マガツキノウタ〜現代異能ファンタジーエロゲ世界で何故かようじょに懐かれる件について〜 作:鳥居神棚
茜色に染まった図書室、テーブルを挟んだ向こう側に何かがいた。
ゆらゆらとその姿は波紋のように揺れていて、姿ははっきりとは見えない。
ただ、気味の悪い声が、茜色に、夕暮れ色に染まった図書室に木霊している。
「嘘だろ……」
引き攣ったような、乾いた笑みが浮かんで、力無い声が口から勝手に溢れ出る。
眼前のどうしようもない理不尽に嫌気が差してくる。
本音を言えば、いまだに現状を理解出来ていなさそうな水上先輩の腕を引いて、急いで図書室から、学校から逃げ出したい。けれど、その選択肢を取るわけにはいかなかった。
理解出来ない現象に怯えるように、こちらに身を寄せる彼女をちらりと、一瞬だけ横目で見て、目の前の揺らぐ影へと視線を戻す。
「水上先輩は俺の後ろに。絶対にアレを見ないで、何があっても静かにしていてください」
「ね、ねえこれどうなって」
「いいから、後で説明しますんで今は言うことを聞いてください」
告げた言葉に、怯えと困惑を隠さないまま水上先輩は問いかけてくるが、それに答える余裕は、残念ながら、こちらにはない。
声を荒げる事はしないが、きっぱりと、有無を言わさぬ口調で伝えれば、こくこくと承諾したように頷いて、身を縮めて俺の背中に隠れてくれる。
その間も、不快極まりない嘲るような嗤い声は図書室に響き渡る。
ゲーム内でもこのようなシーンは存在した。水上先輩とこんなふうに図書室の整理をしている時に、怪物に襲われる、というものだ。
その際もこのように図書室は茜色に染め上げられていた。
そうして、現れた怪物に殺されるのは決まって、水上先輩だった。
本来なら本編開始後、つまるところ来年に訪れる筈の鬱イベントの一つ、その状況と現状は酷似している。
喚き散らしたい気持ちを必死に堪えて、徐々に揺らぎが減り、輪郭がはっきりとし出すその影から目を逸らすことなく思考を回す。
どちらにせよあの状態の化け物には干渉できない。それはゲームの方でも語られていた。あの揺らぎは二つの世界が重なっていることを示していて、それが何かの形を成しているのならそれは現世へと流れ込む何か、あるいは虚の庭へと流れ行く何かがある事を指している。
そうして、完全に揺らぎが消えた後で、ようやく干渉が出来るようになる。
そう、今のように。
「ケケケケケケケケ!!」
そこにいたのは、一人の女だった。長い黒い髪に、血に染まったように赤い、狂気に満ちた瞳、裂けそうな程に吊り上がった口元からは牙が見えていて、死人とまごうほどの白い肌。ほっそりとした腕なのに、片手で巨大な鋏を携えて、もう片腕をテーブルにつけている、
テケテケ、そう呼ばれる怪談に登場する化け物は、嗤いながら、その目を俺に合わせる。
背中に冷や汗が流れるのを感じながらも、視線を逸らさない、逸らせない。
不意をつかれれば死ぬ、そうじゃなくても自分は戦い、なんて生まれてこの方したことはない。喧嘩だって口喧嘩ばかりで、殴る蹴る、なんて殆んどしたことがない。
それでも、逃げれば死ぬ。
この夕暮れの景色は、__窓がないはずの図書室を染め上げる夕陽の色は、この図書室、いや学校自体がある種の異界、この化け物の縄張りと化した事を示している。
怪談ベースの怪物は、総じて、場を己の得意な領域に染め上げる力を持つ。そうして、このテケテケは『学校の怪談』というジャンルの集合体、その一端で、起点だ。
図書室の外に出れば次の化け物が現れるだろう。そうして、次から次に化け物が現れ、この学園が化け物屋敷もかくや、という有様になる。
少なくともゲーム中、逃亡の選択肢を選ぶと化け物の群れに襲われることになる。
「来るなら来いや!!」
ヤケクソのように叫ぶと、テケテケは真っ直ぐ、その腕の力だけでこちらへと勢いよく飛び出して、両手で鋏をしっかり掴んで、勢いよく開く。
「っぐぅぅぅぅ!!」
じゃきんと、こちらに到達すると同時に、胴体を切り裂こうとする刃を、両手で止める。
当てて、斬り落とされる前に掴んで、両手から血を垂れ流しながらも、鋏を強く掴んで力を込める。
鋏を閉じようと力を込めてくるテケテケに、こちらも力を込めて押し開く。後ろには水上先輩がいるのだ、このまま押し切られるわけにもいかない。
胸ポケットにはヤツカだっているのだ、屈するわけにはいかない。
ぽたり、ぽたりと床を自身の血で赤く染めていく。灼けるような激痛も、けれど全身を作り替えられるあの痛みに比べれば幾分もマシで、耐えられる範囲だ。
下半身が、体を支える部位がないとは思えないその怪力と、安定感はおそらくこの領域の効果なのだろう。怪談、都市伝説の化け物は『恐れ』こそが信仰で、恐怖させることこそが存在の本質で、だから普通の人間では基本的に対処ができないし、させない。領域も、そう言った面から設定されているのだろう。
けれど、理解が出来るのと納得が出来るのは話が別なのだ。
「っっらぁぁぁ!!!」
鋏を強く掴んだままあえてそれを、化け物ごと自分自身の方へと引き寄せる。その力もあり、ぐいっ、と勢いよく引き寄せられたその上半身目掛けて思い切り蹴飛ばすように、足を突き出す。
生憎ながら、もう自分は普通の人間とは言えない。
錐揉み状に吹き飛ぶテケテケに向けて、ついでとばかりに串刺しになれと祈りながら、掴んだままだった鋏をぶん投げる。
本棚に思い切りぶち当たったテケテケに、追い討ちのようにその胸に『運良く』突き刺さる鋏。
憎々しげにこちらを睨みつけるのもごく僅かな時間で、やがて糸の切れた人形のように、だらりと、鋏が貫通したままの姿で、本棚には傷ひとつ付けることなく、崩れ落ちる。
「……大丈夫、だよな?」
確認するように、崩れ落ちた化け物を見つめる。
動きそうには、ない。
安堵の息をついて、水上先輩の方を見ようと振り返ろうとして、肉を突き破る感覚と共に、己の不覚を呪う。
図書室は茜色のまま変わらず、腹部を貫く血濡れた鋏と、嫌味ったらしい嘲笑を浮かべるテケテケを前にして、視界は黒く、昏く、赤く、紅く染まっていく。
「す、すぐ、くん……?」
耳に届く困惑した声と、耳に届かず、脳裏に直接響く、二つの声を最後に、意識は闇へと沈んでいった。