「当然、冗談に決まってんじゃん?」   作:にゃんこぱん

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エタる気がしてたんで最初から匿名で書いていたんですが、なんか行けそうなので匿名剥がします
1万3千字だから分割しようと思ったけどめんどくさいからやらねェ! おれの考えた最強の怪文書をくらえ! ウソダドンドコドーン!


バカでアホな、あたしだけの

 昔からそうだった。

 

 勉強が出来なかった。けどそれは別によかった。人には得意なことと不得意なことがある。たまたまそれが出来なかっただけで。

 

 運動は好きだった。人間と違う耳が生えていたから。なんでもそうだ。他のウマ娘たちと比べても、負けたことは一度としてなかった。勝ったらみんなに注目された。それだけだった。

 

 最初から出来た。それ以外は出来なかった。自分だけが正しくて、他の人たちは随分窮屈に生きているなぁと思った。けどそれは間違いだった。向けられた視線はたくさんあって、冷たかった。

 

 朱に交われば赤くなるという。逆説的には赤は朱に帰属する。

 

 つまりは、人は自分と似た人と仲良くなるということ。

 

 自分とおんなじ、おしゃれとカワイイが好きで、遊ぶのが好きで、勉強のできないバカ友達とつるんだ。でもそれはみんな同じだ。文学少年とアウトドア少女が仲良くなるなんてものは基本的には創作の中だけで、現実は画一的でつまらないほど残酷だ。

 

 ノリの中で笑って、心の奥底では自分も他人も同じように見下していた。どうせ僻みだ。嫉妬だ。自分が怖がられていることの裏返しで、自分が優れていることの証明だとすら思った。

 

 トレセン学園には自分の本当の居場所があると夢想していた。

 

 そんなものは本当は存在しないと分かっていたのなら、きっとレースには出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ついに10日前になりましたね!」

 

 桐生院がぱん、と両手を合わせて張り切った様子で言った。空元気かもしれない。

 

「ッス──……。ねぇ、誰来るんだっけ、ホープフルステークス」

 

「目下一番のライバルはロジユニヴァースですね! 強敵ですが、このままトレーニングを続けていけば十分に勝率はありますよ!」

 

「それ、マジで言ってんの?」

 

「当然です! ここで勝てば世代一番の注目株です! ナビはティアラ路線の先駆けとして阪神ジュベナイルF(フェリーズ)を制しました、この勢いに続いて頑張りましょう、おー!」

 

 少年漫画みたいなテンションの桐生院と、無表情でそれに同調し拳を上げるミーク。おー。

 

 それを無言で眺めていると、桐生院の笑顔がだんだんと引き攣っていく。やがて眉が段々と下がっていって困り顔になった後、天井に突き出していた拳をゆっくりと下げた。

 

「あたしのタイム、伸びてないじゃん。前と全然変わってない……」

 

「え、ええと……」

 

「参考タイム見てもキビくね。正直、めっちゃきついっしょ」

 

「う、ううん……」

 

「無理して盛り上げなくても現実は分かってっし。それでもやるしかない、そう言えばいいじゃん」

 

「…………はい。そうですね」

 

 ついに観念して桐生院は認めた。

 

 最高速度が伸びない。それが直面している課題だった。フォームの改善、スタミナとパワーの増強、レース展開。桐生院なりにそれらを叩き込んだつもりだったが、状況は芳しくない。

 

「でも、全部がダメってわけじゃないです。展開次第で勝ちを狙えるとも思います。でも最初から諦めていたら、可能性はゼロのままです。身体能力が伸びないなら技術(スキル)を習得して対抗しましょう」

 

「……あんたも大変よね。あたしみたいなヤツの面倒見なきゃいけないなんて」

 

 ジョーダンは未だ明日原の元へ戻らない。必然的に、担当チェンジ期間は延長され、ブエナビスタは未だに明日原の元にいる。

 

 不安になる。このままこの状況が続けば、ブエナビスタは明日原の担当になってしまうかもしれない。一時的とはいえ明日原の元でGⅠを勝利したんだ。ブエナビスタがそう望めば明日原は応えるかもしれない。

 

 そうなれば、自分はもうお役御免だ。桐生院の担当になるのか、それとも別の道に行くのかは分からない。だが──。

 

「そんな風に言わないでください。……あなたが望むのなら、今すぐにでも明日原トレーナーの元へ戻ることも出来るんです。今でも気は変わらないんですか?」

 

「あははっ、ついにあたしのことヤになっちゃった?」

 

「そんな、違いますよ!」

 

 自虐して笑うジョーダンに桐生院は叫んだ。

 

 トーセンジョーダンは見るからに精彩を欠いていた。メイクで隠しているが、目の下に隈が出来ている。寝不足のサインであり、早急に改善しなければならない事態だ。

 

 心に寄り添うことは難しい。信頼関係が構築されていないならば尚更。今のジョーダンに言葉は届かない。明日原に会わせる必要があるが──

 

「ごめんて。でもあっすーには会いたくない」

 

 本人がそれを避けている以上、無理強いするのも躊躇われる。無理矢理会わせた方がいいかとも思ったが、悪影響に働く可能性もある以上迂闊に動くこともできなかった。

 

 "やれることをやりましょう。人事を尽くして天命を待つ、ですよ"

 

 明日原がそう励ましてくれるような気がした桐生院は気合を入れ直して、グッと手を握り直した。

 

「分かりました。私も力を尽くして頑張りますから、あなたも──諦めないで」

 

 心に秘めた鋼の意志をもって、桐生院は歩き出してジョーダンの横を通り過ぎていく。

 

「トレーニングの準備をします。20分後くらいに第三トレーニングルームに来てください」

 

 ミークも桐生院の後に続いて、どことなく心配そうな瞳でちら、とジョーダンを見てから通り過ぎていった。そしてジョーダンだけが静かな部屋に残されて、ジョーダンはぽつりと呟いた。

 

「……ほら、無理じゃん」

 

 世間がクリスマス一色に染まっている頃、ジョーダンは生まれて初めてクリスマスパーティーをしないまま過ごした。

 

 密かに想像していた明日原と過ごすクリスマスの幻影は、音も立てないままに消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

  ー ー ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴールドシチーはある金曜日の夕方、寮から出てくるジョーダンを見かけて声をかけた。

 

「よっ、ジョーダン」

 

「……シチー。ちわっすー」

 

 誰の目から見ても一目瞭然だった。ジョーダンの調子が悪いことなど、誰が見ても分かっていたし、これはもうダメだなと心のどこかで思っていた。

 

 だから自分に出来るのは普段通りに接することだけ。

 

「これから?」

 

「ん。行ってくるわ」

 

 ──ウマ娘がスポーツバッグかキャリーケースを持って寮から出てくる時は、大抵の場合レースである。夕方に出る場合は開催地が遠く、前日入りする必要がある場合のみ。

 

 クリスマスが過ぎれば今度は年越しだ。レースのないウマ娘は帰省することも多いが、シチーは残っていた。今のジョーダンには、いざというときに隣にいてやれるヤツが必要だと思っていた。本来ならそれは明日原の役目だが、今のジョーダンがそれを拒んでいる以上──。

 

「見にいくよ」

 

「いや、いいっていいって。どーせあたしぜってー勝てんし」

 

 レース前のセリフにしては最悪の言葉だったし、ニカッと笑う諦めたような表情がダメだ。思い詰めているのは知っていたけど、ジョーダンは段々と仮面を被り始めていた。

 

 明日原と出会う以前の、気概だけは存在していたジョーダンに戻ったと言うべきか──いや、それよりも酷い。具体的にはなんかへらへらし始めた。

 

「それよりもさ、年越しどうする? 渋谷行かね?」

 

「……あんたね、ちゃんとしなよ?」

 

「分かってる分かってる。ちゃんと全力出してくるって。でもそれで負けても怒らんでよ? それがあたしの実力ってことなんだから」

 

 どうしてこんなことになったんだが、と呆れたい気持ちだった。明日原が何をしているかは知らないが、こんな状態になるまで放っておいた罪は重い。

 

「桐生院トレーナーはどうなの? すごい人だって言ってたじゃん」

 

「そーね。嫌いじゃないよ、フツーに。熱心だし、頭いいし。ほんと、あたしには勿体無い──」

 

 吐き出した息が空気に曇って溶けていく。年末、雪は降らないそうだ。

 

 空はジョーダンのことなど気にせず冬晴れだった。だがそれではまるで、夕日が澄み切るほどにジョーダンの心がどこか手の届かない場所へ落ちていくようで。

 

 シチーは腑抜けた姿の友人に張り手を食らわせてやろうと思って、やっぱりやめた。

 

「……全部、勿体無いよ。あんたみたいに優しいダチも、あたしには」

 

 ──が、やっぱりビンタすることにした。

 

 ぱちーん! 気の抜けた破裂音が冷たい空気に響いた。ジョーダンは避ける素振りも見せず、動揺もせず、ほおを赤くしたままへらっと笑っていた。

 

「もう一回同じこと言ったら、次はこんくらいじゃ済まさねーから」

 

「……やっぱり優しいわ、シチーは。絶交してもいいのに」

 

「しねーよ、バカ」

 

 シチーは割と本気めのデコピンを食らわせた。ゴールドシチーはキレ気味に尻尾を揺らす。

 

「ホープフルステークス、絶対に観にいく。動画も撮ってやる。全力で応援してやる。半端な走りしたら、一生許さんから」

 

 それを聞いて、ジョーダンは困ったように苦笑いして、ゴールドシチーを通り過ぎて歩いて行った。そのふらふらとした足取りで夕焼けの中に消えていくのを、ゴールドシチーは黙ってじっと見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ー ー ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 控え室。

 

「ジョーダン! 2番人気ですよ、やっぱり高く評価されてますね!」

 

 桐生院が駆け込んできた。ジョーダンは驚きもせずにそっちを見ると、桐生院が普段よりも2割増しくらいのテンションではしゃいでいる──フリをしている。どことなく痛々しい。

 

「あ、勝負服に着替えたんですね! よく似合っていますよ、ジョーダンさん!」

 

「ん……どーも」

 

 ──本当のことを言えば。

 

 最初に見せたい相手は、もう決まっていた。桐生院には悪いが、一番最初にこの晴れ装束を披露したかったのは──いや、もう栓無き事だ。自分で選んだことだろうが、ごちゃごちゃ思うなよ。

 

 数ヶ月前、GⅠを目指すと明日原と決めたその時から、少しずつ勝負服を作成していった。最終的に明日原が発注し、12月の初週あたりに届いた。その頃にはもうすでに、自分は明日原の元を離れていた。

 

 ──あいつは。

 

(あいつ、来てんのかな)

 

「前も言った通り、今日はリーチザクラウンに注意して行きましょう。先行、あるいは逃げの作戦に出るでしょうけど、引っ張られすぎないように気を付けて」

 

(来てるよね。……もしかして、ブエナビスタも一緒に来てんのかな)

 

「他の出走メンバーはあんまりパッとしません。だからバ群の中に埋もれてしまうのが一番避けるべきなんです。無理に大外を回っていくことも選択肢としてあります。ロジユニヴァースがどこにいるのか、常に意識して走ってください」

 

(嫌だな)

 

 どの口で──自分でその手を離したくせに。

 

「……とにかく、頑張ってください。培ってきたものを全て出し切って、明日原トレーナーにあなたの努力の成果を見せましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあジュニア級の総決算、GⅠホープフルステークスです。今日のメインレース。芝内回りの2000メートル、11人が集いました。一番人気はリーチザクラウン、二番人気に6番トーセンジョーダン、三番人気にはロジユニヴァースです。ジュニア級、早くも因縁の対決ですね』

 

『実はメイクデビュー戦でトーセンジョーダンとロジユニヴァースが対決していましたからね。両者早くも重賞を制したウマ娘同士の、ロジユニヴァースにとってはリベンジマッチとなっています』

 

 実況の声が響くバドック。順番にゲートに入っていく──6枠7番、隣にはロジユニヴァースがいた。そっちを見ると目が会った。

 

「……私は今日、あんたを叩き潰す」

 

 ハスキーな声をしていた。知っている。インタビューと同じ、冷めたような態度の中に荒れ狂う鬼を飼っているような、抜き身の刀みたいなウマ娘だ。

 

「トーセンジョーダン。あんたが絶不調でも、手加減なんてしてやらないから」

 

 ぎろりと冷たく光る瞳。ナイフでも持たせたらこっちのことを刺してきそうだ。ジョーダンはへらっと笑った。

 

「おなしゃーす……」

 

『では最後に11番トップグリフォード収まって体制完了です』

 

 実況がそれを告げた。冬だというのに、体が自然と熱くなるような気がした。

 

『ホープフルステークス、スタートを切りました!』

 

 前へ進むしかない。ゴールの先に崖があると知っていても、逃げ道なんてどこにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『少しばらけましたスタートになりましたが、人気のリーチザクラウンは好スタート。ハナに立っていくんでしょうか。中からはロジユニヴァースも前に行きました。トーセンジョーダンも追走していきます』

 

『人気の3人、その外から9番ロードロックスター。そしてその後ろ内からはマッハヴェロシティ、イグゼキュティヴ、外には10番のラドミラー。1コーナーに入っていきます』

 

『やはりリーチザクラウンが今日もハナに立つ形になりました。リーチザクラウンがハナに立って1コーナーのカーブ、2コーナーへと入っていきます』

 

『この辺りから少しずつ縦長になっていきます。3番のロジユニヴァースが2バ身から3バ身のリードを取りました。2番手に3番人気のロジユニヴァース、久しぶりのレース。そこから2バ身差で2番人気トーセンジョーダン、すぐ後ろに9番ロードロックスター。さらに2バ身差4番がトゥリオンファーレ、内に1番のマッハヴェロシティ、外にはイグゼキュティヴ』

 

『そして2バ身2番のスーパーマークン外にラヴィンライフと10番のラブミラーです。さらに後方からというのが11番のトップクリフォードという体制。1000mを1分ちょうどくらいで通過していきました』

 

『逃げる3番のリーチザクラウン、リードが3バ身ほどあります3コーナーをカーブして3コーナー中間地点へ向かっていきます。リーチザクラウンが3バ身4バ身のリードを保ったままリードがどんどん広がっていく状態になりました。2番手に6番のロジユニヴァース』

 

『その後ろ2バ身離れて3番手に7番トーセンジョーダン、さらに3バ身ほど離れてイグゼキュティヴという体制。外からはトゥリオンファーレ、さらに外に回そうというラビンナイフという体制で4コーナーをカーブしていきます』

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 体が後ろへ下がっていく。

 

 違う、前へは進んでいるんだ。だが周囲がそれ以上のスピードで走っていくせいで自分だけ後ろへ進んでいるように見えるだけだ。

 

(勝ちたい。それは本当に思ってる。勝てるんなら勝ちたいに決まってる)

 

『さあリーチザクラウンのリードがこのあたりで3バ身差、ロジユニヴァースはこの辺りに吸収された! 4コーナーをカーブ、後ろのウマ娘たちがやってきた! 先頭はリーチザクラウンで直線へと入りました!』

 

 歓声が盛り上がる。最後の直線、観客は大歓声とともにレースを見守る。夢と希望(比喩表現)を握りしめて熱狂している。

 

(身の丈って本当にあんだね。脚、進まねーじゃん)

 

 自分の横を過ぎ去っていく他の選手たち。右からも左からも、自分には目も暮れずに先頭へと差し掛かっていく。そんな必死そうな顔をしてまで何を目指している?

 

『リーチザクラウンが先頭2番手からロジユニヴァースが捕まえに行った! ロジユニヴァースが捕まえに行く! そして外からは、外から行ったのはトゥリオンファーレ! トゥリオンファーレがそこに迫っていく! 残り200を通過した!』

 

 苦しいのは、ずっとそうだ。夢があればこの痛みに耐えられるのだろうか。走ることへの恐怖も克服できるのだろうか。

 

 ──ワアアアアアアアアアアアアアアア!

 

 歓声が聞こえる。

 

 ──頑張れー! 行けー! 負けるな、勝てー! 

 

 ロジユニヴァース。リーチザクラウン。トゥリオンファーレ、マッハヴェロシティ。

 

 それぞれの名前がなんとなく聞こえた。応援しているんだろう。

 

 トーセンジョーダン! 頑張れー!

 

 応援してくれている。でも聞こえない。

 

 イグゼキュティヴ、ロードロックスター、ラヴィンライフ、スーパーマークン、ラブミラー、トップクリフォード。

 

 名前が聞こえる。

 

『リーチザクラウンが伸び悩むか! 先頭ロジユニヴァースに変わった! ロジユニヴァースが先頭! 2番手はリーチザクラウン! 3番手に4番のトゥリオンファーレ!』

 

(あたしを応援してくれるヤツって、結構居るんだ)

 

 大地を叩く11人分の足音。太鼓みたいな太い音。流れる景色、風が勝負服を揺らす。髪をたなびかせていく。冷たい空気、乾いた空、冬の宝塚市は寒かった。

 

 "頑張れ、ジョーダンッ!"

 

(……聞こえないじゃん、明日原。どこにいんの)

 

 身勝手でも──その声が聞こえたなら、自分は走れると思った。デビューからずっとそうだ。京都ジュニアステークスでも聞こえていた。体に溶けた金属を流し込んだみたいに熱くなった、辛くても力が溢れてきた。

 

 大歓声に混じっていた。会場には何万人もの応援が飛び交っていた。その中でたった一人の声など聞こえるはずもなかった。

 

 埋もれていく。前に何人いるんだろうか。嫌な予感、想像していた未来、それらが全て実現していく。ジョーダンが最も恐れていた光景が現実となった。

 

 "僕の全てで以って、君の力になりましょう。そしてレースでは君に聞こえるように、思いっきり応援を叫びます"

 

(なんだよ、聞こえないじゃん)

 

 ──覚えていたのに。

 

(うそつき)

 

 

 

 

 

『先頭はロジユニヴァース! ロジユニヴァースゴールインッ!』

 

 

 大歓声が会場を包んだ。ひらひらと待っていくバ券の一つに、トーセンジョーダンと書かれていた。

 

『ロジユニヴァース! 見事にGⅠを制してみせました! 静かにガッツポーズを決めたロジユニヴァース! 三ヶ月ぶりも何のその! 未勝利戦から札幌ジュニアを勝って、この年末の大一番を決めてみせました! クラシックに向けてロジユニヴァースが見事な勝利を収めました!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、どうやってライブを終えたのかジョーダンはあまり覚えていない。センターから遠く離れた場所で歌って踊っていた。きっと上手くできたと思う。そういうのは得意だった。

 

 気がつけばジョーダンは、控え室に座って、ただぼーっとしていた。時計の針が動くのをただぼーっと見ていた。桐生院が何かを言っていたような気もするが覚えていない。気がつけばただ1人、帰り支度もせずに座っていた。

 

 ドアノブが回る音がした。どうでもよかった、どうでもよくあって欲しかった。

 

「こんにちは、ジョーダン」

 

 明日原がいつもの調子でそこにいた。

 

 ジョーダンは何をするわけでもなく、ただそっちを見たくなかった。見られたくもなかった。

 

「初めてのGⅠはどうでしたか?」

 

 何も答えたくない。話すことが怖い。

 

 明日原はそんなジョーダンを見ると、ジョーダンから少し離れた場所の椅子に腰を下ろした。

 

「君もついに負けましたね。GⅠは甘くはありませんでしたか」

 

 耳を塞ぎたかった。でもそれも嫌だった。本当は今すぐにここから逃げ出したかった。

 

「あまり気を落とさぬよう。これを反省して、次に活かせばいいだけです」

 

 明日原が当然のようにそう言うから、ジョーダンはついに口を開いた。震えていた。

 

「……なんで」

 

 絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しくて、不安に満ちていて、驚いた。

 

「なんで、次とか言うの」

 

「それは言うでしょう。僕は君のトレーナーです」

 

「なんで、責めないの」

 

 ──怖かった。

 

 ジョーダンは明日原を恐れていた。より正確に言うと、明日原に失望されることがこの上なく怖かった。

 

「負けたんだよ、あたし。ボロ負けで……8着で。ひっどい走りだった、最悪だった。選抜レースの時と一緒だ、あたし何にも成長してなかった。なのになんで責めないの」

 

 明日原はその言葉を聞いて、やはりと言うべきか苦笑いした。

 

「責めるものですか。君なりの全力を出し切った……その結果に反省すべきことはあれど、責めることなどありません」

 

「……あたし、すっげー勝手にあんたのとこから逃げて、きりゅーさんにも迷惑かけて、その上で結果も出せなくて……ダメじゃん。バカじゃん、ただのクソ野郎じゃんっ! 見放してよ、もうこいつはダメだって諦めてよ! あたしはどうしようもないヤツなんだって認めてよっ!」

 

 そう叫ぶジョーダンと対照的に、明日原はひたすらに穏やかだった。

 

「君は、僕のトレーニングに何か不満があったんですか?」

 

「……ねーよ。何にもない、あんたは凄いやつで……」

 

「では、結局なんだったんですか? 僕の元でのトレーニングを、君が拒んだ理由というのは」

 

 明日原にとってはずっと明らかではなかったその理由。今になってようやく聴くことができた。

 

 ジョーダンは明日原の方を見ないように俯いて、それから堪えきれずに叫ぶ。

 

「だって……っ、わかんなかったもん、不安だったもんっ! あんたわかってんの!? あたし、あんたが思うようなすごいウマ娘なんかじゃない! あたしバカで、才能なくて……! 後悔する、あたしなんかじゃなくてもっとすごいウマ娘をスカウトしときゃよかったって……そう思う日が絶対来るッ!」

 

 曝け出したのは内面。トーセンジョーダンの抱えていた不安、自信の無さ、それに釣り合わないくらい優秀なトレーナーの存在。

 

「なんであたしなの!? あたしに優しくなんてしないでよ、怖いんだよッ! スピードもない、パワーもない! 根性なんて誰でも持ってるじゃんっ! あんたの担当があたしである必要なんてどこにもないじゃん、そうでしょ!? あんたに返せるものなんて何にもないんだよ!? 勝てないよ、あたしは勝てないっ! 無理じゃん、できないできないできないっ! バカなんだよ、あたしは役立たずのクズで! あんたの足を引っ張って! 時間を無駄にして、不幸にしてッ!」

 

 最初は幸運だと思った。運に恵まれ、自分でもできるかもしれないと本気で思った。だが段々と天秤が傾いていった。

 

 トーセンジョーダンの中に存在していた天秤が段々と傾いていったのは、天秤の両端が釣り合わなくなっていったからだった。

 

 明日原という存在に、自分が釣り合わない──そう思い始めたのは、ダイワスカーレットの存在を知ってからのこと。自分では三冠など取れないのに、どうして──そう思い始めてから、ゆっくりと天秤は傾いていった。

 

 そしてそれは、明日原とスカーレットがイチャついていた光景を見て完全に顕在化することになる。つまり大体の元凶は明日原だった。

 

「だから優しくしないでよ、期待させないでよ……っ! あたし、空っぽなんだよ。誇れることなんて何もない。あたし程度のものなんて、トレセンに来てるやつだったら誰でも持ってる。スカーレット先輩みたいになれない、ウオッカ先輩みたいになれない……っ! 無理だよ、あたしには絶対、あんな風には……」

 

 度が過ぎたプレゼントをもらっているようなものだ。最初のうちは嬉しいし、幸運だと思うだろう。だが積み重なっていくと不安になる。自分から何かお返しできるものがあればいいが、それが出来なければ不安定になる。何かをしなくてはならないと思う。

 

 でも、自分には何も出来ない──トーセンジョーダンは、本当の意味で自分を信じることが出来ない。明日原が信じている自分だから信じられていただけで、本当は自分に自信がない、ただの1人の少女に過ぎない。

 

「ジョーダン」

 

 そんな複雑な心を読み取ったのかは分からないが、明日原は変わらず穏やかなままで言う。

 

「僕が君を担当することになったのは、君が僕を選んでくれたからです。それ以上の理由など必要ありません」

 

 明日原は別に、自分には何も返ってこなくていいと思っている。そもそもトレーナーとはそういうもので、給料を与えられてやっている仕事でもある。ジョーダンに自分の力を全て注ぐことはトレーナーとして当然の職務と言えた。

 

 ただここでは、なぜ明日原がトーセンジョーダンを選んだのか──ジョーダンにとって重要なその部分こそ、明日原にとっては些細なことだった。だから食い違っていた。

 

「勝ちたいですか、ジョーダン」

 

「勝ちたいよ! でも無理なんだって、あたしはみんなみたいにすごくない! ずっと真面目にやったって無理なんだよ、あたし才能ないもん! ブエナビスタみたいにキレもない、ロジユニヴァースみたいな覚悟だってない! ペラッペラな紙切れみたいに、吹けば飛ぶようなプライドしか持ってない──」

 

「トーセンジョーダン。口を閉じなさい」

 

 明日原が少し強い調子で言葉を遮った。

 

「それ以上、僕の愛バを侮辱することは許しません。怒りますよ」

 

 ずっと穏やかなままだったが、その言葉には隠された圧力が籠っているように聞こえた。

 

「……嫌だ、やめてよ。優しくしないでよ。期待させないでよ。裏切るよ、あたし。ダメダメで、あんたがいなきゃ何にもできない情けないヤツなんだって」

 

 ブエナビスタ──彼女の存在が、ジョーダンに暗い影を落としていたのは。

 

 自分ではなく、ブエナビスタのよう才能あるウマ娘を担当に選んだ方が、明日原にとっていいんじゃないか──と、そんな疑問を生んでいたからだった。

 

「トレーナーは担当のために働き、身を犠牲にしてでも働きます。それは、担当の勝利を願っているからです。中央のトレーナーは皆そうです、何度負けようとも担当を信じているからです」

 

 だが明日原は、そんなジョーダンの疑問など些細なことだと言わんばかりだ。

 

「君が何度負けようが、情けない姿を見せようが関係ありません。それを修正し、鍛え上げ、勝たせることがトレーナーの仕事です。そうあることが僕の信念であり、君の担当であるという事実が僕の誇りです。立ち上がってください。君にそれが出来ると信じているからこそ」

 

 明日原は最初に、トーセンジョーダンという少女の力になりたいと思った。明日原にとってはそれだけだ。

 

「……無理だよ。立てない……」

 

 それを信じきれない。厳密には──明日原が信じる自分を、もう信じられなくなった。ホープフルステークスという大舞台でボロ負けした自分が、もう一度立ち上がれると思えなかった。

 

「君は立てます」

 

 明日原は何度でも言い続ける。"君なら出来ます"と。出会った頃から、それだけを言い続けている。

 

「トレーナーは味方です。何があろうとも、何度負けようとも、決して見放すことなどありません。トーセンジョーダン、僕は無条件で君の味方です。君の力となり、牙となり、知恵となり、君の進む道を照らす松明となります」

 

 ダメでもいい、負けてもいい。それを修正し、正しい方向へと導いていくのがトレーナーなのだと。負けても、次は勝たせるのがトレーナーの仕事なのだと。

 

「僕は君の味方です。何があろうとも」

 

「……嘘、吐くなよ。何があろうともって、嘘だよ」

 

「嘘ではありません。君がむしゃくしゃして人の一人や二人殺した程度であれば、僕は味方になって動きます。トレーナーとはそういうものです」

 

 大概無茶苦茶な言い分だったし、ありえない仮定ではあったが、少なくとも明日原は本気だった。

 

「……やめてよ。期待させないでよ」

 

 ジョーダンの中の天秤が傾きかけている。

 

「期待してください。何もかも背負わせてください。君の進む道の先にある栄光を、君の次に見るのは僕で居たい。それは僕のエゴに過ぎません。それでは不満ですか?」

 

「……ずるいよ。あんた、すっごいズルい」

 

「承知の上です。君が光り輝く太陽となることを期待し、無責任にもその側に寄り添いたいと願っています。トレーナーとは大なり小なり罪人に過ぎません。君の人生を消費して、自分の欲望を叶えようとしているだけです。君が罪悪感を感じる必要などどこにもありません」

 

 天秤が傾いていく。

 

「期待するよ。依存するよ。訳わかんない理由で怒るし、絶対めんどくさいよ。あたしのことわかってくれなきゃ怒るし、ちょっとでもほっとかれたら拗ねるし、嫌なことあったらあんたに当たるって。やめといたほうがいいじゃん、こんなメンドくさい女」

 

 望んでいる。拒んでいる。揺れている。

 

「問題ありません。そのどれもが君を諦める理由にはなりません。君の望みを叶えます。君の期待に応えます。君が求めるのならば何もかもを捧げても構いません。ただし条件があります」

 

 ──実のところ。

 

 明日原という男は、ちっともまともではない。

 

「目も眩むほどの光を見せてください」

 

 その言葉は。

 

「言葉を失うほどの栄光を見せてください」

 

 その表情は。

 

「誰も見たことのない景色を作り出してください」

 

 その仕草は。

 

「そしてそれを、誰よりも先に僕に見せてください」

 

 その声は。

 

「僕が誰よりも君の味方であることを許容してください」

 

 ──バカだ。本気でそんなことを言い放てるくらいの大バカだ。 

 

「これは取引です」

 

 いつまで経っても夢を語る少年のような、25歳にもなって無茶苦茶な夢を追い続けるバカで──

 

「スカーレットでさえ成し遂げられなかった、巨大な栄光──未だ日本のウマ娘が成し遂げられない前人未到の栄光を成し遂げてください。そのために必要な全ての要素は僕が揃えてみせます」

 

 詰まるところ、明日原はただのレース狂いのバカだということ。

 

「トーセンジョーダン。本当の意味で僕の担当になってください」

 

 似たもの同士なのかもしれない──だから、出会った。

 

 明日原が立ち上がって、座ったままのジョーダンに右手を差し出した。

 

「……仕方ねーなー、分かったよ。ワガママなやつ。あんたみたいな、どうしようもないばかトレーナーの担当になってやれるようなやつなんて……ばかのあたしがお似合いでしょ」

 

 反対側に天秤が傾いた。

 

「しょーがねーから、見せてやるわ」

 

 まだ自分を信じることは出来ない。

 

 けどやってみることにした。明日原の言葉を信じることにした。"君なら出来る"、その言葉だけを頼りに、トーセンジョーダンはついに腹を括った。

 

「……後悔しとけよ、明日原。こんなバカに捕まったの、あんたの方なんだから。……全部、あんたが悪いんだからね」

 

 おっと、風向きが変わってきた。

 

「もう逃げらんねーぞ。後悔したって、もう遅いんだからな。どうしてあたしなんて選んじゃったんだって思ったって悩んだって、一生逃げらんないかも知んないんだぞ」

 

 ん? 一生? 何を言っているんだろう。不思議だね。

 

 ジョーダンが明日原の右手を掴んで不敵に笑った。 

 

「……捕まえたかんな。振り解かなくていいんね。知らんからな、マジでどうなっても知らんからな。あたしみたいなバカがなんかやらかしたって、ぜんぶぜんぶあんたの責任だからね。あんたが悪いんだからね」

 

 いつまでもそんなことを言っているジョーダンに、流石に明日原が呆れて呟いた。

 

「……まったく。うだうだと面倒くさいウマ娘ですね、君は」

 

 初めて明日原は、ジョーダンにそんな揶揄うような言葉を言った。それがなぜだかとても嬉しかった。

 

「ほら、帰りますよ」

 

 明日原はジョーダン繋いだままの右手をグイッと引っ張り上げて、ジョーダンを立ち上がらせる。ジョーダンは明日原が意外と力が強いことを知った。男の人ってこんなに力が強いんだ。知らなかった──と、思っていたかは定かではない。

 

「ぼーっとしてないで歩いてください。帰って反省会です」

 

 繋いでいた手を離して明日原は言うが、ジョーダンはへなりと笑った。

 

「…………むり。もう歩けん。おぶってって」

 

 今日ばかりは明日原もクソデカため息をついた。

 

「はぁぁぁぁぁ……。分かりましたよ」

 

 慣れた様子でジョーダンを背負うと、明日原はさっさと歩き出していった。ジョーダンはまさか本当に背負われるとは思わず慌てていたが──自分の汗がスーツに染みることなど少しも気にしない明日原に気が付いた。

 

 そして明日原から見えないのをいいことに頬を緩めて両腕を首に回した。

 

「しょうがないヤツですね、君は」

 

「……うっさいし。嫌なら捨てればいいじゃん」

 

「捨てませんし、他の誰にも渡すつもりはありません。散々苦労して育ててきた担当です、そう簡単に手放すものですか」

 

 ──割と呆れ気味にそう言いながら歩く明日原。お前そんなことばっかり言ってるとスカーレットに殺されるぞ。

 

「〜〜〜〜っ! もう、うるさい。黙って……っ」

 

 その言葉の割りに、ジョーダンは明日原の首に回した両腕の力を強めた。同時に、この胸の鼓動がどうか気づかれてないことを願った。

 

「はいはい、了解しましたよ」

 

 その思いが通じたのかは定かではないが、呆れながら歩く明日原はジョーダンのことなどちっとも気にしていないようだった。そんなことある?

 

 それが無性に悔しくて、額をぐりぐりと明日原の背中に擦り付けるジョーダンの姿があったかなかったかは、割とどうでもいい話である。

 

 

 

トーセンジョーダン、ジュニア級戦績。

7月前半、メイクデビュー1着。

9月後半、OP芙蓉ステークス1着。

11月28日、GⅢラジオNIKKEI杯京都ジュニアステークス1着。

12月27日、GⅠホープフルステークス8着。

 

年度代表バ・最優秀シニア級ウマ娘:ウオッカ。

 

最優秀ジュニア級ウマ娘:ブエナビスタ、セイウンワンダー。

 

最優秀クラシック級ウマ娘:ディープスカイ、リトルアマポーラ。

 

最優秀シニア級ウマ娘:ウオッカ、スクリーンヒーロー。

 

一年目、終了。

 

 




プロポーズかな? 
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