サリーのロボトミーコーポレーション 作:エリック
収容室を開けると、そこは一面雪景色。
吹雪が吹き荒れ、息を吸い込むと冷たい空気が身体の中になだれ込んでくる。
あまりの冷たさにメイはむせかえりそうになったが何とかこらえ、口元を【クマの手】の裾でおおった。
【なんの用だ、小娘】
ガラスが割れるような声が響き渡る。声のした方を見ると、そこには体躯が優に2mを超えるであろう細身の女性が立っていた。いつものように両者を隔てる吹雪のベールは無くなっており、女性の姿が顕になっている。頭につけた冠と吹雪に吹き荒れるドレスを見て、メイは彼女が件の【雪の女王】なのだろうとメイは直感した。
「……サンチェスくんを、そこにいるあなたが凍らせた私の同僚を、返してもらいに来ました。」
メイは怯まず、雪の女王をまっすぐ見つめて言う。
退くことなど考えてはいない。逃げることなんて言わずもがな。
自分が斬り殺されようがサンチェスを救う。
それしか彼女は望んでいない。
【それを決めるのは貴様では無い。】
「……そうですね。だから、どんな手を使ってでもあなたの首を縦に振らせるために私は来ました。」
雪の女王がメイを侮蔑する。はっきりと怒気をはらませたその言葉は並の勇気では気後れしてしまうほどの圧力がある。
けれど、そのくらいではメイを退かせることは出来ない。
雪の女王はなおも言葉を紡ぐ。
【随分と硬い決意なのだな。】
「えぇ。」
【その言葉、違えることはあるまいな?】
「もちろんです。」
【こやつが自ら望んでここに来たとしてもか?】
メイの時が止まった。予想外の発言に、メイは呼吸を忘れてただ目を見開く。
「……え?」
【言った通りの意味だ。こやつは自らの意思でここへ来て、自らの意思で凍った。】
「嘘……だ……」
メイが絞り出すように言う。氷の女王の言うことが信じられないと言いたげに、氷の女王が自分に都合のいい虚像を騙っているのだと言いたげに。
今すぐその口を閉じろと言いたかった。自分と過ごしたサンチェスなら、自らの職責を全て放り出すようなことを言うはずがないと言いたかった。
今すぐ彼を解放しろと言いたかった。氷の中でただ目を閉じる彼は土気色の肌をしていて、今すぐにでも氷の中から救い出してあげたかった。
けれど、雪の女王はメイの小さな怒りすらも許さない。
【事実だとも。こやつは自分の知る以上の知識を欲し、知識を得るために全てを忘れた。あぁ、傑作だったよ。過ぎた熱望に身を悴して、私に知恵を乞うてきた姿は実に憐れでなぁ?つい欠片を渡してしまったんだ。】
それ以上は聞きたくない。
そんなメイの願いは吹雪に流されてしまう。
【そうしたらこの小僧!ふははっ!なんと言ったと思う!?「これで、永遠を作り出して見せる」だと!くかははは!この世で私以外が持たぬ物を強請るとは、なんと悲しく、なんと滑稽な話だろうか!ははは!はははははは……は?】
上機嫌に笑う雪の女王に、白いビニール製の手ぶくろが片方だけ投げつけられる。
通常は医療関係者が使い、この会社においては洞察作業の際にも使われる安っぽいビニール手ぶくろ、それをメイは雪の女王に叩きつけた。
「……黙って」
【……なんの真似だ小娘?】
「サンチェスくんを、悪く言わないでください。彼は、そんなこと言わない。」
メイの頬が朱に染まる。それが寒さからなのか、はたまた別の理由からなのか
それを知る術はどこにもない。
雪の女王が凍てつく視線でメイを射抜く。
彼女はメイが投げつけた手ぶくろの意味を知っている。
【……その意、理解しているな?】
「なんでもいい、どうでもいい。あなたを黙らせられるなら、それで。」
メイの返答を聞き、雪の女王は地に突き刺した剣をおもむろに抜く。
剣の長さは目測でメイの背丈を超えており、ロングソードと言うにもいささか長すぎる。けれども雪の女王の体躯と比べると正しくロングソードに見えるのだから驚きだ。
雪の女王は剣の
あまりに早く、そして滑らかな剣技に誰もが息を飲むだろう。
しかしメイは、その鮮やかな剣技に見とれるでも感心するでもなく、ただ一心に雪の女王を睨めつけていた。
【禁止事項はなし、棄権は相手が認めた時のみ。それでいいな?】
「なんでもいい。早く終わらせましょう。」
雪の女王が剣を払って訊ねてくる。メイは吐き捨てるように了承し、構えた。
【では、】
メイの準備ができた様子を見て雪の女王も構える。
【帝国流剣術、雪の女王】
雪の女王が名乗りをあげる。
「無流派、メイ」
メイがそれに応える。
吹雪だけが二人の間に存在した。
「…………!」
先に動いたのはメイだった。予備動作を一切見せず、メイは雪の女王の懐に突貫する。
【ほう?長物と見るや私が動く前に飛び込んでくるか。その意気や良し。】
まっすぐ自分に向かってくるメイを褒めた雪の女王は、なんのひねりも小細工もなく剣を振り下ろす。一般的には《シールハウ》と呼ばれるそれは、ロングソードで1番よく使われる剣術の型だ。
あまりに無造作すぎて予想外だったその行動にメイは若干驚きつつも、その切り下ろしを少しだけ左に避けることで躱した。
(……ちょっと狂ってる)
先の一撃でメイは自分の遠近感が狂っていたことを何となく自覚し、頭の中で狂った分を修正する。【雪の女王】はメイがいつも相手取っている試練たちより遥かに大きい。
考え事をしながらもメイの足は止まらない。雪の女王が剣を大きく振り下ろした今、構えなおされるまでが絶好の機会だ。
「…………しっ!」
両者の距離が詰まりきった時、メイは迷わず雪の女王に剣を叩き込む。雪の女王はまだ得物を引き戻している段階だ、どれほどの手練だろうとここからガード体勢を取るのは不可能だ。仮に雪の女王がアブノーマリティの身体能力を使ってガードしてきたとしても不完全で不安定なガードなら押しきれるとメイは踏んでいた。
【ロングソードは、なぜ中世から長く使われてきたと思う?】
雪の女王にあっさりと斬撃を止められるまでは。
「なん……っ!?」
【ロングソードは長物で両刃。殺傷力が高い代わりに取り回しが困難……なんて思っていたんだろう?】
攻めていたはずのメイがガードしているはずの雪の女王に押し返される。雪の女王はメイの斬撃を弾くのではなく受け止めて、その上で打ち合いに持ち込ませていた。
攻め側としてありえないはずの状況と攻撃を受け止められた上に考えまで読まれた事実にメイは動揺を隠せない。
【だが、ロングソードは十字軍の騎士から100年戦争まで、実に350年もの間ひろく戦いの道具として使われてきた。何故か分かるか?】
じりじりとメイが押し返される。剣を交える雪の女王が、上から覆い被さるようにロングソードでメイを圧迫する。
「しら……ない……!」
【それは、圧倒的なまでの汎用性の高さが故。】
雪の女王はそう言うと、応戦で手一杯のメイの腹を蹴り上げる。
完全に不意を突かれたメイはその蹴りをガードすることが出来ず、さながらゴムまりのように宙を跳ねた。
「ぇ……!ゲホッゲホッ!」
強制的に肺の空気を吐き出させられてメイの呼吸が一瞬止まる。危機感を覚えた身体は早く空気を吸い込むように命令し、メイは大きく息を吸う。
その瞬間、強烈な冷気が気管を蹂躙しながら肺になだれ込む。喉の水分が凍りついたことでメイが苦しそうに呻いた。異物となった喉の氷をなんとか吐き出そうと身体が拒絶反応を示すが、咳をする傍から喉の奥の水分が凍りつき、それがまた異物となってメイを攻める。
雪の女王はそんなメイの様子を楽しそうに見ていた。
彼女の手には剣が握られている。メイはその時初めて雪の女王が右手で剣の柄を、左手で刀身を握っているのに気がついた。
苦しそうな目で、しかし油断なく自分を観察するメイの姿を見て、雪の女王は【すこしくらいは教えてやろう】とメイの疑問を解決する。
【この持ち方は《ハーフグリップ》と言ってな、ロングソードの型のひとつとして広く知られている。その特徴は取り回しのしやすさ。ロングソードを知らぬ相手に隙を見せ、飛び込んできたところを仕留めることだってできる。どうだ?うまく誘導されただろう?】
雪の女王は剣を構え直してメイが立ち上がるのを待つ。
幾ばくかえずくような咳を出してメイは立ち上がる。瞳の端に涙を浮かべていることから彼女が決して小さくないダメージを受けたことが分かるが、それでもメイは立ち上がった。
雪の女王は目を三日月状に曲げる。あまりの愉悦に口が裂け、彼女の嗜虐的な本心が垣間見えた。
(ハーフグリップ……柄を力点、剣身を持つ手を支点としたてこの原理で力を増強。結果、取り回しが良くなる……)
幸か不幸かメイの自制は恐怖を和らげることに成功している。彼女はいつでも観察を怠らない。
冷静な分析能力と恐怖に向き合う目だけが、メイが自分を誇れる唯一のことだから。
(さっきの剣戟で、雪の女王が技と駆け引きを駆使して攻撃してくるのが分かった。試練やE.G.O.みたいに、心の赴くままに武器を振るうタイプじゃない……ただ、アブノーマリティとしての力を誇示する傾向もある……その隙を突けば、あるいは。)
口の中に張り付くする氷を噛み砕き、メイは構え直す。
【ほう?今ので折れぬか。大した勇気だ、褒めてやろう。】
「……どうも。」
吐き捨てるように応えると、メイはまた1歩雪の女王に近づく。雪の女王は、そんなメイを嘲るかのように片手で剣を持ち、それを顔の前に真っ直ぐに立てていた。
メイは剣を中段に構え、刺突体勢で雪の女王へと突撃する。強い踏み込みに床の氷にヒビが入り、踏み込みの摩擦を逃がさない。雪の女王は立てた剣を右側に回し、メイの刺突を剣の腹で受け止めようと、剣先を下にして剣を斜め前に傾ける防御姿勢を取る。
それこそがメイの狙いだった。
「ふっ……!」
メイの剣が雪の女王の剣に当たる寸前でメイは急停止、手を逆刃に切り替えてそのまま剣を上にぶち上げる。雪の女王の左脇に切りかかるその動作は滑らかで、熟練の技が垣間見えた。
雪の女王の剣はメイの剣の下、ハーフグリップもしていないため急動作は厳しく、またアブノーマリティの力で動作が間に合ったとてその剣は両刃、下手に動かせば防御に動かした剣で雪の女王自身を傷つけてしまう。
メイはその一太刀が決まるのを確信した。
【ロングソードの特徴は、】
底冷えする声音で雪の女王が語る。
背筋が凍える──寒さのせいでは無い。
雪の女王から発せられる圧倒的なプレッシャーと、自信ありげな声音。
それらの圧力がメイの嫌な想像を掻き立てる。
それでもメイはその不安を振り払って剣を振るう。
けれど、
【圧倒的なまでの汎用性、だ。】
雪の女王はメイの全てを嘲笑う。
くるりと剣を回してメイの剣を掬いあげる。雪の女王の左脇を狙った斬撃は右側に逸らされ、メイの腕ごと剣が上に持ち上げられる。強制的に万歳のポーズを取らされたメイは大きすぎる隙を晒した。
【リール、基本の守備動作だ。通常は剣先を相手に向けた状態で行う故、少しばかり変則的ではあるがな。】
冷静に技を教授する雪の女王は今のメイと似た、それでいて隙が全くない上段の構えを取っている。間もなく強烈な斬撃がメイに振り下ろされるのは想像に難くない。
窮地に陥ったメイだが、冷静に右足に力を込める。同時に身体の中心を右に逸らし、左足から力を抜く。
急な重心移動と右足からの力は床に張っている氷と相性が悪かった。力は摩擦に上手く変化せず、重心がズレていることからメイの身体は右側に滑る。
滑った右足は力を抜いた左足に激突して跳ねあげ、メイの身体は右に倒れて左に横滑りした。
メイはそのまま地面を滑降することでなんとか雪の女王を剣撃から逃れる。先程までメイがいた場所には直撃していれば胴と足がお別れしていたであろう強烈な一撃が振り下ろされていて、危機を脱したことにメイは安堵した。
ただ、滑ったままでは大きな隙を晒していることに変わりは無い。
ゆえにメイは右手の剣を床に突き刺し、それを支点に体全体を使って円を描くと遠心力を使って見事に立ち上がった。無事を確かめるようにメイは白い息を細く長く吐き出し、高揚して火照る身体を落ち着ける。
【ふむ、好い観察眼だ。土壇場でそれを行う胆力も大したものだな。】
「…………」
雪の女王はまだまだ余裕そうにこちらを見ている。この決闘自体がメイにとっては決死でも、雪の女王にとっては児戯に等しいとさえ言われているような気がしてくる。
それでも、メイの自制はメイが絶望することを許さない。
(リール……剣を円状に回す防御の構え……剣がぶつかる状態が解除された時に行えば突きに移行できそう。)
彼女は慌てず、騒がず、ただただ相手の技を理論的に分析し、その技術を貪欲に取り込む。
構えを取り直し、メイは雪の女王に再度切りかかる。
【ロングソードの剣術で、体格差は重要な事柄の一つだ。】
そのメイの斬撃に雪の女王は自身の剣を合わせる。両者の中心で剣が交わった。
攻撃を仕掛けたのはメイで雪の女王は防御側。それなのにもかかわらず、攻撃を仕掛けたメイの方がどう見ても押されている。
困惑と焦りで額に冷や汗を滲ませるメイに対して、稽古をつけるかのように雪の女王が教示を行う。
【この状態をバインドという。剣先をウィーク、柄本をストロングとし、上で受ける方をハード、下で受ける方をソフトと定義してなぁ?私と貴様らがバインドすれば、貴様らは洩れ無くウィークでソフトなバインドを要求される。】
その一言でメイは自分の失策を理解した。
後悔はすれどもう遅い。
(押し込まれる……っ!)
雪の女王は剣を押す手に力を込め、メイを防戦一方に押し込もうとスパートをかけていた。
「んっ……!」
瞬間、メイは剣を持つ両腕を高く掲げて隙を晒す。身体を大きく晒すその行動は、普通であれば愚策中の愚策だ。
【ほう!この土壇場で最適解を見つけるか!】
けれど、この状況下においては最善の行動だった。
メイは剣先でバインドしている状態の特徴を瞬時に分析し、手を掲げて剣先を下げることで相手の刃を逸らす。その行動は雪の女王の斬撃をメイの横へと逸らすことに成功した。
雪の女王は楽しそうに口を裂き、メイの行動を賞賛する。
けれどメイは油断しない。自制がそれを許さない。
【だが不十分だ!】
攻撃をいなされた雪の女王は燕返しの要領で切り返す。《ウンターハウ》と呼ばれるロングソードの型だが、その太刀筋は日本刀と違ってそれなりの重量があるロングソードではありえない動きをしている。だが相手は
メイは掲げた両手を身体の左側面に引き戻してウンターハウをガードしようとした。だが無理な姿勢でのガードでは雪の女王の攻撃を完全に受け止めることが出来ない。
「…………っ!」
ガイィィンと硬質な音が響き、メイは右側に弾き飛ばされた。持っている剣からはビリビリと振動が伝わってきて、その衝撃で剣を手放しそうになる。
決闘で武器を失うことは死とほぼ同義。メイは受け身も取らず死にものぐるいで剣を握った。
幸い、メイの持つ剣は雪の女王のそれと違い片刃、身体に引き付けても傷を作ることは無い。
「…………ふぅー……っ!」
全身に生傷と打撲痕を作りながらも、メイはなんとか剣を握ったまま雪の女王と距離を取ることができた。雪の女王からの3の太刀、4の太刀が来ない安全圏にひとまず避難できたことに胸をなでおろし、メイは張り詰めていた緊張の糸を少しだけ緩める。
耳元で心臓が存在感を主張する。
寒さか緊張かで剣を握る手は小刻みに震えている。
息が荒い。致命的な一撃は貰っていないものの体力はかなり削れているだろう。
けれど、ハイになった頭と身体は痛みや疲れを感じていなかった。
「はぁ……はぁ……」
吹雪の中で、メイは自分の心臓と呼吸の音だけを聞いている。
「はぁ…………」
真っ白な世界にメイの吐息が溶けていく。
その吐息は吹雪に流されて消えていってしまった。