないとなれば、みこみーに意識が向くのも仕方がないことだった。
みこみー。
私にとってはみこみーは大切な人だ。この世界で一番と言いたいくらいには。
窓の外に向けていた視線を車内に戻して、みこみーの横顔を盗み見ると、視線が合った。頬に春風の暖かさが差し込む。
「目が合いましたね」
私の視線に気づいて、お淑やかに相好を崩した。
数えるほどしか会っていないのに、見ると異様に安心してしまうになるその双眸。言葉を丁寧に折り重ねてくれそうで、何もかもを吐露しかくなるその唇。
ああ。何かを言わないと駄目だ。
「みこみーはさ、将来どうするの」
不意に口をついて出た言葉がそれだった。何を言ってるんだろう私は。
虚を突かれたのか、みこみーは一度瞬きをして、考えるようにゆっくりと言い出す。
「就職すると思います。両親の言い分に従うわけではないんですけど、今後ずっとVtuber1本で食べていくのは少し私には難しいと思うんです」
意外だった。Vtuberとイラストレーターの二足の草鞋を履くのかと何となく思っていたから、みこみーが就職なんて思いも寄らない言葉だ。
私はインターネット上のみこみーしか知らないからOL姿でキビキビと社会で働く想像がつかない。それにみこみーは私の隣で働きたいと言うかと思ってしまった。
「そうかな。今と同じペースを続ければ食べていけるんじゃない」
「のん先輩、私はVtuberに夢を見ていないんですよ」
「そうなんだ」
「vtuber活動というのは本職でやるにはリスクがあると思っていて、ご存じの通りプラットフォームに依存しちゃうので単価削減やプラットフォーム自体の方針変更の煽りをもろに受けます。それに印象商売というのも大分マイナスだと思っています。常に新しい話題を供給してインパクトを与え続けないと視聴者から見放されちゃいますから。加齢に伴う声質の変化とかも考えると、のん先輩には申し訳ないですがずっとは出来ない仕事です」
トンネル内の通り過ぎる照明がみこみーの真摯な表情を波打たせる。
みこみーがそこまで考えているとは思ってもみなかった。いや、逆か。女子高校生でその考えに至っているのはあまり一般的じゃない。普段はそんな素振りを見せないけど、頭の良いみこみーだからこそ理想主義者で近眼的な私と違って現実的な見解を有しているのだろう。
「それにリンちゃんを養わないといけないですしね」
「本気で言ってるんだ」
「大本気ですよ」
疑ってるわけじゃないけど思わずみこみーを見返してしまう。
「じゃあみこみーとは社会人になるまでか……」
言っていて胸が寂寥感で包まれる。まだ4年もあるというのに、きっと私はずっとみこみーと活動できると無意識で考えていたのだ。
みこみーは首を横に振った。
「いえ、就職したら副業としてやるつもりなので続けますよ。のん先輩の隣を他の人に譲りたくないです」
「みこみー以外を隣に置く気はないけどね」
「……はい」
口を開いたまま少し目を逸らして控え目に頷いた。みこみーは押すことには慣れているけど押されることには不慣れだ。
「みこみーさ、今日は家に泊って行かない?」
つい口から出た言葉にみこみーは虚を突かれたように私に視線を戻した。
「え? 望むところですが……どうしました?」
「私はみこみーがリンの保護者代わりになるのは賛成なんだ。リンは一旦持ち直したように見えるけど、多分、まだ不安定だと思う。リンもみこみーに心開き始めた気がするし、どうかリンを支えてほしい」
リンは私以外にも信頼できる人間を作るべきなのだ。特に私は幽霊みたいなもので、リンの身体を借りてでしか現実に干渉できない。そうじゃなくて、ちゃんと生きている誰かと繋がってほしい。それがゆくゆくはリンの人生を照らし上げる。
鉄は熱いうちに打てではないけれど、リンが絆され始めた今こそ好機だ。
「分かりました! 言われるまでもなく私はリンちゃんの味方です! 力になれるなら火の中海の中ですよ!」
悩む余地すら無く即答で破顔するみこみー。正直そう言ってくれると思ってた。
茶化すような顔色で言葉を続ける。
「ただ、リンちゃんじゃなくて、のん先輩に離れたくないから今日は隣にいてって言われた方がみこみー的には熱かったんですけど如何でしょうか」
「みこみー、自重」
みこみーは本当にシリアスが継続しない性格だ。
そんなことを思っていたら青函トンネルを抜けて、車内に陽光が差し込んだ。
─── ─── ───
東京駅までは5時間弱。この移動の間でリンが目覚めて、みこみーが相変わらず「あ、リンちゃんおはようございます! いまは花巻あたりですよ!」と即座に入れ替わりを察すとリンは気持ち悪がって座席の許す限り席間の距離を置いた。ただすぐに「ち、近づかないで御湖沢、暑い!」「えー? 何か言いましたか?」「な、難聴系……!」と寄せてくるみこみーの無敵ぶりにはあまり意味は成さなかったけど。
その後、メトロポリタンな東京駅で新幹線を下車。在来線で移動した後にバスにて移動すること1時間。見慣れた駅前商業施設が家出のお出迎えしてくれた。
「ほ、本当に来るの……?」
「はい。駄目ですかねリンちゃん」
「の、のんちゃんが言うなら……駄目じゃないけど」
道中でみこみーにはリンの家に泊まっていくことを本人に説明してもらった。最初こそ「そ、それは、まだ早いから!」と強く反駁していたリンも私が誘ったと言えば一気呵成さを失い、勢いでお泊まり会の流れは成立。
これでみこみーとリンの距離が近づけば良いんだけど……。
リンの中の信頼できる人間という枠組みが広がれば私への比重も減るだろうし、所詮私はいつ消えても可笑しくない幽霊みたいな存在なのでリンには頼れる人間が必要だ。私が消えた後でも生きていけるような、そんな生活基盤を整えないといけない。最近はずっとそんなことを考えている。
みこみーとリンはバス停で並びながら談笑を続ける。リンがおっかなびっくり言葉を引き出し、みこみーが微笑む構図だけ見ると姉妹っぽい。
「いや~楽しみですね!」
「は、配信は家でやるの? マイク、1本しかないけど……」
「配信なんてやりませんよ?」
「え、え?」
「記念すべき初お泊まり会を有象無象の見世物にしたくはないですからね!」
「ほ、本当に、お前Vtuber?」
「そう呼ばれる活動はしています!」
胸を張って宣うみこみーへリンは怪訝に眉を顰めて呆れて見せる。通常営業だ。
最寄りのバス停で降車すると歩いて5分程度。19時過ぎの夕闇を纏わせた閑静な住宅街を、街灯を頼りに進んでいく。
「この前ぶりに来ましたね」
やがて家に到着するとみこみーが口を開く。そう言えばこの相棒、つい最近また家凸してきたんだよな。
それを思い出してかやや渋い表情のリン。
「こ、今後は来るなら、せめて連絡して」
「え!? 連絡すればいつでも入れてくれるんですか!?」
「そ、それはない!」
「なんだそうですかー」
露骨に肩を落とすみこみー。そりゃそう言われる。
自宅の鍵はバックの底に仕舞っていたようで、取り出すのにやや苦労しつつもリンは鍵を回す。
ドアを開くと見慣れた廊下。一人分の生活感が保たれたリンの家。
の、はずが違和感。
「───あれ、どなたかいるんですか?」
違和感の正体を探して理解した。
みこみーの細まった目が向けられた先に、黒い男性物の革靴。当然見覚えなどあるはずがない。
リンが不在だったこのタイミング、こんなものが玄関に置かれている理由なんてほぼ一つ。スーツ姿で訪問してきた律儀な窃盗犯でもなければ───持ち主は父親以外に他あるまい。
2人がそのどれかを理解するのに数秒と要しなかった。
リンは身体を震わせて、ゴクリと生唾が喉を鳴らす。
「りんちゃん、上がりますね」
「う、うん」
みこみーは靴を脱ぐと、革靴に対抗するかのように丁寧に揃えた。
それを追いかけるようにリンもぎこちなく靴を脱いで廊下へ上がった。冷や汗で首筋がひんやり湿る。心拍が跳ね上がっていく。
(リン、落ち着いて。何かあっても私もみこみーもいる)
(…………う、うん)
一拍置いて相槌が返ってくる。
相当緊張してるな、リンは。
無理もない。2年は会っていない、自身を捨てた父親との再会はストレスを覚えるだろう。なにせ思春期の2年は大人以上に長い。
「リンちゃん、ここまで来たら私も家庭問題に口挟みますよ」
みこみーも察していたらしい。リンの父親が来ていることを。
その上で堂々と立ち向かおうという気概十分な眼差しに、リンは無言で頷く。みこみーがいれば心強い。
「で、でも……最初は私が行く」
「分かりましたリンちゃん」
みこみーを追い越して、仄かに顔を青褪めさせながらも前へ行く。
こうして見ればリンも成長している。
初めて会った時よりも、だいぶ。
長くもない廊下を進んで、リビングと部屋を隔てる扉。
リンが恐る恐るとドアノブを回す。
リビングはリンも私もあまり来ない空間だ。基本配信拠点である自室に籠りがちな私も、自室以外の場所に落ち着きの無さを覚えるリンも、食事以外の目的であまり長居することはない。
そんなリビングのソファーに一人の男が座っていた。
高級そうなスーツを身に纏わせ、年齢を感じさせる小皺が顔に刻まれている。リンの年齢を考えても40代から50代程度だろう、だが眼鏡の奥から覗く怜悧な視線は全くと言っていいほど老いを感じない。口元には煙草が加えられていて、紫煙がゆらゆらと立ち上っている。
これがリンの父親。思っていた感じではないな。てっきりもっと粗野粗暴の豪快昭和親父みたいな風貌かと予想していた。
同時に、あの手紙の主と考えると合点がいく気もする。
リンはぎゅっと手を握って口を開く。
「た、煙草。ここ、禁煙」
その言葉に漸く視線をこちらへと向ける。
他人行儀で白々しい瞳。これが娘を見る親の目かと疑うぐらいに。
「ここは僕の家ですが」
「に、二年以上も、いなかったのに?」
「固定資産税は僕が払っています。登記簿の名義も僕です。喫煙を許される程度にはここの維持に骨を折ってます」
「そ、それは……」
「加えてですが、貴方には毎月生活費も振り込んでいます。その上で何か文句があるというのなら聞きますよ」
「……。」
リンが押し黙った。
挨拶すらなく、モラハラにロジハラか。どうもリンの父親は手紙通りの性格らしい。
合理と道理で人を殴るタイプだ。なんか、うん。元よりリン寄りの感情だった上にネグレクトしてたからうっすらと嫌いではあったけど、実際に見るとやっぱりその感情は間違っていないように思えてきた。私は嫌いだなこういう親。子供に無関心で、自分の都合だけを押し付ける姿は親のそれじゃない。
私が代わりに出ようかと考えたとき、みこみーが口を挟んだ。
「それを言うのであればリンちゃんには貴方に文句を言う権利はあると思いますよ」
「……すみません、どなた様でしょうか?」
「貴方の娘の親権を頂く予定の者です」
流石みこみー。一般JKが出来ないことを普通にやってのける。
みこみーの隔意を読み取ったのか、リンの父親は懐から携帯灰皿を取り出すと煙草を押し付ける。
「申し訳ないですが言っている意味が分かりませんでした。もう一度、赤の他人にも伝わるような自己紹介をお願いできますか?」
「そのままの意味ですけども理解が出来ないんですか。では分かるよう説明します。私はリンちゃんと今後一般養子縁組を結びたいと思っているただの大親友です」
大親友じゃないだろ発言の中身が。
みこみーの言葉にリンの父親は初めて動揺を見せるように、瞼をピクリと震わせる。
「やはり意味不明ですね。養子縁組とはどういう意味ですか?」
「ああ、理解ができないのならばまあお気になさらず。ともかく貴方はリンちゃんから文句を言われて然るべきだと私は思います」
「……まあいいです。ではその理屈をお聞きしましょう」
「リンちゃんは言いませんでしたが、大前提として、今しがた貴方がおっしゃったことは扶養義務を持つ親として普通のことです。衣食住を保障していることを大正義みたいに語るのは止めてください」
「その普通を維持することが社会でどれほど難しいことか、その若さでは分からないでしょうね。しかし足りない人生経験を責めるのは酷ですからね。構いませんよ、どうぞ続けてください」
薄暗く微笑むリンの父親に対して、負けじとみこみーは笑顔を剝き出しにしたまま目線を外さない。
「ええ続けますよ。親が娘を養うのは当然の義務です。でもそれは最低限度の生活の話だと私は考えます」
「憲法25条の話ですか」
「いいえ、心の話です。子供を……まだ中学生のリンちゃんを音信不通にして、ずっと一人きりにする親は親じゃないと思います」
リンを知ったばかりの頃、リンは消えたがっていた。希死念慮で身体を震わせ、将来に絶望する少女だった。
一人にするっていうのは、きっとそういうことだ。
友達どころか知り合いもいないリンにとって、親の存在は重要なはずだった。
「まあ他人からすれば変な家庭環境ですがね。これが一番安定した状態なんですよ。淋だって家族で暮らすよりも一人で暮らす方がのびのびと生きていけるでしょう。家庭の形は十人十色、外様の理解は不要です。それとも、淋は僕と暮らしたいですか?」
反駁しようとして、リンは唇を固く結ぶ。
……多分これはそう一辺倒な話じゃない。
一緒に暮らすのが嫌なのはきっと本当だけど、それを表に出すのをリンは嫌った。
家族に嫌われたくない。
きっとリンは目の前の父親を、今でも父親として認識している。
子供が親に嫌われたくないと考えるのはとても自然で、だから、なんというか───。
「卑怯ですね」
そう、それだ。
みこみーは私の心を代弁した。
「何が卑怯なんですか?」
「肯定されるとは微塵も思っていない質問を投げかけて、自分の思い描いた青写真通りの展開に持ち込もうとしているその傲慢な態度がです。そしてリンちゃんのことを考えているようで考えていない、その自己本位な姿勢全てです」
この父親はリンに対して親の義務を、自身の労力が最低限に済む形で合理的に果たそうとしている。それ故の無関心か。
リンの父親はその言葉にふむと唸る。
「否定はしませんよ。しかしまだ中学生の娘の前でする話でもないでしょうに」
「それを貴方が言うんですか」
「友人というのならば娘の心情をもう少し慮るべきではないかと思いますが」
「ああ言えばこう言うと。反吐が出ますね」
「……全く嘆かわしいですね。娘の交友関係に口出しする気はありませんが、このような程度の低い人と仲良くなってしまうとは、とんだ非行少女になってしまったものです」
「奥さんは今どうされているんですか?」
初めてリンの父親の表情が強張る。
「関係ないでしょう、他人の貴方には」
「ありません。でもリンちゃんには関係あることですよね。家族の話くらいしてあげたらどうですか」
「であるなら今すぐ出て行っていただきたいものです。家族の話は貴方のいない場所でします」
「うーん……しないですよね絶対に。今まで一度も話していないのが証拠です」
みこみーは少し考える素振りをして笑顔でそう切った。多分最初からそう言うつもりで話題に乗せたはずだ。
「証拠? どこに証拠があるんですか? まさかあの淋が全部包み隠さず話すとも思いませんし……」
「貴方がいない間にリンちゃんは変わってますよ。とはいえ、まあ今の話に限ればただの嘘ですが……」
「そうだと思いました。淋がそこまで打ち明けるとは思いませんから」
そこでみこみーが足を鳴らして大げさに一歩を踏み出す。リンの父親が驚いて、言葉を途中で止めた隙に言葉を挟み込ませる。
「でも証拠はあるんですよね。だって貴方は私に"今すぐ出て行っていただきたい"と言いました。これって要するに今まで話してないから出た一言じゃないですか。分かりやすい人が相手でよかったです」
「言葉狩りは止めていただきたい。全く、最近の若者は安易な強弁に頼るから困ったものです」
「まあ私も否定しませんよ。確かにこんなものは意味のないただの言葉遊びです。でもこれで私は確信を持てました。やはり貴方にリンちゃんを任せることは出来ません」
「はあ、そうですか」
「だから言わせてもらいます」
みこみーは言葉を一度止める。空気が引き締まって、ブラックホールみたくみこみーの瞳に吸い寄せられる。普段の可憐な円らな目とは違う、自分の意思を断じて主張する眼球。
何を言うかと思えば、みこみーの頭が唐突に下がった。ふわりと栗色の髪が宙で踊るように靡く。
「リンのお父さん、私にリンちゃんをください。私だったら貴方よりも2倍───。いえ、10倍、100倍だって幸せにできます」
リンも、リンの父親も、呆気に取られた。圧倒された。私だってそうだ。
みこみーの威風堂々たる様や、Vtuberとして活動してきて見た姿ともまた違う。
賢い人間ならば誰だって、ああしよう、だからこう言おうと後先を考えて行動を取る。でもそれが他人から見て迫力を与えるものかと言われれば、そうじゃない。
上手く言葉にできないけど、これが本当のみこみーの真骨頂で才能で。そう、みこみーには自分の意図に沿って人目を惹きつける天凛の才がある。脳を揺らし、脊髄まで言葉を植え付ける能力がきっとある。
「リンちゃんをいただけます、よね?」
みこみー、お前って奴はホントに……凄いよ。
─── ─── ───
リンの父親はそれ以上会話を長引かせなかった。
『まあ……。勝手にすればよいでしょう。養子縁組に署名が必要ですか? 望むなら差し上げましょう。僕は淋の父親ですが、娘に首輪を嵌める悪趣味はありません。淋が頷くならそうすれば良い、やらないのなら僕に従って生活すれば良い。それだけです』
明言はしなかったものの、勝手にしろとはそういうことだろう。
つまり、事実上認めたわけだ。
けどもリンの面持ちは明るくはない。
それもそうだろうなと思う。
普通養子縁組をしたところで、リンが親と絶縁になるわけじゃない。
でも関係性は遠くなる。大きな溝が二人を隔てるだろう。
その判断をするためには、リンにはまだ時間が必要だ。
だからみこみーはリンの父親が帰った後も具体的に養子縁組の話はしなかった。
代わりに予想外かつ、直近の別の話をした。
「い、一緒に暮らすって……の、のんちゃんどうしよう……!」
(リン、声出てる声出てる)
リンはきゃんと鳴いて小さな手で口を覆った。
困ったように私に問いかけるリンに、精神体の癖して頭皮が痒くなってきた。
まあ悩むのも無理はないか。中学生にはこれだって重い選択だろう。
───みこみーは大学合格を機に一人暮らしを計画しているらしい。
元はリンの家近くに住もうという腹積もりだと語っていた。いやそこは大学から近いところに住めよと思うけども、みこみーは相変わらずブレない。
今回の一件からみこみーはリンへ同棲しようという話を持ち掛けた。
で、迷ったリンがトイレと称してこの小さな一畳半に籠ったわけだ。きっとみこみーはリンが私に相談するところまで見破っているに違いない。
みこみーの提案は唐突すぎたけど、悪くない提案なのかもしれない。
本来、一人暮らしをする年齢ではない。精神性だって年相応かそれ以下で、成熟しているとは言い難い。
高校生……いや、春から大学生になるみこみーであれば、リンの支えになってくれる。前からそうだといいなとは思っていたけど、この二日で絶対的確信に変わってしまった。みこみーならリンを任せられる。
とはいえ、それを私が強いるとそれはリンの教育に良くない気がする。
もうリンは自分で判断できる。自分の進む道は自分で決められる下地がある。
だから私がすべきは、背を押すことだけ。
(リンなら大丈夫。何を選んでも上手くいく)
(そんな、適当な……!)
(これは人生の先輩としての助言。適当で根拠が無くてもいいんだよ。直感で良いと思った方向に進めばいい。理由は後で付いてくるし、理由がより良い方向に軌道修正をしてくれる)
(よ、よくわからない……直感でいいの?)
(そうだよ。まあ私が雑だからっていうのもあるけど……大事なのは自分の納得かな。納得できる選択をすればいいさ)
私はお世辞にも頭が良い方じゃないから上等なアドバイスなんてできない。便宜上の前世でもド三流な大学生だったわけで、講釈垂れるバックグラウンドも無いしね。
そういう役割はみこみーに任せる。決めた。これからはみこみー任せにしよう。大人げないとか言うなかれ。絶対みこみーの方が私よりも適性がある。多分、子育ての。
少し時間を空けて、リンは心の中で零した。
(……のんちゃんって、何歳なの?)
(そろそろアラサーかな)
(嘘なのに、のんちゃんなら有り得そうなのが、怖い)
信じられてしまった。いやまあ本当のことなんだけども。
リンが結論を出すのに、そう時間はかからなかった。
難産な蛇足でした。