「当然、冗談に決まってんじゃん?」   作:にゃんこぱん

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夏合宿(サイドA):オルフェーヴルの長い夏休み -4

 

 砂浜を走っていったロードカナロアを見つけ出すのはそれほど難しいことではなかった。しばらく砂を走れば岩礁地帯に辿り着く。カナロアはそこにいた。

 

 組んだ腕に頭を沈めて、カナロアは茜色に染まりかけている海を眺めている。きっとオルフェーヴルの存在には気がついているだろう。

 

 オルフェーヴルは最初の一言が繰り出せなかった。というのも、何を言っていいのか分からなかったからだ。だから、隣に行く訳でもなくただ少しの距離を保ってカナロアをオロオロしながら見下ろしている。

 

「……」

 

 沈黙。

 

 カナロアが話し出さなければ、悲しいかなオルフェは会話が出来なかった。コミュ力の欠落は数日で直るものでもなし。どっちにしろ動けなかった。

 

「……」

 

「……」

 

「…………」

 

「………………」

 

 まさか一生こうやって黙って立ち尽くさなければならないのか?

 

「いやなんか言ってよ。気まずいじゃん」

 

「えッ! あっ……」

 

「まあ座れば? 青春座りしようよ一緒に。ね」

 

「……っス……」

 

 座った。

 

「なんで追いかけてきたか、当ててあげよっか?」

 

「え?」

 

「加賀ちゃんちゃんに言われたんでしょ?」

 

「えッ、なんで分かったんスか!?」

 

「言ったでしょ? エスパーだって。私はなんでもお見通し」

 

「あッ……や、やっぱり、じゃぁ……アタシのアタマの中も、お見通しなんスね……」

 

「うん。そうだよ? さっ、白状しなさーい。正直に、今思っていることを……」

 

「……分かったっス。アタシは……正直、さっさと諦めればいいのにって思ってるっス」

 

「は? 殴っていい?」

 

「正直に話せって言ったのはカナロアっス!! エスパーなんだから分かってるはずっスよね!? それに、アタシだって……いや、でも……アタシには、カナロアの気持ちは分からないっス。だって……」

 

「だって、何? 答えによっては普通に殴るけど」

 

「怖いっス! でも、分かんないモンは分かんないっスよ! だってアタシはカナロアじゃないから……」

 

「えっ、殴るよ?」

 

「なッ、なんでっスか!?」

 

「オルフェさぁ、他人の気持ちが分かんないってよく言われない? よく言われるんじゃないかな、よく言われると思うんだけど」

 

「言われたことないっス。友達居なかったし……」

 

「そうだった。はぁー……別に短距離が嫌とかじゃないの。ただ、輝くチャンスが少ないっていうのが不満なワケ。はぁ。もういっそ1000mとかにもGⅠ作ってくれればいいのに。もっと私たちに注目してくれー!」

 

「……そんなこと言っても、仕方ないっス」

 

「うるさーい! そんなことは分かってんだよ! 与えられた環境の中でやってくしかないなんて、そんなこたぁ分かってんだ! けど……」

 

「……カナロアは、注目されたいっスか?」

 

「当たり前じゃぁーい! チヤホヤされたいよー! 3兆人くらいフォロワー欲しい!! ついでにお金もいっぱい欲しいー!!!! カワイさの秘訣について聞いてー! どうしてこんなに速いのか聞いてー!」

 

「…………」

 

「正直に言うけど! 短距離とか正直もう負ける気しないから!! マイルに行きたい! マイルにはGⅠがいっぱいあるから!!」

 

「…………」

 

「けど空木ちゃんが! 今はダメだって言うからー!! 反抗してきたの! なんか文句あっか!!」

 

「……ないっス」

 

「ないでしょ!? もう、なんだかなー! だいたい空木ちゃんはねぇ! 真面目過ぎるんだよ! この前もさぁ、練習終わりにご飯連れてってもらってさー、奢りだから自由に食べていいんだって思ったらなんかメニュー指定されてさ! 牛ステーキ食べるはずがチキンにされたの!! タンパク質を食べろって言われてさ!! マジでありえないよね!!」

 

「……っス」

 

「だよねだよねぇ、そう思うでしょぉ!? それだけじゃなくてさぁ! 空木ちゃんの頭の硬さと来たらすごいんだよホント、クルミの殻とか割れるよ絶対。ホンットにもう、マジ有り得ない! だから空木ちゃんのご飯に毒混ぜてきてやったの」

 

「嘘っスよね!?」

 

「うん、うそ。けどなんか空木ちゃん寝込んでるっぽいし、何かあったのかも」

 

(それは多分、カナロアのせいなんじゃ……)

 

 段々と分かってきた。このロードカナロアは、色々とアレなのだ。

 

「はぁ。だいたい一回くらい出してくれてもいーじゃん、マイル。多分勝てるもん。私最強だもん」

 

「……羨ましいくらいの自信っス」

 

「だって思うもん。もしも私がもっといろんな距離を走れたなら、多分クラシック三冠とか私が獲ってたよ、絶対」

 

「そ、そうっスか……?」

 

「オルフェには悪いけどね。絶対そうだった。教科書に残る伝説とかを大量生産出来るに決まってるもん」

 

「……負け惜しみっス」

 

「なにおうっ!」

 

 ガバッと押し倒されるオルフェーヴル。

 

「わッ、カナロア! な、なんっスか!?」

 

「このっ、あんまり調子に乗るなよぉ〜!! おらぁ〜!!」

 

 ばっしゃーん! オルフェーヴルは海に放り投げられて、しょっぱい海水に全身を濡らした。幸い濡れても問題ないトレーニングウェアを着ていたが、それはそれ。投げられたことへの報復は──これ、だ。

 

 ばっしゃーん! 波打ち際に引き摺り込まれたカナロアの体ごと大きな水飛沫が上がった。びしょ濡れだ。そこから先は早かった。相撲みたいにオルフェーヴルを突き飛ばして、尻餅をついてオルフェが倒れ込んだ。

 

「ったぁ〜……」

 

「あっ、ごめん。やり過ぎちゃった……立てる? ほら」

 

 カナロアが差し出した手を──オルフェーヴルが掴んで、思いっきり引っ張った。油断していたカナロアはもちろんまた倒れ込んだ。

 

「へ、へへ。やってやったっス!」

 

「……なるほど、そう言う感じかぁ。えい!」

 

 それからしばらく、2人のウマ娘が波打ち際で熱いバトルを繰り広げていた。海水を掛け合ったり、水面に叩き落としたり──。

 

 数分間の激闘。

 

「はあっ、はあっ……」

 

「ふぅっ、ふーっ……」

 

 荒くなった息を整えて相対する2人はお互いに睨み合っていたが──やがてその息は笑い声に変わっていった。

 

「ぷっ、アハハハハ! アッハハハハ!」

 

「ふ、へへっ、っはへっ、ふへへへ……!」

 

 面白くなって、笑い合った──結局、特に解決はしていないのだが、どこか深いところでこの体験を共有してしまった以上、今更どうこう言う気も起きなかった。

 

「ね、もうちょっとだけ居させてよ。もうちょっとだけでいいからさ」

 

「ち、ちょっとだけっスよ──……?」

 

 ロードカナロア残留決定。今日も今日とて夕日は沈む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー ー ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で、帰ってきたらまた荒らされていた。

 

「うえぇ……」

 

 部屋荒らしというもの──盗難が目的ではない。そんな印象を受けた。

 

 その証拠として無くなっている物がないこと、そしてただ引っ掻き荒らされただけの部屋。何がしたいのだろうか? そう思った。

 

「鍵、掛けてたよね。私も一緒に確認したもん」

 

「っス……」

 

「……まあいいや、今は風呂だよ風呂。もうマイバディベトベトだもん。ね」

 

「……」

 

 口には出さずに同意。塩水でベタついていたのはオルフェーヴルも一緒だった。

 

 コンコン。ノックの音が響いたのはその時だ。

 

「入るわよ。お風呂のボイラーが故障して数日使えなくなったそう──って、何? この部屋……」

 

 幸か不幸か。お隣さん(アパパネ)がやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……呆れたわ」

 

 隠すこともできそうに無かったので、結果的にアパパネは全てを聞いた。その第一声がこれだ。

 

「オルフェーヴル。あなたねぇ……」

 

「え、アタシっスか?」

 

「あなた以外に誰がいるの? そもそもどうして黙っていたの?」

 

「どうしてって言われても……」

 

「言えばいいじゃない、抱える理由もないでしょう?」

 

 アパパネはざっくりとしている──

 

「言えないよー。だって犯人、ウチの子だもんね」

 

「え──そうなの?」

 

「ええええええええええええ!? そうだったんスかァ!?」

 

「そりゃそうでしょ。最初に部屋が荒らされてた日──私はちゃんと覚えてるよ。オルフェは鍵のかけ忘れなんてしてなかったし、やる理由もあるだろうし。さ」

 

「誰が……誰なんスか! 一体誰がアタシの白Tを!」

 

「いやいや消去法で考えようよ。いい? この部屋の住人はまず私とオルフェ、シオンちゃんとー、あとはあの不機嫌なボスちゃん。この中の誰かが犯人。さあ誰だと思う?」

 

「ぬぐぐ……! 誰が犯人なのか全く分かんないっス……! はっ! まさか犯人は、アタシ自身……!」

 

「犯人はあの不機嫌なボス、グランプリボスちゃんでした。まあ締め上げてみてもいいんだけどさ。ちょっと可哀想だから、やめといたの」

 

「グランプリ、ボス……って、えーっと、なんか聞き覚え、あるような……」

 

 オルフェの相変わらずな様子を見てカナロアはため息。アパパネは信じられないものを見る目でオルフェを見つめた。

 

「NHKマイルカップの勝者よ!? 海外遠征をして、一時期かなりのニュースになっていたでしょう。それに貴方……確か、一度戦っていなかったかしら?」

 

「えッ、そうなんスか!」

 

「どうなってるの、アナタの頭は……。思い出したわ、グランプリボスのこと。貴方に負けて、あの子は皐月賞を、クラシック三冠を諦めたのよ」

 

「ええッ!!」

 

「……とにかく、どうにかしなさい。貴方が舐められっぱなしなのは、色々と問題になるもの。それと、言い忘れていたけど大浴場は明日まで水しか出ないわ。暖かいお湯に浸かりたいなら、近くの銭湯まで行くことね。それじゃ」

 

 言うだけ言って──というか大浴場の件を伝えにきただけのアパパネは目的を果たすとあっさりと去っていった。

 

 目先の問題が二つある。

 

「お風呂行く?」

 

「……水風呂は嫌っス」

 

「じゃ、銭湯に行こう! オルフェが先頭で!」

 

 ん?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合宿所から歩いて10分のところにある、そこそこ大きなスーパー銭湯。そこそこ大きくてよかった──というのも、トレセンのウマ娘たちで溢れかえっていたからだ。おそらくピークの時間帯にぶち当たってしまったらしい。

 

「あ、オルフェやん。おーい!」

 

「! ジョーダンセンパイ! っス!」

 

 センパイに会った。センパイはいつもの仲良しメンバーと一緒にいた。

 

「よっ。オルフェもここ来たんだ。てっきり水風呂のこと知らないまま入りにいったのかと」

 

「それぐらい知ってるっス!」

 

「いやー、だってあんた友達いないじゃん……って、あれ? そっちの……あっ! ロードカナロア、あんたカナロアっちでしょ!?」

 

「はい、カナロアですけれども。カナロアです。ジョーダン先輩……カナロアのことご存知ゾンビ?」

 

「ゾンビも何も相互じゃん。え、何? もしかしてフレンズ?」

 

「あっ、はい! オルフェはね、私のフレンズです!」

 

「え〜! お、オルフェについに友達が……! うそ〜! 大事にしろよオルフェ、友達なんてなかなか出来ねーんだからな!」

 

「ジョーダン先輩は友達たくさん居るっス……」

 

 湯船に浸かってひらひらと手を振るアケノやナカヤマが揶揄うように笑っている。この人たちはあまり悩みがなさそうで羨ましい。

 

「え〜、オルフェについに友達が……。カナロア? こいつ、色々とアレなところあるけど、頼んだわ! マジで!」

 

「頼まれました! マジで!」

 

「……勝手に頼んだり頼まれないで欲しいっス」

 

 そう言いながら、並んでオルフェーヴルも湯船に浸かった。トレーニングで疲れた体に暖かい湯が染み渡る。

 

「あー、そういやアレどうなったん? お部屋荒らし」

 

「そんな座敷わらしみたいな……」

 

「ああ、犯人の目星はついたので、今夜あたり問い詰める予定です」

 

「ええッ! そうなんスか!」

 

「なしてオルフェが驚き桃の木山椒の木。キミも一緒に問い詰めるんだよ?」

 

「ええええッ!!」

 

 このオルフェーヴルの当事者意識の欠落具合と来たら半端なものではない。悪質な悪戯を受けている自覚がないのだろう。それに見るからに争いごとも苦手そうだ。

 

「問い詰めるって、ど、どうするっスか!?」

 

「決まってるじゃん。囲んで……こう、棒とかで叩く。そして白状させて、土下座までさせる」

 

「ぜぇッたいダメっス!!」

 

「いやん、冗談だよぉ。流石に土下座まではいいかなーって」

 

「……!」

 

「おっとジョークジョーク。引かないでね、引かないで」

 

 それはさておき──。

 

「そンで? 落とし前はつけさせるんだろ」

 

「落とし前って……その、まだ犯人が決まったわけじゃ」

 

「あ? そうなのか?」

 

「私の勘は喋ってるよ。あの子が犯人だって」

 

「……」

 

 結局のところ、真実なんてものは大したことではなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合宿所に戻った時──修羅場が広がっていた。具体的には部屋のドアを開けた瞬間に、ヒリヒリとした空気が肌を突き刺してきたのである。

 

 なんのことはない。ウインバリアシオンが、この部屋の最後の住人──グランプリボスを掴み上げている、衝撃的な光景が視界に飛び込んできた。

 

「なっ──な、なななななな何やってるっスかぁ!?」

 

「……チッ!」

 

 何かを考えるよりも先に体が動いていた。2人を引き剥がして落ち着かせることを試みたのは、カナロアではなくオルフェであった。

 

「やッ、やめるっス! 何してるっスか!?」

 

 とりあえず間に立って引き剥がしたはいいものの、実際どういう状況かさっぱり分からなかった。

 

「どけ。テメェは黙ってろ」

 

「うえッ!?」

 

「だりィ真似しやがって。なァ?」

 

 ウインバリアシオンを睨み返している小さなウマ娘──グランプリボスが顔を歪めた。

 

「……うるさいッ! おまえは関係ないだろッ!」

 

「っせェなァ。散々荒らしてくれた裏で、自分は関係ねェって面で寝て起きてたんだろ? この部屋で……」

 

「うぅ……ッ、ボスは……ボスだって、こんなことっ!!」

 

「黙れ。てめェ……ガキみてェに、ギャアギャア喚きやがって……」

 

 事実として、グランプリボスは中等部。15才にもなっていない少女だ。情緒という面においてはまだ発展途上もいいところ。

 

「あ……あの、ウインバリアシオン、さん。あんまり、乱暴なこと、は……」

 

「……テメェはそれでいいのか?」

 

「え?」

 

「二冠バが……舐められてんじゃねェよ。コイツもそうだろうが、テメェもテメェだッ!! 立ち振る舞いを考えろ!! テメェは世代のツラぁ張ってんだぞッ!!」

 

「うえええっ!?」

 

 まさかの矛先が自分に向くとは思わず、オルフェーヴルは素っ頓狂な叫び声を上げた。

 

「空っぽの頭ァ使って考えろッ! テメェが舐められっぱなしだとなァ! 同じ世代のオレら全員格が下がるんだよッ! テメェはてっぺんに立ってる責任があるんだよ! そのことを軽く考えてんじゃねェ!!」

 

「は、ははははははいぃっ! ごめんなさあああああああい!!」

 

「逃げんじゃねェよテメェは毎度毎度ッ!! オイ、ロードカナロア!!」

 

「しょうがないにゃぁ……」

 

 無条件で逃げ出すオルフェーヴルを止めるため、カナロアはそっとドアの前に立ち塞がった。

 

「か、カナロアっ!」

 

「んー。あれだよあれ、逃げれば一つ。進めば……なんだっけ。なんかいいことあるよ。きっと」

 

「なんの話っスか!?」

 

「ちゃんと聞いてないでしょ。話」

 

 図星だったか、オルフェーヴルの顔色が変わった。実際ウインバリアシオンに怒鳴られているとき、オルフェーヴルは恐怖と混乱でまともに話も聞いていない。とりあえず反射神経で謝って逃げることが対処法なのである。

 

 そのため──それがどれだけ大事なことでも、実際はあんまり聞いてない。

 

「そ、そんな……」

 

 逃げ道を塞がれ、オルフェーヴルは周囲を伺った。逃げ道(ドア)はカナロアに塞がれて、11畳の和室には2人のウマ娘がオルフェーヴルを睨んでいた。

 

「……ちったァ話聞く気になったか。ああッ!?」

 

「ぴぃっ!」

 

「チッ! あァ、クソ。何なんだこりゃァ……」

 

 思えばウインバリアシオンの立ち位置も妙な感じになっている──らしくないと感じるような自分の姿に、ガシガシと頭を掻いた。

 

「取り敢えず、テメェ……グランプリボス。さっさとケジメを付けやがれ」

 

「……ボスは、悪くない。謝ったりしない」

 

「あ?」

 

「っ……ボスの──戦ったボスたちの名前も覚えてないようなヤツに、ボスが言うことなんてないっ!!」

 

「!」

 

 グランプリボス。クラシック級、現在8戦4勝、うちGⅠ2勝──学園全体で見ても相当な上澄みだ。オルフェーヴルと並べても遜色ないほどの戦績である。

 

 それでも、オルフェーヴルに強い敵意を抱いているのは、やはりスプリングS(ステークス)が原因だろう。オルフェーヴルにとっては皐月賞への踏み台だったスプリングS(ステークス)だが、グランプリボスにとっては踏み台にされた一戦だったのである。

 

 1800mはグランプリボスには長すぎる──その判断の結果、皐月賞を諦めてマイル路線へと舵を切った。それが英断だったのか、NHKマイルカップを見事制することになった。

 

「……テメェ、一回二回負けたくらいでッ!!」

 

「うるさいうるさいうるさいッ!!」

 

 そんなグランプリボスの自信の全てを打ち砕いたある一戦があった。イギリス:アスコットレース場。セントジェームズパレスS(ステークス)──事実上の欧州クラシック級マイル王者決定戦である。今年6月の中旬の出来事だった。

 

 NHKマイルカップでの仕上がりを見て、グランプリボスのトレーナー八束(やつか)は長年の夢であったセントジェームズパレスS(ステークス)への出走を決めた。海外遠征費用は八束自身の持ち出し、つまり自費によるものだった事実からも、このレースへの熱量が伺える。

 

 が、イギリスには歴史を代表する怪物がいた──Frankel(フランケル)である。6戦6勝、彼女が負ける姿など誰も想像しておらず、そしてその通りになった。

 

 グランプリボスは9人中8着でレースを終え、帰国した。何のことはない──怪物の走りを見て、グランプリボスの心は折れてしまった。

 

「ボスを……見下して、バカにしてっ!! おまえにとっては、ボスなんてどうでもいいヤツなんでしょ!? オルフェーヴル……!!」

 

「そ、それは……」

 

「おまえは……おまえが、おまえさえ居なければ、ボスは……ボスはっ!!」

 

 相変わらず何を言っていいかわからずオロオロしているオルフェーヴルを放って、その瞬間に動いたウマ娘がいた。ウインバリアシオンである。

 

「甘ったれんじゃねぇよテメェッ!!」

 

 年下を相手にしているとは思えない声量だった。なんだったら声より先に手が出ている──。

 

「テメェ今までこの世界の何を見てきやがった。レースの何を知ってるってんだ!? あァ!?」

 

 これまでとは勢いの違うマジギレの声量に、オルフェーヴルとロードカナロアは目を丸くしている。そしてグランプリボスは──涙目でウインバリアシオンを必死に睨み返していた。ちょっとかわいそうだ。

 

「名前を──覚えてくれなかっただと? 当たり前だろ。1回や2回一緒に走っただけで他人に覚えてもらえるワケがねェだろ。知らなかったのか? 走るってのはな──」

 

 ウインバリアシオンはかなりのマジギレトーンで、グランプリボスを殺さんばかりの勢いだ。

 

「誰かの一生の記憶に残ることを、テメェの夢を叶えられる可能性を夢見るってことじゃねェ! 誰の記憶にも残らねぇで、ゴミみたいに消えていくかもしれないってことを覚悟するってことだろうがッ!!」

 

 あるいはそれは、彼女の信念。敗北の中で変わっていった走る理由。

 

「勝っても負けてもテメェの責任だ! そいつを他人のせいにするんじゃねェよ! テメェの荷物ならテメェで抱えやがれ! テメェにプライドはねぇのかッ!?」

 

 そして叫んだあとの空白の時間も、オルフェーヴルたちはまだ目を丸くしているままだった。

 

「テメェが負けたのはな、このアホが強かったからじゃねェ。テメェが弱かったからだ。そんなことでいつまでも悩んでんじゃねぇよ」

 

「そんな、こと……っ!? そんなことって言った!? ボスにとっては"そんなこと"じゃない!」

 

 弱いこと。勝てないこと──最も重要な問題だ。しかしウインバリアシオンはそれを切って捨てた。

 

「自分より強いヤツは必ず居るんだよッ!! そいつと比べて、オレたち凡人が強かったことなんざ一回だってありゃしねェよッ!! 弱ェとこから始めるんだろうがッ!!」

 

「……っ」

 

「オレたちはな、自分より強いヤツがいることを幸運に思うべきだ。挑戦できることは、オレたちに与えられた幸運の一つだからだ」

 

「おぉ〜。いいこと言うじゃん!」

 

「っせェ。黙ってろ」

 

 茶々を入れたカナロアに冷たく(ちょっと照れている?)吐き捨てる。そしてグランプリボスは──その言葉に戸惑っているようにも見えた。

 

「……ボスは……それでも……」

 

「グダグダッせェな! テメェもウマ娘なら、言葉じゃなくて足で語りやがれ!」

 

「……足で……?」

 

 迷っているらしいグランプリボスを見て、悪戯げにロードカナロアが笑った。

 

「おっ、いいですね〜。走っちゃいますぅ?」

 

「えッ」

 

「みんなでぇ〜、今から! 走りに行く? ゴーイング? やっちゃう?」

 

「あ? 知るか。オレは今から風呂に──」

 

「いいからいいから。ほら、砂浜ならシューズもいらないぜ! 行きましょ〜!」

 

「ああ!? ざけんな、こっちはトレーニング上がりだぞ! 誰が──」

 

 トレセンは誰もが暗黙の伝統を受け継いでいる。トレセンに来るようなウマ娘なら、だいたいが"そう"だ──むしゃくしゃしたりしたら走ればいい(脳筋スタイル)。

 

「……アタシ、走って来るっス」

 

「あっ、こら! 抜け駆けは許されぬ! あ〜も〜、ほら2人とも、来なよ! 暗くなっちゃうよ!」

 

「十分暗いだろうが! チッ……クソが!」

 

「……」

 

 結局そういう事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──とっくに日の落ちた砂浜を4つの影が走っていく。

 

 日が暮れた後のトレーニングは足元が見えにくくて危険なのでやめよう! と、注意する人物は残念ながら不在だ。

 

 最初に先頭を張っていたのがロードカナロア。しかし段々と減速していき、次にグランプリボスが先頭に立った。しかし距離が長くなるにつれ、次にはウインバリアシオンとオルフェーヴルが競い合いながら抜き去っていく。そして──

 

「……ッ、あぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「……!」

 

 オルフェーヴルがただ1人、ゴール地点を駆け抜けていった。

 

 ゴールした順番はそのまま才能、もとい距離適性を表している。それは残酷なまでに突きつけられた事実であり、同時に祝福でもある。

 

「はぁッ、はぁッ……あー、もー……長距離なんて走らせんなよー。あーあ、私は結局短距離走者(スプリンター)なんだなぁ〜……」

 

「……けほっ、ごほごほっ、ぅぅぅぅ……」

 

 砂浜の端から端まで走ったので、距離としては相当なものだ。グランプリボスは咳き込みながら息を整え、暗くなった海辺に向かって叫んだ。

 

「オルフェーヴルっ!!」

 

「はっ、はいぃ? な、なんっスか?」

 

「ボスはぁーっ! グランプリボスだ!! ボスは1マイル専門(マイラー)でっ!! おまえを超える、偉大なボスになってやるんだぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「……!」

 

「分かったかっ!! あと、悪戯(イタズラ)してごめんなさぁぁぁぁい!!」

 

 あれは悪戯ってレベルじゃないと思ったが、それを口にするのは野暮というものだろう。オルフェーヴルは──

 

「あ……え、と……お、オルフェーヴルっス。中長距離、やってるっス。その、よろしく」

 

「……ふん! よろしく!!」

 

 差し出された二つの手が結ばれ、今までしていなかった自己紹介がようやく果たされたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全力疾走で発生する熱量は半端ではない。ウマ娘であれば尚更だ──オルフェーヴルとロードカナロアも、結局風呂に入り直すことになった。

 

「……なんだ? 妙に空いてンな」

 

「……まあまあ、ゆっくり出来るってことだよぉ。ささ、シオンちゃんの背中流してあげるよ! 入ろう!」

 

「何だ? 気持ち悪りィな……」

 

 脱衣所の時点で、オルフェーヴルは気がついていた──が、今更言い出すことも出来なかった。出来なかったのである。

 

 浴場への扉をスライドして、まず違和感──湯気が登っていない。しかし一見してそれに気がつくのは難しい。だから事故が起こる。

 

「何だ……なんか、違和感が……」

 

 誰もいない。使われた形跡もない。不審そうに浴場を眺めるウインバリアシオンの背中を──ロードカナロアが思いっきり突き飛ばした。十分にお湯の貼ってある、その浴槽に。

 

 ばしゃーん!

 

「あああああああああああ!? つ、つめッ!! みッ、水風呂じゃねェか!! テメェぇぇえええッ、ロードカナロアァ!!」

 

「あっはははははは!! そうでしたそうでした、いやあごめんごめん!! 言い忘れてたよ、本日は水風呂です! おめでとう!!」

 

「ざっけんじゃねェ!! てめッ、ただで済むと思うなよ!!」

 

 ちなみにシャワーも冷水しか出ないらしい。

 

 オルフェーヴルはその冷たさを想像して身震いし、どうしようかと迷っていると──どん、と背中を突き飛ばされた。

 

 ばしゃーん!

 

「びゃあああああああああ!? つ、つつつつつ冷たいっス!! だッ、誰っスかああああ!?」

 

「あはははははははは! ばーか!!! ボスはいつでもおまえを狙ってるもんね!! ざまーみろ!! あほー!」

 

 この、クソガキ────

 

 それは初めてオルフェーヴルが覚えた怒りという感情。その先の話は語るまでもないだろう。

 

 




(夏合宿:サイドA おわり サイドBにつづく)
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