3年間だけ、一緒だ。3年経ったら終わりだ。
だって、それが担当契約だ──いつか、ちゃんとさよならしようという、たった一つの約束だから。
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「……うん、これなら大丈夫でしょう」
「えっ……って、ことは!?」
「はい。完治です」
「やったーーーーっ!!」
診察室に喜びの声が響き渡った。後ろで明日原もホッとしたように頷いている。
ただし油断は禁物ですよとか小言を垂れているお医者さんを放って、ジョーダンは振り向いた。
「あっすー!! 明日から、いーでしょ!?」
「……えぇ、もちろん。君の──最後の夏合宿を始めましょう」
最後。その言葉が纏う僅かな寂しさには──気がついていながら、今は気が付かないふりをした。
7月中旬、トーセンジョーダンは4月の産経大阪杯で負った怪我を治し、夏合宿に参加することが出来たのだった。
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「……お、やァ〜っと来ましたね。遅いですよー」
「にゃー。またうるせーのが来ちまったにゃ。にゃーのキングベッドが無くなるにゃ。帰れにゃ」
「あんだとこの〜っ!!」
来て早々始まったキャットファイト、時刻は夕方。ジョーダンは1週間ほど遅れて夏合宿に参加することになった。
枕で殴り合うジョーダンとネコパンチを横目にアケノがため息をついた。
「苦情来て怒られるの私なんだけどなぁ〜。ちょっと二人とも、この合宿所古いんだから暴れないでよ」
「いい子ちゃんは黙ってにゃ!」
ぼすっ。振り抜いて飛んでいった枕がアケノの顔面に直撃して落下する。
「……あっ」
「ちょっ」
「お、こりゃまた久々ですね」
きっかり3秒──
「……ええ加減にしろォ、バぁカどもが……」
まさしく般若、いや出身地に照らして──なまはげ。強い秋田訛りが飛び出した。
「おめどらふたり、言葉では分からねようんんだどもら、教えてやろが……おれどご怒らせるとどうなるが──」
「にゃっ、にゃぁ〜……ね、ネコのフリ〜……にゃぉ〜ん、にゃぁぅ〜ごろごろ〜」
「アホかっ!! あ〜もう、ボケてないで謝んなって!」
「あどだば遅ぇかんらぁ!!」
何を言っているのかはよく分からないが、何と言っているのかはわかる──既に合宿部屋の中は大騒ぎになっていたが、どうせどこの部屋も同じようなものだ。深夜だったら誰かしらがキレに来ていたところだ。
「よっ、なまはげセンセー!」
「おめもおんなじだぁ!!」
煽ったブエナビスタも巻き込んで、壮大な枕投げ大会が始まった。悲鳴と怒号が飛び交う戦場、その扉を開けてナカヤマフェスタが練習から帰ってきた。
「妙に騒がしいと思ったら、ったく。何やってんだか……」
「あァァァアアアアアアああああああああ!!! 枕が勝手にナカヤマの方にぃぃぃぃーーーーっ!! くらェェぇぇぇええええええ!!!」
「っと、っぶね。こっちは汗だくだぜ、ちっとは考えろってんだ……」
「にょわァァァァァァァあああああああ!!! 枕が勝手にニャカヤマの方にぃぃぃぃぃ!! ンニャァァァァァァアアアアアア!!!」
「遅ェ……ったく、風呂上がったら相手してやるから──」
ガラッ。
ちょうどいいタイミングで空いたドアの向こうへ吸い込まれていった枕が、その先にいた誰かに衝突した。硬めの枕だったので相当のスピードが出ており、衝撃音も相応のものだった。
「…………」
「…………」
ぼとっ。枕が床に落ちた。
「…………アーネストリーは寛容よ。しかしそれには限度がある……どうやらアーネストリーは、あなたたちを生きては返したくないようね」
第三者を巻き込んだウマ娘たちが焦った表情を浮かべていた。
やっべ。
アーネストリーが枕を掴んだ。
「──んの、ボケ共ぉあッ、うるッせェんじゃァァァァァァアアアアア!!!」
「……で、合宿所全域を巻き込む騒ぎに至り、最終的に壁を数枚ブチ破った、と」
明日原が正座をしているウマ娘たちの前で、静かにキレていた。
「──君たち全員、晩飯抜きで」
『はい……』
夏合宿が始まる!
夏合宿(サイドB):それはきっと、幸福なこと
懐かしき夏合宿である。走って走って、鍛えて鍛えて泳いで泳いで……。
「夏合宿ではトップスピードを鍛えましょう。これはずっと考えていたことなのですが、今年に入ってから本格的なトレーニングが出来ませんでしたからね。まあそれはともかく」
色々あった。
「イメージするのはスプリンターのような全力疾走です。それを2000m走った後に出来るなら……去年の有馬を見た時から、薄々感じてはいましたが……まあ根性です。さ、では準備運動から」
「はーい。でさ、結局次のローテどーすんの?」
「……秋天が目標なのは、間違いありませんが……京都大賞典に出るべきどうか、少し迷っています」
「ふーん。なんで?」
慣れた様子で準備運動をしながらジョーダンは聞いた。明日原はペンを弄りながら答える。
「勝負勘も多少鈍っていると思います。トライアルを踏んでおくのが安牌、ですがどうも爪は癖になっているようです。本気で走る機会は、少ない方がいいとも思います」
「んー……まあ、うん。あたしもそう思う、けど……」
「けど?」
聞き返されて、珍しくジョーダンは言葉を飲み込んだ。
(あと半年しかないんだから、ちょっとくらい無茶してもいーけどね)
言わなかった。
きっと昔のジョーダンならそんなことを思わなかったし、きっと思ったならすぐに口に出していただろう。これを成長と呼ぶかどうかは解釈の分かれるところだ。
「……まあ、君の意思を尊重するのが前提です。勝ち星が多いだけ、君の目標に近づきますよ」
「目標?」
「でっかくなるのでしょう?」
そういえばそうだったな、と思った。
思えば目標はずっと曖昧なままだった。あのレースを勝ちたいとかこういうウマ娘になりたいとか、そう言ったものはジョーダンにはなかったわけで。
そういう意味で言えば、その目標はもう叶っているとも言える。
何のために走るのか?
「……ん」
気恥ずかしさから誤魔化した。
「そういえば君のところの担任から、君に進路希望を出させるようつっつかれています」
「うげ。センセーってばあんたンとこまで来てんの?」
「君の進路を心配していましたよ。どうするつもりなんだろう、と」
「……あっすーまでんなことゆーなよ」
「大人はいつだって、子供たちのことが心配なものですよ。必要であれば相談してください。僕は君のトレーナーですからね」
苦い話題。
それでも明日原の距離感は心地よかった。この男はこうやって、踏み込みすぎるということがない。それはある種の無関心とも取れるが、そうではないことを知っている。
これはジョーダンから話さなければならないことだから、それを待っているのだ。
「……今度、話す。だから、ちょいまち」
「やれやれ、夏合宿中でお願いしますよ」
呆れたように笑う明日原から逃げ出すように、ジョーダンは走り出した。
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凱旋門賞への出走を表明して以来、ナカヤマフェスタはだたストイックだった。
「……今の感覚……っし、次だ。おいジョーダン、付き合え」
「うえぇ、またぁ!? ナカヤマぁ〜、今日はそろそろ上がんね〜?」
「足りねェ。こんなんじゃ足りない」
勝負事で本当に楽しむためには強さがいる。ハイキューでも言っていた通り、ナカヤマは強さを求めていた。異国の地、日本とはレベルのかけ離れた、URAにとっての約束の地。
「よーやるわ。ったく」
呆れながらジョーダンが砂浜から立ち上がる。太陽はすでに傾いていて、もうすぐ沈むだろう。
朝からトレーニング漬けだったのはナカヤマも同じだ。それなら、同じくらい疲れているはずなのに──
「オーバートレーニングって言われんぞ?」
「私もハッピーミークのトレーニングを見ていたんだ。間違えねェさ」
「……よーやるよ、ほんと。っし──倒れても、運んでやんねーからッ!」
「お互い様だろ、そりゃ」
案の定疲れて動けなくなった。
「あ"〜……ねー、ちょぃ。どーすんのこれ。スマホねーから助けも呼べねーんだけど」
「諦めろ。もう指一本動かせねェよ」
「アホぅ〜……ナカヤマはたま〜にアホになる……」
限界突破するまで走るのも慣れた──というか、競っていたらいつの間にかこうなっていた。後先考えないのはウマ娘の本能だ。そこに道とライバルがいるなら走らざるを得ない。この単純な本能をジョーダンは呪った。
「腹減った〜……おフロ入りたい〜……もう寝たいんですけど〜」
「ここで寝るか。星がよく見える」
「ざけんなし! 虫とかカニとかいるだろ!」
「……そりゃまずい」
「まずいじゃねーよ……。あー、どーすんのマジで。こんな遠いとこまで走ってきてさー……帰り道考えろって話だろ〜」
「帰り道のことは知らねェ。レースで戦ってる時、明日のことを考えねェだろ」
「それな……」
砂浜に背中を預けて空を見ていた。
「……あー、星キレー」
会話がなくなって、ジョーダンはナカヤマと寝っ転がりながら星々を眺めていた。手の届かない夜空に手を伸ばした。
「……」
「……」
ちらっとナカヤマを見てみると、同じように夜空を眺めて──いや、その向こうにある何かを見つめていた。
宝塚を境にしてナカヤマは変わった。
かつての刹那的でサボり癖は消えた。少なくともトレーニングをサボって雀荘へ行くようなことは無くなった。そして苛烈に追い込むトレーニングを続けるようになった。それが何のためなのか──どうしてそこまで凱旋門賞にこだわるのか、ジョーダンにはなんとなく分かる気がした。
「……ナカヤマさ。あのおっさんのこと好きなの?」
故に直球──
「……さぁな。別に、私が凱旋門賞を目指しているのは自分のためだ。それが1番面白そうだと思ったからだよ」
「素直じゃねーの。それだけじゃないくせにさ」
「やりたいようにやってるだけだよ。お前と同じさ」
「……その返しはズルくね」
一度ガチ喧嘩した仲だ。今更遠慮も隠し事もない。なかなか本心を掴ませないナカヤマへ不満をぶつけるように、ジョーダンはため息をついた。
「あたしもさー、公式戦でナカヤマとガチってみたかったのにさ。宝塚出れなかったし、ナカヤマはフランス行くし。どーせ有馬も出ないんでしょ」
「足が持たねェ。勘弁しろ、今日散々走ったろ」
はァ、と疲れた息。
「……あんたさ、卒業したらどーすんの? てか残るの?」
「凱旋門賞が私の最後のレースだ。勝っても負けても、それで終わりにする」
「勝てなきゃもう一回、とかでいいじゃん」
「何回も来るものに特別なもんは感じない。別に夢を追い続ける連中を馬鹿にするわけじゃないが……終わるから楽しいのさ」
少しだけ分かる気がした。
「勝ちたい理由がある。そして壁は、おそらく国内のどれよりも高い。だから、チャンスは一度だ。大体私の全盛期はあと半年もない。そしてあと3ヶ月くらいでピークを迎えるだろう」
「……分かるもん?」
「そうなるように調整している。勝負事ってのは、準備が8割だからな」
ナカヤマらしいな、と思った。そういうクレバーさ、使えるものは全て使う姿勢は、きっと真似しようとしても出来ないだろう。ジョーダンはそんなに器用ではない。
「……あのナカヤマが、オトコのためにねー。ホント変わったよね」
「人のことを言えた口か? 散々振り回されといてよ」
「うっさい。しゃーないでしょ……あっ、てか卒業した後のこと聞いてねーんだけど」
「考えちゃいない。雑念を抱えて勝てるほど甘いレースじゃなさそうなんでな。後のことはどうにでもなるだろ」
「うっわ、テキトー……。あたしよりなんも考えてねーじゃん」
「じゃあお前はどうするんだ?」
答えに詰まった。
「……わかんね。怪我してて暇だったから、そーゆーこと考えることもあったけど……結局、わかんなかった」
「そうかい。なら、それでいいだろ」
「よくはなくない? だって……本当になりたいものが見つかった時、準備してないと間に合わないこともあるじゃん」
「……お前はたまにそういうこと言うよな」
「あっすーが言ってただけだって。大体やりたいことっていったって……未来のことはわかんねー」
今はただ、レースのことだけに集中したいと思っている。ただ明日原の言うことも理解できる。
「走れば悩みなんて吹っ飛んでくとか、誰か言ってたけどさ。解決するわけじゃねーんだよ。マジ勘弁。はぁ〜……」
「……お前はそうやって悩んでンのが似合ってるよ」
「なぁんだって〜?」
「本心だ。お前はきっとこれからも、そうやって悩んでも仕方ないことばかりを悩み続けて、それで最後には前に進んでいくんだろうな」
「……褒めてんの? それ」
「別に。ただ私が、お前のことを知っているだけだ。つまり、私たちは友達ってワケだ」
「……えっ、なんかデレてんだけど。どした? 頭打った?」
ふっと笑った。
「バカ言え。ただ……そうだな、感謝しているのさ。私を連れ戻してくれた、お前たちの……」
少し遠くから声が聞こえる。
「……い、おーい。どこにいるのー! バカ1号とバカ2号〜!!」
アケノの声だ。マネージャーとなっているアケノが、なかなか戻ってこないジョーダンたちを心配して探しにきてくれたのだろう。どうやら帰りの目処が立ったようだ。
「腹減ったな。帰ろうぜ」
「……マジで、それな。あとナカヤマ、今度にんじんパンケーキ奢りね」
「ちっ」
アケノがこちらに気がついた。手に持ったライトが向けられて眩しい。
「いたーーー!!! 何やってんの二人とも、こんなとこで呑気に寝てないで! 帰るよ!」
「あっ、あたしらもう動けねーから。運んでちょ」
「……帰ったらお説教。あと、にんじんパンケーキ奢りね!!」
「ちっ、2枚目か……」
「あはっ、ナイスアケノ! もっと言ってやれ〜!」
「ど・う・ざ・い・です!!」
アケノの怒号が響いた。今日の夜も、楽しくなりそうだ。
それから8月の上旬にナカヤマフェスタは加賀と共にフランスへと渡った。
彼女の最後のレース、最後の賭け、その望みのために。
前回投稿から2年くらいたってました。
多分もうこんな作品忘れてると思うんですが、完結だけはさせたかったので投稿再開します
絶対実装されないと信じていたオルフェとブエナが来ました
秋天レコードも更新されました
今なら完結させられる気がします なんでだよ
止まるんじゃねぇぞ……俺も止まらねぇからよ……