『あーっ、もう! 悔しい悔しい悔しいっ! マツリダゴッホ先輩、あんなに早かったの!? 不甲斐ないわ……っ! 明日原! 今すぐトレーニングよ!』
『いえ……年末です。ゆっくりしましょう』
『はぁー!? 何言ってんのよ、そういうとこから気が抜けてくのよ! ウオッカっ! あんたに言ってんのよ!?』
『……うるせぇな。オレだって分かってるよ』
『はっはっは。本当にハデな負けっぷりだった。俺も不甲斐なかった、すまんウオッカ! やっぱアレだな、先行に切り替えたのは失敗だったかもしれんな。しかし今回はマツリダゴッホが上手かった。完全にペースを握られちまったからな』
有馬記念11着。対照的にスカーレットは2着だった。加賀が朗らかにいうが、心の底ではこいつが1番悔しがっている。
何かとつけて一緒だった四人組だった。オレとスカーレットがいつもいがみ合っていたのに、加賀と明日原は仲が良かった。
『どうでしょう、反省会も兼ねて打ち上げにでも行きませんか?』
『……肉。それ以外認めないから』
『奇遇だな。オレも同じこと思ってた』
そうしたら目があって、そしたら睨み合って。ずっとそんなことをしていた。
『……オレの方が大食いだし』
『はぁ〜!? あんた何言ってんの!? 負け犬なんかお米だけ食ってりゃいいのよ、この11着!』
『うるせーなっ! 負けたのはお前だって一緒だろうが! 何勝った気になってんだよ!』
……加賀さん。ウマ娘用の焼肉食べ放題、幾らしましたっけ。明日原が青い顔をしてそう言っていたのも目に入ってなかった。
『分かった分かった、往来で騒ぐな二人共。ちゃんと連れてってやるからよ──明日原が』
『……了解しました。加賀さん、後で殴ります。グーで』
『何言ってんだ、加賀だって来るんじゃねーのかよ。それともオレと飯が食えねーってのか!?』
『うるさいわね叫ばないでよ! あーもう、イライラするーっ!』
『冗談だ。だが俺はもう飲食店出禁になるのは勘弁なんだ。抑えてくれよ』
『無理な相談でしょう。この様子だと店の在庫まで全部食べ尽くしますよ、この二人は──おや』
ウイニングライブを終えてレース場を後にした時には、もう空は暗かった。とっくに夜だった。東京の明るい光が夜空にまで届きそうで綺麗だった。
『雪……』
雪が降ってきたんだ。覚えている。あいつと一緒に見上げた。
『冷えてきますね。さっさと行きましょう、実は予約してあります』
『流石だ明日原。さてお二人さん方、喧嘩はよしなんし。飯食って帰ろう』
相変わらずいがみあっていた二人に加賀が肩をすくめて呼びかけた。
『加賀は黙ってろ!』『加賀は黙ってて!』
『……おじさんはつれーぜ。なあ明日原よう、そう思うだろ?』
『僕22歳なんで。おじさんって括りで肩組みに来るのやめてもらっていいですか?』
『……寄る方ねぇー。立つ瀬もねえってか。はぁ、俺も肉食べよ……』
雪の降る夜を歩いて行った。なぜだかその時のことをずっと覚えている。ふとした時に思い出す。そんなことがあったと懐かしくてたまらなくなる。
あの夜から、もうすぐで2年が経とうとしている。
「久し、ぶり……だな」
最後に会ったのは、確か3月の卒業式だったか。最後の有馬記念が終わってから、スカーレットは明日原を連れて全国を走り回っていたために、1月以降はほとんど会っていない。それに大学に進学してから一切の連絡はなかったし、しなかった。
ただ少なくとも、ウオッカの戦績であればそれはニュースになり、話題になり、手紙のようにスカーレットの元へと届いていた。ウオッカなりのメッセージだったのかもしれない。オレはここにいると叫ぶ、スカーレットへの不器用なメッセージ。
「そうね。てか何、あんた髪伸ばしたんだ。へー、ちょっとは可愛らしくなったんじゃない?」
「……おまえは、やめたんだな。ツインテール」
「ええ。もう子供じゃないもの」
「そう、か」
ウオッカの言葉にはキレがない。いつものウオッカならばあるはずの自信とか勢いとか、後先考えない言葉がなかった。
一方的にぎこちない会話で、ギクシャクしていた。だがスカーレットは何も気にしなかった。
「あと加賀も久しぶり。あんた痩せた? この前倒れたとか聞いたわよ」
「ああ。調子乗って働き過ぎたらいつの間にか、な。3人はキツかったわ。なあ明日原、一人くらい貰ってくんねーか?」
「僕も倒れますよ。だいたい、覚悟して引き受けたんでしょうに」
「おう」
ジョーダンはどうにも居心地が悪かった。仲のいい集団の中に放り込まれたようなものだった。自分に対してはしない気安い調子で話している。こういうところを見ると、自分にはやはりまだ気を遣っているというか、子供扱いされているようで少しショックだった。
「で、ウオッカを貸してくれって話か?」
加賀が本題を切り出した。
「ええ」
「……は? オレ?」
「ジョーダンはNIKKEI杯を控えていまして。強力な仮想ライバルが欲しいところなんですよ」
「それでスカーレットを呼んだって訳か。けどそこのキラキラっ子はジュニア級だろ? 大丈夫なのかよ?」
「問題ありません。根性ありますよ、ジョーダンは」
「そうかい。まあ貸すのはやぶさかじゃねー、が。そっちは俺たちに何をしてくれんだ? こちとらジャパンカップ控えてんだ。何もねーならまだしも、ウオッカにとって大切な時期だってことは分かってんだろ?」
「承知の上です。なのでスカーレットを連れてきました」
「…………相談した俺も俺だが、お前もお前だよ」
ウオッカは晩成……いや、完成している。もうこれ以上身体能力は伸びないだろうと言うのが加賀、明日原共通の見解である。そして完成したウオッカは刀のような差し味を持ち、誰にも負けないだろうとも考えている。
それでもデビューから6年にしてようやく全盛期を迎えたカンパニーには勝てなかった。カンパニーはマイルチャンピオンシップへの出走を表明しているため、当面はかち合う心配はないが──例えもう一度戦うことになったら、ウオッカには勝てるイメージが湧いてこなかった。
「俺の考えじゃ、ウオッカには負ける要素はねえ。体の出来上がりも十分だ、けど勝てねえのは別の要因があるからなんじゃないかと思ってる」
「……っ、加賀! オレは……ぜってえ勝ってやるッ! 心配なんかするんじゃねえ、次のレースで証明してやるッ! 1着はオレだ、絶対に……ッ!」
「……ほれ。こんな感じだ」
加賀が肩をすくめるように、ジョーダンから見ても今のウオッカには力が入り過ぎているように思えた。
二度と負けないと誓った。だが結果はどうだ、ドバイでは情けない結果に終わり、秋に入ってからはカンパニーに惜敗を繰り返している。ウオッカは勝たなければならないと思い込み、余計に悪循環が生まれている。
「……ねえウオッカ? あんた──」
不意にスカーレットが口を開いた。
「ッ、なんだよスカーレット! 言いたいことがあんのなら言えッ! なんだ、何が足りねえ! 言ってみろよ!」
ウオッカの方は──ただ、余裕がない。自分で自分を追い詰めている。それを自覚していながらも、どうにもできないジレンマに陥っている。
「……なんでもない。明日原、シューズあるわよね」
「ええ。一式揃えてあります」
「走るわよ、ウオッカ。ジョーダン、あんたも来なさい」
「え? あ、あたしも!? ちょ、あ、あっすー……!?」
「根性ですよ、ジョーダン」
「え、えええ、ええええええええええええ」
スカーレットに首根っこを掴まれてジョーダンはトレーナー室から退出していった。
「ウオッカ、お前も行け。お前に足りないもんが何か、この一ヶ月で見つけ出すんだ。じゃなきゃジャパンカップには勝てねえ」
「……あーもー! 分かったよ、やってやるよ! クソ。余計なお世話だぜ、マジ……」
ー ー ー
並走の目的はコーナーから直線にかけての追い込みのタイミングを学ぶことだ。スタミナを限界まで活かし、なおかつ最高速で差し切れるポイントを探すこと。ペースや集団のバラけ方、相手の強さによってそのタイミングは大幅にズレる。
まず基礎的な身体能力において敵わない。絶対無理だ。100回やっても勝てんだろ。むしろ100回やって101回負けるわ。追い込みのプレッシャーとかエグいし、重圧に負けて仕掛けのタイミングミスったら8バ身差とか着けられるし、あと怖いし。
「どうしたの? もう終わりかしら?」
「はあっ、はあ……っ、これでっ、引退してるっ、とか……っ、絶対、サギでしょ……っ!」
──あり得ん。無理でしょ。死ぬって。
「……ちっ、オレはんなことしてる場合じゃねーっつーのに」
──いやこっちは現役だし。無理でしょ。死ぬって。
ジョーダンはいじめられていた。大人と子供だった。
明日原の目的は明確だ。これからの厳しい戦いを勝ち抜いていくための修行編だ。ドラゴンボールで言う精神と時の部屋みたいなものだろう。いや無理だから。何考えてんのあのバカ、自分の愛バがヤムチャみたいな感じで死んでもいいわけ?
「まあもう無理って言うんならやめるわよ? 別にあたし、あんたが勝とうが負けようがどっちでもいいし。でもこの程度で悲鳴上げてちゃ話になんないわね」
「……っ、やり……ます」
「なーにー? 声小さいわよ、なんか言った?」
「もいっかい、お願いします……つってんですけど……!」
膝をガクガクさせながらジョーダンは立ち上がるが、スカーレットは嘲笑った。
「なあに? それが人にものを頼む時の態度? 愛しの明日原さんにはなんて教わったのかしら、言ってみなさい?」
このクソ女殺してやる。
ジョーダンは生まれて初めて殺意を知り、今までに味わったことのない屈辱に顔を伏せて、それでも言葉を絞り出した。
「もう一度、お願い……します。ダイワスカーレット先輩……っ!」
言葉遣いに満足したスカーレットが軽い調子で答えた。
「あら、そこまでお願いされちゃ仕方ないわね。後輩の力になれてあたしも嬉しいわ。ウオッカ、あたし逃げるから追い込んだげて」
「分かったよ……。おいジョーダン、負けるたびにもう一セット追加な。死にたくなけりゃ死ぬ気で逃げろよ。明日原のツラに泥塗んねーようにな」
さっきもそう言って、平気で本気出してた癖によく言う。……いや、全然息が上がってない。もしかして全然本気じゃないの? でも普通に差し切られる──無理ゲーでは。
「……あっすーのこと、引き合いに出しやがって……っ、やってやる! 覚悟しとけよパイセン共め……っ!」
静かにそう吐き捨てて、ジョーダンは立ち上がった。ウオッカが無表情で位置に着くのとは対照的に、スカーレットは機嫌良さそうにカラカラと笑っていた。流石に先輩としての貫禄と、後輩を荒々しく導く慈しみに満ちているように見えた────。
が、スカーレット! 実は自分を差し置いて明日原の唯一の担当になっているジョーダンに、大人げもなく嫉妬していた!
「よーし、後輩はたーっくさん可愛がってあげなくちゃね!」
あまりにも大人気ない。スカーレットは自分よりも3歳も年下のトーセンジョーダンをとことんまでいじめるつもりでいた。そして明日原はこうなることを見越してスカーレットを呼んだ。
当然その後、スカーレットがどうするのかを知った上で覚悟して呼んだのである。ジョーダンの成長のためならば、導火線に息を吹きかけるのも辞さない男。紛れもないトレーナーの鑑だった。
「ぐおお、うご、う、ぅ……うご、けん……」
サイバイマンにやられたヤムチャみたいな体勢でジョーダンがターフに倒れていた。一方でスカーレットと言えば、スカーレットを見つけて集まってきた後輩たちにちやほやされながら機嫌よく愛想を振りまいている。ウオッカはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「ふん、なんだよ、あいつ……」
先輩、スカーレット先輩っ! その、一度会ってみたかったんです! 握手してくれませんか!? いいわよ、サインでもしてあげようかしらああでも色紙がないわね、シャツに書いてあげるおほほほほ──猫被りやがって。トレセンでは有名な話だぞ、お前の優等生ヅラが実は張り子だったってこと。
ジョーダンはもう一歩も動けそうにない。当然だ、限界の限界までやったんだ。これ以上はオーバーワークになりかねないし、そこのところは弁えていた。
「それで、スカーレット先輩はどうしてトレセンへ来てるんですか!? もしかして、やっぱりサポート科へ来てくれるとか!?」
スカーレットに群がっていた一人の後輩がそう叫んだ。そのケースは実は少なくない。一般社会に出てみたが、やっぱり自分はレースに関わって生きていきたいと思うウマ娘はそれなりにいる。トレセン学園とURAは元選手のスタッフを歓迎していた。
「いやいや、違うわよ。トレーナーにどうしても頼まれちゃってねー、後輩を鍛えてあげて欲しいって」
「え、後輩って──」
「そう。そこに転がってるあの子、トーセンジョーダンって名前らしいんだけど……知ってる?」
一斉に後輩たちは微妙そうな顔をした。
それもそのはず、素行不良の噂はまだ抜けないものだ。不幸なことにジョーダンと同じクラスのウマ娘がおらず、彼女の変化は知られていなかった。
明日原という優秀なトレーナーがただ一人担当するウマ娘。嫉妬も舞い起こるに決まっている。何せ三冠トレーナーだ、それこそ──トリプルティアラを目指すウマ娘にとっては、絶対にスカウトして欲しかった。なんなら4月から猛アピールはしていた。
ただ明日原は彼女たちに見向きもせず、スカウトもしないのに選抜レースを眺めていただけだった。そして選抜レースで鮮烈な登場をしたトーセンジョーダンも、群がるスカウトには見向きもしないで走り去って、二人が契約したという噂だけが残った。
それが癪に触った。おまえたちのようなボンクラに興味などないのだと、そう言われているようですらあった。
トーセンジョーダン、所詮は遊び回ってるだけのバカ──それが共通認識だったはずなのに。どうやってか三冠トレーナーを捕まえただけの運だけのウマ娘。それが今度は三冠ウマ娘にトレーニングをつけてもらっているとか。しかも向こうには現役最強のウオッカ先輩までいる。
ジョーダンに嫉妬が集まらないわけがない。スカーレットはそんな大体の事情を察した。
まあ仕方がない。有名税のようなものだ、スカーレットにも若干の経験はないでもない。だがそれはジョーダンが勝ち続ければ解決する。その嫉妬は羨望へと代わり、やがて尊敬へと変わり、憧憬へと変わっていく。そのウマ娘に応じた感情を向けられるようになる。世の中とは上手いことできているものなのだ。
「……う、うぐぐぐ……」
ぴくりとスカーレットの耳が動いた。ジョーダンの呻き声に振り向いたら、相変わらずヤムチャみたいにボロボロになっているジョーダンが──立ち上がった。
(一時間は立ち上がれないようにしたつもりなのに、5分で立った──やるじゃない。スピードもスタミナも全然だけど、根性だけはあるみたいね)
──ジョーダンは根性ありますよ。そんな明日原の言葉が聞こえたような気がした。確かに根性はある。
だがそれだけでは足りない。全く足りないのだ。スピードもスタミナもパワーも賢さも、そして肝心の根性も足りない。
「みんなごめんね。後輩が頑張ってるから、アタシも付き合ってあげなきゃ──それと、あんまりあの子を見下さない方がいいわよ」
気に入った。特に根性だけでやり切ってやろうという潔さが気に入った。きゃぴきゃぴしてるヤツかと思ったけど、思いっきり泥臭いウマ娘だった。突き抜けたバカは真っ白なキャンパスだ、どうとでも染まる。
「──あいつ、根性あるから」
明日原が見込んだのだ。それぐらいでなければ。
悪戯げに笑ってスカーレットは背を向けた。戸惑う後輩たちは、忌々しげにジョーダンを睨んでいたが、ジョーダンはそれに気がつくとむしろニヤリと笑って手を振った。少なくともタフさだけは順調に鍛えられているらしかった。
──スカーレットが満足げに息を吐いた。
昼間からこっち、ずっと並走していた。それも手を変え品を変え、どうすればいいのかをジョーダンに考えさせつつ、その上でその走りを叩き割る。そういうことをしていた。普通なら──というか、圧倒的な実力者にそんなことをされれば心が折れるかキレるかのいずれかだったが、少なくともジョーダンはその圧倒的な根性で耐え切った──
(殺す……絶対、いつか、殺す……)
──訳ではなかった。しっかりキレていたが、実際のところは体が動かないのでどうしようもないだけだった。
(……いじめだ。あのクソ女王、あたしをいじめてる。こんなのトレーニングじゃないって。マジで……)
ジョーダンは涼しい顔でドリンクを口に含むスカーレットを地面から睨み上げていた。その横でつまらなさそうな顔をするウオッカも一緒に睨んでやった。
ウオッカもウオッカだ。無表情で追い込んでくるのが怖い。嫌ならやめてもいいんだぜってツラをずっとしてるのも癪に触る。その程度だと思われているんだ。
(ムカつく。ずっとつまんなさそうなカオしてっし、スカーレットパイセンとはなんか一回別れた彼氏と彼女みたいな雰囲気だし、もうワケわからんし)
ふとスカーレットがそんなジョーダンの様子に気がついて、やはり笑った。いや嗤った。
「ジョーダン。あんたは根性あるわ。でも足りないの。なぜならあんたよりも才能のある連中は山ほどいるから」
分かっている。そんなの知っている。
「あんたよりも努力してる連中だって山ほどいるわ。あんたよりも速く走れるヤツも、頭のいいヤツも、スタミナあるヤツも、パワーあるヤツも──それこそ、あんたより根性あるヤツも、ね」
心のどこかでは慢心していたのかもしれない。なんだかんだ言ってジョーダンは、あの時の選抜レースでしか負けたことがない。それ以降は明日原とともに合計3回のレースを1着で勝ってきたのだ。だがスカーレットは足りない、と繰り返した。
「足りない。ぜんっぜん足りないのよ。全部よ。あんたに足りないものは、勝つために必要なものの全て」
スカーレットは優しく見下ろした。見下した。
「情熱、思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉さ、そして何よりも──」
スカーレットは手など差し伸べなかった。自分で立ち上がってみろよといつでも挑発している。出来るものなら、と。
「速さが足りない」
──それはクーガーの台詞ですが。そんな真面目にアニメの台詞を言わないで欲しいところではあった。この場に加賀か明日原がいればそんなツッコミが入ったのだが、残念ながらツッコミは不在。そのため、倒れ伏すジョーダンとスカーレットが睨み合っていた。
「お疲れ様でした、スカーレット。ジョーダン」
そこに差し込んだ一筋の光。明日原がトレーニングに顔を出した。
「明日原! 何してたのよ、あんたトレーナーならちゃんと見ときなさいよね! っていうかちょっとこのジャージサイズ小さいんだけど? ちゃんとしたもの用意しときなさいよ」
君が最後に使っていたサイズと同じです──と言おうとして、明日原はそれが藪蛇であることを悟った。何も言わないんのが得策だろう。嘘だろ?
「申し訳ない。ところでジョーダンは──」
「………………ん」
ジョーダンは相変わらずヤムチャみたいに倒れたまま恨めしそうに明日原を睨んでいた。自分が仕組んだこととはいえ、苦笑いするしかなかった。
「起きられますか?」
手か何かを貸そうとした明日原にスカーレットが割り込んだ。明日原には見えないように悪い顔をしていた。
「いいわよ、こいつの面倒はあたしが見るから。それより明日原、これからご飯連れてきなさいよ、あたしをタダで使えるとでも思ってんの?」
「……了解しました。ジョーダン、君も来ますか」
スカーレットが明日原に見えないようにすごい眼でジョーダンを睨んだ。来るな来るな来るな来るな──と、爬虫類のような鋭い視線がジョーダンに突き刺さっていた。
「ん、行くわ……パイセン、あたしラーメン食いてーっす」
どこ吹く風:レース中盤に囲まれると持久力が回復する。
ジョーダンはボロボロの顔でニヤリと笑った。あくまで不敵な笑みで、スカーレットを見た。スカーレットの方は青筋が浮かんでいるし、口元がピクピクしている。
明日原は嫌な気配を感じ取ったが、特にどうすることもできなかった。というかこれが目的だったと言っても過言ではない。スカーレットをぶつけてジョーダンを強くする、その目的は順調だった。
「ウオッカ──は、もう帰りましたか。残念です」
ただ一人、ウオッカの存在だけが気がかりな中、もうなるようにしかならないと静かに明日原はある種の諦めに至った。
「ラーメンならアタシのおすすめのトコがあるわよ。食べ切れるかしら?」
「じょーとーっす。まーあたし現役なんで? ちょっと食べ過ぎちゃうかもっすけど、まあパイセンは気にせずちょっとだけ食べりゃいいんじゃないっすか? デブっちゃっても大変っすよねー」
──煽った。これはアレだ、大食い勝負だ。
明日原は静かに空を仰いだ。お金、足りるかなぁ……。
「へぇー……。口だけは達者なんじゃない? いいわよ、ちょっとだけ先輩の威厳を見せてあげるわ。明日原!」
「……ほどほどで、お願いします。いえ、本当に……」
その後のラーメン20店舗切りに関しての顛末は割愛する。