マチをママにする程度の能力 作:まだ名前はありません
援軍の到着により、万全の状態が整った。
形勢が逆転したことに動揺して動きが鈍ったネオンに対し、俺は反撃を開始する。
この状態の彼女ならば、俺だけでも簡単に勝ててしまうだろう。
少し未来の光景を見れたとしても、それに的確に対応するためには冷静な判断力が必要になる。
彼女の判断能力の低下したこのタイミングで苛烈に攻め立てれば、対応が間に合わなくなって、押し切ることができるはず。
俺はいままで温存していた体力を使い切るつもりで攻め、彼女はそれを必死で防いでいく。
だが、攻防がある程度続いた後、攻めが中断してちょうど俺がふぅと一息ついたタイミングで、突然彼女からの抵抗がなくなった。
もしかすると、自分が逆転できないという未来を見たのかもしれない。
足掻いたところで敗北するなら、必死にがんばってもムダだ。
そんな考えに至ってもおかしくはない。
努力というのは、いずれ報われるかもしれないからこそ出来るものだ。
いくらがんばっても、それに対する報酬があまり大きくないと知ったら、誰も努力などしなくなるだろう。
苦労した人間と苦労していない人間、前者と後者が得られる報酬が大差なかったら?
それどころか、ただ幸運を持っていただけの後者が前者を圧倒的に上回ることが常だったら?
努力などせずに、幸運が転がり込んでくることを願う人間ばかりとなるに違いない。
がんばった良い子にはご褒美を。
イタズラする悪い子にはおしおきを。
近くで温かく見守り、努力したらたくさん褒めてくれる。
そして、ただ甘いだけではなく、道を明確に間違えたら正しい方向を示してくれる。
信賞必罰という概念を具現化した存在でもある『母親』はやはり偉大であるのだと実感する。
施設を破壊したり、いきなり襲撃してきたり、悪いことばかりしていたネオン。
そんな彼女におしおきをしてやった俺は、ある意味でママ的な行いをしたことになる。
そこで、ふと俺は思った。
俺は母親という存在を追い求めている。
他の人類の誰よりも。
ならば、俺は母親について他の人類の誰よりも深く理解していると言えるのではないだろうか。
怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物にならないように気をつけなくてはならない。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。
もしかすると、ママを求める者は、自然とママに詳しくなり、最終的にママになってしまうのかもしれない。
コンピュータに詳しいものは誰か?
それはもちろん、コンピュータ自身、ではない。
コンピュータという機械について学んだ者。
あるいは、コンピュータが好きで朝から晩まで張り付いている者だ。
野生動物を最も知る者は誰か?
その答えは、野生動物自身、ではなく、もっと詳しい者たちがいる。
野生動物を研究している学者や野生動物の保護をしている者たちだ。
動物は自分自身の経験しか知らないが、学者たちは何百何千もの個体を知っている。
さらには、どのように進化してきたか等の歴史やDNA等の科学的な知識まで持っている。
ある特定の人間のことを一番理解しているものは誰か?
それは、その人間自身、ではない。
医者は、その人間の健康状態を本人以上に詳細に計測してしまえる。
心理学者は、その人間が自覚していない心の奥底の感情を分析できる。
コンピュータはコンピュータを知らず、野生動物は野生動物を知らず、人間は人間を知らない。
誰もが自分自身のことを知り得ない。
かつて『人間はヤギになることで悩みから解放される』と考えたイギリス人がいた。
人間であることに疲れたその21世紀人は、しばらく人間であることを休むために、研究者たちの助力を得つつ最新技術を駆使してヤギになることにしたのだ。
そのためには、なりたい対象であるヤギについて詳しく調査することからはじめなければならなかったという。
ヤギについて学ぶことで、ヤギになることができる。
だとすると、ママを探求し続けた者は、ママになることができるのではなかろうか?
母親のことを最も深く理解しているものは誰か?
それは、最も母親に対する好奇心を持ち、最も母親を探求している者だろう。
つまり、俺自身だ。
誰もが自分自身のことを知り得ない。
俺もいままで俺自身のことを知らなかった。
まさか、俺がママに適性を持っているだなんて。
だが、思い返してみると思い当たることがいくつかある。
家業の影響で歪な家族関係を持っていたトルテたち。
幼少期に毒によって一度家庭を破壊されたクララ。
家庭環境にあまり恵まれていなかったと思われるシスターたち。
その皆が、心のどこかではママという名のすべてを包み込む愛情を求めているはずだ。
ママを求めて深淵を覗き過ぎた結果、俺自身がママを連想する何かを放出するようになり、誘蛾灯のように彼女たちを引き寄せてしまったのではないだろうか。
俺は全人類の中で最もママを求めていると自負している。
ならば、最もママを知り、最もママを理解している俺は、全人類のママにすらなれてしまうかもしれない。
母なる大地という揺り籠の上で、母の愛情を受けた子供たちは、ぐっすりと安らかに眠れるだろう。
きっと平和で温かい時代が訪れる。
だが、その場合は一つだけ問題がある。
俺が全人類のママになったとして、じゃあ誰が俺のママになってくれるというのだ?
人類は誰もが頼れるリーダーを、優秀な指導者を、優しく守ってくれる庇護者を求め続けている。
人間という生き物は、多かれ少なかれ心のどこかでは誰かに甘えて生きていきたいと思っているものなのだ。
誰もが指導者や庇護者や救世主を求めている。
それはある意味で自分勝手な感情だ。
たとえば、俺が全人類の母親になり彼らを守り導いたとして、いったい誰が俺を保護してくれるのか。
誰もいない。
誰も彼もが一方的な救済ばかり求めて、俺に手を差し伸べてはくれないだろう。
マチの気持ちが、いま理解できた。
ついでに、自分たちより圧倒的に多い高齢者を背負わねばならない若者の気持ちや、老いたり病気になったりした家族の世話をしなければならない人たちの思いも。
頼られるというのは辛いのだ。
自分を頼りにする者を見捨てることはできないし、かといって自分を助けてくれたりアドバイスをくれたりする存在もいない。
なぜマチは俺に栄養溢れる食事を与え続けて、強靭な肉体を与えたのか。
理由は複数あるだろうが、一番は俺に強くなってほしかったからではないだろうか。
彼女は言った。
自分に勝て、と。
きっと彼女は求めているのだ。
自分を頼ってくる存在よりも、自分より強くて自分を助け導いてくれる存在を。
それは即ち、ママに他ならない。
誰もが自分自身を知り得ない。
彼女は、口では親など不要と言いながらも、心の奥底ではママを求めていたのだ。
なんといじらしいのだろうか。
お腹が空いている者にパンを与える行為を正義と呼ぶ。
ならば、ママを求めている者のママになってやることも正義に違いない。
俺はマチをママにするつもりでここに来た。
しかし、俺がマチのママになる方が正義なのではないだろうか。
欲求と正義感の間で心が揺れる。
「俺が、俺がマチのママに……」
「ちょっと待った!」
俺が振り子のように心を揺らしていると、ネオンが突然カットインしてきた。
「あたしがここに来たのは、予知した危険から人類を救うためなの!」
人類を救う? 何言ってんだこいつ? と思いつつも、とりあえず彼女の話を聞いてみる。
彼女いわく、俺がマチと戦って勝利した場合、どっかの国が滅びたりして大変らしい。
遠い未来を見ようとするほどぼやけてしまうため具体的な原因は不明なようだが、とにかくそうなってしまう光景を見たらしい。
普通は未来を見たなどといっても信じてもらえないため、それを証明しようと思った結果、俺を襲撃して結婚するという結論にいたったのだという。
実家がマフィアとか、家庭環境複雑で母親を求めていそうなので、もしかすると誘蛾灯になってしまったのかもしれない。
「だから、どっかの国が滅びないように、あたしと駆け落ちしましょう。師匠からしばらく離れるべきよ」
国の滅亡を予言するとか、やはり彼女はカッサンドラのようだ。
ちなみに、マチが勝った場合でも、そのどこかの国は滅亡する可能性があるらしい。
だから、そもそも戦わないのが一番だそうだ。
彼女の予言を無視して、俺がマチと戦って勝利したらどうなるか。
俺はママを手に入れる。
マチはママを手に入れられない。
どっかの国が滅亡する。
では、俺がマチに勝利するのを諦めたらどうなるか。
俺はママが手に入らない。
マチはママを手に入れられるかもしれない。
どっかの国が滅亡を免れる。
もし国が滅んだりしたらどうなるか。
おそらく多くの子供が親を失うだろう。
俺の耳に、母親に助けを求めるたくさんの声が聞こえる。
その声の中には、マチの声があったような気もする。
ネオンによる二人で駆け落ちすれば世界は平和になるという提案は聞こえなかったことにした。
正義をなすべきか。
信念を貫くべきか。
俺は色々と悩みながら、『天国』の扉を通り、ゴールへと到達することに成功した。
ヒロインがしばらく登場しない展開をどう思いますか?
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別に気にしない
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そんなもの読む価値がない
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数話程度なら許せる
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むしろ男ばかりのほうが好き