目指せ理想の結婚! ――長命種族だけれど、現在、三百年行き遅れ中――   作:術の手下

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仕事よりも結婚したい

「あん……っ、うぅ……、はァ……」

 

 エルフのお姫様が飼っていた軟体生物にいけないことをされて、ドロドロにとろけたような顔をする絵が手元にはある。それを食い入るように見つめながら、忙しなく右手を動かす。

 

「うぅ……んっ、あぁ……、ひゃうん……っ、ふひ……っ」

 

 あぁ、私もこんな風にめちゃくちゃにされてしまったら……考えるだけでもたまらなくなる。絵の中のだらしないエルフと私自身を同期させて、空想に浸る。

 

「あ、あ……やっ……、うぁ……」

 

「あの……お取り込み中申し訳ございませんが、宰相殿がいらっしゃっておりますわ……わ!?」

 

「あうん……っ! ひ……? なんだアルリーヤか。今、いいところだったんだ。お前、私の邪魔するんじゃない!!」

 

 私の学生時代の同期で、唯一無二の親友である彼女であったが、時に空気の読めないことがあった。そこだけは、付き合いの長い私でも、嫌になる瞬間がある。

 

「邪魔って……。王立魔術院名誉顧問で、由緒正しき王家の血を引くあなたが……そんな真似を……はしたない……! よく平気でいられますわ!!」

 

「おい、アルリーヤ……! お前、なんと言った……! 今、なんと言った! 私だってな……愛する人と巡り合って……らぶらぶな、夜伽を――( )まさか、お前まで私のことを行き遅れだと……ぉ? 行き遅れだとぉ!! いくらアルリーヤでも許さん! 絶対に許さない!!」

 

 手当たり次第に周りにあった物を投げる。アルリーヤには、一つも当たることはないのだが、それでもだ。私のことをそんなふうに侮蔑するのは、誰であろうと許せない。許せるはずない。

 

「わ……っ!? その汚い手で実験器具に触らないでくださいまし……! わわっ」

 

 アルリーヤは、おたおたと、周りに散乱していく物を見つめていることしかできていない。ハッ、いい気味だった。

 

「だいたいですわ……そんな可憐な女性の汚される絵を見て自慰など、男性のやることでしょう?」

 

「ふん、ここに至るまでの筋書きが心をくすぐるものなのだ。なんなら、読み聞かせてやろうか?」

 

「どうしてよくも、そんなにも卑しい真似を……愛する者が見つからなければ、こうも人はおかしくなってしまうものなのでしょうか?」

 

 この良さを伝えようとすれば、すげなく断られる。私への棘も忘れず付け加えてだ。

 

「くぅ……許さんぞ……!!」

 

「わわわっ」

 

 アルリーヤに向け、再びものを投げつけるが、やはり当たってはくれなかった。

 こいつは、いつも、余計な一言が多いのだ。もう少し殊勝になってほしいと私は願っていたが、ついぞ、それは叶うことなく今に至る。

 

「名誉顧問殿……」

 

 そんなアルリーヤに構っていれば、ノックの音とともに、私を呼ぶ声がした。

 アルリーヤは、確か宰相のやつがやってきていたと言っていたか……。

 

「ふん、なんの用だ。これでくだらぬ用であったら許さんぞ? 言っておくが、私は見合いには興味がないからな……。見ず知らずの相手のところに嫁に行くつもりなど毛頭ない」

 

 ドアを開け、宰相と相対する。素朴にも、従える取り巻きどもはいないようだ。約束も取り付けずに、この私のところにやってくるとはどういう了見か、問いただす必要があった。

 

「……っ!? 名誉顧問殿におかれましても……」

 

「くどい。前置きはいい」

 

 格式ばった会話の滑り出しに苛立つ。

 私たち以外だれもいないだろうに、こういう迂遠な手順を忘れぬのが、この宰相の一族の良きところでもあり、面倒なところでもあった。

 

「では、本題に入らせていただきますが……クーエアに新設する魔法研究所の件について、具申したく参上いたしました」

 

「クーエアの……それがなんだ?」

 

「率直に言うと、今の計画のままに建設すれば、その費用で国が傾きかねない……」

 

「…………」

 

 この研究所の建設計画は私が組んだものだった。

 世界に類を見ない研究所となる予定であり、その建設のための費用は莫大なものとなる。

 だか最先端の研究をするためだ。そのくらいの費用、賄えてしかるべきだろう。

 

「失礼を承知で申し上げております。名誉顧問殿にこうして具申できるものは他におりません。立場の違いを承知の上で、命を懸けてここにおります。どうかご一考を……」

 

「……ふん、つまらぬ男だ」

 

 宰相になるように育てられ、宰相になるように育ち、そうして宰相になった。やはり、つまらぬ男である。

 

 幼少の頃より培われたその愛国心は、目を見張るものか。私は一つため息をつく。

 

「だが、クーエアの研究所は、世界初の高魔素状態の実験ができる予定だ。量子のくびきから解き放たれ、我々のまだ知らぬ魔力法則を見出せる可能性すらあるというのに、どうして手をこまねく必要がある?」

 

「名誉顧問殿の才気については充分に存じております。建設予定の研究所についての意義も……ですが、高魔素状態は未知の領域。名誉顧問殿の作り上げた理論にも、高魔素状態についてはなにも……。やはり、この研究所には予想される実益が……投資にもならないのでは……」

 

「終わりだ。この話は終わりだ。研究所は建てる。誰がなんと言おうと建てる。さっさと帰れ……! あぁ、そうだった。平和な王国内とはいえ、事故はおこるな。たとえばこの研究院と王城をつなぐ短縮路、ここに来るときは、あそこを通っただろう? 通る間に壊れてしまえば、ミンチは免れまい」

 

「……っ」

 

 たしか、あれは三百年くらい前の内紛だったか。

 魔術理論に無頓着な敵兵を、短縮路の中に誘き寄せ、全滅させた記憶がある。

 

 短縮路は使い勝手がよく重宝した。短縮路を考案した父様は、本当にさすがの一言だった。

 

「さぁ、帰れ。私は心が広いからな。私の目の前から、去ることだけは許してやる」

 

「名誉顧問殿……正気を失われたか……」

 

「……今の失言は、聞かなかったことにしてやる」

 

 肩を落として、宰相は去って行った。

 

 

 ***

 

 

「宰相殿は馬車で帰られましたわ?」

 

「短縮路は使わなかったか……」

 

 命を懸けて私を諌めに来たと言ったが、命を捨てるつもりではなかったようだ。賢明なことだ。

 

「よろしかったのですか? あんな脅すようなことをして……」

 

「これでいい。あれでも、賢い男だ。つまらん男だがな。最後の会話で察した……あるいはすぐに察するだろうよ」

 

「……?」

 

 私の言葉にアルリーヤはポカンとする。

 私の親友は、賢い方ではない。だから、こうなっているのだが、もう少しさきほどの宰相のように賢明に生きてほしかった。

 

「そうです。注意し忘れたのですが……下衣を履かないまま来客を迎えるのは、淑女としてどうかと思いますわ?」

 

「構わんだろ。どうせ呪いでまともに見られんのだからな」

 

 それは、私が母親から受け継いだ呪いだった。

 

 私の母方の祖先は、それはそれはとても美しい造形をしていたという。さらには、不変不朽であり、決して老いない。神の作りたもうた彫像が人となったとさえ言い伝えられる人物だった。人の形をした、人ではないなにかであった。

 その完璧な美と、完全な命により、多くの者を惑わして、彼女は当然のように争いの火種となる。

 

 多くの屍が築かれた後、当時名高い魔術師は、彼女に呪いを授けたという。

 嫌悪の呪いだ。

 以後、彼女を見た者の目には、その美しき姿は、醜く映る。かの女の美貌に、目を奪われる者はいなくなったという。それどころか、愛される者から、嫌悪の対象へと転じて、疎まれ、ついに彼女は孤独となった。

 

 その呪いは、子々孫々と受け継がれて、私の代に。

 

 ――エストリア……これは呪いではなく祝福なのです。

 

 けれど、母はそう言った。

 私たちに与えられたものは、姿形にとらわれない本当の愛を見つけるための試練であり、祝福なのだと。その言葉を、今でも私は信じている。

 

「ふふ……」

 

 父と母の姿に想いを馳せる。仲のいい二人が私は好きだった。

 いつか私もとそう思い、明るい未来に胸を弾ませる。

 

「正直、その呪い、どうかと思いますわ。もう解析も終わっていて、いつでも解呪ができるのでしょう? 解呪していれば、この歳まで……」

 

「私は真実の愛を手に入れられる。問題はない」

 

「その自信はどこからやってくるのでしょうか……?」

 

 じとーっとした目でアルリーヤは私のことを見つめている。

 たしかにこの三百年、私を真に愛してくれる人は現れなかった。けれども、これからはきっと違う。

 

「う、うるさい! 私は結婚するんだ! だれがなんと言おうとも、私は幸せになってみせる!」

 

「ですけれども、あなたは自分の評判ご存知ですわよね? 色恋などに興味がなく、求めるものは世界の真理――( )最高の魔術師、エストリア・ウルヴィト。三百二十五歳」

 

「ぐぬぬ……」

 

 見合いを断り続けていたゆえに、魔術の探求にしか興味のない女であるかのような根拠のない風説が流布されてしまっていた。

 魔術院や王城、それに学府の者たちはみな、畏怖の眼差しで私を見つめる。私のことを、みな、全てを捨てて人生を捧げた敬虔な魔術の信徒と思っているに違いない。

 

 それにしても、三百二十五という具体的な年齢を改めて告げられてしまえば、心にくるものがある。

 こんな歳になるまで私は何をしていたのかと、顧みる必要があった。

 

 魔術の研究以外のことが思い出せない。

 それ以外でかろうじて記憶にあることといえば、気に入った絵や書き物で、ときに特殊な道具を使いながら、性欲を吐き出すのみ。

 

「私は一体、なにをしていたんだ……?」

 

 そもそも、私は魔術に人生をかけるつもりなど毛頭なかった。愛する人を見つけたのならば、その人に合わせて生活し、魔術の探求を諦めてもいいとさえ思っていた。

 

 私の人生の第一目標は、結婚をし、子どもを産み、家族との幸せな生活を送ることだ。

 それなのに、本来の生きるべき道を蔑ろにして、魔術を、もう真理に届いたと言っていいほど極めに極めてしまっていた。

 

「はぁ……。考えればこのやりとり、いったい何度目でしょう?」

 

 たしかにこの三百年、似たようなやりとりをアルリーヤと繰り返していた。

 だが、もうこの年齢だ。流石に焦りを感じ始める。知的好奇心のまま生きてきたが、魔術に関しても、いい加減、研究する分野がなくなってきたところだった。

 魔術が全て既知となるのは、生まれた時から共にあった人生の友人を失うようなもの。もし結婚する前に、そうなってしまえば、お先真っ暗だ。

 

「結婚……結婚……」

 

「そんな虚ろな目でつぶやいて……恐ろしいですわ!」

 

 こればかりは私の問題だ。アルリーヤに八つ当たりをしてどうにかなる問題ではない。

 

 今までのままではいけないことはわかる。このままでよかったのならば、この三百年に結婚できていたはずだ。なにか方策を練らなければならない。

 

「あぁ、分からん……! もう、いい!」

 

 そういえば、絵を眺めて私は楽しんでいたところだった。

 宰相のやつに邪魔されたが、まずはこの苛立ちを解消しなければならない。

 

「……!? エストリア!? なにをしていらっしゃるのですか……!?」

 

「なにって、浴室に行くんだ。お前は出て行ってくれ」

 

 もう手早く済ませるつもりはない。本格的に……ともなれば、そういう道具の置いてあるところに向かう必要がある。

 

「あぁ……もうっ。もうっ、あなたは……っ!」

 

 そっぽを向いて、アルリーヤは出て行ってしまった。少し悪いことをしてしまったが、仕方がない。

 改めて、私は、一人の時間を楽しもうとする。

 

 不意に、音が耳に入る。

 

「ノック……今度は誰だ……?」

 

 アルリーヤではないことはたしかだ。あいつは絶対にノックをしない。

 

「名誉顧問様……!」

 

「入れ!!」

 

 腹が立った。

 今の私は、すこぶる機嫌が悪い。

 クーエルの研究所の他に、何か魔術に関する動きでもあっただろうか。まるで記憶にない。

 

「失礼します。この度は、名誉顧問様に折り入って話があって参りました」

 

 目の前の男は、やけに物々しい装いという印象をうける。

 一面に『緩衝』の魔術式の刻まれたローブや、『活性』の環型魔法陣が彫られた腕輪を筆頭に、その身につける装飾品は、どれも巷で一級品と呼ばれるような魔術式が描かれている。術式だけでなく、魔力の源となる魔石も豊富に身につけているよう。

 

「なんだ? 私は忙しい。手短にしろ!」

 

 ようやく思い出せたが、この男は、魔術院の今の院長だ。

 名は、ライナ・シルベス。三年前くらいに着任した。

 

 あまり覚えていないのは、院長選に、私の意向が関わらないからだ。

 私は栄誉職であり、魔術院の正式な一員というわけではないのだ。だから、院長選には参加できない。

 

 まぁ、私の及ぼす影響はこの国において絶大で、どうあろうと私自身の権限は保障されている。研究所の設立など、私肝煎の計画もいくつかあるのがその証拠だ。

 万一、私が院長選に口を出せば、皆が慮って私の意見に従うだろう。しかし院長が誰であれ、私が好き勝手できるのは変わらない。ゆえに、それは意味がないことだ。そうであるから、いちいち院長選などにめくじらを立てない。

 

 そうやって行われる院長選だが、言ってしまえば政治だ。

 このライナ・シルベスという男は、魔術への探求をおざなりに、政治により院長の座についたと、そんな印象が私にはある。

 

「では、手短に……エストリア・ウルヴィト……この国に、三百年蔓延る悪魔! 貴様には死んでいただく……!!」

 

 術式の書かれた鞘――( )あれは『隠蔽』か――( )から短剣が取り出される。

 執務ばかりの男にしては、思いの他にいい身のこなしで、その短剣が振われた。

 

「悪魔……? 私のことを悪魔というのは、あの気に食わない教皇どもだったな……まぁ、ずいぶんと昔に教会ごと滅ぼしたが……」

 

「く……やはり届かぬか……」

 

 振われた剣に対して、私は右手をかざした。

 私の身に秘めた魔力に反応し、右腕に刻まれた術式が発光している。

 

「その短剣の術式はオリジナルか? 見たことがない。……『崩壊』、『消失』、『反転』……まぁ、このあたりか……。だが、不思議だな……この魔術院の院長としては古臭い……。古典魔術……より昔……古代魔術か。あんな再現性のない御伽噺を参考にして、なにを研究してきたんだ? お前は?」

 

「その身に刻んだ術式の数々……神に与えられたその体を傷つけて……いったいどこまで神を冒涜すれば気が済むのだ!」

 

 囂々と私を非難している男は、今、憎むように私の体を睨みつけている。

 

「ふん、私だってどうかと思った! だから、魔術の発動時のみ目に見えるようになっているじゃないか! 愛するものとの触れ合いにおいては、なんら問題はない……!」

 

 私は、研究の成果を、世界の神秘をこの身に刻んでいる。もはや、極め続けたこの長い年月で、……すでに私の身体には、万物の法が集い切っているのだとさえ言っても、過言ではないだろう。

 

「ならば、これで……!!」

 

 男の懐から、球形の物体が転がり落ちる。

 魔石――直接、球型魔法陣が描かれている。見たことがある。これは……周囲の物質を反物質に変える術式……。

 

「正気か、貴様……!!」

 

 私の考案した術式であったが、その魔石は論文とともに厳重に保管されていたはず。たとえ魔術院の院長であろうとも、国王、宰相、騎士長、そして私の許可がなければ入れない場所だ。

 

「何に代えても貴様は殺す……! この暗黒の時代に終止符を打つ!!」

 

 ともあれ、対消滅により一帯が吹き飛ぶ可能性があった。

 こちらも同じ術式を使って再反転をするべきか、いや、反転から再反転までの一瞬に反応が起きてしまえばかなわん。わずかな反応でも、大規模な爆破となってしまうのだから、厄介極まりない。

 

 左手を翳す。左腕に刻まれた術式を動かす。

 

「くぅ……この術式は、流石に厳しいか……だが……」

 

 男の落とした魔石を不活性状態にまで安定させることに成功する。

 そのまま右脚に刻まれた術式を発動し、蹴飛ばし、術式ごと魔石を解体する。

 

 ひとまずはこれで安心か……。冷や汗をかかせてくれる。

 

「な、なにをした……!? この魔石ならば……なぜ発動が止まった……!?」

 

「なにって、時を止めたんだ。それにしても、今の量は感心しないな……? 危うく王都が吹き飛びかけたぞ」

 

 それほどのエネルギーを生み出す術式だった。

 万一にも私は死なぬだろうが、王都に滅びられてはいろいろと困る。私にもこの国への愛国心は、ないわけではないのだしな。

 

「と……時を……!? く……神を裏切り、神の御許から世界の真理を盗み出した悪魔というのは本当だったか……!!」

 

「どういう設定なんだ……? それは? 神なんぞ、この三百年生きてきて会ったことがない。もしいるのならば、是非とも会ってみたいものだな! その神秘を解き明かしてやるさ!」

 

 隙をつき、最初に私に向けられた短剣を奪い去る。手早く短剣に刻まれた術式を書き換え、崩壊式、消失式、反転式の三式を連立させる。

 まだまだ不細工だが、少しくらいは見れるものになったか。

 

「く……神に賜りし、宝具を……貴様は……!!」

 

「ほ、宝具……? 『魔遺物(レガシィ)』にしては貧弱な魔術だったな……だったら、歴史的な価値しかない骨董品……あっ……もしかして、やってしまったか? また私は歴史の研究家たちに怒られてしまう……勘弁願いたいんだが……」

 

 同じ探究者として、歴史の研究家を尊敬してはいる。だが、常に魔術の先を見る私だ。不必要だと思い、歴史的に価値があると言われているものをいくらか壊してきた。

 

「……どこまでも、我らを……!!」

 

 逆上し、身、一つで襲いかかってきた。魔術師というには、原始的な戦い方だ。

 奪った短剣を一振り薙ぐ。

 

「少し人に振るうには過ぎたか……」

 

 大規模な魔術が発動した手応えがある。

 即席で手を加えたゆえ、加減がうまくできなかった。

 

「うぐ……う……化け物め……」

 

「ほう……生きているとは……この剣は大した魔術ではなかったが、その防具の方はなかなかだな……。しかし……許容できる威力ではなかったわけだ。一度の発動で、全ての術式が焼き切れてしまっているぞ……?」

 

 基本的に防御の術式は魔力がなくなるまで、何度も使える。だが、限界値まで性能を発揮したとき、術式は魔力の流れに耐えきれずに今のように壊れてしまう。

 この男を守る魔術は、もうなかった。もう一振りすれば、この男は死ぬだろう。

 

「……ぐっ」

 

「聞いておくが、なぜこんなにも愚かな真似をした? 魔術院の最高管理者たるものが……。この不祥事……今からでも後始末に、頭が痛いな」

 

 この王都を消し飛ばそうとする者に、それが渡ってしまう環境ができていたわけだ。これでは、民も安心して眠ることができぬだろう。

 

「た……大義は我らにある!! 三百年前、我らの聖戦の折に聖地を奪い……! 魔術なる邪悪を源とする術を広め、我らの神の祝福を愚とし滅した。許されざる行為ゆえだ」

 

「基礎電磁魔術円型連立四式……答えろ」

 

「……!?」

 

 電磁魔法の基礎である魔法陣だ。

 これがわからねば、現代魔術の研究など、まずもって無理。いくら政治に長けた者とはいえ、知っていなくてはおかしい。そもそもだ。

 

「私の右腕に書いてあるこれだよ、これ。まぁ、これは環型魔法陣で、近似のないナマモノだが、一緒だ、一緒。ライナ・シルベスというのは……答えが忘却の彼方にあろうと、まず私の右腕を見ようとするような、強かで、それでいて目敏い男だった」

 

 院長たるその男のことを、直前まで忘れてはいた。だが、一度思い出してしまえば、その男について、芋づる式に記憶が蘇ってくる。

 奴は、実益を重視し、信仰などを持つための殊勝な心は、宇宙の彼方に置いてきてしまったと言える男だった。

 

「…………」

 

「つまり、そうだな――貴様は誰だ?」

 

「うぐ……っ!?」

 

 左腕の術式を使い、この者を地に押し付ける。自由を奪う。

 

 この者が偽物であるというのは間違いがない。

 変装か、あるいは別の方法を使っているのか、確かめる必要があった。

 

「ただ……神だなんだと宣うやつだ。言われずとも、おおかた検討がつく」

 

「ぐは……っ!?」

 

 男の腹を突き破り、飛び出してきたものがあった。

 

「『記憶の魔晶石』……そのカケラだな……。問題はいつ寄生されたかだ」

 

 犠牲となったライナ・シルベスの腹の傷を塞ぎながら、『記憶の魔晶石』について思考をめぐらす。

 

 それは私が八つ確認してきた『魔遺物(レガシィ)』のうちの一つだった。

 まず、『魔遺物(レガシィ)』。これは、現在の解明が進んでいる魔力法則とは式の異なる魔力法則をもとに、古き時代で術式が刻まれた魔法道具のことだ。

 

 そして、『記憶の魔晶石』。これは三百年前、私の滅ぼした教皇どもの保持していた『魔遺物(レガシィ)』であり、現代に残る負の遺産だった。

 

 この『記憶の魔晶石』には触れれば記憶が写しとられる。

 くだんの教会では、選ばれた敬虔な信徒が定期的にこの『記憶の魔晶石』へと触れ、記憶を保存、上書きする。そうして『記憶の魔晶石』に刻まれた人格により、死後も現世へとその人物が影響を与え続けられるというわけだ。

 

「はぁ……くだらぬ物だ」

 

 飛び出した『記憶の魔晶石』のカケラを、私の四肢に刻まれた力の術式を全て稼働させ、念入りに解体する。

 現代の魔力法則においては、私刻んだ術式こそが、最高のもの。ゆえに、なんの抵抗もなく、『記憶の魔晶石』のカケラは情報も残さず消え去り、魔素へと帰る。

 

 おそらくは、私に恨みを持つ者が、この男を乗っ取ったのだろう。

 厄介なことに、このカケラの近くにいるだけでカケラの中に宿る人格の影響を受ける。そうして一度、頭を狂わされてしまえば、体内へと潜り込まれ、死ぬまで術中というわけだ。

 

 もちろん、私は乗っ取られないための魔術が即座に発動できるが、さすがは『魔遺物(レガシィ)』といったところか、並の魔術では、その乗っ取りが防げない。

 

 この『記憶の魔晶石』のカケラは、三百年前の内紛で、教皇の手により、国じゅうに散ってしまったものだ。

 これに寄生されるのは、防ぎ用のない事故のようなもの。三百年の月日により、今では数を減らし、最近はまるで見なかったゆえに、油断していた。

 

「……うぐ……っ」

 

「気がついたか……」

 

 止血はした。

 私の魔法では、失った血を戻すことはできない。

 

「エストリア……様……」

 

「……っ!?」

 

 意外だった。役職ではなく、私の名を呼ばれるとは思わなかった。

 

「お見苦しいところをお見せしました……」

 

「休め……しゃべるな……死ぬぞ」

 

「あの忌々しき『魔晶石』が、私を蝕み、いくつかの身体の機能を代替していたことを知っております……この老骨の体力では……もはや……」

 

 先ほどから、この老人を生かすための魔術式を考えている。

 いくつか思い浮かんでいるが、どれも緻密すぎて、並の魔術師ならば間に合わない。だが、余裕はある。最悪はこの男の時を止め、考える時間を伸ばせばいいのだから。

 

「ふん、なにを言っている。百にもならぬのに老骨とは……だったら、私はなんだという? 安心しろ、私にはお前を生かす用意がある」

 

「あぁ……エストリア……。思えば私はこの名前に恋をしていた……。幼少の頃に読んだ魔術書に、私は感動いたしました……あの時、魔術の道を進むと心に決めたのです……」

 

「…………」

 

「ですが、私には、才能がなかった……。あなたの背を追うことすら許されなかった……。できることといえば、小細工を弄し、自らを偉大に見せることのみ」

 

 ライナ・シルベスは悔恨の顔を見せる。

 魔術院の院長とまでなった男だ。政治力ばかりと、私は評価していたが、それでも、ここまで上り詰めるには、並の努力では足らないのだ。自らを卑下する理由などないはずだった。

 

「だ、大丈夫だ。生きてさえいればやり直せる。できぬというなら、これから学び直せばいい。なんなら、この私が直々に教えてやっても構わないぞ……?」

 

「エストリア様……どうかこの老い先短い老体に、これ以上、恥をかかせないでいただきたい。あなた様に刃を向けたその上に、直々に魔術を賜るなど、とてもとても……。エストリア様、あなたは世界の宝です……どうかそのお時間は、これからの魔術のために……」

 

「あぁ、くそ……っ! 男というのはこれだから……っ!!」

 

 せっかくの私の提案を、意地や見栄で台無しにしてしまうのだ。

 そういうやつらは、命よりも大切なものだと、そろって口にする。命よりも大切なものなどないというのに。

 

「叶うものならば……あなたのおそばでと……ここまで……。最期にどうか……魔術を求める者の端くれとして、お願いがあります……」

 

 老人は、真っ直ぐと、濁りのない綺麗な瞳で私を見据えていた。

 そこに嫌悪感がないとわかる。私にかけられた呪いは、この男には気に留めるようなものではないのだろう。

 

「……っ……。……なんだ? 言ってみろ」

 

「あなたの身に刻まれた術式を、全て見せていただきたい……」

 

「あぁ、構わない」

 

 私は、全身に刻んだ術式を、全て可視化させる。

 四肢のそれぞれには力の術式。両の足から臀部、さらには下腹部には、物質を表す術式が伸び、それらは背にある熱の術式に組み込まれる。肩甲骨から首元まで、時空と真空の術式が連なり、両腕から背中までもに絡れている。

 全身の、あらゆる概念を内包するその全ては、ただ一つ術式として、胸に描かれた魔法陣の歪み、破れに繋がっている。

 

 ゆっくりと、私は回転をし、この身に刻む私の人生の成果を見せつけていく。

 

「……美しい……」

 

 たった一言、老人は感想を述べる。

 それなりに魔術に精通したものでなければ、そんな言葉も出てこないだろう。世界で最も難解であり、この魔術院でも本当の意味で理解できるのは私しかいないというのに……。

 

 その言葉を最期にして、老人は動かなくなった。

 

「…………」

 

 安寧を祈り、私は彼の額に口付けを送る。

 

 

 

 ***

 

 

 

「エストリア様……今日は……」

 

 墓を前に、日傘を差して祈りを捧げていたところだった。巡回をする墓守が私に話しかけてくる。

 痩身な壮年の男であるが、この男は墓を守る一族であった。彼らとは何世代にもわたり付き合いがある。

 

「あぁ、今日はいつものところじゃない。見ての通り、新しいだろ?」

 

 そう言って、私は墓を撫でる。

 その墓には、ライナ・シルベスという名とともに、『魔術を追い求め、その深淵の一端を掴んだ最高の魔術師の一人』と刻まれている。

 私の送った言葉だった。

 

「ご友人で……?」

 

「ん……あぁ、私に恋をしてくれた人だ」

 

「恋を……そうですか……」

 

 目を伏せ、彼は哀悼の意を示した。

 たとえ自分と関係のない間柄の相手にさえ、こうして敬意を払う彼らを、私は好ましく思っている。

 

「それにしても、長生きすると困ることも多いな……。こうして、参る墓も増えてしまう」

 

 もともと人付き合いが得意な方ではないが、それでも三百年という月日だ。

 どんなに長生きでも、人間の寿命はおおよそ百年。もう私と関わってきた人間は、数えれば、死んでしまった者の方が多いくらいになる。

 

「やるせないものですね……」

 

「だが、まぁ、愛する人と添い遂げれば、そのとき私は満足して死ねるだろう。私の母がそうだったように……」

 

 本当の愛を手に入れて、最愛の人とともにこの世を去った母のことを思い出す。

 あの人は、間違いなく、世界で一番しあわせな人だった。思い出は遠くなってしまったが、今でも私の憧れだった。

 

「…………」

 

 墓守は何も語らない。

 ここで誘いの文句の一つでもあったのならば、恋に繋がる可能性もあっただろうが、これではそんな未来も訪れない。

 

「まぁ、いい。とりあえず、これを持っておけ……」

 

 術式の書かれた紙を押し付ける。

 魔素の閉じ込められた魔法紙に書かれており、これ単体で『守護』の魔法が使える。昔の言葉で言えば、『護符』か。

 

「そんな……この間も……っ」

 

「ふん、遠慮をするな……。しばらく私は王都を開けるからな……その間に、ここが荒らされていたら敵わん。お前を信用していないわけではないが、念には念をだ……」

 

 王都を離れる原因はライナ・シルベスの件だ。

 例の『魔晶石』のカケラをチリも残さず分解したゆえ、証拠がなく、私の手による暗殺だ、謀殺だとか、ごたごたになった。私を失墜させようとする勢力が、やけにうるさく、少し田舎に逃げることにしたというわけだ。

 まったく、政治というのは面倒なものだ。

 

「そうですか……」

 

「まぁ、もらっておけ。不要だったら金に換えても構わん。それなりの値段にはなるだろう。……お前の祖父は、よく失くしたと言って私にせがんできたものだ。酒代に消えてたな……あれは……」

 

「……お恥ずかしい限りです」

 

 何度かこの話は繰り返している覚えがある。いや、それはこの男の父にだったか……。まぁ、その祖父に比べれば、この男は謙虚でなによりだ。

 墓守の男は、丁寧に私の送った魔法紙を、懐にしまい込む。

 

 そうして改め、墓守はこちらを向いた。

 

「王都を開けるとおっしゃっていましたが、どこに向かわれるのですか?」

 

「ん……あぁ、アステルクだ。あそこといえば、超重力研究所だな……。すごい研究所なんだぞ? 重力崩壊を制御しているが、なにかの弾みで事故が起これば国一つ飲み込まれてしまう。まぁ、この場合はこの国だが……ははは」

 

「さすがエストリア様……話の規模が……私では到底……」

 

「あ、あぁ……すまない……」

 

 貴族や、学院出身の者以外にこういう話をしても普通は通じない。ただ微笑ましく見つめられるだけだった。

 

「アステルク……アステルクといえば、魔王の封印の地としての伝説なんかも……。魔族を束ねた王の御伽噺……幼き頃に聞かされたものです……」

 

「魔王か……たしか、あれは、他に類を見ない魔法の使い手という話だったな……。だとすれば、研究熱心で、きっと魔術式に明るいインテリだったに違いない。封印という話だったが、実在するなら、一度会ってみたいものだ……私のまだ知らない魔術法則を知っているかもしれない」

 

「…………」

 

 なぜか墓守は、驚きと困惑の眼差しで、私を見つめていた。

 まぁ、いいだろう。

 

「じゃあ、そろそろ私は行こうと思う。あいつに参ってからだがな……」

 

「では、私は見回りに……」

 

「気をつけてな……」

 

 墓守の後ろ姿を見送って、私も歩き出す。

 

 向かう先にあるのは、私の唯一無二の親友の墓だ。

 三百年ほど経ち、刻まれた文字も掠れて読めなくなってしまっている。

 

 遠出をしているときを除いて、週に一度、私はここに通っていた。しばらくはここに来れなくなるから、その分もと参っておく。

 

 太陽が隠れて、冷たい風が強く流れた。

 飛ばされそうな日傘を閉じて、昔から変わらない空を見上げる。

 

「あのときよりも、ずっとだ……ずっと私は多くのことを知ったんだ。ちゃんと……私は幸せになれるよ……」

 

 

 

 




 tips


『王国』
 千年ほど前は世界の中心とも言える超大国であったが、三百年前にはすでに落ちぶれ、いくつかある大国の一つに成り下がっていた。三百年前の魔術革命による魔術の隆盛により、最近は勢いを取り戻しつつある。


『魔術』
 術式を用いて魔法を演繹する(すべ)。またはそれによって行われる魔法のこと。


『魔法』
 魔力の関わる、または魔力によって引き起こされる事象のこと。


『魔力』
 力の一つ。その伝達は魔素によって引き起こされる。


『魔素』
 魔力を引き起こす。自然界の基本的な粒子だが、特異な振る舞いをみせる。


『魔術式』
 魔力を導く式。まず魔術式を描く前に、数の規則と、自然界の深淵な法則を理解しなければならない。
 熟練すると連立魔術式、階層魔術式などが書ける。


『魔法陣』
 円型、環型、球型などの型に連立化あるいは階層化された魔術式のこと。基本的に円、環、球の三つの型のどれかで魔法陣は描かれる。


『魔石』
 結晶格子の中に魔素を取り込んだ石のこと。


魔遺物(レガリア)
 現在の魔力法則の通じない古の時代の遺物。現在の魔術理論では、起動するはずのない魔術式により働いている。古の時代には魔力法則が現代とは異なり、なんらかの原因でその古の魔力法則が保たれたままになっていると仮説が立てられている。


『エストリアの魔法紙』
 かつて墓守が酒代のために売った魔法紙は、当時学院の生徒である魔術に熱心な青年の手に渡っていた。のちに彼は憧れで魔術院の院長にまで上り詰めたという。



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