「当然、冗談に決まってんじゃん?」   作:にゃんこぱん

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追い詰められて

 

 

「にゃー、ジョーダン! おーい」

 

「あれ、ネコじゃん。よっす」

 

 登校中にネコパンチと出会った。

 

「おはよー……え、なんで魚肉ソーセージ食ってんの?」

 

「なんかよく貰うんだにゃ。にゃーが食べてると猫っぽいとかどうとか……」

 

 微妙に不満そうなネコパンチはペリペリと包装を破りながら話した。ぱくっと一口頬張って噛んでいる姿はなるほど、確かに──

 

「……マジでまんま猫じゃん。かわいーなおまえなー。よしよし」

 

「にゃー。こーやってにゃでられるまでがワンセットにゃ。もう慣れたにゃ」

 

 ジョーダンはネコパンチを撫でた。身長差があるため非常に撫でやすいし、抵抗もしないし、髪の毛はふかふかで気持ちいい。そんなことをしながら、ネコと一緒に登校する。

 

「にゃー、まったく。ここのところ散々だにゃー……」

 

 ネコパンチには肩を落としてそう言った。元気がにゃい。

 

「なんかあったん?」

 

「にゃー、みんな忙しくてにゃーに構ってくれにゃいし、にゃんかピリピリしてる気がするにゃ。ウカツに背伸びも出来なくて窮屈だにゃ。レースは散々だし、トレーニャーにも叱られるし。ちょっと壁引っ掻いたくらいで、あんにゃ怒らにゃくてもいーじゃん」

 

 同情の余地があるかどうかは微妙なところだった。というか壁を引っ掻くのはもう猫だろう。ウマ娘の体に間違って猫でも転生でもしたのだろうか。

 

「ジョーダンも、遊ぼうって約束したにゃ?」

 

 ため息を吐いて、ネコパンチは恨めしそうにジョーダンを見上げた。

 

「ごめんって。今は有に向けてガチらなきゃなんよ、年明けたら……ね?」

 

「もう3回くらい聞いたにゃ。ナビはピリピリしてるし、ニャカヤマは返事もしてくれないし。ニャーの味方はアケノだけだにゃー……」

 

「……アケノ?」

 

「にゃーは連絡取ってるんだよ。アケノ、地元に帰ったけどにゃーとはよく電話するにゃ。ジョーダンはしてにゃいの?」

 

 ──思わず、答えに詰まった。

 

 アケノのその後をジョーダンは知らない。秋田に帰った後どうなったのかなど知らない。SNSの更新も途絶えている以上、受動的にそれを知る手段はない。能動的なものなど尚更──知らない。知ろうともしない。

 

 今話しても、ジョーダンはきっと何を話していいか分からない。どの面を下げて、何を言えばいいのだろう。

 

「にゃー。アケノ、何にも言ってくれなかったんだにゃー。ジョーダン、アケノのこと黙ってたにゃ?」

 

「……まー、広めることでもないかなって。アケノは……もうあたしらとは別の道を行ったわけだしさ」

 

 多少バツの悪い顔でジョーダンは言うが、ネコパンチは軽く首を傾げる。

 

「にゃ? ……まあいいにゃ。ふんだ、みんな構ってくれないなら、にゃーだってひとりで頑張るもんねー」

 

「ごめんって、んなつもりじゃなかった。ごめんごめん」

 

「にゃー。あんまりひどいと、ジョーダンがほんとに寂しい時に横にいてあげないよ!」

 

 ──ぱちりと瞬きをして、ジョーダンはネコパンチを見つめた。ムッとしたような、拗ねたようにジョーダンを見上げている。

 

「……あたしがほんとに寂しい時、横にいてくれるの?」

 

「その時でもジョーダンがにゃーのトモダチだったらの話だにゃ。にゃーはおみゃーのペットじゃなくて、ココロあるウマ娘なんだにゃ。そこんとこ間違えんにゃ」

 

 筋の通った言い分に、ジョーダンは少しだけ反省するとネコパンチを優しく撫でた。

 

「トモダチ、か……アケノも、トモダチかな?」

 

「にゃに寝ぼけたこと言ってんだにゃ。トモダチはどこにいてもトモダチだよ! にゃーはね、トモダチに辛いことがあった時は、例えにゃんにも出来なくても横に居てやりたいんだ」

 

「……そっか。すごいね、ネコは」

 

 ──だとするならば。

 

 きっと、アケノとは友達ではなかったのだろう。知っていたことだ──。

 

「夏合宿、昨日のことみたいに感じるけど……なんか、終わった感あんだよね。ナカヤマもナビも、そんであたしも。過ぎ去ってくような、なんか寂しいけど──それでいいっつーか、そうなるのが自然な気がすんだよね」

 

「にゃあ……? でも、夏合宿なんて随分前の話だにゃ」

 

「ううん、そうなんだけど……時間があっちゅーまに過ぎてく気がする。全部昨日みたいな気がするんだよ。なんて言葉にしていいのか、よく分からないけどさ」

 

 なんだか妙に大人びた表情で、遥か遠くを見ているような──ネコパンチはそんなジョーダンを見上げて不思議そうに首を傾げている。

 

「……にゃー。そういやニャカヤマ、なんかあったんかにゃ?」

 

 ふと思い出したように、何気ない様子でネコは聞いた。

 

「……。どうしてそう思うん?」

 

 ジョーダンはわずかに表情を固くした。

 

「にゃんとにゃく。にゃあ、にゃんか元気にゃいってか、たまに見かけても全然お話してくれにゃいし、にゃんか不安定っつーかにゃ、てか怖いんだにゃ。にゃに考えてんのかにゃーって考えるんだけど、まったく分からんし」

 

 とても嫌な感じがする、とネコパンチは寂しそうに呟いた。ブナネコアートは完全にバラバラになってしまった──そんな感じがする。元気が取り柄のネコパンチも、そのせいか最近はしょんぼり気味だった。

 

「にゃんか知ってる?」

 

「……ううん、知らない。アケノのこと、まだ引きずってるだけじゃね?」

 

 一つジョーダンは嘘を吐いた。ナカヤマに限って、何ヶ月も同じことを引きずるとは考えられない。

 

「にゃー、そうかにゃ。そうかもにゃー……。話変わるんだけどにゃー。ジョーダン、いっこ頼んでいいかにゃ?」

 

「ん、にゃに?」

 

「ナビのこと」

 

 ネコパンチはそこで足を止めて、真っ直ぐに前を見つめたまま続けた。いつになく真剣な様子だった。

 

「にゃあは中等部だし、練習してる場所も違うからナビに全然会えないにゃ。たまに見かけるナビ、にゃんかそそっかしいにゃ。この前も、にゃんもにゃいとこで躓いて転んで地面にキレてたにゃ」

 

(何してんの……?)

 

「気持ちによゆーがにゃいのかにゃー……。にゃーみたいにどんと構えてりゃいーのに、にゃんかやらかしそうにゃ気がするにゃ。だからジョーダン、ナビのこと見守ってやるにゃ」

 

 とても中等部とは思えない慈しみに溢れていた。ネコパンチは幼い見た目からは想像も出来ないくらいに達観している部分があって、そしてジョーダンが出会ってきた人の中でも1、2を争うほどの優しさがあった。

 

 ジョーダンはしばらく呆けた後、ガシッと小柄なネコパンチを正面から捕まえてわしゃわしゃと頭を撫でた。

 

「……にゃあー。次からお金取るよ、わしわしするの」

 

 不満そうな声を出しても、可愛らしい愛嬌があるネコパンチは迫力がない。鬱陶しそうな仕草をしながら、呆れの中に優しさが混ざっていて聖人かと思うレベル。

 

 ジョーダンはそのふわふわした感触を堪能した後に、ネコに向き直ってニカっと笑う。

 

「トモダチ料金ってことで、ツケといてくんね?」

 

「ダメにゃ。例外という綻びからルールは崩れてくんだにゃ」

 

「んふっ、きびくね?」

 

 相変わらずの、外見と言動のギャップについ吹き出したジョーダンを見て、ネコパンチも呆れ笑いを浮かべた。それを見て、またジョーダンは息を入れ直し、自信あり気に胸を張った。

 

「っし……ナビのこと、任されたわ。あたしあんま賢くねーだろうけど、2回も同じ失敗はせんから」

 

「しっぱい?」

 

「もう後悔はしたくねーんだわ。一人部屋は結構寂しいしさ。これ以上トモダチが居なくならねーように、できる限りのことする」

 

 わずかにそう決意し、きちんと言葉に出すことで自分の想いを再確認する。トモダチ──あるいは、そう呼べる関係だったのかもしれないと、そう後悔しながら。

 

「よく分からんけど……その意気だにゃ──あ、もうこんな時間! 遅刻するにゃ、急ぐよ!」

 

 予鈴のチャイムが聞こえてきて、ネコパンチは慌てて駆け出す。

 

「……やべ。今日日直だったの忘れてた……あー! また怒られるってー!」

 

 ジョーダンとネコは、そんないまいち締まらない朝を駆け抜けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー ー ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 機会は存外すぐに回ってきた。

 

 今日のトレーニングの時間がそれだった。基礎的なアップとロードワークの後、5人ほどで集まって並走することになっていた。

 

 ネコパンチとの約束を交わした後、ジョーダンはなかなかブエナビスタと一対一で話をする機会を捕まえられずにいた──が、ここでの合同トレーニングにはブエナビスタも参加している。メンバーは以下の通り。

 

 トーセンジョーダン、ブエナビスタ、ハッピーミーク、ロジユニヴァース──そしてオルフェーヴルというジュニア級のウマ娘が一人混ざることになっていた。

 

 ──オルフェーヴルというウマ娘に関して。

 

 オルフェーヴルは苦労人加賀の担当ウマ娘の一人で、ナカヤマフェスタと並んで気性難なジュニア級ウマ娘だ。普段はマスクを着けていて、外すと性格が変わる。何だそれ。

 

 メイクデビューは1着となるが、芙蓉ステークスでは2着に敗れ、先日の京王杯ジュニアステークスでは10着と大敗している。高い素質を見込まれているが、まだレースに対しての経験が不足していることが主な敗因。

 

 普段は大人しく人見知りする性格で、顔を伏せている姿が印象的だ。だが走る時にはマスクを外し、性格が豹変。剥き出しの闘争心で力強いをする。小柄な体格とのギャップが特徴だ。先日の夏合宿にはオルフェーヴルも参加していて、マスクの下には微妙な日焼け跡が残っていたりする。

 

 が、オルフェーヴルは今回の出来事にはあまり関係がない。

 

 トレーニングはアップの長距離走から始まり、ラップ走、並走と続いた。並走ではお互いがお互いに気がついたことを言い合ったりして、新しい気づきなどを与え合っていた。

 

 ハッピーミークとジョーダンの並走ではジョーダンは最後までミークを差し切れなかった。ここではミークが上手い具合にジョーダンを外に追いやらせて外を回させたりする技術を披露したりしていた。練習は全体的にはそんな感じだった。

 

 メンバーのそれぞれの能力的な分析。

 

 末脚はほとんど先天的なものだ。故に、トーセンジョーダンは後天的に鍛えられる部分を鍛えた。それはスタミナと根性──言い換えれば、トップスピードの維持。それと競い合いが得意で、一人でタイムを測るよりも、他人と競い合った方がいいタイムが出るタイプだ。

 

 ハッピーミークはお手本のような強さを極めた形のウマ娘。基礎的な能力が高水準でまとまっていて、とにかくレースが上手い。どんな難しい状況からでも最適解を導き出し、それを実行できる確かな技術と思考がある。一つの到達点だと言えるだろう。

 

 ブエナビスタ。追い込み気味の差しから先行、幅広い脚質を持っている。これまでのレースではほとんど上がり最速でゴールインと、強い末脚のキレがある。何より特徴的なのは、これまでの全てのレースで1番人気に推されてきたこと。本人の愛嬌や性格は非常によく愛されているというか、とにかく人気がある。ただ三冠の掛かった秋華賞を取りきれない上に降着したりと、ここ1番でポカをやらかしている。

 

 オルフェーヴル。ジュニア級の現時点ではまだなんとも言えない。能力の高さは垣間見えているのだが、レースに対する未熟さがそれを上回っている。精神的な面に置いて、普段とレースでの間にあるギャップ──それが、妙な危うさを抱かせる。当面の課題は、レースにおいて全体的に掛かり気味な点を改善させることだ。

 

 最後はロジユニヴァース──最近では、あまり聞かなくなった名前だ。

 

 ダービーの後、ロジユニヴァースは体質が弱り、レースを回避するようになった。生来の骨格の歪み──外向きの足が体に負荷を与えてきた。重馬場のダービーは出走したウマ娘に少なくない疲労を強いたが、その中で全力を出し切ったロジユニヴァースには一等強い負担を与えたのだろう。

 

 夏休みを終えて、菊花賞トライアルであるセントライト記念や神戸新聞杯への出走を予定していたものの、結局出走はしなかった。その後はアルゼンチン共和国杯やジャパンカップを目指したが、外向きの足が調整の邪魔をして出走を回避。秋シーズンは一度もレースに出ていない。

 

「はん、引きこもりが。ダービーウマ娘が笑わせますね」

 

 練習後、ブエナビスタは冷たい表情でロジユニヴァースを見下して、そう言い放った。

 

「……」

 

 彼女は何も言い返さなかった。怒りも悲しみもせず、聞いていないかのように目を閉じている。

 

「走る気あります? 今日の練習も本気出してたんですか? もしさっきの走りが本気なら、ほんとにダービー勝てたか疑っちゃいますけど?」

 

 小馬鹿にするような言葉と失望の瞳はどこまでも冷たく、少し前のブエナビスタでは想像もできない様子だ。有り余る元気と畜生発言がキャラだったが、本当に人を傷つけることは言わないししない性格だった。何だかんだで優しいウマ娘だった──そのはずだった。

 

 最近のブエナビスタには余裕がない。練習中でもたまに笑顔を見せていたブエナビスタの面影は最近めっきりなくなって、まるで強くなるための作業のようにトレーニングをしている。今日もそんな感じで、少しだけ息苦しかった。

 

 ヒリつき始めた雰囲気のブエナビスタに周囲は黙ってそれを見守るしか無かった──トーセンジョーダン以外は。

 

「やめとけし。喧嘩吹っ掛けんなよ、あんた何言ってんの」

 

 ジョーダンも最初はやんわりと嗜めようとした。少なくとも最初はそのつもりだった。

 

 不幸だったのは、この時たまたまトレーナー陣が席を外していたことだろう。練習の後の時間に運悪く会議が入ってしまったため、ウマ娘たちは練習の後片付けをした後は各自解散することになっていた。

 

「退いてくださいよ。ジョーダンには関係ありません」

 

「……あのさぁ。こいつ、あたしのトモダチなの。目の前でんなことされても黙ってられねーって」

 

「そこのダービーウマ娘(笑)がレースに出てもいないのは事実です。ダービー獲ったのならどうして走らないんですか? 強者なら最低限戦うべきです。そんなんでよく恥ずかしげもなく生活出来ますね。ファンやライバルたちに申し訳なくないんですか?」

 

 何も言わないロジユニヴァースに代わってジョーダンが言い返す。

 

「走んなきゃいけない理由なんてあんの? 戦うかどうかなんて外野がどうこう言う事じゃねーし、そいつが自分で決めることでしょーが。それにこいつだって、そうしたくてそうしてるワケじゃない。……言っていい事と悪いことがあるでしょ」

 

「そんなことどうでもいいんですよ。私が聞きたいのは一個だけです。ロジユニヴァース、あなたは走れるんですか? それとも走れないんですか? 走れないならとっとと引退してくれませんか? 目障りなんです」

 

 ブエナビスタはどこまでも冷たい表情でそう言った。どうやら──本気で言っているらしい。そのことを理解して、トーセンジョーダンは心の中でネコパンチに謝った。

 

(ごめんネコ、約束は守れそうにない)

 

 一歩、ジョーダンは前に出てブエナビスタを真っ向から睨んだ。言葉がなくとも、ブエナビスタの表情に僅かな緊張が混じった。

 

「取り消せ」

 

 これまで、トーセンジョーダンは誰かに明確な敵意を向けたことはなかった。あったとしても、せいぜいがナンパを追いやる程度のもので、親しい誰かに心の底から怒ったことはなかった。アケノオールライトとの口論──最もあれはほとんどアケノの独白だった──は、また種類が違う。

 

「ナビ。今の撤回しろ」

 

 短い言葉だったが、恐ろしく濃密な迫力が篭っている。威圧感が目に見えるようで、見守っていたハッピーミークでさえも息を呑んだ。

 

「お断りです」

 

 それに対して、ブエナビスタは真っ向からぶつかった。

 

「なんで?」

 

「決まっています。レースの世界において、走れないウマ娘に価値はないからです」

 

 ぎり、とブエナビスタが奥歯を強く噛んだ。どこか憎しみすら感じさせる表情でトーセンジョーダンを射抜く視線、まだ手が出てないのが不思議だ。

 

「そいつは義務を果たしていません。許せることじゃありません」

 

「……義務?」

 

「ダービーを勝ったんなら、その後もふさわしい成績を残すべきです。けど何ですか、出走回避に出走回避──あなたを応援していたファンの想いはどうなるんですか? 虚弱体質なら最初から引っ込んでればいいんですよ。燃え尽きだか何だか知りませんが、これ以上醜態を晒さないでください。中央(トゥインクル)の恥晒しです」

 

 日本ダービーは単なるGⅠではない。

 

 それは特別なレースなのだ。クラシック三冠のうちの一つとかそういう理由ではない──皐月賞でも菊花賞でもなく、日本ダービーが特別なのだ。野球で例えてみるが、シニア級がプロリーグだとすると日本ダービーは甲子園だとされる。他のGⅠは何度も挑戦するチャンスがあるが、クラシック三冠は一度きりだ。

 

 クラシック3冠の中でもダービーが特別なのは、元々イギリスでのレースを参考に作られた点に由来し、イギリスにおいての当時のダービー、エプソムダービーが当時最も位置付けが高かったレースだったためとされている。

 

 ダービーを獲れれば、もう辞めてもいいというトレーナーがいる。

 

 ダービーを獲れるなら、壊れてもいいというウマ娘がいる。

 

 ダービーを勝つ、そこに選手生命のピークを持っていく──そして、燃え尽きる。ロジユニヴァースは典型的なそのタイプだった。それは早熟とも表現される。

 

 ただそれは決して珍しい例ではない。そもそも論になるが、選手人生というものには波があり、調子のいい時期と悪い時期は基本的にどんなウマ娘にも存在する。稀に例外(シンボリルドルフとか)もあるが。 

 

「……あんたさ。マジで何のつもりなん? 頼むからこれ以上あたしをキレさせんで欲しい」

 

 ジョーダンは表面上こそ冷静に言うが、それはまるで水面だけが穏やかな海面のようで、潮流の下では海流が荒れ狂っているようだった。

 

「友達ごっこなんてどうだっていいんです。本当のことを言ってくださいよ、ジョーダン。今のそいつにわざわざ戦う価値なんて見出せないでしょう?」

 

 落ち目のロジユニヴァースと、アルゼンチン共和国杯を快勝したジョーダンでは勢いが違う。もしも戦えば勝つのはジョーダンで、それは誰の目から見ても明らか。

 

 栄光の代償──ロジユニヴァースはそれを得るために、他の全てを差し出した。ダービーを獲って燃え尽きるウマ娘の例は多い──アグネスフライト、ウイニングチケット、サクラチヨノオー。対照的にダービー2着のウマ娘ほどその後に活躍する傾向があるのは余談だ(ライスシャワー、ビワハヤヒデなど)。

 

「マジでバカになったんだね。勝つことだけが正義だって言いたいの?」

 

「はい」

 

「草も生えんわ。どの口で偉そうなこと言ってんの? 秋華賞のこと忘れてんのなら、随分都合のいい脳みそしてんな。斜行した上に勝てなきゃ世話もねーわ。ナイス1番人気! 世間の期待とやらにはちゃんと応えられたようで、あーよかったよかったー」

 

 小馬鹿にした言葉に青筋が立った。ブエナビスタの雰囲気が一気に変わった。

 

「……ええ。そうですよ、私が間抜けでした。ルートを誤り、前だけしか見えていなかった私が間抜けでした。挙句あいつを差し切れず、みすみす勝利を渡した私が間抜けでした」

 

 降着処分。最終直線で抜け出す時、他のウマ娘の進路を妨害した──。

 

「あと0.1秒早く仕掛けなかった私が間抜けでした。さっさと前に出ていなかった私が間抜けでした。同じミスは札幌記念でもしていたのに、また間違えた私が間抜けでした。もっと追い込んでおくべきでした」

 

 自虐の言葉とは裏腹に、煮えたぎる怒りの表情が強まっていく。尋常ならざる怒気にジョーダンは思わず警戒する。

 

「──この屈辱は晴らします。必ず取り戻します」

 

 ブエナビスタの次走はGⅠエリザベス女王杯。これまでのクラシック級と異なり、ここからは古バ混合戦線となる。世代の違うウマ娘相手にどこまで戦えるか。それは歴代の全てのウマ娘に突きつけられてきた試練。

 

 エリザベス女王杯が開催されるのは今週末──ブエナビスタは早くも1番人気に推されている。勝つ──絶対に勝つ、勝たなければならない。どこか危うくも、しかし鋭く恐ろしい気配が突き刺すようにジョーダンにのし掛かっている。

 

「……3ヶ月くらい経つのに、まだアケノのこと引きずってんだね」

 

 ジョーダンは睨むというよりは、少しだけ憐れみの混じった瞳でナビを見て言った。ナビの反応は劇的だった。

 

「アケノは関係ありませんッ!」

 

 ほとんど瞬間的に叫んだ言葉が、どこか空虚に響き渡った。

 

 夕方のターフのどこからか、いっちにーいっちにーという掛け声で走っている誰かの声が聞こえる。いつものことだ。

 

 11月の乾いた空気──夕暮れが近くなるごとに、気温はだんだんと下がっていく。少しだけ、汗が乾いて寒くなった。

 

 顔を伏せるナビを、ジョーダンは静かに冷たく見下ろしている。

 

「あんな弱虫のことなんてどうでもいいです、辞めようが去ろうが関係ないです、所詮他人です、どうなろうが関係なんてあるはずありません……!」

 

 とても冷静とは言えない言葉──否定に否定を重ねて、それはまるで自らに言い聞かせているようですらあった。

 

「結果だけです、過程なんてどうだっていいんです、辛いことがあったとか怪我をしたとか、そんなの全部どうだっていいんですよ……! 免罪符に使ってるだけです、要は諦めたってことですッ! 違いますかッ!?」

 

 揺れるオレンジの瞳がジョーダンを捉えていた。それでも、ジョーダンは口を閉じていた。

 

「……勝利だけが、私たちを肯定してくれるんですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日の落ちた寮への道を、ジョーダンは一人で歩いていた。

 

(勝ち、負け、勝ち、負け……)

 

 おかしな話だと思った。楽しそうにレースを走っていたナビは常に勝っていたのに、勝利に執着し始めると惜敗を重ねていく。本当に欲しくなると、手に入らないように出来ているみたいだった。

 

 少しだけ涙が滲んでいたナビの表情を思い出した。

 

(ナビ、あんたはやっぱり……間違ってるよ──)

 

 コツコツと、街路路だけが照らす道をただ歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー ー ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 11月15日。GⅠエリザベス女王杯。

 

 初手から逃げを打った11番人気クィーンスプマンテ、及び12番人気テイエムプリキュア──後続を大きく引き剥がす逃げの展開になった。

 

 4コーナー通過時点での3番手との差、なんと実に20バ身! いわゆる大逃げの展開となり、後続集団が直線で追いかける展開となった。

 

『ブエナビスタは届くのか!? これはとんでもない波乱になるのか! とんでもない波乱になるのか!?』

 

 大逃げ──それはもう、とんでもない大逃げ。

 

 誰が予想出来ただろうか。

 

『これがレースだッ! これがレースの恐ろしさッ!』

 

 その時の実況の言葉が全てを表していた。

 

 大逃げというが、その分スタミナはすでに尽きている。所詮はそこを差し切ればいいだけの話──理論上はそうだ。そして大逃げしたところでこの理論通り、逃げが逃げ切れる場合は少ない。

 

 要因は多い。

 

 クィーンスプマンテの単逃げなら、どこかで下がってくる可能性が高かった。しかしその大逃げに付き合って逃げるテイエムプリキュアがいた。競い合い、あるいはまるで協力しているかのように2人で逃げに逃げて、"もしかしてこれはやばいんじゃないか"と気がついた時にはもう遅かった。何せラスト4ハロンの時点でもまだ10バ身近い差があったのだ。

 

『ブエナビスタ猛追! ブエナビスタ猛追! しかし! クィーンスプマンテッ!』

 

 バカみたいな末脚で登ってきたブエナビスタだったが、2着のテイエムプリキュアにハナ差届かず。あと20mゴールまでが長かったら、おそらくブエナビスタはクィーンスプマンテを差し切っていただろう。だが勝負の世界にたらればは無用。

 

『日本にレースが伝わって100年以上は経ちますが、大穴というのは先行、人気薄が残る場合でありますが、しかしこんなケースはしかし滅多にありません──……』

 

 むしろ、2人による大逃げならば競って落ちてくる可能性の方がずっと高かった。単逃げよりもスタミナは削られるはずだった。だが落ちてこなかった。

 

 気がついた時にはもう遅かった。そういうレース。

 

『これがレースの怖いところ、面白いところ、恐ろしいところです──』

 

 100回やれば、95回はブエナビスタが勝つ。おそらく誰もこの意見には反対しないだろうが、しかし運か偶然か戦略か。レースに絶対はない。

 

 ブエナビスタは3着に敗れた。

 

 そういう結果だけが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんですか。笑いに来たんですか」

 

「ううん」

 

 桐生院の代わりに控え室に来たミークがゆっくりと首を振って、心なしか穏やかな表情を浮かべた。

 

「おつかれさま」

 

 返事はない。

 

「おもしろいレースだったよ」

 

 依然、返事はない。

 

 タオルを被ったままのブエナビスタは、ずっと顔を伏せたまま動きがない。ピクリとも動かないので、おそらくは当分このままだろう。

 

「ざーこ」

 

 とりあえず何か反応させるために、ミークはボソッと呟いた。コンマ1秒でナビが起き上がって叫ぶ。

 

「あ"あ"!? なんですかぁ!?」

 

「あ、動いた……」

 

 ものすごい表情でミークを睨むナビ。ものすごい表情だ。

 

「雑魚って言いましたかァ!? ぶっ殺しますよぉ!?」

 

「どうどう」

 

 首元をガッと掴み上げてやばい眼で睨みつけるナビを宥めるように、ミークは肩をぽんぽんと叩いた。無論そんなものでは止まるはずもない。

 

「誰が雑魚ですかァ!? 私はァ! 雑魚じゃぁ! ありませんンン──ッ!」

 

「わかった、わかった。どうどう、どうどう」

 

 一通りミークを揺さぶり終え、まだ憤怒が収まらないナビがイライラしながら椅子を殴ったが、残念ながら痛いだけだった。

 

「……あおいから何か言われたんですか」

 

 まだ不機嫌なナビがそっぽを向きながらぼそぼそと言う。不貞腐れているようだった。

 

「ううん。でも、最近のナビはいい加減見てられない……ここらで一つ、喝を入れに来た……よ」

 

 わざわざ何の話かなど説明するまでもない。ナビは呆れと苛立ちで頭を押さえる。地味に珍しい姿だった。

 

「ナビは……後悔、してるんだね」

 

 基本的になんの前置きもないミークの脈絡のなさにも慣れたものだ。ただ反撃として、一応聞き返すことにした。

 

「せめて何の話かぐらいは言ったらどーですか。そんなんじゃ友達消えますよー」

 

「ナビは──」

 

 聞けよ、と呟いた声がそっと無視されていった。ハッピーミークはいつも通りのぼんやりとした顔で、いつもと同じ調子で言い放った。

 

「──あの子に夢を見せるべきじゃなかったね」

 

 ブエナビスタの動きが止まった。

 

 部屋の中だけ、時間が止まったみたいに静かになった。

 

「どういうことですか」

 

 ミークは静かに答えた。

 

「別に、それだけ……だよ」

 

「説明をしてくださいよ。私にも分かるように言ってください。夢を見せるべきじゃなかった? 本気で言ってるんですか?」

 

 ちら、とミークがナビの方を見た。無表情なミークとは対照的に、ブエナビスタは溢れ出しそうになる激情を必死で内に留めているような、怒りとも悲しみともつかない顔でミークを見下ろしていた。

 

「スターが夢を見せないんだったら、ただ残酷なだけじゃないですか! アケノが悪かったんですよ、弱いのがいけないんじゃないですかッ!! 待ってたのに、信じてたのに……!」

 

 不安定な言葉、ぐらぐらと揺れる内心──。

 

「そうかもしれない。けどそれでも、ナビはあの子の友達なんでしょ」

 

 ハッピーミークは、夏合宿において結局何もしなかった。だがそれは、何も思わないということではなかった。

 

「……ッ! 知りません、私はずっと強いままです。弱虫の気持ちなんて分かりません、分かるもんですか! あんな軟弱者は、友達なんかじゃありませんッ!」

 

 ブエナビスタは必死に否定に否定を重ねる。そうであって欲しいと願うように。

 

「弱いことは、許されないことじゃないよ」

 

「違いますよ! 私が許せないんですよ、上へ上がってくるなら強くないとダメです。資格がないとダメです、レースの世界には強いヤツだけが居ればいいんですよ!」

 

「……そう」

 

 短く呟いて、ミークは顔を上げた。

 

「わたしより弱いのに、よく(さえず)るね」

 

 まったくの無表情なのは変わっていない。それでも、長い戦いを続けてきたミークから放たれる殺気にも似た圧力は、クラシック級のレースで感じるようなそれとは比較にならない。

 

「ナビは大切なことを見失ってる。有でそれを教えてあげる」

 

「……倒します。倒しますよ、倒してやりますよ。頭水族館はそうやって偉そうにしてりゃいいんですよ。ぶっ飛ばしてやりますよ! あとで吠え面ウマッターに上げられても文句なんか言わせませんからねぇっ!」

 

 そんな口上はやたらと立派で畜生気味なブエナビスタの言葉を背に受けて、ミークは退出していった。どうやら喧嘩を売りに来ただけのようだった。

 

「私が……1番強いです。私が最高で最強のウマ娘です。そうじゃなきゃ……」

 

 残されたブエナビスタは、自分に言い聞かせるように呟く。背を丸めて呟き続ける。

 

「見ていてくださいよ。あなたの夢は私が引き継ぎます。あなたと違って私は強いんですから……」

 

 ブエナビスタが言う──"あなた"、とは。

 

「……弱虫は嫌いです。弱いヤツは見ていてイライラします。どいつもこいつも腑抜けてやがって……ジョーダンもミーク先輩も、目ん玉かっぽじって見てやがれってんです……」

 

 三流悪役みたいな台詞を吐き出しながらも、その姿はどこか小さく見えた。

 

「勝つんです、勝つんです。絶対……勝たなきゃ、勝たなきゃ──」

 

 何よりも許せない自分自身に、そう言い聞かせるように。

 

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