ジョーダンのトレーニングを監督していた明日原の元に一通のLINEが届いた。ジョーダンがターフを走っているなら後回しにしたのだが、今は休憩中だ。
基本的にトレーニングは一人でやるよりも複数人で一緒にやった方が効果が上がると言われている。モチベーションもそうだが、周りと比較して行っていく方が色々な気づきもあるし、何より競争心が高まる。
一人でやらせてもいいのだが、ずっとそうだと流石に息が詰まるので、明日原は基本的にジョーダンをさまざまなチームに混ぜたりしてトレーニングを行っていた。俗に言う友情トレーニングというやつである。
こういう時、チームを持っているトレーナーというのは便利だ。色々と忙しいし、一人に当てられる時間は減るが、その分自主性が鍛えられるし精神衛生上良い。ジョーダンがよく一緒にトレーニングをするチームがある。
カノープス。かつて、ナイスネイチャやマチカネタンホイザといった歴戦の名バたちが賑やかに頑張っていたチームだ。
チームを率いるのは三笠という男で、トレーナー歴はもう6年ほどになるだろうか。前任でありカノープスを立ち上げた南坂の元でサブトレーナーとして経験を積み、今はもう引退した南坂に代わってカノープスを管理している。
GⅠを制覇したウマ娘を何人か抱えているかなり強いチームだ。ウオッカのライバルの一人でもあったスクリーンヒーロー(引退済み)、去年のダービーウマ娘のディープスカイ。今年クラシックを走るウマ娘が数人、未デビューの子達が数人というかなりの大所帯となっている。
「明日原トレーナー。次のメニューなんだが、アンライバルドを見ていてくれないか? お前の目から見て、コーナリングの問題点を指摘してやってほしい」
──など、人間性はさておきトレーナーとしては優秀な明日原の技量を借りることもある。ジョーダンはさまざまな刺激を得られるし、他のウマ娘との交流も図れる。お互いにウィンウィンの関係だ。
それはさておき、時間を確認するついでにLINEを見てみる。桐生院葵の名前、金曜日の夜空いてますか? よかったら用事に付き合って欲しいです……脳内スケジュールを捲ると開いている。OKのスタンプを返す。URAから出ているダイワスカーレットの公式スタンプを使うあたり最悪だった。
日常的なトレーニング、その日々に混ざる賑やかな出来事──。
桐生院はトレセン学園に入学してからの同期だ。トレーナー養成校は数あるために、初めて出会ったのはトレセンに来てからの話になる。優秀だが、なぜだかやたら愉快な人になっている印象。
ラーメンかそばかうどんか焼肉か。収入的には料亭に行っても構わないのだろうが、単純な好みが合っているのだろう。ともかく、トレーニングは順調に終わった。
ー ー ー
寒さ続く1月の夜に、吐き出した息が白く曇っていた。
賑やかな花の金曜日、その夜には仕事帰りの社会人たちがどことなく嬉しそうに歩いていく。それもそのはず、金曜日なのである。
桐生院はマフラーを巻き直してアイフォンを取り出した。着きました、と──視界の端に隠れているウキウキ二人組の存在は、なるべく意識しないようにしながら。
信じがたい光景だ。自分の誇りである担当の二人がマスクグラサンとかいう不審者でもやらないようなスタイルで遠くの電柱に隠れているのである。ウソでしょ……。
「桐生院さん」
後ろから突然声を掛けられて、驚いて桐生院はそちらを振り向く。何のことはない、明日原が同じく白い息を吐きながら立っていた。
「あ、明日原さん! 驚かさないでください!」
余談だが、学園にいるときは〇〇トレーナー、学園の外では〇〇さん、と二人は呼び方を分けている。意識の切り替えだ。
「おっと失礼。それで、今日はどこへ?」
「あっ、えっと──」
髪で隠している方の耳に装着しているインカムに音声。ミークがインカムを用意したときは正直目を疑った。
『01から00へ。スカイツリー……だよ。夜景ロマンチックで、一気に彼との距離を詰めよう……です』
『02から00へ! うぅ、緊張してきました……!』
ナビ。そんな報告は絶対に要らないよ──っていうか、まさかその格好のままついてくる気なの? 担当が職質に遭う気しかしなくて不安だ。だがもう聞く耳などもってはくれなかった。
「その、今日は……一緒にスカイツリーに行きませんか?」
「スカイツリー?」
明日原の反応も最もだ。普段ならば夕食を一緒に食べて解散みたいな流れしかなかった。微かに顔を赤くしながら桐生院は勇気を出す。
「は、はい。一緒に……だめ、ですか?」
「いえ、ダメという訳ではありませんが……」
ありません……が、なんだ。一体なんだというんだ。桐生院は緊張で逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。これは誰が聞いても分かるやつだろう。デートだ。どう見たってデートに誘っている。信じられないくらい緊張している。どきどき大作戦ってこっちがどきどきするだけの作戦ではないのか。
「なぜスカイツリーに?」
1番の鬼門が来た。この質問が最も難関だ。それらしい理由で誤魔化さないと。インカムから司令が飛んでくる。
『01から00へ。いつも通り、わたしたちをダシにしたらいいと思う』
(いつも通りって何ですか! た、確かに色々ミークのことを理由にしてカラオケとか水族館とか行きましたけど! 行きましたけど!)
やけにトゲのあるミークの言葉を頭の中で必死に否定するが、明日原がいるために言葉には出せない。というか無理があるだろう、01と02のレスポンスが謎の無言の時間を生んでこの上ないほど不自然だ。
「その、ナビに頼まれたんです。スカイツリーの限定のグッズがあるらしくて、トレーニングのご褒美にって」
桐生院は冷や汗を流しながら笑顔で嘘を吐いた。また担当をダシにして逃げる自分に呆れそうだった。
「……なるほど?」
「それで──」
問題なのは一つだ。スカイツリーに行く理由は説明したが、明日原まで誘う理由にはならない。つまり明日原さんと一緒に行きたいんですとか口が裂けても言えないわけで。
「い……一緒に選んでくれませんか?」
無難と言えば無難な回答に落ち着いた。桐生院の交友関係も狭いわけではないのだが、プライベート気味な用事に誘える人は少ない。特に明日原は同期ということもあって気安くて仲もいい──言い訳だ。分かっている、でもそういうものだろう。
「了解しました。では行きましょうか」
「え? いいんですか?」
「桐生院さんが誘ったんでしょう……。スカイツリーなんて意外と行かないなと思って」
思い返せばそういうものだった。住んでいる所の観光地など行かないものだ。気分転換には丁度いいし、せっかく誘ってくれたのだから行ってみるか──と。
『……よし。ここまでは、順調……です。あおい、勝負はここから……だよ』
『アオイ! 手! 手を繋ぎましょう! ほら、それとなく絡めて、今っ! その歩き出すタイミング! アオイ! アオイ!』
02が盛り上がっているのがインカム越しに伝わってくる。桐生院は思った──これは、一体どういう状況なんだろう。ただ少なくとも、デートに誘うことに成功したと理解して、安堵している自分に気が付いた。担当が作ってくれた貴重なチャンス(振り回されているだけだ)、無駄にするわけには行かない。
──まあ、特に何もなかったのだが。
『……01から00へ。へたれ』
『アオイ! 本当にそんなんでいいと思っているんですか!?』
「わざわざインカムで言わなくても……。二人とも帰りますよ。ほんと私、何やってんだろ……」
明日原と別れた後でもまだインカムを使う担当二人に振り回された桐生院だった。
──が。この出来事が発端となって、学園のトレーナーに苦難が襲いかかる。それはまだ誰も知らない。
*
こちらは加賀のトレーナー室。ロックバンドのポスターが貼ってあったり、ボードゲームが机の上に放置されていたり、全体的にごちゃっとしていた。
加賀はコーヒーを啜りながら作業をしている。事務仕事は苦手というか、本当に面倒なのでやりたくないのが本音と言えば本音なのだが、まあそれはそれとしてカタカタとキーボードを叩いている。
がちゃん──開いたトレーナー室の扉。ノックもないのは、その必要がないからで。
「……おいナカヤマ。俺ぁ連絡入れたよな、昨日中に顔ぐらい出せってよ。ウオッカといいお前さんといい、なんだ? 俺の言うことは聞きたくねえのか? 一週間も学校サボってどこ行ってやがった」
「ハハッ、悪いな。少し勝負ごとが長引いた」
加賀が抱える問題児の一人、ナカヤマフェスタがにやっと口元を微かに歪めていた。
「ケッ……。トレーニングをしろトレーニングを。皐月賞ブン取れねえぞ、そんなんじゃ」
「言われるまでもないさ。だがちょいと面白いことを見つけてしまった。ああ困った、困った。これじゃあ集中出来ない」
「用件を言えよ……。何だ、今度は何だ? 鷲巣麻雀はやらねえぞ、絶対やらねえからな」
「そんなんじゃない。これだよこれ」
取り出したノートは例のアレ。そんなものは当然知らない加賀、まずは呆れる。ナカヤマフェスタがまた訳のわからんものを持ってきた──と。
「なんだぁ? ギャンブル狂のお前さんが恋愛たぁ変なキノコでも食ったか。それとも気が触れたか?」
「おいおい、酷い言い草じゃないか? 私だって年頃なんだ、興味も持つさ……くくっ、見てみろ加賀。このノート、光るぞ」
「捨ててこいんなもん、ロクなモンじゃねえだろ絶対」
加賀はしっしと手で追い払う動作をしたが、ナカヤマフェスタは相変わらず無駄に底知れないギャンブラーの表情でニヤついている。
「いいから読むことだな、ほら」
「分かった分かった。どーせ下らねえ妄想ノートだろ……うおっ眩しっ。えーっとなになに……あ? 何だこりゃ、愛しの彼を手に入れる方法? 彼の飲み物にこっそりすり潰したニンジンを混ぜると彼が自分を好きになる……アホくさ。小学生の女子でも読まんわこんなもん」
大体がそんな感じの、何の根拠もない恋愛のおまじないだとか先日ブエナビスタが採用した夜街デートのプランだとかが書いてある。こんなものをわざわざ書いたのかと思うと馬鹿らしくなった。
「ああ、私もそう思った。ナビのやつが持ってきて、絶対これで恋愛成就ですーとか言いふらしててな。私も下らないと思いながら、きゃいきゃいやってる連中を眺めていた。が、ページの最後の方に三女神様がどうたらとか書いてあったらしい」
「三女神像かぁ? 何でそんなもんが……」
「さあな? ただ妙な文言が載っているのさ。最後のページだ、見てみろ……そう、ここだ」
──今これを読んでいるあなたへ。私たちの思いを継承して。
「……なんだこれ? 継承……んだこりゃ、思いって何だ?」
「それは分からない。だが三女神像──時々噂が流れてくる。聞いたことあるか? 三女神様に呼ばれて、妙な幻覚を見せられる。そうすると身体中に力がみなぎってきて、前よりもずっと速くなれたり、脚質適性が向上したりするんだと」
眉唾ものの噂話。こういうものは学校七不思議の怪談話と同じで、大抵は火のないところから勝手に煙が立ち上がっている。だが加賀は一蹴出来なかった。
聞いたことがある。ある日突然タイムが伸びたり、以前は走れなかった長距離が走れるようになったとか、明らかにトレーニングだけでは説明のつかない能力の伸びが現れることがある。そして口を揃えて、三女神様に呼ばれたのだと言う──トレーナーたちが冗談で伝え合ってきた、そういう話。
加賀はそんな与太話を思い出して身震いした。まさか、本当に?
「……おいおい。マジでぇ? あんのぉ……?」
「確かめないか? 面白そうじゃないか」
ナカヤマフェスタはニヤリと笑った。
ー ー ー
トーセンジョーダンは憂鬱だった。
とても嫌な噂を聞いたからだ。ギャルズの噂話ネットワークはインターネット並みに速い。特に誰と誰が一緒にいたとかそういう話はどういうわけか流れてくる。ウマスタに上げようものなら特定までが秒だ。
明日原と桐生院がデートしてたらしい。ブエナビスタが喋っていたのをそのクラスにいた友達が聞いていて、なんとわざわざDMを送ってきた。正直知りたくなかった。本当に余計なお世話だった。
それ以上に心に重くのしかかっていることがある──能力が伸びないのだ。桐生院の元にいた12月頃からうまいこと行っていない。明日原のトレーニングに戻っても、思うような結果が出せない。
心を決めて三冠を取りに行くと決めたばかりに、余計にそれが重く心にのしかかっていた。どうにかしなければならないが、やり方がわからなかった。
今ばかりはイツメンに絡む気になれず、ジョーダンはどことなくとぼとぼとしながら、一人で中庭を歩いていた。ため息をつきながら地面を見て歩いていると──
ア、イタイタ!
「……?」
コッチコッチ! オーイ、キコエテルデショー?
なんか聞こえた。誰だ? 周りを見ても──誰もいない。1月の寒さで中庭を歩くような物好きはジョーダン一人だった。
ホラ、イイコトオシエテアゲルヨ-! コッチダッテバー
「……だれ? え、こっち? ちょっとー、出てこいしー」
訳のわからない声の元を探してジョーダンは歩いていく。それにしてもかなり特徴的な声だ。どこかで聞いたことがあるような気もするが──。
コッチダヨー! ホラココ! ココダッテバー!
「あれ、三女神像……」
トレセン学園が出来た頃からあると言われている三女神像。だが誰もその正体を知らない。興味もない。だが──普段とは違うような気がする。
ぼうっとしながら三女神像を見上げた。いつもと変わらなかった。
瞬間的に、ジョーダンは前を走る蒼い帝王の姿を見た。その人物は若かりし頃のままで、振り返ってにっと笑いかける。
オシエテアゲルヨ、オトコノヒトッテネ───
思いを受け継いだ!
トウカイテイオーの因子継承!
スピードの因子が発動!
パワーの因子が発動!
賢さの因子が発動!
長距離適性が上がった
差しの適性が上がった
スピードが40上がった
パワーが60上がった
賢さが100上がった
「絶対は、ボクだ」のヒントLvが5上がった
差し切り体制のヒントLv5が上がった
差しのコツ○のヒントLv4が上がった
独占力のスキルLv4が上がった
束縛のヒントLv5が上がった
………
……
…
気がつくと立っていた。三女神像が変わらない姿でそこにあった。
目が覚めた時のような気分だ。弾かれたように顔を上げて、周囲を見渡しても誰もいなかった──体が熱かった。手足の感覚が鋭くなっていて、今なら何でも出来そうな気がする。走り出したいような気分だ。今すぐにトレーニングに行きたい。
ジョーダンはたった今不思議現象に見舞われたのも気にせずにるんるん気分で歩いて行った。
チャントテニイレナキャダメダヨ-! そんな声が聞こえていた。
ー ー ー
何でも不祥事というか、事故が相次いでいるらしい。ここ一週間の話だ。
概要は──
「……担当ウマ娘に襲われる?」
「はい。特に、担当と仲の良かったというか、距離の近かった若いトレーナーのみなさんが被害に遭っています」
「……新年早々穏やかじゃありませんね。襲われるというのは?」
「……想像に任せます。ただ被害に遭ったトレーナーの中には、深刻なトラウマを植え付けられた人もいます」
駿川たづなは深刻な表情でそう警告した。明日原もトレーナー5年目だ、それがどういうことなのか想像が付いた。うまぴょいだ。というか逆ぴょいだ。信じられない。もはやトレセン内に安全な場所などないではないか。
5年間トレセンに在籍しているが、そんなケースに至るのは100あって1か2。相当極まった状況でもなければありえない話で、少なくとも自分には縁のない話だと思っていた。明日原は特に自分が信頼しているウマ娘に対して妙なところで楽観的だった。スカーレットの一件から何一つとして学んでいない。
「明日原さん。次はあなたの番かもしれないんです。くれぐれも気をつけて」
「いえ、気をつけると言われても……」
そんなバトル漫画みたいなセリフを言われてもどうしようもないだろうというのが正直なところ。全くもってその通りだ。駿川さんはそれを見越していたのか、懐から一つの物を取り出した。
「防犯ブザーです。いざとなったら鳴らしてください、ウマ娘だけで構成された警備隊が駆けつけます」
「ウソだろ……」
思わず敬語が剥がれて素が出るくらいには衝撃的だった。そんな重大なことになってるのかよ。
「調査と分析の結果、担当トレーナーを襲ったウマ娘には兆候があることが判明しました。思い当たる理由のない急激な身体能力の向上、教えていないはずの技術を習得していた、など……トレーニングスコアがいきなり上がったら注意してください。少なくとも、二人きりには決してならないように」
言葉も出ないとはこのことか。一体何が起きている。明日原はツッコミも放棄して呆けていた。トレセン学園の闇は深いとは常々から思っていたが、来るところまで来てしまった──そんなことをぼんやりと考えていた。
「……私は次のトレーナーさんのところへ行きます。気をつけてください、私の勘では──次に狙われるのは、明日原さん。あなたなんですよ」
そんな刑事ドラマみたいなことある? 世界観のジャンルが違う。何か妙なことが起きている──。
駿川さんはおじぎをして去っていった。
トーセンジョーダンが自分のことを──。いや、ないだろう。スカーレットなら正直怖かったが、本質的なところでは割と自分に自信のないジョーダンがそんなことをやらかす光景など想像も出来なかった。
応接用のソファーから立ち上がってデスクに戻る。トレーニングデータの分析に戻って、4日ほど前からやけに調子のいいジョーダンの
並走成績、差しトレーニングの成績がめっちゃ向上してる。なんかコツを掴んだのかもしれない。芝2000のタイムが目覚ましく向上している。なんかやったっけ。
……なんか、当てはまってね? ここのところ不調というか、トレーニングの成果があまり出てなかったジョーダンの成績が一気に上がっている。
時計を見てみた。すでに放課後で、あと10分ほどでトレーニングの時間となる。ターフに集合することにしたので、移動しなければ──謎の焦りに襲われている明日原のトレーナー室のドアが開くまであと10秒。