「当然、冗談に決まってんじゃん?」   作:にゃんこぱん

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未来を望まない/望む

 

 

 

 7月の初頭に始まった夏合宿の時間はあっという間に過ぎていって、気がつけば7月の折り返しに差し掛かっていた。

 

 ブナネコアートと言えば相も変わらず、恋バナばっかりしていた。

 

「てかさ聞いて? 聞いてほんと、マジで聞いてほしい。もう無理かもしれん。病む。もう無理だわあたし、もうやってけんわ。無理。リスカしょ……」

 

「うるせーですね。またメンヘラ期ですか? それとも生理ですか?」

 

 ここのところ畜生ぶりに磨きがかかってきたブエナビスタが慣れた様子で聞いた。ジョーダンはいつも通り参っているようだった。

 

 部屋の光景を説明しよう。

 

 10畳ほどの大部屋には布団が五枚敷かれていて、スーツケースやリュックサックが散乱していタ。片付けのできない面々が揃っているためかあんまり誰も気にしない。

 

 備え付けのローテーブルの上に散らばったUNOとトランプとチップの山はそのままで、片付けられる気配はない。連日行われていたテキサスポーカーの台紙も転がっている。そのテーブルの両側にジョーダンとブエナビスタが座っていて、ジョーダンは項垂れている。ナビといえば、いい加減進展のないジョーダンの話にうんざりしているのか頬杖をついて半目だ。

 

 ナカヤマフェスタはぶらりと夜の海岸線を見に行ったっきり戻っていない。ネコパンチは今日のトレーニングの疲労ゆえもう寝ている。唯一の中学生だし、寝るのはいいことだ。すやすやと幸せそうな寝顔で寝ている。アケノは別室へ遊びに行ったっきり戻らない。

 

 就寝しているネコパンチに配慮して、部屋の照明は二段階ほど落としてあった。今は豆電球程度の薄明かりに照らされて、薄暗い光と影が和室を彩っていた。その中でも一等暗い顔をしているのがジョーダンだ。

 

「大体なんです? 戻ってくるなりヘラ期になられても困っちゃいますよ」

 

「うぅ、ナビぃ……。聞いてよぉ……」

 

「はいはい聞きます。聞きますってば。いいから話してください、とりあえず録音していいですか?」

 

「だめぇ……もう無理、辛くされると泣きそう……」

 

 ──以下、約30分前の回想。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え。け……結婚を考えてる? スカーレット先輩と………?」

 

「……………………まあ、そういうことになりますね」

 

 ものすごい気まずそうな表情で、明日原はそっと諦めたように目を閉じた。

 

 確認する必要があったのだ。明日原がスカーレットのことをどう思っているのか──もちろん、ジョーダンは勇気を出した。かなりの勇気を振り絞った。何気ない雑談の流れで聞くのが理想だったが、そんなチャンスはなかなか回ってこない上に、どうしてもジョーダンは緊張してしまう。

 

 結果的に、夜の自由時間に明日原の個室を訪れて聞くという想定していた中では最悪のシチュエーションに至ったわけだ。

 

「アリかな、と──心のどこかで、その……」

 

「ちょ、ちょちょちょちょ、ちょっと待った。ちょっと待った……ちょっと待って?」

 

「まあ、ええ、はい、えー……言い訳がましく聞こえるでしょうが、一応、その。理由はあります」

 

 さっきから明日原の予防線の貼り方がえげつない。全力で自己保身に走る感じの口ぶりが嫌な想像を加速させていた。こんな歯切れの悪い明日原見たことない。

 

「一人暮らしも……まあ、気軽と言えばそうでしたが、たまに寂しくなる時はあります。帰りが遅くなった日とか、暗い部屋に電気を付ける瞬間とか……何もすることがない休日とか、特に」

 

「さ、寂しいんだったら友達とかは──」

 

「この年になると、高校時代の友人や、同年代のトレーナーから結婚式の招待状が届くことが増えるんですよ……。新婚というのはどのパターンも似通っていましてね、これがまた幸せそうな表情をしているものです。昔話に花を咲かせて楽しんだ帰り道や、鍵を開けて暗い部屋に一人で帰った時とか、なかなか心に来るものがありますよ。僕は本当に、このままでいいのか……と」

 

 ものすごい生々しく、切実でリアルな話だった。独り身の気楽さと寂しさはトレードオフ、独身貴族といえば聞こえはいいが、実際は普通に寂しい。トレーナーの多くはプライベートが壊滅していて、この悲惨な状況は何も明日原だけに限った話ではない。

 

「しかしなにぶん、多忙な職ですから……仮に家庭を持つとしても、パートナーの理解を必要とするでしょう。稼ぎは十分だとしても、まぁ……なんです。不満が溜まったりすることは避けられません。トレーナーとウマ娘が結婚するケースが多いのは、ウマ娘がトレーナーという職に理解があることも一因ではないのでしょうか……」

 

「だ、だから……スカーレット先輩と、その……てか、えっと、あの、えっと──」

 

「……僕もいい歳です。それに、ああもストレートに求められると、どうにもその気になってくるというか、いい加減僕も彼女に申し訳なくなってくるというか。随分待ってもらっていますし──」

 

 なんだかんだ変わらないだろうと楽観していた現実が崩れ落ちていく中、ジョーダンは直感的に理解した。これが──ダイワスカーレットの戦い方なのだ。

 

「いい加減、僕も答えを出さなければスカーレットへの不義理になります。彼女の本家からも睨まれ続けて3年と少し……答えを出せば、この胃痛も消えてくれるでしょうか……」

 

 間違いない。胃の痛そうな顔をしている明日原の姿を見て確信した。

 

 外堀と内堀、その両方を埋めていく気だ。短期的には、もちろん明日原はスカーレットのことを受け入れることはしないだろう。割と倫理的な意識の高い明日原のことだ、優しく諭して諦めさせるに決まっている。

 

 だが長期的に続けていくことで、明日原のガードにヒビを入れていくのだ。

 

 "これほど長くスカーレットの時間を奪ってしまったのだから、応えなければ申し訳ない──"

 

 間違いない。あの女は明日原のことを知り尽くしている。罪悪感──その方向から攻めている。これは単なる恋愛ではなく、一種の戦いなのだ。

 

「……何度も、彼女のまっすぐな笑顔に救われていました。現役時代から──右も左も分からず、不安に苛まれていた中で、彼女が初めての担当だったことがどれだけありがたかったか」

 

 ダイワスカーレットには溢れんばかりの自信があるのだ。そうやって明日原を陥した後の生活で、必ず幸せな関係性を築けると確信しているのだろう。

 

「……まあ、今でもたまに夕食を作りに来てくれてるんですが、それが非常に有難くて……特に体調を崩した日など、本当に頭が上がらない。どうせ独り身ですし、彼女の好意をこれ以上無碍にするのも、心がどんどん削られるようでして……」

 

 目に浮かぶようだった。疲れた顔をして帰ってきた明日原をスカーレットが出迎えて、仕方ないわねって言いながら食事の準備を始める──それそういう作戦だから。完全に思うツボだから。気づいて。本当に気づいて欲しい。そう言いたかった。

 

「結婚──……人生、決めてしまいましょうかね。母さんにも、孫の顔を見せてあげたい──」

 

 やばい。完全に諦めてる。相当に弱りきっている。

 

「だ……だめっ!」

 

 衝動的に叫んだ。最もこれは悪手──ジョーダンには、明日原の人生に口出しできる理由などない、少なくとも表面上は。

 

「いえ、言いたいことは分かりますよ。教え子に手を出すとか……って、正直思いますよ、ええ。罵倒も失望も、甘んじて受け入れましょう」

 

 妙な勘違い。

 

「いや、そうじゃなくて!」

 

「では何です?」

 

「………………あの、スカーレットパイセンと結婚したらさ、なんかあたしが気まずいじゃん……。なんか、奪ってるって感じだしさ」

 

 苦しい。あまりにも理由として苦しい。あまりにも苦しすぎるし、こんなこと言われたらジョーダンの想いに気がつきそうなものだが、残念ながら明日原はクソボケだった。

 

「いえ。彼女はそんなことを気にする性格ではありません。人一倍頑張った分、同じように頑張っている後輩に対し悪感情など抱くはずがない。むしろ手伝ってくれるらしいです」

 

「………………」

 

 光景を想像する。トレーニング中に出張ってきて色々世話を焼いてくれるスカーレット、そしてこっちが頑張ってる横でイチャつく二人。考えうる中で最悪のケースだった。

 

「まあ……スカーレットが学生である以上、流石に今すぐ結婚という形にはしたくありません。今まで通りの婚約に落ち着くでしょう。そしてスカーレットが大学を卒業したら──」

 

「したら?」

 

「……まあ、はい」

 

「に、濁すなぁっ! 言葉を濁すなぁぁぁぁぁぁぁあああ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー ー ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうしよ。もうどうしよ。無理。無理、無理ぃ……あっすー取られるぅ……やだぁ……」

 

「やれやれ。ぼやぼやして行動しないからこんなことになるんです──」

 

 ブエナビスタはそんなジョーダンを半目で睨みながらクソ辛辣な言葉を投げた。半泣きの呻き声を残してジョーダンは突っ伏した。

 

「──と、言いたいところですが……状況は芳しくありませんね。もはや壊滅状態と言うべきですか……このこと、アオイに伝えたら多分泣きますね。ボロボロ泣いて半年ほど使い物にならなくなりますね。どうしましょう……」

 

 泣きっ面に蜂というわけではないが、ジョーダンは桐生院のことも明日原に聞いてみた。

 

『ち、ちなみにきりゅーさんのことは……どう、思ってんの?』

 

『……? なぜ桐生院さんが出てくるんですか? まあ、ポンコツですが尊敬できる同僚です。色々と助け合うこともありますし、いい友人ですね』

 

『その、恋愛対象とかとしては』

 

『恋愛? いえ、考えたこともありませんが……』

 

 ──そのことをナビに伝えると、ナビは大きく息を吸って吐いた。

 

「すぅ──はぁ────殺した方が早いですね」

 

「待った。気持ちは分かるけどやめて」

 

「今からあのクソボケを殺しに行きます。止めないでくださいね」

 

「やめて? マジでやめて?」

 

 今となっては信じられないかもしれないが、ナビの担当は一時的とはいえ明日原だった時期がある。実態を知る前、ナビは明日原に憧れていたと言ってもいい。ティアラ三冠への道を導いてくれるのは明日原しかいないとさえ思っていた──が。

 

 今は鋭利なシャーペンを片手に立ち上がって殺意を纏って、明日原を殺しに行くところだった。それも仕方がないことだ。

 

「ほら、そんな殺気出してたらネコが起きちゃうじゃん? 座って? ほら座って?」

 

「落ち着きました。あいつを殺すのは最後にしておきます」

 

 これに関しては桐生院も悪い部分はある。トレーナーとしての手腕は超一流でも、人格の方がポンコツなのは明日原も承知の上。しかし女性としての魅力に欠けているとは言い難い桐生院を恋愛の対象として捉えていないのは、スカーレットからの牽制やらジョーダンによる邪魔やミークとブエナビスタの余計なお世話による撹乱の結果であって、無駄に複雑に絡まり合った要因によるものである。

 

「……でも困りました。こうなればもはや勝ち目などありません。アオイにも、ジョーダンにも……」

 

 これには参った。かなり参った。

 

「全くあの野郎……。言っときますが私は嫌ですよ、玉砕してボロボロ泣くアオイを見るのも、見事にフラれてボロボロ泣くジョーダンを見るのも」

 

 恐ろしいほど簡単に想像がついた。多分、スカーレットと明日原が結婚するとジョーダンは泣く。ボロボロ泣く。そして多分、もうまともに明日原のことを見れなくなる。結婚の具体的な時期がいつになるかはわからないが、今年中とかにされたら最悪ジョーダンはトレセンを辞めるだろう。おそらく桐生院の方も似たり寄ったりだ。

 

「無理ぃー……。もう無理ぃ……」

 

 結局、しばらくジョーダンはトレーニング中もこのことを引きずり、一週間ほど身の入らないトレーニングをすることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 ー ー ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恋バナばかりしているブナネコアートの面々だったが、もちろん昼間にはトレーニングがある。今日、この日はちょうど夏合宿の折り返し日ということもあり、ここまでの能力測定も兼ねてあるイベントが開催されることになっていた。

 

「にゃににゃに? 砂2000mの直線勝負……?」

 

「そ。11時からね。それまでに着替えて宿舎前集合だってさー。あ、今日のレースは全力を見たいから、午前中はトレーニングは禁止だって」

 

「うえっ、私早朝トレーニングしちゃいました! もっと早く言ってくださいよ、ジョーダン?」

 

「ごめん、ここんとこ気ぃ抜けててさ……」

 

「ジョーダンもナビもアケノも色恋沙汰に(かま)けすぎなんじゃないか? 気を抜いていると、レースの方でも負けちまうぞ?」

 

 ふっと笑ってナカヤマフェスタが挑発した──反応は劇的だった。

 

『──あ"?』

 

「にゃっ!? にゃに!? 怖いにゃ、アケノ〜!」

 

「ネコ、大丈夫だから、多分……ほんと、一瞬で切り替わるよね二人とも。気配が怖いよ〜……」

 

 最近はポンコツな部分と畜生な部分しか見ていなかったので忘れていたが、一冠と二冠である。流石にレースとなれば意識が切り替わった。

 

「……って、あー。ふつーにあたし、まだ陸じゃ走れねーこと忘れてたわ。うっかりうっかり」

 

「ふっ。指を咥えて見てやがれです、ジョーダン。もりもり強くなった私をカツモクせよ!」

 

「にゃーのこともカツモクにゃ〜!」

 

 ふっ、と珍しくナカヤマフェスタが優しげに笑った。今日も今日とてブナネコアートは仲が良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、お手伝い係ってわけですかーそうですかーはいはいー」

 

「まあまあ、そう言わず」

 

 海岸線を伝う砂のコースは直線で、向こうで控えているウマ娘たちは米粒の大きさよりも小さく見えていた。

 

「つかあっつー……。ねー、あんた平気なん?」

 

「そりゃ嫌になる程暑いですよ。ですがこの熱気も湿度も、今しか味わえないと思えば多少は許容できます」

 

「なにそれ、わかんねー……」

 

 ちら、と薄着の明日原を盗み見た。浮き出た汗が張り付いていた──ぶんぶんと頭を振った。何を考えている。

 

 息を入れ直してストップウォッチを構えた──首筋にピタッとしたものがくっついて、ジョーダンは飛び上がった。

 

「うひゃあ!?」

 

 首筋に当たったのはクーラーボックスに入っていたアクエリアスのペットボトルだった。では誰がそれをやったのかというと──。

 

「いい反応です。よく冷えていますよ、これ」

 

 明日原の悪戯だったらしい。ジョーダンはじろりと明日原を睨んで、バシッと冷えたペットボトルをひったくるとキャップを開けて一気に流し込んだ──

 

「……っつー……!?」

 

 それがやたらめったらよく冷えていて、キーンと頭が痛くなってジョーダンは顔を顰めた。それを見て明日原が笑った。

 

「ははは。やはり、君といると退屈しませんね」

 

 無駄に爽やかな笑顔だった。思わず目を取られる──すぐに正気を取り戻して睨みつけた。

 

「あんた覚えてろよ……」

 

「ええ。覚悟しておきましょう」

 

「……あーもー!」

 

 完全に手玉に取られて、とりあえずジョーダンは叫んだ。

 

 

 

 

 

(……何イチャついてんだあいつら……)

 

 一般通過加賀がそれを白い目で眺めていた。本当に何やってんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー ー ー 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おらおらおらおらぁ──っ!」

 

 この砂2000m直線勝負の参加者は大体60名前後で、1レース20名程度として3回ほど行われる。特徴として、レースコースのようにコーナーがない。感覚としてはダートに近く、適正があると有利だ。

 

 コーナーがないということはつまりは駆け引きが少ないということで、純粋に誰が1番早いのかがよくわかるということだ。純粋な実力が浮き彫りになる──アケノオールライトには、わずかな自信があった。

 

 夏合宿では大幅な能力の向上が見込める。その理由として、これまで学業に充てていた時間を全てトレーニングに費やせるということがある。トレーニングした分だけ強くなれる。少なくとも、一定のラインまでは才能ではなく努力量がものを言う。それは全てのスポーツに共通することだ。

 

 ──夏には、力がある。

 

 アケノオールライトは一つ無理をしている。これまでの戦績は6戦2勝、グレードとしては2勝クラス〜OP戦というところ。だがこの合宿に集まったウマ娘の平均主戦場はGⅢ〜GⅠ。アケノと同じくらいのレベルのネコパンチは例外として、相当に周囲のレベルが高い。

 

 トレーニングはあくまで個別で行うものだ。個人個人のレベルに合わせて行う。だがそれはそれとして、合宿のレベルというものがある。夏合宿は全国100ヶ所以上の場所で行われているのだ。その中から大体自分と同じか、少し上のレベル帯を選んで参加する。しかしアケノは、自分よりも数段上、今世代トップ帯の夏合宿に参加した。

 

 何せ、ここには世代の代名詞が二人もいる。ティアラ二冠ブエナビスタとクラシック一冠トーセンジョーダンだ。OP10着のアケノとは格が違いすぎる。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 

 だから、いざこうやって比較してみると現実が浮き彫りになった。先頭をバクシンするブエナビスタとはもう10バ身以上の差がある、残り1000mの時点でだ。

 

 それでなくとも、前とは4バ身開いている。必死に食らいついてこれだ、ラストスパートでは目も当てられない。それは分かっている。

 

 けど、それでも強くなりたい。負けたくない。

 

「っ、私だって──私、だってぇ……っ!」

 

 今合宿、ネコパンチと並んで最下位争いをするアケノだったが、気概だけでは誰にも負けないつもりでいた。

 

 結果的に20人中の最下位で、ブエナビスタとは7秒ほどの差が着くことになっても、アケノオールライトは全力で走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様です、アケノ」

 

 走り終わったウマ娘たちが荒い息を整えて談笑している中、座り込んだアケノオールライトに最初に話しかけたのはブエナビスタだった。

 

「あ……ナビ。えへへ、やっぱり敵わないなぁー……。ダート専門の子も混ざる中なのに、ナビはいっつも一着だね」

 

「そりゃあ私が最強ですから当然の結果です。でも、アケノの走りも捨てたものではありません」

 

「いいよ慰めなんて。自分の実力は良く分かってる……本当なら、違う合宿所を選ぶべきだったってこともよく分かってるんだ……」

 

 およそ20馬身以上──大差での決着は、言葉を選ばないのなら惨めだった。目を逸らしてしまっても仕方がないレベルだった。だからアケノは顔を伏せて、誰とも目を合わしたくなかった。

 

「そう卑下するもんじゃないです。アケノは最後まで顔を下げなかった。走り切るその瞬間まで諦めなかったんですから──私は好きですよ、アケノの走り。負けると分かっていても全力で走り切ることは、誰にでも出来る事じゃないと思います」

 

「……ありがとう、ナビ」

 

 差し出してくれたペットボトルの中身をグイッと飲み干した。夏の暑さと全力疾走で流れた汗の量は凄まじく、こまめな水分補給無しではすぐに熱中症になる。

 

 ブエナビスタは、割とデリカシーのない発言もするし、遠慮のない行動もする。気安い相手には割とえげつない悪戯もする。

 

 けど、本質はとても優しいウマ娘だ。

 

 座り込むアケノに、毅然とした表情で手を差し伸べる姿は堂々としていた。情けや同情などではない親愛があった。

 

 アケノオールライトがブエナビスタに出会ってから約1ヶ月が経って、アケノはずっとナビのことが好きだったし、ブエナビスタもアケノと一緒にいるときが1番楽しそうだった。ブナネコアートの中で最も気が合うのは、意外にもブエナビスタだった。

 

 アケノはぱしっとナビの手を掴んではにかんだ。

 

 

 

「もしも一つだけ願いが叶うんなら、いつかナビと対等な舞台で戦いたいな」

 

 

 

 もっと強くなって、今までよりもずっとずっと強くなって、公式のランクでブエナビスタに並んで、きちんとしたレースで戦いたい。

 

 GⅠに出場したいとか、そういうことではないのだ。そこには僅かな、しかし確実な違いがある。

 

 ブエナビスタはその微笑みを見て、驚いたように呆然とした後に力の限りアケノを引き上げて抱きついた。

 

「うわっ、ナビ!?」

 

「アケノーっ! あなたというウマ娘はーっ!」

 

 勢い余ってまた砂浜に倒れ込んでも、ブエナビスタはまるで気にする様子がなかった。

 

「よくぞ言いました! 願ってもない言葉です、アケノなら登って来れますよ!」

 

 いつもの元気以上に、喜色に溢れた笑顔で──嬉しそうに、楽しそうに。

 

 ブエナビスタはティアラにおいての絶対的な女王だ。強いレースをするし、強い勝ち方をする。並居るライバルを全て叩き潰して来た。

 

 絶対。それはある意味での孤独だ。

 

 トーセンジョーダンにはロジユニヴァースというライバルがいて、バチバチとした火花を散らしている。次の舞台ではどちらが勝つのか分からないけど、お互いに全く譲らない──ブエナビスタには、そんな相手はいない。

 

 面と向かってこんな言葉を言ってくれたのは、次の秋華賞を競うライバルたちではなかった。せいぜいがOPグレードのアケノオールライトがなんと初めてだったのだ。

 

 犬みたいにアケノにじゃれつくブエナビスタは年相応の笑顔に溢れていた。やめてよー、と冗談めかして笑うアケノを一通り堪能し終わって、ナビはようやく落ち着いた。

 

 落ち着いて、一言だけ静かに呟いた。

 

「……待ってますからね、アケノ。約束ですよ、いつか一緒に戦いましょう」

 

 それはある意味では、ブエナビスタの本当の望みだったのかもしれない。

 

「あ……うん。……約束」

 

 自分などに果たせるはずがない、理性ではそう分かっている。けどアケノはそう答えた。そうなる未来が来ればいいと思った。

 

 ブエナビスタは満足したのか、ルンルンで桐生院の元へと歩いて行った。

 

 一人残されたアケノは決意を込めて、ぎゅっと拳を握る。

 

「いつか果たせるといいな。ううん……果たすんだ。必ず……追いついてやるんだから」

 

 ナビが去って行った方向を見つめて、蓮井がアケノのところへ歩いてくるまで、ずっとアケノはそうしていた。

 

 

 

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