「ううん……そんなに上手く行くものなのかい?」
「やるって言ったらやるんだにゃ──最初っから言ってるにゃ! 縛って連れてくるだけにゃ、やるって言ったらやるしかないにゃ!」
──作戦会議。
「でもでも、ネコがこんなに本気になってるの、きっと初めてだよ〜。何かうまく行く方法はあると思うんだ〜」
「……はぁ、いいかしら」
「発言をキョカするにゃ」
「ありがとう。じゃあそろそろ言わせてもらうわね。はっきり言うけど、ジョーダン先輩に直接ネコが走っているところを見せるのは不可能に近い……いいえ、無理よ」
「だから、前の日に縛って連れてけばいいって言ってんだにゃ!」
「あのね……。もしそんなことしてみなさい──日経賞の会場は阪神よ。大阪までの新幹線に、簀巻きにしたジョーダン先輩を乗せるつもりなの?」
「う〜ん、改めて考えると犯罪的だね〜……」
「だってそうするしかないにゃ! ついでにニャカヤマも連れてくるにゃ!」
「そうは言っても……。中継で見てもらうのが現実的じゃないかしらね」
「それはさっき、時間まで卒業式と被っちゃってるから無理だ〜って話したよ〜。場内ではマナーモードでお静かに〜、だし〜……」
「やっぱり、録画とかじゃダメなのかい?」
「ダメに決まってるにゃ。そんなのじゃ……にゃーの思いを伝えられないにゃ」
「八方塞がりね……」
レースを通じて想いを伝える。
カノープスの4人組が頭を悩ませているのはその一件だった。やると張り切ったはいいものの、実際に見てもらうためには障害がある──当日に被った卒業式だ。
「学園もさ〜、何も日曜日に被せなくてもよかったのにさぁ〜……」
「……仕方ないでしょう。元々予定していた会場が、震災の被害を受けて使えなくなって、それで急遽変更した結果じゃない。学園側に非はないわ」
トレセンで卒業式があろうとも、レースはあくまで興行だ。レースを主催するURAとトレセン学園は深い関係にあるが、別々の組織であることに変わりはない。卒業式があるからといって、レースを中断するわけにはいかない──特に今の時期なら尚更。
今は大事な時期だ。これから再開するレースを途絶えさせてはならない──。
「重賞を詰め込んだのもそう──誰を恨んだって仕方ないのよ。愚痴よりも建設的な話をしましょう」
部室の奥ではチーフトレーナーの三笠が作業をしている。カノープスのメンバーはここにいる4人だけではなく、チームを持つトレーナーは常に多忙だ。
アパパネは頭を悩ませながら話を続ける──。
「中継しか手はないわね」
「でもどうするの〜? スマホでこっそり見てもらうとか、そういうのしか出来ないよ〜」
「……ホールなら、大抵はプロジェクターが備え付けてあるはずよ。それを使えば可能かもしれない」
「それは、そうかもしれないけどぉ〜……だって、卒業式のまっただ中だよ、怒られちゃうよ〜……。それに、そんなのどうやってやったらいいかなんて分かんないじゃん〜……」
「……分かっているわ。言ってみただけ」
結局のところ、自分達は学生だ。どこまで行っても──力がない。
「……にゃーは諦めないよ。ぜったい……見てもらうんだ」
ネコパンチは未だ諦めない。その姿を見て、アパパネが真剣な表情で問う──
「ねえ、ネコパンチ。厳しいことを聞くようだけど、日経賞──あなた、勝てるの?」
「にゃ?」
「想いを伝えるって言っていたわよね。その気持ちは否定しないけれど──他人を変えるのは容易ではないわ。ただ一生懸命走ったところで、私たちはそんなものは見慣れているのよ。人気予想のサイトでのあなたは13番人気──」
アパパネとて、ネコパンチのことが嫌いだからこんなことを言っているわけではない。
ただ、決して甘い道のりではないことを本当に理解しているのか確かめなければならなかった。
「中継に映るのは勝者の姿だけ。あなたの姿を皆に見てもらうには、勝つ他に方法はない。覚悟はあるの?」
ネコパンチの成績は──前走ダイヤモンド
「……にゃーはね、トモダチいっぱい欲しいの」
いつもの元気は鳴りを潜めて、少し寂しそうにそう呟いた。
「トモダチと一緒にいたら、楽しくて……一緒に走ったら、もっと楽しいにゃ。みんなそんなことも忘れちゃったにゃ」
「……ネコ──」
「にゃーだってホントは分かってるにゃ。大変な人たちがいっぱい居るのに、にゃーたちはそんなこと知らんぷりして楽しく走れるわけじゃないって。勝つことは難しくて、みんな勝つために一生懸命頑張ってるんだって」
ネコパンチは悲しそうに喋り続ける。いつになく珍しい姿に3人が注目していた。
「……ニャカヤマね、寂しそうだったにゃ。にゃー、そんなの嫌だにゃ。みんな笑ってて欲しいにゃ。にゃーはトモダチと一緒がいいにゃ。離れ離れは痛くて苦しいにゃ、だから──」
ネコパンチの瞳には薄い涙が浮かんでいた。苦しんでいたのはネコパンチも同じだった。悩んで迷って──確かに決めたのだ。
「にゃーはね、走るって決めたんだにゃ。勝てるかなんて分かんなくても……にゃーに出来るのは走ることだけでも……想いは伝えられるって、またみんなで居られるようになるって──」
涙が溢れた。一滴分机が濡れる。
「だから、おねがいします。にゃーに力をかしてください」
──真っ直ぐに頭を下げられた。そんな姿を初めて見た。こんなネコパンチの声を初めて聞いた。
最初はみんな言葉を失っていた。やがてアパパネがパイプ椅子から立ち上がった。
「三笠トレーナー。聞いていたでしょう」
部室であるプレハブ小屋の奥で作業をしていた三笠が困り顔を上げた。
「それは、聞こえてたけど……」
三笠とて、ネコパンチの言葉を聞いて何も思わないわけがない。何よりトレーナーなのだ。
「私たちは子供で、知恵も力もない。だからお願い、私達に力を貸して」
「力を貸してって、そりゃ俺だって、出来るんなら手伝ってやりたいけど……」
「トレーナー、なんとかならないのかい?」
「みかさ、ぼくからもお願い。なんとかしてあげたいんだ──」
3人から懇願する瞳を向けられて三笠はたじろいだ。引き下がる様子はなく、そしてその理由も聞いていた。
「なんとかと言ってもなぁ……」
三笠はしばらく眉を寄せて悩んでいたが、やがてその表情を変えた。
「……分かったよ」
ふっと表情を緩めてそう言う──ウマ娘たちの少し驚いた顔もそのままに言葉を続ける。
「じゃあ、耳を貸してくれ。いいか? まずこういう帽子を被るんだ──」
『なるほど……』
卒業式が迫っていた。
*
結局、レースは再開した。
重賞ではGⅡファルコン
批判はゼロではなかった。しかし決して多いものでもなかった。社会はそもそも批判どころではなかった。そんな余裕はなかった。
トレセンは再開した。スケジュールをやりくりしながら、震災によって中断された入学試験を実施し、トレーニング活動も再開。何もかも元通りとはいかずとも、立ち止まり続けることは出来ない。
行政の対応──それに対する世論は厳しかった。
未曾有の災害、その表現に誇張はない。これまでに例を見ない大地震と大津波、それに加わった原発事故。大規模な複合災害は想定を遥かに上回った。ひょっとすると、東日本全土に住めなくなるかもしれない──曖昧で、しかし消えない不安が襲っていた。
薄ぼんやりとした雰囲気と、確かに冷たい冬の現実がまだ続いている。春が来るまでの長い1日をいくつも積み重ねる。
卒業式の当日、トーセンジョーダンは約2週間ぶりに明日原に再会した。
卒業式は都内のホールを借りて行われることになっていた。卒業生と在校生は学園からのシャトルバスで移動し、緊張を滲ませながらホールへと入っていく。
教師陣が彼女らを迎え入れる。
"卒業おめでとう"──その言葉で早くも泣く生徒、暖かな談笑を交わすウマ娘たち──。
「……あ」
明日原は人混みに紛れて立っていた。誰かと何かを話している。
ほとんど無意識的にジョーダンはその方向へ歩いていく。
「あっすー」
「! ジョーダン──」
特別何か深い意味が込められているような表情をしていたわけではないと思う。だけど、たった2週間会わなかっただけの明日原の存在は何か特別なような気がした。
「明日原トレーナー、それでは」
明日原が話していた人物──肩から吊り下げていたカメラを見るにメディア関係者だろう──は、何となくの空気を読んで立ち去っていった。
ホールのエントランスは賑わっている。ザワザワとした生徒たちの声が混ざり合っていた。
「……すみませんでした、ジョーダン」
「え?」
第一声から謝罪。そんな言葉も聞き慣れていた。明日原が軽い調子で、しかし真摯に謝る姿は意外と見慣れていた。
「僕の都合で少し長く休んでしまいました。大阪杯も近いのに……トレーナー失格です」
「……謝んないでよ。あっすーが悪いわけじゃないじゃん」
明日原は苦笑いを返した。
ジョーダンにはその苦笑いの意味が分からなかった。
「……その、さ。休んでる時、あっすーは……どんなこと、してたの?」
沈黙を誤魔化すために言った言葉が、何か嫌なことを聞いた気がしてジョーダンは慌ててい言い直す。
「あ、ごめん──言いたくないなら言わなくていい、けど……単に気になっただけっつーか、なんていうか」
とてもいつもの調子ではなく、言葉を切って顔を逸らした。
「福島に行っていました」
「え?」
「僕の故郷でしたから」
聞きたいことは多かった。だけど聞けなかった──"放射能は大丈夫だったのか"など、聞けるわけがなかった。福島に行って何をしていたのか聞きたかったが、どうしても口が動かなかった。
「送辞を務めるそうですね」
「え? あ、うん……一応、そういうことになった」
「そうですか」
「……やっぱ、意外かな? 変じゃない? あたしがそんなんをやるなんて」
ジョーダンは結局、送辞を引き受けた。原稿だって国語の先生に見てもらいながら書き上げた。練習もした。緊張もしている。
「いいえ。君がやるだろうと思っていましたよ」
「……そっか」
明日原なら、きっとそう言うと思った。
実際にどう思っているかは分からない。口の上手い明日原のことだから、本心では違うことを思っているのかもしれない。
それでもいい──今は、こうやって何かを話せるだけで十分だ。それ以上を望んではいけない。
「君の言葉を、楽しみにしています」
どこまでが本当なのか分からない。器用な言葉で、いつでも自分が望むような言葉を言う。
いつだって明日原の言葉は不透明なガラスで覆ったようだ。ぼんやりとした輪郭だけを見せている──結局、明日原は自分に心を許しているわけではない。言葉を隔てて薄壁ひとつ、顔を遮り薄紙ひとつ。
その心の奥底を覗いて、想いの裏側を──ずっと思っている。
だから、ジョーダンはひとが語る言葉というものを信用することができなかった。