「……なんだこりゃ、まるで尋問だな?」
ナカヤマがそう笑う。いやに真面目腐ったメンツをバカにするように──こんなことに大真面目に取り合っている彼女たちを笑う。
「ッたり前じゃん。そもそもアタシら、前々からナカヤマにムカついてたんですケド」
「そうかい。だがアンタらの感想なんか私の知ったことじゃない」
ナカヤマを囲うパイプ椅子。ここはチーム加賀の部屋。机の上には相変わらずボードゲームが広がったまま片付けられていない。去年の今頃はたまにジョーダンもたまに遊んでいた。
「それにしても酷いよ。私、一回ナカヤマとはちゃんと話をしたかったのに……」
アケノが帰ってくると入れ替わりになるように、ナカヤマはこの輪から消えて行った。その理由を知った今、一方的に責めることも難しいが──。
「アケノは今、何をしているんだ?」
「え、何って……進学のための勉強とか、蓮井さんの手伝いとかだけど」
「そうか」
唐突な質問だったが、ナカヤマは満足したらしい。自らを逃すまいとぐるりと囲ってナカヤマを睨む友人に──ナカヤマにとってもそうなのかは分からないが──軽く視線を流した。
「ハハ、どいつもこいつも怖ェ顔……。言っとくが、話すことなんざありゃしねェ。紙切れ一枚ビリビリにされた程度で私の考えは変わらねえよ。変わってたまるか……そうだろ?」
「ウソにゃ。ホントは迷ってるんだにゃ」
「迷い、ね。一つ誤解を晴らしとこう──私がナビにだけ連絡を入れたのは、単に応援のためだけだ。他の意味はない」
だが、ブエナビスタに自身の引退を伝えることで今のような状況になることなど分かっていたはずだ。ナカヤマフェスタがそれを予測できないはずがない。
心の奥底では、ジョーダンたちに自分を止めて欲しかった──本当は、そうなんじゃないか?
「気色悪ぃ憶測は止めろ。私がそんなタマに見えるか?」
「見えるにゃ」
「はッ、眼科行け。もしくは動物病院か精神科だな」
「憎まれ口ばっか。小学生みたいな意地張るのはやめるにゃ」
複数の厳しい視線に晒されながらも、ナカヤマは普段のペースを全く崩さない。ジョーダンたちの圧力など感じていないかのようにリラックスしている。ネコパンチは怒り100%の顔で続けた。
「ニャカヤマ。おみゃーの大切な人が死んだって話聞いたにゃ、でもだからって何でそれが引退に繋がるんだにゃ!? おかしいにゃ!」
「おかしい……そうか、可笑しいか。確かにそうかもな?」
真面目に取り合おうともしない、完全にバカにした態度のナカヤマフェスタにいよいよネコパンチの頭に血が上る。
「真面目に答えろにゃ! ニャカヤマはホントにそれでいいんだにゃ!? 今のニャカヤマ、ちっとも大丈夫そうに見えないにゃ、投げやりになってるだけだにゃ!」
「面白いことを言うな、ネコ。確かにその通りかもな」
暖簾に腕押し。聞く耳を持たないウマ娘には何を言っても無駄──。そんな苛立ちがさらにネコパンチを加速させる。
「その大切な人だって、ニャカヤマがそんなだったら悲しむにゃ!」
明確にナカヤマが顔色を変えた。
「……今、何と言った?」
「自分のせいでニャカヤマがこんな情けない姿になってるって知ったら、その人だって嫌に決まってるにゃ! 辛いことがあったのは分かるにゃ、でもいつまでも引きずるのはやめるにゃ!」
ネコパンチがそう叫んだとき、間違っても悲しみなどナカヤマの表情には無かった。
ただ、ぐつぐつと煮える静かな怒りが──。
「黙れ。手が出そうになる」
──殺気すら感じるほどの、静かで黒く澱んだ怒気。ナカヤマフェスタが本気で怒ったところを見るのは夏合宿以来だが、その時とは全く種類の違う気配。
「ッ、ニャカヤマ──」
「先生を侮辱したな。あァ……死人に口なしだ。好きに言えばいいさ、だが……それで私が怒らないかは、また別の問題だな?」
もしかしたら、取り返しのつかない言葉を言ってしまったかもしれない。微かに残っていたかもしれない友情と呼べる繋がりが壊れていくのが分かった。
「私の前で先生を語るな。死人に感情なんざあるか。死んだ人間がどうやって悲しむんだ? 答えろよ。オイ──」
ゆらりと立ち上がったナカヤマは底知れない怖さを伴ってネコパンチを射抜く。
「もう一度先生を侮辱してみろよ。なァ、ネコパンチ」
「っ、違うにゃ、にゃーはそんなつもりじゃ──」
「私を説得するための理論に先生を利用したな。バカも大概にしろ。オマエが先生の何を知っている。何が分かる」
底冷えするような言葉で、それは深い失望のようでもあり──まるで、迷子になった子供を見ているように思えた。少なくともジョーダンはそう思った。
「それは……でも、ニャカヤマが、辞めるって言うから、だって……ニャカヤマが引退するなんて言うからっ!」
「どうでもいいよ。もう……どうでもよくなった。ありがとうな、ネコパンチ。これで心残りなくトレセンを去ることが出来そうだ」
感情の臨界点はもう通過したのだろう。ナカヤマはもうネコパンチへの興味が薄れているようだった。少しだけネコパンチの瞳に涙が浮かんでいる。
「っ……にゃんで、にゃんで辞めるにゃっ!? ちゃんとしたワケぐらい話すにゃぁっ!」
「走ることに意味を見出せなくなったからだ」
「訳わかんにゃいにゃっ! 意味ってなんだにゃ、説明するにゃぁっ!」
「もう冷めたんだよ。走って競って楽しいねだのすごいねだの、それで何になる。重賞獲ったところで……何か変えられるか? 誰かを救えるか? 私が走っても……先生は助からなかったじゃないか」
静かで──深海のように暗くて深い、そんな絶望の言葉を聞いた。何を言えるはずがなかった。何を伝えられると言うんだ。
「……レースのスリルを求めて走っていた。だけどそれも虚しくなった。もうこれ以上、こんなガキ同士の駆けっこ遊びに付き合っていられない」
反論しようと思えば出来た。
それ以上に──1人ぼっちのまま静かにトレセンを去ろうとしているナカヤマを、どうして1人にさせてしまったのか。サインはあったはずなのに、どうして気が付かなかった。どうして──そんな後悔がよぎった。
誰も何も言えないまま──ただネコパンチだけが、ボロボロと涙を流して、力の限り叫ぶ。
「……バカ、バカ、バカバカバカっ! ニャカヤマのバカ、バカっ! 厨二病の分からず屋、あんぽんたんっ、もうニャカヤマのことなんて知らないにゃぁっ!」
そのまま涙も拭わずに、一目散に部屋から走り去っていくのをただ茫然と見送った。
「ニャカヤマのばかぁぁぁぁぁぁぁ──────っ!!」
泣き叫ぶ声が反響する。
そういえば、夜から雨になるとキャスターが言っていたことを思い出した。
ー ー ー
翌日──。
昨日の夜から朝に掛けて降った雨による湿り気が冷気に混ざって、吐息は白く曇っていた。まだ寒い時期だ。春は遠く寒さは去らない。
今日は平日なのだが、トレセン学園の入学試験のため学校は休み。明日からの土日と合わせて三連休である。学校は立ち入り禁止となっており、トレーニングも休み。そのため、寮のウマ娘たちは街へ繰り出したり、思い思いの時間を過ごしていた。
アケノとジョーダンの部屋──。きちんと整頓された年頃の女子の部屋で、明るい雰囲気のはずの相部屋は、朝から少し暗い空気が漂っていた。窓から差し込む暖かな日差しも構わず、会話もない。
アケノは朝から真面目に勉強を続けていたが、ジョーダンはベッドに腰掛けたままぼうっと天井を眺めている。そして時折、思い出したようにSNSを眺めて、そしてまた端末をベッドに放って上の空。
ノートとシャーペンが擦れる音。アケノの勉強する音だけが規則的に生まれていた。
「……ね、アケノ」
「なに?」
不意に呼ばれたアケノは、教科書に視線を落としたまま答えた。
「ナカヤマ、どこ居るかな」
「分かんないけど……会いに行くの?」
「ん……」
ジョーダンのことだ。そのことを朝からずっと考えていたのだろう──だが、アケノは少しだけナカヤマの気持ちが分かるような気がしていた。心が折れるというのは、想像しているよりもずっと重たくて辛いことだと知っているからこそ、ナカヤマを説得するのは多分無理だと──。
「会って、それで何を話すの?」
だから試すような質問をした。それが単なる優しさや同情によるものでないか、それを問うように。
「……分かんね。でも……なんか、ちゃんと話したい。話さなきゃダメだって、なんかそんな感じがする」
「そっか。でも、ナカヤマはきっとそう思ってないと思うよ」
「うん、分かってる」
「ううん、分かってないよ」
穏やかな否定。子供をあやす母親のような声だ。
「……そう?」
「うん。あのね、私の勘違いかもしれないけど、もしもジョーダンが何かしてあげたいとか、自分がなんとかしなきゃとか、そういうことを考えてるのなら、それはダメだよ」
それは対等な物言いではないから。
そう締めくくって、またアケノはカリカリとシャーペンを動かした。
「……ねえアケノ。聞いてほしいことがあるんだけど、いい?」
「うん。いいよ」
そう言って、アケノは勉強する手を止めた。椅子を動かしてジョーダンの方を向く。
「去年の夏合宿、覚えてる?」
「うん、覚えてるけど……」
──夏の思い出。挫折と苦しみと、もがきながら少しずつ壊れていった心の行く末。だがアケノは別に不快そうではなく、ただ単純に答えた。
「あの時ね、アケノがなんかやべー方に向かってるって、みんな分かってたんだ。アケノ以外の4人で、なんとか出来ねーかなって話したこともあるけど……結局、ほとんどあたしは何にもしなかった。止めようかなって思ったけど、結局そうしなかった」
「うん、覚えてる。正直、止められてたら多分私、キレてたと思う」
「ん、でさ。最後、あたしが"あんたね、助けてって言えば良かった"……って言ったこと覚えてる?」
「うん。ずっと覚えてるよ、今も」
「アケノが帰ってきてからはそうでもなかったんだけど、夏合宿の後からずーっとあたし考えてた。てか後悔してた。どうしてあたしはアケノに手を差し伸べなかったんだろうな、って」
今となっては、アケノとジョーダンの間に蟠りはない。普段から仲良く話したり遊んだり、大切な友達としての関係が存在している。だからこそこれはただ静かに後ろを振り返るような、昔の話──。
「あたしはね、怖かったんだと思う」
「怖かった?」
「うん、怖かった。アケノが必死に上目指してんのは分かってたからさ。それを止めるって、結構でっかいことじゃん。ぶっちゃけるけどさ、アケノが勝つためにはあれぐらいのトレーニングじゃなきゃダメだったと思う。あんた何様って話だけど、アケノは運も才能もなかったから」
「あはは、かなりぶっちゃけるねー……」
「ごめんって、怒んないでよ。なんつーか、うまく言えないけど、"あんまり無理すんな"みたいな言葉も、アケノにとっては結構重たい言葉だったと思う。だから何も言えんかった──もしもそれでアケノを止めた結果、怪我はしなくても、もっと酷い終わり方をするんじゃないかって。もしもそうなった時、あたしに責任取れんのって、そう思うと怖かった」
当時、ジョーダンはアケノの家庭の事情など知らなかったが、なんらかの事情があることぐらいは察していた。
何も関係のない第三者が、軽々しく口出ししていいことではない──。家族などではまだしも、結局のところ他人。他人の人生。
「……だから、アケノの人生なんだから、あたしが口出ししちゃダメだって思って……でも、今思うとなんか、それってただビビってただけだったなって」
アケノは意外そうにジョーダンを見つめた後、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「トモダチだから、助けんのが当たり前だったのに、あたしはビビって……結果はオーライかもしれねーけど、ほんと……ダサかったなって」
「そっか。ほんと……優しいね、ジョーダンは」
「いや、別に……あたしはただ、トモダチが大事なだけ。だから、ナカヤマも……会って、ちゃんと話したい。出来ることあるはずじゃん、あたしはまだナカヤマのことトモダチって思ってるから」
ごく当たり前のことで、あるいは人間関係において1番難しいこと──とても純粋で真っ直ぐな、当たり前の友情に報いる。
「うん……強いなあ、ジョーダン。私にはまだ難しいよ」
「ううん、分かんねーって。もしかしたら、アケノみたいにしてるのが正解かもしんないじゃん」
「そうかもね。でも……ナカヤマのこと、お願い。私は……そうだなあ、ナカヤマお帰りパーティーの準備でもしてよっかな? なんて、あはは」
「いーじゃん、ちゃんと5人で集まろ。じゃあ行ってくるわ、ナカヤマのとこ」
「うん、行ってらっしゃい。……ところで、どこに居るか分かるの?」
「………………あ。分かんねーの忘れてた」
いまいち締まらない──が、ジョーダンはニカっと笑ってドアを開けた。
「ま、なんとかなるっしょ! 行ってくる!」
/
14時20分。
トレセンへの入学を志す少女たちが、面接官たちを前に緊張しながら自らの夢を語っていた。
14時24分。
面接官の1人となっていた明日原は、受験者のウマ娘に自身のトレーナーになってくださいと面接の場で頼み込まれ、どう断ろうかと頭を悩ませていた。
14時30分。
駿川たづなは未来のスターたちの書類を纏めながら、まだ見ぬ未来を空想して少し微笑んでいた。
14時35分。
ナカヤマを探し始めたはいいが、電話も通じないナカヤマをどう探すか考えても分からなかったジョーダンは、とりあえず近場から見て回ることにして歩き始めた。
14時32分。
この頃、朝のドバイにいるブエナビスタは初めて異国の地の芝に降り立ち、地面の調子を確かめていた。
14時38分。
手当たり次第にナカヤマを探し回っていたジョーダンが、偶然会ったギャルズからの情報でナカヤマが近くの道を歩いていたことを知る。
14時40分。
ネコパンチはこの時間になっても、まだベッドで丸くなって不貞寝していた。頬には少し涙の跡が浮かんでいる。
14時42分。
ナカヤマフェスタが寮の敷地から出て、当てのない散歩を続けていたところ、後ろから追いかけてくる足音を聞く。
14時43分──
「おーい、ナカヤマ───!」
3月11日。