ようこそ享楽至上主義の教室へ 作:アネモネ
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2進法。0と1のみの世界。例えば、コンピュータはこれを用いており。例えば、ホワイトルームは……
綾小路清隆。1つ歳が下の5期生である八神たちは特に、教官から彼に追いつくよう命じられて過ごしてきた。誰よりも優れた天才と自負する八神すらも、その抜きん出た成績を褒められたことは一度たりともない。
『1年前の綾小路清隆は、もっと凄かった』
『綾小路清隆を越える存在になれ』
散々聞き飽きた台詞だ。
しかし、だからこそ。彼の逃亡により直接対峙できるのは、良い機会だった。
綾小路清隆を葬る。憎悪を全て吐き出して、ぶつけて。証明しなければならない。組織に認めさせなければならない。
自分こそが。『八神拓也』こそが、成功例なのだと。
高度育成高等学校への入学前、月城から見せられたデータを吟味した八神はとりあえず利用すべきは櫛田桔梗と定めていた。だが勿論、他の上級生との接触も怠らない。
生徒会役員である京楽菊理との関わりは、そこそこ重要なものだ。異性を自室に呼び出すというやや危機感に欠けるような行動であっても、断ることはしない。
「いらっしゃい、八神君」
ふわふわした笑みと雰囲気はその馬鹿さ加減を表しているようであった。まぁどちらにせよこの学校の低レベルな授業に苦戦する生徒たち全員が、八神からすれば馬鹿にしか見えないのだから、他と何ら変わりない。
「流石京楽先輩。可愛らしいお部屋ですね」
「そ、そうかな? ありがとう」
大げさに照れる様子も、
綾小路清隆を倒す前にその周りで遊び、じわじわと追い詰めていく。ならばこの女を使うのも悪くないだろう。
考えているうちに、彼女がこちらへ近づいてくる。
「えっと、あのね」
「は────」
返事をしようと口を開いた瞬間。酸っぱいような苦いような味が口内に広がる。
不意討ちの、腹部への殴打。反射的に体が動きカウンターを食らわせたものの、全く効いていない様子で2撃目、3撃目が加えられる。気づけば八神の身体は床に転がっていた。
戦闘訓練を受け続けていた八神がその攻撃を防げなかったのは、あまりにも予想外の動きだったからだ。敵意も悪意も何もなく、自然な動作で放たれた拳に反応が遅れる。彼女の挙止は素人くさいものでありながら何故か鈍く重い衝撃があった。威力だけならば教官に食らったものと同等以上かもしれない。
上からの重圧。小気味いい音とともに関節が外され、結束バンドで手足が拘束された。痛みにより生じそうになる声を抑え、疑問を投げる。抵抗よりもまず情報を引き出すのが先だろう。
「僕が、何か……怒らせるような真似を、してしまったのでしょうか」
「いや、別に。むしろ君のことは好きだよ。すごくすごく。でもだからこそ手加減は出来ないというか」
気味の悪い発言だった。ありったけの親愛を込めたような笑みを浮かべ続けながら、彼女は語る。
「カピバラ麻呂……綾小路君と似たような、でも違うような気配を感じたんだけど。とすると八神君って格闘できるタイプかなーって。そういう戦闘レベルの高い人って、やるなら初撃で倒しておかないと泥仕合になるというか、面倒というか。ってなわけでこの状況に至るという感じかな」
「理解、不能なのですが」
「一度ちゃんとお話がしたかったんだ。でも君って私を、周囲を見下しているでしょう? 別にそれはどうでもいいけど、対等になるには私からもあなたを見下ろす必要があると考えてね。これでおあいこ、ってことだよ」
笑顔のまま、彼女は八神の肉体に触れていた。動けば骨を砕く、とでも言うように。
「綾小路、先輩と似ている、というのは……?」
「んー、雰囲気? まあそこらへんは色々お話ししようよ」
世間話のように軽い調子。彼女はごく普通の優しい手つきで八神の髪を撫でた。
「ごめんね、あんまりこういう力任せの手段は使いたくなかったんだけどさ」
「僕が学校に訴え出れば、終わりですよ……?」
「君のプライドはそれを許すのかな? 他者にみっともなくやられて、教師に泣きつくのを──まあ、そうならないようには努力するけど、そうなったらなったで構わない」
狂っている。行動原理が、思考回路が、読めない。
八神は自らの優先順位を再確認する。綾小路清隆の退学。下された命令はただそれだけで、しかし八神は彼を殺してもいい、という歪んだ解釈をしていた。自分ならば可能だと。
逆に利用すればいい。京楽菊理を駒にすればいい。
人間、一番油断するのは勝ったと確信した瞬間だ。そこを突けばいい。
「八神君のこと、好きなんだ、私。たぶん……1番、好き」
恐怖と優しさを繰り返し与える。洗脳の手口だ。八神はよく理解している。
だから、だから。
聞いてはいけない。綾小路清隆以上か、などとは。
受け入れてはいけない。その不可思議な好意を。
「まだまだ時間はある。ゆっくりゆったりお喋りを楽しもうか」
惑わされてはいけない。絶対に、絶対に──
綾小路が10歳の時に受けていたカリキュラム、プロジェクト5に基づいた構築理論。11歳の時に受けていたプロジェクト7に基づいた相対性理論。
全てのスコアは5期生トップたる八神より上だった。基本的に学んできたことは同じはずにもかかわらずカリキュラムの時期が完全に同一、という。わけではなかったのは、コミュニケーションが新たに5期生のものには加わっているからだろう。八神たち優秀な人間は優秀な人間とコンタクトを取ることが許される、そんな内容だった。
5期生2番目の成績の、今ともに高育に来ている二番手とコミュニケーションの機会も、それで自然と多かったのである。
綾小路に傾倒している二番手のことを、八神は内心嘲っていた。だから自分に1度として勝つこともできないのだと。
他の、崇拝の域に達している者たちなんて脱落するばかりなのでもっとひどい。それらよりマシなことは認めるが、憧れすらも八神にとっては邪魔なものとしか思えなかった。
しかし、今なら二番手たちの気持ちも分かる。あの人に出会えたのだから。
京楽菊理。先生たち──教官からの評価よりも信じるべきで。
スコアなんかよりも大切で。
崇拝なんて生優しい言葉じゃ足りない。自らの全てを捧げたいのだと八神拓也は感じている。
もはやホワイトルームも自分の帰る場所ではない。彼女のもとこそが八神のあるべき場所。
彼女に対して何も隠すことなどない。八神が綾小路のホワイトルーム時代について話すと、まず返ってきたのは、「それは教官側にゆがめられたデータの可能性はない?」という指摘。八神も最初はそう思い、綾小路清隆の存在すら架空のものではないかと疑った。しかし実際に見学室から目撃したのだ。それを告げると、彼女は首を左右に振った。
「過大評価だったんじゃなく、過小評価の可能性」
「過小? あれが?」
八神は考えもしなかった。そんなこと出来なかった。
「例えば、綾小路清隆たちは、八神拓也よりも過酷なカリキュラムを受けていたが、見学にあたってはわざとぬるい課題を与えその部分だけ見せていた可能性。データとして閲覧させたものは八神君たちと比較するために作ったやつで、元データはまた違っていた可能性なんてのもある」
10歳の時、月日は違えど八神と同じ年に綾小路が受けていたとされるプロジェクト5に基づいた構築理論。これが本当は、彼は6歳のときに受けていたものだとしたら? そして、教官たちは八神たちに見せる際、その4年後、10歳の時のものと偽っていたら?
もちろん、もし綾小路が10歳であればとデータを予測して比較したものもこの場合存在するのだろう。当然、八神たちの成績をさらにさらに上回るスコアが。
だとすれば……化け物、そう呼ぶしかない。
「同じカリキュラムを受けてきたというのはウソだった?」
「あくまで可能性は可能性さ。事実とは限らない。ただ悲観論で備えるのも大切だろう?」
自分には無い視点。新たな発想。
やはり自分にとって彼女は必要不可欠な存在と八神は再確認した。
────なお。ホワイトルームの研究者
そして、さらに鈴懸の提案により、綾小路について実際よりも低い能力と誤認するような情報開示を4期生以外の子どもたちへ行い、高い目標ではあるが追い付けるかもしれない存在と思わせることにした。実在を疑うであろう各期生たちの中で1位争いをしている子どもたちへは、間接的な場面のみ用い綾小路が存在する証拠を見せてやればいい、と。
つまり、ククリの推測はかなりの精度で的中しているのだった。
(健康診断)
学年ごとに行われる健康診断。それを一通り終わらせた綾小路の前に、たてがみのようなくせ毛を揺らす少女が現れた。
「お互いお疲れさま、カピバラ麻呂。去年は医療機関を指定されて個々人がそこで入学前にやっておく形式だったけど、今年はみんなでぞろぞろって感じだったね」
実は昨年の健康診断を綾小路は受けてはいない。今思えば坂柳理事長が手を回してくれていたのだろう。松雄が作成した書類で代替可能となっていた。あの頃は“普通”というものが分かっていなかったのだ。
「龍園クラスも集団行動だったのか?」
「うーん、たっつーにくっついてった形かしら」
それであれば想像しやすい。そんな綾小路に、ククリは嘆息するように柔らかく告げた。
「ワイワイガヤガヤで色々とまああったんだけどね」
ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUV
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ABCDEFGHIJKL
「楽しそうで何よりだ」
綾小路の素直な感想に、ククリは唇を突き出す。
「メンタルヘルス科でもやっぱり騒いで──」
でも、彼女はやっぱり柔らかい笑みを浮かべるのだった。