転生悪役令嬢は、自分をハーレムもののツンデレお嬢様チョロインだと信じて疑わない 作:負け狐
逃さん、とエルは犯人を追いかける。相手はこの街での動きに慣れているらしく、器用に人混みを抜け、入り組んだ路地に入り込み、逃げ切ろうと駆けていく。
だが、エルはそのたびに小さく舌打ちをするだけで、引き離されることなく追跡を続けていた。時折振り返り確認していた犯人は、変わらず彼女がそこにいるのを見て表情が強ばる。
「嘗めんなクソガキぃ! 私のお金、返せぇ!」
「何だあいつ!?」
犯人が思わず叫ぶ。やはりというか子供のようで、声の調子からすると少年なのだろう。勿論エルにとってはだからどうした、である。財布を盗んだ憎き相手である。
悪態をついた少年は、足に力を込めると跳び上がり窓の出っ張りを掴んだ。そこから壁を登り、別の路地へと移動していく。
この、とエルも同じように窓を伝って壁を登ったが、流石に土地勘のある向こうがこの辺りは優勢なようだ。確認してからの彼女と当たり前のように進む少年とで、徐々に差が開いていく。
「ふぅ、危なかった」
屋根まで上がった少年は、そこで一旦息を吐く。モタモタしていると登ってくるだろうから、このまま屋根伝いに移動し一気に引き離す。そういう算段だ。怨嗟のような声が下から聞こえてくるので、猶予もあまりないようだ。
と、その瞬間に猛烈な悪寒がした。無意識に飛び退り、その場を離れる。
「あ、外しましたか」
それと同時に、空から少女が降ってきた。屋根を踏み抜かん勢いで落下してきた少女は、そこで素早くターンすると、よく手入れされた美しい金髪を左右で纏めた、俗に言うツインテールであるそれを翻しながら少年を見た。つり目気味ではあるがパチリとした可愛らしい瞳を彼に向け、そして何かを探るように全身を眺める。
「お財布はどこです?」
「は?」
「エルの財布を、返してください」
エルというのが誰かは少年は知らない。が、恐らく先程追いかけてきた少女だろうと判断し、嫌だねと返した。
そうですか、と少年の返事に頷いた彼女は、そのままノータイムで彼を捕まえに掛かる。
「うぉぉ!?」
「避けられた!?」
「避けるに決まってるだろ!? 何なんだよお前!」
「しがないお嬢様です」
「空から降ってきて人をぶち殺す勢いで財布取り返そうとするお嬢様がどこにいるんだよ!」
「? ここにいるじゃないですか」
「お前以外だ!」
ちくしょう、と少年は踵を返し逃げ出す。待ちなさい、と彼を追いかけようと足を踏み出した彼女は、同じタイミングで横を走る人影を確認して目を瞬かせた。
「あれ、エルじゃないですか」
「今気付いたみたいなわざとらしいリアクションやめてくれます? というかお嬢さまどっから湧いて出たんですか」
「人を害虫みたいに」
「割と性質近くありません?」
「三日ぐらい食事抜きとかいいですよね」
「お嬢さま、偉い、お嬢さま、可愛い」
片言であった。はぁ、と溜息を吐いたリリアは、足を止めないまま横の彼女に問い掛ける。さっきまでのアホなやり取りではなく、現状の話をだ。
「追い付けますか?」
「向こうのほうが街を知り尽くしてる感じしますから、結構難しいですね」
「……となると」
「お嬢さま、流石に街中で魔法ぶっ放すのはやめてくださいね」
「あなたはわたしのことを何だと思ってるんですか」
「勢いで王子に喧嘩も売れる考えなしご令嬢様ですが何か?」
うぐ、と口を噤んだリリアは、大きく息を吐くと足に力を込めた。あ、逃げた、というエルの呟きは聞かなかったことにした。
ちくしょうと、と少年は毒づく。自分の想定していたより数倍面倒な状況になっていることに顔を顰めながら、同時にそうさせた相手の顔も思い出し小さく舌打ちをした。
そうしながら、聞こえてないよな、と周囲を探る。
「待ちなさい!」
「追い付いてきた!?」
後ろから声。こちらが地形を利用しているからこそ捕まっていないのだということを否が応でも自覚させられるそれは、彼にとって屈辱であった。普通に逃げるだけでも相手を撒けると思っていたそのプライドをへし折るものであった。
「どうする……っつっても、このまま捕まるわけにはいかないしな」
ひょい、と屋根から地面に飛び降りると、周囲に落ちていたた石ころを適当に掴み取る。集中し、同じように飛び降りて追ってきているであろう方向に向かって、それを投擲した。
飛び降りた際の衝撃を壁を蹴ることによって緩和し、勢いを削ぐこと無く走り続けるリリアであったが、急に襟首を掴まれたことでぐえ、と変な声が出た。それを行った犯人であるエルは、何を言うでもなくそのまま彼女を引き寄せる。
「エル! 何を――」
ドゴン、と壁に穴が開く。無駄に頑丈なので死ぬことはないだろうが、あのまま進んでいたら結構なダメージを受けていただろう。そのことを確認すると、ドヤ顔のエルへと視線を向けた。
「――助かりました」
「でしょう?」
ふふん、と勝ち誇った彼女は再度加速する。それに続く形でリリアも再び駆け出した。
今のは向こうの少年の仕業なのか。走りながらエルへと問い掛けたが、まあそうでしょうねという返事しかこない。だって直接見てないですもん、という追加の言葉が投げられた。
「でもまあ、どっちにしろあれは普通に投げたわけじゃないでしょうね」
「普通じゃない? 魔術とか?」
「どっちかというと武術じゃないですかね」
原理的には似たようなものだが、こちらは字の如く荒事に強いものがほとんどで、魔道士よりは剣士や騎士、冒険者などが好んで学ぶ術技だ。ピンキリなのも同様だが、こちらのほうが魔法の知識を必要としない分より広く浸透している。その代わり、ものによっては老人の健康体操レベルだったりもするのだが。
「結構使い込んでますね、あれ」
「見たところ、わたしより一つか二つ上なだけだった気がしますけど」
「実戦で鍛えたか、あるいはきちんとした師匠がいるか。ひょっとしたら両方かもしれないですね」
意外と厄介かもしれない。そんなことをぼやきながら、さてどうしましょうとエルはリリアを見る。勿論財布を諦める気はないので、あの少年をどうやってシバくかの相談なのは確定だ。
「……相手が武術を使ってきたのならば、もうこちらも色々やっていいのでは?」
「街、壊さないって約束できます?」
「だからあなたはわたしを何だと思ってるんですか」
「そのやり取りさっきやりましたよ。で、どうなんです?」
「するわけないでしょう!」
言うが早いか、リリアは呪文の詠唱を始めた。は? と横でエルが目を見開く中、彼女は確定させたそれをぶっ放す。
雷光が飛んだ。視線の先にいるその背中めがけ、三本の雷が襲い掛かる。
「ぐあぁぁぁぁ!」
「何しちゃってんですかお嬢さま!?」
「何って、相手の足を止めただけですよ」
「息の根まで止めてません!?」
ゆっくりと崩折れる少年を見ながら、エルはこいつ遂に殺りやがったと溜息を吐く。対するリリアは失敬なと頬を膨らませていた。一体何が気に入らないのか彼女は分からず、表情は不満そうである。
「ひょっとしてお嬢さま、その辺の街の人はいくら殺しても問題ないとか思ってる人だったりします?」
「エル。流石のわたしもそんな考えは昔でも持ってませんでしたよ」
「今は?」
「だから」
疑いの眼差しを向けているエルに向かい、あれを見ろあれを、と少年を指差す。倒れたままではあるが、呻き声を上げて小さく痙攣しているのが視界に映った。
あれ、と思わずエルは素っ頓狂な声を上げる。
「生きてる?」
「ノーラ先生からちゃんと学んでます。殺傷能力を限り無く低くしつつ従来の呪文と同じ性質を持つ暴徒鎮圧用を。……エルが知らないということは、これは珍しい魔法ということですよね。流石は先生」
面白くなって何でもかんでも片っ端から教え込んだノーラの結果オーライというやつであるが、リリアはその辺りのことを知らないので、『低ランクに見せかけた最高ランク』の魔道士の教えだと信じて疑っていない。現状ノーラの立場以外に実害はないので何の問題もないのだ。
ともあれ。電撃により動けなくなった少年へと駆け寄った二人は、やっと捕まえたと彼を見下ろした。体が痺れたままなので碌な抵抗も出来ず、奪い取った財布が取り返されるのを大人しく見ていることしか出来ない。
「――やれやれ。情けないわね」
どこからか蔦が伸びてきた。少年のポケットをまさぐると、今まさに取り返そうとしていた財布を抜き取り、持っていってしまう。突然のそれに反応できず、目で追うことしか出来なかった二人は、そこに一人の少女が立っているのを見た。
「キース。油断のし過ぎではないの? それとも、私が失望してしまうほど弱いのかしら」
「む、ちゃ言うなよお嬢……。こいつら、普通じゃない……」
「それをどうにかするのが貴方の役目でしょう? まったく」
呆れたように溜息を吐いたその少女は、そこで視線を二人に向けた。キースと呼んだ少年から抜き取ったエルの財布を手に、不敵な笑みを浮かべ。
「ごきげんよう。リリア・ノシュテッド公爵令嬢。お会い出来て光栄ですわ」
スカートを摘み、綺麗なカーテシーを行った。
リリアは目をパチクリとさせる。知り合いではないはずだ。見覚えはあるような気もするし、無いような気もするレベル。美しい銀色の髪はツーサイドアップにされており、ツリ目気味のその瞳は、リリアとは違い鋭さを感じさせる。年齢は彼女とそう変わりがなく、そして美少女度合いも負けてはいない。
何より、こんな街の路地裏に現れたのに格好がゴスロリだ。インパクトはかなりのものである。
「エル、どうしましょう」
「はい?」
「わたしとキャラ被ってますよ」
「……そうですね。女の子って部分が被ってますね」
少なくとも目の前のこの相手は横に立っている主人のようにポンコツではないだろう。そんなことを思いながら、エルは適当にリリアの言葉を流した。そうしながら、彼女は出しゃばらず一歩下がる。先程の挨拶を見る限り、恐らくだが、向こうも高位の貴族令嬢だ。ならば相手をするのは自分ではない。そう判断した。
「優秀な従者がついているのね」
「あまりそこは頷きたくないですけど。……それで、あなたは一体」
「あら、これは失礼。わたくし、ラケル・カルネウスと申しますわ。以後、お見知りおきを」
「カルネウス……カルネウス辺境伯?」
「父のことをご存じのようね」
勉強の成果だ、などと言っている場合ではない。この一年で学んだ知識の内、自国関係ではまず王族と四大公爵は必須。そして同様に知っていて然るべき名前の一つがカルネウス辺境伯だ。
その理由は至極単純で、カルネウス辺境伯こそこの国の。
「冒険者ギルドの元締めの、カルネウス辺境伯?」
「ええ。その認識でよくってよ」
そう言って微笑むラケル。何だかよく分からないので頭にハテナマークが浮かんでいるリリア。
その横で、何となく事態を察したエルがあっちゃー、と頭を抱えていた。
「お嬢さま、お嬢さま」
「どうしました?」
「向こうのラケル様は、冒険者ギルドの元締め、辺境伯様のご令嬢なんです」
「そうですね」
「……さっきギルドの入り口でなんて言ったか覚えてます?」
「あ」
ギギギ、と錆びた蝶番のような動きで視線を再度ラケルに戻す。彼女は変わらず笑みを浮かべたままだ。それがかえって不気味で、何とも言えない威圧感を醸し出していた。
えっと、とリリアは恐る恐る尋ねる。ひょっとしてなんですけど、と問い掛ける。
「わたしの、このギルド潰しましょうっていう発言、聞いてました?」
「勿論」
ラケルの笑みは変わらない。表情を変えずに、流石は公爵令嬢ですわねと口元に手を当てた。火を見るよりも明らかな結果を受けたからといって、八つ当たり気味にそんな言葉が出るということは、それだけ立派な生き方をしているのですね。そう言ってクスクスと笑った。
「流石は噂の公爵令嬢。随分と傲慢なことで」
「……確かにわたしは悪かったと思いますけど、そこまで言います?」
「あら、悪いかしら? 冒険者ギルドは父が心血を注いでいる、この国の冒険者の拠り所。それを脅かそうとする者に、何の遠慮が?」
「別に本気で言ったわけじゃ」
「それを本気に受け取る人物が一人もいない? それを実行してしまうような人物は、ゼロ? 貴女の立場をもう少し考えたら如何かしら」
はん、と鼻で笑ったラケルは、持っていた財布を投げ渡す。おっとっと、とそれを受け取ったエルは、即座に中身を見て何も変わっていないのを確認し安堵の溜息を吐いた。
そうしながら、横で泣きそうになっているリリアを見る。まあ確かにこの人あまり自分の立場がどういうものか分かってないところあるよな、と苦笑した。
「でも、それでこっちに嫌がらせをしちゃう辺り、子供なのはそっちも同じですよね」
「……何ですって?」
「エル?」
「ていうかお嬢さま、何で黙ってんですか。いつもならもっとキレ散らかすでしょ?」
「今それやったらわたしが完全に悪者じゃないですか」
「成程成程。お嬢さまの方がきちんと分かってるんですねぇ。どこかのこまっしゃくれたガキンチョと違って」
「……下手な挑発ね」
やれやれ、と溜息を一つ。そうしながら、ラケルはキースの名を呼んだ。回復し動けるようになっていた彼は、マジかよ、という表情で彼女の横に立つ。そんな彼を見て、ラケルは心配いらないと口角を上げた。
「元より彼女達の実力は計りたかったのよ。ここは挑発に乗ってあげましょう?」
「へーへー。いいけど、オババ来る前に終わらせてくれよ」
「当然、そのつもりよ」
やる気を感じ取ったのだろう。リリアも表情を戻し、二人を真っ直ぐに睨んでいる。エルはそうこなくては、と拳をコキコキ鳴らしていた。
「リリアさん」
「なんですか?」
「……良い従者を持ったわね」
「え?」
そこは素直に頷きましょうよ、とエルがジト目でリリアを見た