サリーのロボトミーコーポレーション   作:エリック

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グロ注意です。書いてる本人もSAN値を減らしながら書いてました。晩御飯が可哀想なことになるところでした。


罪のシノニム
#1〜#5 メイ


「…………はぁ。」

 

二度と来たくはなかった。

この場所で働くには、悲しい記憶が多すぎる。

 

「…………しっかりしなきゃ。」

 

あの地獄に、私はもう一度足を踏み入れる。

 

今度は、誰も死なせない。

 

 

 

 

 

 

 

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ロボトミーコーポレーション

世界中のエネルギー生産・供給・開発を一手に任されている超超巨大資本の会社である。

 

「その会社に、まさか私が就職するなんてなぁ……」

 

まだ幼さの残る顔立ちをした、ショートヘアーの女性がそう言った。

彼女がそう呟いた場所は、彼女の言動とロッカーがたくさん並んでいることから察するに、おそらくロボトミーコーポレーションの更衣室なのだろう。

しかし、更衣室にいたのはメイ1人。その他に誰かがいた痕跡は全くない。

 

「メイさん?着替え終わりましたか?」

 

外から彼女を呼ぶ声がした。声の主は優しそうな声音だったのだが、メイは少しビクッと肩を震わせていた。

 

着替えるのが遅かっただろうか?独り言を聞かれて失望されてしまった?

 

メイの脳内を様々な憶測が飛び交う。

しかしメイは、声の主から内定時に貰ったマニュアルに従い、平静を装って扉の奥にいる人物に応える。

 

「はい、マルクトさん。いつでも出勤できます。」

 

「それは良かったです!メイさんは魅力的な新入社員ですから期待しています!これからのお仕事の事を簡単にまとめたマニュアルを作成したので、管理人が来る前に目を通しておいてください!扉の脇に置いておきますので!」

 

元気な声を残して声の主──マルクトは更衣室から離れていった。

 

「すぅ…………はぁ…………」

 

メイは深呼吸をすると扉に手をかけて一気に開ける。

先ほどマルクトに言われた六法全書のように分厚いマニュアルを手に取り、コントロールチームのメインルームへと向かう。

 

「難しい仕事じゃないといいなぁ。」

 

管理人に見られているとも知らずにメイは正直な感想を漏らした。視線の先にはマルクトお手製の六法全書マニュアル。マニュアルがこの量になる仕事が難しくないわけが無いとメイはため息をつく。

 

そんなメイの様子を見て、画面の向こうの管理人がメイの事を「幸薄そうな顔をしている」と言ったのを彼女は知らない。

 

「まぁ、マニュアルに従ってやりますか。」

 

そう言ってメイは分厚いマニュアルを読み始める。

 

「あらゆる事を強制的に抑えるのが抑圧作業か…」

 

メイは独り言を呟きながらマニュアルを読み進める。なぜか管理人から管理作業の指示が来なかったので、メイはひとまず作業内容については知識として理解した。

 

「問題は、これを実際に出来るかどうかってことよね……アブノーマリティってどんなやつなんだろう?本能作業があるってことは生き物っぽいけど、アブノーマリティと交流する愛着作業って何するんだろ……」

 

一抹の不安を抱えながらメイは管理人からの指示を待った。

 

「メイ→O-03-03に洞察作業命令」

 

「洞察……部屋の環境整備するんだっけ?まぁまずは観察だね。」

 

てくてくと廊下を歩きながらメイはそう独り言を漏らす。先程から独り言が多いのは同期がいなくて寂しいからだろうか。

 

何はともあれ、メイはO-03-03の収容室にたどり着く。

堅く閉ざされた扉を開け、O-03-03の収容室に入る。

 

「……骨だ。」

 

そこに居たのは骨だった。2つの杭に縦横両方を串刺しにされた大きな頭蓋骨が悠々と宙を漂っていた。

 

「え?なんで骨?これ本能作業とかどうするの?ご飯食べれるの?」

 

【元気な娘だ。】

 

頭蓋骨が少し不機嫌そうに喋った。同時にメイに強く頭を殴られたかのような錯覚が襲う。痛みを伴わないそれはまるで、魂を直接殴られたような衝撃だった。

視界がグラグラと揺れる。だが体は元気なままで、その不可解な状況がメイをさらに困惑させた。

 

早く作業を終わらせて戻ろう。

 

混乱する自分の頭は放っておいて、メイは洞察作業を進めた。

 

部屋の環境とオブジェクトの様子を素早く紙にまとめる。しかし、どのように改善すれば良いのかメイには検討もつかなかった。

 

「あの……何か困っていることはありませんか?」

 

メイは先ほど頭蓋骨が喋ったことを揺れる頭でなんとか思い出し、頭蓋骨に直接そう聞いた。

 

【………………】

 

メイは命令を完了したが、O-03-03は反応していない。

 

「…………」

 

答えがないことをどう判断すれば良いものか計りかねたメイは、とりあえず報告をしようとコントロールチームへと戻る。

 

【もし重要な目的が正当なものであるならば、一度の悪が許されうるだろうか?】

 

O-03-03の収容室を出る直前、メイの脳内に禅問答のような言葉が浮かんだ。

 

その現象に驚いたメイが振り返った時、収容室の扉は再び堅く閉ざされた。

 

「なんだったんだろう?……あれ?」

 

メイは脳内に直接聞こえてきた言葉に首をかしげるが、少し考えた辺りで異変に気づく。

先程まで感じていた頭が揺れるような感覚が、いつの間にか収まっているのだ。

 

それどころか、精神が清められるような清々しい気分さえ覚えている。

 

「……へんなの。」

 

そう言ってメイはコントロールチームのメインルームへと戻ってくる。

 

「さて、それじゃあマニュアルの続きでも……」

 

「メイ→O-03-03に抑圧作業」

 

「またか。」

 

メイはやれやれと言いたげにO-03-03の元へと向かう。

先ほどと同じように収容室の扉を開け、またもかの頭蓋骨と対面した。

 

(油断をしなければ大丈夫。)

 

【また来たか、娘。】

 

「………………」

 

メイはマニュアルに忠実に抑圧作業を行う。

 

【娘、汝の罪を数えよ。さすれば汝は救われん。】

 

「嫌です。」

 

そう答えた瞬間、洞察作業をした時に感じた振盪感がメイを襲う。メイは胸の中の不快感を押し込めて抑圧作業を続ける。

 

【……それはなにゆえに?】

 

「あなたは信用出来ない。そもそもあなたに罪を告白し、何が変わると言うのですか?」

 

心がザワザワと喚く。得体の知れない不安感がメイを支配して肌が泡立つ。

それでもメイは抑圧作業を止めない。

 

「そもそもあなたは人では無い。私たちと根本的に異なる存在に、私の罪が理解できるのですか?」

 

メイは正体不明の不安感と恐怖で今にも吐きそうだった。

 

(私は……私は失敗しない。)

 

狂信にも似た自信でメイはなんとか持ちこたえ、パニック1歩手前で抑圧作業を終える。

得られたエネルギーは微々たるものだったが、メイにとってそんなことはどうでもいい。

 

今にも叫び出しそうで、気を抜けばなにかに当たり散らすと直感するほど強い衝動をなんとか抑えながらメイはメインルームへと戻ってきた。

 

(メインルームはなんだか安心するな。)

 

何も無い部屋なはずなのに、妙に心が落ち着く感覚に、メイはホッと一息ついた。

 

そんな平穏もつかの間、次なる作業がメイに指示される。

 

「メイ→O-03-03に愛着作業」

 

「愛着作業……オブジェクトとの交流、か。O-03-03怒ってないといいなぁ……」

 

先ほどあれだけ手酷いことを言っておいて、あのオブジェクトは怒っていないかとメイは心配する。

 

メイは憂鬱な気分でO-03-03の収容室へと向かう。

 

扉の前で一瞬逡巡したものの、えいやっと勇気を出してメイはO-03-03の収容室へと入った。

 

【来たか娘よ。汝の罪を告白せよ。】

 

「……先ほどはすみません。酷いことをあなたに言ってしまいました……」

 

メイが開口一番そう言うと、頭蓋骨はカタカタと顎関節を鳴らす。

 

【娘よ。人はどんなときも自身を偽らねばならない時がある。それが自分と異なる存在の時はなおさらだろう。】

 

頭蓋骨は笑っているのか、リズミカルに顎関節を鳴らし続ける。メイはキョトンとした表情で頭蓋骨を見やっていた。

 

【娘、我らは感情に聡い。汝らが恐怖すれば我らはそれを鋭敏に感じ取る。故に、我らの前では自己を偽らねばならないであろう。】

 

だが、と前置きをして頭蓋骨は続ける。

 

【だが、我が前では偽りは不要。汝の罪を告白し、汝の精神を休めよ。辛くなると、またここに来るといい。】

 

頭蓋骨は上機嫌でそう言った。

 

「はい。…………はい。」

 

メイはゆっくりと、しかし力強く頷く。

十分なエネルギーが溜まった。作業はもう終わりだ。

 

メイは収容室の扉に手をかけ、やめた。O-03-03に向き直り、言葉を告げるため。

 

「この前の質問、考えておきます。」

 

【あぁ。汝の答えが思いついたら教えておくれ。】

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あの日、O-03-03に言われたことの意味を、私はまだ測りきれてない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2日目

メイがメインルームに行くと見知らぬ顔がメイを出迎えた。

 

「おはようございます、メイ先輩!」

 

「???……えっと…………?」

 

メイは見知らぬ青年に困惑して目を回す。その様子を見てなにかに気づいたのか、青年はメイが次の言葉を絞り出す前に言葉を紡ぐ。

 

「あ、自己紹介がまだでしたね!僕はネビルって言います!本日よりこのロボトミーコーポレーション・コントロールチームに配属になりました!ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いしますっ!」

 

「……よろしくお願いします。」

 

明るい新入社員──ネビルは朗らかにそう言った。

元気な子だなぁ、とメイは思ったが、口に出すのはやめておいた。何が原因で関係が拗れるか分かったものでは無い。

 

特に、得体の知れない者を管理するこの会社では。

 

(まぁ、その管理を一手に任されている管理人はもっと得体がしれないけど。)

 

「管理人……いったいどのくらい頑張れば管理人になれるんですか?」

 

「ん?メイ先輩、何か言いました?」

 

「いや、何も。」

 

メイのそっとこぼした愚痴をネビルが拾う。メイは幸薄そうなポーカーフェイスで誤魔化した。

 

ネビルは少し首を傾げたものの、考えていても仕方がないと頭を切り替えて職務に戻る。

 

「なら話は変わりますけどメイ先輩、オフィサーのみんなが「アブノーマリティに注意しろ」って言うんですけど、そんなに危険なんですか?」

 

メイはそう聞かれて少し考える。確かに昨日のO-03-03の抑圧作業は酷い悪感情に苛まれて頭がおかしくなりそうだったが、それ以外の作業は特に問題なかったように思う。

それに、作業効率が悪い作業を管理人がわざわざ振るとは思えない。

 

「うーん……作業内容にもよるけど、そこまで危険はないように感じるかな。まぁ、一度O-03-03の作業を経験してみて、その通りにやれば大丈夫だよ。」

 

「なるほど……経験は何ものにも変え難い知識ってことですね!勉強になります!」

 

昨日とはうってかわってゆったりとした時間が流れていた。

メイが「今日は管理作業しなくても大丈夫そうなのかな?」と思った時、作業命令が下される。

 

「ネビル→O-03-03に愛着作業」

 

「あっ!僕の出番みたいです!愛着作業は確か……」

 

「オブジェクトと交流する作業。O-03-03は見た目怖いけど優しいオブジェクトだから、愛着作業なら安全なはず。初仕事頑張ってね。」

 

作業命令が下されて、少しだけビクッとしたネビルの不安を取り除こうとメイは昨日の作業結果を伝える。

ネビルはそれを聞いて安心したのか満面の笑みでメイの方へと向き直った。

 

「はい!行ってきます!」

 

ネビルはてくてくとO-03-03の収容室へと向かう。

収容室の扉を開き、中に入ると頭蓋骨がいた。

 

ネビルは驚かなかった。あらかじめメイに「O-03-03は優しいオブジェクトだ」と言われていて安心したのか、先程までと変わらぬ元気な笑顔でO-03-03と対峙する。

 

「こんにちはO-03-03!僕はネビルって言います!」

 

【我が姿を見ても動揺せんとは、豪胆な坊だな。】

 

頭蓋骨は楽しそうに顎関節を鳴らす。その様子を見たネビルはメイの洞察は凄いとメイの評価を上げる。

 

「メイ先輩から少しだけ、あなたの事を聞いていましたから!」

 

【ふむ、あの娘か。あの娘は素直で流されやすいが芯が強い。相反する特性を持つ珍奇な娘よ。】

 

「メイ先輩は自慢の先輩ですっ!」

 

メイが褒められて嬉しいのか、ネビルは鼻高々に頭蓋骨に言う。メイはメインルームで大きなくしゃみをした。

 

カラカラと朗らかに笑うネビルを頭蓋骨は優しく見守っていた。

 

【坊、我から1つ、聞いても良いだろうか?】

 

「えぇ、もちろん!僕はあなたの事を聞きに来ましたから!」

 

ネビルは真剣な表情を作ってレポート用紙を構える。いつでもメモを取る準備は万端だと言外に伝えていた。

 

【もし重要な目的が正当なものであるならば、一度の悪が許されうるだろうか?】

 

「…………」

 

ネビルは考えに耽ける。作業が終わりを告げる合図が鳴っても、ネビルは考えていた。

 

【坊、焦ることは無い。答えが出たらまた──】

 

「許されます。」

 

頭蓋骨がネビルに助け舟を出した時、ネビルがぽつりと呟いた。

 

「許されると思うんです。誰かを思っての行動なら、誰かを守るための行動なら、たとえどんな結果に終わっても、それが最善だったと思えたその行動は許されます。」

 

【……それが坊の答えか?】

 

「えぇ。これが今の僕の答えです!」

 

あぁ、作業時間終わってた!と慌てた様子でネビルは収容室を後にする。

O-03-03は彼の言葉を深く胸に刻んでいた。

 

これまで数多の回答にそうしてきたのと同じように。

 

収容室から出たネビルは晴れ晴れとした穏やかな気持ちでメインルームへと戻る。心なしか足取りも軽いように見える。ネビルがメインルームに戻った時の第一声はメイに向けたものだった。

 

「先輩!僕も作業出来ましたよ!」

 

「上手にできたみたいだね。こっちまでO-03-03の作業後みたいな清々しい気分になったよ。もしかしたら私より上手にできてたのかも。」

 

「本当ですか?!ありがとうございます!!」

 

ネビルはメイに褒められてとても嬉しそうにしていた。メイもそんなネビルを穏やかな表情で見つめている。

 

穏やかな時間がメインルームで流れていた。

 

「メイ→T-06-27に抑圧作業」

 

そんな空間に突如として作業命令が下される。新しいアブノーマリティへの作業命令だった。

 

「あっ、今度は先輩の番ですね!先輩、このオブジェクトは……?」

 

「昨日はいなかったオブジェクト……だと思う。まぁ、いつも通りやれば大丈夫だと思うよ。」

 

「さすが先輩です!頑張ってください!」

 

ネビルの応援を背に受けて、メイは作業へと向かった。

 

T-06-27の収容室に繋がる廊下をてくてくと歩きながら、メイは内心冷や汗をかく。

 

(抑圧作業……優しいO-03-03でさえ気が狂いそうなプレッシャーを受けた指示を、全く知らないアブノーマリティにするのか……不安だな……)

 

しかし、作業命令を勝手に変えることは出来ないしやってはいけない。

管理人が行うと言った以上、管理人を信じて祈ることしかメイにできることはないのだ。

 

「大丈夫……大丈夫…………マニュアル通りにやれば大丈夫だから……」

 

半ば自分を騙すように言い聞かせてメイは収容室の扉を開けた。

 

収容室は完全な無人。生き物どころか物すら置いていない。

けれど、何かの音が絶え間なく聞こえてくる。

 

銃声、泣き叫ぶ声や怒号……

ありとあらゆる悪感情の本流にメイは呑まれそうになる。それでもメイは自分の本分を忘れない。

 

「銃声……怒号……?何かの争い?紛争や戦争?バカバカしい。」

 

何かが焦げた匂いと硝煙の香りがほのかにメイの鼻腔をくすぐる。

怒りや悲しみといった悪感情がメイの心に直接染み込んでいく。しかし、その全てを否定するのが自らがなすべきことだとメイの正義が告げていた。

 

「武力で解決出来ることなんてほとんどない。表面上は解決できたとしても、必ず遺恨が生まれる。理性で解決できなくなった時に用いられる武力なんて、何もする気がないだけだよ。」

 

聞こえてくる怒声が大きくなる。どこかで赤ちゃんが泣く声が幾重にも重なってメイの脳内を反響する。頭がどうにかなりそうな激しい頭痛と得体の知れない嫌悪感にメイは吐きそうになるが、喉の奥の饐えた物を飲み下して抑圧作業を続ける。

このくらいなら問題ない。昨日のO-03-03への抑圧作業の時よりはマシだとメイは不敵に笑った。

 

「これは忘れちゃいけない記憶なのかな?武力行使は悲しみと新たな憎悪を生み出すって伝えるために、私たちはこれを忘れちゃいけない気がする。私たちが、この音や匂いのように、安易な手段を取らないためにも。全然ダメだったこの記憶の二の轍を踏まないように、私はこれを忘れない。」

 

そこで作業終了の合図がなる。メイが収容室の扉へと向き直るとメイは背後に何者かの気配を感じた。

バッと勢いよく振り返っても、そこには何もいない。

 

「……雰囲気に呑まれちゃったかな?」

 

メイは小さく呟いて収容室を後にした。

頭がズキズキと痛み、精神的にかなりの疲弊をしたものの、体感的には昨日のO-03-03の抑圧作業後よりも楽だとメイは思っていた。

 

それはメイの成長ゆえの評価か、それとも抑圧する対象が見えていないがゆえの錯覚か。

 

「あ、メイ先輩おかえりなさい!作業どうでした?」

 

「……まぁ、昨日の一番キツかった作業よりは平気。ちょっと精神的に来るオブジェクトだけどね……」

 

「初めてのオブジェクトの作業も簡単にこなすなんて……メイ先輩さすがです!」

 

「ふふっ、ありがとう。」

 

メイはネビルに優しくほほ笑みかける。ネビルはそれを見て少し気恥しそうにはにかんだ。

 

T-06-27で摩耗した精神をメインルームで癒していると、再び作業命令が下された。

 

「ネビル→T-06-27に洞察作業」

 

「次は僕が作業する番ですね!先輩みたいにうまくやってきますよ!」

 

「うん。マルクトさんのマニュアル通りにやれば大丈夫だから、安心してやっておいで。」

 

「はい!戻ったらぜひ、先輩と情報交換したいです!」

 

そう言ってネビルは意気揚々とメインルームを後にする。

 

「!!!ネビルくん!」

 

扉からネビルが出てしまう直前、メイは何か嫌な予感がしてネビルを呼び止めた。ネビルは不思議そうな表情でメイの方に振り返る。

 

「どうかしましたか、メイ先輩?」

 

しかし、メイのそれはうまく言葉にできないような不安感で、ネビルに何も伝えることが出来ない。

 

「…………いや、なんでもない。頑張ってね。」

 

「はい!」

 

結局メイはその不安感をT-06-27への抑圧作業の弊害だと思ってやり過ごした。

 

それがどういう結果を生むのか、歯車は知らないところで噛み合ってしまった。

 

「メイ先輩、急にどうしたんだろう……?」

 

ネビルはメイの行動を訝しみながらもT-06-27収容室への歩みを止めない。

先ほどO-03-03の作業を行った時と同じように収容室の扉を開けて中に入る。

 

中は全く何も無い空間が広がっていただけだった。

 

「アブノーマリティへの作業はさっきもやったんです。焦らず、ゆっくり、慎重に。」

 

そう決意を新たにするネビルをよそに、どこからか銃声が鳴り響く。続いて耳をつんざくような女性の叫び声、幾重にも反響する赤ちゃんの鳴き声がネビルの頭の中に直接入り込んでくる。

 

「この音……どこから……?」

 

グラグラと脳が揺れる感覚を覚えながらもネビルは指示された洞察作業をこなそうと周囲を観察する。

 

その瞬間、ネビルの脳に人々の声が濁流のように押し寄せる。

 

助けを求める声、誰かを探す声、怒号、焦り、錯乱した叫び、意味をなさない絶叫……

老若男女を問わない多種多様な様相の悪感情の本流にネビルの脳は割れそうだった。

 

凄まじい吐き気と頭痛に苛まれ、ネビルの視界に映る景色は3つに割れる。重なったりブレたりするその景色はネビルを精神を蝕んだ。

 

「落ち着いて……大丈夫……僕は……うまくやれる……」

 

膝をついて精神を落ち着かせようとするネビルの視界に、あるものが映った。

 

それは若い女性の姿をしていて

それは幸の薄そうな顔をしていて

それは見覚えのある顔をしていて

 

そしてそれは、頭から脳漿を撒き散らして無様に叫んでいた。

 

それとネビルの目が合う。ネビルは尊敬する先輩の姿をしたそれから目が離せない。

 

そしてそれは、ネビルに向かって語りかけるのだ。

 

【助……ケテ……】

 

「うわあああああああああああ!!!」

 

ネビルは錯乱し、まだ作業は終了していないというのに収容室の扉をこじ開けて外に飛び出す。その表情は恐怖を煮詰めて固めたような様相を呈し、血走った目で廊下を疾走する。

 

ネビルは廊下に備え付けてあった非常用消火栓をこじ開けるためのバールを手に取り、狂ったようにT-06-27の収容室扉を殴りつける。

 

「来るな、来るなああああああああぁぁぁ!!!」

 

狂気に取り憑かれた彼は見えない何かと必死に戦っている。それが何かは私たちには分からないが、ネビルは血の気が引いた顔で一心不乱に扉を殴りつけていた。

 

「家に返してください、管理人!家に帰して!」

 

ネビルの悲痛な叫びと打撃音がコントロールチーム全域に響き渡った。

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それはまるで夢のようで

「あれ?醒めない、醒めないぞ」って思って

彼の顔や声、発した一言一句が瞼を閉じれば浮かんできて

 

それがまだ、続いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「マルクトさん、ネビルくんが!」

 

ネビルの叫び声を聞いたメイが大慌てで直属の上司──マルクトに指示を仰ぎにいく。

ただ、慌てるメイとは対照的にマルクトはとても冷静だった。

 

「ネビルさんはパニックを起こしているようですね。じきに管理人から鎮圧命令が下ると思うので準備しておいて下さい。」

 

「鎮……圧……?」

 

マルクトのその言葉を聞いて、メイは目が眼窩からこぼれ落ちそうなほど丸く見開いた。

 

その意味を、メイは掴んでいた。理解もできていた。

しかし、そのあまりにも淡々としたその様子に、自分の認識がおかしいのかとマルクトに聞き返す。一抹の期待すら覚えながら、メイはマルクトに鎮圧の意味を訊ねる。

 

しかし、マルクトはメイの期待を残酷に、淡々と裏切った。

 

「え?えぇ、鎮圧です。言葉の通りの意味ですよ。あなたに支給された非常時用のその武器で、彼の行動を止めてください、と言えば分かりやすいですか?」

 

笑顔でサラリとそう言うマルクトに、メイはある種の恐怖すら感じた。

しかし、そんなことでネビルを諦めるほどメイは冷酷ではない。さっきまで笑顔で話し合っていて、自分を慕っていてくれて、あんなにも優しい、優秀なたった1人の同僚を手にかけるなど、今のメイには考えられなかった。

 

「で、でもマルクトさん!彼は悪い子じゃないんです!まだ1日しか一緒に働いていませんけど、普段はあんなことをする子じゃないですし、O-03-03の作業結果も凄く良かったんです!カウンセリングを使ったり、メインルームで落ち着かせれば何とか……!」

 

食い下がるメイに、マルクトは一つため息をつくと幼子をあやす様にメイに言い聞かせる。

 

「アブノーマリティの影響によるパニックは、同じくアブノーマリティのE.G.O──自我、簡単に言い換えるなら精神の根源の力でしょうか?その力を借りなければ治りません。カウンセリングなどの人の力でどうこうできるものでは無いんです。」

 

「だったらそのE.G.O.?を今すぐ作ればネビルくんを……」

 

「無理です。E.G.O.の開発には多くのエネルギーと時間を要します。少なくとも一晩はかかりますし、開発に取り組めるのもエネルギーの関係で業務終了後です。それまでネビルさんを野放しにしてはT-06-27の収容違反は免れないでしょう。そうなればもっと多くの被害が起きて、最悪の場合、あなたも死んでしまいます。」

 

マルクトは分かりやすく、けれども無慈悲な宣告をメイに下した。

ちょうどその時、メイに管理人からの指示が下る。

 

「メイ→ネビル鎮圧」

 

詰みだった。どうしようもない状況、逆らえない命令、取れる手段は一つだけ。

メイは最悪の手段を取ること以外は認められない、選べない状況下に放り込まれた。

だったら、メイはそれを全うするしかない。

 

そうだろう?

 

「メイさん、管理人から鎮圧指示ですよ!大丈夫です、メイさんならきっとうまくやれますよ!」

 

にこやかに言ってくるマルクトがこれ以上なく恨めしかった。

 

「メイ→ネビル鎮圧」

 

無感情に指示をこちらに告げてくる端末の文字がこの上なく憎かった。

 

そして、その手段しか取れない自分の無力さが何よりも辛かった。

 

「…………」

 

メイは幽鬼のようにゆらりと立ち上がると酷くおぼつかない足取りでメインルームから出ていく。

 

「頑張ってくださいね!」

 

マルクトの声が背後からするが、メイには届かない。

酷く短い時間だったけれど、一緒に働き、一緒に話した同僚だったのだ。鎮圧するのは容易ではない。

 

「管理人!管理人!ここから出してください!」

 

錯乱して叫ぶネビルの姿が見える。普段は優しい彼の瞳は狂気に濡れていて、いつもうっすらと微笑んでいたその口元は恐怖に引きつっていた。

 

1日を共に働き、笑いあった同僚を今から手にかける。

 

その重圧がメイの精神を蝕んでいた。

 

「ねぇ管理人!非常用の扉があるんでしょう?!僕をそこから出してください!」

 

「…………」

 

それでもメイは

それゆえメイは

 

その手の武器を振り下ろす。

 

「…………ッ!」

 

ぐちゃりと肉が潰れる音がした。手に持った警棒から生々しい肉の感触が伝わってくる。

殴った警棒が押し返されるような弾力と、負荷に耐えきれずちぎれた皮膚の感触、そしてドロリと滴って充満するむせ返るような血の匂いがした。

 

それでもネビルは外傷を気にせずT-06-27の収容扉を殴り続ける。

そこにいる彼にしか見えない何かに向けて、一心不乱に殴り続ける。

 

「…………ッッ!」

 

ボキリと骨が折れる感触がした。ネビルの肩の関節が外れ、殴った肩は肩甲骨が折れたのか背中が羽のように盛り上がっている。

 

今にも皮膚を裂いて骨が突き出て来そうなその様相が鉄の香りと相まって吐き気を誘う。

 

血だらけになり、肉片がこぼれ、片腕が使えなくなってもなお、ネビルは片手でバールを振るい続ける。

 

「…………ッッッ!」

 

バキリと骨が砕ける音がした。殴った腿は半ばで折れ、普段とは逆方向に折れ曲がっている。ネビルは足を折られたことで立つことが出来なくなり、顔から地べたへと落ちる。

その衝撃で折れていた骨が皮膚を突き破って外側へと進出した。

テラテラと血肉が煌めく。地面には血溜まりが広がり、とても動ける状態では無い。

 

それでもネビルはバールを振るう。

見えない何かにむけて、バールを振り続ける。

 

「…………ッ!」

 

鼻腔を突き刺す鉄の香りと喉の奥から迫り上がる酸っぱい匂いの何かを必死に堪えて、メイは再び警棒を振り上げる。

 

それを振り下ろした瞬間だった。

 

メイには聞こえた。聞こえてしまった。

 

「…………死にたくない」

 

小さな小さな声で、ネビルがささやかな願いを口にした時、メイはもう、警棒を止められるような状況ではなかった。

 

メイは振り下ろした警棒を、せめてネビルに当たらないようにと軌道修正に励む。

 

結果は実を結んだ。

 

最悪の方向に、だったが。

 

暴れるネビルに確実に当たるようにとネビルの背中を狙っていた警棒は軌道を逸らされることでメイから見て左側へと軌道をずらした。

 

結果、メイの警棒はネビルの頭蓋を破壊した。

 

バキッといっそ軽快に砕けた頭蓋から

びちゃり、と何か生暖かい液体と半個体の何かがドロリとメイに降りかかる。

 

それが脳漿だと理解するのに、そう時間はかからなかった。

 

「……あ、……あぁ…………ああぁ……ああああああああぁぁぁ!!!」

 

メイの慟哭がコントロールチームに響き渡る。

 

正気は保っている。

理性は残っている。

 

ただ、もう残っていないと思っていたネビルの理性が残っていた。その事実が「ネビルはもう理性が残っていない」と自分に言い聞かせてきたメイの精神を激しく焦がす。

 

助けられたのではないか?E.G.Oなんてなくともなんとかできたのでは?

 

今更になってその後悔が、ネビルの理性を垣間見たことで襲いかかる。

 

その後のことを、メイはよく覚えていない。

マルクトが何かを言ってきた気がする。褒められたのか、貶されたのか、心配されたのかすら分からない。

2回くらいT-06-27に作業をした気がするが、その記憶は朧げだ。もうなんの作業をしたのかも覚えていない。

 

ただ、2回目の作業では抑圧作業だったのをいいことに酷い暴言をT-06-27に吐いた気がする。作業結果も内容もよく覚えていないけど。

 

次の作業で必要なエネルギーが貯まりそうだ。

早く終わらせて早く眠ってしまおう。エンケファリンを摂取して、今日の記憶を忘れてしまおう。

 

いつもは心が洗われるような感覚がするメインルームも、今の彼女を癒すことはなかった。

 

最後に彼女はO-03-03に愛着作業を命じられたが、彼女の心はそこになく、彼女の返答は空回りしていた。

 

そんなメイを、O-03-03は静かに見守っていた。

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だからこれは、私が誓ったただひとつの決意だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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3日目

昨日ネビルが“退社”したこともあってか新入社員が3人も増えた。

 

「これでみんなに「翼に入社できた!」って自慢できる!」

 

優柔不断の新入社員ディーバ

 

「入社することが目的じゃなくて、入社して何を翼に返せるかが大切だから。」

 

魅力的な新入社員ブラウン

 

「というと、ブラウンさんは管理人になりたいの?」

 

優しい新入社員デクスター

 

「そうね。いったいどのくらい頑張れば管理人になれるんですかって感じだけどね。」

 

「ブラウンさんは向上心が高いなぁ。僕は入社できただけで万々歳だよ。デクスターくんは?」

 

「私?私はそうだな……この若ハゲを治したいな。」

 

「あっはは!髪を生やしてくれるアブノーマリティがいるといいね!」

 

3人は同期ということもあってか、和気あいあいと話していた。

 

(ネビルくんも、こんなふうに希望に満ち溢れてたな……)

 

メイはその様子を遠目に眺めていた。

 

(私も、そしてこれまでの新入社員もこんな感じだったんだろうか?そしていつか、この絶望を、あの恐怖を知るんだろうか?)

 

そこでメイは昨日のネビルを思い出す。血溜まりと肉片の中で狂気的にバールを振るっていた彼の姿を。

 

「……ッ!」

 

メイは鼻の奥に香った酸味を飲み下し、深呼吸を繰り返す。

 

「……この施設と廊下には、いろんな人の絶望と恐怖が刻まれてるみたいだ。」

 

その痕跡をもう残したくないと思いながら、メイは3人の元へと歩み出す。

 

「おはよう、3人とも。」

 

「おはようございます……?」

 

「えっと……はい……」

 

「あの……先輩……大丈夫ですか?」

 

メイが3人に挨拶をすると、3人は不思議な顔でメイに返した。きっと今の自分は酷い顔をしているに違いないとメイは思った。

 

「あぁ、大丈夫だよ。昨日ちょっと眠れなくてね。夜更かししちゃった。」

 

嘘はついていない。

 

「眠れなくなる……アブノーマリティってそんなに危険な存在なんですか?」

 

「えぇ、とても。」

 

反射的に、とても冷たい声色でメイは言う。昨日のことを思い出してつい口をついたその言葉を、メイは後悔した。新入社員の顔を見ていると、3人は変に引きつった表情をしていた。底冷えするようなメイの声に3人は恐怖したのだ。

 

慌ててメイは明るく振る舞い、3人の緊張をほぐそうとする。

 

「でも、マルクトさんのマニュアル通りにやれば大丈夫だよ。管理人も、まだマニュアルができてないアブノーマリティには先輩である私を派遣すると思うし!」

 

無理に作った笑顔は、4人の間にあった異様な雰囲気のおかげで「あぁ、勇気づけようと頑張ってくれているんだな」と不自然に思われなかった。

ただ、新入社員が一様にマルクト特製六法全書マニュアルを読み始めたところを見ると、メイの助言は役に立ったらしい。

 

「まぁ最初はO-03-03の作業をするだろうし、O-03-03は抑圧作業以外ならマニュアル通りにやれば大丈夫。」

 

ちょうどその時、管理人からの作業指示が下される。

 

「ディーバ→O-03-03に洞察作業」

 

「僕ですね……!洞察作業は……見るだけ……見るだけだから……」

 

ブツブツと呟いてディーバはメインルームから出る。残ったふたりはハラハラしながら扉をじっと見つめていた。

 

しばらくして、メインルームの扉が開く。戻ってきたディーバは行きよりも良い顔をしていた。

 

「先輩の言う通り大丈夫でした!O-03-03は見た目より怖くないですね!あのアブノーマリティなら僕大丈夫そうです!」

 

ディーバのその言葉を聞いてブラウンとデクスターは目に見えてホッとしていた。

 

「ブラウン→O-03-03に愛着作業」

 

作業指示は続けて行われる。

 

「それじゃあ、お先に。」

 

デクスターに断ってからブラウンはメインルームを出ていく。

デクスターは扉をじっと見続け、メイとディーバは思い思いに過ごしていた。

しばらく経って扉が開く。

 

「ブラウンさん!大丈夫、ですか?」

 

「えぇ。むしろなんだか清々しい気分がするの。」

 

心なしか弾んだ声でブラウンは言う。その後、ブラウンとディーバ、それにこれから作業に向かうであろうデクスターの3人でO-03-03の情報共有をしていた。

 

仲睦まじい3人を、メイは悲しげな目で見つめていた。

 

その後、デクスターはO-03-03に洞察、メイはT-06-27に抑圧作業をそれぞれ命じられ、作業を終える。

両方とも良いとは言えない結果ではあったもののそれなりのエネルギーを生産し、本日のノルマは達成された。

 

「……けど、まだ仕事は終わらない。まだ、新しいアブノーマリティがいるはず。」

 

メイは理解していた。昨日は稼働していなかったエレベーターが稼働しているとディーバに報告を受けたからだ。

エレベーターはどこに繋がっているのかと訊ねられたが、それはメイにも分からない。

 

「メイ→O-01-92に愛着作業」

 

来た

メイは思った。

 

見知らぬオブジェクト、姿も性格も好みも何一つ分からないオブジェクト。

 

自らの気持ちを押し隠さなくては、O-03-03が言っていたように、恐怖や動揺を感じ取られてオブジェクトが攻撃的になる。

 

自制の心を強く保とうと決心し、メイは収容室の扉を開ける。

そこには昨日嗅いだ鉄の匂いと、人間の顔の生皮が5枚貼り付けられたボードがあった。

メイから見て1番左のボードの下に足が生えているところを見るに、あそこに人がいるのだろう。

 

「……ッッ!」

 

メイは昨日の光景がフラッシュバックして正気を失いかけるがなんとか持ち直す。

 

「深呼吸して…落ち着け…」

 

自分を律するようにそう呟いてメイは深呼吸を繰り返す。

 

ひとまずポーカーフェイスを取り繕えたところでメイは作業を始める。

 

「こんちには。」

 

【えぇこんにちは……今日はいい気分です。】

 

消え入りそうな小声でO-01-92が答える。とてもいい気分の人が発するような声音に聞こえないが、メイは気にせず作業を続ける。

 

「なるほど、それでもいい笑顔をしてらっしゃるんですね。」

 

【!!!】

 

パネルの皮が表示する表情を見てメイがそう言った時、O-01-92の胴体がぶるりと震える。

しまった、地雷を踏んだか?とメイは思ったが、メイの心配は杞憂に終わる。

 

【えぇえぇ!そうなんです!私は感情表現があまり上手くなくて……でも、表情を作った顔の皮を貼り付けて、気分によって変えればみんな分かってくれるかなって!やっぱりこのやり方は正しかったんだ!!!】

 

興奮して話すO-01-92にメイは若干及び腰になりながらも作業を続ける。

 

「表情を作るのがあまり上手ではなかったのですね。訓練なども頑張ったのでしょう?」

 

【そうなんです!なんどもなんども頑張ったのに、村の人達は分かってくれなくて……だから、表情豊かな彼らの表情を参考にして、自分の皮を剥いで使ってるんです!いやぁ、わかってくれる人がいて良かったぁ!】

 

メイの背中が泡立つ。O-01-92のパネルが生皮なことは匂いで分かっていた。

けれど、それがまさか生きた人間の、それも自分のもので、それを誇りにさえ思っているだなんて。

 

中性的な声のO-01-92に戦慄するが、メイは強い自制心で恐怖を押さえ込み、作業を続ける。

 

「なるほど……それは辛いこともあったでしょう?」

 

【はい……皮を剥ぐ時に入れるナイフの感覚、肉が潰れる音、間違って肉までそいでしまった時は大変でした……血は止まらないし、骨は丸見えだしで何週間も肉に這いずる蛆と格闘していましたよ……あぁ、なので今の私に鼻はありません。】

 

淡々と話すO-01-92、その話の生々しさと昨日の経験が重なる。

 

(我慢しなきゃ……私は大丈夫……大丈夫、だから……)

 

そうこうしているうちに作業終了の合図が鳴る。

 

「すみません、呼ばれてしまいました。またすぐに来ますね。」

 

【えぇ是非!またお話しましょう!】

 

メイは収容室から出る。ほっと一息つくメイにある違和感が襲いかかる。

 

頬の辺りが温かい。ちょうど、頬骨の付け根から首筋の辺りが妙に生温かかった。

 

「???………………!!!」

 

不思議に思って頬骨を触ると、ぬるりとした感覚とともに指に生ぬるい液体が付着する。

 

「ダメ……あの子たちが不安になっちゃう……」

 

メイはその液体を拭い、ポケットに入れていたハンカチで頬骨を強く押さえる。

簡易的だが迅速な処置のおかげで血は止まる。首筋に伝っていたものも、そこまで多くはなかったため、スーツに血が付着することもなかった。

 

「あ、先輩お疲れ様です。……その、大丈夫、ですか?」

 

ブラウンのその一言にメイはギクリとしつつも表情には出さずに続ける。

 

「ブラウンちゃんか。どうしたの?」

 

「いえ……勘違いだったら申し訳ないんですけど、なんだか先輩、元気がないように見えたので……」

 

「そう……私はいつもこんな感じだよ。マルクトさんによると、私は管理人に「幸薄そう」って言われてるらしいし……」

 

先ほどO-01-92に作業した時にできた外傷について言及されているのではないと分かってホッとしたメイは、マルクトに聞いた真実を織り交ぜながら嘘をつく。

 

「す、すみません!デリケートな問題に踏み込んでしまいました!」

 

それを聞いたブラウンは、慌てながらも目に見えて安堵する。昨日アブノーマリティ絡みで何かあったのではないかと勘ぐっていた彼女は、それをメイに否定されることで安心しきっていた。

 

メイもその事は分かっている。アブノーマリティが本当は危険なことを知っていた方がいいことも理解している。

 

けれど、それで不安になってT-06-27の作業をされては彼女もT-06-27に呑まれてしまうだろう。

昨日のネビルのような悲しい犠牲者を、メイは見たくないのだ。

 

「ブラウン→O-01-92に洞察作業」

 

(?!どうしてブラウンちゃんに新しいアブノーマリティの作業を!?)

 

ブラウンに新たな作業指示が出される。

メイは管理人の考えが分からず困惑する。まだ何も情報が分かっていないアブノーマリティに対して、感情を自制することに慣れていない新入社員を行かせることは、O-03-03が言っていた事が真実ならば間接的な殺人行為だ。

 

「先輩がさっき作業してきたアブノーマリティですね。先ほどはかなりのPE-BOXが生成されたそうですし、私も恥じぬよう頑張ってきます!」

 

ブラウンは気合を入れてメインルームから出ていく。

その背中にメイは言葉を投げかけた。

 

「ブラウンちゃん!」

 

「?なんですか、先輩?」

 

「アブノーマリティがどんなことを言ってきても、本心を出しちゃダメ。仕事として、私情を挟むとろくなことにならないからね。」

 

向上心が高いブラウンにこう言えば、ブラウンはきっとその通りにやってのけてくれるだろう。

 

メイはそう考えてブラウンに助言する。

 

「分かりました。感情に振り回されるとろくなことになりませんからね。」

 

ブラウンは自虐的に微笑んでメインルームを出る。

 

エレベーターに乗って下の階へと赴き、てくてくと廊下を平常心を保って歩く。

 

「アブノーマリティかぁ……O-03-03は哲学的だったし、O-01-92はどんな感じかな……メイ先輩は上手くやってたし、難しくないといいんだけど……」

 

ブラウンは緊張しながら収容室の扉を開く。

 

「落ち着いてやればいいんだ、たぶん。」

 

ふっと息を吐いてブラウンは作業を開始する。

 

「こんにちはO-01-92。収容室の環境はどうですか?」

 

【環境だぁ?あぁもう最っ高だぜ。俺に獄中で喜ぶ変態趣味があればの話だけどなぁ!!!】

 

O-01-92は開口一番ブラウンにそう怒鳴る。ブラウンはその圧力のせいか、首が締められたように息ができない。

 

【こんなクソせめぇところに押し込められてよぉ!喜ぶバカがどこにいるんだよ、あぁ!?】

 

ビシビシと伝わってくるプレッシャーが質量を持っているのか、ブラウンは殴られたように後ろに吹き飛び、収容室の壁に頭を打ち付ける。

 

額の辺りに心臓があるかのような錯覚と、右目の上辺りに溶けたアイスクリームのような感覚がこびりつく。

吹き飛ばされた時に内臓を傷つけたのか、口の中が酷く鉄臭い。あばら骨も何本かイカれているのか息をする度にポキポキと小さな音が鳴る。

 

【てめぇはこんなところで四六時中いられんのか、あぁ!?そうじゃねぇなら今すぐ俺をここから出せよ!このクソみてぇな監獄からよぉ!】

 

その時、ブラウンの脳内に存在しない記憶が溢れ出した。

 

「そうだ……私は夢でアブノーマリティ達と繋がっていたんだった……!」

 

そう呟くと、ブラウンは瀕死の身体に鞭打って立ち上がり、収容室を飛び出す。

 

昨日ネビルがそうしたようにバールを手に取り、一心不乱にどこかへと向かう。

エレベーターに乗り、メインルームに入る。

 

「あ、ブラウンさん早かっ……!?」

 

「ブラウンさん、どうしたんですかその傷?!」

 

ディーバとデクスターがブラウンを出迎えるがブラウンは2人を意にも介さない。

 

「アブノーマリティたちは外に出たがってるんだ……私が出してあげないと……!」

 

ブツブツと呟きながら血走った目でT-06-27収容室へと向かう。

 

メイはその様子を見て悟った。「昨日と同じだ」と。

そして、「鎮圧」しなければならないと。

 

「メイ→ブラウン鎮圧」

 

管理人の判断は昨日より格段に早かった。すぐさま飛んできたその指示に、メイは従うほかなかった。

 

「メイさん、ブラウンさんの鎮圧をお願いしますね!昨日もできたんです、今日もきっと上手くできますよ!」

 

マルクトのその言葉が恨めしい。

 

メインルームを出て廊下に行くと、すぐにブラウンの姿は見つかった。

 

「ごめんね……今出してあげるからね……」

 

泣きそうな声で、か細い声でそう言うブラウンは、バールを振るっているのが信じられないほど生気がない。

肌は土気色をしており、呼吸は血反吐を撒き散らす咳が混じっていて、ブラウン顔は苦悶の表情を浮かべている。

 

「E.G.O武器があれば……管理人が作ってくれていれば、ブラウンちゃんは助かったのかな……?」

 

「メイさん?T-06-27が脱走する前に早く鎮圧をお願いします。」

 

インカムで淡々と伝えてくるマルクトに吐き気を覚える。

もう死にかけの彼女に、これ以上何をしろと言うのか。

 

「……ごめんね」

 

自然とメイはブラウンにそう言っていた。

 

「ごめんね、私が不甲斐ないばっかりに……ごめんね……許して……!」

 

メイは殴った。昨日と異なってもう硬い肉に警棒がめり込む感覚が手に、目がこぼれ落ちそうなほど見開かれた苦悶の表情が目に、

 

「まだ、みんなの役にたちたいのに……!」

 

か細い絶望の呟きが耳に、

 

いつまでも、いつまでも反響していた。

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この決意を貫き通せれば、この手から離れない、あの生々しい肉の感触も、いつか取れるだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ブラウンを鎮圧したメイは、誰に言われるわけでもなくO-03-03の元へと向かう。

収容室に向かいだした時、ちょうど管理人からもO-03-03への愛着作業が指示されていたため、メイの行動を咎める者はいなかった。

 

残った2人も、変わり果てたブラウンの姿が目に焼き付いていて、自分の気を鎮めるので精一杯なのだ。直接鎮圧を行ったメイほどではないにせよ、2人も精神的に参っている。

 

メイが収容室の扉を開ける。普段となんら変わったところはなくO-03-03は宙を漂っていた。

 

【娘、汝の罪を──】

 

「分かったんです。」

 

O-03-03の言葉を遮り、メイはそれに伝える。O-03-03は静かにその先を促した。

 

「【もし重要な目的が正当なものであるならば、一度の悪が許されうるだろうか?】でしたね。その答えが分かったんです。」

 

平坦な声音で、淡々とメイは語る。その様子は、まるでメイが何も感じていない、無感情な生物になったかのように見えた。

 

すぅ、と大きく息を吸ってから、メイは感情を爆発させる。

 

「許されるわけがなかった!それしか道がなくても、それしか方法がなくても!悪は悪なんだ!許されちゃいけないんだよ!」

 

半ば当たり散らすようにメイはO-03-03に伝えるが、O-03-03はそれを静かに聞き入れる。

 

メイの叫びは終わらない。

 

「肉が潰れる感触が、まだこの手に残ってる!骨が折れる音が、まだ耳の中で反響してる!私は彼らに警棒を振り下ろして、殴った。何度も何度も、なんどもなんどもなんども殴った!彼らは地面に這いつくばって、それでも正気に戻らないし、反撃だってしてこなかった!マルクトさんも、管理人も、鎮圧を続けるようにって、彼らがどんな状態でも鎮圧をやめるなって、彼らはだんだんと、目に見えて弱ってきて、最後には何も言わなくなった……2人とも同じ願いを最後に言ってて、あんな小さな願いだったのに……2人とも冷たくなって、でもぬるっとした血溜まりからは湯気が出てて、さっきまで生きてたんだって……!」

 

聞くに絶えない文章をメイは紡ぐ。悲痛な慟哭がこだまする檻の中、O-03-03はいつの日かの質問の答えを静かに受け取っていた。

 

「正当で重要な目的が、一度の悪がないと成立しないものなんだったら、その被害者の目的は、何百もの善を積み重ねて歩を進めてきた目的が、何百もの善を積み重ねてまで成しえたかった小さな小さな目的が、誰かのたった一つの罪で全部終わって、そんなことが許されちゃいけなくて、例えどんな目的でも、罪を犯したのは私で、彼の、私は、彼女を、私が、彼らの願いを奪ったのは私だ!明るい新入社員のネビルくんも、魅力的な新入社員のブラウンちゃんも、殺したのは私だ……私なんだよ!!!」

 

そこまで一気に吐き出した後、ぐちゃぐちゃの頭のままメイはO-03-03の前でうずくまる。しゃくりあげるメイを見ながら、O-03-03は何も言わず、時おりカタカタと顎関節を意味も無く鳴らしていた。

 

まるで何かを咀嚼するように、O-03-03は顎関節を鳴らしていた。

 

「私は罪人だ……禁忌を犯した咎人だ……私が殺して、私のせいで、奪った、私が……!」

 

【娘、おもてをあげよ。汝は“懺悔”すべき対象にあらず。】

 

O-03-03はメイの慟哭を否定する。

優しい声で、祖父のように厳しくも優しいO-03-03はメイの懺悔を否定する。

 

メイは深い深い絶望の底に叩き落とされた。

 

静かに話を聞いてくれていた、

優しく見守っていてくれた、

相談に乗ってアドバイスまでくれた、

 

そんなO-03-03に、否定された。

いつかの答えも、自分の慟哭も、

 

今までの自分の行動も、全て。

 

「私のような罪人には……懺悔すら許されないんですか……?私が……私が2人を助けられなかったから……!」

 

【ネビル、といったか?】

 

ビクリとメイは驚き、弾かれたように顔を上げる。

O-03-03はなおもゆらゆらと浮遊しながら続ける。

 

【あの坊は言っておった。「誰かを想っての行動、誰かを守るための行動なら、どんな結果に終わろうと、それは許される」……それがあの坊の答えだった。】

 

底の見えない闇を湛えた眼窩でメイを捉えながら、O-03-03はメイに問いかける。

 

【汝が坊を殺めた時、汝に他の選択肢はあったか?】

 

「…………なかった。それしか選べなかった。でも……でも彼は狂ってなかった!彼には理性も、小さな願いもあった!!それを私は……私は!!!」

 

【汝が坊を殺めた時、汝は坊をどのように思った?】

 

「それは…………」

 

メイは答えられない。命令であれば人を殺せるのか、あの痛ましい姿をただ自分が見たくなかったから殺しただけではないか?

 

そんな考えが、自己嫌悪が、メイの脳内を駆け巡る。

 

【正当な目的とはなんだ?重要な目的とは?絶対的な正義はあるか?絶対的な悪はどうだ?】

 

「……………………?」

 

畳み掛けるように続けるO-03-03の言葉に、メイは思わず首を傾げる。

 

【娘、我の問には人の数だけ答えがある。重要な目的や正当な理由というものがどの程度のものかは人それぞれだからだ。】

 

O-03-03は静かに続ける。

 

【汝の今の判断では、汝は許されないことをしたのかもしれぬ。だが、坊の考えではどうだ?汝はそれでも咎人か?】

 

ふるふるとメイは首を振る。ぱくぱくと口が動くが、言葉が出てこない。

 

そんなメイの様子を確認して、O-03-03は続ける。

 

【坊は娘のことを「正しいことをした」と評価するのに、汝は坊の評価を否定するのか?坊の死を、汝は否定するのか?それは死した者対する冒涜では無いか?】

 

メイは頭が回っていないのか、O-03-03の言葉を掴みきれていないようだった。涙のあとがうっすら残る赤い目でO-03-03を見つめる。

 

【分からない、という顔をしているな?】

 

コクコクとメイは頷く。

少しの沈黙の後、O-03-03はメイに告げた。

 

【娘の罪は今、どこにある?娘の咎は、なんなりや?】

 

その質問をO-03-03がした時、インカムからマルクトが戻ってくるようにメイに伝える声が聞こえた。作業はとっくに終わっているのにいっこうに戻ってこないメイをマルクトは心配したらしい。

 

メイは1度、チラリとO-03-03の方を見る。

O-03-03は【答えはまた、次の機会に】とだけ言って、完全に沈黙した。

 

その日をもって、コントロールチームの解体が決まった。

 

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またこの職場に呼ばれた。

私だけが管理人のご指名で呼び戻されたそうだ。

 

彼らに誇れるような、私になるために。

私が彼らを忘れないために。

 

二度と来たくなかったこの職場に、

悲しい記憶が多すぎるこの職場に、

 

私は再びやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────────────

【娘よ、答えは出たか?】

 

「えぇ。」

 

収容室でO-03-03とメイは向かい合う。

 

【して、その答えは?】

 

「私の罪は私の前に。私は私の咎を知りました。」

 

だから、と前置きしてメイはO-03-03を正面から見つめる。

 

「だから私は、もう誰も死なせない。そのために、戻ってきました。」

 

だから彼女は、茨の道を歩み始める。




デボーナさんが“退社”する所まではとりあえず書きます

書き終えてから思ったんですが、マルクトさんは職員に対して敬語使ってませんでしたね。
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