『ねえ、ミーク。あなたは何の為に走るんですか?』
わたし……?
『はい! 聞かせてくれませんか? どうしてレースに出るのか、何のためにトレセンに来たのか……あなたのことを知りたいんです』
え……っと……。
……。
…………。
………………。
『あの、ミーク?』
わたし……わたしは。
きらきら星になりたいから、です。
『きらきら星……あ! 童謡ですね?』
……うん。
昔、みんなで歌った……のが。ずっと、忘れられない……から。
『へぇー! 懐かしいですね、私もよくおばあちゃんに歌ってもらっていました! き〜ら〜き〜ら〜ひ〜か〜る──』
葵が歌った。わたしはそれを聞いていた。
もしもお星さまに意志があって、わたしたちを見ているのなら何を思うんだろう。あなたは見上げるとそこにいて、きらきら瞬いている。あなたはいつも空にいて、わたしたちを見守っている。
もしもわたしがあなたになりたいと言ったら、あなたはわたしを笑うだろうか。
*
「お……大食い大会ぃ〜……?」
「学校開催行事です。トレセン一番の大食いを決めるこの舞台は、実質的に日本一の大食いを決める舞台と言っても過言はありません」
仕事に押し潰され、疲れた顔をしながら明日原は資料を読み上げた。
ウマ娘の胃袋は容量可変式なので、ヒトミミのそれとは概念が異なる。生物的に色々と異なるんじゃないかとか言われ続けてきただけはあり、十代の少女とはいえアホみたいに食べる。だったら知りたくなる──じゃあ結局、誰が1番大食いなのか?
「初代優勝者の名前に因み、その大会の名前は──オグリキャップ記念。彼女の打ち立てた記録は、20年近く経った今でも破られていません。最も肉薄したのは10年前のスペシャルウィークでしたが、
「……え。何? 出なきゃなん? マジで言ってん」
明日原は疲れていた。睡眠時間が短いと人はアホになる。
正直、こんなアホみたいな行事に付き合う理由はない。消費できるカロリーには限りがある以上、太られても困る。だが明日原はちょっと変なテンションになっていた。夏を越すまでレースの予定もない。
「てかあたし大食いとかキャラじゃねーし。いや、つか……マジで急にどした? 顔色わりーぞ?」
「少々仕事が立て込んでいるだけです、心配ありません」
「ふーん……」
ジョーダンは爪が治るまでトレーニングを制限されている。もちろん、爪に負担をかけないトレーニングで補っているが、強度の高い走り込みが出来ないので筋トレ類を中心に行なっていた。
で、明日原といえば永遠にパソコンと睨めっこしている。そのままデスクで寝落ちすることも少なくない。実は最近トレーニングを見てくれる時間がかなり減った。
「……で、何? 勝ったらなんかあんの?」
そのため、ジョーダンは少なくとも上機嫌ではない。そこまで表には出さないが、かといってそれを隠そうともしない。
「ホテルスイーツ半年分。まあ、出て欲しいというよりは……フラストレーションが溜まっているのではないか、と」
いくら覚悟したこととはいえ、日本ダービーに出れなかったことは少なくないストレスがあるはずだ。怪我とはそういうもので、どうしようもないことは確か。だから息抜きが必要なのではないかと考えた明日原による参加の提案だった。なんか色々とずれているのは寝不足による判断力の低下によるものだ。
「いや……でも大食いはねーっしょ……。え、だる……」
が、ジョーダン。乗り気でない。あまりにも乗り気でない。子供ではないのだ、スイーツなんぞに釣られるとか小学生でもあるまいに。
ともかく乗り気でなかった。
──が、翌日。
授業が終わって、教科書を纏めていた時のことだ。
「え、あれって……」
「どしたの、誰? なんかあったの?」
「ほら、急に来たんだって──ダービーウマ娘の」
騒がしくなった周りに顔を上げる。クラスメイトの視線は一箇所に注がれていた。入り口に立っている一人のウマ娘に注目しているのだ。
人を寄せ付け難い雰囲気を纏った狂犬のような瞳。知らないはずはない、有名人だ。今最も勢いのあるウマ娘だ。
「あいつ、ロジユニヴァース? うちのクラスになんか用なん?」
「ジョーダン、あんたの方見てね?」
ゴールドシチーがそう言った通り、彼女の視線は一箇所──トーセンジョーダンに注がれている。明らかに気のせいではないようだが……。
その証拠に、ジョーダンの姿を確認した後遠慮なく教室に踏み込んできた。一直線にやってくる。
少し警戒したジョーダンに並んでゴールドシチー。見下ろすようにロジユニヴァース。
「……トーセンジョーダン」
生来の気性の悪さ、そしてダービーを勝つだけの実力もあり、強者の雰囲気が滲み出ている。控えめに言ってヤンキーみたいだ。
「な、なに?」
「勝負しろ」
「……は、はぁ……?」
「オグリキャップ記念で、お前との決着を付けてやる」
「…………はあ?」
ざわめきだすクラスメイトを横目にジョーダンは固まる。一体なにを言っているんだろう。そんな名前のレースあったっけ。っていうか普通にありそうなんだが。
「それだけだ。じゃあな」
「は? いや、ちょ……」
本当にそれだけを言い残してロジユニヴァースは背中を見せて歩いて行った。嵐のようだった。
「いや、マジでどういうこと? なんか恨み持たれてんの、あんた」
「や……知らん。ガチで知らん……なに……こわ……」
慄くジョーダンと、ロジユニヴァースが消えて行った方を眺めるシチー。脈絡のない戦線布告に対して、ジョーダンは──。
「んー、それは多分、決着を付けたいからだと思いますねー」
「決着〜?」
「はい! えっと、ジョーダンとロジちゃんのこれまでの戦績は、えっとー……3戦もしてるんですねー。メイクデビューとー、ホープフルステークスとー、あと皐月賞。このうち2回ジョーダンが勝ってることになるじゃないですかー?」
ロジちゃんって誰のことだろう。まさかロジユニヴァースのことをそう呼んでるのか、このアホ娘──恐れ知らずのブエナビスタに相談したところ、そんな感じの返答が返ってくる。数多いメイクデビューからぶつかっていたとは、相当な腐れ縁だ。
「で、ジョーダンは怪我しちゃったからダービーには出れなかったじゃないですかー。だからロジちゃん、消化不良なんじゃないかなぁ」
「おいおい、そいつは聞き捨てならないなァ……」
どこからかぬるりと現れたナカヤマフェスタが会話に割り込んできた。うっすらと浮かべた笑みは不敵な弧を描いている、それはいつも通りだ。
「私らがそんなに噛み堪えなかったかねぇ。面白い勝負だったと思うんだがな」
「いやどっから現れたん」
先日の日本ダービーは約40年ぶりの、不良バ場での開催になった。そのため勝負は不安定な足場の上で行われることになり、難しいレース展開となった。だがロジユニヴァースは見事にそれを制して見せた。
「ま、確かに4バ身差──あんな決着じゃあ、確かに退屈させちまったかもしれないがな」
ただ、レースとしては荒れに荒れた。不良バ場は荒れる……その原則に反さず、第76回日本ダービーは荒れた。1番人気アンライバルド、3番人気セイウンワンダーはそれぞれ12、13着。ロジユニヴァースは2番人気だった。
それ以外にも、9番人気ナカヤマフェスタは4着に滑り込んでいたり、5番人気リーチザクラウンが2着になるなど、人気順が全く当てにならない結果に終わった。そもそもとして皐月賞バのトーセンジョーダンが不在──つまりは、本命不在の
人は言う。もしもトーセンジョーダンがダービーに出ていれば、と。
「つまり、ロジちゃんは悔しかったんじゃないんでしょうか。せっかく頑張ってダービーに勝ったのに、もしもジョーダンが出てれば、勝ったのはジョーダンだったんじゃないかーとか好き勝手に言われるのが」
「へぇ〜……。あいつも大変なんだね〜」
「そりゃあ大変さ。
もしもジョーダンが日本ダービーで戦っていたとするなら──その仮定を黙らせる方法はたった一つ。正式な舞台でトーセンジョーダンを叩き潰すこと、それ以外にない。
が、クラシック第三弾菊花賞はまだ先の話だ。
「だからなんでもいいから勝負がしたいんだろうさ、あいつは」
「ふーん……」
ジョーダンにとってロジユニヴァースは叩き潰すべきライバルの一人である。だがそれ以上ではない。レースになれば負ける気はない、けどそれだけだ。
だが自らの最強を証明することを目標とするロジユニヴァースにとって、トーセンジョーダンは唯一負け越している相手だ。ロジユニヴァースが負けた時は、必ずトーセンジョーダンが勝っている。その逆も然りだ。
「そんなことよりも大食い大会ですよ! 楽しみですね〜! 好きなだけ食べていいなんて、夢みたいです!」
結構重要なことをそんなこと呼ばわりした腹ペコ娘のブエナビスタ、こっちもこっちで大物だ。
──大食い大会。
トレセンの食堂に長年勤めている歴戦のおばちゃんは語る。曰く、10年に1人……体の中にブラックホールを持つウマ娘が現れる。無尽蔵の胃袋を持つ悪魔たち──。
20年前はオグリキャップ、10年前はスペシャルウィーク。そして今代はブエナビスタ。彼女たちはぬらりと現れ、台風のように去っていく。そして後には何も残らない。だがおばちゃんたちも負けたままではいられない。そのブラックホールを満たしてみせると意気込む。
トレセンに通うウマ娘たちは突出したアスリートでもある。そしてウマ娘は人の数倍の量を平気で食べる。当然、一般のウマ娘たちよりも食べる。つまりトレセン内で一番の大食いということは、実質的な日本一の大食いと言っても過言ではない。
そして同時に、これは食堂のおばちゃんと、トレセンに巣食う食欲大魔神の真っ向勝負の舞台でもある。世界を賑わすウマ娘たちの、その食生活を長年支えてきたプライド──15歳やそこいらの小娘程度に負けるわけにはいかないのである。
「付き合ってやれよジョーダン。白黒付けたいって言ってんだ」
「いや……大食いで?」
「勝負であることには変わりはない。そうだろ? それともまさか、負けるからやりたくないのか?」
ナカヤマフェスタ、挑発。恐ろしいほどに安っぽい挑発だ。別にナカヤマフェスタが勝負するわけではないことをいいことに言いたい放題。
「かっちーん……」
ジョーダンの額に青筋が浮かんだ。
「あー来た。来たわ。来てるわこれ、あッたま来た……! つか勝てるとか思われてんだあたし。そーゆーことね、完全に理解したわ。いーじゃんいーじゃん、いい度胸してんね。ダービーウマ娘だかなんだか知らねーけどやってやろうじゃん。やってやろうじゃねえかよこの野郎!」
高反発枕、反発する。
そんな訳で、(結構下らない勝負の)舞台が整った。
そして勝負を30分前に控えた当日。朝食を抜いて来たジョーダンはトレーナー室に立ち寄って、電源のついたままのパソコンを前に倒れ伏す明日原の姿を確認した。机に転がったレッドブルの空き缶数本と共に気絶する明日原に小さく笑いをこぼして呟く。
「見とけし。あんたのウマ娘が最強だって、全員に見せつけて来てやっから……!」
そんなに意気込まなくていいからね。
ー ー ー
野外ステージに集った約100人のウマ娘。誰もが大食いを自負する怪物たち。彼女らの前に立ち塞がるのは山──否、山脈と言い換えても嘘はない。
それは壁だった。地面だった。大地そのものだった。明らかに自分よりも大きい食物が無造作に、しかし彩り豊かに積まれている。調理済みの食べ物なのに、まるでコンテナみたいに積まれていた。かの伝説オグリキャップは、かつてこの山1人で食べ尽くしたという。本当かな?
『勝負方法を説明しましょう! これはサドンデスマッチ──順番にこの山を食べて行き、最後まで生き残った選手の勝利となります!』
決められた重量を皿に盛り、少しずつ山を崩していく。だがいずれ限界が来るはずだ、そうなればギブアップ。敗退ということになる。早くも青ざめていた選手が数人いる。それもそのはず、こんなもの食べ切れるはずがない。
『受け継がれてきた伝統に則った、正々堂々の一本勝負! 情けも容赦も無用、ルールはただ一つ! 食べ続けること! 以上ッ!』
このゲームは非常に単純で、マラソンに近い性質がある。食べられるだけ食べるだけの単純な競技だ。そして食べられなくなったら終わり。
「来たなトーセンジョーダン。ぶっ潰してやる、勝つのは私だ」
「言ってろ。レースでも大食いでも勝つのはあたしなんで。そこんとこよろ〜」
会場では早くも火花を散らす二人が注目を集めている。クラシック世代筆頭の二人組の再戦には注目が集まっている。
『さあ早速始めましょう、第17回オグリキャップ記念、スタートです!』
実況が叫んだと同時に全員一斉に動き出す。肉やらパンやら麺やらドーナツやらの山に飛びかかって崩していった。観客から歓声が飛び出す。
『各自好スタートを切りました。解説のゴールドシップさん、ズバリ勝負の鍵を握るのはなんでしょうか!?』
『んー、普通の大食いと違ってこいつはターン制だからなぁー、勢いで食べ切るっつーことが出来ねえんだわなー。つまり誤魔化しが効かねぇって訳でー、後になって辛くなんのは大食いじゃ常識だが、そいつが特にキツくなんじゃね?』
『なるほど、では作戦には意味がないと?』
『ああ。小細工無用の真っ向勝負だ、熱くなって来やがったぜー! オマエら、胃袋のちっちぇえウマ娘はすきぴに振り向いてもらえねーぞ! 頑張れ頑張れーぃ!』
なぜか解説席にいるゴルシの叫びに全員の耳がピクリと動いた。
「す、すきぴとか絶対関係ないじゃん! てか何しれっとマイク握ってんのあいつ!」
「おい、すきぴとはなんだ?」
横のロジユニヴァースが不思議顔をして、無遠慮に聞いてきた。ジョーダンは狼狽える。
「は!? いや、えーっと……ググれ!」
ロジユニヴァースはググった。素直かよ。
スクリーンを眺めていたロジユニヴァースの顔色が変わっていった。
「何だと……!? 振り向いてもらえないとはつまり……勝てなかったらどうなるんだ!?」
「え、真に受けてんの? あんたそんなキャラだったの?」
意外な一面を覗いてしまってジョーダンは気まずかった。っていうか好きな人とか居るの? かなり意外だ。いや、それはともかく今は目の前の皿を平らげることだ。まずは一皿目、これは全員余裕で片付ける。
『さあ続いて2ターン目に突入して行きます、ここまでは余裕そうです』
『関係ねー話なんだけどさー、この大会で一着取ったやつってなんかすきぴとデートできるらしーぜ』
『え? そんなピンク色の競技なんですかこれ。初めて聞きましたけど』
『ああ。トレぴっぴがお腹いっぱいになるまで褒めてくれるし撫で回してくれるんだとよー。いいなーあたしもトレぴっぴと一緒ににゃんにゃんしてーなー、てか猫カフェ行きてーなーあたしもなー』
「あいつマジで適当なことばっか言うのやめろマジで! 誰か黙らせろあいつ、解説のくせに嘘しか言わねーじゃん!」
「……嘘なのか」
ロジユニヴァースのキャラ崩壊が激しかった。お前そんなアホキャラだったのかよ。
ともかく大食いだ。まだ胃袋の調子は余裕──3皿目、4皿目と続いていく。この程度ではまだ脱落者は0、ここまでは順調。
だが──5皿目にスプーンを突き刺したとき、突如としてある感覚がジョーダンを襲った。それは他でもない、満腹感だ。
この大会での1皿は計算上2400Kcalで、成人男性が1日に必要なエネルギーが大体2300〜3000Kcalと言われている。つまり一つで成人男性の3食分の量を食べているのと同じなのだ。ウマ娘と言えど、どこまで持つものだろうか。
だが最初に積まれていた料理の山の高さはもはや見る影もない。参加者たちの凄まじい食べっぷりが現れている。
『流石は大食いを自負するウマ娘たちです! 脱落者は現在100人中2人! 見てるこっちが胸焼けしそうな料理の山を前にしても一歩も引いていない!』
『さてなぁ? そろそろ限界が来てるはずだぜ、ほら』
『え? ……あっ、なんとここでギブアップが1名、2名、3、いや5……! 増えています、5皿目の壁が厚いと言う事でしょうか!?』
口元を押さえながら右手を上げて退場宣言をするウマ娘たちの姿が目立った。見るからに顔色が悪い。ついでに腹部がボテ腹になっている。シュールだ。
『逆噴射しねーように気をつけろよー。あたしはこんな場所でマーライオンなんて見たくねーんだ、ここをマレーシアの観光名所にすんなよ。……あ、でも一部のファンにはウケそうだな。動画回しとくか。ここを観光地とするッ!』
『はいはーいゴルシさんは黙ってくださーい! 救護班の皆さんスタンバイお願いします、参加者の名誉と尊厳を守ってください!』
大会の有志たちがゲロ袋と担架を構えている。トイレまで自力で歩けない場合は──想像したくない。マジで食欲失せる、いやもう食欲とかないけども。
綱渡をしているような気分だった。一歩踏み外せば奈落へ落ちていく、そんな苦しさと恐怖とあと満腹感を堪えながらスプーンを捲る。食べる。口の中に入れて、ろくに噛まないままゴミを捨てるみたいに胃袋へと落とす。
『一皿にかけられる時間には限りがあります、タイムリミットまでに食べきれない場合は問答無用で失格となります!』
まだ半分ほど残っている皿を前に、ジョーダンに残された時間は10分──長くない。ここが分水嶺だ、顔を上げれば既に参加者の半分ほどが脱落している。食べきった参加者たちも余裕などないようで、顔が青ざめている。
もはやおしゃべりしている余裕はない。視線だけを隣に向けると、ロジユニヴァースはまだ脱落していない。キャラではないであろう大食いという勝負でも負ける気はないらしく、荒い息を繰り返しながら山盛りカレーを睨んでいる。そして一息ついてスプーンを突き刺した。
そっちばかり見ているわけにはいかない。ジョーダンも負けじと戦いを続ける。無心で食べる、感覚を鈍らせないと苦しくてどうにかなりそうだ。
だが食べる。もはやここまで来ると食べるという表現は適切ではない──獣のように喰らう。これは一つの戦いだ。プライドと尊厳を賭けた戦だ。
『心臓破り──いや、小腸破りの6皿目だ〜! いいじゃねえか、根性あるぜおまえら〜! 決勝の舞台は6皿目だ、男気見せろーぃ!』
つっこむ気力も反応する余力もない。食べる。食べる、食べる、食べる、食べる──。
ちょっと肩を揺らされたらその衝撃で全部ひっくり返りそうだ。美味いとか不味いとか、そんなの感じられない。少なくとも味がついていることだけしか意識がない。
「……負け、るか……うぷ、私が最強……はぁっ、はあッっ……」
ぶっ倒れそうな顔をしたロジユニヴァースの独り言を耳にしても何も感じないが、ジョーダンには諦めない理由が一つ追加された。
『また一人ギブアップしました、リーチザクラウンここで敗れる! これで残り5人っ、栄光を手に入れるのは誰なのか!?』
『……てかだらだらやんのだりーな。制限時間短くしよーぜ、あと5分』
『ここでゴールドシップ動いた! タイマーを勝手に設定するなどやりたい放題! 誰かあいつを止めてくれ、いや本当に何してんの!?』
ゴールドシップが関わると本当にロクなことがない。誰かあいつを退場させてくれと願っても、取り押さえにかかった有志の皆さんをひょいひょいっとすり抜けて、何食わぬ顔で解説席に戻ってきた。
『タイマーが動き出してしまった以上仕方ありません、残り5分です! ここからスパートだ!』
ジョーダンじゃない。ふざけ過ぎだろ。
普段なら、この程度の量など5分もあれば造作ない。マジで食えばいける。でも今はそうじゃない。転覆寸前のボートにコンテナを積もうとする愚行だ。
だが実況がルール変更を認めてしまった以上、会場はそれに引っ張られる。文句は後で山ほどぶつけてやるが、今はただ食べることを優先しなければならない。
ロジユニヴァースはまだ残っている。肩を震わせながら食べている。何に突き動かされているのか分からない。それ以上食べると危険だし、一目で危ない状態なのが分かる程度には限界だ、そのはずなのに食べ続けている。諦めようとしない。
負けられるか。
負けられるか!
『トーセンジョーダンがスパートをかけた! 皐月賞ウマ娘が意地を頼りに決意の直滑降だ、その行き先はゲロ袋か栄光か! ロジユニヴァースも追い縋る! スリーロールズここでギブアップだ、残り4人! 勝負は最後の直線に持ち越された!』
『面白くなってきたなー。ああ? ありゃあ……ああ!? おいおいマジかよ、あいつが上がってきやがった!』
『え? なんです? あ……ハッピーミーク、ハッピーミークだ! すごい脚で上がってくる!』
いつの間にかレースの実況に成り果てていたが、それよりも驚きだ。ミーク先輩がまさかここまで残っていたのか。気がつかなかった、そもそも参加してたことも知らなかった。キャラから外れ過ぎだろ。
『ハッピーミーク完食! ハッピーミーク完食だ! 後続はどうか、ロジユニヴァースとトーセンジョーダンの一騎打ちだ!』
食べ切る。もう少しだ、もう少しだから耐えてくれ。自分の体なら耐えきってくれ。そう願って食べる。もう容量が限界だと、冷静な部分が訴えている。関係ない。
「負けるか、私は──うぉぇ、お前には……うっ、負けない……」
ぶつぶつと独り言が聞こえる。目も虚なロジユニヴァースが、手だけは動かしていた。
もう少しだ。もう少しだ。絶対に諦めるな。絶対に諦めるな。
『両者──同時にゴールイン!』
からん、とスプーンが容器にぶつかって甲高い音を立てた。それと同時に緊迫と興奮に包まれた会場から拍手と声援が巻き起こった。
達成感に包まれた。開放感が嬉しかった。もう食べなくていいのだ。もう苦しまなくて済むのだ。最後までやりきったんだ──
『素晴らしい食べっぷりでした! さあ、おそらく最後のステージとなります、7皿目が運ばれてきます!』
……。
『ここまで辿り着いた4人のバトルロワイヤルだ! 誰が勝っても、文句なしに日本一を名乗ることが出来るでしょう!』
…………。
『アタシは今! 猛烈に感動しているぜーっ! なんつー異次元の胃袋を持つ連中なんだってな! ほいじゃあ手を合わせて、いただきます!』
皿が運ばれてきた。クソほど山盛りのナポリタンだった。
……。え? まだあんの?
ロジユニヴァースの方を見てみた。そうすると、あっちもこっちを見ていた。数秒ほど虚無の表情で見つめ合った。
『さあ参りましょう、タイマースタート──おおっとここでなんと! トーセンジョーダンとロジユニヴァースが同時にギブアップだ! 何が起こったのか!?』
「……いや。何が起こったのか、っつーか……」
「……無理だろう、これは」
そう言い残して、二人は同時に崩れ落ちた。
ー ー ー
同着で3着のトーセンジョーダンとロジユニヴァース。二人仲良く保健室行きになった。逆噴射だけは意地で堪えたが、今思えば吐いていた方が楽だったかもしれない。もうしばらく食べ物は見たくない。
2着には7皿完食のハッピーミーク。普段から肌の白いハッピーミークの顔色がさらに真っ白になっていたのがなんか面白かった。
「……てかさ。大会とかやる意味あったん? 分かるじゃん、誰が勝つかとか……」
「……同感だ。無理だろ、あれ……」
1着、ブエナビスタ……14皿。残っていた料理を全て食べ尽くして完全勝利、コロンビア。今はカビゴンみたいになって保健室で眠っている。自分と同じぐらいの重量を食べ尽くしたのではないだろうか。化け物だった。同じ生き物とは思えない。
「……てか、あんたさ」
「あんたじゃない。ロジユニヴァースだ」
「長いわ。言うのだるい。……なんであたしに、私と戦えーとか言ったわけ?」
「……別に。負けっぱなしは性に合わない。それだけだ」
ブエナビスタの言った通りの理由だったらしい。それを聞くと、ジョーダンは深いため息を吐いて天井を見た。
「そんなに負けんのが嫌なん?」
「……お前に言われたくない」
全く持ってその通り。ブエナビスタとかいう食欲魔王がいることなどこの世代では常識だと言うのにも関わらず、その土俵に上がっていったのはどこの誰だったか。
答えはそう──カビゴン宜しくボテ腹を抱えて動けない者の全てがそのバカに該当する、以上。ジョーダンもロジユニヴァースも極度の負けず嫌いでバカだ。
「復帰は11月って聞いた」
「……え、あたしの話?」
「他に誰がいる?」
「……なんか言い方ムカつくけど。はぁ……まあ、福島記念か秋天か知らねーけど、まあそこらへん。てか決まってない」
夏も越していない現段階では爪の具合も不明瞭だ。秋にどうなるかと言うのは、実際にそうなってみないと分からない。少なくとも今年中の復帰は可能であるということが分かっている程度でしかない。
それを聞くと、ロジユニヴァースはふん、と鼻を鳴らした。
「有馬には出るんだろ」
「……は? 有馬って、有馬記念のこと?」
「当たり前だろうが。さっさと答えろ」
「いや……わかんねーって、そんな先のこととか」
有馬記念──八大競走の一つ、中山総決算戦。最も有名なレースと言っても過言ではないだろう。ジョーダンでさえ知っているのだ。だいぶ前に見に行ったし、その時のレースは目が離せなかった。
凡百には出走することすら不可能。一年の精算を付ける祭りである。
ジョーダンは自分がそんな祭典に選手として出場する場面がいまいち想像出来なかった。
「皐月賞を制したんだ。あと一つくらい重賞を取っておけば、少なくとも投票圏内には必ず入るだろう。私もそうだ。つまり、シニア連中との直接対決の機会が来る」
当然のように言うロジユニヴァース。なんというか、レースに対する前提知識が違っているような気がして気が引けた。
「……ねえ。あんたはなんでレースに出んの?」
「は? なんだ突然」
「別に。勝たなきゃ的な理由でもあんのかなーって」
どうせお互いにボテ腹のせいで動けない身だ。暇潰しにはちょうどいいかもしれない。
「……別に。勝ちたいと思うのにわざわざ理由など必要ない。勝ちたいから勝ちたいんだ。私にはそれだけでいい」
熱いようで冷たい声。ロジユニヴァースはそういうウマ娘だ。周りのことなど全く気にしないで、ただ自分一人のためだけに走る。そもそもウマ娘は走りたいから走るのだ。理由を突き詰めて行けば誰もがエゴイストでしかない。
ジョーダンはふと思ったことを口に出した。
「ね。あんたさ、友達居ないでしょ」
「…………は? 喧嘩売ってるのか」
突然の発言に眉を顰めるロジユニヴァース。
「いんの?」
「……」
悲しいことに、沈黙が答えのようだった。
ダービーウマ娘にぼっち疑惑が掛かっている。失礼な話だが、ジョーダンのイメージ通りだった。というか他人と相互理解のための会話とかしてる場面が想像できない。なんかいっつも一人でいそう。
「ふーん。もったいねーの」
「……ふん。友達とやらがいればレースに勝てるのか?」
「それは分かんねーけど……でも楽しくね?」
「知らん」
「楽しーの。くだらねーことダラダラだべったり、メシとか色々食べに行ったりさー」
「知らんと言ってるだろうが」
「やったことねーだけじゃん。なら──あ。いいこと思いついた」
ボテ腹で寝っ転がりながら、ジョーダンはいつも通りのカラッとした声色で言い放った。
「友達になったげるわ」
「…………は? 誰が?」
「あたしが」
「誰と」
「あんたと」
ロジユニヴァースは閉口して絶句した。一体何を言っているのか理解できずにフリーズする。ジョーダンは本当に平然としていて、何も特別なことなどないかのようだ。
「友達居ないんでしょ? だからやさしーあたしがなってあげるつってんじゃん。ゆーこぴー?」
「な……なんでだッ! なぜ私がお前なんかと──」
「あ、そういうのいいんでー。もんどーむよーっつーの? 知らんけど」
「……何を言っているのか理解出来ない。お前はまるで宇宙人だ……」
ものすごいグイグイ来るコミュ強のジョーダンに対し、ロジユニヴァースは防衛する以外に打つ手はなかった。大分異なる世界観を持つ二人では、共通点などトレセンに在籍していることと、日本語を話していることぐらいだ。
「よりにもよってお前と友達ごっこなんてやらなきゃいけない理由なんてない。いいから放っておいてくれ……」
「でもあたしちゃんと勝負に付き合ったげたじゃん。あんなん億パーでナビが勝つって分かってんのにさ。吐きそうなの我慢して、ちゃんと全力で勝負に付き合ってやったじゃん。だったらあんたも、あたしの言うこと一つくらい聞けって話じゃね?」
ここでまさかの正論が飛び出した。ぐうの音も出ないほど筋の通った言い分だ。そもそも大食いに対して乗り気でなかったジョーダンである。一方的に勝負をふっかけて来たロジユニヴァースは少々立場が弱い。
ジョーダンとの決着を付けたかったロジユニヴァース。本当なら公式戦のレースで白黒つけるのが理想だし、そうするつもりだった。だがジョーダンは11月まで当然レース禁止だ。草レースでもアウト。結局、苦肉の策だった。その果てに二人仲良く保健室で寝っ転がる羽目になった。どこからどう見ても引き分けである。
しばらくの間、沈黙は破られなかった。ロジユニヴァースが苦虫を噛み潰したような表情を2分ほど保っていると、保健室に来客。
「よ、ジョーダン。つかマジで妊婦じゃん、誰の子?」
ゴールドシチーが呆れた様子でジョーダンを見下ろした。アホみたいに膨らんだお腹周りは本当にそんな感じだった。ヒトがやってると多分腹が破れると思うのだが、ウマ娘には神秘が多い。
「それなー……。ね、動画撮っといてくれた?」
「あー、ウマスタに上げといた。で、なんかウマッターに転載されてさ、そんでそれめっちゃバズってて笑ったわ。見てみ?」
「え、横取りじゃん。うざー! ……うわ、ヤバ。こりゃ明日のニュース行きじゃね?」
スマホをぽちぽちしてそれを確認したジョーダンが呟いた。少なくともネットニュース行きは確定。クラシック世代のトップ二人がアホみたいな激闘を繰り広げているとか冷静に考えて相当面白いし、大差で圧勝したナビの存在は冗談みたいだ。ジョーダンも笑ってしまった。
「それ。てかナビの記録ヤバいらしいじゃん、歴代トップだって」
「伝説じゃん……」
ゴールドシチーはちら、と所在なさげに同じくベッドに転がっているロジユニヴァースに視線を移した。
「そっちは満足した?」
「……別に」
水を向けられたロジユニヴァースは反対側を向いてぼそっと答えた。
「次は、私が勝つ」
「ふーん。よかったね、ジョーダン。友達出来て」
再びロジユニヴァース、耳を疑う。
「それ。なーロジ、今度一緒にカラオケね。来んかったら絶許だからよろ〜」
「あ、あたしも。メンバー揃えて歓迎会にする?」
「採用〜。あ、記念にツーショ上げとくか。シチー、撮ってー」
「はいはい……はい、チェケラ。ウマッターとウマスタに上げとく」
「サンクス!」
「……………………」
ロジユニヴァース、一言も喋ることが出来なかった。会話の速度が速すぎてついていけないし、何が起こっているのかも理解出来なかった。フレーメン反応を起こした猫のような間抜け面でシチーを眺めている。
コミュ強の平常運転に軽い恐怖すら覚える。一瞬にして外堀を埋められたかのようだった。
それからしばらくの期間、ジョーダンたちによるロジユニヴァースギャル化計画が行われることになるのだがそれはまた別の話であるし、見た目だけは妊婦になったジョーダンが、仕事中に半分ほど気絶するような形で寝落ちした明日原に認知してと迫る冗談になっていない寝起きドッキリがあったことも別の話で、ここでは語るまでもない話だ。
ー ー ー
「むにゃむにゃ……もう食べられませんよぉ……」
「……まったくもう、ナビったらお腹出して寝てる。春とはいえ、まだ冷え込むんだから気をつけなきゃダメなのに。それにミークまで何やってるんですか、本当に……」
ジョーダンとシチーがロジユニヴァースを引きずっていった後、保健室で爆睡していたブエナビスタと同じく穏やかな寝息を漏らすハッピーミークの元を訪れたのは桐生院だった。
「……ミークは本当に負けず嫌いですね。こんな所でも、ナビに負けたくなかったんですか?」
最も、返答など返ってくるはずがない。二人は寝ているのだから当然だ。
「……勝たなくていいんです。ミーク、勝とうとしないでいいんです。あなたらしいレースが出来れば、それだけで」
宝塚記念がすぐそこへと迫っている。もはや猶予はない。
桐生院は選択を迫られていた。