ようこそ享楽至上主義の教室へ 作:アネモネ
「カピバラ麻呂のばーかばーか。泥棒猫! 漁夫の利!」
繋がった途端、電話口から響いてくる可愛らしい罵声に綾小路はしれっと答えた。
「悪かった……が、泥棒猫ではないと思うぞ。元々オレと洋介のほうが親しい仲だったろ」
「そういう正論は求めてないのー!」
電話の向こうでプンスカと騒ぐククリの表情がありありと想像できる。休憩スペースではそこまで気にしていない様子だったが、今になって怒りが再燃したのだろうか。
ククリが平田を依存させようとする場面に遭遇できたことは綾小路にとってまさに棚からぼたもちだった。元々いずれは平田をとことん責め、重圧を与えすり潰されるまで執拗に追い込んでから励ましの言葉をかけることで、彼が元通りクラスを潤滑にするまとめ役として機能できるように仕向けたいとは考えていたのだ。ククリのおかげでその工程が短縮されたばかりか平田からの信頼度も想定より増したことに、綾小路は素直に感謝の念を抱いている。
「じゃあ何を求めているんだ」
「誠意ある謝罪。だってさだってさ、おかしいでしょあんなタイミング良く現れるなんて。絶対狙ってたでしょ」
「まあ、そうだな」
「むー。いつからいたの? ってかどうしてあの場所がわかったの?」
「おまえが君主論を持ち出したあたりからだ。場所は、ベンチでの目撃証言があったから近くを探していたら発見した」
放課後、クラス裁判が終わってから綾小路は幸村たちいつものメンバーとカフェでくつろいでいた。そして寮に帰り平田を探そうとロビーにいた生徒に話しかけてみると「並木道のベンチにいた」「寮にはまだ戻っていない」との情報があっさり手に入ったのだ。平田が目立つ生徒であること、そして最近の彼の様子は目に見えておかしかったことが原因だろう。
ベンチに向かったが見つけられなかったため、付近を捜索したところ休憩スペースにいる2人を発見。普通であればその距離の近さから逢い引きでもしてるのかと思い立ち去るところだが、平田とククリ両名のことをよく知る綾小路はそんな甘っちょろいものではないことを察知し、気配を消して聞き耳を立てたというわけだ。
「え、結構前からいたね。ってか全く気づかなかったんだけど。なに、麻呂君って公家っぽい苗字して忍者の末裔なの?」
もし忍者の末裔であれば指摘されても肯定することはないだろうから、聞いても意味がないのでは。そう思いつつも綾小路はとりあえず否定しておくことにした。
「影が薄いだけだ」
「もう、また誤魔化して〜。ムカ着火ファイヤーだったんだからね本当に」
ホワイトルーム出身である綾小路にはギャル語なぞわからない。しかもわりと死語である。
ロシアの火山帯であるカムチャッカ半島と何か関係があるのか。意味はよくわからないが怒っていることを表す語句なのだろうな、と綾小路は正答を導き出していた。
適当に謝罪の言葉を考えていると先にククリのほうから口火を切る。
「まあいいや。平田君は麻呂君に譲ってあげるよ」
「元々ククリのものでもないだろ……」
「もうちょいだったもん!」
その主張通り、綾小路があそこで止めなければ平田は彼女の望む暴君と化していたことだろう。綾小路はククリへの評価を上方修正していた。だが、彼女の話術は自分のそれより劣る。警戒度まで上げる必要性は感じていなかった。
「確かに、見事な人心掌握術だったな。どこかで習いでもしたのか」
「最近の女子校では茶道や華道とかだけじゃなく帝王学も必修科目なんだよ」
「それは知らなかった。女子校も大変なんだな」
自分たちと同じくピアノや書道も習っていそうだ。そう思う綾小路へとククリは訝しげな声をかけた。
「……一応言っとくけど、冗談だからね?」
「もちろんわかってる」
嘘である。しかし綾小路が
「ならいいけど」
彼女のその声音からは、綾小路に対する不信感は窺えなかった。
時折ホワイトルームを知っているかのような鋭い発言が飛び出すが、坂柳曰くククリには全くあの施設のことを伝えていないという。ククリの様子に不自然さがないことからしてそれは事実なのだろう。
ホワイトルームのことを教えれば、彼女は興味を抱くだろうか。つい先程まで平田に対して抱いていたもののように。
「そういえば、これから洋介はオレを清隆と呼ぶことになった」
「それで麻呂君も平田君を洋介って呼んでるのか……って何かな、振られた私に対する自慢かな!?」
「いや、別に」
「むー、何か勝ち組の余裕が漂ってる! いいもん、私もククリってそのうち呼ばせてみせるから!!」
彼女が平田に目をつけた一番の要因。それは3学期になった今でも平田が皆のことを苗字でしか呼ばないことだと綾小路は予想している。
ククリ、と名前で呼ばれることにある程度こだわりを持つ彼女としては平田のその在り方が気になり、そして観察しているうちに感知したのだろう。彼の心の不安定さと『暴君』の素質を。
もう一つ。Dクラスの賞賛票をコントロールしようという狙いがあったと思われる。ただ、それは見通しが甘いと言わざるを得ない。
「──たとえ」
「ん?」
「平田が呼びかけたとしても、Dクラスがククリに賞賛票を投じるかどうかは微妙なところだっただろうな」
「え、そうかな。私の予想ではクラスの半数、20票くらいは固いと思ってたんだけど。意外と人望ないの? 平田君て」
「逆だ。平田の女子人気は高い。変に関係を匂わせると、むしろおまえを退学に追い込もうと企む生徒もいたかも知れない」
「うーん、好きな人の願いは叶えてあげたいっていうのが恋する乙女の気持ちじゃあないのかね」
「恋愛は感情的なものだ。理屈ではないし冷静な理知と相容れない」
意外とロマンチックなんだな、という感想は胸にしまっておくことにした。ククリをこれ以上怒らせても得はない。
「なるほど、ホームズか。しっかし難しいねえ」
「ああ。オレも偉そうに言ったが恋愛に関してはとんと無知だ」
ホワイトルームでは学ぶことが出来なかったもの。遊ぶ時間や休日などなくトイレと風呂以外は常に監視されている空間で、恋愛が成立するはずもない。
だからこそ、この高校で学習したいと綾小路は探究心に突き動かされる。きっとそれは今しか体験出来ないだろうから。
恋愛の入り口である『告白』の成功確率を上げるため、綾小路は少しづつ行動している。予定通りにいけば春休みあたりにその成否が出るだろう。もしかするとククリに手伝ってもらうことになるかもしれない。
だが、今はまず目の前の試験を片付けることが先だ。そう考える綾小路に応じるように、ククリもまた特別試験へと話を戻した。
「そだそだ。結局、麻呂君は他クラスへの賞賛票、誰に投じるのかな」
「弥彦に入れるつもりだ」
隠すほどのことではない。ククリたちの邪魔をする気がないという表明のためにも綾小路は投票先をあっさりと告げた。
「弥彦? ええと、幸村君の下の名前がそんなんだったような。あれ、でも麻呂君と同じクラスだし……」
「それは
ククリは何回か顔を合わせているにもかかわらず幸村の名前がうろ覚えなのは、綾小路グループの皆が彼を
幸村の場合、小さい頃に自分と姉と父を置いて出て行った母が付けた名前を受け入れることが出来ず、父が名付けようとしてくれた啓誠の方で呼んでほしいということだが……ククリが下の名前で呼ばれたがっているのも同じく家庭の事情なのか。多少気になるものの踏み込みすぎるのはよくないと綾小路は自重した。
「あー、葛城君といつも一緒にいる人か。でも麻呂君とそんな仲良かったっけ? 接点といえば林間学校同じ班だったくらいな気がするけど」
「ちょっとな。まあどうせ1票だけだ、大して意味もない」
坂柳が葛城を退学にすると口にしたのはフェイクのような気がした。ただそれだけだ。
確信はないが、そうなると取り巻きである弥彦が狙われる可能性が高いだろう。
「ククリは誰にするか決めているのか?」
「んんっ、聞いといて言わないのフェアじゃないかあ。えっとね…………」
その名前は、彼女が純粋に賞賛すべきと思っているのかというと疑問があった。とはいえ何らかの取引や思惑があると考えれば納得いくものだ。
「お互い、投票先は他の人には内緒ってことにしとこうか。匿名だから本当に入れたかの確証もないしね」
「そうだな。おそらく他クラスに公表されるのは首位と最下位のみになるだろう」
最下位は退学処分、首位はプロテクトポイント獲得という報酬があるため誰が該当するのかというのは重要事項だ。1年の全クラスだけでなく、もしかすると他学年にまで公表される可能性すらある。
「プロテクトポイントの付与がどんな感じになるのかも気になるなあ。何か勲章みたいなのくれたりしたらめちゃくちゃ格好いいと思わない?」
「それだと南雲あたりは勲章をジャラジャラさせることになりそうだな」
「確かに。プロテクトポイント独占しそうだもんね。んー、2年の最後の特別試験はどんな感じなんだろうなあ」
「ククリも知らないのか」
「新年度に向けて忙しかったりゴタゴタしててね。今回の特別試験には生徒会は全く関わってないよ。まあ南雲会長は3年の特別試験にちょっかい出してるっぽいけど」
ゴタゴタ、とは。おそらく坂柳が言っていた、彼女の父が停職に追い込まれたことに関してだろう。色々と特殊なこの学校において理事長がいなくなるというのは一大事だ。生徒会も何らかの形でその余波を受けたのかもしれない。
南雲の動向も気になるところではあるが、桐山からは何の連絡もないのだ。単に綾小路のことを信用していないのか、既に南雲に屈したのか。それすら不明なものの、進んで手を貸す性格でも立場でもない綾小路としては放置するほかない。
「南雲会長といえばね、ひどいんだよ。私が虫嫌いって知ってるくせに虫とり大会の提案とかしてさ。却下になって本当に良かった」
「ククリは虫が苦手なのか」
「うん、すごーくすごーく嫌い。だから前の無人島試験ではさっさと船に戻れて嬉しかったな」
一人サバイバルを敢行した龍園君を色んな意味で尊敬するよ、と話すククリに綾小路も内心同意した。あの不屈の精神には見習うべき点がある。
しかし…………虫が好きではない女子は多い。無人島でたしか佐倉も「アリも触れない」と発言していたし、都会っ子を自称する綾小路自身も虫は苦手で、昆虫には詳しくない。果たして彼女の虫嫌いはどの程度なのだろうかと、好奇心がうずく。
「蝶とかもダメなのか」
「ムリ。羽は綺麗だけど、それがもげれば後は普通に他の虫と同じでしょう?」
「まあ否定はしないが……」
──無人島試験。羽がもがれる、か。
偶然ではあるのだろう。しかしその言葉から、綾小路はあることを連想していた。それは無人島試験直後、船上で茶柱から告げられた台詞。綾小路の父親が茶柱に接触したというのは嘘だったわけだから、あの時の話はただの当てずっぽうだ。とはいえ『イカロスの翼』というのは茶柱にしてはなかなか良い例えだったと綾小路は思う。
この学校を出てしまえば綾小路を守る防壁はどこにもなくなる。卒業後はホワイトルームに戻り指導者としての道を進むことになるだろう。だからこそ。この3年間を守り通す。父親の命令を拒否して、やりたいことをやる。
今後、あの男がどんな手を打ってこようと跳ね除けよう。綾小路は言うなればとりあえず大空を飛びたくて、自由を味わいたくて、籠から抜け出した一羽の鳥なのだから。
「────長話になっちゃったね。あー、あと最後に。今日はごめんね、麻呂君」
「オレにも利するところがあった。気にしないでくれ」
それじゃあ、と通話が切られる。ククリが謝罪したことにどこか違和感があり、何故か林間学校後に唐突に謝られた時と重なったが……問題ないだろう。きっと。
そう考えつつ、綾小路はケトルでお湯を沸かす。
──コーヒーでも淹れるか。
話しているうちに思い出してしまったホワイトルームでの日々。平穏な学校生活を脅かす、あの男の影。
苦い思いも、ゆっくりと
§
§
────この様子だと、キャロルは理事長代理の狙いを知っているな。
坂柳とのやり取りを終えたククリは別の人物とのチャットを開く。しかし送信したメッセージにはいつまでも既読がつかない。あの自由人め、とため息を吐いた。
コトリと端末を裏返しにして置く。近くにあると、どうしても見てしまって集中ができない。
「うー、面倒くさいよぉ」
そうぼやきつつ、ククリは机に向かい課題を解いていった。明日が投票日とはいえ教師が特別手心を加えてくることもなく、宿題を出す人は出しているのだ。さっさと終わらせてしまおうとペンを動かす。
学期末の筆記試験は終わったというのに、特別試験があるからだろうか。この学校は春休みに入ることもなくあいも変わらず授業が継続している。今月24日が卒業式、25日が終業式と普通の高校に比べかなり遅いスケジュールだ。春休みは2週間程度とかなり短いが、まあこういう特殊な学校ということは織り込み済みで入学したのだ。仕方がないことなのだろうと皆納得している。
クルクルとペンを回しつつ思考に
ククリが自身に批判票を投じるよう呼びかけた理由。それは平田に話した通り色々と都合が良かったからだが、一つ大きな理由を挙げろと言われれば龍園と交わした『伊吹と石崎とアルベルトを守れ』という約束になるだろう。
契約を、約束を守るのは育て親たる男の影響だ。厳格な遵守とまではいかないが、そこそこ守るようにはしている。
ククリは坂柳と綾小路が特別試験で戦う約束をしたことを知っている。故に、このクラス内投票の説明を聞いた際にまず考えたのは彼らが他クラスを巻き込んで争う恐れがあるということだった。特に伊吹については以前坂柳が林間学校で退学にさせてもいいかと冗談めかして口にしていたこともあり、何か仕掛けてくる可能性があった。
退学者を先に決め、それを龍園が肯定してしまえばあとは外野が何か工作しようとしても無駄になる。その状況をククリは作り出そうとし、そして成功した。
結局、2人の戦いは次の特別試験へと延期になったそうだからこれは杞憂であったが、クラスが平和だったぶん平田で楽しめたので気にしてはいない。綾小路の手に落ちたため、これ以上遊べないのは残念なものの同時に平田への興味も薄れた。
ただ、一つ。モテモテで平和主義者の彼が恋人を作るかどうかはわりと関心がある。軽井沢とのような偽りの関係でなく、本物の恋愛感情によるものがいい。
椎名の友人である
「よーし、終わったぁ!」
机の上を片付け、ぼふりとベッドに身を飛び込ませる。仰向けになったククリは照明の光へと手を伸ばしながら呟いた。
「『愛とは何か、とお前はたずねる。たちこめる霧に包まれたひとつの星だ』」
ドイツの詩人、ハインリヒ・ハイネの言葉。
「『恋という狂気こそは、まさにこよなき幸いのために神々から授けられる』」
古代ギリシアの哲学者、プラトンの言葉。
「んー、やーっぱわかんないなあ」
格好いい名言とかが大好きなククリはもちろん恋愛に関する名言の知識も豊富だ。しかし知っているからといって必ずしも理解できるわけではない。
枕を抱いてゴロゴロと寝転がる。
京楽菊理に家族愛はない。友愛もない。自分と、他人。その2つのみで世界が構成されている。
自分の身体の頑丈さをよくよく知っている以上、自身のことすらもぞんざいに扱う。どんな状況になろうが楽しむ。彼女はそう、生きているのだ。
つーっと指で唇をなぞる。恋人同士は、好き合った者同士は口づけして心を通わすという。ならば逆説的に口づけをしてみればその人物のことを好きになるというのか。
「むぅ。なんかちゃう気がする」
ぼーっと天井を眺める。結論は出ない。
マキャベリの君主論には次のような言葉がある。
『人間は、恐れている人より、愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つけるものである。その理由は、人間はもともと邪なものであるから、ただ恩義の絆で結ばれた愛情などは、自分の利害がからむ機会がやってくれば、たちまち断ち切ってしまう。ところが、恐れている人については、処刑の恐怖がつきまとうから、あなたは見放されることがない』
その通りだ、とククリは思う。少なくとも今までに愛情を裏切った人物など掃いて捨てるほど見てきた。恐怖に震え、打ち勝つことのできない人物を星の数ほど眺めたのだ。
だからこその恐怖政治、絶対王政。暴君の在り方をククリは好む。他者のそれを観察したり体感するのはより好ましい。
明日は投票日。教室ではどんな面白いことが起こるだろうか。
ククリは今回の試験について龍園たちとほとんど会話していないため、彼らが何をするかはほぼ全く知らない状態にある。鬼が出るか
ふにゃりとだらしなく口元をゆるめる。
京楽菊理は自らの享楽に忠実なのだ。そうあれかしと、定めている。
But love is an emotional thing, and whatever is emotional is opposed to that true cold reason which I place above all things.
That process starts upon the supposition that when you have eliminated all which is impossible, then whatever remains, however improbable, must be the truth.
Mediocrity knows nothing higher than itself; but talent instantly recognizes genius, ...