「当然、冗談に決まってんじゃん?」   作:にゃんこぱん

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多分過去最高1万6千文字
分割すると3話ぐらいになるんだけどもういいやって投げます


菊花賞・灰になるまで / #7 Orfevre 3/3

「ダメッ!! 病院行くよ、行くって言ったら行くからッ!」

 

「放しやがれッ! 万が一のリスクだとか、笑わせるんじゃねェッ!」

 

 練習中──足先に僅かな違和感を感じたことを溢したことから、このような事態に発展していた。

 

「怪我がないならいいでしょッ! 軽く検査して、何もなかったよかったね練習戻ろうねでいいじゃんッ! ほら、さっさと──」

 

「ッざけんな──もし怪我が見つかっちまったら、終わりだ……ッ!」

 

 ウインバリアシオンは、身体が頑丈な方ではない。特に爪については、平均よりも薄いことがあり、割れる危険が付き纏っていた。そこにきて足先に違和感。

 

「冗談じゃねェ……冗談じゃ、ねェぞ、こんなモンでッ!!」

 

「それはこっちのセリフだからッ! 菊花賞のために、今後のレース全部を無駄にするの!?」

 

「ああしてやるよッ!! 戦うことすらせずに諦めろってッ!? 冗談じゃねェ──ぶっ壊れちまう方がずっとマシだ!!」

 

 壊れると言うのは比喩ではない──今後、まともに走れなくなるぐらいの後遺症が残る可能性が非常に高い。怪我とはそういうものだ。

 

「……カナロアは譲らないよ。譲るつもり、ないから。ねえ三笠さん!?」

 

 実はずっといる三笠が苦い顔をしている──トレーナーとして、僅かでも怪我の可能性があるのなら即検査。当たり前のことだ。

 

 それでもウインバリアシオンの想いも、分かるから──

 

「お……俺は……ぐ、ぐぐ、グググ……」

 

 三笠は揺れていた──本当にウインバリアシオンのためになることが、病院に連れて行くことなのか迷った。理論的な判断を失わせるのは感情だ。三笠はウインバリアシオンの想いに当てられていた──

 

「三笠、テメェ……」

 

「……仕方ない。この手は使いたくなかったよ──カレン流体術、気絶チョップ。おりゃッ!」

 

 カナロアの両目が怪しく瞬いた──首を叩いた掌の衝撃で脳を揺らす。カナロア渾身の当て身をもろにくらい、シオンは気絶した。

 

「おいっ!?」

 

「大丈夫、気を失ってるだけ──病院に連れてく。……私だって、何もないのが1番だと思ってるもん」

 

 担いでコースを後にするカナロアを、三笠が不安そうな表情で見送った。

 

 

 

 

「……危ないところでした」

 

 筋繊維に比べ、爪は頑丈だ──割れるということがどういうことか考えてみると、極大の負荷がかかることを意味する。遺伝的に爪が薄いことと、強大な出力。練習すればするほど、繰り返される負荷は積もっていく。

 

「今後は爪先に負荷をかけるようなトレーニングは控えてください。負荷が上がるほど、トレーニング中の発症率は上がっていきますよ」

 

 ギリ、と歯を食いしばる音が聞こえた。

 

 

 

 

「……やりようはあるよ。サイクリングマシンとか、プールとかならまだ──」

 

「ざけんな──分かってンだろ!? 最高速で負けてンだ、今更ンなもん鍛えてどうすんだよッ!」

 

「だから、やりようはあるんだってッ! 3000mの長丁場なら、末脚だけで戦う必要はないんだよ! 作戦次第で──」

 

「アイツに作戦が通じるとでも思ってンのか!?」

 

「……ッ、でも──」

 

 病院からの帰り道、夕方の街は茜。秋の涼しい気温には見合わない、怒鳴り声。

 

「前だって、展開は完璧だったろ……あれ以上はなかった。それでも力がなきゃダメだ──真っ向勝負で勝たなきゃ同じことが起きるだけだ……ッ!」

 

「それで怪我したら意味ないでしょ!?」

 

「勝てなきゃもっと意味がねェッ!」

 

 執念。

 

「だからって──」

 

 ウインバリアシオンが頑固なのは分かっている。しかし、カナロアも譲らない。身を削るやり方では後が続かない。リスクを許容するやり方はダメだ。それだけは絶対に認めるわけにはいかないのだ。

 

 言い返そうとして顔を上げて視界に入った、ウインバリアシオンの表情がカナロアの勢いを削いだ。

 

「ここで負けたら、オレは一生アイツに勝てねェ気がする……それを仕方ない、で……済ませられねェンだよ……」

 

 勝利は足よりも重要なことだ。だからそれは懇願するような声だった。

 

「……頼む。オレは……アイツに、オルフェーヴルに……勝ちてェんだ……」

 

 ──頭を下げている。

 

 プライドの高いウインバリアシオンが、ロードカナロアに向かって──くだらないプライドや見栄を捨ててまで、勝ちたいと示している。

 

「…………」

 

 言葉が出てこなかった。何か言おうとして、出てきたのは疑問の言葉だけだった。

 

「……分からない。分からないよ。私には──もっと楽しいことがいっぱいあるよ。オシャレなお店とか、美味しいご飯とか……キラキラした、楽しい生活を選ぶことも出来るよ。分かってるの? 無理して練習して、怪我して……後遺症が残ったら一生モノだよ。勝ちたいって思っても、走ることすら出来なくなるんだよ」

 

 ロードカナロアは、楽しいから走っている。単純な理由だ。人生を楽しみたいと思っている。だから友達を作り、オフには遊びに行き、笑顔で過ごす。その方が楽しいから。

 

 ウインバリアシオンは少しも楽しそうではない。ぶすっとした不機嫌な表情で、いつも怒鳴って──苦しそうに走っている。彼女の笑顔など見たこともない。笑っているところすら、見たことがない。

 

「……キミの努力が報われて欲しいと思ってる。ホントだよ。けどごめん。正直に言う──キミがアイツに勝てるビジョンが、私には見えないの……」

 

 オルフェーヴルは軽々と踏み躙っていく。暴力的な速さで、全てを打ち負かす。

 

「だから……キミがレースを投げ出しても、私は責めない。キミが全部投げ出したら、お気に入りのカフェに連れて行ってあげる──」

 

「出来ねェ」

 

「……どうして? どれだけ頑張っても……苦しくて、辛い結末になるんだよ? ──キミじゃオルフェーヴルには勝てないんだよッ!?」

 

 絶対に言ってはいけないことだと分かっていて、ロードカナロアは叫んだ。ウインバリアシオンも世代トップの実力を持っている、しかしオルフェーヴルは格が違う。あれはきっと、シンボリルドルフのように、10年後も語り継がれるような器だ。

 

 諦めるようにウインバリアシオンが笑う。それは初めて見る、泣き笑いのような笑顔だった。

 

「それでも諦められねェ。アイツの後ろ姿が、瞼の裏側にへばりついて……剥がれやしねェんだ」

 

 一度火のついた木は、焦げる前には戻らない。

 

 燃え残って炭になるか、燃え尽きて灰になるか──だ。

 

「……無様な足掻きでも、笑わねェんだろ?」

 

 灰になるまで走り続けるという、ウインバリアシオンの選択──

 

「分からない……私には、分からないよ……」

 

 バカな真似だと笑えなかった。カナロアは無性に悲しくなって、ぎゅっと手のひらを握った。

 

 ──菊花賞までの僅かな期間で爆発的な成長は期待できない。現実は少年マンガではない。むしろトレーニングを詰め込むごとに、怪我の可能性は高まるばかりだ。そして菊花賞本番で爪が割れようものなら最悪だ。

 

 総合して、愚かとしか形容できない。

 

 それでも、どうしてそれを応援しようとしている自分がいるのか、カナロアには分からない。

 

「……後悔は、しないよね?」

 

「どんな結果になっても──受け入れる。オレの選んだことだ、後悔はねェ。だから……力を貸してくれ」

 

 彼女の聞いたことのない姿──炎が思い浮かぶ。煌々と燃え盛る、触れるもの全てを燃やし尽くす炎。後には灰が残るだけだ。

 

 炎は延焼する──ロードカナロアの心に、何か熱いものが燃え移ったような、そんな気がした。

 

 

 

 

-

 

 

 

 

「へー……ムチャすんねー。ま、あたしも人のこと言えねーから……爪はあたしも経験者だかんね、やったげる。とりま靴脱いで」

 

 トーセンジョーダンの協力を取り付けられたのは、ロードカナロアの存在が大きい。

 

 いつになく真剣な表情で頼み込んだカナロアと、ウインバリアシオンの瞳を見て、トーセンジョーダンは快く協力をしてくれることになった。

 

「言っとくけど、テーピングとネイルでどうにかなるわけじゃないからね。油断しないことと、割れたらさっさと救急車呼ぶこと。耐えられる痛みじゃねーし、耐えてもどうにもならんから!」

 

 手慣れた様子で爪の補強剤を塗り込み、爪先の負荷を分散させるためにテーピングを巻いていく。

 

「補強剤は1日したら落ちてくる。だから1日ごとにあたしのとこ来な。やったげっから」

 

「……恩に着る。トーセンジョーダン」

 

「ジョーダン先輩、な。……やるだけやりなよ。応援してるからさ」

 

 

 

 

 爪の問題を先送りにするとしても──スピードの強化をどうにかしなければならない。そうでなければ菊花賞は勝てない。

 

「……私より速くなれば勝てる」

 

「そりゃそうだが……」

 

 スプリンターの瞬間最高速度はトップクラス。いくらオルフェーヴルといえど、短距離においては凡百に成り下がる──ウインバリアシオンがロードカナロアを越すことが出来れば、理論上はオルフェーヴルにも勝てる。

 

「1000mで私に勝って。あと2週間で」

 

「……オイ。冗談もほどほどに──」

 

「勝ちたいんでしょッ! だったらこれしかない──強くなるの! 今すぐにッ!」

 

 なんかとんでもないこと言ってる──空想の域だ、それはもう。

 

 半分くらいヤケクソになっているロードカナロアの、若干キレ気味な叫び。そしてもう半分は真剣。本気で──三笠と共に考えて、考え尽くした結果。

 

「……あァ、分かった──越してやるよ、短距離走者(スプリンター)。お株奪われて泣くんじゃねェぞ?」

 

「誰に向かって言ってるのっ! 私は──……」

 

 ふと疑問が浮かぶ。

 

(……私、中長距離が羨ましい……ん、だよね?)

 

「……どォした?」

 

「! なんでもない。とにかく、簡単にこのカナロアを倒せると思わないでよねーっ!」

 

 ──短距離の全力ダッシュなど、爪先にかかる負担としては最高レベルだ。

 

 そのリスクは許容する。途中で怪我になっても後悔しない、その意思の元に。

 

 

 

 少し離れた場所。

 

「三笠。彼女たちを止めなくていいのかしら? 聞いたわよ、医師から過度なトレーニングは止められているんでしょう?」

 

「………………責任は、俺が負う。非難も俺が受け入れる」

 

「……らしくないわね。どうしたの?」

 

「………………見て、見たくなった──シオンが菊花賞で勝った時に、どんな光景が見えるのか……」

 

 三笠はごく普通のトレーナーだ。まぁ癖のあるウマ娘たちが集まり、このアパパネがティアラ三冠に王手をかけていることもあり、注目の集まっているチームではあるが……それでも、トレーナーとしての行動原理は教科書通りで、リスクは取らない(先任のトレーナーのクソ度胸が受け継がれている感は否めないが)。

 

「自分の立場を分かっているの? 専属ならまだしも、あなたはチームトレーナーよ。何かあったら、私たちにまで飛び火するじゃない。その危険を許容するの?」

 

「…………申し訳ない。アパパネ──それでも、挑戦することをやめないアイツを、誇りに思う……思いたいんだ──」

 

 三笠はトレーナーとして、全力で彼女たちに協力するつもりだ。カナロアと相談してのトレーニングのブラッシュアップや食生活のサポート。カノープスにはサブトレーナーがいないし、チーム運営は暇ではない。何より来週には秋華賞だ。三冠の名誉がかかっている。

 

「私よりも優先するというのかしら。トリプルティアラの栄光を、あなたも欲しくはないの?」

 

「欲しいさ。だからどっちも手を抜くつもりはない──徹夜なんて体力が持たないと思ってたけど……君たちがこんなに頑張っているのに、トレーナーである俺が全力を尽くさないのは敬意に欠ける。……忘れてたよ、どうしてトレーナーになりたいと思っていたのか……」

 

 ウインバリアシオンの強い意志は、のらりくらりとトレーナーをしてきた三笠の心に火をつけた。

 

「……妬けるわね。シオンにも、オルフェーヴルにも──」

 

「ん?」

 

「そうでしょう? たった一つの勝利のために、あんなにも多くのものを捧げてくれるというのは、きっと幸福なことよ」

 

 全てを懸けて走ってくる相手がいる。命すら懸けるような、熱を持ったライバルがいる。それは全てのウマ娘にあるわけではない。

 

「……あぁ。そうだな、俺も──そう思うよ」

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

「え……ウインバリアシオンさん、そんなことになってるんスか!?」

 

 本日はジョーダンとオルフェの合トレ。本番の時期が近いこともあり、お互いに追い込みを掛けられるのは大きい。

 

 練習前の雑談でオルフェが驚きのあまり飛び上がった。

 

「しーっ! バレるとちょい面倒なるから!」

 

「うっ……で、でも……爪、割れるって……と、止めなきゃ──」

 

「ダーメ。っていうかアンタにンなこと言われたら、余計にヒートアップしちゃうでしょ。今は自分のことに集中しな。うっかり本番で負けたら、1番ダサいんだから」

 

「そんなこと言っても、だって……」

 

「ちゃんと向かい合って戦うのがアンタの役目。心配するのは別のヤツがやればいーの。アンタは──アイツのライバルなんだから」

 

「ライバル……──」

 

 ライバルとはなんだろう。ウインバリアシオンは、オルフェーヴルにとって何なのだろう。

 

 彼女のことが気になって──結局、練習には身が入らなかった。

 

 

 

 

 

 秋の太陽は短い。影が濃くなり始めて、練習を切り上げたオルフェーヴルはウインバリアシオンが練習しているはずのレース場へ歩いた。

 

 ウインバリアシオンは友達ではない。いや、可能なら友達になりたいと思うが、きっと無理だろうと思う。

 

 しかし他人ではない。知り合いでもない。そう呼ぶには、あまりに関わりが深すぎる。

 

 ライバル? ライバルは──絶対に負けたくない相手とか、そういう存在のことを言う。だとするなら、それは少し違う気がする。

 

 憧れ? 憧れも──違う。憧れるのはやめにしたから、違う。

 

 彼女は自分にとって何者なんだろうか? 

 

「……ッ、クソ、がァ──」

 

 レース場を見下ろして、まだやっているウインバリアシオンの姿を捉えた──倒れている!

 

(ま、まさか怪我──き、救急車!? あ、えっと、何番だっけ……!?)

 

 あたふたしていると、ロードカナロアが駆け寄ってきて彼女を起こした。

 

「──まだやれるでしょ?」

 

「ッ、あァ……当たり前だ。テメェこそへばってンなよ」

 

「それだけ言えればイナーフ! まだまだ叩き潰しちゃうからね、私ッ!」

 

 気安い感じで言い合って、また走り出していた。体力の限界か、フォームがふらついているが──速くなっていることが分かった。

 

(アタシに勝ちたがっている……あんなに速いのに)

 

 汗が蒸発して、少し肌寒い。だけどもう少し見ていたかった。

 

(……アンタが、どれだけアタシに勝ちたいのか……何となく、わかる気がする。だけどアタシは……負けるわけにはいかないっス。絶対に)

 

 ウインバリアシオンがどういう存在なのかは、今は一旦置いておくことにした。

 

 勝つだけだ。今までそうしてきたように。

 

「……待ってるっス。シオンさん」

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 走る。

 

 走る、走る。

 

 走る、走る、走る、走れ──どうしてこんな風にしか生きられないのだろう。まっすぐ走っていくことしか出来ない。自由になりたい。

 

 

 

 

 願う。

 

 願う、願う。

 

 願う、願う、願う、願って──渇くんだ。頼む。満たされるなら、オレの全部をあげるから。

 

 

 

 

 

 可能な限り努力した上でなお人智が及ばないことに対して、人もウマ娘も出来ることは一つしかない。上手くいくよう祈ることだ。

 

 だから毎日毎日、祈っていた──どうか壊れませんように、と。

 

 秋華賞が終わり、世間が新たな三冠誕生に湧く中でもそれは変わらなかった。

 

 どうか壊れませんように。

 

 どうか上手くいきますように。

 

 どうか──報われますように、と。1日1日祈りながらメニューを書き上げた。

 

 

 

 

 

「……ハァ……、ハァ……ッ、ハァ……ッ、あァ──超えてやったぞ、スプリンター。テメェの"速さ"──掴んでやったぞ」

 

「っ、はぁ……はぁ……っ、はぁ──うん……超えたよ。確かに」

 

 祈っていた。

 

 この想いが向かう先に、光がありますように。

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 10月23日、菊花賞──決戦は淀。

 

 京都レース場、当日、正午。

 

 最後の戦いが始まるまで、あと3時間弱ほどだった。

 

 

 

 

「はい。カツ丼」

 

「……ゲン担ぎかよ、下らねェ」

 

「いいから食べて。食べないと力出ないから」

 

 ゴト、と硬い音。なんとわざわざ出前してきていた。

 

 流石にと言うか、ロードカナロアの表情は固い──普段は緩い口元も今日ばかりはぎゅっと横一線に結んで、気を張っていた。

 

 対するウインバリアシオンはいつも通りだ。緊張するだけ無駄だと割り切って、静けさを保っている──

 

「……流石に落ち着かないな。メシ食ったら、ちょっとレースでも見に行くか?」

 

 三笠もそれなりに場数を踏んでいるトレーナーだ。控え室に詰め込まれているのも息が詰まることは分かっていた。リラックスを保つための提案だったが、その実三笠自身が落ち着きたいためだ。

 

「……」

 

 ウインバリアシオンが箸を掴んだ。

 

 

 

 

 京都第6レースはシニア級以上2勝クラス、ダート1600右回り。

 

 パンパンに詰め込まれた観客の生み出す喧騒は、関係者席まで届いている。歓声と共にレースを楽しむ観客たちだが、どうしても余興としてレースを見ている感じが否めない。

 

「うえ〜っ、すっごい人〜っ! な、何人いるの〜っ?」

 

「チラッと聞いた話では、8万人以上が入ったそうだ。これでもまだ歴代では少ない方なんだがな……」

 

「……あン中でレースを見るなんざ、オレならゴメンだな」

 

 GⅠクラスになると、遠方から態々見にやって来る観客など珍しくもない。しかし今年は震災の影響か、入場者数は全体的に少なめだった。その中で8万というのは飛び抜けた数字だ。

 

 三冠ウマ娘の誕生はもう祭りと同義。お祭り騒ぎだ。

 

「分かっていたけど……注目度、すごいなんて表現じゃ追いつかないよ。シオン? あ、あんな大勢の前で走るの、緊張しないの……?」

 

「ギャラリーがどンだけ騒ごうがレースには無関係だ。前も言ったろ──関係あるのは、ゲートに入る連中だけだ」

 

「そ、そりゃそうだけどさぁ……」

 

 当事者でもないカナロアはもう青い顔だ。ダートの観客数ではとても敵わない舞台。幼い頃から憧れていた、キラキラしたレースの世界がそこにある──

 

(……なんて、憧れる気分じゃない。キラキラしてるなんて笑っちゃう)

 

 舞台にあるのは積み上げた想いと、努力と、苦しみ、そして光り輝く栄光のみ。

 

()()がこんなにも残酷だったなんて、知らなかった)

 

 光が強ければ影は濃くなるというが、それは適切な表現ではない──逆だ。影が余りにも濃いので、光の方もそれに見合うよう強くなったのだ。少なくともカナロアにはそう見える。とても──羨ましいとは思わない。

 

(……それでも、知りたくなかったとは思わない。私は確かめたい、それが……どんな結末になろうとも)

 

 

 

 

 

 トレセンの生徒も大勢来ている。三冠の誕生について最も関心を寄せているのは彼女たちかもしれない。

 

「ン〜〜ッ、ニンゲンが多すぎるニャァ〜〜〜ッ!! ニャァンで上の広いとこじゃないニャァ〜〜ッ!!」

 

「うるせーい! レース場はこうでなきゃダメなんですゥ〜〜ッ!」

 

「っていうか席が売り切れてただけでしょ!? ナビが買っといてくれるって言うから信じたのに〜〜ッ!!」

 

「あァ……クソ、もう限界だ。関係者席行く」

 

 声を張り上げないと互いの声が聞こえないほどの喧騒。ナカヤマが珍しくグッタリとしている。

 

「え、いけるの!? あれって出場者のトレーナーとか親族とかしかいけないんじゃないの?」

 

「知らねェ。私とナビなら顔パスでいけンだろ」

 

「え、ニャーは?」

 

「動物は入場禁止だろ」

 

「フシャーッ!」

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……。疲れてしまうねぇ」

 

「う〜ん、流石にドキドキするよ〜。あ〜、まだ始まらないのかなぁ〜」

 

「……見せてもらうわよ、オルフェーヴル。あなたの答えを」

 

 

 

 

 

 

 菊花賞・灰になるまで / #7 Orfevre 3/3

 

 

 

 

 

「ここまで来て言うことは何もねえ。お前さんのやりたいようにやれ」

 

 加賀がいつも通りにそう言い放つ──トレーナーとしての加賀の功績を挙げるとするなら、それはオルフェーヴルを受け入れたこと、その一点に尽きる。

 

 ビビリで臆病で、マスクを外せば凶暴化する面倒なウマ娘を見出した。メイクデビューで勝利した直後にターフにぶん投げられたり、うっかり暴君モードでボコられたりしても、このオルフェーヴルを見離さなかった。

 

 そのことに、オルフェーヴルはとても感謝している。

 

「ガンバって走ってきなよ。終わったらジョーダンセンパイがメシ奢ってやるぞ〜」

 

「えッ……あ、ありがとう、ございます……」

 

「ん。……あのオルフェが三冠かぁ。すげーよ、まったく」

 

 ──トーセンジョーダン。

 

 彼女はオルフェーヴルにとって憧れそのものだ。いじめっ子から助けてくれて、いろいろ気にかけてくれた。たった一つ歳が違うだけでこんなにも違うことにショックを受けた。

 

 友達が多くて、優しくて、強くて、憧れだ──トーセンジョーダンみたいに生きられたら、もっと人生は楽しいのだろうと、夢想したことは数知れない。

 

 オルフェーヴルはずっと自分ではない誰かになりたかったのだ。

 

 自分のことが嫌いだった──なんの取り柄もなく、何も出来ない自分が惨めで、哀れで。

 

「なぁに? その顔。気ぃ抜けてんぞ? ほらシャキッとする! みんなあんたのことを見てんだから!」

 

「……っス」

 

 オルフェーヴルはマスクを外し、ゆっくりと深呼吸をする。

 

「でもなんでだろ。オルフェ、あんまり緊張してねーのな。大事なとこで図太てーんだから……」

 

「……じ、自分でも……まだ、信じきれてないっス。正直……まだ、夢でも見てるんじゃないかって──」

 

 そう言いながらもオルフェーヴルは落ち着いているように見える。

 

「けど……補習、手伝ってもらったっス。ウインバリアシオンさんに……」

 

「へー! アイツそんなことしてたん?」

 

「っス……」

 

 敵に塩を送るとはまさにこのことだ。実際のところ夏課題を出さなかった程度では菊花賞への出場が許可されないなどということはまあ、起こりにくいことだったが、それにしたって余計なお世話だったかもしれない。

 

 オルフェーヴルが出場しないなら、ウインバリアシオンの勝ち目は飛躍的に高まっていただろう。だがそうしなかった──その想いには、可能な限り誠実に応えるべきだ。そして、それは断じて手心を加えるという意味ではない。

 

「見てて欲しいっス。アタシのこと──アタシは、オルフェーヴルだから」

 

 レースが始まる!

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

 遠景に望む京都の山は霧に隠れ、空には靄がかかっていた。

 

 次々とゲートに入っていく18名のウマ娘、待ちきれないと言わんばかりの観客の大歓声が、地面から突き上げるように響き渡る。

 

『さあ我が国のクラシック体系が確立して70年余り、未だ6名しか打ち立てていない三冠の金字塔に、今──加賀トレーナーと、オルフェーヴルが挑もうとしています!』

 

 実況の声にも流石に興奮が混ざる。彼女は本物なのか? それとも──ここで終わるのか?

 

『さあ、歴史の1ページ、見届けましょう──第77回菊花賞です!』

 

 運命のゲートが開いた。

 

 7枠14番オルフェーヴルは少し内に寄せて、後方からのスタートとなる。そしてウインバリアシオンは──最後方に付けた。各員中団となって1コーナーへ向かう。

 

 菊花賞ではゲートが始まってすぐのコーナーに坂がある。これが淀の坂──長期戦の菊花賞では最初に足を使うだけ損。ここのポジション争いは注目するべきだ。

 

『先頭はサンビーム、それからダノンマックイン、ユニバーサルバンク、フレールジャック続いた現在4番手から5番手、それからサダムパテック、そしてその外側にハーバーコマンドその直後にオルフェーヴル』

 

 先行気味に前へつけるオルフェーヴル。これはだいたいいつも通り──その強さである怪物的な末脚を活かすのに小細工はいらない。というより思いつきもしないだろう。

 

「ほォ。最後尾の──」

 

「シオンちゃん後ろからですか。これは面白くなってきましたねェ」

 

「にゃ?」

 

「確か、元々追込寄りの差しが得意だったと思うんですけど、まさか1番後ろってのは──よっぽどの自信ですね」

 

「潔い姿勢は嫌いじゃない。最後の直線勝負で勝ち切る自信が──いや、賭けたのさ。マトモにやっても……いや、徹底的にマトモにやらないと勝てないと踏んで」

 

 徹底的に足を残す。そして足が残っているなら──勝てると。

 

「確かに嫌いじゃありませんよ。しかし、いっそ自信のないように見えますがね」

 

 普通にやって勝てるなら奇策など使わない。

 

「いや……あれは意地だろ。オルフェの強さはヤツが1番よく知ってるだろうさ、それでも──」

 

「それが諦める理由にはならない──泣かせるじゃあないですか。三冠賭けてる時の敵は手強いですよ。あのチビもうっかり降着しませんかね〜」

 

「クク。オルフェはビビリで気弱だが、お前ほど間抜けじゃないんでな」

 

「表出ろおっさん趣味野郎がッ、その耳ちぎってやりますからねッ!!」

 

 そうこう言っている間に一周目のホームストレッチを通る。直線の中で全体は少しずつ縦に広がる。

 

『さあウインバリアシオンは最後方、しんがり一騎のレースを選択するのでしょうか! さあこれから、向こう流しに入ります』

 

 オルフェーヴルは相変わらず中団の外側にいる。

 

「ん〜〜、頑張れーっ! 一匹狼の意地を見せろーっ!」

 

「……」

 

 ルーラーシップが慣れない大声を張っている横で、アパパネはじっとレースを見守っていた。瞳の先にはオルフェーヴルと、ウインバリアシオンの姿。

 

 観客席は混沌とした叫び声が飛び交っていて、ゴール直前というわけでもないのに耳を塞ぎたいほど喧しい。レースから目を離さないまま──

 

 上のガラス張りから見下ろす人々の中に、硬い表情のウマ娘が一人。

 

(……お願い。お願い、お願いだから)

 

 ロードカナロアは両手を組んで、今にも目を瞑りそうな表情でレースを見ていた。

 

(お願いだから)

 

 先頭は小競り合いを続けている。それを後ろから見据える集団、その後ろの後ろ、最後方1バ身空いてウインバリアシオン、表情に焦りはない。中団の外に控えるオルフェーヴルを捉えて放しはしない。

 

 どれだけ強い願いでも、それが特別である証明にはならない。勝って欲しいなんてありふれた想いだ。想いよ届けなんて傲慢だ。この想いだけが特別なんて自惚れだ──それでも。

 

 向かいの直線は間も無く坂に入る。大勢に動きは──未だ、なし。

 

 先頭のサダムパテックが二度目の坂に入った。坂を登って下れば──もう最終直線だ。

 

『さあ後方から二人目にウインバリアシオン、最後方にシゲルマスタングで、さあ18人固まった、18人固まった! まだオルフェーヴルは動かない!』

 

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

 ウインバリアシオンが上り坂から少しずつ上がって来る気配が、なぜだかオルフェーヴルには分かっていた。レース中に聞こえて来るのは、ターフを叩き荒らす蹄鉄の轟音と、風を切る音、自分の荒い息遣い、ノイズがかった歓声だけ、それだけのはずなのに。

 

『頑張ってください、応援してます!』

 

 頑張れなんて、本当はこっちの言葉だったのに。

 

『三冠取ってください。応援しています』

 

 応援なんて、こっちがしなきゃいけないのに。

 

 どうして。どうして、どうして──

 

『すごい期待をされてて、大変だと思うんですけど──』

 

 どうして。大変なのは、あなたたちの方なのに。

 

 津波に流され、帰る家も無く、避難所暮らしを余儀なくされているあなたたちの方が、自分なんかよりもずっと大変なはずなのに、どうして。

 

 "ありがとう"、なんて。

 

『応援しています。頑張ってください』

 

 サインなんて初めて書いた。あんなに沢山の人に囲まれたのも初めてだ。笑顔で迎えてくれた人たちに、頑張れなんて言えなかった。自分に何が出来るかなんて、考える暇もないほどに。

 

 ファンの人たちなんて言われてもピンと来なかったのは、その言葉の向こうにあるリアルな人たちの顔を知らなかったから。

 

 走る姿に勇気をもらった。三冠まで届きかけているのが嬉しくて笑顔になった。だから応援したい。勝って欲しいと──願われて、初めて気がついた。

 

(勝ちたいなんて、今でも思ってないっス。別にレースが好きかって言われたら、そうでもないと思うし)

 

 自分ではない誰かになりたかった。そのための手段がレースだった。勝てば自分ではない誰かになれると期待していたんだ。

 

(だけど、アタシが勝ったら喜んでくれる人たちがいる)

 

 結局その誰かになる事は出来なかった。二冠を達成して、テレビにも出て、レースファンにオルフェーヴルを知らぬ者無しと言われても、身長は伸びなかったし、ビビりで臆病で、おどおどした性格は変わらなかった。

 

 だけどあの言葉は、他でもないオルフェーヴルに向けられたもので、だから、否定してはいけなかった。否定したくなかった。自分なんてという卑下した想いは、失礼だと思ったから。

 

(それがきっと、アタシがレースを走る意味なんだって、分かったから──)

 

 迷いはもう無い。

 

「だから、アタシが勝ちます。ウインバリアシオンさん──ごめんなさいは、もう言わないっスから」

 

 前へ──きっとこの勝利が圧倒的であればあるほど、みんなが喜んでくれるから。

 

 

 

 

 

 オルフェーヴルが動いた。淀の坂、その下りを利用してギアを上げていく。中団の外から、横を行くウマ娘たちを次々と躱して前へ、前へと行く度に歓声が爆発する。

 

 ──ワアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

 

 その背中を追うウインバリアシオン、5バ身ほど離れた後ろからスパートを掛けて、そのまま最終直線へ。

 

 先頭を張り続けて疲弊したフレールジャックにも意地がある。坂を終えて前へ行こうと懸命に意地を張り続ける。それを追う者たちが一斉にスパートを掛けて、最終直線を迎えた。最後方から追い上げるウインバリアシオンも同様に。

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 脚は残っている。作戦は概ね思い通りに行ったと表現していい。あの背中まで、おおよそ5バ身ほどだ。菊花賞の最終直線は800m──下り坂のおかげでスピードはついている、この勢いのまま加速して──差し切ればいい。

 

 次々と順位を上げていく。コーナーが終わる。大部分のウマ娘よりも、ウインバリアシオンはずっと強い。番狂せが無い分、こんなものはもうモブもいいところだ。

 

 見えているのはあの背中だけだ。太陽のように強い光に網膜を焼かれて、それ以外は視界に入りすらしない。

 

 

 

 

 

 ──最終コーナーが終わった時点でオルフェーヴルは先頭に立っていた。おかげでスタンドの大歓声は、もう吹き飛ばされそうなほどで。

 

 誰もが分かっていた。前に遮るものが何も無いなら、オルフェーヴルが負けるはずがないと。

 

 ──ワアアアアアアアアアアアアアアアア!!!

 

 あぁ、これはオルフェーヴルが勝ったな。誰もがそう思った。

 

「認めない……認めないよ、まだ……終わってないんだからッ!!」

 

 レース経験者である分、カナロアは観客なんかよりもずっと深く理解していた。あのオルフェーヴルに追いつけるわけがない。結局こうなるのかと、諦めを打ち消すように呟いた。

 

 オルフェーヴルを追う2番手トーセンラー、オルフェーヴルとの距離は3バ身といったところ。その真横を、ウインバリアシオンが爆発的な末脚で走り去る。ゴールまであと400もない。

 

 彼女の横顔が、あまりにも真剣で──ウインバリアシオンはまだ諦めていない。

 

 オルフェーヴルがそうであるように、ウインバリアシオンもまた怪物。意味の分からない末脚が距離を急速に縮めていく──そのはずだった。

 

 3バ身から先が縮まらない。どれだけ加速しても、同じだけオルフェーヴルも加速している。それどころか──

 

「……頑張れ!! 頑張れっ、頑張れっ、頑張れ……っ!!」

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 オマエの何か一つでもオレの思い通りになりはしない。

 

(届け)

 

 オレを見ろ。全てを捧げてオマエに届かないオレの姿を見ろ。

 

(頼む、届け)

 

 ──この無様を見て嘲るがいい。競り合いにすらならないオレの力を見下せ。それもオレを見ているってことだ。

 

 オレの一つでもオマエに届きはしない。

 

 オマエに勝つためにオレは強くなった。オマエがいなければ、オレはきっと弱いままだった。オマエという絶対的な存在がいたから、オレはここまでやってきた。

 

 オルフェーヴル。オマエは誰も必要としない。オレの一つでもオマエに関係はしない。

 

 オレがいても居なくても、オマエの強さは変わらない──だが、オレはそうじゃない。

 

 そうじゃねェんだ、オルフェーヴル。分かるか? この痛みが──

 

(オマエに分かってたまるか)

 

 強さは権利だ。強いヤツは何をしたっていい。弱者に物言う権利などない。強者だけが絶対だ。オレはそういう世界に憧れて、納得して、ここまで来た。文句はない。

 

(オマエに負けてたまるか)

 

 オマエはオレの心を焦がす。太陽のように──その光に焦がれて、焦げる。飛んで火に入る夏の虫も、別に好き好んで焼かれるわけではない。ただ引力に引かれただけだ。炎に魅入られて、逃げられなくなったのだ。

 

 オレも同じだ。オマエという太陽に引っぱられて、逃げられない──オマエに勝たなければ、オレは光に焼かれて死んでしまう。それは絶望に等しい。

 

 オマエはオレから全てを奪っていく。勝利も栄光も──どうして勝ちたいのか、その理由すら忘れてしまったんだ。オマエの光がオレを焼いて、消えてしまった。

 

(火ィ着いてんだよ──焦げて、真っ黒になって)

 

 遠く離れていく。

 

 永遠にも感じられる一瞬が過ぎていく。時間は無慈悲だ。オマエは無慈悲だ。オレの何も、オマエに届きはしない。

 

 この"速さ"でも届かない──例年の基準なら、優勝していたって不思議ではない。しかしオルフェーヴルに常識など通用しない。

 

 そうなると分かっていても、やっぱり受け入れるのは痛かった。なぜか? 答えなんか簡単だ。

 

(燃えて、燃え尽きて)

 

 これでも届かないならもう、何をしたって無理だ。分かっていた、分かっていた──こうなるだろうって、オレは知っていたんだ。

 

(……下らねェ。バカバカしい。なんでオレ、こんなもんにマジになって──)

 

 ただ痛かった。受け入れて辛かった。泣き出しそうになるのを堪えた。これ以上の無様を晒したって、痛いだけだと思っても涙は止まらなかった。

 

 悔しくて仕方ないんだ。

 

 爆発する歓声など、オルフェーヴルの強さには全く釣り合っていない。有象無象の声が集まったところでオルフェーヴルを讃えるにはまるで足りはしない。

 

(なんでまだ、諦めらんねェンだよ。オルフェーヴル)

 

 自分の力ではどうしようもないものを司るものが神とするなら、オルフェーヴルはウインバリアシオンにとっての神様だ。

 

 真っ白に変わる世界の中で、オルフェーヴルがゴール板を横切って行くのが見えて。

 

 それは地上の太陽。網膜を焼き、視界を奪う──この身を焦がし、燃やす。そして灰になる──身体が熱くて、逃れたいと願っても逃れられない。太陽から逃れられる者などいない。

 

 ──彼女は暴君。力を振るい光り輝く。そしてこの身を焦がせ、灰になるまで。

 

 第77回菊花賞。オルフェーヴル、三冠達成。

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

「……ンだよ」

 

 地下道でウインバリアシオンを迎えたのは、やはりというかロードカナロアだった。ぞんざいな目を向けると、堪えるような表情でカナロアが叫んだ。

 

「〜〜っ、ばか……ばかぁっ!! 何だよじゃないんだよっ!!」

 

「あァ……」

 

「なに……何負けてんのっ! 何ヘラヘラしてんのっ! 私があんだけキミのために色々してあげたのに全部パーだよ、無駄骨折らせてさっ!! 私の時間と努力を返してっ!!」

 

 強がるような罵倒。カナロアがこれまでシオンに費やしてきた献身を裏返したような、泣きそうな声だった。

 

「……悪い」 

 

「っ、謝らないでよ!! ウソつき、ウソつきっ!! 絶対勝つって言ったくせにっ!!」

 

 強く責め立てる言葉にシオンが何も言い返さないのは、理解しているからだ。カナロアが自分のために尽くして、信じて、応援してくれていたことを──下心がどんなものだったかにせよ、その善意に応えることが出来なかった。

 

「済まねェ……」

 

「ふざけないでよっ、謝って済むもんじゃないでしょっ!! 悔しくないの!? 情けなくないの!? ばかっ、ばかっ、ばかっ、ばかっ、ばかぁっ!! 私の献身も応援も全部パーだよっ! キミみたいなバカに賭けた私が大バカだったよっ!!」

 

「……泣いてンじゃねェよ」

 

 くしゃくしゃの顔で、思わず笑いそうになる。涙を誤魔化すような大声でも、さっぱり誤魔化せはしないだろう。指摘されて余計に意地になって、カナロアも言い返す。

 

「〜〜っ!! 泣いてないよ!! キミこそレース終わった時泣いてた癖にさぁっ!! 並びもしなかったくせに、一丁前に悔しがらないでよぉッ!!」

 

「……じゃ、なんでテメェが泣いてンだよ」

 

 カナロアが涙を拭いながら、叱られた子供のように言う。

 

「だって……頑張ってたんだもん……っ! キミに、勝って欲しかったんだもん……っ、悔しい、悔しくてさぁ……っ!」

 

「そりゃご愁傷。オレなんざについたのが間違いだったってこった──」

 

「──っ、なんざとか、自分を下げて楽になろうとしないでッ!!」

 

 衝動的な怒号、真っ直ぐに自分を見つめるカナロアの瞳の中に、強い光が灯っていた。

 

「キミは腐らなかった。自分ではどうにも出来ない不運にぶち当たっても、文句ひとつ言わないでやり続けたんだッ!!」

 

 心が折れても仕方のない相手だった。最終コーナーから抜け出して、そこからさらに加速して圧倒的な差でゴールイン。後から振り返ったって、どうやって勝てばいいのか分かりはしない。それでも折れずに立ち向かったウインバリアシオンのことをバカにさせない。本人自身にさえ。

 

「最善を尽くして立ち向かった。勝負が決まった瞬間だって諦めなかったッ!! 自分を否定しなかった、環境や才能を呪わなかったッ──だからぁっ!!」

 

 呪ってもよかった。生まれる年が違えば、この栄光は自分のものだったのにと恨み言の一つも言いたかっただろう。腐って諦めてもよかっただろう。でもそうしなかった──

 

「だから……私も……──」

 

 生まれつきの距離適正に文句を言って、中長距離がよかったって文句を垂れていたことを思い出した。届かぬ光に手を伸ばして、諦めなかったウインバリアシオンの姿を覚えている。

 

「……私も──そう、なりたいって……思っちゃったんだよ……」

 

 このレースを忘れることはないだろう。

 

「なんだよぉ、もう……。私だって……キミたちと一緒に走りたかったのにさぁ……。こんなの見せられたら、仕方ないじゃんかぁ……ぐずっ」

 

 レースは美しく、そして残酷だ。ウマ娘に出来ることはその中で可能な限り足掻き、走ることだけ。嫌ならやめればいい、諦めることばかり簡単だ。

 

 それでも眩しかった。ロードカナロアにとっては、オルフェーヴルなんかよりも、ウインバリアシオンの方がずっと眩しかったのだ。

 

「見ててよね──キミたちばっかりに注目なんて集めさせないんだから。今度は私のターンなんだからっ!! 綺麗な花は咲く場所なんて選ばないんだからねっ!!」

 

「……勝手にしてろや」

 

 コツ。コンクリの通路に蹄鉄の音がぶつかって、ウインバリアシオンは歩き出した。カナロアもそれを追う。

 

「その態度!! 今に見てろぉ〜っ、目にモノ見せてやるんだからっ!!」

 

「だから勝手にしろっつってんだろうが」

 

「ん〜!! だから勝手にするって言ってるんだよ!!」

 

 コツ。コツ、コツ──僅かな静寂が戻って、カナロアがまた問いかける。

 

「……それで? まだやるの?」

 

「今更辞められるかよ。もう二回負けてンだ、一つや二つ増えたとこで変わらねェよ」

 

「ふーん。これで負けたら二度とオルフェに勝てないよ〜とか言ってたくせに」

 

「うるせェ。ちょっと負けたぐらいで諦められるンなら、こんな苦労はしてねェんだ──走り続けてやるよ。灰になるまでな」

 

「ひゅー! かぁっこいー! ……いったぁ! 何するの!」

 

「減らず口叩くんじゃねェよ。次は手加減しねェぞ」

 

「はぁぁぁぁ!? あのさあ、レースばっかりじゃなくてちょっとはコミュニケーション学んだほうがいいね! いいよね! そうすべきだよねー!! 大体さぁ……」

 

 ぶち当たった壁が、幸か不幸かは自分で決めることだ。そしてウインバリアシオンは幸運ということにした。

 

 因縁は途切れず、まだ続く──それは、おそらく幸福なことだ。

 

(一応、俺もいるんだけどなぁ)

 

 三笠がため息をついた。言いたいことは色々あるが、友人のように仲良く歩く二人の背中を見て、今はいいかとふっと笑った。




もう正直言うとレース描写めんどいです 日常コメディばっかり書いてたい っていうか小説書くのがめんどい もう全部めんどい
次から秋天です!!!
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