「当然、冗談に決まってんじゃん?」   作:にゃんこぱん

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芽生え

 

 

 

 

 今年も桜が咲いた。

 

 多摩川堤防に咲き誇る満開の桜並木には今年も多くの花見客が押し寄せていた。ブルーシートを広げて桜を見上げる人々の喧騒に紛れて、3人のウマ娘がコンビニのビニール袋をぶら下げて歩いていた。

 

「あー……いい天気だね。桜も綺麗だし──」

 

「にゃー、全くにゃー。あ、花びら散ってる! 捕まえてやるにゃ、そりゃっ」

 

 宙を舞う花弁を掴んだ小さな手。ネコパンチは自分の頭に花びらがついていることに気がついていない。アケノはそのことに気がついて、少し笑みをこぼした。

 

「そこにしようぜ。ちょうど空いてる」

 

「うん。空いててよかった。今年はお花見の客、少ないんだね」

 

「自粛した連中も多いだろうさ」

 

 シートも引かず、ナカヤマフェスタは堤防のアスファルトに腰を降ろした。ナカヤマフェスタが花見の用意などしているはずがない──その横で、ネコパンチが背負っていたリュックから普通にシートを取り出して広げた。

 

「……でもさ、なんか珍しいね。ナカヤマからのお誘いなんて」

 

「にゃー。どーゆー風の吹き回しかにゃ? ついでに急だにゃ」

 

「こんな誘いにホイホイついてくる時点でヒマだったろ。いいじゃねェか」

 

「失礼にゃ! にゃーはトレーニングあったけどサボって来ただけにゃ!」

 

「それもどうかと思うけどなー……」

 

 コンビニで買ってきた月見だんご(花見団子は売り切れていた)と適当なジュースを囲んで蓋を開けた。乾杯。

 

「季節を楽しまなきゃ損をするモンだ。そうだろ?」

 

「そうだね。今日は暖かくて気持ちいいなあ」

 

「にゃ。ニャカヤマ、頭に桜乗ってるよー」

 

 ナカヤマフェスタと──こうやって、普通に話すことは随分久しぶりだ。ナカヤマは結局転校しなかったし、選手登録もそのままだ。そしてこうして、普通の友達のように話している──

 

 桜の花びらを拾って眺めてみた。淡い桃色の花弁の向こうが、少しだけ透けて見えた。

 

「それで? 話があるんでしょ?」

 

 アケノが少し優しい顔で言う。

 

「はっ、分かったような面しやがって」

 

「違うの?」

 

「違わねえよ。1つ謝っとこうと思ってさ」

 

「?」

 

 少し遠くを見た。

 

 ナカヤマフェスタの頭の中など推し計れるものではない。団子を頬張るネコパンチの横で、アケノは黙って続きを待つ。

 

「悪かった」

 

「いいよ」

 

 即答。本当にすぐ帰ってきた許しの言葉、ナカヤマフェスタも流石に苦笑い。少し遅れて、団子を飲み込んだネコパンチも頷いた。

 

「いいにゃ!」

 

 遅刻してきた友達を許すような軽さだった。それは、これまでの暗い時間には不釣り合いなほど明るくて優しい言葉。

 

「いいのか」

 

「いいんだって。でもその代わり、話して欲しいかな。ナカヤマのこと」

 

「知りたいのかい?」

 

「知りたいよ。友達でしょ?」

 

「そうかもな」

 

 暖かい春風が髪を揺らす。花見の客の喧騒はこの景色に似合っていて、平穏な日常が取り戻されたとつい錯覚してしまう。

 

「何が聞きたい?」

 

「話してくれるの?」

 

「聞きたいと言ったのはアケノだろ?」

 

「うん。じゃあ、先生って人のこと」

 

 ぼんやりと堤防の向こう側を眺めているネコパンチは珍しく静かだ。

 

「少し長くなる──」

 

「うん、いいよ。聞かせて」

 

「そうだな。ほんの……10年ほど前の話さ。ある1人の女性が、保護施設にいた私を引き取ってくれたところから始まる──」

 

 感傷に心を浸すのもいい。しかし彼女はもう前に進むことを選んだ。

 

 ある、花が好きだった人の話をしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー ー ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皐月賞──

 

「オルフェ、オルフェ、オルフェ〜! 隠れてんじゃねえ、居んのは分かってんだぞ!」

 

「いッ、居ないっス! 自分はここには居ないっスよ〜……!」

 

「隠れる気があるなら返事するんじゃねえよ!」

 

 それを控えたクラシックの注目選手は現在、ちょうど隠れていた掃除道具のロッカーを開かれて、情けない悲鳴を上げていた。

 

「お前さんってヤツは……一体全体どうしちまったんだ? 立て籠るにしてもなぁ、せめて教室ごと立て篭れっつーか、スケールが小さいっつーか」

 

 オルフェーヴルがロッカーに立て籠ったと加賀に連絡が入ったのはついさっきのこと。放課後の教室に立ち入る羽目になった加賀は、多くのウマ娘の視線を浴びて少し居心地が悪そうだ。

 

「さっさと練習に来い。皐月賞まであと何週間だ? 言ってみろ」

 

「に、2週間、っス……」

 

「分かってんじゃねえか。いいか、今の時期はものすごぉ〜く大切な訳だ。それをなんだ、立て籠りだとぉ!? だいたい立て籠るんなら要求ぐらい出したらどうなんだ」

 

「だ、出せないっスよぉ! 怖いっスもん!」

 

「怖え!? 何が怖い!」

 

「GⅠなんて……じ、自分が出たら、絶対ブーイングの嵐じゃないっスかっ! GⅡの時でもあんな人いっぱい居たのに、皐月賞なんて……! ひぃぃぃぃぃぃっ! そ、想像しただけで心臓が……!」

 

「…………」

 

 加賀は、少しはオルフェーヴルのことを分かったような気になっていたが、すぐにそれは間違いだったということを理解した。その会話を遠巻きに聞いていたクラスメイトたちは、"こいつは一体何を言っているんだ"という顔をする。

 

「こいつぁ参ったな。なぁ、お前さんたち──クラスメイトだろ? このアホになんか言ってやっちゃくれねえか」

 

 話を振られたクラスメイトたちは顔を見合わせる。アイコンタクトだけで交わされる会話があったのち、代表として1人のウマ娘が前に出た。

 

「えっと、その……私たちにとっては、GⅠなんて遠い世界だから……正直、オルフェの気持ちはちゃんと理解出来ない。けど怖がらずに出るべきだよ。出たかった娘の分まで──あと、ブーイングはされないと思う」

 

「そ、そんなの分かんないじゃないっスかぉ! うぅぅぅぅっ、やっぱ自分なんかが今まで勝ててたのが何かの間違いだったんスよ! ミラクル偶然に助けられてきただけで、自分なんてどうやって勝ったのかも覚えてないのに……」

 

 オルフェーヴルは一種の二重人格を持っている。マスクを外した状態では凶暴化し、そしてその時の記憶は残っていないらしい。スプリングS(ステークス)とて、マスクを外して勝利しているのだ。ウイニングライブの時はちゃんとマスクを着けている──息苦しさとかはなんか平気らしい。なんでだよ。

 

「じ……自分なんか、こんなとこに来るべきじゃなかったっスよぉぉぉぉぉぉ!!!」

 

 大勢の視線に耐えかねてそう叫びながらオルフェーヴルは教室から飛び出て何処へと走り去って行った──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 行き場もないのに逃げたい時、オルフェーヴルはいつも校舎裏に来る。何もないから誰も来ないし、練習の喧騒から離れられる──静かで、1人になれる場所。

 

 1人は楽だ。いじめられたりしないし、気を遣ったりしなくていい。

 

「はぁぁぁ────。みんな酷いっス、自分の気も知んないで、好き勝手に色々言うし……」

 

 ひとりごとも楽だ。喋ることに怯えなくていいし、自分の気持ちを自由に吐き出せる。

 

「自分だって……こんなことになるなんて思ってなかったんスよ、GⅠなんて出れるわけなかったのに。そもそも覚えてないのに、勝ったとかすごいとか言われても怖いだけっス。実感もないのに、自信なんてつくわけないじゃないっスかぁ……」

 

 死力を尽くして戦うレースで、全力を出し切って勝つ──その経験は大きな自信となる。しかしオルフェーヴルは、勝ったとしてもその記憶は残っていない。よって、戦歴の割に自信のない状態だけが残る。チグハグだった。

 

「だいたい、加賀さんだって知ってるはずなのに……。ちょっとは自分に優しくしてくれたっていいじゃないっスか。トレーニングつらいし、ご飯山ほど食べさせてくるし、たくさんインタビュー受けさせるし。酷いっス……それに──」

 

 小さくなって膝を抱く──こうしていると少し落ち着く。小動物みたいだった。

 

("もう1人の自分"が、いったい何考えてるのかも分からないのに)

 

 マスクを外した時に現れる暴君状態のオルフェーヴル──今のオルフェーヴルにとって最も身近で、最も未知の存在。話したこともない。会ったこともない。自分の知らない自分。

 

「……アンタは今、何考えてんスか──」

 

 内側に問いかけて答えが返ってきたことは一度もない。それを確かめると、静かに目を瞑って弱々しく呟いた。

 

「はぁぁ。皐月賞、出たくないなぁ……」

 

 ──大きなため息をついて顔を上げて、空を見上げてみようと瞑っていた目を開いた。すると、目の前に突然現れた人影と目があった。ばっちりと。

 

「……」

 

 その人影──ウマ娘は真っ直ぐに見下ろしていた。

 

「…………」

 

 見覚えがあった。ないはずがない、オルフェーヴルはよく彼女を思い出しては震える。

 

「………………ひぃえぇっ!?」

 

 驚きのあまり変な声が出た。それもそのはず、立っていたのは冷たい顔をした凶暴そうな見た目のウマ娘、ウインバリアシオン。

 

「な、なな、ななななな、な、い、いつからそこに」

 

「……オイ、オマエ──」

 

「ひゃいっ!? あ、あわわわ、ち、違うんスよ、自分っ、校舎裏が好きで、あの、すぐどっか行くんでッ」

 

「皐月賞に出たくない、っつったか。今」

 

「え、ええ!? あ、それは、ひとりごとなんで、あの、全然気にしなくていいっていうか、その、ウインバリアシオンさんには関係ないというか、あの」

 

 真っ白になった頭と口先からわけのわからない言い訳が出てきた。いったい自分でも何に言い訳をしているのか分からないが、ともかく何かを言わなければならないと思っての言葉。もちろんその言葉が彼女の地雷を思いっきり踏み抜くものだとは想像もしていない。

 

「──ッけんじゃねえよ……」

 

 ぼそり。口の中で呟いた言葉にオルフェは過敏に反応する。

 

「はいっ!? あ、あの、な、何かおっしゃらられれましたでしょうかっ!?」

 

「ふざけんじゃねえっつったんだよッ!!!」

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ! ごめんさないごめんなさい! すぐどっか行きますぅぅぅぅ!!」

 

「逃げんじゃねえッ!!」

 

「はいいっ! どっか行くんで許してくださぁぁぁぁぁぁいっ!!!」

 

 体育座りだったのがまずかった。逃げようとするには遅い体勢で、あまりにもあっさりとオルフェーヴルは捕まった。最も、逃げていたらより酷い目に遭っていたかもしれない。

 

「テメェ、出たくねえだと!? 皐月賞に──言いやがったな、オルフェーヴル……よりにもよってテメェがッ、テメエが────ッ!!」

 

 逃げないように掴まれた肩が痛い。視界の端に振り上げられた右腕を見て、オルフェーヴルはぎゅっと身を縮こませて目を瞑った。しかし──

 

 いつまで立っても、振り下ろされる拳の衝撃はやっては来なかった。うっすらと目を開けると──ブルブルと震える右手を、いつまで立っても振り下ろせずにいるウインバリアシオンの顔が見えた。

 

(……泣いて、る?)

 

 力だけ込めた拳は振り下ろせず、解いた手のひらがゆっくりと下がって、オルフェーヴルのもう片方の肩を掴むことになった。

 

「テメェが出なきゃ、オレは何だ……?」

 

「えっ」

 

「認めてやる……認めてやるよ。オレは、オレが想像してたよりずっと弱っちかった。見下してた連中と何も変わらなかった。オレは特別なんかじゃなかった……」

 

(な、なんの話っスか? なんで泣いてんスか……!? やっぱり怖いっスよこのひとぉ!)

 

「血反吐吐くまで走った、脚が壊れるぐらい必死にやったッ! 勝てなきゃゴミだ、負けりゃ無価値だッ! 大口叩いて地元飛び出して、やっぱり無理でしたじゃプライドが許さねえんだよッ! やっぱり勝てませんでした、とか! 上には上が居ました、とか……どのツラ下げて言える!? 今更引き返せるってのかッ!?」

 

 今引き返せば後悔になる。それでも走り続ければ傷になる──。

 

 プライドとは、つまりは誇りだ。それを失えば──他に何が残る? 

 

「オマエ、勝ったろ……? 勝ったんじゃねえのか、オレみたいな連中に──」

 

 まるで縋るような声だった。

 

「オマエが……さっき、出たくねえとかほざいてた()()はな、オレたちにとっては二度と走れなくなってもいいから出たい()()なんだよ」

 

「────」

 

「オマエ、走るためにここに来たんじゃねえのかよ」

 

「じ、自分は」

 

 強い叫びをぶつけられて、オルフェーヴルも戸惑っていたが──少しだけ、苛立ちが湧いていた。

 

「自分は、し……知んないっスよ、そんなこと。あ──アンタのことなんて、なんで自分に関係あるんスか?」

 

 言い放ってからハッとして気がつく。自分は何を言い返しているのだろう。目の前には自分のトラウマであるウインバリアシオンがいるのに──やばい、殴られる。殺される。そんなことを考えるも、ここまできたら腹を括って、言いたいだけ言うことにした。

 

「だって──実際に走るのは自分じゃない、もう1人の自分なんスよ!? 昔からそうっスよッ! 気づけば誰かを殴ってたり、壊してたり、こんなのもううんざりっスよっ! でも、マスクをしてる自分は弱くて、ビビリで……だいたいアンタが言ってんの、マスクを外した方の自分の話じゃないっスか! こっちの自分の話じゃない!」

 

 過去の暴力事件──大事には至らなかったものの、そのレッテルは付き纏った。トレセンに入れたのも奇跡だ。拾ってくれるトレーナーなど居なかった──ただ1人、加賀を除いては。

 

「だから、そんな自分を変えたかった、ここでなら自分も変われるって、強くなれるって、思ったから、だけど──結局何も変わらないじゃないっスか、自分は何も変わってないじゃないっスか! 走るのはいつも自分じゃない、大事なところはいつも自分で出来ない、昔と何も変わってないじゃないっスか!」

 

「……テメェを変えてぇなら、テメェで変われよ」

 

「か、簡単に言うなっスっ! それが出来れば──」

 

「出来るかどうか、決めンのはテメェだ。もう1人の自分が何だ。その身体は、テメェのモンだ」

 

 涙の筋、真っ直ぐに睨む瞳。その強さに気圧されてオルフェーヴルは言葉を飲み込んだ。

 

「出ろよ、皐月賞。なぁオルフェーヴル」

 

 ()()()が走れよ。

 

 終ぞ、返事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー ー ー

 

 

 

 

 

 

「あの、加賀さん」

 

 東京レース場の控え室、1人に与えられる待機場としてはやや広い部屋で、オルフェーヴルは静かに聞く。

 

「なんだ?」

 

「自分、強くなれるっスか?」

 

 それは今まで積み重ねてきた失敗と後悔の経験を通り越した、純粋な疑問だった。

 

「ああ……そいつはなぁ、お前さん自身が決めることさ」

 

 それを聞いて、オルフェーヴルは静かに立ち上がった。

 

「……行ってくるっス」

 

「ああ。行ってこい」

 

 春のクラシック開幕戦、第70回皐月賞。

 

 開戦。

 

 

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