「よっ──ちょ、え? な、なに? な、なんで泣いてんの?」
鳴り止まぬ歓声、ウィナーズサークルに出迎えられたジョーダンは、先に居た明日原の顔を見てびっくりしていた。明日原が感情を顔に出すことは滅多になく、どころか涙など初めて──
「……おめでとう、ジョーダン。君の……トレーナーで良かった。君と出会えて──本当に、良かった。ありがとう……ありがとう、ジョーダン……──」
「……ん」
目元を抑えてもまるで止まらない涙、ジョーダンはしょうがないなと笑って明日原に抱きついた──これぐらいは、許されるだろう。
心地いい達成感。芝2000mにおいて、過去最速を叩き出し、レースの歴史を塗り替える偉業。
「見たかったもん、見れた? あたしで良かったんだよね?」
「……はい──今日の君を、僕は……あの日からずっと待っていたんです──」
「あっすー……」
想いに応えられて良かったと、ジョーダンはまた笑った。
ところで忘れられているかもしれないが、ここはウィナーズサークル。中継が繋がっている。
「あの、そろそろインタビューに移りたいのですが……」
「あッ、はい! てかやべッ、カメラ回ってんじゃん! ちょ、あ〜〜〜〜ッ」
かぁっと顔が熱くなった。ああもう、こんなの全部明日原のせいだ。なんか泣いてるから雰囲気に流された。サイアクだ。
誤魔化すように、ジョーダンはインタビューを終えた。
-
ウイニングライブ前、控え室。衣装合わせやメイク等の準備が必要になる。控え室を出てステージへ向かう途中、ジョーダンは背中から声を掛けられた。
「また見せつけてくれましたね」
「……見んなよ」
「勝手に見せてきたんでしょうが。お熱いこって」
ブエナビスタだ。間違いなく過去最高の速度だったにも関わらずジョーダンに負けたことで、軽口にも心なしか元気がない。
「……」
「……」
気まずさなどない。あの勝負に後ろめたいところなど一つもない。お互いに全てを出し切って、ジョーダンが勝った。それだけのことだ。普段ならば煽りの一つもくれてやるのだが、この秋天に関しては例外だ。
「……フン。今回は勝ちを譲ってやりますよ」
「言ってろっての。強がっちゃってさ」
ライブ前のざわめいたステージの気配が近づいている。
「今回はあたしの勝ち。だから──またやろ」
「……次ァ、同じようにはなりませんよ」
「あはは〜。さ、ライブライブ〜! あたしがセンター! あんたは横! 主役はあたし!」
「チッ! あーあー、分かりましたよ! バカみたいな笑顔振りまいて踊ってやりますよ!」
-
──輝くスポットライトの中で彼女たちが歌っている。強烈なレースに心を揺さぶられた分だけライブの盛り上がりもより一層盛り上がる。
その中で、フロアから少し離れた関係者席。トレーナーやマスコミ関係が使う特等席に明日原はいた。フロアに比べれば少しだけ音量が控えめだ。
彼女の姿を見ていた明日原の横には、同じくウイニングライブを見つめていたある記者の姿があった。
「夢は──見れましたか?」
「……乙名史記者」
「ご挨拶遅れました。本当は、すぐにでもお祝いの言葉をお伝えしたかったのですが、貴方たちの邪魔をしたくなかったので──本当に、素晴らしいレースでした。貴方の想いにジョーダンさんが応え、コースレコードを1秒更新。語り継がれるレースになるでしょう」
「……ええ」
明日原の表情は、まるで夢見る子供のようだった。
「先ほどの質問に答えます。──はい、僕の夢はついに現実になりました」
ジョーダンの歌が聞こえる。その中で、明日原の言葉はやけにはっきりと聞こえる。
「乙名史さん。僕はね、レースが好きだったんですよ。大好きでした」
明日原の横顔は真っ直ぐにジョーダンを見ている。眩しいものを、尊いものを焼き付けるように。
「空っぽだった僕は、誰かの頑張る姿や歩んでいく道、苦難や喜び、そしてその果てに待つ結末が観たかった。レースはうってつけでした。彼女たちが、時に人生を、命を賭して勝負する姿は、僕に何か、脈打つような熱を与えてくれた」
まるで懺悔するかのような独白。乙名史には、それが別れの言葉にも聞こえた。
「レースが好きでした。正確には、レースを通して知ることが出来る、彼女たちの物語が好きでした」
好きだった、という過去形の形容に明日原の心境が現れている。望みが満たされ──
「……ああ、綺麗ですね」
ただただ、ジョーダンの描いた物語を噛み締めて、穏やかに見守っている。明日原景悟は傍観者だった──だけど、もう明日原も物語の中に居た。トーセンジョーダンという物語の中に。
「君たちはそんなにも美しい。そうでしょう?」
笑顔を振りまいて、楽しそうに踊るウマ娘たち。乙名史が探るように言う。
「……満足、ですか?」
「ええ、満足です。僕は……ずっと、この景色が見たかった。ようやく気が付きました、僕が何を望んでいたのか……ジョーダンに、何をして欲しかったのか」
「それは──なんだったんですか?」
「輝いて欲しかった。目も眩むような輝きを見せて欲しかった。知りたかったんです。どうしてウマ娘は走るのか。勝ちたいと望むのか」
想い。
「彼女の答えを、教えて欲しかった」
「……あなたには、どう聞こえたんですか?」
「"自分はここにいる"──そう聞こえました」
「それは、とても……彼女らしい、叫びですね」
「ええ」
コツ、と。明日原は身を翻すと関係者席の出口へ向かった。
「……? どこへ?」
「フロアへ。彼女のライブを、当事者として楽しみたくなりました」
「あ──待ってください。一枚、いいですか?」
「? ええ、どうぞ」
首に下げていたカメラを乙名史が構えた。ファインダーには振り返った明日原の姿が映っている。この日の姿を記録するデータが、確かにカメラに保存された。
一枚。その姿を残して──。
「それでは」
無念を叶えた幽霊のような、そのまま成仏してしまいそうなほど、なんというか不思議な明日原の姿を捕まえるように、明日原も、確かにここにいたことを証明するように。
乙名史は背中に向けて、ライブの音量に負けないように叫んだ。
「……明日原トレーナー! 彼女の物語は、まだ終わっていませんよ!」
ふ、と少しだけ笑って、明日原の背中が消えていった。
-
それぞれの帰り道にて。
「……お腹が減ったです。アオイ〜……」
「あはは。うん、そうですね。じゃあ、お疲れ様ということで何か食べて行きましょう! なんでもいいですからね、遠慮しないで!」
「遠慮しないでとか言われても、私は社交辞令だとは思いませんよ」
「いいんです。だって、本当にナビは頑張ったから。本当に、頑張って、いたから……」
言葉を皮切りに葵がボロボロと泣き始めた。ナビははァ、とため息とつくと、葵の手を取って、両手で包んだ。
「わた、私がまた、間違えちゃったんです。あとほんのちょっと距離が短ければ、ナビが勝っていたんです、内に入れるべきじゃなかったんです……っ」
「アオイが間違っていたなんて、誰にも言わせませんよ。アオイ自身にも──作戦は間違ってなんかいませんでしたよ。全部アオイの予想は当たっていました。ただほんのちょっぴりだけ、ジョーダンが強かっただけです」
「……っ、うぅ……、ひぐっ、うぇっ──うわぁぁぁ、ぁぁぁ……っ、ああぁぁぁぁぁ……っ!」
「まったく、普通逆なンじゃないんですかぁ? はいはい、泣かないの。私たちは今できる最高を出し切ったんですから、何を後悔することもないんです。頑張りましょう、もっと──」
支え合い。次は、次は、次は──次こそは。何度も何度も自分に言い聞かせて、何度もそれは嘘になった。
「────次ァ勝つぞァッ!!!」
「ひっ、……っ、ぅあ……っ、はいっ、次、は……っ」
「声が小せェ!」
「……っ、次は、勝ちますっ!! ぜったい、絶対っ!!」
帰路を行く。
「ん〜、お腹いっぱい! っぱ肉よ! 高い肉、サイコーッ! 勝利の後のメシッ! 美味かったぁ〜〜!」
「満足したようで、何よりです」
東京レース場から少し離れた高級焼肉店から出てきたジョーダンたちが帰路に着く。空を見上げるともう暗かった。10月の冷気が心地いい。
「あ、ところで──さ。あんたの夢を叶えてあげたんだし、あたしにもワガママ言う権利はあるでしょ?」
「……まぁ、いいでしょう。何やらイヤな予感はしますが」
「やりぃ。じゃ、言うね──大好きだぞ、景悟くん!」
ジョーダンはやはり予想のできない部分があり、いきなりぶっ込んでくる。
「……はぁ。何が出てくるかと思えば全く──」
明日原もまあ、今更驚きはしない。
「僕も大好きです、ジョーダン」
「……え?」
予想だにしない言葉を返されて、逆にジョーダンは目を丸くしてしまった。半分からかって言ったことに爆弾が帰ってきたのである。
「……ホントに?」
「えぇ」
「マジで!?」
「はい」
「冗談だったら、殺すケド?」
怖っ。
「事実です」
「……え、じゃあ、つ……付き合って?」
「いえ」
「は? 殺すぞ?」
「君がもう少し大人になったら、そうしてもいいかもしれません」
「……はぁ、わーってるよ。あっすーはそーゆーとこおカタいんだよなー。だからジョーダンだよ、冗談。あたしはただ、ありがとうって言いたかっただけ」
「感謝は君にこそ伝えるべきでしょう。君のトレーナーをしていたのは、僕がそうしたかったから。君のためではありません」
「……なんかさ、逆にあっすーって素直じゃなくね? もうツンデレだろ」
「心外です。実に」
珍しく、明日原の無表情が崩れて微笑を作っている。
ジョーダンは、レースを終えてからの明日原の様子が変化していることに気がついた。ずっと気にかけていたものが消えて……憑き物が落ちたと言うのが、最も適切な表現だろう。
だから、ふとある懸念が浮かぶ。
「ねぇあっすー。次はどうする?」
「……次、ですか──」
「そう。こういうの、なあなあでやりたくない。ちゃんと──そうしたいから、そうしないと」
明日原は迷っているように見えた。以前ならジャパンCでしょう、と即答していただろう。だが躊躇っている。それはなぜ?
「……」
「それとも、もうレースに興味は無くなっちゃった?」
背負っていた夢という荷物を下ろした明日原は、まるでフラフラと飛んでいく風船のようで、ジョーダンは不安になった。もうトレーナーを辞めると言い出しかねない予感があった。
「……気づいていたんですか?」
「そりゃ分かるでしょ。だってあっすーさ、ずっとレースのことを考えてたでしょ? でも──もう、考えてない。顔に出てんの。……勘違いすんなよ? 責めてるわけじゃねーんだから」
「……興味がなくなったという表現は、適切ではありません」
「じゃあ、なに?」
「実際のところは、自分でも分からないんです。僕は……この日が来ることをずっと待っていましたが、その後のことなど考えたことがなかった。だから、降って湧いたような自由に、戸惑っています」
「そっか」
静寂。夜の雑踏を行く。
「なら、あたしの好きにしていい?」
「と、言うと」
「ジャパンカップ。ナビがね、なんとしてでも勝ちたいレースだとか言ってたのよ。きっとエグい仕上げしてくると思う。だから、戦いたい。つか、次も勝ちたい。ナビの"想い"なんて、あたしは知らねー。遠慮して出ないなんてありえねー! あたしはレースが大好きッ、だから最後の最後まで走り切ってやるのッ!」
そこまで言い切ったジョーダンは、明日原を見上げた。
「あたしを見ていて、景悟。夢の続きを見せてあげる」
──楽しそうであり、そして決意に染まった表情を見て、明日原は彼女がずっと大人になっていたことに気がついた。
「……君に景悟と呼ばれるのは、不思議な感覚です」
「ね。正直ハズい。でもいーでしょ、ご褒美ってことで! にへへ、彼女ヅラしてやるんだ〜」
「まったく。面倒を呼んでいるようなものです。対応には苦心するでしょう」
「それはあんたの仕事じゃん? それとも──二人だけの秘密にしとこっか?」
ぐい、っと明日原のネクタイをジョーダンは引っ張った。明日原が体勢を崩し、顔が一気に接近する。
「……なんて。冗談だよ」
ぱっ──と、手を離して、またジョーダンは歩き出した。そしてくるっと振り返る。
「当然、冗談に決まってんじゃん? あんたみたいな面倒な男、あたしの方から願い下げだっての。いつか泣かされそうだし。てか泣かされたし」
「……」
「なんて、それも冗談。大好きだよ、景悟。さ、帰るか!」
街の喧騒の中で彼女の笑顔が輝いた。まだ呆然としたままの明日原の手を取って引っ張っていく。手を握って──離さないように。どこにも行かないように。
「……ジョーダン」
「んー?」
「もう少し、君のことを見ていたいと思います」
「おー?」
「最後まで走り切りましょう。僕が──側にいて、支えます。君のことを」
「ん。よーし! じゃあやったるぞー! 秋シニア三冠、取っちゃいますかぁ!」
「はい。……まったく、息をつく暇もない」
「なに言ってんの。景悟は仕事中毒なんだから、暇になっちゃったらアレよ? 陸に打ち上げられた魚みたいになっちゃうでしょ」
「……ゾッとしませんね。怖いのでやめてください」
「んふふ。やーだね。あんたをからかって遊べんのは、あたしだけの特権なんだから!」
はしゃぐジョーダン、やる気の戻ってきた明日原が、決意を新たにする。夢の続き──物語の続きを見るために。