「当然、冗談に決まってんじゃん?」   作:にゃんこぱん

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痛いフリをした

 翌日。

 

 朝のトレーニングを終えたオルフェーヴルは、どうにも授業に出る気にならず、珍しく授業をサボることにして、校内を歩いていた。

 

 サボることにしたはいいが、用務員さんとかに出会うと授業をサボっていることがバレる気がして、なるべく人気のないところを選んで、隠れ潜むようにしている。そうなると校舎から離れ、足はターフへと向かうことになる。

 

「……おや」

 

「あ……」

 

 キッチリとしたスーツでターフを見下ろす明日原が、意外そうな顔をしてオルフェーヴルを見ていた。

 

「君がサボりとは珍しいですね」

 

「……か、加賀さんとかには、内緒にして欲しいっス」

 

 加賀が凱旋門賞に挑んでいる間、オルフェーヴルは明日原の元でトレーニングを行なっていた。人見知りのオルフェーヴルの数えるほどしかない関係の一つだ。ジョーダンのトレーナーということもあり、ある程度心は許していた。

 

「さて、加賀さんへ報告するかどうかは、サボっている理由に左右されます」

 

「う……」

 

「言いにくそうですね。とはいえ、無理に聞き出すことでもありません。話したくないのなら、それでも構いません」

 

「……っス」

 

 今は明日原の適度な無関心さがありがたかった──ナカヤマに対して切った啖呵は、(当然のことながら)その後のオルフェーヴルの心境に大きな影響を与えている。それを悲しいだとか、辛いだとか単純な言葉で表せるものではない。

 

「……明日原さんは、何してるっスか?」

 

「サボりです」

 

「えッ!」

 

「冗談です。ただの気分転換ですよ」

 

 部屋の暖房が効き過ぎたので、頭を冷やすついでに散歩をしていただけだ。それはまあ、サボりと言って差し支えないが。

 

「ジョーダンの次走の戦略を詰めていましたが、煮詰まってきたので」

 

「……ジョーダンセンパイの、次走──有、記念」

 

「ええ。しかし実のところ、出走メンバーの確定前からそんなことを考えるのも、少々不毛でしてね──いい機会なので聞いておきましょうか。オルフェーヴル、君──有には?」

 

 オルフェーヴルの心臓が、ドクンと跳ねた。緊張による心拍数の増加を落ち着けるように、オルフェーヴルはゆっくりと息を吐いて、口を開く。

 

「出るっス」

 

「……やはりそうでしたか。となると、なかなか厳しい戦いになりますね」

 

「……あの、明日原さん。聞いても、いいっスか?」

 

「それには及びません。君の質問を言い当てて見せます」

 

「えッ?」

 

「ジョーダンの引退について。……合ってます?」

 

 少しおどけたように笑う明日原だが、オルフェーヴルは驚きが顔に出まくっていてそれどころではなかった。

 

「なッ……なんで、分かったっスかぁ!?」

 

「ああ、そういえば君には言っていませんでしたね。僕はエスパーなんですよ」

 

「ええええッ! エスパー……えええええええッ!? アタシの周りにエスパーが多すぎるっスッ!!」

 

 ここに来て衝撃の事実が発覚。彼女が揶揄われていると気がつくのは一体いつになることやら。

 

「なッ、えッ……つまり、つまり明日原さんも、アタシが何考えているか分かるッスか!?」

 

「ええ。それで、ジョーダンのことを考えていたのでしょう?」

 

「えッ、あぁ、はいっス……」

 

「ジョーダンの引退については、彼女との話し合いの上決定しています──」

 

 

-

 

 

『あっすーッ! 次、あたしの最後にすッからッ! よろッ!』

 

 

-

 

 

「──尤も、あれを話し合いと呼ぶのなら、ですが……」

 

 苦笑いを浮かべる明日原に首を傾げなからも、やはり決定していたジョーダンの引退にオルフェーヴルは暗い顔をした。

 

「ファン投票解禁日に合わせて発表する予定です。……前準備を貰えるだけ、前よりはマシですが」

 

 思い返すのも恐ろしいいつだかの有記念の記憶が明日原の脳裏をよぎった。まあそれは、今は関係のないこと。

 

 オルフェーヴルはやはり、受け入れ難いものを感じて俯いている。

 

「……別れは寂しいものです。しかし、受け入れねばなりません──寂しいのは、ジョーダンも同じです」

 

「え……」

 

「君の前では、そのような振る舞いは決してしないでしょう。君の存在は、ジョーダンにとっては大きいものです。可愛がっていた後輩ですから」

 

「……ジョーダンセンパイ」

 

「君に思うところがあるのは、まあ……見れば分かりますよ」

 

「……っス。エスパー、っスもんね」

 

「えっ、ああ、はい」

 

 エスパーの設定は面倒だな、と明日原は思った。それでも冗談と明かすのは勿体無い気がしたので否定はしないが。

 

「それで──君はどうするのですか?」

 

「……アタシの頭ン中、分かってるはずっス。エスパーだから」

 

 エスパーの設定は面倒だな、と明日原は思った。

 

「……言葉にすることが大切です。そういうのは」

 

「な、なるほど……そうなんすね」

 

「はい。思考は……混沌としたものです。決して一つに定まっているわけではなく、揺れているもの──それを決めるのは君です。君は、どうしたいのですか?」

 

「……分かんないっス」

 

「分かんないですか──」

 

 分からないなら仕方がないだろう。オルフェーヴルは本当に心が決まらないというか──しかし、これに文句をつけても仕方ない。

 

「……しかし、それにしてもこう、なんかないのですか? 走れば分かるというか、そういう感じの……」

 

「無いっス……」

 

「うーん……。君はなんというか、本当に走るのが好きではないんですね」

 

「……そ、そんなこと……ないっスよ。ランニングとかは、割と好きっス……」

 

「ああ、いえ……レースが、という意味です」

 

「それは……はい。っス……」

 

 言いにくそうに答えるのは、やはり後ろめたさを感じているからだろう。こんだけGⅠを勝っておいて舐めたことを言っているが、事実ではある。

 

 "変わりたい"、その願いのために走り始めたことと、レースを好きになるかどうかは別問題だ。

 

「それでも、君は有に出ると決めました。それは何故? 何の為に?」

 

「…………」

 

 ナカヤマフェスタに対し、うっかり大口叩いたからです、とは言えない──

 

「なるほど。つまり売り言葉に買い言葉で、うっかり大口を叩いてしまったと」

 

「ええええええッ! なッ、なんで分かったっスかぁッ!?」

 

「えッ、本当っスか」

 

 思わずオルフェーヴルの口調が移ってしまった。適当にそれらしいことを言ってみただけなのにまさか的中するとは。

 

「い、いや……エスパーっスもんね……そりゃ、分かるっスか──そうっスよッ! アタシ、なんか雰囲気で色々言っちゃってェッ! もう後には引けない感じのォッ!」

 

 なんか、色々と台無しだな、と思ったが──。

 

「なんかナカヤマセンパイが色々言ってきたからァッ! ジョーダンセンパイはアタシになンも言ってくンないしッ! アタシだって……言いたいこと、いっぱいあるのに……みんな、過ぎ去って……アタシを置いて行くンすよ……」

 

 まるで捨てられた犬のような哀愁が漂っている──寂しさと悲しみの混ざったオルフェーヴルに掛けるべき言葉はあるだろうが、それは自分が言うべきことではないと明日原は判断する。

 

「では──君も言いたいことを言えばいい」

 

「……アタシは、口下手で……話すのが、苦手っス……」

 

「──ならば、その感情を走りに……レースで、ジョーダンにぶつけるんです。きっと──受け止めてくれますよ。彼女は」

 

「……!」

 

「言葉になどしなくていい。一緒に走れば、きっと伝わりますよ」

 

「……そう──すれば、いいッスね。そっか……そうしたらいいんスね。分かったっス──アタシッ、そうします──そうしたいッス!」

 

「ええ。微力ながら、応援していますよ」 

 

「ありがとうっス、明日原さん! アタシ、ちょっと走ってくるっス!」

 

 珍しく軽やかな足取りでターフに降りていくオルフェーヴルを、明日原は少し後悔しながら見送った。

 

「……敵に塩を送ってしまいました」

 

 それでも、彼女の走りを楽しみにしていることは事実だ。最後を飾るレースならば、役者も豪華どころを揃えたい。ふっと笑みをこぼすと、明日原も部室に戻ることにした。この後記者の取材がある。

 

 

 

 

 

・トーセンジョーダン、引退を表明

 

 トゥインクル・シリーズにて活躍中のウマ娘、トーセンジョーダンが次の有記念をもって引退することが、今月10日に表明された。

 

 トーセンジョーダンは去年の皐月賞、先日の天皇賞・秋の覇者であり、現在のレースシーンにおいても大きな存在感を持つウマ娘だ。2000mコースレコードを塗り替える、現代最速のウマ娘とも言われており、今月末の有記念にて現役最強ウマ娘ブエナビスタとの決戦が注目されている。

 

 ジュニア期は三冠トレーナーである明日原トレーナーの元で頭角を表すが、ホープフルステークスは苦しい結果に終わった。クラシックに入ってからは見事皐月賞を勝ち切るが、その後爪の故障が発生し、ダービーと菊花賞を回避することになった。

 

「やー、たらればの話はあんましたくないンすけどー……。やっぱり今でも悔しいなって思っちゃうことありますよ。それも含めて実力だなって、最近は思うっすけど」

 

 故障や身体能力の低下により引退していくウマ娘が大半を占める中、引退を決めたのは自分の意思だという。

 

「体はマジ、過去最高って感じで。でも、多分あと何ヶ月もしたら段々下がってくんだろうなってなんか分かって。ダラダラやるだけのはヤだったンすよ。3年間って、マジでいい区切りだなーって。それに、卒業したらやりたいことが出来たから」

 

(穏やかに微笑むジョーダンの写真)

 

「色んな人に助けてもらって、応援してくれる人たちもたくさんいて──3年前と比べると、なんか遠いとこまで来ちゃったなーって。だから──結果で応えたいです。どんな結果になっても、ファンの人たちに後悔なんてさせないから」

 

 トーセンジョーダン、現役の最後を有記念に期待が高まる。

 

(後略)

 

 

 

 

-

 

 

 

 

「──それで、ナビはどうするの?」

 

「どうするって何です?」

 

 レース雑誌をパラ読みしているブエナビスタはダラけている。ソファーに体を預けて退屈そうに目を通しているページには、ジョーダンの写真。

 

「ジョーダン卒業しちゃうよ。そろそろちゃんと決めないと、次の進路に間に合わないよ」

 

「あれ。言ってませんでしたっけ?」

 

「いや真面目な話で。私、マネージャーだから」

 

「次で終わりですよ?」

 

 あっさりと──ナビが言うので、アケノは最初、聞き間違いだと思った。ソファーに寝っ転がるナビは、まるで真剣な様子もなく、今日の夕食の話でもしているかのようだ。

 

「……え?」

 

「しっかし、なンですかこの記事。ジョーダンったら猫被っちゃってェ〜……真面目ちゃんかよ。すっかり大人ンなっちゃってさァ〜」

 

「待って待って待って。え……ちょっと? 何、なんて?」

 

「アケノと一緒に卒業するにゃーって」

 

「……本当に終わっちゃうの? もったいないなあ」

 

「いーんです。みんな卒業しちゃうんだもん」

 

「ちょっと、そんな理由で決めたの?」

 

「いやー、高校4年生はいーかなーって。それに私も大学生ってヤツに興味! あります! 人生の夏休み!」

 

「勉強しに行くんだよ? はぁ、遊びじゃないんだから」

 

「んーん、いーんです。私もずーっと頑張ってたんだし──まあ、ちょっとぐらいサボったってバチは当たらんでしょ」

 

「……」

 

 ブエナビスタの軽口にアケノは何とも言えない表情を浮かべた。ブエナビスタは誰よりも勤勉に、真面目にトレーニングに取り組み続けてきた。勉強、トレーニング、それにメディア関係の仕事もかなりの量をこなしてきた。

 

 社会人よりもよっぽど忙しいスケジュールの中で結果を出し続けてきたのである。自由時間はほぼないに等しい。軽口は叩いても、弱音など欠片も見せなかったナビの──ささやかな願い。

 

「……はいはい。ま、ナビの人生だから、そうするって決めてるなら私からは何も言わないよ。でもどーせどの大学に行くかなんて決めてないんでしょ?」

 

「だりぃっス。あーゆーのは面倒ですね。アケノー、良さげなとこ教えてください〜」

 

「まったく。仕方ないなぁ」

 

 ワガママばかりのブエナビスタだが、誰かに甘えることなど滅多にない。アケノは数少ないその対象で、その親愛をアケノは嬉しく思った。

 

 ナビの成績であれば大学レース関係でどこにでも行けるだろう。学力も問題ないし、進学先には困らない。後で資料をまとめておこうと、アケノは心に留めておいた。

 

「桐生院さんには言ったの?」

 

「まだにゃ」

 

「早く言ってあげなよ。心配してたんだから、ナビのこと」

 

「わーってますよ。つか、今決めたばっかなんで」

 

「あのねぇ。引退関係は結構面倒なんだからね、特にナビみたいなヒーローは。多分会見開くだろうし、各メディアへの出演でしょ、URAからの表彰もあるし引退式もやんないとだし。あ、引退ライブやりたい?」

 

「ウイニングライブで十分でしょ。どーせ私がセンターなのでね」

 

「出たよ。ま、そういうことなら色々手配しておくよ、桐生院さんに相談しなきゃ」

 

「あ、卒業旅行も行きたいです。てか海外行きたいです、フランス行きましょうよフランス」

 

「トレーニングしてなさい。未来のことを話すと鬼が笑いますよ」

 

「んにゃ、鬼じゃなくてナマハゲでしょ」

 

 口の減らないブエナビスタにアケノはため息を吐いた。

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 ──嵐のような走り方をする、と加賀は思った。

 

 ウマ娘の走りには個性が現れる。競り合いを嫌って前に行きたいタイプ、駆け引きを好んで盤面を良く見るタイプ、身体能力一本で勝負するストレートなタイプもいる。

 

 走り方には性格が現れる。走る時の歩幅、ストライドは体格に左右される部分が大きい。その点でオルフェーヴルは小柄で小回りが効く──などという先入観を、加賀はもうとっくに捨てていた。

 

「……何があったんだ? あいつ……」

 

「ほー。ありゃ、間違いねえ。ガイアの波動に目覚めてやがるぜ」

 

 先日までとは別人と表現していいその走りは、スピードもさることながら走る姿がまるっきり違っていた。迷いのない走り──誰かが入れ知恵をしたのだと、加賀には分かった。

 

「そんで、まさか……ウインバリアシオンが並走を申し入れてくるたぁな。流石に読めんかったぜ」

 

 オルフェーヴルに追走するもう一人のウマ娘、ウインバリアシオンも真剣な表情で走っている。相変わらず泥臭い走りで、加賀は嫌いじゃなかった。埋められない力の差を、少しでも埋めようともがく凡人の努力。最も、ウインバリアシオンも一般的な目線からすれば十分に天才の類だが。

 

「──ハッ……そうか、分かったぜ──やっぱり海老だッ! 昆布で鯛を釣るッ!」

 

「……お前さんもそろそろトレーニングしろよ。俺ぁちゃんと、メニュー作ってきてんだがなぁ」

 

「あぁん? 見せてみい」

 

「ほれ」

 

 加賀と並んでトレーニング風景を眺めるだけだったゴルシは信じがたいことに通常運転であり、加賀も半分諦めている。これでレース成績は良いのだから、加賀としてはどうしていいのか分からない。

 

 あまり期待せずにトレーニングメニューを渡すと、ゴルシは3秒ほどで上から下まで目を通し、言った。

 

「ほーん。大体理解ったぜ……じゃ、行ってくるわ」

 

 ポイっと紙切れを放り投げて、ゴールドシップは歩き出した──ターフとは真反対の方向へ。

 

「おい、長距離トレーニングだぞ。どこ行くんだよ」

 

「はっ。加賀ぁ──オマエは誤解してるな。アタシに必要なのは、スタミナじゃあねえんだぜ」

 

「……なに?」

 

 加賀は怪訝な表情を浮かべた。ゴールドシップは一見訳の分からないことばかり言うが、その実IQは相当なものだと知っている。ともすれば、自分よりもずっと──そんなゴルシが意味ありげなことを言ったので、加賀としては真意を聞きたいところだ。

 

「じゃあここで海鮮クイズだーッ! えー、酒のつまみを肴と言いますが、この語源は次のうちどれだッ! ①、肴を"アテ"と読むことから、酒に宛てがうという言い方からッ! ②、生き物の方の"魚"がつまみに適していたことからッ! ③、そのどちらでもないッ! さあどれだッ!」

 

「……②、だ。分からんが……」

 

「はい、じゃあまた来週だーッ!」

 

 突如始まった海鮮クイズの答え合わせを放り投げてゴールドシップは走り出し、そしてその背はすぐに見えなくなっていった。おそらく正解ではなかったからどう──加賀はなんとなくそう感じてため息をついた。

 

 まあなんだかんだ結果は出すだろう。たぶん。加賀もゴルシの輝くようなポテンシャルを感じてスカウトをしたような背景があるので──最もあれは逆スカウトの皮を被った脅迫だったが──最後には信じるという丸投げな結論に至る。ゴルシに限ってはトレーナーとかいらないのではないかという疑問には、蓋をしておく。

 

 

 

 

 

 乱暴にタオルで汗を拭ったウインバリアシオンの瞳が鋭くなかったことなどない。顰めっ面か、苛立ちか、鬱陶しさと、焦げ付くような不機嫌さの中に──怒りが混じっていないことに、オルフェーヴルはようやく気がついた。

 

「……チッ、伸びねェ」

 

 記録用紙を放り投げて舌打ちを一つ。

 

「テメェは順調らしいな。誰に吹き込まれたか知らねェが、その気になりやがって──三冠ン時ァンな気合い入ってなかったろうに」

 

「……ふ、吹き込まれたワケじゃない──っス」

 

「あ?」

 

「気付かされただけっス。あ、アタシの中には……ずっと"それ"があって、アタシは気がつかなくて……でも、ずっと"それ"はあったっス。アタシが気がつかなかっただけで」

 

「……テメェらしくねェ、無駄に気取った言い回しだ」

 

「え、えへへ。受け売り、っスよ。頭、良さそうに聞こえるっス」

 

 感情を言葉で表現する必要はない。特にウマ娘であれば尚更だ。形のない感情を表すのに、具体的な言葉では不適切な場合もある──いや、その方がずっと多いだろう。だからオルフェーヴルは、走ると決めたのだ。

 

 誰のためでもない、自分のために。

 

「……勝つためには走らねェ、と?」

 

「えッ……っと。ど、どういう意味っスか……?」

 

「横で走りゃ嫌でも伝わってくるンだよ。後ろから競り掛けると、大抵はスピードを上げるもんだ。結局のとこ、オレたちが最も力を発揮しやすいのは叩き合いだからな。本能的なモンだろ、だが──オマエにはそれがない。いや……わざわざやる気を出す必要すらない」

 

 理解の追いついていないオルフェーヴルが、いつも通りに首を傾げた。

 

「……分からねェモンだな。テメェは誰も必要としない──だってのに、ヤツが必要だってのか?」

 

「ヤツ?」

 

「察しの悪ィ……トーセンジョーダンに決まってんだろうが」

 

 ──今更、オルフェーヴルが泣いて頼んだって、トーセンジョーダンの引退は決まっている。どんなに頭を下げたって変わらない、変えられないだろう。

 

 では、なぜ?

 

「……ジョーダンセンパイが、アタシと走りたいって思ってるって……聞いたっス」

 

「はッ、それで?」

 

「なんでだろうって思ったっス。ジョーダンセンパイはアタシに勝ちたいっスか? もしかしたら、アタシにセンパイを倒させたいのかも……とか、考えちゃって」

 

「……」

 

「……アタシと一緒に走りたいって、なんでだろうって……考えてたら、分からなかったっス。だけどアタシは良いことに気がついたっス」

 

 じろ、とウインバリアシオンは視線で続きを促した。オルフェーヴルが胸を張って答える。

 

「もやもやしてても、走ればスッキリするっスッ!」

 

 なんか、こいつはバカだなとウインバリアシオンは思った。残念なものを見る目を向けられていることにも気がついていない。

 

「言葉にする必要なんかないっス。全部走りに──レースにぶつけてやれば良い──って、明日原さんが教えてくれたっス。だからもう、アタシはウジウジ悩む必要なんて無くなったんスよ!」

 

 なぜ自らの言語化能力の無さを棚に上げて誇れるのか、ウインバリアシオンには理解し難いものがあったが、それも解決策の一つではあるのだろう。特に、オルフェーヴルには。

 

「……どうだかな。いつまでもそんな調子じゃ、テメェは後悔することになるだろうぜ」

 

「えっ? なんでっスか?」

 

「感情を言葉にするってのは向き合うってことだ。テメェのそれは、一種の逃げだろ。都合のいい逃げ道を見つけて、解決したような気になってやがる──実際にはンなこたねェ。言うべき言葉を、言うべき時に言えなかったことを──テメェは後悔する、必ずな」

 

 

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