ようこそ享楽至上主義の教室へ 作:アネモネ
夜のコンサートホールは、たいそう静まっていた。綾小路がここに来た理由は単純明快。月城から呼び出された、ただそれだけのことだ。
「あれー、もしかしてカピバラ麻呂も?」
後ろからのククリの声に、綾小路は答える。
「ああ、呼び出しを受けた」
無視しても良かった。しかし、気になる事項も存在する。それが、呼び出しに応じた理由だ。
「来ましたね」
月城はピアノの傍に立っていた。自然とそこに集まる形となる。
「この時間、生徒は外出禁止ですけど大丈夫なんですかー?」
「問題ありません。教師の夜の見回りは12時までとなっていますから」
それならば、今は2時を回っているので安全だ。月城の言葉が本当であればだが、この男もこの期に及んで嘘など吐かないだろう。その意味もない。せいぜい罰則を受ける程度で、退学がかかるわけでも無いのだから。
「そうだけど、気持ち的にあれっていうか。生徒会的に違反は見過ごせない的な?」
「ククリは生徒会役員だから、教師の見回り時間も把握しているのか」
「うむうむ。それで、月城理事長代理。用件は何なんですか〜?」
「まあ、そう急がずに。そうそう、先日私は理事長代理を解任されました。坂柳理事長が復職することが決まったので、今や単なる無関係な一般人です。理事長代理呼びは不要ですよ」
とうとうその日が来たか、という感触。しかし綾小路には喜びも、驚きもなかった。
「へー、ということはもう私たちを退学にさせる権力もないのかあ」
悪用を目論んでいるのか、ニヤリと笑うククリ。
「おいたはいけませんよ、
「大人ってのは包容力が肝要だと思うのですよ。このくらい温かく見守っていただきたいものですね」
「しかし昨今は世間の目がセクシャルハラスメントにも厳しくなってきていますから」
「実際にハグしろってことじゃあないです〜!」
微笑む月城にからかわれたと気づいたのかふくれっ面をするククリ。
「子どもは早く寝たほうが健康にいいですよ。こんな時間に呼び出した私が言えた義理では無いですがね」
まったくだ、と綾小路は思うがククリは違う点に着目したらしい。
「子ども子どもと仰られますがね月城理──さん!」
平たい胸を張りながら、お子様な態度で彼女は言い放った。
「立派なレディを子ども扱いは失礼だと思うのですよ!!」
突っ込むポイントはそこか、と。呆れを滲ませる月城の表情に気づいたらしく、ククリは付け加える。
「だいたい、大人だから偉いとかいうのは時代錯誤でしょう。世の中すごーい子どもだっていっぱいいっぱいいるものです。それに、大人が思ってるより子どもは色々と考えてる複雑で繊細な生き物なんですよ」
「なるほど、反抗期ということですか
違うわい、とククリは再び頬を膨らませていた。
ここで、パッパッパッとスポットライトに3人は照らされる。キャットウォークにいる人物の存在を綾小路は知覚していたし、ククリも気づいていたようで面倒くさそうな顔を作っていた。一方、月城の表情は読めない。
「面白そうな話をしているじゃあないか! 私も混ぜておくれ!!」
カンカンと音を鳴らしつつ登場したのは京楽伏厨。まるで舞台役者のような大仰な手ぶりと口ぶりは、コンサートホールというこの場所にはふさわしかったがこの場にはそぐわなかった。
「気配を消すこともしないで聞き耳立ててたくせに、どうして今出てこようと思ったわけ?」
「気分とノリさ☆」
「んなもんゴミ箱に捨ててこい」
珍しく塩対応なククリに、上機嫌な京楽伏厨。対照的な2人はとても親子関係には見えなかったが……先ほど月城の言っていた反抗期の子どもとするとそれらしいのかもしれない。
「今、何か不愉快な思いを抱かれた気がする」
「ククリの気のせいだ。それで、話があるなら早めにお願いします」
綾小路は月城に目をやる。彼は深く頷いた。
「そうですね。玉砕覚悟で、最後の交渉に来たんですよ。綾小路くん、退学届けを出して帰る気はありませんか?」
「ありませんね」
「うむうむ。麻呂君は退学しませんっ」
ククリの謎の援護に、月城は苦笑する。
「どうやらこの短期間で
「いきなり麻呂君を褒めだして、どうしたんですか?」
「しかしどれだけ優れていても所詮は子ども。あの人は君のその強さも織り込み済みの上で私を送り込んでいることを理解したほうがいいでしょう」
「あの人……?」
疑問符を浮かべるククリに、月城が向き直った。そして、放つ。2人にとっての爆弾発言を。
「ホワイトルームの創設者、綾小路
「私の……父親……?」
「血縁上の、ですね。よってあなたたちは姉弟です。腹違いのね」
綾小路は以前月城に言われたことがあった。『彼女はあなたの姉ですよ』、と。故に二度目の通達となる。
しかし、血が繋がっているかいないかなど些細なことだ。
「証拠は?」
「ありません。我々であればいくらでも偽装できてしまいますしね」
確かに、綾小路の父や月城であればそうだろう。
「麻呂君。君の父君は、三者面談とか来る人かい?」
「あったとしても代理を寄越すだろうな」
「
と、話に割り込んできたわりにはここまで黙っていた京楽伏厨が口を開いた。
「麻呂君のお父さんが私の血縁上の父親って、本当なの?」
「ああ、そうだよ」
あっさりと義理の父親に肯定され、逆に不信感を募らせたらしいククリ。
「今まで口をつぐみにつぐんでいたくせに、どういう心境の変化?」
「そろそろ
そうそう、と男は補足する。
「私と月城さんはいわゆる何でも屋だ。文字通り何でもこなす。これも、教えておこう」
「麻呂君を退学させるのは失敗したくせに〜」
「あはは、耳が痛いね」
耳に手をやり痛がるそぶりを見せる男に、ククリが白い目を向ける。ここで綾小路は気になっていた事柄を切り出した。
「1つ聞かせてください。あなた方は本気でオレを退学させようとしていたんですか? 確かに強い制約はあったと思いますが、もしオレがあなたたちの立場なら、もっと確実な方法を用意して実行しました」
「買いかぶりすぎですよ。私は上の命令に従い君を全力で退学させようとした。そして、失敗した。それが事実です」
「そうそう。ただの用務員さんには荷が重かったってことかな」
「いいえ、京楽伏厨さん。少なくともあなたはオレを圧倒していた。あの場でオレを退学にできたのに、しなかった理由。そして七瀬翼の不自然な接触」
綾小路はすぅと息を吸った。
「オレの高度育成高等学校への入学は、最初からあの男のシナリオ通りだった」
導かれた結論。綾小路の父親──綾小路篤臣は息子を退学させる気などなかったというもの。
「松雄の生死すら怪しくなってきますが、そこは置いておきましょう」
「松雄さんって?」
「オレを高育に逃がしてくれて最終的に自殺したと聞かされた男だ。七瀬からはその息子も自殺に追い込まれたとは聞いているが……」
ククリの疑問に律儀に答える綾小路。この2人が本当に姉弟とするならば、微笑ましい光景だった。話している内容は物騒であるものの。
ここで、月城がパチパチパチと手を叩く。
「素晴らしい発想力ですね。小説家も向いてるんじゃありませんか?」
「いいえ、オレは何かを創造する力に欠けていますから」
スケッチブックと色鉛筆のセット。学校に入学してそれほど時間が経たない時期にプライベートポイントで買ったものが寮の自室の引き出しの2段目に入っているが、綾小路はそれらを未使用のままにしている。
真っ白なスケッチブック。ホワイトルームにおいては模写の授業もあり、けして苦手ではなかったものの自分で考えて創作する過程は学習の中に含まれていなかった。
「えー意外。麻呂君って万能そうなのに。私なんて創作意欲が高すぎて困っちゃうくらいだよ〜」
「え、えっと……
「そうですね……
大人2人の苦しまぎれのフォローにククリは何故かエヘンと胸を張った。綾小路はそれらのやり取りを気にせずに言う。
「回答をくださる気はないのでしょう?」
「ええ、どうぞご自分で答えを見つけてください。子どもの成長を見守る、それが大人というものですから」
それでは、と月城は左手を差し出す。綾小路も拒否せずに握手を交わした。
「またお会いしましょう」
月城が去ると、京楽伏厨もひらひらと手を振る。
「まだまだ私は用務員続けるつもりだから。よろしくね〜。じゃあ、おやすみ!」
ククリがげんなりとすると、男は嬉しそうに笑った。
「そうそう、『ピアノ』ってもともとは『クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ』と言ってイタリア語で弱音と強音を持つチェンバロという意味なんだけど。ピアノって『弱』って呼んでるのと一緒なんだよねえ」
それだけ告げると、京楽伏厨はスキップしながら場を後にする。残ったのはククリと綾小路の2人。
「謎の雑学だけ残していきやがったあいつ!」
「まあまあ。どうせだし何か弾こうか?」
ピアノが話題にのぼったことで綾小路がそう提案すると、ククリは目をキラキラと輝かせた。
「『くるみ割り人形』の『中国の踊り』! 私の一番好きな曲!!」
「そういえばくるみ割り人形の曲が好きだと前に言っていたな。短いし、構わないぞ」
軽快なリズムに、コミカルでキュートな音が響く。
弾きながら綾小路は思う。この曲はどこかククリに似ているのかもしれない、と。
1分ほどの曲が終わると、ククリからの拍手が贈られた。
「ありがとー。いや~、ほんっと上手いね」
「そうストレートに褒められると照れるな」
鉄面皮で答える綾小路は、とある疑問を投げかける。
「ところで、ククリには得意曲はあるのか?」
「うーん、『4分33秒』かな」
キリッと話すククリ。
「つまり何も演奏しないじゃないか……」
4分33秒。アメリカの作曲家ジョン・ケージが1952年に作曲。演奏時間は『4分33秒』と決まっているものの、演奏者は一音も出さない。会場のざわめきなどが音楽になる、一風変わった曲である。
エヘヘと笑うククリはどこまで本気なのか。綾小路と姉弟であるという言葉をどのように受け取めているのか。
「じゃあ、いきまーす」
全ては4分33秒の沈黙によって隠された。
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