ようこそ享楽至上主義の教室へ   作:アネモネ

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櫛田桔梗

「ラプラスの悪魔をご存知かな」

 

 低い威圧的な響きは、いつもの人工甘味料のような声とは全く異なっていて。ただ、そのことよりも櫛田が気になるのは、ククリからは恋愛相談と言われて自室に招いたはずなのにまったく関係ない話が始まったことだった。

 

 1学期の中間テストが終わって少し経った頃だったか、前にも日本の神がどうのと結びつけて捲し立てられたのを思い出す。そういえばあのとき、熱意のこもった称賛を浴びて気を良くした自分は『桔梗ちゃん』と呼ぶのを許したのだったか。

 

「えっと、サタン、とかそういうやつ?」

 

「いや、そうしたオカルティックなのは関係なくてね。フランスの数学者ラプラスが述べたもので、まあすごく簡単に言うと『現時点での全ての情報を把握し分析できていれば未来を計算し予測できるのではないか』と」

 

「な、なんか難しそうな話だね……」

 

 これは遠回しに他の人の恋愛事情を聞きたいということかな、と考える櫛田の予想は、次の瞬間大きく裏切られた。

 

「その点、君の未来はあまり明るくない。だから手を組まないかと、そう提案したいんだ」

 

「手を組むって……恋愛共同戦線を張る、みたいなことかな?」

 

「1年生のとき龍園翔と協力して堀北鈴音を退学させようとしていただろう? ついでに綾小路清隆も」

 

 お互い猫をかぶるのはやめようとでも言いたげに、ククリが手をひらひらと振る。櫛田は驚きを顔に出さなかった。龍園から聞いたのだろうと、すぐに見当はつく。もしくは────

 

「堀北鈴音は君と同じ中学出身。学級崩壊させた過去を吹聴される可能性を減らしたいため、とかそのあたりか」

 

「うーん、ククリちゃんが何を言ってるのかよく分からないんだけど……」

 

「一つ忠告しておくと、堀北鈴音ばかりに目を向ける君のやり方はただの逃避だ」

 

 とぼけようとする櫛田を無視してククリは話を続けた。感情の見えない瞳と声。嘲りも同情もなく、事実を述べているに過ぎないと、そんな機械的な口振りだ。

 

「堀北鈴音を、綾小路清隆を退学させて。ではその次は? 龍園翔を退学させられるか? 彼らが他の生徒に口外していないと言い切れるのか? 何より、君自身が一番よく知っているはずだ。自分がDクラスに振り分けられたのは、学校側が事件を知っているからだと。教師から漏れる可能性を考えるなら、そちらにも対処せねばならないことになる」

 

「それは……」

 

 心臓が軋むような感覚。ぐわんぐわんと頭が揺れるようだった。どこまでも容赦のない言葉が櫛田を追い詰める。

 

「目の前のことに集中すれば他の煩わしいことを忘れられる。私にもよく分かるよ。だが、低難易度の事象にかかずらっているのはいただけない」

 

 だから、とククリは一分の隙もない、完璧な笑みを浮かべた。

 

「手を組もう。私が君を天使のままでいさせてあげるよ」

 

 鳥肌が立つような。身の毛がよだつような。ぞくりと寒気が櫛田の身体を震わす。

 

 寸分の狂いもない表情は確かに親愛を表しているのに、空虚な声がただただ不気味だった。

 

「あんたに」

 

 それでも。気圧されたと、認めるわけにはいかない。どうせ本性はもうバレているのだ。櫛田は怒りに任せて口を開いた。

 

「あんたに何が出来るって言うの」

 

「綾小路清隆と、ついでに堀北鈴音の退学への助力。君の秘密を守る手伝いもしよう。しかし秘密とは、他者に暴かれるよりかは自白したほうが案外周囲の興味などすぐに薄れるものだが……ふむ、それは望ましくないようだね」

 

 これは失礼とおどけたように彼女が喋る。自分と違って落ち着き払った物腰が腹立たしかった。

 

「ハニートラップ、プロパガンダのやり方を教えるでもいい。ストレス解消の手段を提供することもできる」

 

「優しく悩みを聞いてあげるよ、とかじゃないでしょうね?」

 

「別にそれでも構わないが。私としては壊してもいいモノの提供を考えていたよ。怒ると物に当たるのはよくあることだろう? サンドバッグに怒りをぶつけるとスッキリできると思うんだ」

 

「それくらい自分で買えるし」

 

 櫛田は浪費家ではないし、手を付けてはいないとはいえ綾小路からの送金もある。ポイントには余裕があった。

 

「口の堅い人間はいくらいても困らないんじゃあないかな」

 

「は?」

 

 数瞬遅れて、櫛田は気づいた。

 

 ──こいつ、まさか人を殴ってストレス発散しろって言ってる? 

 

 根本的に、価値観が異なる。出来の悪い翻訳機を携えた宇宙人とでも話している気分だった。

 

 さも不思議そうにククリが首を傾げる。

 

「君も人を壊すのが好きなタイプと睨んだのだけど」

 

「一緒にしないでくれる?」

 

 櫛田も表裏が激しい性格の自覚はあるが、こいつほど狂っているとは思わないし、思いたくもない。

 

「他者より優秀でありたいとするのなら」

 

 ポツリと彼女が言葉をこぼす。

 

「君以外の全人類が絶えれば一番優秀なのは君ということになる。ただ流石にそこまではなーと思っていてさ」

 

「んなもんこっちから願い下げだから!」

 

「それは良かった。うん、周囲が優秀になれば、それだけこちらも気を使わなくてよくなる。喜ばしいことだと思うんだが、どうだろう?」

 

 会話が噛み合わない、というより、櫛田の意思など気にしていないのか。答えずにいても、ククリは訳知り顔で頷くだけだった。

 

「それより、誰から聞いたの? 私と堀北の中学について」

 

「八神君だよ」

 

「は、八神? 何で」

 

 綾小路か堀北が話したと思っていたのに、出てきたのは予想外の名前だった。八神拓也。顔の広い櫛田は彼のことも知ってはいるが、そんな素振りは見たことがなかった。

 

「何故彼が知っているかは、推測はしてるけど本当のところはわからないな」

 

「推測って?」

 

「別に教えてもいいんだけど……うーん、話す部分によっては桔梗ちゃんが常に狙撃を警戒するような日々を送る羽目になるんだけど、構わないかな?」

 

「構うわ!」

 

 おぉいいツッコミ、とケラケラ笑う彼女に吠え面をかかせてやりたくなった櫛田だったが、どうにか心を落ち着かせる。真実かどうかはさておき、ククリから情報を聞き出すことは難しいとよく理解できた。

 

「話す気はないってわけね」

 

「結果的にはそうだね。ただ、恋愛相談になってくるんだけど、どうだろう。私だけを見て、私だけを心の中に住まわせ、私に全てを捧げ私のためだけに生きろと説いた場合、その見返りに恋人の座というものは必要と思うかい?」

 

「それただの主従関係じゃないの……」

 

 インモラルというか、なんかぶっ飛んだ関係性を持っているらしい。もしや先ほどのサンドバッグとは彼のことを指すのかと櫛田は疑義を抱いた。

 

「好意や憎悪というものにはどうも疎くてね。たとえばさ、『好きの反対は無関心』とは聞くものだけど、これがマザー・テレサではなくユダヤ人作家のエリ・ヴィーゼルの言葉だと知っている者がどれほどいるか。まあ『愛の反対は憎悪ではなく、無関心だ』のほうが正確かな? ともかく、人の心とはかくも表現に難しいものだと感じるんだ」

 

「少なくとも私はあんたのこと、好きの反対で『嫌い』になったんだけど」

 

「あはは、正直だね。そういうの好きだよ」

 

 暖簾に腕押し、糠に釘。どこまでも飄々として、心にさざ波一つ立っていないような態度。本当に嫌いだ、と櫛田は再確認する。

 

「君が嫌いな私でも協力相手としては悪くないと思うんだけどな。どうだい?」

 

「まず一つ聞かせて。何で私に協力しようと考えたわけ?」

 

「綾小路清隆との対峙。それが必要になってきたから、かな。つまり共通の敵というわけだ」

 

 綾小路とは仲が良さそうに見えたのに、と疑問が顔に出ていたのか、ククリは付け加えた。

 

「マクガフィンを知っているかな。怪盗が盗む宝石、スパイが運ぶ機密文書……それらは、内容がどうであってもいい。ただ、物語の役割として在るだけだ。説明するならそういう感じになるかな」

 

「煙に巻こうとしてるのは分かった」

 

「ひどいなあ。ちょっと口下手なだけだよ」

 

 彼女の手を取るか取らないか。迷いは一瞬だった。

 

「裏切ったら、許さないから」

 

「肝に銘じておくよ」

 

 ──絶対に、こいつを踏み台にしてやる。

 

 強く、強く、櫛田は心に誓った。

 

 

 

 

「あ、そういえば桔梗ちゃんがリンリンを退学させたがってたことって、実は一之瀬さん以外の生徒会役員みんな知ってたりするんだよね~」

 

 どこぞのアバズレ教師に見た目も似ているが、調子も似ている。京楽菊理はそうあっさりと、櫛田にとっての爆弾発言を落とした。

 

「は? どういうこと」

 

「ついでに月城理事長代理も聞いてたかな」

 

「はぁ!?」

 

 わなわなと櫛田は唇を震えさせる。

 

「ええと、順を追っていくとだね」

 

 ぽわぽわぽわ、と回想の効果音らしき言葉を自分でつぶやきながら彼女は語った。

 

 

 

 

 

 

 

 くっと押し殺したような声がもれる。

 

「思い出し笑いですか、南雲会長」

 

「まあな」

 

 うさんくさい、を何度使っても足りないほどに軽薄すぎるくらい軽薄な表情を崩さず南雲はしげしげと生徒会室を見渡した。今現在、学校自体に来ていない一之瀬以外の役員は揃っている状態。これは彼にとって好都合だった。

 

「この間生徒会室にとある1年が来たんだが」

 

「え、まさか生徒会志望の生徒が!? 合宿であんなヴィランムーブの南雲会長を見た直後に……?」

 

 ククリという後輩の生意気な頬をうにょーんと引っ張りつつ、南雲は話を続ける。

 

「だからこそ、だろうぜ。俺が女生徒を退学に追いこめる非情さを持っていること。堀北先輩と敵対していること。そこから、助力を得られると考えたんだろう櫛田桔梗は」

 

 彼女の訴えは単純。堀北学の妹、堀北鈴音の退学を手伝ってほしいと、それだけ。その説明にククリは首を傾げ問うた。

 

「で、受けたんですか、その話」

 

「いいや。俺の興味の対象は堀北先輩であって、血縁があるからといって妹にまで手を伸ばす気はないさ。今のところ、な」

 

 だからさっさと断ったさ、と南雲は手で追い払うような仕草で示した。

 

「思ってたよりまともな回答ですね……でも南雲会長が妹と付き合うとかなれば、大ダメージを堀北先輩に与えられたりしそうですけれど」

 

「それはないだろうな。橘先輩であればあるいは、だったが……あの人はあれでガードが固かった」

 

 アプローチはしとったんかい、と声なきツッコミが四方八方から飛んだ。そんな相手をあっさり退学の罠にかけるのだから、南雲という男の冷酷さが窺える。

 

「じゃあじゃあ、兄の代わりに妹への勝負を、とかは考えてないんですか」

 

「そりゃもっとふさわしい対象がいるからな」

 

 妹のクラスメイト、隣の席。だから堀北学は綾小路を目にかけているのだろうと合点はいった。しかしその能力についてもまた期待しているのだ。なにせあの堀北学が唯一認めている生徒なのだから。非凡でなければ困る。

 

 ちらと南雲は桐山の方を見た。彼が堀北学に情報を流していることを、自分への反逆を諦めていないことを南雲は知っている。あえて泳がせているのだ。情報工作員と知っているスパイは、上手く使えばこちらにもメリットがある。

 

 この情報も堀北学、もしかすれば綾小路や堀北鈴音本人のもとまで届くかも知れない。クラスメイト同士の衝突。はたしてどう料理するのか。南雲雅のちょっとした楽しみである。

 

 

 

 

 

 

 

「──とまあこんな感じで」

 

「態度だけじゃなく口も軽いのかよあの名前だけ雅な野郎は」

 

「あはは……ま、そこは初めから警戒すべきだったと思うぜよ」

 

 正論を櫛田に説きつつ、ククリは今度は月城と南雲の会話内容を語り出した。

 

 

 

 

 

 

 

「しかし綾小路を退学させるというなら、他の2年でもこういった催しに参加したがる奴がいそうですけどね」

 

「Dクラス以外にとって彼は他クラスの邪魔な強敵となるのですから、そうでしょう。しかしあなたには具体的な生徒の姿が浮かんでいるようですね」

 

「1月末でしたか。堀北鈴音を退学にさせたいと息巻いて来た女子生徒がいましてね。彼女もおそらくそれに1番障害となるのは綾小路だと気づいているはず。同じクラスですしね。そうなればついでに退学させておきたいと思うのも当然と思いまして」

 

「その女子生徒の名は?」

 

「櫛田桔梗。まあ、私は門前払いにしたので、その後のことは分かりかねますが」

 

「なるほど、それは賢明な判断でしょう」

 

 

 

 

 

 

 

 ぽわぽわぽわ、と回想終了の合図が出される。

 

「こんな感じで雑談のタネになってたよ」

 

「マジで口がタンポポの綿毛より軽いなあのド腐れ外道!」

 

 そんなの見た目と言動でわかりきってることじゃん、とククリはぼそっとツッコんだ。






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