ようこそ享楽至上主義の教室へ   作:アネモネ

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過去編2

【過去編5】

 

 特別な人間と、三宅が自分自身を捉えたことはない。心配性な母親と寡黙な父親のいる平凡な家庭で育ち、なんとなく周りに合わせて不良になって、中2になってなんとなくやめた。喧嘩騒ぎでの補導も何回かあったが、いわゆる善行もそこそこ積んでると思ってる。世話になった先輩が弓道部だとか、たまたまテレビでやってたからとか、適当な理由で暇つぶしに弓道を始めた。今では高校でも続けようかと考えてる程度には好きだし、楽しんでやってる。バリバリの理系で得意教科は偏っているものの、全体の成績はそこまで悪くもない。そう、可もなく不可もなく生きてきた。

 

 特別な人間というのは、龍園翔だとか宝泉(ほうせん)和臣(かずおみ)だとか、ああいった奴らのことを言うのだろう。彼らと違って三宅は別に有名な不良というわけでもなかった。直接姿を見たこともない宝泉はともかく、龍園とは学校同士の抗争の際その近くに行ったこともあるが、彼はこちらの存在などまったく気にしていないはずだ。

 

 強さについては龍園以上であろう宝泉は、三宅の中学まで遠征してきて頭をタイマンで病院送りにしたらしい。まだ中1になったばかりの時に、三宅より喧嘩の強い中3の番長格を倒したのだ。それからも三宅の中学だけでなく周辺の中学を手当り次第ボコしているとのことだが、不思議と龍園と戦ったという話は入ってこない。ここは昔から不良が集まることで評判の、その手の大人が子どもを産み育てている地域だ。有名人2人の喧嘩があればすぐに噂が回ることを考えると、偶然出会ってないとかそのあたりな気がする。

 

「よ、三宅。元気そうだな。さてはバレンタインチョコでウハウハか〜?」

 

 そう考えつつ道を歩いていると、こちらには偶然の出会いが降ってきた。中3の元弓道部の男子生徒。三宅が世話になった先輩だ。

 

「久しぶりです、先輩」

 

 一礼してから、事実を述べる。

 

「あいにく今日の収穫は数個だけっすよ」

 

「もらえるだけいいだろ。しかしもっと嬉しそうにすればいいものを、相変わらずポーカーフェイスだな。落ち着きすぎだっての。悟りでも開いてんのか? 前は絡まれると即暴力で対抗するような熱い男だったのに……」

 

「基本的に自分から仕掛けることはなかったしこれからもないですって。あと女子への興味なんてのは人並みにありますけどね、そりゃ。義理に一喜一憂は出来ませんよ」

 

 どうだか、とニヤニヤ笑う先輩に三宅はカウンターを放つことにした。

 

「先輩こそどうだったんですか?」

 

「うっ……それは聞かないお約束、だろ?」

 

「そんな約束した覚えないっすけど」

 

「どちゃくそ冷たいぞこの後輩!?」

 

 ゆるっとした部活の先輩後輩関係はゆるっとしている。だからこそ三宅は弓道を続けてこれたという面もあるのだろう。はは、とどちらからともなく笑みが浮かんだ。

 

 公園の入り口に差し掛かったあたりで、先輩が思い出したように口を開く。

 

「質より量だろ、こういうのは。そういや昔……2年前になるのか。俺、ここでお前くらいの年の子からすげーチョコ貰っちゃったんだよなぁ」

 

「2年前って先輩が中1でその子は小学生っすよね?」

 

 1歳差だとしても、小学生と中学生の差というものは大きい。胡乱な目を向けた三宅に対し、先輩が慌てて付け加える。

 

「いや、色々とあったんだってホントに」

 

 そう、懐かしむような顔で彼は語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「あーチョコ欲しいチョコ欲しいチョコ欲しい……」

 

 ブツブツと呟きながら歩いてもどうにもならないし、チョコが降って湧いてくるわけなんてないが、俺は口に出さずにはいられなかった。

 

 この荒れている区、そしてそこにあるまあまあ荒れてる中学に在籍している一生徒としては、高望みしすぎているんだろうか。いいや、そんな訳はない。

 

 チョコは誰にだって平等だ。この世界は機会均等であるべきなのだ。

 

「……何で、受け取ってくれないの?」

 

 そんなことを考えていたからだろうか。通りがかった公園から聞こえてきた幼い声に、つい耳が反応してしまった。

 

 幼い、といってもたぶん年は俺とそう変わらない。フリフリとリボンがいっぱいのいかにも女子っぽい服を着て長い黒髪をポニーテールにした少女が、同級生らしき少年に詰め寄っていた。

 

 俺はすぐにピンときた。今日はバレンタインデー。少女は可愛いらしい紙袋を手にしているんだし、2人はチョコのことで揉めてるに違いない。

 

 ここは年長者として助け舟を出してやるか。

 

「そこの君たち、どうかした?」

 

 別にこの少年が貰わないなら俺がチョコを、なんて卑しいことはこれっぽっちも……嘘です、ちょっとだけ考えたが、あとは純粋な親切心が騒いだのだ。チョコのチャンスはなるだけ逃さない方がいい。俺はこの少年にそれを教えなければならない。決して醜い嫉妬心とかじゃないのだ。

 

「よかったらお兄さんが相談にのるぞ〜☆」

 

「お兄さん……?」

 

 ポニテ少女が小首を傾げる。若く見られてるのか、その逆なのか。どっちにしろちょっとショックだ。

 

「そこに疑問を抱かれるとは思わなかったんだけど!? え、なに、もしかして君たち中学生?」

 

「いえ、まだ小学校に通う身です」

 

 やはり年下で合っていたらしい。2人は同じ小学校の生徒、といったところか。

 

 目を向けると、ミニサイズながら典型的なチーマーっぽい外見の少年は、不良漫画のテンプレのようにこちらへメンチを切ってきた。完全に見た目通りの行動で安心感すら湧いてくる。

 

 このへんではガンの飛ばし合いなんてのは日常茶飯、当然俺も慣れきっている。とはいえ小学生でこれってのはなかなかの胆力だ。傍らの少女は完全スルーしていて、こっちもこっちで凄い。

 

「ただ、ある程度一人っ子なので。兄、というものに少し戸惑いが」

 

「それは一体全体どの程度!?」

 

 少女は優雅に微笑むと、流麗に礼を見せた。見惚れてしまうような仕草はどこかちぐはぐな印象を与える。

 

「そういえば、申し遅れました見知らぬ方。私は……ククリ、あちらはたっつーです」

 

「マイペースだな君。そして俺が言うのもあれだがぽっと出の知らんやつには名乗らんほうがいいと思うぞ……」

 

「でもプリン頭のお兄さんはそう悪い方には見えなかったので」

 

「呼び方にそこはかとなく悪意を感じる!?」

 

 ふわふわの黒く美しい髪を持つ少女には分からないのかもしれないが、染めた経験のある人間になら理解してもらえるはずだ。髪が伸びてきて地毛の色と染めてるところとのグラデが生まれてしまうこともあることを。

 

「そ、それで2人は何を言い争っていたんだい?」

 

「ええと、小学校へはお菓子の持ち込みが禁止なので、友人のポストにチョコを投函する作業を実行していたんですが。1つ余ったので偶然見かけた彼にあげようと思ったら受け取ってもらえなかった、みたいな?」

 

「誰がいるかよ、んなもん」

 

「この通り、取り付く島もないのです」

 

 俺の脳裏ではいくつかの可能性がぽぽぽんと浮かんできた。まず、この女の子がツンデレで男の子がニブチンで、実はラブコメしてる可能性。とすると俺は空気の読めない男ということになってしま……いや、天から遣わされたキューピットとかそういうことにしておいて欲しい。

 

「そこのプリン頭にでもやりゃいいだろ」

 

「俺の名前それで固定か!?」

 

「まあそれも悪くは無いけど……」

 

「悪いと思うよ!?」

 

「はっ、どうせチョコなんざ貰えてねえクチだろ」

 

「否定はしないけどところ構わず喧嘩売るね君……」

 

 少年の冷たい言葉に肩を落とす俺に、少女が優しく声をかける。

 

「立つ瀬もなさそうですし、とりあえずそこのベンチにでも座りませんか」

 

 いや、全然優しくなかった。立つ瀬がないって、立場を失うとかそういう意味だったはず。チョコくらいで失う立場は無いよ……プライドなんかはズタズタになったけど。

 

「実は君も結構毒舌じゃない?」

 

 ふふ、と上品に口元を隠して少女はベンチに腰掛けた。きちんとハンカチを下に敷いてから。ところでささやかな疑問なんだが、布一枚隔てた程度で何か意味があるんだろうか。気持ちの問題? 

 

 少女は服装に合わぬやや無骨な腕時計──たぶん戦車が踏んでも壊れないってよく宣伝してるやつだ──に軽く目をやり時間を確認してから、何かを取り出す。タッパーが2つ。チョコは別の袋に入ってるとして、あれは何だろうか。

 

「金、銀、鉛の三つの箱があったら、どれを選びます?」

 

「舌切り雀と金の斧を混ぜたみたいな話だね。鉛、と言うのが誠実なのかな」

 

「そうですね。顛末は『ヴェニスの商人』をお読みいただければと。ではお兄さんにはこのチョコを差し上げましょう! カカオ豆から選んだ自信作です」

 

 洒落た紙袋が手渡される。チョコをゲット、って手放しに喜んでいいものかこれは。

 

「たぶん最後の1個とかだろ? 俺なんかにいいのか……あと手の込みようが半端ないな!? パティシエ志望だったり?」

 

「パパ、が好きなんですよこういったの。力仕事が得意で。だからチョコ以外の用意もあります」

 

 ターキッシュデライトとグラブジャムン、と少女は言った。こちらも手作りなのだろうか。俺が金か銀の箱を選んでたらこっちになってたっぽいな。チョコじゃないからバレンタイン的にはハズレ枠ってことなのか。

 

 素早くタッパーを開いた少女は笑顔ながらも抵抗など許さず、さっと少年の口に丸い物体を放り込んだ。冗談抜きでいい動きだった。推定細マッチョなお父さんに鍛えられていたりするのかもな。

 

「……甘ったるい」

 

「グラブジャムンはねー。それでも甘さ控えめにして作ったんだけど。ターキッシュデライトのほうも食べる?」

 

「誰が」

 

 少年はそのまま去っていく。よほど甘かったのか、かなり顔をしかめていた。たっつーとか呼ばれてたけど、結局彼の本名は何だったんだか。

 

「引き留めなくてよかったの?」

 

「あまり拘束しすぎるのも悪いですから。私もそんなに長居するつもりはありませんでしたし」

 

 この子も先ほど時計を気にしていたし、このあと何か用事でもあるのかもしれない。

 

「悪いね、変に話しかけちゃって」

 

「いいえ、とても楽しい一時でした」

 

「こちらこそ。彼からホワイトデーにお返し貰えたりするといいね」

 

「どうでしょう。そんな小粋なプレゼントを手渡すよりは、引導を渡すとかそういうことを言ってきそうです」

 

 ころころと笑う少女。いいのかそれで。というかよく考えると俺の方がちゃんとしたやつ貰っちゃってるよな。

 

「俺も何かお礼を……」

 

「大丈夫ですよ、お気になさらず」

 

「いやいや。そんなことしたら君のお父さんにも悪いしさ」

 

 俺は公園の外に視線を向けた。隠れるように一人の男性が立っている。たぶんたまたま通りがかったら、娘が厳つい男たちに絡まれてるように見えて心配になったのだろう。その気持ちはよく理解出来る。

 

「………………パパ?」

 

 俺と同じ方向を見た少女が目を丸くする。正直あまり似てはいないが、やはり家族だったらしい。子どもを狙う不審者とかじゃなくて良かった。

 

「あ、あの。すごく恥ずかしいので、今日父を目撃してしまったことは絶対に黙っていていただくと、それをチョコのお返しとしていただいてもいいですか?」

 

「ああ、勿論。お安い御用だ」

 

 花のように微笑んだ少女は、男のもとへ駆け寄っていく。ベンチにタッパーを残して。

 

「え、このお菓子は?」

 

「そちらも、一緒にどうぞ」

 

 こうして、俺のバレンタインは一気に豪華なものとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チョコはすげー美味しかった。あとの2つはすげー甘かったな──」

 

 処分に困って押し付けられた説が若干浮上する程度には、と先輩は語り終える。

 

「そんなタカっ、貰っておいて返礼とかは出来なかったんすね」

 

「そこは内緒の取引があったのさ。俺と彼女の秘密ってやつだよ」

 

 得意げに鼻をこする先輩に三宅は冷めた視線を送った。

 

「俺が弓道に打ち込んでるのも、キューピットになりたかったってあの時の後悔があったのかもな」

 

「弓道部をお見合いおじさんの巣窟みたいに言わんでください」

 

「三宅だってなぁ。もっと恋愛にガンガンいけばいいのに。さりげなくモテるだろお前」

 

「少なくとも今は弓道が恋人なんで」

 

「ま、そうだな。県大会、お前ならいいとこまで行けるって信じてるわ。応援してるぞ」

 

 あざっす、と三宅は頭を下げる。

 

「世界は広いようで案外狭い。同じ地域に住んでんだし、あの2人とお前もすれ違ってたりしてな。あるいはこれから会ったりなんてことが起きるかもか」

 

「だとしても名前も分からないんじゃ意味ないですよ」

 

「そこは個人情報保護の観点からだな、あんま言うのもあれだと思ってよ」

 

 意外と細かいところを気にする先輩だ、と三宅は感じた。それはともかく。

 

「またプリン頭、なりかけてますよ」

 

「え、マジで?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 簡単な命令だと思った。渡されたのは一枚の写真。書かれていたのは京楽菊理、という四文字。言い渡されたのは一言。

 

『この少女を監視しろ』

 

 ただそれだけ。

 

 ターゲットに気づかれてもいい。距離さえ注意していれば、近づきすぎなければ相手は何も言ってこないから。そんな、楽な仕事。

 

 それがどうしてこんなことになっているんだか。

 

「じゃあ、パパ! 一緒に家まで帰りましょう」

 

 観察対象の接近。初めての事態。勿論彼女は俺の娘などではない。まあ年齢的には違和感が無いけれども。

 

 腕を掴まれ、ダラダラと汗が流れる。人目のある場所で滅多なことはしないだろうが、それでも恐怖感というものは拭えない。

 

「な、何でこんな茶番を……?」

 

 先程まで彼女がいた公園から十分離れたあたりで、小声で尋ねてみると、少女はにこにこ顔を崩さないまま硬質な声で答えた。

 

「勘がいいっぽいとはいえ、そこらの一般男子中学生に尾行がバレることがなければこんなことをせずとも良かったんですが」

 

 淡々とした事務的な口調。ガキっぽさの消えた態度は正直やりやすくはあるが、同時に不気味さも感じる。

 

「さっき公園で話していた男子は、あなたの存在に気づいた。下手に通報されたり嗅ぎ回られると、私の事情に巻き込むことになる。5分少々といえど楽しく会話しました。こちらの悪い態度に気分を害した様子も無かった。好印象です。だから、多少の手間くらいはかけることにしました」

 

「俺は君にとって『ただの手間』なのか」

 

「あなたたちは、ですね」

 

 他の監視者の存在をさらりとほのめかした少女は周囲に軽く目を向ける。俺程度にはさっぱりだが、どうやら尾行は山ほどついてきているらしい。

 

「理由は分かったが、もし後で君の本当の父親役──京楽伏厨とあの少年が会ったら? その方が厄介なことにならないか?」

 

「あの男は何処にでもいて、誰にでもなれる。それがアレの利点です。もし私がアレをパパと紹介したところで、『そういえばこんな男だったか』と納得するだけで終わる。問題は生じません」

 

「なら、まさかこの場にもいたり……」

 

「それはありません。だとすれば私が出張る必要は無かったですから」

 

「もしかして怒っていたり、するのかな?」

 

「そんなことはないです。私はその部分は気をつけていますし。この口調は、ただあなたが会話しやすいようにと選んだもので、ご不満であれば適当に変えますけれど」

 

 なんの感慨も浮かんでなさそうな瞳には、色という色が見えなかった。

 

「いや……大丈夫。そ、それよりあれかな、君のクラスメイトの男子。途中で帰っちゃったとはいえ結構喋ってたし、やっぱり仲がいいの?」

 

「どうでしょうね。会話する長さ、頻度で言えばもっと上の人は大勢いますし」

 

 それは俺もよく知っている。ただ、早く話題を変えたかったというだけだ。そんな俺の思いが通じてか、少女はゆっくり言葉を紡いだ。

 

「会話といえば。貧乳と罵倒されることもありましたけど、そういうのって怒るべきなんですかね」

 

「まあ……そうなんじゃないか。喜べるようなワードでは無いし」

 

「なるほど。覚えておきます」

 

「……すごいどうでもよさそうな感じだけど」

 

「詰め物でもすれば解決できそうな話ですし。耳の形とかのほうが気になりますね、どちらかと言うと。変装や整形でも変えないことが多い部分で区別しやすいですから。あなたみたいな福耳だと特にわかりやすいです」

 

 これは褒められてるのか変装が下手とけなされてるのか。表情からはよく読み取れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 それからの会話も、天然というか、ネジが外れているというか、そう形容したくなるものが多かった。俺の方もおあいこな部分はあるだろう。今まで遠くから観察していた存在とこうして言葉を交わして、家に招かれて、初めて彼女も現実に生きているのだと実感出来た気がする。ピントが合ったというべきか。画面越しでは無くなった感じ。

 

 家まで歩いたのはいいとして、何故入れてくれたのかは正直謎だが、こちらとしては断る理由もなかった。

 

「いい匂いだね」

 

「紅茶はよく淹れるので」

 

 出された飲み物に何か危険物が入っていないかと疑ってしまうのは職業柄か、この少女を信じきれないからか。

 

「ああ。カップを私の物と入れ替えます? それとも、一口飲みましょうか」

 

 少し迷う。カップの入れ替えは相手から提案されるとその効果が疑問視される。元から相手のカップにのみ異物が混入されていれば、カップを交換することで逆に自分の方へそれを取り寄せることになってしまうからだ。かといって彼女に飲んでもらって確かめるというのも……いや、そうか。

 

「こちらに入ってるのを少し君の方に混ぜても?」

 

「構いませんよ」

 

 カップを傾けると、中の液体が流れる。俺に出されたお茶の一部を彼女のカップへ注いだ。これでもし俺の方のお茶に何か危ない薬品が入っていたとしたら、少女もそれを口にすることになる。

 

 じっと見ていると、彼女は普通にカップを唇へ運んだ。コクリと喉が鳴る。しかしその身体に変化が起きた様子はゼロ。何も細工はない……のか。

 

 そう思うと、途端に頬に熱が集まる。こんな子ども相手に自分は何をしているんだと。あまりにも警戒しすぎていた気がする。

 

 いくら天才と言えるレベルのすごい才能の持ち主だとしても、彼女はまだ幼いのだ。いたく疑われるのは悲しいだろう。恥ずかしさと罪悪感とに突き動かされながら俺はカップの縁に口をつける。

 

「…………美味い」

 

 おべっか抜きの感想だった。俺の貧乏舌でも、高い茶葉を高い技量で扱ったことが伝わってくる。

 

「君はフィジカルだけでなく、紅茶を淹れる腕ってとこでも天才なんだな」

 

「ありがとうございます」

 

 どうでもよさそうに、平坦なトーンで彼女は礼を述べた。うるさいガキは嫌いだが、こういう大人びているのもこれはこれでやりづいらいんだな、と俺はこの短時間でちょっと学べた気がした。

 

 会話に困っているのを察されたのか少女の方から口を開く。

 

「そうですね、少し失礼なことをお尋ねしますが────あなたは。自分を凡人と、そう思っていますか」

 

「そりゃあな。身の程ってもんを知っている。中坊に尾行がバレたくらいだしよ」

 

「でしたら、それは傲慢ではないでしょうか」

 

「は?」

 

 話の脈絡が、前後が繋がらなくて。俺は思わず間抜けな声を上げた。

 

「凡人が天才と褒める。それは、凡人が天才を見分けられる。そういうことになってしまいます」

 

 傲慢でしょう、と彼女は首を傾げる。

 

「あー。凡人は凡人を見分ける。だから、凡人以外は天才とみなして、そうとわかる。こんな理屈でどうだ?」

 

「人を推し量れる時点で凡人かという疑問が出てきますけど、それはそれで面白い意見かと」

 

 でも、と少女は続けた。

 

「私は、自分を『天才』と思ってるような人に天才と褒められたほうが嬉しいです」

 

「だから自分を褒める資格を得たいなら俺も天才になれと?」

 

「そもそも才能というものは、ひどく曖昧なものだと私は考えます。石器時代にハッキングの才能がある人がいたとして、それが発揮されることはないでしょう。逆に、今この時代に狩猟の才能を持つ人がいたとしても、なかなかそれを自覚することは出来ないと思います」

 

「そういう、巡り合わせっつーか運も才能のうちなんじゃないか?」

 

「なるほど。面白い見解ですね」

 

 余裕のある返答。少なくとも俺にとっちゃ、彼女の言葉は恵まれた子どもの戯言にしか聞こえなかった。

 

「ではミイラ作りの天才がいたりしたら、現代では干物作りや干菓子(ひがし)作りなんかに活かせるから運も持ち合わせていると」

 

「そんなニッチな才能……いや、まあそうかな」

 

 ふむ、と彼女は頷く。何となく俺の頭にはあることが浮かんだ。このバレンタイン、少女が作ったお菓子は洋干菓子だったっけ、と。

 

「────ヴェニスの商人アントーニオはユダヤ人の高利貸しシャイロックから資金を借りる際、期日までに返せなければ胸の肉1ポンドを切り取るという条件を受け入れました。アントーニオが返済出来ず、これが履行されそうになった時。彼の肉1ポンド、つまりおよそ453.6gだけならシャイロックは切り取れるが、証文に書いてない以上は血を1滴でも流してはいけない。そう言われてしまいます」

 

 突然シェイクスピア作品を語り始める小学生の姿はあまりに異質で、つい反応が遅れる。

 

「私、これを読んで思ったんです。アントーニオをミイラ状態にすれば、血が一滴も流れないからOKなんじゃないかって」

 

「君は、何を…………」

 

 菓子作り。ミイラ作り。少女から向けられる冷徹な視線。

 

 俺は、何故この家に入ってしまった? 

 

 紅茶には、本当に何も入っていなかったのか? 

 

「あなたの思考を一つ訂正しておくと、私に毒味をさせても意味はありません。そういったのが効かない体質でして」

 

 一気に気分が悪くなる。この部屋の出口。あそこから、早く逃げなければ。

 

「ただ、紅茶には何も入れてませんよ。風味が損なわれますし。そもそも、薬品とか効かないからといって飲みたいようなものでもないですしね」

 

「え?」

 

 ただ、と彼女は俺の後ろを指差した。

 

「『あの男は何処にでもいて、誰にでもなれる』と私は告げました」

 

「京楽伏厨……!?」

 

 何処にでもいる男が、元からこの部屋にいたとしたら。もしくは、途中でどうやってか俺に気づかれずに侵入してきてたとしたら。

 

 思考の結論が出る前に、首元に衝撃があった。腕を回されぐっと絞められる。

 

Sweet dreams(お休みなさい、よい夢を)

 

 とびきりの可愛らしい声とともに、意識がぶつりと飛んだ。

 

 

 

 

「何でわざわざ怖がらせるような台詞を使ったんだい?」

 

「基本甘い話には裏があるというか、知らない人についてったら大変なことになるって教えてあげようと思って」

 

「優しいねえ。それで、こいつはどうするんだい? 君への監視は互いが抜け駆けしないよう睨み合いが続いてたおかげで小康状態にあったが、そのうちの一人とこうして接近した以上は波乱が起きるだろうねえ」

 

「どのみちそろそろ一掃しようとしていたんでしょ。その人は適当に帰してあげて、あとはパパが何とか頑張ってください」

 

「私は君の便利屋じゃないんだけどなあ」

 

「出来るか出来ないかで言えば、出来るでしょう?」

 

「やりたいかやりたくないかで言うと、とてもやりたくないよ」

 

「公園から──5分以上会話して、楽しい一時を過ごした。多少は報いてやるべき」

 

「だったら菊理(くくり)がやれば……というかその時計、服に似合わないから外せって言ったのに」

 

「お気に入りなの。そもそも着せ替え人形になることを承諾しただけでもありがたいと思ってほしいのだけど」

 

「それも取り引きだったろう。ああ、じゃあそうだ、今回も対価は着せ替え遊びで手を打とう。一月でどうかな」

 

「長い。1週間」

 

「分かったよ、3週間でどうだ」

 

「いや。1週間と3日」

 

「2週間と4日、これ以上は譲れないなあ」

 

「2週間、そしたらココアいれて『美味しくなーれ、もえもえキュン』って可愛く言ってあげる」

 

「よ〜し引き受けたっ!!」

 

 

 

 

 

 

【過去編6】

 

「うわっ……おまえ、いたの」

 

 扉を開けた途端、視界に入った男の姿に少女は嫌そうに呟く。この自宅には自分一人しかいないと思っていただけに驚きが大きかったのである。

 

 真紅に金の縁取りがされたブレザーに、白いプリーツスカート。まだ着慣れていないその制服は、しかし彼女によく似合うものだった。

 

「いたのとは酷いねえ。今日は愛娘の門出の日だろう? 祝うのは当然のことじゃあないか」

 

「猫撫で声はやめろ、鳥肌が立つ。だいたい、私が中学生になってから家にほとんど寄り付かなくなった奴が『愛娘』なんてほざくとか、ちゃんちゃらおかしいから」

 

「その代わり生活費は十分渡していただろう? やれやれ、これが反抗期と言うものかな。菊理(くくり)が大人になったようで嬉しくもあり寂しくもあるよ」

 

 優しそうに笑う男はどこにでもいそうな、雑踏に紛れれば1秒もかからずに溶け込むまでの平凡な風貌をしている。だが、中身は平凡とはほど遠い。ククリは男を睨みながら会話を続ける。

 

「京楽、おまえ……今更私の入学にケチでもつけに来たの? 無理矢理止めるってならこっちも抵抗させてもらうけど」

 

「君の名字も『京楽』でしょ。まあそこはいいか。菊理(くくり)はもう一人前だからね、止めることはしないさ。高校入学について私が口出しするものではないだろうし。そのスカート丈については少々気になるところがあるけれどね」

 

「お年寄りのおまえにはわからないかもだけど、今はこのくらいの短さが普通なの」

 

 馬鹿にするような口調で話されようと、男は笑みを絶やさなかった。

 

「可愛い可愛い菊理(くくり)はお転婆なきらいがあるから心配なんだよ。去年、いや昨年度と言うべきかな。3年生になってから起こさせた事件は10冊くらいのサスペンス小説を書き上げられそうな出来栄えだったね。もっとも、君に人心掌握を教えた身としてはもう少し上手く工夫すればより面白くすることも可能だったと言わせてもらおうかな」

 

「相変わらず監視してたわけか」

 

「それが私の仕事さ。でも高度育成高等学校は流石に厳しくてね。ま、菊理(くくり)なら大丈夫だろうし頑張って自衛して欲しいかな」

 

 男はおそらく護衛の仕事も任されている。それにしては投げやりな、雑としか言いようのない話だが、ククリにとっては全く問題でない。むしろ高校まで引っ付いて来られたほうが大迷惑だ。一人だけ毎日が授業参観なんて状況は避けたいのである。

 

「高校でも今まで通り好きに動くといい。上への報告は適当にやっておくよ」

 

「やっと子守りから解放されたって口ぶり。ま、そのほうが嬉しいからそれでいい、と言うか突然高校に現れるとかやめてよ」

 

 フリじゃないからね、と念押しするククリに対し男は「分かってる分かってる」と頷いた。

 

「もちろん君と会えないのは私も寂しいさ。ずっと大切に菊理(くくり)を育ててきたわけだからね」

 

「へー。大切に育てられたわりには殺気を感じることも少なくなかったな」

 

「意地悪なことを言わないでくれよ。癇癪を起こす菊理(くくり)を取り押さえるのは本当に苦労した、それだけのことじゃあないか。むしろこの私が殺気を出してまで動かないと対抗できなかったという事実を君は誇るべきだと思うね」

 

「……よく回る口だ」

 

「褒め言葉として受け取っておくよ」

 

 瞬間、殺伐とした雰囲気が漂うもすぐに霧散した。ため息を吐いたククリは呆れた顔で言葉を紡ぐ。

 

「挑発は、わざと?」

 

「君は少しばかり怒りっぽいところがあるからね。キュートな魅力だけれど、正直後始末が面倒なのさ。でもこの分だと大丈夫そうかな。うん、高校生活も楽しむことを優先して面白おかしく過ごすといい」

 

「言われなくてもそうするつもりだったもの」

 

 これは失礼、とおどけた仕草で一礼する男を無視したククリは外への扉に手をかけた。

 

「ああ、そういえば、学校についてのことでさ──」

 

 男が何かを言いかけているのももちろん無視する。

 

 バタン、と乱暴に扉が閉まる音が響いた。

 

 

「せっかちなお嬢様だなあ。いやはや、誰に似たんだか」

 

 朗らかな笑顔のまま呟いた男が軽く手を振ると、手品のように忽然と書類が現れる。

 

「念のため前から監視対象にしていた龍園翔も、菊理(くくり)と同じ高校に進学するらしいよって言いたかっただけなんだけれどね」

 

 喧嘩に明け暮れる日々を送っていたらしい彼に関する報告書へもう一度目を通すと、男はその紙をパッと空中に放った。

 

「どうせ学校に着けば2人は再会することになるだろうし、まあいいか」

 

 突如として火がともり、書類が燃え盛る。やがて紙も炎も消える頃には、男もまた跡形もなく姿を消していた。

 

 

【過去編7】

 

 

 窓の外はひどい土砂降り。ざあざあという雨音がここまで響いている気すらする。

 

 室内にも何となくその匂いが漂っていて、空気はどことなく重苦しい。立ち上る紅茶の香りだけが明るさを保っているようだった。

 

 この歴史も威厳もある中学校においては、お茶会というイベントがよく開催される。女子校だからという理由も勿論あるのだろう。美味しいお菓子というものはいつだって魅力的な輝きを放っている。

 

 今や最高学年になった私たちはもてなす側へと回っているが、以前は私も参加する立場だった。

 

 その中でも印象深いもの、というとやはり彼女たちのお茶会に違いない。

 

 どこへ行ったのか、散り散りになった先輩方。色々と噂も多いこの学校で、新たな謎でありそして語られることのない秘密となったお話。

 

 唯一の手がかりだったのは、ただ1人だけ転校しなかった、もう卒業してしまった女生徒。

 

 そういえば彼女と言葉を交わしたのもこんな雨脚が強い日だった。

 

 

 

 

 

「花はお好き?」

 

 降りしきる雨の中、ぼうっと花壇を眺めていたら聞こえてきた台詞。か細くもどこか芯のある、濁りなく透き通ったその声に振り向けば、立っていたのは自分と同じ制服に身を包んだ少女。同じ学年でないのは間違いないが、見覚えがあるような無いような、と思っているうちに彼女が再び口を開く。

 

「ごめんなさい、驚かせてしまったかしら」

 

「い、いえ」

 

 楚々(そそ)とした雰囲気、令嬢然とした(たお)やかな仕草は、世間では珍しいのだろうけどこの学校ではごくありふれたもので。没個性、と言ってしまってもいいのかもしれない。

 

 京楽菊理、と。漆黒の髪と瞳を揺らしつつ彼女はそう名乗った。

 

 話してみれば彼女のことはすぐに分かった。一学年上でも有名な先輩と、よく一緒にいる人。それで、覚えがあったのだ。

 

 空気のような、たゆたう水のような方だと感じた。悪く言えば影が薄く、良く言えばどこにでも溶け込んでいるような少女。そんな、生徒だった。

 

 

 

 

 だからこそあの時の衝撃は大きかった。突然、彼女のクラスメイトが消えてしまった時の衝撃は。

 

 心配と、好奇心とに突き動かされた私は声をかけに行ったけれど、当然のように彼女の返答は曖昧で煙に巻かれてしまった。「神様ゲーム的な」と口にしたのは何のたとえ話だったのか。今考えても理解に苦しむ。

 

 何が起きたのか、というのは明かされずモヤモヤしたまま。それでも時が過ぎれば忘れるのが人間というもので。段々と、段々と手のひらから砂がこぼれていくかの如くその痕跡は失われていく。

 

 私だって、この学校から出てまた新たに様々な体験をして、そしていつかは思い出せなくなるのかもしれない。

 

 それでも。宝石のように(きら)めく彼女の瞳の、どこか無機質な光だけは。ずっと心に残っていると、そんな確信があった。

 

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