「当然、冗談に決まってんじゃん?」   作:にゃんこぱん

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 大気で薄れる薄水色は、四季の中で最も美しい空の色だ。生徒たちが頭を捻って考えたのぼり旗が、幾つも幾つも風に揺れて、生徒ではない多くの人々がトレセンの門を通る──ファン感謝祭。

 

「ちょっと待って。今、入り口で配ってたマップ見て確認するから。3年生の企画は絶対全部行きたいし、特にナカヤマフェスタさんのカジノ企画は絶対行かなきゃ……本人と対決できるなんて最高すぎ。だからどっか行かないでよ」

 

 レースファンにとっては、普段ターフの上でしか見ることのないヒーローたちの日常を味わえるイベント。生徒にとっては学園祭、かつファンの人たちへの感謝を伝えるイベント。

 

「いい? タイムスケジュールは分かってるだろうけど、お昼はブエナビスタさんのクラスがやってる超大盛り焼きうどん行くんだからね。買い食いで食べすぎちゃダメだよ」

 

 では彼女にとっては──オープンキャンパスという表現が最も近しい。つまり進路としてのトレセン、受験生が進学予定の高校を訪れるように。ファン感謝祭では中学生及び保護者への進学説明会を学園が開いており、将来のスターが来ることもある。

 

「……って、あれ? あいつ、どこ……?」

 

 直ぐに消えてしまう友人を探して振り返ると、そこには雑踏があるだけだった。

 

 逸れた。

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

「それで、どうなんでしょう。うちの子はトレセンに入れるんでしょうか? あなたの担当ウマ娘になったら大きなレースで優勝できますよね?」

 

「……もちろん、入試を突破出来るならトレセンには来ることができます。僕の担当に、というお話であれば……もちろん、トレーナーであれば素晴らしい才能を持つウマ娘を育てたいと考えています」

 

「あら! よかったじゃない、憧れのトレーナーさんに色々教えてもらえるって!」

 

 誰がそんなことを言ったんだ? 明日原は貼り付けた表情の下で疲れをなんとか隠していた。朝からずっとこの調子だ。

 

 まだ中学生くらいのウマ娘が随分キラキラした瞳で明日原を見上げていた。そんな期待を込めた眼を向けられても困るし、担当ぐらい自分で選びたい。

 

「ご存知ないかも知れませんが、大きなレース……重賞で優勝するのは、非常に難しいことです。ですが、僕がお子さんを担当させて頂けることになれば、微力を尽くしましょう」

 

 だから今日のところはもう帰ってくれ、と明日原は言いたかった。なぜなら明日原には個人進学説明会で入学希望者の相手をするよりも、秋天の戦略を詰めるという大事な仕事があるためだ。しかし、加賀の言葉を借りるなら、ネクタイ着けてんなら上の言う事には従わねぇとな──だ。

 

「あ、あの……もっと速く走れるようになりたいんです! 何か、アドバイスをくださいっ!」

 

 好機、と明日原は思った。抜け出してしばらくサボろう。

 

「えぇ、もちろん……でしたらフォームを見たいので、外で軽く走りましょうか」

 

 別に入学希望者たちと色々話すのが嫌なわけではない。調べればわかることを懇切丁寧に説明することにうんざりしたわけでもない。ただなんというか、今日は運が悪いのか、ちょっと面倒な保護者が多くて面倒になった。それだけだったのだ。

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

「……繋がらない。まぁ、期待はしてなかったけど……あー、やっぱり首輪つけといた方が良かったなぁ」

 

 意味ないだろうけど、と心の中で一句足した。

 

「はぁ……どーしよう。探すって言っても、この広いトレセンじゃあ……ん? あれ……」

 

 トレセン付設のターフは、普段ならトレーニングに使われているが、今日はいくつかのレースイベントが開催される予定だ。外周で入学希望のウマ娘がターフの様子を確かめたり、単にファンが見学に来ていたりして、出店もないのにそこそこ賑わっている。

 

 それを見下ろしていた彼女の目ににスーツの男が留まる。ファン感謝祭にかっちりしたスーツなど珍しく、直感的にトレーナーだと分かった。

 

「……同年代の()? トレーナーに見てもらってる……そんなイベントあったかな。見逃してる……ワケないし。ちょっと聞いてみようっと」

 

 トゥインクル・シリーズでの活躍を目指すウマ娘にとって、トレーナーとは憧れへの足がかりだ。もちろん彼女にだってクラブのコーチはいる、しかし現職のプロではない──トゥインクル・シリーズのスター達が語って曰く、"トレーナーあっての自分"。

 

 学園トレーナーの指導を受けたことがない彼女にとって、その存在は正直よく分からないというのが本音ではあるが、まずはトレーナーに選ばれなければレースにも出られないことぐらいは知っている。

 

 だからというわけではないが、腕組みをしている男の背中まで彼女は降りて行った。

 

「あの〜……」

 

「うちの子はここのところ、思うような結果を出せていないんですよ。プロのトレーナーなら問題点くらいは直ぐに分かりますよね? あの子が無事にトレセンの入試を合格できるようにしてくれますよね?」

 

「確かに僕はトレーナーです。簡単なアドバイスなら出来ますが──」

 

「この学園に来るのに家からかなり時間がかかったんです。やっぱり15歳で親元離れてなんて心配で、でもトレーナーがついてくれるなら少しは安心できるから」

 

「親御さんとしての心配は理解しています。しかし──」

 

「しばらくうちの子の面倒を見てもらいたいんですよ。やっぱりあの子、周りが見えなくなる部分があって、プロのアドバイスなら受け入れられるでしょうし」

 

 なんか、見るからに面倒そうなのに絡まれている。気が付かなかったが、トレーナーの横に母親らしいウマ娘がいて、色々喋っている。事情は知らないが、話を挟むのは躊躇われた──が、こっちだって人生がかかっている。

 

「あの!」

 

 男が振り向いた。

 

「! はい──」

 

 振り向いたトレーナーがイケメンだったのでちょっと驚く。なんというか、学園に来ればこういう人につきっきりで色々教えてもらえるのか──という思考はさておき。

 

「ちょっと、聞きたいことがあるんですけど」

 

「……ええ、もちろん」

 

 隣の母親の方が何か言う前に、男がスッと一歩こちらに近づいてきて、小声でぼそっと言う。

 

「話を合わせて頂けますか」

 

「えっ?」

 

 トレーナーが母親の方を向くと軽く頭を下げた。

 

「申し訳ありません。次の予定がありますので、急ではありますがここで失礼させて頂きます。お子さんにはもう少し姿勢を低くし、バランスを意識するように伝えてください」

 

「え、ちょっと──」

 

「行きましょう」

 

 訳もわからず、歩き出したトレーナーの背中を彼女は追った。

 

 

 

-

 

 

 

「……あの〜?」

 

「申し訳ありません。少し……強引な方だったもので。小芝居に付き合って頂いてありがとうございます。お陰で助かりました」

 

「えっと……」

 

 まだよく分かっていないという表情を見て、トレーナーが少し雰囲気を緩めた。

 

「失礼。あのままではトレーナーを辞めさせられて、専属コーチにさせられそうな勢いだったもので。確かにトレーナーの仕事には、入学希望者への対応も含まれていますが、入試対策への協力はその範囲から逸脱している」

 

 よく分からないが、面倒そうなのに絡まれているところにちょうどよく彼女が来たものだから、体よく利用されたらしい。まあそれは別にいい。

 

「付き合わせてしまい申し訳ありません。それで、聞きたいこととは?」

 

「あ、えっと……トレーナーからアドバイスを受けられるイベントなんてあったかなあって、思って……それだけです。ないなら、大丈夫なので……」

 

 さっきの様子を見るに、どうやら母親の方が強引にトレーナーにやらせていたらしい事は察しがついた。ということは、同時にトレーナーに聞きたいことも無くなった。

 

「……もしよろしければ、学園を案内しましょうか?」

 

「え? あ、い……いいんですか? お仕事とかあるんじゃ……」

 

「入学希望者への対応もトレーナーの仕事です。たづなさ──上司にはそれで言い訳が立つでしょう。もちろん、嫌なら結構ですが」

 

「い、いえ! お願いしますっ!」

 

 願ってもない機会(チャンス)だ。学園外のウマ娘が直接トレーナーと話せる機会など皆無に等しい。即答も当然だ。

 

「それはよかった。ああ、自己紹介がまだでしたね──トレーナーの明日原です」

 

「えと、リミファイルです──え? あれ……明日原、って……えええええええっ!? と、トーセンジョーダンの、トレーナーの!?」

 

 入学希望のウマ娘、リミファイルは今日1番の大声を上げた。

 

 

 

 

 

「一般開放されているのは校舎とトレーニング設備ですね。せっかくなので寮の方も見たほうがいいでしょう。ジョーダンに頼めば寮設備の見学も出来ますが」

 

「い、いえ! そこまでは、申し訳ないので……!」

 

 トーセンジョーダン──トゥインクルシリーズのスターの一人。去年の皐月賞の勝者で、有記念2着。ようやく怪我から復帰し、秋天への出走を表明している──リミファイルはジョーダンのファンだった。

 

「そうですか? では……ああ、行きたいイベントなどは?」

 

「あ、えっと……実は、友達と来ていて、逸れちゃって。あいつ、全然携帯見ないから連絡もつかなくって……」

 

「そのお友達との合流を優先した方がいいでしょう。とはいえ、連絡がつかないとなると……校内放送で呼びかけましょうか?」

 

「いえっ! それは、ちょっと流石に恥ずかしいので……合流は、まあ出来たらって感じで。勝手に逸れるアイツが悪いんです。せっかく明日原さんが案内してくれるんなら、こっちを優先したいです」

 

「分かりました。それでは、適当に回りましょう」

 

 明日原が歩き出して、リミファイルはそれを追った。

 

「さて、どれから行きましょうか?」

 

「えっと……実は行きたいイベントばっかりで、どれから回ればいいのか……」

 

「では……そうですね、模擬レースイベントなどは?」

 

「是非っ! えっと、場所は──」

 

「さっきのところです。こっちです」

 

 模擬レースは入学希望者のウマ娘向けで、学園の施設を体験できるイベントだ。コースの感触──芝の質やゲート設備等を体験することは、受験に際しての強いモチベーションに繋がる。学園所属のウマ娘などと一緒に走ることもでき、運が良ければ憧れのウマ娘とも走れる。

 

 模擬レースは今日一日通して開催されている。大体30分ごとに1レース開催され、学園のウマ娘にも参加を依頼していた。

 

 コースを見下ろすと、模擬レースイベントは大盛況のようだった。

 

「うわぁ、すごい人……ってあれ、もしかして──オルフェーヴルさんですか!?」

 

 リミファイルが見下ろす先、受付のテントのあたりに特徴的な栗毛のウマ娘が、ファンたちに囲まれていた。軽く興奮してコースへと下りていくリミファイルに、明日原が微笑を浮かべている。

 

「人、多すぎて近づけない……」

 

「こちらへ」

 

「え? っと……」

 

 テントの裏側、運営用のスペースへ回る明日原に、リミファイルは遠慮がちに着いていく──イベントの受付らしき男と、受付デスクを挟んでファンに迫られるオルフェーヴルがいる。

 

「お疲れ様です、加賀さん」

 

「ん? おぉ、明日原か。そっちのは……ついに新しい担当を持ったのか?」

 

「……!? いえっ、そんなっ!?」

 

「入学希望者ですよ。模擬レースの参加枠、まだ空いてます?」

 

「空いてるように見えんのかよ、と言いたいが……次のレースのちょうど1枠、運よく埋まってねぇ。そっちの君、参加するか?」

 

「……是非、お願いしますっ!」

 

「よしきた。じゃ、軽く準備運動しときな。すぐに始まるぜ──オルフェ、出番だ」

 

「うぅ……アタシ、朝からずっと出ずっぱりっス……。お腹減ったっスぅ〜……」

 

 模擬イベントの運営は加賀に任せられていた。もちろん加賀だけではなく、他のトレーナーと連携しながらではあるが、今日の午前中までは加賀の担当。必然的にチーム加賀のメンバーが引っ張り出されることになるが、全体的にあんまり言うことを聞いてくれないのが揃っているため、オルフェーヴルは朝からずっと模擬レースを走らされていた。

 

「まぁ、昼までだ。もちっとやってくれ」

 

「……加賀さん。アタシ、朝からずっと働いてるっス。遊びに行きたいのに頑張ってるっス」

 

「おぉ……? あぁ、お疲れさん」

 

「ご褒美が必要だと思うっス」

 

「おぉ。まあ、そうだな……」

 

「お肉、食べたいっスッ!」

 

「……ま、ちゃんと走ったらな」

 

 加賀の言葉にオルフェーヴルがパァっと顔を明るくした。なんというか、こういったところが単純で本当に助かると加賀は思った。これがナカヤマだったら何を要求してきたことか……。

 

 そのやりとりを眺めていた明日原は、黙ったままのリミファイルに目を向けると──

 

「……………………」

 

 固まっていた。

 

「……どうしましたか?」

 

「どッ、どうしたって……お、オルフェーヴルさん、ですよね!? あの、三冠の……」

 

「はは。彼女には悪いですが、模擬レースイベントの目玉になっているようです」

 

 三冠──トゥインクルシリーズの歴史を通して、たった7人にしか与えられない称号。レースファンにとって、そしてウマ娘にとってそれは最上の栄光。

 

 将来、宇宙飛行士になりたいという子供は、成長に伴いそれがどれだけ困難で、どれだけ届かないものであるか理解していく。現実的に三冠を目指すことは、簡潔に形容して非現実的だ。リミファイルはトレセンを目指すものとして、それをよく理解していた。

 

「え、えぅ……あ、ああああああのっ、オルフェーヴルさんっ!」

 

「ひゃぅッ! な、なななんっスか!?」

 

「あ、握手……しゃ、写真! 写真、一緒に撮ってもらってもいいですか!? い、一生のお願いですッ!」

 

「えッ、あっ……い、いいっスよ。あ、アタシで良ければ……」

 

 トレセン志望の少女にとって彼女は『英雄』である。素早くスマホを構えてカメラを起動。

 

「僕が撮りましょう。さあ、並んで」

 

 カシャ。緊張と興奮の表情でカメラに目線を向けるリミファイルと、ぎこちなく笑うオルフェーヴルの一枚。

 

「ありがとうございますっ! 家宝にしますっ!」

 

「い、いや……家宝にするほどのものでは、ないと思うっスけど……」

 

 ここで、オルフェーヴル目当てに集まっていたファンやウマ娘たちがそのやり取りを見て、自分たちも写真を撮って欲しいと集まってきた。流石に迷惑かもしれないと遠慮していたファンたちだったが、リミファイルの行動が引き金になったらしい。

 

「写真、写真お願いしますっ!」

 

「サイン、サインください!」

 

「う、うぇっ!?」

 

 瞬く間に押し寄せたファンの対応など、弱気なオルフェーヴルに出来るはずもなく。

 

「か、加賀さぁんっ!? た、助けてぇ!?」

 

「まったく……」

 

 菊花賞を経て少しは成長したと思っていた加賀だが、まだまだ手がかかるらしいオルフェーヴルに苦笑いを溢すと、ファンたちの対応に向かった。

 

 

 

 

-

 

 

 

 

「模擬レース、お疲れ様でした。どうでしたか?」

 

「……あ、明日原さん──」

 

 レースを終えたリミファイルが顔を上げた。まだ整ってない息に加え、どことなく放心しているようにも見える。まあ無理もない話だ。

 

「いいレースでした。君はコーナーが上手かったですね。しかし、もう少し周りを意識できると展開が良くなると思いますよ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「……喉が乾きませんか? 自販機が向こうにあるので、良ければ」

 

 まだレースから心が戻ってきていないリミファイルに、明日原がそう言って歩き出した。

 

 

 

 

「……すごく、嬉しかったんです。オルフェーヴルさんと、走れるなんて……もう、一生自慢出来るなって……でも」

 

 スポーツ飲料を持つ手に力が入る。

 

「もちろん分かってました。勝負になんてなるわけないのは……」

 

「……悔しい、と?」

 

「こんなの、身の程知らずですよね。私なんかが……勝ちたかった、なんて」

 

「──いいえ。それでいいんですよ」

 

 身体能力が大きく発達する高校生と、それ以前では隔絶した実力差がある。ウマ娘であれば尚更だ。スピードやスタミナといった基礎能力、レースへの慣れ、経験。同世代であってもトレセン生とそれ以外の差すらあるのに、リミファイルが悔しいと思うことはいっそ傲慢──で、あってはいけない。

 

「え」

 

「憧れは大きな原動力です。しかし、悔しさはそれ以上だと僕は思います」

 

「……」

 

「君はいいウマ娘になりますよ。トレセンに来るべきです」

 

 穏やかに言う明日原の言葉に世辞は混ざっていない。未熟なリミファイルの走りの中に何を見たのか、彼女には分からないが──

 

「ありがとうございます。私……頑張りますから!」

 

「ええ。……さて、昼時ですね。良ければもう少し案内したいと思うのですが、どうですか?」

 

「もちろん、お願いします!」

 

 

 

 

 屋台のいい匂いがする──たこ焼き、焼きそばといった定番の屋台が並んでいた。中にはたこ焼きならぬにんじん焼きなるものも見受けられる。明るい呼び込みの声が飛び交う校舎前。

 

「あの……トーセンジョーダンさんって、トレセンに入ったばかりの頃はどんな感じだったんですか? 最初の頃は結構大変だったって、インスタライブで言ってたんですけど……」

 

 設営されていたベンチとテーブルの上に軽食、それをつまみながら明日原が答える。

 

「最初の頃ですか。……あの頃は、確かにジョーダンは精神的に追い詰められていた部分が大きかった。選抜レースで上手く実力を発揮出来ず、爪の問題もあり、トレセンに来たばかりで信頼できる友人も居なかった」

 

 ジョーダンの過去をペラペラと喋るのも、そう良いことでもないだろうが──軽く話した程度で、リミファイルがこのことを拡散するような真似はしないと分かった。それに明日原も過去を懐かしんで口が軽くなっている。

 

 校舎までの大通りには生徒たちの出店が並んでいる。出店の価格は良心的だ。ファンの楽しそうな顔、ウマ娘もお祭り騒ぎ。

 

「……明日原さんは、どうしてジョーダンさんのトレーナーになったんですか?」

 

「それについて簡潔に答えるのは難しいですね。当時、担当ウマ娘が卒業したばかりで次の担当を探していたのですが、少し目が肥えてしまいましてね」

 

「当時の担当ウマ娘って……確か、ダイワスカーレットさんですよね」

 

「ええ。彼女もなかなか破天荒でしてね、僕も新人でしたし、いくらか苦労しました。しかし走りがとても良くて……まあ、それで僕の中の基準が高くなってしまっていたんですよ。選抜レースでめぼしいウマ娘を探していたのですが、どうにもピンと来ず」

 

 リミファイルは憧れのウマ娘についての裏話を聞いて密かに興奮していた。続きを促すように明日原を見上げる。

 

「選抜レースでのジョーダンの走りは、お世辞にも良いと呼べるものではありませんでした。全力で走ったら爪が故障するかも知れないという恐れがあり、能力を発揮出来なかった。それに、当時の彼女は自信がなく、自己肯定感にも欠けていた」

 

 ジョーダンはよくインスタライブをしている。しかしトレセンに入ったばかりの頃の話をあまりしないのは、それが理由なのだと理解した。

 

「レース後、クールダウンもせずにどこかへふらふらと消えていくジョーダンを、僕はどうも放っておけなかった」

 

「……それで、ジョーダンさんのトレーナーになったんですか?」

 

「最終的には。しかし最初は簡単なサポートだけに留めるつもりでした。僕にもトレーナーとしての夢……のようなものがありまして、そのためには強くなりそうなウマ娘をスカウトしたかったので……ジョーダンが折れないように一ヶ月ほど面倒を見て、それで終わるつもりだったんですよ、最初は」

 

「えー。それはちょっと酷いですよ」

 

「はは。ジョーダンにも同じことを言われましたよ。まあそれで押し切られ、結局担当契約を……正直に言うと、彼女に成果は期待していませんでした。まあ光るものはありましたが、それでもGⅠクラスには手が届かないだろうと」

 

「……分からなかったんですか? ジョーダンさんが強くなって、いろんなレースで優勝するって」

 

「トレーナーとしての腕を疑われるようなことを言いますが、分かりませんよ。未来がどうなるかなど……可能性は常に等しく存在しますし、ウマ娘は常に僕の想像を超えて来ます──それが、僕がトレーナーになった理由でもありますが」

 

「……未来がどうなるかなんて、分からない……」

 

「ええ。しかし、未来を思い描き、そのために努力することは出来る。まあトレーナーに出来るのはその手助け程度です」

 

 雑踏の中で、リミファイルはその言葉を噛み締めるように呟いた。

 

 

 

 

 学園内に秋天のポスターが貼ってあった。ブエナビスタが笑顔でサムズアップしているポスターだ。ブエナビスタのレース成績はさておき、広告方面では完全に王者として君臨している。噂では大手スポーツ用具メーカーからスポンサー契約の話さえ来たらしい。

 

「秋天……ジョーダンさんは、勝てますか?」

 

「勝てる、などと軽々しく言うことは出来ません。しかし僕もジョーダンも、可能な限り努力しています」

 

「応援、してます……本当に、頑張ってください」

 

「ありがとうございます。ジョーダンに伝えておきますよ」

 

「いえ、あの……明日原さんのことも、応援してますから」

 

「……ありがとうございます。しかし、僕は自分の望みのためにやっていることで、観客のためという動機は薄い。応援されると、どうも後ろめたいですね」

 

「……そういう時は、素直に受け取ったほうが良いと思います」

 

「はは。こればかりは性分ですね。しかし、君の応援は受け取りました」

 

 ──学園のウマ娘というのは、きっとこういうことばかりをトレーナーとしているのだろう。リミファイルは羨ましいと思った。顔のいいトレーナーと二人三脚で、夢に向かって走り続ける──あわよくば、もっと深い関係になって……とか。

 

「……どうかしましたか?」

 

「あっ!? い、いいえ! 何にも!」

 

 ──危ないところだった。学園のトレーナーというものは、誰もこんな感じなのだろうか?

 

 校舎へ入る。リミファイルの目的は各クラスが出しているイベントだ。個性豊かなラインナップで、メイド喫茶からカジノ大会までなんでもある。ジョーダンはネイルサロンなるものをやっているらしく、カジノ大会の景品なんだとか。

 

「……あの、やっぱりお仕事は大丈夫なんですか? 忙しいんじゃ……」

 

「一介のトレーナーが一人サボったところで影響はありません。それに、僕も生徒たちの企画に興味がありましてね。言葉を選ばないなら、君の付き添いという口実はかなり都合が良いのですよ」

 

 明日原はあっけらかんと言い放つ。大丈夫なのかなと心配になるぐらいだが、明日原は全く気にしていなさそうだ。

 

「……明日原さんって、興味のないことは全部どうでもいいって思ってそうですね」

 

「はは。生徒とファンの方々のための感謝祭ですが、トレーナーが楽しんではいけない道理もありません。さあ、行きたい企画があるのでしょう?」

 

「むぅ……まあいいですけど」

 

 それからしばらく、明日原はリミファイルに付き添って企画を回った。

 

 

 

 

「うげッ! あっすー!?」

 

「……ジョーダン?」

 

 訪れたのは3年生、ジョーダンのクラス。元々は無難に喫茶店を出そうとしていたが、ナカヤマフェスタが凱旋門賞2着の実績を盾に賭場企画を強行。チップを購入し、用意されている卓で気軽にゲームを楽しむことができる。

 

 チップは景品と交換できる。ラインナップにはチェキとかライブ音源CDとかなんか色々あり、全体的に地下アイドルっぽい仕上がりになっているのは誰の趣味か。ジョーダンがネイルをしてくれるのもここに入っている。

 

「……なぜチアリーダー?」

 

「聞くなしッ! 大体あっすーこそなんでいんの!? 仕事しろよ!」

 

「してますよ。入学希望者に学園を案内しているんです」

 

「……それ口実にしてサボってんな。おい。たづなさんにチクるぞ」

 

「やめてください、お願いします」

 

 ジョーダンから報告が上がれば言い訳の難易度が一気に上がる。なんとか許してもらおうとジョーダンを見るが──

 

「……じろじろ見んなし」

 

 チアリーダーだった。それもかなり露出の高い衣装だ。ジョーダンは体を隠すようにして明日原を睨む。

 

「失礼。よく似合って──というのは、少しアレですが。可愛いですね」

 

「うっさいっ! 喋んなッ! ぶっ殺すぞッ!」

 

 とんでもない格好をしているジョーダンを見て呆然としていたリミファイルだったが、カジノと化した教室の中に見覚えのある後ろ姿を見つける。

 

「あっ──こんなところにいた!」

 

 どうやらゲーム中らしい。ディーラーのナカヤマフェスタと一対一でトランプをしている。机に積んだチップや、ナカヤマの表情からしてかなり緊迫しているのが伝わる。

 

「携帯見てよ、連絡してたんだけど!?」

 

 カードを見ながら唸っている友人の背中に声を掛けると、ナカヤマがリミファイルを見上げる。口元は鋭く歪んでいた。楽しんでいる時の癖だ。

 

「悪ィな嬢ちゃん。ちょいと後にしてもらえるかい? 今いいとこなンでな」

 

「え、あ、はい……」

 

 一方、明日原は珍しいジョーダンの姿を記録に残そうとスマホのカメラを向けていた。

 

「撮んなッ! 金取るぞッ!」

 

「いくらです?」

 

「払おうとすんなッ! ダメッ! 絶対ダメ!」

 

「そうですか……残念です、非常に」

 

「悲しそうにしてもダメなもんはダメだからッ!」

 

 なんとかして一枚写真に収めたい明日原と、こんな恥ずかしすぎる格好を撮られたくないジョーダンの攻防はクラスメイトに生暖かい目で見守られていた。

 

「……景品の中にチェキがありましたね?」

 

「……ダメ。今日はチェキ断ってるもん」

 

「特例で。トレーナーなので」

 

「やだ! てかそんなに撮りたいんなら今度着てやっから──」

 

 と、言いかけて、ジョーダンは今自分がとんでもないことを口走ったことを悟った。クラスメイトがニヤニヤしながらこちらを眺めている。殺人現場を目撃したみたいな顔のやつもいる。

 

「とッ……とにかくダメなもんはダメだから。マジで。つか……あたしがンなカッコして働いてる間、中学生とデートとか……そんなに殺されたいんか? あたしに……」

 

「誤解があるようですね、ジョーダン」

 

「誤解だぁ? はぁ……自分が誰のトレーナーか、ちゃんと分かってんだろうな? あ・た・し・の、だぞ。分かったらどっか行け。……ばか」

 

「やれやれ、仕方ありません。仕事に戻るとします」

 

 明日原がリミファイルに声をかけ、そのまま教室を去っていったのを見て、ジョーダンはため息を吐いた。そしてクラスを見渡し、あんまりディーラーに勝っている人たちがいないのを確認した。このクラスはナカヤマの勝負癖に付き合わされて妙にこういうのに強い。そのためジョーダンにはもうしばらく仕事は回ってこなさそうだ。

 

 ふと、明日原が連れてきた入学希望者に目をやる。彼女は友人らしきウマ娘の後ろで勝負の行く末を見守っていた。

 

「……ね、ちょっといい?」

 

 

 

 

 

「あ、あの……本当にいいんですか? ネイル、して貰って……景品なのに」

 

「いーよ、ヒマだったし。あっすーのお客さんならあたしにとってもお客さん。あ、どんなのがいいとかある?」

 

「え、えと……お任せします」

 

「はーい。任せなって」

 

 教室の一角にはジョーダンのネイルグッズが並べられていた。リミファイルの右手を取ると、ジョーダンは手慣れた様子で作業を始める。

 

 教室内は騒がしい。ディーラーのウマ娘がファンの人たちと喋ったり、チップが動く音などが途切れない。これで結構売り上げは立っているらしい。

 

 リミファイルは緊張した面持ちだ。トレセンに来てから、憧れの人に何人会ったことか。

 

「どう? トレセン。入学希望なんだっけ?」

 

「はいっ。えと……あの、ジョーダンさん、応援してます。天皇賞・秋……」

 

「ありがと。まー、今回はガチだかんね。や、ガチじゃなかったレースとかないんだけど、秋天はガチのガチだからさ。楽しみにしててね」

 

「応援してますっ! ……あの、そうやって言うってことは、ジョーダンさんにとって秋天は特別なレースなんですか?」

 

「んー、ん、ん……や、別にー……って言うと、なんか怒られそうだけど。あたしはそんな思い入れねーしな。こだわってんのはあっすーなのよ」

 

「あっすーって、明日原さんですか?」

 

「ん、そう。あいつもめんどくせーヤツでさ。昔に見た秋天が忘れらんないらしくって。もう一回それが見たいんだって。ヤバくね? 録画でも見てろよっていう」

 

「あ、あはは……」

 

 リミファイル、渾身の愛想笑いが出た。無理もない、ジョーダンの口調が軽すぎるため緩和されているが、明日原という人間の根本的でヘビーな部分を簡単に口にする。担当の口が軽すぎる件について。

 

 しかし、ジョーダンはどこか嬉しそうだ。

 

「んでなんか知らんけど、もう一回それを見たいからトレーナーになったんだって。もう激ヤバじゃん? あたしもさー、あいつが言ってた昔の秋天のこと調べたけどさー、ちょっとやべーの出てきたし。あーゆートコ、けっこー重たいんだよねー、あっすーはさ」

 

「え、えと……」

 

「ん、ああごめん。そんで……ま、すっごいレースを見せてくれー、ってあっすーが言うからさー。そんなん言われたら流石に燃えてくるワケよ。一応あんなんでもトレーナーだし? まあ、多少は恩返ししなきゃなー、みたいな?」

 

 軽く口にしているが、その実1番重たいのはジョーダンである──ことなど、リミファイルには知る由もないが、妙に嬉しそうに語るジョーダンの様子からなんとなくそれを感じ取っていた。

 

「……信頼、し合っているんですね。明日原さんと」

 

「3年間も一緒にいたらそーなるよ。あんたも、きっと。ま、あんなネジれたヤツ、あんまいねーだろうけど」

 

 月日が人を変える。ジョーダンは入学してから多くのことを経験し、少しだけ大人に近づいた。故にリミファイルにとって、ジョーダンの姿は3年間という重みを感じさせるだけのものだった。

 

「……私にも、そんなトレーナーさんが見つかるでしょうか」

 

 ジョーダンがネイル作業を止めた。慌ててリミファイルが弁明する。

 

「あ、いえ……まだ、トレセンに入学出来てもいないのに、そんなこと言っちゃダメですよね。私ったら、何言ってるんだろ、あはは……」

 

「──見つかるよ」

 

 はっきりと言い切ったジョーダンが視線を合わせた。

 

「あんたを見つけてくれるヤツは現れるよ。……ま、こっちもただ待ってるだけじゃダメなんだけどさ。トレセンの受験するんでしょ? 過去問とか持ってんの? ないなら、多分友達が持ってっからあげよっか?」

 

「い、いいんですか?」

 

「未来の後輩のためじゃん? センパイが一肌脱がなきゃ……って、あんたが入ってくる頃にはあたし卒業してんだけどね。その代わり、秋天はちゃんとあたしを応援すること! ナビじゃなくて!」

 

 明るいジョーダンの言葉に、リミファイルも笑顔で頷いた。が。

 

「ほぉ──ン、私に隠れてファンを奪おうって魂胆ですか。そうはさせませんよ」

 

 ガッ、と。リミファイルの肩に誰かの手が置かれた。

 

「……えっ」

 

「どォーも、ブエナビスタ出前サービスでーす。ご注文の極・焼きそばデラックスです。お支払い方法はどうなさいますかァー?」

 

「注文してねーよ、帰れ」

 

「いやいやァ。食うでしょ? 食べたいよな? 食えよ」

 

 ブエナビスタが立っていた。片手にバカみたいな量の焼きそばを乗せたトレイを持っている。彼女のクラスは他クラスに出前をやってるらしいが、少なくともジョーダンには覚えがなかった。

 

「毒入ってんだろ」

 

「心外な! 私のことなんだと思ってんですか! 傷付きました。精神的損害です。慰謝料を請求します」

 

「あのねぇ。今お客さんいんの。頭ポップコーンの大食い娘に付き合ってる暇はないの」

 

「お? おやおや、ずいぶん若い子ですね。攫ってきたんですか?」

 

「いや、ナビじゃあるまいし」

 

「私だってやりませんよ!」

 

「いや、なんかアパパネと前話した時、ほぼ誘拐されたって聞いたけど」

 

「任意同行は誘拐じゃありませんよ!」

 

 ジョーダンとブエナビスタが頭越しに言い合っているのが、なんだか非現実的だった。少なくともリミファイルはこれが現実だとは信じられない。

 

 ブエナビスタ。GⅠ勝利数3、現在のレースシーンにおいて文句なしのトップクラス。メディア露出もかなり多く、一介のアスリートではなくタレント的な印象も強い。レースに興味がない人も、ブエナビスタの名前は必ず聞いたことがあると言われる。

 

 その圧倒的な人気は、歴代でも類を見ない。

 

「で? じゃりん子にコナかけてたってワケですか?」

 

「言い方やめろ。これは交換条件なんだから」

 

「ほォん? じゃあ……手前ェ、名前はなんです?」

 

「えと、リミファイルです……」

 

「じゃあリミファイルちゃん。この特大焼きそばを進呈するので、そこのメンヘラなんてほっといて私を応援してください!」

 

「えぇっ!?」

 

「ナビの方がよっぽどメンヘラでしょ。ジュニア期の頃とか、アオイちゃん捨てたりさ」

 

「あの頃は私も若かったんですゥ! それにその話持ち出すのは反則じゃないですかァ!? ジョーダンだって最高にヘラってた時期でしょうに!」

 

「うぐっ!」

 

 お互いに痛いところを突き合って痛み分け。思えばジュニア期の秋ごろからだった──お互いのことを意識し始めたのは。

 

 ジュニア期、冬。桐生院葵と明日原景悟の担当交換がファーストコンタクトだった。阪神ジュベナイルFで一気に頭角を表したブエナビスタと対照的に、ジョーダンはホープフルステークスで惨敗。

 

 クラシック期。クラシック路線とティアラ路線に分たれた二人は、それぞれの戦いに身を投じる。皐月賞の怪我で離脱したジョーダンと、戦い続けたブエナビスタ。

 

 夏合宿。いつだって鮮明に思い出せる思い出。アケノの慟哭、ブエナビスタの心に残った傷。

 

 有記念が初めての衝突だ。しかしなんかハッピーミークとかいうやばいのがいたので、ジョーダンはナビに先着したものの、勝ち切れたとは言い難い。

 

 春シニア三冠戦線。ジョーダンはまたも怪我で離脱。ブエナビスタはヴィクトリアマイルを勝ものの、宝塚記念ではナカヤマフェスタとかいうぽっと出に敗北。しかしそいつも引退したので、ようやく──この天皇賞・秋で漸く舞台が整う。

 

 意識しないなんて不可能だ。あの有記念からずっと、ブエナビスタはトーセンジョーダンのライバルであり続けた。それは逆も同じこと。

 

「とにかく! あたしのファンを奪ってんじゃねーよ!」

 

「笑止! 私のでしょうがッ!」

 

 完全にモノ扱いされたリミファイルだが、憧れの二人が自分を取り合っているのはむしろ夢のような光景かもしれない。しかしここに割って入るほどリミファイルの度胸は強くない。そんな態度を咎めるが如く、二人が同時にリミファイルに鋭い目を向けた。

 

『どっち!?』

 

「え、えぇ……あ、あのぉ、お二人とも、応援するってことは……」

 

「超・笑止!」

 

「ハッキリさせんだよ! あたしだよね!?」

 

 中学生に応援を強要する高等部3年生たちの姿は、なんというか酷かったが、一応助け舟は間に合ったらしい。空のトレイが二人の頭に落とされた。

 

「いっ」

 

「たいッ! 誰だァ!」

 

「中学生に嫌な絡み方してないで。困ってるでしょ!?」

 

 アケノオールライトである。ナビとアケノは同じクラスなので、ナビが遊びに行ったのを連れ戻しに来たのだ。何せ大盛況だ。ブエナビスタ目当てに来ている客も多い中、ホイホイ遊びに行かれては困る。

 

「アケノォ〜……。私だって遊びたいんです、ちょっとくらい。いいじゃないですかぁ〜……」

 

「ダメ。材料切れそうなの、買い出し行かなきゃ行けないくらいなんだから。戻って調理に向き合うんだよッ!」

 

「私は食う専なんです。忙しいです」

 

「はいダメ。ごめんねジョーダン、そっちの子も。こっちのは私がちゃんと連れて帰るから」

 

「うい……」

 

 去り際、アケノが素早い動きでスマホを構えて、チアリーダーのジョーダンをパシャったのをジョーダンは見逃さなかったが、正直もう疲れたので見逃すことにした。

 

「あー、ごめん。うちのナビちゃんが……」

 

「いや、全然! こんなに近くで見たの、初めてで。憧れてる人、ですから」

 

「憧れね。ま、トレセン生には多いよなー、誰それに憧れてーってヤツ。あたしはそーじゃねーから知らんけど。選手だった親の無念を晴らすとか、誰かに夢を託されて、とか。みんなちゃんとした理由があんのよねー」

 

「……ジョーダンさんは、確か──」

 

「そりゃ自分のためよ。憧れとか、夢とかじゃなくて、あたしはただ、自分を認める最後の手段がレースだっただけ。ま、どいつもこいつも突き詰めれば似たようなもんかもだけどね。強くなりたいとか、輝きたいとかね。だけど……」

 

 話しながらでもジョーダンのネイル作業は淀みない。実用を兼ねた趣味として、ネイルの腕は入学当初よりずっと向上していた。その腕はなかなかのもので、リミファイルから見てもお店でやってもらうレベルに見えた。

 

「……ん、まあこんなもんかな」

 

 気がつけば、リミファイルの爪は大きく変化していた。艶のあるカラーは、自分のものとは思えず、つい驚いてしまう。

 

「ガチろうと思えばもっとあるんだけどね、ネイルは。でも友達待たせんのもアレっしょ。あとこれ、ネイル剥がすときはこのリムーバー塗ればいいから。あげる」

 

「……ありがとうございます、色々……本当に、嬉しいです。多分今日のこと、一生忘れないと思います」

 

「えぇ? オオゲサ〜。ま、色々楽しんでってよ。トレセンはいいトコだから──あ、ライン交換しよ。あとで過去問は送ったげるね」

 

「何から何まで……ありがとうございます!」

 

 深々と頭を下げ、友人の方に振り返る。ナカヤマフェスタとの勝負は終わったらしく、チップが消えていた。負けたのだろう。

 

「ほら──行こ、ジャスタウェイ。まだまだ回りたいところあるからさ」

 

 肩を落として去っていく一人と、弾むような顔の一人。ありがとうございましたー、と見送った。

 

「……次の世代、か。あんな若いの見てると、あたしらもおばさんって感じ」

 

「アホくせェ。成人もしてねェんだぞ、オマエ。感傷に浸るのはいいが……ちょっとは手伝え、チアリーダー。よく似合ってんなァ。私がそれ着てたらと思うとゾッとするね」

 

「……いつか、絶ッ対着せてやっからな。覚えてろ」

 

 にやり、とナカヤマフェスタが笑った。

 




投稿間隔が開くのはもうデフォだろ
そしていつになったら秋天が始まるんだよ
自分やれます、秋天やらしてください
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