「では、行ってきまーす!」
そう言い残してブエナビスタ一行はドバイへと旅立った。
「行ってらっしゃーい!」
「にゃー、勝ってこーい!」
ジョーダンたちがそれを空港で見送った。テレビカメラも彼女たちの旅立ちを画角に収めるために訪れていた事実が、この海外遠征がいかに注目を集めているかを示していた。
この時期、ドバイでは複数の国際GⅠが開催される。その催しの名を──ドバイワールドカップミーティング。
アラブ首長国連邦で行われるこの国際的な競走は、僅か1日で国際GⅠ5つを含む重賞9つを行う盛大な祭典である。世界中からの強豪が集い、世界の覇者を決定する壮大な舞台だ。
その賞金総額、1000万米ドル(2022年現在では2650万米ドル)。日本円にして約10億、この数字からも規模が見て取れる。
ブエナビスタらが出場するドバイシーマクラシックは出走条件:北半球シニア級以上、南半球クラシック級以上──賞金総額500万ドル、芝2410m。
文字通り、世界への挑戦である。
そんなわけで、ウキウキしながらフライトの時間を待っていたブエナビスタだったが──。
「? 電話──ナカヤマから? アオイ、少し外しますね」
そう言い残し、待合席から少し離れて通話ボタンをタップ。すぐに繋がる。
「もすもす〜。ナカヤマ?」
『……ああ。よかった、まだ出てなかったか』
「よかった、じゃありませんよ。見送りに来いとは言いませんけども……LINEくらい、返してくれてもいいじゃないですか。つか最近何やってんです? あんま顔見ませんよ」
ナカヤマフェスタとは、有馬記念の後から疎遠になっていた。なんとなく距離が離れていった訳ではない。ナカヤマが意図的に距離を取っていたのである。ブエナビスタは珍しく、そんな恨み節を言葉に込めていた。
『そうだな、ナビ。お前には……伝えておこうと思った。私は今月でトレセンから退学する』
「……………………はい?」
『お前が帰国する頃には、もう私はとっくにトレセンから去ってるだろう。そんなわけで、お別れを伝えるために電話したんだ』
「……──」
あまりにも唐突に伝えられた内容と、ナカヤマフェスタの平然さが全く噛み合わず、まるで寒いギャクでも聞いているようだ。
1秒ほど、全部の感情が凍りついてブエナビスタは何の言葉も出せなかった。
『そんなわけだ。ドバイシーマ、頑張れよ。じゃあな』
「ま……待ってくださいッ! どういうことです説明しろッ! 辞めるってなんで!?」
搭乗ゲートの並ぶ待合室にそんな大声が響いても、騒がしいその場所ではさして目立つことすらない。頭上からは英語のアナウンスが流れている。
ブエナビスタにとってはそう軽くない事態が進んでいく中でも、空港の様子はこれっぽっちも変わらない。現実はただ静かに横たわっていて、嫌な感じがした。
『走る理由が無くなったんだ。だからもういい』
「もう、いい……?」
『4月からは適当な高校に転入する。もう会うこともないさ、安心していい』
電話越しの声にはまるで冗談の気配もなく、少しだけ揶揄うような軽薄さすら感じ取れる。
「……何を言っているのか、全く分かりません。ナカヤマは一体何を言っているんですか。怪我ですか、それとも何か事情があって、」
『違う。もう走ることに、意味を見出せなくなった』
「だから、なんでって聞いているんです。故障でもないなら、なんで」
『……この後用事がある。切るぞ』
これ以上話すことはない──言葉の裏に、そんな意図を隠しているようで。これ以上話したくもない──そんな感情も感じ取って。
「待ってください、一つだけ……答えてくれますか?」
『長くならないヤツなら』
「……ナカヤマにとって、私……いえ、私たちの存在は、邪魔でしたか?」
とても寂しい質問。これまでの友情──かつては確かに存在したはずの友情は、もう存在していないのか?
『……ああ。本当に鬱陶しかったよ。これで離れられる。さよならだ』
間抜けな電子音が聞こえた。トーク画面には通話終了の文字が浮かんでいる。
活力の抜け落ちたようなブエナビスタを遠くから桐生院が心配そうに眺めていた。それからおぼつかない足取りでフラフラとどこかへ向かおうとしたので、桐生院は慌ててブエナビスタを追い掛けて声を掛ける。
「ナビ、どうかしたんですか? 大丈夫ですか?」
ゆらゆらと髪が揺れる。振り向きもしないまま、ブツブツと何かを呟く声を聞いた。
「……ない、絶対……終わらせません。終わらせるもんですか。いつまでも……私をただの畜生キャラだと思ってたら、大間違いですよ……!」
「へ……な、ナビ? あの」
いよいよ心配になってきた桐生院がナビの顔を覗き込もうとすると。
「──アオイッ!」
「はいっ!?」
「私がドバイを勝つためには、何が必要ですか!?」
「ええっ!? ど、どうしたんですか急に!」
「さっさと答えてくださいッ!」
「え、ええっと、そう言われても……現状でも、可能性は十分あるって思ってますし、後は現地の芝を実際に走って見ないと……」
畜生ムーブだが明るく元気で、いつもニコニコしているブエナビスタのこんな表情は初めて見たかもしれない。別人のような気迫と怒りを立ち上らせている。
「……可能性とかじゃ足りないんですよ」
「その、どうしたんですか? さっきの電話で、何かあったんですか……?」
「ドバイシーマ……絶対に勝たなきゃいけなくなりました」
ジョーダンにも連絡しておかないと。そう呟き、ズンズンとどこかへ歩いていくブエナビスタを呆然と見送る桐生院。それから、フライトの搭乗時刻が迫っていることを思い出して慌てて追いかけるのだった。
いつの間にか3月になっていた。ある寒い日のこと、空は少し曇っていた。
ー ー ー
「おいオルフェー! なぁーにへばってんだ、膝上げろー! せっかく並走してもらってんだ、もっと根性見せろー!」
「はぁ、はぁ……ぜっ、前走良かったのに、なんでこんな厳しいんスかぁ〜!」
「前走良かったからだ! それともまた大食いやりたいかー!?」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!! それだけは勘弁してくださいぃぃぃぃぃ!!」
半泣きになりながら走るオルフェーヴル。珍しく叱咤を飛ばす加賀。オルフェーヴルは甘やかすとダメなタイプなので、こうしてへろへろになっても走らせているのである。
オルフェーヴルは体が小さい。そのため、少しでも体を大きくするために大食いをやらされたりするのだが、そのトラウマが蘇ったらしい。横を走るエイシンフラッシュに必死に食らいついていく。
「……オルフェ。何やってんだお前、もう忘れたのか? まったく……横に誰かいてもビビんなよ、シンザン記念は何だったんだ……。フラッシュちゃんも何か言ってやってくれや」
「いえ、なんとか食らいついて来ようとする気配は感じていましたよ。ただ……4コーナーを回った時、内に寄せると進路を譲ってしまう癖はまだ直っていないのですね。やはりマスクを外してみてはどうですか?」
「ひぃっ! そ、それは加賀さんの指示で、やるなって……」
「メンタルコントロールの訓練であることは承知しています。しかし……もう少し、自分を信じてみてもいいのではないでしょうか?」
「そ、そんなこと言われても……」
体育座りで縮こまるオルフェーヴルを加賀とフラッシュが見下ろしながら喋る。
「そりゃ、出来りゃあ苦労はしないって話だがなぁ……。ほれ、ドリンク。フラッシュちゃんも時間割いてくれてありがとな。
「了解しました。それと……加賀トレーナー、ナカヤマフェスタ先輩の件についてお尋ねしたいのですが」
オルフェーヴルの耳がピコ、と動いて顔を上げる。
「ああ、まあ……質問の想像は付く。マジで引退するのかってことだろ」
「その通りです。いずれ戦うことを想定していましたので」
「あー……。まあ、結論を言うとマジだ。登録抹消届も書いた」
「提出もされたのですか?」
「まだだ。ハンコは押したけど、書類は自分で出すってよ」
「そうですか……。あまり深く事情は知りませんが、残念です」
「……ま、そうだな」
なんとも言えない複雑な表情を浮かべる加賀と、少し寂しそうなオルフェーヴルを眺めてエイシンフラッシュはターフを後にしようとしたぐらいのタイミングで、突如として第三者の声が響く。
「オイ。その話、詳しく聞かせろや」
「うおあッ!? ご、ゴールドシップ!? どっから現れやがった!?」
ぬるっと現れた芦毛の変人ことゴールドシップが、いつの間にかオルフェの横であぐらを掻いて座っていたのだった。それを皮切りに、オルフェたちの元へ、ウマ娘の集団がズンズン歩いてくる。それを見た加賀が一言。
「うわ、もっと来やがった……」
少し憂鬱そうに、あるいは呆れるように呟く。担当は友達に恵まれたな、と思いながら。
「……とりま、説明してくんね?」
トーセンジョーダンは眼前の髭面を睨みながら言った。ぽりぽりと頭を掻きながら、加賀はどうしたものかと思考を巡らせる──。
「なんのこったか。大体、いきなりんなこと言われてもな──」
その言葉を言い切るよりも先に、鋭い口調でジョーダンが差し込んだ。
「ナカヤマ、今どこ? 連絡つかねーんだけど」
有無を言わせない調子だ。それをフォローするようにアケノが口を開く。
「ナビから連絡があったんです。ナカヤマがトレセンを辞めるって……どういうことなのか、教えてくれませんか?」
「どういうことも何も……そのままだよ。あいつは今月でトレセンを辞めて、都内の高校に転入する。もう手続きはほぼ終わってて、あとはURAに選手登録の抹消を届け出れば終わりだ」
「そんな……ど、どうしてですか? ナカヤマ、何かあったんですか?」
アケノの言葉に、加賀は言いにくそうな表情を作った。
「はぁ……何だ。ナカヤマのやつ、ちゃんと話してなかったのかよ。あいつほんとマジで……もしかして俺に全部押し付ける気かよ……」
「だから何の話してんの? つか……何でゴルシ居んの?」
「わりーかよ。別にこんな時までふざける気もねーって。……アタシだって遊び相手が1人減んのはつまんねーんだ」
珍しく真剣そうなゴルシにそれ以上の追求は出来なかった。いやあんまり回答になってなかったが。
「なあ、フラッシュもそう思うだろ?」
「私ですか? 私はナカヤマ先輩と関わることは少なかったですか……まあ確かに、有力な選手が1人減るのは、ライバルが1人減るということでもありますが、寂しい気持ちも同時に存在しています」
「いい返事だぜ。オルフェー、オマエはどうなんだよ?」
「じ、自分は……ナカヤマセンパイには、なんだかんだお世話になってきたっスけど……引き留めらんないっス……。だってセンパイ、大事な人を──」
「大事な人を?」
「あッ、やば──」
うっかり口を滑らせたオルフェーヴルに視線が集まる。焦って首を振るがもう遅い。こいつ何か知ってんな、というジョーダンたちの視線を浴びて余計に焦る。
「……いいや。どうせ話さなきゃ、お前さんらは納得しねぇんだろ。俺から話す」
加賀がため息をついて語り出した──。
「ナカヤマが随分世話になってた人……つーか、実質的には親代わりみたいなモンだな。あいつの育ちはちょい複雑なんだが、ともかく随分慕ってた人が居たんだわ。だけどその人は病弱でな。去年の年末ごろに亡くなった」
──少し、言葉を失った。
去年の暮れ、つまり時期的には有馬記念の頃。それはナカヤマがジョーダンたちと距離を置き始めた時期と重なる。
ジョーダンは、一度ナカヤマが病院に向かっているところに出くわしたことがあった。もしかしたら薄々勘づいていたのかもしれない。だが──。
「トレセンじゃよくある話さ。自分が何のために走っているか分からなくなって、走る意味を見失うってのは……あいつの場合、それがきっかけになった。ヤツの中にあった何かのバランスが崩れたんだよ。ナカヤマは走りたいから走るってタイプじゃねえ。だから余計に──」
何を目的としてレースを走るのか──それはそれぞれで異なるものだ。ウマ娘の本能として走ることを望み、速さを求めて走るのか。
レースはエンターテイメントとしての側面と、競技としての側面を併せ持つ。というかレースに限らず大体のスポーツはそうだ。
応援してくれるファンのために走る。自分の夢のために走る。ではナカヤマフェスタがレースを選んだ理由とは何だったのだろうか。どうしてそれは無くなってしまったのだろうか。
「……止めなかったの?」
加賀はそう言われて、やはり諦めるように苦笑いした。
「あいつだって適当に決めた訳じゃない、ずっと悩んでたんだよ。その上であいつ自身が決めたことだ。口なんか挟めるか」
本人の選択を尊重する。そいつのやりたいようにさせてやる──。大人としての正しい選択で、正論だ。反論の余地がない。
だからこそ、トーセンジョーダンは許せなかった。
「……何それ。ふざけてる」
「気持ちは分かる。だが、ナカヤマがお前らに相談しなかったのにも理由が──」
「知らねーよそんなもん! ナカヤマはどこに居んの!?」
「だから知らねーって。あのなあ、あいつを止めようったって無駄だぜ。もうお前らには会わないつもりでいんだよ」
どうやら加賀は話すつもりはないらしい。ナカヤマとはクラスも違うし、そもそも学校に来ているかどうかも怪しい。
「……ナカヤマを探そう。会って話をしないと、納得できないよ」
「にゃー。でもどこ居るにゃあいつ、夜の寮とかなら会えるかにゃ?」
「ううん。寮長と話してたんだけど、ナカヤマはもうほとんど帰ってきてないんだって。部屋も近いうちに引き払うとか」
「くっそ! 徹底的にあたしらとは会わねーつもり!?」
と、ここで意外な人物からの発言。
「ナカヤマフェスタ先輩の現在位置であれば、少し分かることがあります」
エイシンフラッシュ──並走を終えたので帰ろうとしたらジョーダンたちが来て、帰るタイミングを見失っていたのである。
「まじ!?」
「はい。と言っても、少なくともトレセン内ではないということのみですが……。教室からここへ来る途中、私は正門へ歩いて行くナカヤマフェスタ先輩を見ています。外出する用事があったものかと」
次に黙って話を聞いていたゴルシが口を開く。
「外出……おい加賀ぁ、さっきの話で気になったことがあんだけどよー。もしかしてURAに提出する書類って、書いたの今日か?」
ものすごくナチュラルに呼び捨てにされることにも慣れた加賀が答えた。
「……どうだかな、知らねえよ」
あくまでシラを切る加賀に対し、ゴルシは構わずに質問を続ける。
「ナカヤマのヤツはもしかして、URAにその書類を提出しに行ったんじゃねえか?」
「…………はぁ〜……ああそうだよ! その通りだ! なんで分かるんだよ……」
一発で言い当てられ、流石に加賀は吐いた。
とすると、ナカヤマフェスタの居場所は限られてくる。
「えっと、提出って──」
「中央では選手登録届、並びに選手登録抹消届のみはURA本部への直接の提出が義務付けられています。URA本部は東京都港区、府中からは電車で1時間ほどの距離となりますね」
「なあ、ナカヤマを見たのはどのぐらい前だ?」
「並走の直前ですから、20分ほど前……正確には23分前です」
ジョーダンを置き去りにしてゴルシとフラッシュがどんどんと話を進めていく。ナカヤマを止めるには──。
「間に合うか?」
「ナカヤマフェスタ先輩に追いつけるかという意味であれば……ギリギリ不可能ではないですね。高速道路を使って、間に合うか間に合わないか……」
「っし、すぐ出るぞ。ジョーダン!」
「……えっ? なに?」
「なに、じゃねえだろ。さっさとナカヤマを追いかけっぞ!」
話の流れが早くて呆けていたジョーダンにゴルシが呆れて言う。
「あのなぁ、お前が行かなくてどうすんだよ。友達じゃねえのか?」
「……うん、行く。ナカヤマを止めよう」
そうと決まれば話は早い──とはならない。まだ手段の問題が残っている。
「加賀ァ! 車出せ、さっさと行くぞ! 時間がねえ」
「おい待て、なんで俺が行くことになってんだ! 行かねえよ、だいたい俺は──」
現状としてすぐに捕まりそうなトレーナーが加賀しかいない以上、この三十路が運転するほかない訳だが、加賀にはそれをする理由はない。
ただ、ゴルシはまっすぐに加賀を見つめて問う。
「オイ……オマエ、それで本当に後悔はないのか?」
その場のウマ娘たちに一斉に見つめられて、一歩後ずさる──。それからぐしゃっと髪を掴んで叫んだ。
「ああクソッ! 分かったよ、行けばいいんだろ行けば!」
「最初からそう言え。じゃあジョーダンと……あと1人、誰か着いてこい」
「にゃーが行くにゃ。言いたいこと、いっぱいあるんだ!」
そういうことになった──すぐさま駐車場へと走っていく彼女たちを残されたウマ娘たちは心配そうに見送る。
「うおッ!? 何しやがるゴルシ、降ろせ! 担ぐな!」
「うるせーな、こうすんのが1番速えんだから黙ってろ!」
人間の脚は速くない。その理屈は分かるのだが──。生徒に大の大人が肩で担がれているのはどうなのだろうか。ともかく心配そうに見送った。
ー ー ー
電車が揺れる。ビルの風景が流れる。都心へと向かっていく京王線は、珍しく少しだけ空いていた。
今日も東京は回っている。スーツの男性、スマホをいじるパーカーの女性、老人、外国人と思わしきグループ。
──少しだけ眠っていた。
ここのところあまり眠れていなかった。だからそう心地よいとは言えない電車の振動でも、睡眠を誘うには十分だったのだろうか。
フェスタ。起きて、フェスタ。
(……先生?)
懐かしい声が聞こえた気がした。もう二度と聞こえないはずの声──掠れていても、まだ透明感の残っている優しい声。その声に手を伸ばすように、ゆっくりと目を開ける。
目が覚めたら隣に座っていてくれないだろうか。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
『次は、明大前です。井の頭線は乗り換えです。この後の区間急行は28分発です。その後各駅停車、新宿行きが続けて参ります。各駅停車は短い8両編成です、ホームの後ろ寄りには停まりません。明大前を出ますと、次は笹塚に停まります』
いつも通り。アナウンスは無機質に現実の形をなぞる。スピーカーから流れる声がナカヤマフェスタを空想から現実に引き戻す。
隣を見たって誰が座っているわけではない。
不意にポケットのアイフォンが一度揺れた。通知を見ると、予想通りか予想外かLINEのメッセージ。見慣れた名前からの言葉が浮かんでいる。つい笑ってしまう。
『まもなく明大前、明大前です──』
特急新宿行きがナカヤマフェスタを連れて行く。
彼女の終点までガタガタ揺れながら連れて行く。
ー ー ー
インターを降りるが、当然道が混んでいる。信号にも引っかかる。
「加賀ァ! お前の日頃の行いどうなってんだ! 全然つかねーじゃねえかよ!」
「うるせーな! ゴールドシップ、お前さんは人様の車で暴れろって教わったのか!? 我慢しろ、もうちょいで着く!」
「さっきも同じこと言ってたじゃねーかよ!」
視界の端に皇居が見える。今日の天気は曇り、ところからオレンジの光が差し込む。夕方だ。
青信号を待ちながら、車内の雰囲気は全く穏やかではなかった。当然だ──。ナカヤマフェスタはもう書類を提出した後かもしれない。そうなると、何かが終わってしまう。そんな予感がした。
「……もういい、走ってく。降りるわ。あんがとね加賀っち」
「はあ? 走るったって、お前さん──」
制止しようとした加賀だが、止められるはずもない。ゴルシとネコパンチも、まだエンジンの停まっていない車から降りて行く。
「それだ! ジョーダン天才! っしゃー行くぜ!」
「にゃあーっ!」
「待て、おい! 歩道を全力で走るなよマジで! 怪我人だけは出すな!」
振り返りもせずに走って行くウマ娘たち。レースのような全力疾走ではないが、明らかに自転車程度の速度は出ている。すぐに見えなくなった──。
「……ったく。若さってのは真っ直ぐ過ぎるぜ……。なあナカヤマ、お前さんも十分青春してるよ」
そんなことを言っていると、いつの間にか青信号になっていて、横のレーンはとっくに発進していた。加賀は慌ててアクセルを踏んだ。
ー ー ー
息を切らしながら人混みを掻き分けて、見上ても上が見えないビルまで辿り着いた。そこは日比谷フォートタワー、地上27階建てを誇る一等地。1階にはレストランが並ぶが、高層フロアには有名企業のオフィス──。
淡々と歩くナカヤマの背中を発見したのはその時で、雑踏も構わずに叫んだ。
「ナカヤマぁーッ!」
影が振り返る。
「追いついた……っ!」
肩で息を整えながら早歩きで向かう先には、私服姿のナカヤマフェスタ。それを見るに、今日も学校をサボっていたらしい。
「……ハハ。マジで来た」
こうして面と向かって話すのは何ヶ月ぶりだろうか。懐かしいような気もした。だけど昨日話したような気もする。どっちでもいい。
「どうした? 酷いツラだな」
まだ息を整えている途中で、喋る文の息を吸えないジョーダンに代わってゴルシが一歩前に出た。
「どうしたもこうしたも……オマエ、どういうつもりだよ。春になりゃまた見られるんじゃなかったのか?」
「はあ? ……ああいや、違う……あれはそのままの意味だ。言ったろ、人様がわざわざ手を加えなくてもスミレは咲くんだ」
「ナカヤマ、オマエ──」
2人にしか分からない会話でも、ゴルシはいつものおふざけを捨てて、剥き出しの怒りの感情を露わにした。それを見てもナカヤマは静かに笑うだけだ。
「ニャカヤマ。にゃんでニャカヤマはにゃーたちににゃんにも言わにゃいで消えようとしてるんだにゃ。にゃーたちがそんにゃことさせるとでも思ってんのかにゃ」
「よく分かってるじゃないか。こうなるって分かっていたから、お前たちに話すつもりはなかった」
「じゃあにゃんでナビには電話したんだにゃ!?」
ネコパンチの鋭い一言。彼女も怒っている──。
「ホントは止めて欲しかったんだにゃ。ニャカヤマはうそつきだにゃ、この寂しがり」
「面白いコト言うじゃねえか、ネコ。だがそいつは間違いさ」
真っ向から対立している彼女たちの諍いに、人混みの視線が集まる。ジョーダンたちはトレセンの制服を着ているのだ。
「おい、あれ……トーセンジョーダンじゃないか?」
「え、ウソ……あ、あっちはネコパンチだ! 私ファンなんだけど、やばいどうしよ! てかかわよっ! え、サインとか貰えないかな!? 握手とかして貰えないかな!? 撫でさせて貰えないかなぁっ!?」
注目が集まる──。
「あっちはゴールドシップ……あの問題児と、ナカヤマフェスタまでいるじゃん! てか最近レース出てないみたいだけど、なんかあったんだっけ」
「あー、なんか家庭の事情とかでって話? っていうか、こんなとこで何話しているんだ?」
その視線を鬱陶しがってナカヤマが舌打ちをする。
「チッ……場所変えようぜ。ギャラリーは余計だ」
クイっと顎で奥の路地を示すナカヤマだが、ジョーダンは顔を伏せたままナカヤマの元へ近づいていく。
「おいジョーダン、ケンカは──」
止めようとするゴルシの声も無視して、まるでそのままナカヤマを一発殴りそうな勢いのジョーダンだったが、一歩分の隙間を残してナカヤマの前で止まった。そして何かを受け取るときのように、右手を出した。
「……なんだよ?」
「その書類、かして」
「書類? ……ああ、この紙切れのことか?」
肩のバックからクリアファイルを取り出して、見せつけるように笑う──。ファイルの中身は当然、URAに提出する競走バとしての登録抹消届。それを提出することで、完全にナカヤマフェスタは引退となる。
余裕そうな表情を浮かべるナカヤマ。だがジョーダンは素早い動きでファイルを奪い取った。
「おいジョーダン、何してんだ。返せ」
「返さない」
ジョーダンはファイルからパッとその書類を取り出すと、軽く一瞥し──真っ二つに破いた。そしてそれを重ねてもう一度半分に破り、もう一度さらに破り……シュレッダーにでもかけるように、バラバラの紙切れにした。
その凶行に流石に言葉を失う一同──。
「……これで、あんたはトレセン辞めらんない。帰るよ、ナカヤマ」
「い……イカれてるよ、お前。マジで……」
「あっそ。言いたいことはそれだけ?」
「……ああ、そうだった。お前はなかなかのバカだったな。分かった分かった、今日のところは……私の負けにしといてやるよ」
珍しく心からのため息をついて、そう口にしたのだった──。