SPYシネマズ~憧れの先輩にハニートラップ仕掛けられたけど好きなのでこのまま騙されます~ 作:那珂テクス
修正前の前2話をご存知の方は記憶を消すことをおすすめします()
空が茜色に染まる19時。二階堂先輩とのひと時を堪能した俺は、いつも通りゴッドシネマ白笹の階段を上っていた。別に今日が出勤日だからというわけではない。劇場の上階が支配人の住まいであり、かつ俺の現住所でもあるからだ。
つまり、俺と美空さんは同居している。
理由は単純で、俺たちが戸籍上は親子関係だからだ。ちなみに同居することを知った当時の
受付がある2階にたどり着くと、そこには美空さんが座っていた。しかし今日は珍しく映画も見ずに、思い悩むようにして天井を見上げている。
「ただいま美空さん。どうかした?」
近づきながら問いかけると、美空さんは頭を振った。
「ううん、何でもないよ。おかえり庵くん。学校はどうだった?」
そう言って微笑むが、話し方や表情に疲れが滲んでいる。何かあったのは間違いないだろう。
心当たりがあるとすれば──
「桑乃さんの件?」
昨晩劇場を訪れ、公安の人間であることを明かした依頼人。その依頼内容についてではないかと尋ねてみると、美空さんはゆっくりとため息をついた。
「正解。庵くんは何でもお見通しだね」
「他に思いつかなかっただけだよ。あの人が帰ってからずっと何か調べてたみたいだし……どうせ裏では厄介なことになってるんだろ」
「あっはは、まあね」
力なく笑いつつ、手元の半券に目をやる美空さん。今日の入場者は3人だったようだ。この調子だと、相変わらず劇場の売上は大赤字だろうな。
特異撮影が無ければ。
「……断ったら? 今月は半魚人で稼いだし、あと1、2回別の依頼で稼げば大丈夫だって」
説得しつつバックヤードに入り、給湯室の棚を漁る。俺がマグカップにインスタントコーヒーを淹れている間、美空さんはずっと押し黙っていた。
──悩むのも仕方ない。ゴッドシネマ白笹の売上はほとんどが特異撮影であり、月のノルマは平均2、3件といったところだ。
ところがあの桑乃という男が提示してきた報酬は、それだけで半年食っていけるような大金だった。依頼内容もたった1体の異精を討伐するだけなので、非常においしい話だ。これを逃すのはもったいない……もったいないが、その分危険度も跳ね上がる。
討伐対象である
絶対に断った方がいい。美空さんに余計なストレスをかけたくないしな。
砂糖とミルクを入れ、仕上げにティースプーンでかき混ぜる。そうして完成したものを手渡すと、美空さんは揺れるベージュの水面をじっと見つめた。そのまま数秒が経過し、彼女はどこか吹っ切れたような顔で俺を見上げてくる。
「庵くん、私決めた」
「うん」
「危ない依頼だし、公安以外にも面倒な組織が関わってるの。だから……」
「うん」
「だからこの依頼、受けるね!」
「うん……うん?」
そこは断る流れでは?
先ほどまでの悩みようが嘘みたいに意気込む美空さんは、満杯だったコーヒーを一気に飲み干してしまった。そして勢いよく立ち上がり、
「あ゛つ゛い゛!!」
悶絶しだした。猫舌のくせに何してんだこの人……。
お冷を手渡しつつ「何で受けるの?」と聞いてみると、今度はそれも一気飲みした。お腹壊すよ?
「ぷはーっ! 今回の依頼なんだけど、どうも
そう言って拳を掲げる美空さん。対して俺は、マグカップとコップを片付けながら先ほどの台詞を反芻していた。
──八鹿家とは、かつて異精を用いた暗殺を生業にしていた暗殺集団のことだ。
その特性上、一般人には全く知られていないが、こちらの業界では政府中枢から裏社会にまで巣食う異精犯罪組織として有名だったらしい。
で、何故そんなヤバい連中が「暗殺を生業にしていた」のかというと、つい最近になって壊滅したからだ。
数年前、政府主導で八鹿家の殲滅作戦が密かに決行された。双方に多数の死傷者を出すも作戦は成功し、大昔から根付いていた巨悪は完全に打倒された──なんて都合のいい話があるはずもなく、今度は他の犯罪組織間でシマ争いが激化した。おまけに八鹿家の残党が様々な組織に身を寄せることで、日本中の異精犯罪組織が勢いづくことになってしまったのだ。世はまさに、大異精犯罪時代!!
何故ならこの人は──八鹿家殲滅作戦の実働部隊だったのだから。
「あいつら、また美空さんを利用する気だよ。何かあったら全部美空さんのせいにして、自分たちは知らん顔するつもりだ」
「うん、分かってる。それでも……私が無関係ってわけじゃないからさ」
ほらこれだ。
この人は、優しすぎる。
殲滅作戦に参加した時もそうだった。元は政府と無関係だったのに、公安に拝み倒されて仕方なく連中の一員になり、作戦当日は他の追随を許さないほどの首級を挙げ、挙句その後の顛末の責任を押しつけられて公安を去った美空さん。
当時だって都合よく利用されていると理解していたのに、「困っている人は助けなければいけない」という義務感から、手を差し伸べた美空さん。
今回も同じ悲劇を繰り返すかもしれないと理解していながら、また手を差し伸べようとする美空さん。
──誰よりも優しくて、誰よりも頑固なこの人のことだ。これ以上説得したところで、その決意は揺らがないだろう。
だったらせめて、俺はこの人の支えになろう。
ひとりぼっちにならないように。硝子のように透明で純粋なこの人の心が、音を立てて崩れないように。
「……分かった。俺はどうすればいい?」
万感の思いを込めて問いかけると、美空さんはあっけらかんとした態度で言い放った。
「ありがと! じゃあ今から外国人墓地に行ってくれる? そこで
いや切り替え早いな!
つうかあんたが行くわけじゃないんかい!!
次回、やっとプロローグの場面です。