「当然、冗談に決まってんじゃん?」   作:にゃんこぱん

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私の文字数は約1万7千字です。ですがもちろんフルパワーであなたがたと戦うことはありませんからご心配なく……
なんとなくこの作品の終わりが見えてきた気がします


宝塚記念・鴻溝(こうこう)()

 

 

 

「お、アパパパパーじゃないですか、丁度いいところに。ちょっとついて来いです」

 

「……」

 

 そんな風にして首根っこを掴まれて(比喩とかではなく本当に掴んだ)アパパネはとある小学校へと連れて来られていた。府中駅から数駅の乗り換え──。

 

「……説明ぐらい欲しいわね」

 

「バイトを手伝ってもらおうと思いまして」

 

「バイト……?」

 

「はい」

 

 それだけ答えて、スタスタと小学校の中へと入っていくブエナビスタを仕方なくアパパネは追いかけた。平日の小学校はまだまだ人の気配が多くあり、少し踏み込むのは戸惑われたが、着いて来いと言われた以上着いていくしかない。

 

「……何なの?」

 

 校庭で遊ぶ子供たちの姿が見えた。彼らは正門への道を横切っていくブエナビスタらをもの珍しげに眺めていたが、そのうちに1人が叫んだ。

 

「あーっ、ブエナビスタだ!!」

 

 それを皮切りにして一斉に走り寄ってくる子供たち──。

 

「サイン! サインしてーっ!」

 

「本物!? 本物じゃねー!? テレビそっくりなんだけど!」

 

「なんでー!?」

 

 あっという間に囲まれた。特にまだ低学年らしき子たちは遠慮というものを知らないらしく、ものすごい勢いなので、アパパネはどうにも戸惑った──。

 

「はいはいブエナビスタですよー。後でちゃんと相手してあげますからねー」

 

「サインして、サイン!」

 

「はいはい後でしてあげますから」

 

 手慣れた様子でいなしながら玄関の方へ歩いていく背中を慌てて追いかけた。アパパネは流石に事情を知りたいと思ったのか警戒するような感じで聞く。

 

「ちょっと……そろそろ教えてくれないかしら?」

 

「バイトですよ、バイト」

 

 ──ブエナビスタ曰く。

 

 小学生を対象に、クラブ活動的な感じでレースを教えるという。

 

「どういうこと?」

 

「英才教育ってヤツですね。将来のスターには粉掛けとく──ってわけでもないんですが」

 

 放課後の子供たちを対象に、ウマ娘たちが学校に赴いてレースの授業を行う。対象はウマ娘に限らず、全員に走ることの楽しみを知ってもらうことを目的にやっているらしい。レースそのものの普及も兼ねている。

 

 学園ではこの講師をアルバイトとして募集している──。

 

「知らなかったわ……」

 

「そんなわけで、私たちはガキどもの相手をするためにやってきたわけです」

 

 そのまま職員室へ向かい、教員室へ歩いていく背中の後ろを、どうにも居心地の悪いものを感じながらアパパネは歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はーい! ではみんなで鬼ごっこをしましょーう!」

 

「えー、鬼ごっこー? いやだー」

 

 ──そんな調子で始まって大丈夫なのかというアパパネの心配をよそに、ブエナビスタは手慣れた様子で子供たちを集めてレッスンを始めた。

 

「人の話は最後まで聞きましょう! えー、ルールは簡単。私が逃げるので、私を捕まえてみてください!」

 

「追いつけるわけなーい。ふこーへーだー」

 

「いいえ。みんなで私を捕まえればいいんです。私は1人ですけど、みんなは……えーっと、21人ですか。こんなにいるなら出来ますよ!」

 

 子供たちの中にはウマ娘も混ざっている。いくら小学生相手といえども不利すぎる、とアパパネは思ったが、子供たちのやる気が一気に上がっていくのを見て口を挟むのをやめた。とりあえず見守ることにする──。

 

「アパパネ! 試合開始の宣言をしろー!」

 

「……はぁ。えっと、じゃあ……スタート」

 

 そんな訳で始まった小学生の集団対ブエナビスタの鬼ごっこ。ルールは単純、ブエナビスタが10分間触られなければブエナビスタの勝ちだ。

 

 人数差がありすぎるため、2分も持てばいい方だと思っていたのだが──。

 

「ほらほらこっちですよー! もう終わりですかー!」

 

「はぁっ、はぁっ……は、はやすぎ! ズルだ!」

 

「ズルじゃないですよー!」

 

 5分経っても6分経っても──誰1人としてブエナビスタに追いつけなかった。基礎的なスペックの違いを存分に発揮して、半径3メートルに近づく頃にはもう10メートル離れた場所にいる。

 

 人数差を考えて、囲まれないような位置取りをし続けて、結局ブエナビスタは逃げ切ってしまった。息切れもしていない。

 

「ズルだー! 勝てる訳ないじゃん! 手加減しろー!」

 

「まったく。この程度で音を上げるとは情けないガキどもです。仕方ありませんね、もう一回勝負しましょう。今度はそっちのおねーさんが味方になってくれますよ」

 

 そっちのおねーさん──該当する人物は、アパパネの他に見当たらなかった。

 

「……私?」

 

「かかってきやがれ、ですね」

 

 単純な挑発──それにアパパネは乗っかった。

 

「……。分かった。いいわ、やってあげる」

 

 ここまで静かにことの成り行きを見守っていたアパパネがついに動き出し、子供たちの注目も彼女に集まる。アパパネはクールで冷たい印象が付き纏っていて、特に小学生などにとっては話しかけづらかったが──。

 

「みんな、集まってくれるかしら? 作戦を立てましょう」

 

「お、やる気ですねぇ。これで勝てなきゃ後で罰ゲームですからねー!」

 

「……。その言葉、そのままそっくり返そうかしら」

 

 愛嬌と親しみやすさのブエナビスタと違い、アパパネは真面目だが、流石に年下に優しくする程度の配慮はあったようで、作戦立てはつつがなく進んだようだ。鬼ごっこが始まり、それまではバラバラに動いていた子供たちが集団的な動きを見せるようになった。

 

 波状的にゆっくりと囲んでいき、逃げ場を狭くしていく──。これをされると、いくら足が速くとも関係がない。数の有利を有効に活かした戦法だ。

 

「残念! そんなもんでは捕まりませんよ!」

 

 僅かな隙間から一瞬にして抜け出し、状況は振り出しへ。

 

「……もう一度よ。フォーメーションB、散開しなさい!」

 

 多少バラバラな動きでブエナビスタを囲んでいく小学生たちだが、校庭の広さを活かして囲まれないように立ち回る標的をなかなか捉えきれない。アパパネが司令塔として後方に控えて、何となくの圧力を与えつつ、だんだんと校庭の隅へと追い詰められていくブエナビスタ──。

 

 そしてついに逃げ場が無くなったかと思われたが──。

 

「ふっ、追い詰めたと思っているでしょう。ですが残念無念努力賞、また明日。とぅっ、ヒーロージャンプ!」

 

 ブエナビスタはウマ娘としてのスペックを最大限に発揮した動きで、新体操選手のように軽々と小学生たちの頭上を飛び越えていった──。

 

「……!」

 

「えー! すげー!」

 

 アクロバティックな動きに興奮している子供たちとは対照的に、アパパネは静かに──冷たい笑みを浮かべた。

 

「……なるほど。流石はスターといったところ──手加減は無用のようだし、私も本気を出すことにしようかしらね……!」

 

 アパパネは、そもそもあまりこんなものに興味もやる気もなかった。しかし、終始挑発するような動きで翻弄するブエナビスタのおかげで、ようやく火が着いたらしい。

 

「みんな、作戦変更よ。──私があいつを追い詰めるから、フォローをお願い」

 

 アパパネの雰囲気が一気に変わった。姿勢を低くすると同時に捉えるのは標的の影。彼女の足跡は地面から3cmほど沈んでいた。

 

「やっとやる気になりましたか! じゃあちょっと遊びましょうかァ!?」

 

「お望み通りにしてあげる……!」

 

 というかもうほぼ2人の鬼ごっこについていける者などいなかったのは確かだが、最終的にはある男の子が油断したブエナビスタにタッチして鬼ごっこは終わりを迎えることとなった──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はいはいサインですね。ほら並んで並んで。別に逃げたりしませんからねー」

 

 どこから用意したのかもわからないサイン用紙にサラサラとサインを書いてあげては子供たちに渡していくブエナビスタの楽しそうな様子を眺めながら、アパパネは教員と話していた。

 

「今日は、わざわざありがとうねぇ。あの子たちにとっては、忘れられない経験になったと思うわぁ」

 

「いえ、私こそ……貴重な体験をさせてもらったから」

 

「そうなの? ならよかった」

 

 年配の女性教員は穏やかに微笑んだ。そして思い出したように懐からペンとサイン用紙を取り出す。

 

「これ、お願いできない?」

 

「え……私のサイン? 私なんかより、あっちに頼んだほうがいいと思うけれど……」

 

 子供たちの相手を楽しそうにこなすブエナビスタ。サイン待ちの列は長く、何だったら普通に先生も何人か並んでいる。

 

「あなたがいいのよ」

 

「……!」

 

「孫がファンでねぇ、毎日楽しそうに話してくれるの。きれいでかっこいい、私もあんなふうになりたいって」

 

 思えば──勝つこと、そして強くなることをずっと考えてきた。

 

 後ろを振り返ることなどしなかった。ファンという存在のことを真剣に考えたことなどあっただろうか?

 

「オークスなんか、せがまれて一緒に見にいったのよ。私はあんまり、レースは見てこなかったけど、素晴らしいものだったわ。年甲斐もなく叫んじゃったものねぇ」

 

 こういう時になんと言葉を返せばいいのか、アパパネには分からなかった。

 

 ファンという言葉で一括りにして、その言葉の向こうに存在する人たちの顔を想像したことがなかった。

 

「それですっかり、私もあなたのファンになっちゃってねぇ。あなたまで来てくれるなんて思ってなかったから、びっくりしちゃったのよ。ふふ」

 

「……ごめんなさい。こういうとき、何て言えばいいのか分からないわ」

 

「あら、そうなの? 何だか意外ねぇ」

 

「私にもファンがいるって、ちゃんと実感したことがなかったし──それに、何を伝えていいのか」

 

「あら、そうなの」

 

「周りの子は割とやっているの。SNSの更新とか、ブログとか……私はそういうのが苦手で、何を書けばいいのか分からないから──」

 

 きっとこの年配の先生の穏やかな雰囲気のせいだろう。色々なことを口走ってしまった。

 

「あら。それなら簡単じゃない?」

 

 その女性は、まさしく先生らしく、そして少し悪戯げに微笑んだ。

 

「ウチの孫はいつも言ってるわよ。普段はどんなことしてるんだろう、とか。どういうふうに生活してるんだろう、とか。インタビューの雑誌とか、色々探したりしてねぇ」

 

「私のことを……?」

 

「みんなそうなんじゃないかしら。あるひとのことを好きになると、そのひとのことをもっと知りたいと思うようになるのよねぇ。みぃんなそう──あなたのことを知りたいと、そう思っているのよぉ」

 

 もちろん、私もねぇ。

 

 そう付け加えて微笑んだ。とても──穏やかで、そして優しい声。

 

「次のレース、応援してるわ。孫と一緒に。頑張ってくださいねぇ」

 

 ふと、ファンらしきウマ娘の子が、溢れんばかりの興奮と喜びでブエナビスタに何かを叫んでいるのが見えた。何かを伝えたいらしいその子の頭を撫でて、ブエナビスタが何かを答えている。会話の想像はなんとなくついた。

 

 "私は、あなたみたいなウマ娘に──"

 

 

 

 

 

 ー ー ー

 

 

 

 

 

 

 

 ガタンゴトン。ガタンゴトン。

 

 陽の落ちた夜の東京を走る電車の中で、ふとアパパネが口を開いた。

 

「そう暇な時期ではないでしょう。バイトなんかする時間があったのかしら」

 

 首根っこ掴まれて連れてこられた恨み節もあったのだろう。少し冷たい言葉だった。

 

「ヒーローは誰にでも優しくするものですよ?」

 

 おどけているのか、真剣なのか──判別がつかない、そんな微妙な言葉。

 

「答えになっていないと思うけど」

 

 少し間があって、ブエナビスタが語り出した。

 

「私があの子たちぐらいの頃も、あんなふうにはしゃいでいましたよ。特にスペシャルウィークさんが出るレースは、親にわがまま言いまくって会場まで連れて行ってもらいました」

 

 ふと珍しく、そんなふうにブエナビスタは自分のことを語った。こんなふうに真面目に話すブエナビスタは、何だか違和感があるが──本来は、こっちの方が()なのかもしれない。

 

「あのジャパンカップは、私の中の原点だと言えます。私の全てはあの場所から始まったのだから──」

 

 手を振って帰っていく子供たち、皆一様の笑顔を浮かべて。

 

「あの子にとっての私も、そうでなくては」

 

 ヒーローとは。

 

「……選ばれたものの宿命とでも言いたいのかしら?」

 

 あのウマ娘がレースを選んだとして、果たしてどこまで上り詰められるか。厳しい現実があの幼いウマ娘を打ちのめす日が来ないとも限らない──いや、そうなる可能性の方がずっと大きい。

 

 ブエナビスタやアパパネは、客観的に見れば"選ばれた側"のウマ娘だ。幾千もの夢の残骸の上に立ち栄光を浴びる彼女たちには、輝きを見せるという使命がある──それがアパパネの言うところの宿命か。

 

「いいえ。選んだ者の役目です」

 

 ブエナビスタは──選ばれた者ではなく選んだのだ。有馬記念を超えて、自らの走る理由にたどり着いた。迷いのない言葉は固く、そして強い。

 

「……そう」

 

 アパパネは、少しだけブエナビスタのことが分かった様な気がした。どうしてこんなにファン人気が高いのか、その一端を覗いた気がした。

 

「私を連れてきたのは……あの子たちの様子を見せたかったのよね?」

 

「……」

 

「私はファンというものをちゃんと分かっていなかった。自分ではそう思っていなくても、流石は先輩ね、見抜いていたんでしょう。憧れを受ける立場というものを教えるつもりで連れてきた。そうなのね?」

 

 ブエナビスタは、まさしく先輩と呼ぶに値する、尊敬を抱くに相応しいウマ娘だ──

 

「え? いや全然。何変なこと言ってんです?」

 

 最低だった。表情からして、揶揄っているとかではなく本気の言葉らしい。

 

「は? じゃあなんで私は放課後を潰す羽目になったの?」

 

「いや別に、なんか歩いてたら居たんで。丁度いいやって思って」

 

「………………」

 

 ──この先輩は、色々な意味で底が見えない。まともに取り合うだけ無駄だ。やっと理解した。

 

 アパパネはそれはもう大きなため息をついて、わざわざバイトに付き合った労力の対価を求めるように言った。

 

「宝塚記念、勝つんでしょうね。先輩?」

 

 その言葉に、ブエナビスタははっきりと答えた。

 

「もちろんですとも。私はブエナビスタ。お茶の間のヒーローですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宝塚記念・鴻溝(こうこう)()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 梅雨の時期だ。雨の日も多かったが、この日ばかりは雨空を割って太陽が輝いた。宝塚市、阪神レース場。

 

 宝塚記念当日──。

 

 朝からの賑わいを見せるここ阪神レース場、このレースのために早朝から張り込んでいたファンも多い。レース場の人々のひしめき合いと言ったら相当なものが予想され、そしてその予想の通りになった。身動きが取れなくなるので、トイレは早めに済ませておこう。

 

 グッズの販売所にはウマ娘たちのグッズが並ぶ。ぱかプチとかキーホルダーとかその他諸々。ウマ娘人気にかこつけた屋台が並んでいた──。ウマ娘焼きそば(にんじん山盛り)とかこじつけだろとか思っても売れるのは売れる。

 

 昨日の雨が引きずっていたが、バ場状態は稍重まで回復した。しかしパワーが要求されるレースとなるだろう。

 

 ──1番人気、現役最強ウマ娘ブエナビスタ。説明はもはや不要。

 

 2番人気にはジャガーメイル。春天の覇者。

 

 3番人気アーネストリー。春の上がりウマ娘、初のGⅠ制覇を狙う。

 

 その他には復活が期待されるダービーウマ娘ロジユニヴァースや、名門の生まれであるフォゲッタブルなどがいた。グランプリに相応しい、錚々(そうそう)たる顔ぶれだ。

 

「いや混みすぎ混みすぎ。ぜってー関係者席行けばよかったじゃんこんなん」

 

「何言ってるの。一般席から見たいって言ったのはジョーダンじゃん。だいたい今朝だって、なかなか起きないからいい席取れなかったし」

 

「仕方ないじゃん、あんま昨日寝れんかったし」

 

「はぁ。もう……みんなの控え室行ってみる?」

 

「行かねーし。てか誰応援したらいいか分かんないし」

 

「……はぁあ。まさかみんな出るなんて……もうなんて言っていいのか分かんないよ」

 

 アケノは嬉しいのか悲しいのか分からないような心持ちで空を仰いだ。仲良し5人組のうち3人がこの宝塚記念に出走する──。

 

 ブエナビスタ。ナカヤマフェスタ──そしてネコパンチ。日経賞1着の実績をぶら下げて参戦、堂々の逃げ宣言。

 

「それで……その、そっちは?」

 

 さっきからものすごい負のオーラを立ち上らせていたあるウマ娘の姿が横にあった。

 

 ──レッドディザイアである。彼女は観客席に居た。その事実が示すものとは。

 

「何? 笑いたいなら笑えば?」

 

 階段でつまづいて足を捻ったらしい。ファン投票2位に推されながら、捻挫により出走回避。それを聞いた時のブエナビスタの大笑いと言ったら、おそらく学園中に響き渡るほどだったと思う。

 

 まあ見に来ているのは納得だ。しかし、なんで横で一緒に見ようとしてるんだろう。あんまり交流とかないのだが──。

 

「アケノ〜。こいつも友達少ねーんだし、一緒に見てやろ」

 

「誰の友達が少ないって!? あんたもあのバカも、ほんっとそういうとこ嫌いッ!」

 

 なんかこういう星の元に生まれているのだろう。レッドディザイアにはストレスが絶えなかった。

 

「ま、まあまあ。えっと……マシュマロとか、食べる?」

 

「食べるわけないでしょ!?」

 

「じゃあほら、飴玉とか……」

 

「……ッ!!」(諸々のことにキレそうになっている時の声にならない声)

 

 そんな彼女の百面相を眺めながら、アケノはどうしてブエナビスタがこうもレッドディザイアに構うのか、その理由がわかったような気がした。彼女は感情豊かで反応が面白い。

 

「まーまー落ち着けし。レース場ではお静かにって言うじゃん」

 

「言うわけないでしょッ! どいつもこいつも、呑気過ぎて嫌になる! あいつも、アンタらも……!!」

 

 些細な日常の行動により宝塚記念という大舞台を逃したレッドディザイアの心境といったら、自分や他人に対する怒りで埋め尽くされていた。敗北という結果すら受け取れず、戦えもしない──そして指を咥えてこのレースを眺めていることしかできない。

 

「え、なんでそんな怒ってんの? なんかあったん」

 

 怪我により出走が叶わなかったという点において、ジョーダンとレッドディザイアは同じ立場だ。それなのに呑気にしているジョーダンも気に食わなければ、多くの観客がブエナビスタに期待をしている事実も気に食わない。

 

 "まあまあまあまあまあ。黙って見ときなさいや、ディザイアちゃん。ヒーローの姿ってモンを教えたりましょう"。

 

 レッドディザイアはブエナビスタの言葉を思い出して表情を歪めて呟いた。

 

「……気に入らない。あいつも、分かったような気になってるアンタも」

 

(なんかあったなこいつ)

 

(なんかあったのこの人?)

 

 どうやら根は深そうだ。そう深くない仲なので追求は避けることにしたが、あんまり黙っていられる性分でもないので会話は続く。

 

「でさー。結局誰応援するよ?」

 

「一回考えようよ。本当に決めなきゃいけないのかな?」

 

「難しいこと聞かんで欲しいけどな。ねえ、あんたはどう思うん?」

 

「……もしかして私に聞いてんの?」

 

「え。それ以外になんかある?」

 

「チッ──」

 

 ジョーダンの言葉にも返すのは舌打ち一つ。どうやら話は通じないらしい、と思ったところで、唐突にレッドディザイアは言った。

 

「アンタらと違って、こっちは応援だのなんだのをするためにわざわざ大阪まで来たわけじゃない。私はこのレースの結果を確かめに来た。そんだけ──なんか文句ある?」

 

 確かめに来た──その表現は、すっぽりとハマる感覚があったのか、アケノとジョーダンは顔を見合わせる。誰かに勝ってほしいとかそういうことではなく、どういう過程があって、どういう結果が残ったのか。それを確かめる──。

 

「ねえアケノ?」

 

「うん、それで行こう。今日は」

 

「は? え、何? 何の話?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──結局雨は降らなかった。降雨の予報は見事に外れた。

 

 ターフから蒸発する水分が太陽に温められて、阪神レース場は蒸し暑くなった。バ場は稍重まで回復──この表現は、良バ場が望ましいと思われていることの裏返し。吉と出るか凶と出るか、このバ馬状態──。

 

「勝算はどうです?」

 

「さてなぁ、風は気まぐれ運任せ。明日は明日の風が吹くってヤツだよ」

 

「もう少し分かりやすく」

 

「神のみぞ知る、だ」

 

 ──どうやら本当に分からないらしい。加賀からは勝てるという自信が感じ取れなかった。

 

 かといって、別に不安でいっぱいとかそういうわけでもなさそうだ。その感覚が明日原には何となく理解できる。これは勝てるとか勝てないとか、そういうものではない。ただ自身の担当がどんなウマ娘なのかを知っている──信じているのだ。

 

 これまでの経験上、そういうコンビは怖い。自分の走りを貫き通すと腹に決めたウマ娘は手強いものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー ー ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 GⅠのゲート。その前に立つ。

 

 ここまで来た。ついにこの大舞台まで──後は、自分を証明するだけ。その思いは多くのウマ娘に共通していたが、ブエナビスタは例外だ。出走前の歓声にぶんぶん手を振ってファンサービス、応えるように歓声が上がる。

 

 この場所においての"主役"の座は、紛れもなくブエナビスタが背負っていた。その役目の名前はヒーロー、本人曰くお茶の間の英雄。虎視眈々とその座を狙うライバルたちの視線を背中に浴びた程度ではビクともしない。ヒーローとはそういうものだ。

 

「にゃー。いーなー。にゃーもあれやりたいにゃー」

 

「出来るさ。勝ちゃァいい」

 

「にゃ? そうなの?」

 

「私はゴメンだがね」

 

 ニャカヤマフェスタとネコパンチ。また友人同士に戻ることが出来た2人がゲートインを待っているとき、そんな会話があった。

 

「じゃあにゃー、がんばって勝つにゃ!」

 

 ──疑いを知らないその言葉。身の程知らずと笑われるような笑顔。16番人気ネコパンチ。しかしナカヤマフェスタは知っている。その言葉の裏側にある彼女の強さを──。

 

「なぁ、ネコパンチ」

 

「にゃ?」

 

「今日、アンタと走れて光栄だ。アンタは私に、走ることの意味を思い出させてくれたから」

 

「?」

 

 それだけ言うと、ナカヤマフェスタはゲートへと向かって行った──。

 

 順次ゲートインが始まる。レースが始まる。

 

 ヒーローか。伏兵か。

 

 阪神レース場2200m。天候:晴。芝:稍重。

 

 言い訳無用一本勝負、宝塚記念。

 

『稍重まで回復したコンディション、言い訳は出来ません! 力勝負で頂点を目指せ──第51回宝塚記念、スタート!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、逃げた」

 

「逃げた〜!」

 

 分かっていたはずなのに驚いてしまった。ネコパンチが真っ先にゲートから飛び出して先頭まっしぐら。今回も大逃げを狙っているかもしれないが──この舞台は甘くない。逃げはスタミナを消耗する。水分を含んだ芝の上では後続を引き剥がすような逃げはことは困難だ。

 

『先に行ったのはネコパンチ、堂々逃げ宣言。次にネバブション、ナムラクレセント、そしてアーネストリー行きました。それからロジユニヴァースも早めに前に付けました』

 

「いけいけ〜! がんばれ〜! 大逃げしろ〜!」

 

「……!」

 

 カノープスが応援するネコパンチ。大舞台への出場が叶ったネコパンチを全力応援──アパパネはじっとレースを見つめている。

 

『トップカミング後ろに付けて、8番のブエナビスタ、6番手の外を追走、そしてセイウンワンダー、内からイコピコです! 後はナカヤマフェスタこの位置、そしてその外にはアクシオン! その後ろにフォゲッタブル、1番後ろにスマートギアという体制で各バ1コーナーのカーブへ!』

 

 ──ワアアアアアアアアアアアアアア!!!

 

「いけ〜!」

 

「ネコ〜! 頑張るんじゃぁ〜!」

 

「…………!」

 

 歓声が背中を押す──。

 

 2コーナーから向こう正面に入るまでの間はあっという間で、位置取りがほとんど確定してからはそのまま走っていく形となった。先頭で思いっきり逃げているネコパンチだが、後ろへのリードはほとんどない──。

 

『ほとんど18人は一団です、先頭変わらずネコパンチ、2番手にナムラクレセント、3番手にアーネストリー、ロジユニヴァース絶好の手応え、外から早めに動いてくるのはアクシオン、内の方で脚を溜めるのはブエナビスタ!』

 

「いけいけ〜!」

 

「がんばれ〜!」

 

「先輩……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──このレースに、加賀は4つの賭けをして臨んでいた。

 

 1つ目はバ場状態──芝のパラメーターは、能力の発揮のしやすさを表す。重い芝が得意な脚質、あるいは性格上の好み。それらは決してバカに出来ない要素だ。

 

 2つ目、レース展開。出走するウマ娘の脚質から、道中でどのような展開になるのかはある程度の予想はつく。しかし一つ不確定な要素がある。時計だ。

 

「──早くなれば勝てる。俺はそう踏んだ」

 

「どうしました急に」

 

「今日の芝は稍重って表記以上に重い。どっちかっつーと重バ場寄りだ。後ろの方はまあまあしんどくなる。この団子状態は、後方勢にとっちゃ末脚勝負が不利だっつー判断の結果だろう。今のナカヤマなら、ブエナビスタ相手でも可能性は大いにある──」

 

「……それほどの仕上がりだと?」

 

「体の方はな。そもそもあいつ重い芝得意っぽいし。あとはあいつの気持ちの問題──そいつが3つ目の賭けだ」

 

 ブエナビスタほどの強いウマ娘ならば、バ場状態がどうのこうのなど気にもしないだろう。本当に強いウマ娘というものは、芝が湿っていたり、水浸しになっている程度ではビクともしない。

 

 芝状態が影響するのは、実力が拮抗した者同士の戦い──その勝敗に、些細かつ重要な要素として影響を与える。特に先行勢同士の争いには──。

 

「昨日の雨が降ってから、今日は先行で行くと決めていた」

 

「つまりは上位人気層と同じ条件で戦う、と」

 

 ブエナビスタやアーネストリーが先行で来ることは、これまでの傾向から読める。差しがハマりにくい芝状況である以上、この選択は必然であり、同時に賭けだ。

 

「ああ。同じ条件で──そして後は、あいつの気分が乗るかどうかだ」

 

 ナカヤマフェスタはどこまで行っても気分屋。それが加賀の認識である以上、賭けの焦点はそこだ。ナカヤマフェスタが勝利に対して貪欲になれるか。何か彼女を突き動かすものがあれば、あるいは。

 

 ──8番人気の大穴が、この大舞台を制すこともあり得る。

 

「最後の賭けは何です?」

 

「……さぁてね、聞くのは野暮ってな」

 

 加賀が大事そうに握っている変な紙に記載された金額の桁を見れば、最後の賭けが何なのかは容易に理解できる。これ外したらマジでやばい。

 

 

 

 

 

 

 

 向こう正面に入ってから隊列が安定した。単純な縦長ではなく、その真逆。全員が一段に固まって進む展開だ。

 

 ネコパンチが苦しい顔をしながら先頭をまっしぐらに進む。しかし引き剥がそうとして生まれたリードは1バ身もない。いつでも抜かしてやるぞという真後ろからのプレッシャーを浴びている。

 

(……関係ないにゃ! にゃーは全力で走るだけにゃ!)

 

 勝ちたいのはそうだ。だけどネコパンチはいつだって、自分らしく走ることを大切にしてきた。自分のやりたいように──今日は、ナカヤマとナビと一緒だから。情けない姿は見せないように。

 

 その数人後ろに控えるブエナビスタは悠々と走っている。

 

(ネコの後ろ姿、案外様になるもんですね。意外と前で粘ってくれてます。この展開はだいぶ追い風です──ネコがくれた、勝利への切符みたいなもんだと思うことにしましょう。どうもごっちゃんです。後で撫でまくろっと)

 

 息が乱れないように。冷静に、冷静──今はまだ脚をためる場面だ。

 

(……横のコイツ。アーネストリー……妙なプレッシャー掛けて来やがりますね。私はウチに入れてるので最終直線まで動けませんが、コイツは外を回ってる──動いたか)

 

 周りの息遣いまで全て分かる。アドレナリンが五感を強化しているみたいに、どんな風に走ろうとしているのかまで分かる。アーネストリーが動く気配を感じた。彼女だけではない、ギアを入れて前へ抜け出そうとする気配の数が増えていく。

 

 間もなく3コーナーを終える。

 

 それぞれが選んだ戦略。位置取り。天運が決めた枠順。それぞれがそれぞれを牽制し合って、この形になった。18人分のそれらが重なれば、もはや予測など不可能。ここから先は──誰もが予想しなかった形になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 固まっている。固まっている──ということは、この勝負は単純化される。

 

 ──直線勝負だ。

 

 ここまで中団で固まっているなら駆け引きなどもはや些細な問題だ。先頭から殿まで7バ身ほどもない。後はどうやってバ群から抜け出して突っ切るか──それだけを考えればいい。

 

 パワーの要求される芝、よーいどんでスタート。合図は簡単で、コーナーに差し掛かった時──。

 

『外からフォゲッタブル! 内にはジャガーメイルも来た! 先頭アーネストリーに変わった! アーネストリー逃げる────』

 

「アーネストリー!? あの厨二病の先輩、あんなパワーあったの!?」

 

 ────ワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

 

 観客サイドは大盛り上がりだ。応援するウマ娘の名前を叫ぶ声が集まって、最終的には歓声という一つの形に集約されていく。

 

「……!」

 

 ここから先は、誰も知らない世界。レッドディザイアはこの勝負の行方を睨みつけ、トーセンジョーダンは固唾を飲んで見守り、アケノオールライトはつい叫びそうになるのを堪えている。

 

「が、がんばれ……!」

 

「アケノ! 応援は無しって決めたじゃん!」

 

「そうだった! う、ううう……!」

 

 ────ワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

 

 そしてついに、彼女たちは最終直線に飛び出してきた。このレースの終着点へと、ようやく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──逃げに付き合ってスタミナを削られた! この位置では先行も差しも些細な問題だ。後は根性勝負。最終直線、アーネストリーが先駆け。

 

(──理想的な状況とは言えないわね。アーネストリーは末脚勝負が得意ではない)

 

 想像以上に中団が固まってしまった。できることならもっとスローペースで行きたかったところだが、ネコパンチが宣言通りに逃げをかましてくれたおかげでアーネストリーも行かざるを得なかった。

 

(けれど最悪でもない。アーネストリーの前に立ち塞がったいくつかの賭けは、全てアーネストリーの勝利。あとはフィナーレを飾るのみ)

 

 前を遮るものがないならば、後は全力を尽くすだけだ。背後には無数の気配を感じる。聞く気がなくとも聞こえてくる。

 

(ここに至って、もはや思考(コジター)など意味を為さない。アーネストリーのやるべきことはただ一つ)

 

 アーネストリーは走っている。

 

(アーネストリーはアーネストリーを証明する。他でもない"私"が、この場所にいると示すために──)

 

 息を吸い込んだ──肉体の化学反応がそれを力に変換し、エンジンが回った。体が熱い。脚が動く。前へ進める──まだ舞える!

 

「──アーネストリーは強いのよ……ッ!!」

 

 飛び出して加速した。光を目指して走った──このまま駆け抜けて、あの栄光を飾って見せる。アーネストリーの表現とは、勝利をおいて他にないのだ。勝てる──いや。

 

 勝って見せる。

 

 

 

 

「──残念。ヒーローはもっと強いのです」

 

 

 

 

「……ッ!?」

 

 バ群から抜け出したアーネストリーを追ってきたヒーロー。曰く、その名は──

 

(ブエナビスタ──やはり来たのね……!)

 

 瞬く間に横に並び掛けてきたブエナビスタ。最初から最後まで、この英雄の存在をずっと意識し続けてきた──現役最強。その称号を背負うトゥインクルシリーズの大黒柱。勝てるか。届くか。このウマ娘に勝てるか。そんな葛藤はもうとっくに乗り越えた。

 

 上等だ。

 

 少しでも脚を緩めればコンマ1秒の間に追い抜かれて、そして2度と届かない位置まで走り去ってしまうだろう。

 

 体が熱い。脚が燃え上がりそうだ。人体構造にかかる負担は他のスポーツの比ではない。一歩間違えば簡単に脚が壊れてしまう世界だ。骨、筋繊維、肺器官や爪──爆弾はどこにでもある。誰にでも爆発する可能性はある。

 

 走れば走るほどに、この炎が自分を燃やしてしまう世界だ。簡単に壊れてしまう世界だ──そして、それでも勝ちたいと思うレースがある世界だ。

 

 自分に、そしてお前に。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァアアアアアアアアア──────ッ!!!」

 

 アーネストリーは負けられないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ワアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

 

「来た──やっぱり来た、ナビだ! がんばれーっ!! ナビー!! がんばれーっ!!!」

 

「いや結局応援してんじゃねーか! あーもー! なんかもうがんばれ! がんばれー!!」

 

「ッ、うぅッ、あぁぁあもう! バカビスタッ!! 負けたらぶっ殺す!! 負けんな、負けんなぁーッ!!!」

 

 4コーナーで見事沈んでいったネコパンチを通り越して彼女たちは抜け出しに掛かった。最終直線でものを言うのはなんなのだろうか。

 

 身体のスペック? 気持ち? 戦略? 根性? どれを取っても勝てるかもしれない。しかしどれをとっても間違いかもしれない。

 

 アーネストリーは導かれるように前へ出て来た。

 

 ブエナビスタは選び取るように前へ出て来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大地を砕くような蹄鉄の音が、まるで土石流のように流れていく。

 

(……くそ、ぽっと出のクセに随分粘りやがります! ですが──)

 

 叩き合いは根性勝負だ。

 

 諦めたらそこで終わりだ。

 

(負けられない理由はこっちにもあるんですよ────!!)

 

 ヒーローは負けない。私は負けない。

 

 ──今の日本にはヒーローが必要なのだ。輝きを背負って立つ、みんなに勇気を与えられる存在が必要だ。それになる資格が本当に自分にあるのか、ブエナビスタには分からない。だけどならなければならないと思った。

 

 誰かの笑顔を照らす存在になると誓った、あの日からずっと。

 

 命が燃えたっていい。だから今は力を。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァアアアアアアアアア──────ッ!!!」

 

 この勝負に勝つ強さを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

 

 レースの正解が勝利に結びつくとは限らない。いつだって、彼女たちは全力だから──最後の最後まで、何が起こるのか分からない。

 

 故に。

 

 ブエナビスタとアーネストリーの叩き合いが繰り広げられている横でも、勝負はまだ続いている。

 

 サイコロを振って何が出るかなど、振ってみなければ分からないのだ。

 

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

 

 

 ねえ、フェスタ。

 

 私が死んだら、もう私のために走らなくていいのよ。

 

 

 

 

 

 

 

「がんばれっ! がんば──え、あ、ああ、あああ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 そんなことを言わないでくれ。

 

 縁起でもないよ。

 

 

 

 

 

 

 

「あ──あああああああ!!! え、えええ!? 来てる! 来てるよーっ!!」

 

 

 

 

 

 

 ねえ、フェスタ。教えて。

 

 あなたの本当にしたいことは何?

 

 

 

 

 

「来た、来たって、来てるって!! マジで、マジで! マジで!?」

 

 

 

 

 

 どうしてそんなこと聞くんだ。

 

 どうでもいいじゃないか、そんなこと。

 

 

 

 

 

 

 

「ナカヤマが──ナカヤマが来たぁっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 なあ先生。

 

 私がもう一度、先生のために走りたいって言ったら、許してくれるかな。

 

 

 

 

 

 

 

///

 

 

 

 

 

 

 

『ここで──ナカヤマフェスタが来たッ!! これは意外だナカヤマフェスタが来た!』

 

 叩き合いの真っ只中、意識はただ走ることの中だけにあった。しかしその存在は否応なく入り込んでくる。気付かざるを得ない。

 

 "──ここで来るのね、ナカヤマフェスタ……! やはりアーネストリーの勘は当たっていた!"

 

 数コンマの思考。考えて、考えて──考えてどうにかなるものではない。

 

 ただ感じていた。

 

 "いいでしょうとも、たとえあなたが相手でも手加減なんかしてやりませんよ! どんな理由があろうとも──あなたが一体何のために走っていようとも! ヒーローはこのブエナビスタですッ! 依然、変わりなくッ!!"

 

 知っていた。知っていたのだ。

 

 ナカヤマフェスタが迷っていたことを。暗闇の中を1人で歩いて、苦しんで、折れそうになったことを。そうなった理由を。

 

 だが──知らなかった。

 

 こんなに強いことまでは知らなかった。

 

 1秒にも満たない拮抗状態。横に並んでゴールまであと僅か。

 

「負けるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァアアアアア──────ッ!!!」

 

 負けない。負けない。負けない。

 

 負けない!

 

 ──わずかにアーネストリーが飛び出した。

 

 このアーネストリーはいつだって──探していた。走るに足る理由を。生きている理由を探していた。

 

 生きる理由ならここにある。走る理由は──あなたのようなウマ娘が隣で走っているから。それで十分だ。

 

 ここでいい。これがいい。勝ちたい。

 

 あなたに勝ちたい。そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 "ねえ、フェスタ"。

 

 

 

 

 

 

『ブエナビスタ! アーネストリー! ブエナビスタ! アーネストリー!』

 

 

 

 

 

 

 "フェスタ"。

 

 

 

 

 

 

『外から! 外から──外からナカヤマフェスタ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 "フェスタ"。

 

 

 

 

 

 

 

 あのさ。

 

 まだ、ちゃんとさよならって言ってなかったんだ。

 

 今更で悪い。ずっと言いたかったけど、ちゃんと言えなくてさ。けど今なら言える気がするんだ。

 

 

 

 

 

 

 

『──ナカヤマフェスタ! 差し切りましたッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 さよなら、先生。

 

 

 

 

 

 

 

 たった半バ身。わずかな──ほんのわずかな差を差し切って、ナカヤマフェスタは勝った。

 

 

 

 

 ────ワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

 

 

 

 

 歓声を──この大歓声。

 

 これは弔いのうた。青空の向こうにまで届くように。

 

 

 

 

 ────ワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

 

 

 

 

 この戦いは、彼女にとっての長い弔い。彼女なりの、死者へ送ることば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ねえ、フェスタ。いっぱい楽しんで、いっぱい笑ってね。いつだってあなたを愛してる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

 

 ふと蒼穹を見上げると、誰かの囁きが聞こえた気がした。

 

 喜びではなく、ただ安心したように。まるで去っていく人に見せるみたいに、少しだけナカヤマフェスタは優しく笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー ー ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ざ──ざ、ざ、ざぁ────ざ、ざざ、ざぁ────。

 

 温い雨が降り注いでいた。傘を叩く水滴の音もない、草の生えた地面ごと洗い流す7月の雨。過ぎ去ったはずの梅雨の置き土産とばかりに、容赦のないほど強い豪雨。

 

 ナカヤマフェスタはそれを浴びながら、ある墓の前に立っていた。水滴が彼女のニット帽に染み込み、雨だれとなって落ちていく。

 

 "出水家之墓"、その中に彼女の大切な人が眠っている。その人物は彼女の恩師であり、よき友人であり、そして母親でもあった。

 

 ナカヤマフェスタは傘を持たない主義だ。片手が塞がる。

 

「……先生、久しぶり」

 

 ナカヤマフェスタは傘を持たない主義だ。自らを守るものは要らない。

 

「今日は報告に来た。宝塚記念、勝ったよ。ずっと勝ちたいと思ってたんだ。先生さ、宝塚歌劇団好きだったろ? だから──いや、名前しか関係ないなんて言わないでくれよ。大元は一緒さ」

 

 ナカヤマフェスタは傘を持たない主義だ。涙が濡れても雨が誤魔化してくれる。

 

「先生が死んでから色々あったんだよ。一度はもう辞めるつもりだったけど、友達が引き戻してくれてさ。それで、教えてくれたんだ。大切なこと」

 

 ざ、ざ。ざ────ざぁ────────。

 

 バサッ。

 

 そんな風に、雨に打たれるがままのナカヤマフェスタの後ろから、彼女の頭上に傘が開かれた。

 

「風邪引くぞ」

 

 いつの間にか、珍しくネクタイをきっちりと首元まで締めた正装の加賀が立っていた。

 

「……そういや、あの日もこんな風に、アンタは傘を差してくれたっけな」

 

「……。いやお前誰だ。俺の知ってるナカヤマフェスタはそんなこと言うヤツじゃねえ」

 

「たまには素直になってやるさ。それに、先生の前だから」

 

「そうかい……」

 

 ナカヤマの主義は理解している加賀は、2本の傘を持っていた。1本をナカヤマのために開いて、もうひとつは自分用。ナカヤマの報告は続いた。

 

「……色々心配かけたと思うけど、もう大丈夫だよ。一応このアラサーもいるしさ」

 

「アラサーって言うんじゃねえ……。アラウンドどころかもう30越してんだよこっちは……」

 

「ハハ。じゃあもうおっさんだな」

 

「笑うとこじゃねえよ……」

 

 2人の間には、少し不思議な距離感があった──。2年半という長い時間をかけて作られた、少し普通から外れた信頼関係。

 

「はぁ……ナカヤマ。そろそろ自分で傘持ちやがれ。疲れる」

 

 そう言われて、ようやくナカヤマは自分の分の傘を持った。片手が空いた加賀は、器用に片手で煙草を取り出すと、ようやく一息つけるとばかりに火を付けた。雨天に紫煙が広がって、雨に溶けて消えていく。

 

「加賀。お前さ、トレセンに来る前から私のこと知ってたな?」

 

「……いや、知らねえ。なんのこったか分かんねえ」

 

「先生の遺品を整理していた時に見つけた。先生と、あとジジイと一緒に写ってる写真」

 

「……はぁ。ったく、そうだ。全くその通りだ。お前さんの爺さん──慎一さんは俺がトレーナーになるきっかけになった人で、言わば恩人だ。久美子さんと知り合ったのもその頃で……お前さんの面倒を見てほしいって、俺に頼んできたのも久美子さんだよ」

 

「ハハ。ったく、先生はいらない世話を焼きたがる。余計なお世話だったよ、まったく」

 

「なぁに言ってやがる。お前さんをほっぽり出さずに面倒見れるヤツなんざ、俺ぐらいだっての」

 

「ま……そうかもな」

 

 ざ────ざ、ざぁ────ざぁ、ざ、ざぁ────。

 

 沈黙の代わりに雨が声のように響いていた。煙を吸って吐いて、ただその雨音と、傘に当たる雨の振動を感じていた。

 

「先生。私さ、やりたいこと見つかったよ」

 

 ざ────ざ、ざ────。

 

「凱旋門賞に出て、勝ちたいんだ」

 

 空気を読んで黙っていた加賀が飛び上がった。

 

「なッ──え、ええ!? ちょ、マジで言ってんの!?」

 

「……何驚いてんだ?」

 

「いや驚くだろ!? は!? 聞いてないんだけど!?」

 

「そりゃそうだ。言ってないからな」

 

「いやお前、ええええ!? いやいやいや、えぇ!? お前、えええ!? 出んのぉ!? なんでぇ!?」

 

「別に。それがお前の夢らしいからな。叶えてみたくなった。それに……面白そうだし、な」

 

 ──少し照れくさそうに言い放つナカヤマフェスタの言葉に、加賀は驚きが通り越し過ぎて何も言えなくなった。そして傘をぽろっと落とす。

 

「……お前、お前さあ、ほんと、お前、マジでさぁ、もう何なの。お前……何なんだよ、マジでさ、マジでさぁ……」

 

「おいおい。加賀、お前──まさか泣いてんのか?」

 

「バカ言うんじゃねえ。雨だよ、雨……」

 

 加賀は煙草を挟んだままの手で目元を隠して言った。

 

「ハハ。雨か?」

 

「……雨だよ──」

 

 ──雨粒に降られながらもなかなか消えない煙草の火。立ち上る煙はすぐに消える。

 

 夏が来た。

 

 今年の夏も暑くなる。そう思った。

 

 




次から夏合宿編です!!
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