ようこそ享楽至上主義の教室へ 作:アネモネ
明日、明後日も投稿します。
【過去編1】
「今日から私が君のお世話係を拝命することになったわけだ。ま、よろしくね」
男は朗々と語った。
「君の父親? さあ、知らないねえ」
男は堂々と
「カモノハシは好きかな? 可愛いよね。でもあんな見た目して、オスのカモノハシの
その理屈でいくとお前の言葉も信じられないが、と話すと、男は微笑を
「よく分かってるじゃあないか。
男は理解を
「君が人の輪に加わることは不可能だ。せめて契約を重んじるといいよ。裏切るなら最高最悪のタイミングで、それが最も効率がいい」
男は──────
【過去編2】
「あー、やっとこさ帰れるよ」
朝顔の鉢植えを持ち、背負ったランドセルを揺らしながら。少女は歩いていた。
夏休みが近い今、1年生はこの朝顔を持ち帰る必要がある。優等生と評価されている彼女は、風邪で休む後輩の家に届けるよう教員から頼まれ、こうして頑張って持ち運んでいるのだ。
「今日の番組は絶対にリアタイで見なくちゃ……!」
家路を急ぐその足取りは早い。見たい番組が始まる前に着くこと。それが今の彼女の使命であった。
朝顔を下級生の家にお届け、その後すぐに自分の家に帰る。幸いと言うべきか当然と言うか、両者の家は近い。普通に帰宅すれば問題ない、はずだった。
通学路を進んでしばらくすると、行く手が何やら騒がしい。聞こえてくるのは怒鳴り声やら罵詈雑言やら。この地域ではよく起きていることとはいえ、少女は呆れを隠せなかった。
進行方向には学ランを着た男子の集団。中学生、いやもしかすると高校生なのかもしれない。小学生である少女にとっては中学生も高校生も大して変わりなく見えるものだ。
回れ右をして別の道を行くか。少女は悩んだ末、このまま突き進むことを選択した。タイムロスは避けたかったのである。
幸い、少女は頼もしい武器を所持していた。そう、防犯ブザーだ。音を周囲に撒き散らすこれを投げてから少し待てば、あの集団もどっかに消えるだろう。
しかし実行には一つ問題があった。ランドセルにつけてある防犯ブザーを使うには、両手を塞いでいる朝顔が邪魔なのだ。一旦手放さなくてはならない。
他人の朝顔に何かあってはまずいので、きちんと安全な場所に置こうと少女が考えていると────
「お嬢ちゃん、何してんだ?」
テンプレ通りの不良がテンプレ通りの態度でテンプレっぽい言葉を吐きながら背後に出現した。あの集団と同じ制服を着ているところからするに、仲間と見える。
「……下校中です」
真実そのものだったが、彼にとっては満足のいく答えではなかったらしい。騒がれてしまったことにより、集団のほうも少女の存在を知る。不良のサンドイッチ、彼らに挟まれる形になった。
そして、少女はあることに気づいた。不良の集団が集まっている原因がようやくわかったのだ。
──男子。それも同い年くらいの。
何が起きたのかはわからないが、多対一の喧嘩となっているようだった。
不良に囲まれ痛い目に遭っている少年の姿に、少女はどこか見覚えがあった。同級生……もしかするとクラスメイトなのかもしれない。顔が見られればはっきりするであろうが、その暇は無さそうだ。
少女にとって、少年がボコボコにされようとどうでもいい。優先すべきは時間内にテレビの前へ座ること。
状況を踏まえ、少女は即座に決断した。
「あのう、道の邪魔なのでおどきになってはいただけませんか?」
対話。穏便に済ませることが出来るならそれが一番である。
「あ? ふざけてんのか、このガキ」
しかし悲しいことに上手く話が通じなかったらしい。少女はめげずに、今度は彼らにも理解できるようにと口を開いた。
「ぶつくさ言ってねーでさっさとどけよテメーら」
「おい、なめてんじゃねぇぞ!!」
不良どもが激高する。対話というものはやはり難しいものだと少女は改めて実感した。
せっかく彼らに合わせた言葉を選んだのに何故だろうと不思議に思う。
──ま、全員倒せば追ってくることもないか。
少女の頭は悪くはないのだが、色々と残念な思考をしていた。
そしてこれが大言壮語にならないだけの力を有しているのであった。
「よし、朝顔も無事、時間もまだ余裕あるね!」
あっという間に、少女以外の人間は皆地面に倒れ伏すこととなった。その惨状を一瞥もせずに彼女は道を急いだ。
それから時が経ち、少女がこの出来事をすっかり忘れていた頃。彼女のクラスではちょっとした異変が起きていた。
普段登校しない男子生徒が、何故かきちんと授業に出るようになったのである。
少女はこの少年が自分の周りを嗅ぎ回っていることに気がついていたものの、特に問題視はしていなかった。探られるのには慣れっこなのだ。
ただ、真正面から接触されると話は別である。
「おい、テメエ」
少年の言うことを端的にまとめるとこうだった。
彼と不良たちが揉めていた際、通りすがりの少女が全員倒していったが、あれは余計な手出しだったと。幸い、あの不良たちは「小学生の少女に絡んだら逆に完膚なきまでに敗北した」という事実を広めるのは嫌だったらしくあの時のことは無かったことにしていた。
よって少年は彼らに再び挑みリベンジを果たしたそうだ。
「へー、良かったね。おめでとう!」
「おちょくってんのか?」
心からの祝福だったのに、少年は馬鹿にされていると感じてしまったらしい。人と人が分かり合うことの難しさを少女は考えさせられた。
「次はお前だ。勝負しろ」
「え、やだけど。私にメリット全く無いし」
正論である。少女はきっぱりと断った。こういう時はノーをはっきり突きつけたほうが良いことを知っているのだ。少女は「NO」と言える日本人だった。
しかしながら、少年は蛇のように執念深かった。それからと言うものの少女をしつこく追い回したのである。
面倒くさい、それが彼女の本音だった。
彼女は察していたのだ。この少年と勝負して勝ったところで、彼はまた何度も挑みに来ることを。
かといってクラスメイトを手にかけるのは流石に気が引けた。
勝負勝負とうるさい彼を黙らせるにはどうすればいいか。少女は頭を捻った。
そして、少年にこう告げることにした。
「面倒くさいから殴って満足するなら好きなだけ殴っていいよ」
──龍園君もわかってくれるだろう。私は彼の敵に成り得ず、彼が私の敵になることもまた、無いことを。
この結果は────────
【過去編3】
「さて、
「気に入らない人間を誰でも好きに殺せるようでは、社会が立ち行かなくなるからでしょ」
男からの問いに、少女は億劫そうに答えた。
「そうだね。働き手などにバタバタ死んでしまわれ歯車が欠けると、文化的な生活というものは難しくなっていく」
「加えて、誰でも殺せるような環境とはつまり誰からでも殺されるリスクがあるということになる。他者に殺されたくないから、他者を殺さないようにする。殺し殺されることが当然の場では殺人罪は適用されない。戦場とか」
「あはは、そこらへんは国際法の問題になってくるねえ。まあ、道理は道理だ。人は社会で生きていけるように法律を作り、遵守している」
殺し殺されることが当然の場。つまりデスゲームの類いにおける殺人は少女の理屈では罪にならないことを、男は察していても言及することは無かった。
【過去編4】
帰り道。雨が降っていた。水滴が強く激しく傘にぶつかる。そんな、篠突く雨。
「あれ……?」
不思議な状況だった。自分の住処の前に人がいる。男物であろうシンプルな傘が邪魔でその姿ははっきりとは分からない。背丈は低く、子ども、同年代くらいだと遠目には見えた。
来客の予定なんてあったかしら、と少女は首を傾げる。思い当たることはないが、聞いた方が早いのは確かだ。
水たまりを避けながら、歩く。ゆっくりと。
「ああ、君だったか」
近づけば、不審者の正体は知り合いだとすぐに判明した。同じ小学校の男子生徒、龍園翔。
「き────」
「ククリって呼んでねってば。それで、どんな用? 何でうちに?」
言葉を遮り矢継ぎ早に聞けば、少年は言い放った。
「入れろ」
「…………友達の家で遊ぶの、初めて?」
拳が飛んできたので、よける。
──今はあまり良くないのだけど。
仕方ないか、と片付けて少女は少年の放り出した傘を拾い、畳んだ。自分のさしていたものを渡し、告げる。
「外は冷える。濡れると余計に。お風呂くらいなら、貸すよ?」
外観も中身も普通だった。非凡な少女の家が平凡とは、と当てが外れた気分になる少年の前に、茶が出される。あら探ししようにも出来ない、完璧なもてなしだった。
「んーんー、自分から招いといてあれだけど、パパが帰ってくる前に帰ることをオススメしたいかな」
「今更客を放り出すのか?」
「だって。ちょっと恥ずかしいじゃない? 父親に会わせるって。でも、何時帰宅か分かんないのが困るんだよね……」
少年は、少女の強さの秘密を探りたかった。故に、まだ全く調べられていない状態で逃げ帰る気は毛頭なかった。
「本気で、会うのはやめた方がいいと思うんだけどな」
その言葉の意味を、少年はすぐに知ることとなる。
「龍園翔──ああ、君が。なるほどねえ」
リビングに足を踏み入れたのは、異様な男だった。特筆すべき容姿というわけではない。むしろその逆。どこまでも普通で、知り合いだったとしてもどこかですれ違ったところで気づけないような。知り合いではなかったとして、挨拶されれば「もしかしたら知人にこういう人がいたっけ?」ととりあえず返事してしまうような。
黒髪黒目。その点は少女と同一でも、顔の造形は全く異なっていて、まるで血縁とは感じさせない男だ。
「京楽
「いらない情報が多いよ、パパ」
「ははっ。最近は悲しいことに『私の服はパパのと一緒に洗っちゃ嫌!』なんてことも言われちゃっててさ。ともかく、
この台詞を受け取った少女はぎゅっと少年の腕を両手で抱いた。きちんと配慮したのか、一般的な人間程度の力で。
未だ止まぬ雨の音が、微かに響いていた。
少女が男を睨む。男は、少年を──おそらくこの瞬間に、初めて本当に視界に入れた。
空気が変わる。
呪われそうな瞳だと、少年は思った。ありとあらゆる感情が内包されているのに、その底はさっぱり見えてこない。
自分にかかる重力が何倍にも膨れ上がったようにすら感じる。少しでも気を抜けば、すぐさま
ドクドクと、少女の鼓動が手のひらから伝わる。唯一それだけが、現実感を留めていた。
「パパ」
少女は繰り返す。
「駄目だよ、パパ」
「…………はは」
乾いた笑いが男の口から漏れた。
「友達だから。違うよ」
途端。まるで、全てが幻だったかのように。ふっと圧力が消えた。
「そっかー。なら良かったよ、本当に」
それからの男の対応は、極めて親切なものだった。
「やれやれ。うちのお姫様は、何をむくれているのかな」
少年が去った後。二人きりのリビングにて、少女は木で鼻をくくったような態度で返した。
「わからない?」
「うん、分かりかねるねえ」
悠然と泰然と平然と。男の調子は変わらない。
「あなたの。彼を害そうとする気持ちは、本物でした」
「それが?」
粛々と、少女は会話を進める。
「私の意に沿わない事柄です」
「ほう、そうだったのか」
男は
「私に。あなたを、不必要と思わせないでください」
しん、と数瞬の間。部屋が静まり返る。
「なるほどなるほど。つまり、『パパのこと嫌いになっちゃうからね!プンプン』ということかな」
少女は白けた目を向けた。男が笑顔を返す。
「……『パパのこと嫌いになっちゃうからね。プンプン』」
実に面倒くさそうに少女は言った。
「もう少し気持ちを込めて、あと甘えるみたいな可愛い感じの声音がいいんだけどなあ。うーん、声色を変える練習もしようか」
「……『パパのこと嫌いになっちゃうからね。プンプン』」
「復唱された!?」