サリーのロボトミーコーポレーション   作:エリック

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#9 モルティ

その日私は、彼女の悲痛な叫びを聞いた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日、いつものように死体から内臓を漁っていた時だった。それほどまで状態のいい内臓を見るのが初めてだった彼は、これで少しは妹に楽をさせられると必死に、だが丁寧に内臓を切除する。

状態のいい内臓を状態のいいまま切除するため、ゆっくり慎重に作業していた彼は、いつの間にか夜が深けているのに気づかなかったのだ。

 

彼がその事に気づいたのは“掃除屋”に見つかった後だった。

 

彼は“掃除屋”を見た瞬間、ほぼ反射的に逃げた。裏路地の“掃除屋”は、それが生きているか死んでいるかに関わらず、裏路地の人間を“掃除”する。

彼には“掃除屋”のように身を守る防具も、効率よく死体を切除するための器具もない。

 

あったのは、ただ一本のいつも研いでいるナイフだけだった。

 

彼は振り返ることも、“掃除屋”がこちらに気づいているか否かを確認することも無く逃げた。真っ向から向かっても勝ち目などなかったからだ。3人1組で行動する“掃除屋”は鼻が利く。目も耳も、当たり前だが3倍ある。常に団体行動を行う“掃除屋”はその連携を無駄のない、もはや芸術と言ってもいいものに昇華している。

 

幸い、夜明け前になれば“掃除屋”達はどこかへ戻っていく。

それまで逃げきれれば事実上、彼の勝利だった。

 

張り詰めて張り詰めて、家に帰ることだけを考えて彼は暗闇に紛れ、物陰に身を潜める。

 

少しでも物音がすればその物音に合わせて移動し、できるだけ死体の多い方向へとモルティは逃げる。“掃除屋”とて彼を追いかけるのが仕事ではない。あくまで仕事と並行して彼を追っているに過ぎないのだ。

奴らが仕事をしている間はしばしの小休憩が取れる。

 

そんなふうにしてモルティは夜明け前まで凌いだ。

 

(この時間なら……大丈夫……か……?)

 

彼は壊れた自販機の影から顔を半分だけ出し、周囲の確認をする。

 

「…………よし。」

 

周りに“掃除屋”はいない。“掃除屋”はもう帰っていったのだと思い、彼は家路に着くために立ち上がる。

 

その瞬間、背後からフシュー……と機械が排気動作を行う時のような音が聞こえた。

 

恐怖で彼の動作が中途半端な位置で止まる。膝立ちのような中腰のような辛い姿勢にも関わらず、彼は数ミリ動くことすら叶わなかった。

たっぷりと、しかし実際の時間としては瞬く間ほどの時間の後、彼はぎこちない動きで背後を振り返る。

 

そこにいたのは、先ほどまで彼が撒こうとしていた“掃除屋”だった。

 

「…………!」

 

蛇に睨まれた蛙とはまさにこのこと、足がすくむ彼は三体の“掃除屋”に囲まれる。

 

フシュー……フシュー……と耳障りな排気音を響かせながら“掃除屋”は彼を解体しようと近寄ってくる。

 

終わったと彼は思った。

 

近づいてくる鎌、油臭い排気

 

あぁ、裏路地のゴミに相応しい末路だな、なんて彼は思った。自分はそう思ってなくても、目の前の“掃除屋”や“都市”の奴らはそういうだろうな、なんて彼は考えていた。

 

(最後に欲張ってなければなぁ……)

 

自分の強欲を彼は呪う。なんのために命を捨ててまで業突く張りを貫いてしまったのか。

彼はもはや遅い後悔をして、

 

(……そうだ、ここで死んだらあいつは)

 

その目的を思い出す。妹に今よりもいい暮らしをさせてやりたくて、自分は目先の欲望を優先したのだ。

今ここで自分が死んだら妹は?

……あまり考えたくはない。

 

「…………!!!」

 

彼は予備動作を一切行わず、目の前の“掃除屋”のヘルメットの隙間にナイフを挿し込んだ。

ずぶり、と刃が肉に突き刺さる鈍い感触が手に伝わる。それは、いつもの死体とは違い、柔らかく、ゆっくりと押し返すような抵抗があった。

 

しかし、気持ち悪さに怯んでいる暇など彼にはなかった。

ナイフを引き抜き、血を流す“掃除屋”を踏みつけて大きく三角飛びをする。

 

彼は“掃除屋”に囲まれていた窮地を脱して走り出す。

しかし、“掃除屋”とて伊達や酔狂で活動しているわけでも、噂が独り歩きしただけの架空の存在でもない。

すぐに新鮮な肉を求めて彼を追いかける。

絶体絶命の窮地は抜けたが、まだ窮地にいることに変わりはない。

 

彼は振り返らずに走る。絶望で足が止まらないように。

彼は本能のままに走る。疲労で足が止まらないように。

 

しかし、一晩中気を張っていた彼の精神と肉体は、もう限界だった。

 

だんだんと彼の走る速度は下がっていき、どんどん“掃除屋”の排気音が近づいてくる。

 

(これまでか……)

 

“掃除屋”のスーツの駆動音と油の匂いが彼に死を覚悟させた瞬間だった。

 

「面白いものを見せてもらったよ。」

 

そんな声が聞こえたかと思えば、次の瞬間には肉が裂ける音と骨が折れる音の合唱が始まっていた。

時間にして数秒のそれは、彼に祝福を告げるガブリエルのホルンか、それとも終焉を告げる黙示録のラッパか。

 

「ふむ……どうして危険を犯してこんな時間まで“掃除屋”が活動しているのかと思ったら、君が狙いだったとはね。いやはや、裏路地でここまで生に貪欲で、蛮勇な者は初めて見たよ。」

 

昔、裏路地のじいちゃんに見せてもらった、じいちゃんが子供の頃に流行ったというライダーのようなヘルメットを被って、腕に3色の薬剤が入った注射を付けた男が感心するように言った。

 

「どうしてこんなことを?」

 

「妹のために遅くまで仕事をしてたら、やらかした。」

 

「ふむ……」

 

ヘルメットは何かを熟考しているかのように顎に手を当てる。

しばらく硬直していたが、ヘルメットは彼に取引を持ちかけた。

 

「君、【翼】の一員になるつもりはないかね?」

 

「はぁ?」

 

何を寝ぼけたことを言っているんだと彼は思った。【翼】といえば、“都市”のエリートどもが必死になって目指す、この社会のトップに近い組織だ。彼のような外郭の人間には、縁遠いものだと彼は考えていたのだ。悪い冗談だと彼が一笑に付すのも分からなくはない。

 

しかし、ヘルメットはあくまでも本気だった。

 

「最近、翼に加わった組織があってね。そこには君のような咄嗟の行動力がある人物を求めているんだ。……なに、妹さんのことなら心配いらない。都市に連れてくる……というのはすぐには難しいだろうが、働かなくても都市で過ごせる程度の金が君の妹に支給されることを約束しよう。」

 

「…………本気か?」

 

彼の目が怪しく輝く。【翼】に入社できて、妹を“都市”という安全地帯で生活させることができるかもしれないその提案は、彼にとって大きすぎるメリットだった。

 

いっそ、嘘だと言われた方が納得出来るくらいの提案に、彼は思わず聞き返す。

 

「あぁ、本気だとも。君のあのような行動力は、きっとロボトミーコーポレーションでこそ役に立つ。」

 

「…………分かった。なら行くよ、そのロボトミーコーポレーションってところに。」

 

彼はさまざまなしがらみと重圧を背負って、この地獄に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、そうだったのか。

ここは地獄で

僕たちは今、審判にかけられているんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6日目

この日からロボトミーコーポレーションに新たな部門が設立された。

 

「……って聞いたけど、ダコタさんも変わらず?」

 

「……えぇ。てっきりメイさんが配属されるものだとばかり……」

 

にもかかわらず、メイ・ダコタ・サンチェスの3人は相も変わらずコントロールチームにて顔を合わせる。

新しい部門ができた、ということは、当然新しいアブノーマリティがやってきた、ということである。

 

そして、3人がコントロールチームで顔を合わせた、ということは、新しい部門には新しい職員が配属されている、ということで。

 

「……大丈夫かな?」

 

「さぁ……?ですが、信じるしかないですよ。大丈夫ですって、サンチェスも情報のわかってないオールドレディに作業できたじゃないですか!」

 

少し影のある表情を見せるメイを見かねて、ダコタがそうフォローする。サンチェスは2人の中にある暗黙の了解が分からず、何も言えなかった。

 

「ダコタ→キュートちゃんに本能作業」

「サンチェス→たった一つの罪と何百もの善に愛着作業」

「メイ→オールドレディに愛着作業」

 

「……切り替えていこう。今できることを、やるしかないんだ。」

 

「「はい。」」

 

結局のところ、コントロールチームの業務をやるしかないと割り切り、3人は業務へと向かう。

 

そんなことはつゆ知らず、コントロールチームのすぐ下、新部門では肌の露出を極力減らした紫髪の男性が職員たちに何かを語っていた。

 

「管理人の指示に従い、正確に作業を行って仕事をこなしなさい。」

 

会社内部やアブノーマリティ、ひいては職員に至るまで、ありとあらゆる情報の蒐集・管理する情報チームだ。

 

「正確に判断し、迅速に対応を、でしたね!」

 

「……まぁ、やるだけやってみます。」

 

情報チーム担当セフィラのイェソドの檄に、新入社員の2人が返す。

 

明るく返したのは正直な新入社員のデボーナ

無気力に返したのは魅力的な新入社員のモルティ

 

一見、正反対な性格に見える2人だが、はたして2人きりでうまくやっていけるのだろうか。

 

「私の担当する、この情報チームに入ったからには、適当なことは許されません。データの蓄積によって作られたルールに厳格にすること。アブノーマリティの作業や緊急時の対応はもちろん、服装規定から待機時間に至るまで、業務規定から外れた行いをしないように。」

 

「はい!」「はいはい。わかってますよ、毒蛇様。」

 

素直に元気よく返事をするデボーナとは正反対に、モルティが軽口を叩いた。けれどイェソドはそれを睨むだけで責めるようなことはしない。

 

それは、彼がその渾名を気に入っているがゆえか、それとも彼が意図して職員を距離を取っているからか。

 

その後すぐにイェソドは「それでは、上層セフィラ会議があるので」と、すぐに情報チームを後にした。

イェソドの背中が見えなくなったのを確認して、デボーナはモルティに話しかける。

 

「ねぇモルティくん!イェソドさん、ちょっと怖い人だったね。あんな人に物怖じせずに意見を言えるって、モルティくんは凄いねぇ……」

 

「そうか?あの人、言い方は高圧的で好きじゃないが、結構正しいこと言ってると思うぞ。だから、おかしいと思ったことは、言ったら受け止めてくれそうだって思ったんだが……」

 

「それでも、だよ!私なんて、怖くて返事するのが精一杯だったし……」

 

「そうは見えなかったけどな。」

 

「そう?ならよかった!」

 

デボーナはよほど嬉しかったのか、ニカッと朗らかに笑う。モルティは相変わらずムスッとした無気力顔だったが、褒められて少し恥ずかしかったのか頬が微かに赤くなっていた。

 

「でも、同期の人がいて良かったよ。私一人だったら、たぶん不安に押しつぶされてたから。」

 

「……?なんでだ?」

 

眉の下がった、無理矢理作ったような笑顔を浮かべるデボーナにモルティが疑問を呈する。デボーナは自分の両手を包み込むようにぎゅっと握って、俯いたまま語り始める。

 

「だって、マニュアルだって分厚いし、内容もすごく細かくて難しそうで……モルティくんはマニュアルの内容、覚えてる?」

 

「いんや、全然。読んですらない。」

 

「…………?」

 

デボーナの不安そうな顔を向けられたモルティは、気取るでもなく、飾ることもせず、ただ一言だけそう返す。デボーナは不思議なものを見るような、けれど言われたことを全く理解出来ていないような目でモルティを見る。

モルティはその視線に耐えかねたようで、デボーナに釈明を行う。

 

「その……慣れてないんだよ、こういうの…………俺、出身が外郭だし、こういう勉強はからっきしで……」

 

照れたように頬をかくモルティを、デボーナは黙って見つめる。モルティはその視線に耐えかねて視線を明後日の方向に泳がせた。

 

モルティは都市の人間をあまりよく思っていない。

それは単に、外郭に住む人々がいくら求めても都市に入れてもらえないことだけが原因ではない。

 

外郭、それも裏路地では汚いことをやらなければ生きていくことは出来ない。モルティは犯罪紛いのことや倫理に反することだって、生きていくためにやってきた。

 

それでも、その生きていくための努力すら、都市──頭や翼、爪は許さない。彼らは幾度となくモルティたち裏路地の人間の安全を脅かした。

 

自分たちは悪いことはしていないのに─否、悪いことと分かってはいても、生きていくために必死なだけなのに、どうしてそう唾棄するのか。

 

モルティには理由が分からなかった。

 

そして、あれほどにまで“頭”や“翼”に唾棄されたのだから、都市の人間はさぞ外郭の人間に厳しいのだろうと思い、モルティは都市の人間が苦手だった。

 

「そっか、モルティくんは能力を買われて入社したんだね。すごいなぁ…………」

 

だから、こんなデボーナの反応を、モルティは予想することが出来なかった。

 

「……?すごい?」

 

「うん。……私ね、ちっちゃい頃からどん臭くて、なんでも誰よりも頑張らないとできるようにならなかったんだ。だから、誰かに誇れるような、誰かに認められるようなことがあるって、すごいことだと思う!」

 

心の底から喜ばしそうにデボーナは言う。褒められたモルティは、これまでの自分を肯定されたことと予想外に褒められたことで形容しがたい気持ちになり、ふいとそっぽを向いた。

 

「…………まぁ、翼に入社できた時点でお前も大したもんだよ。そのことは、もっと自分を褒めてもいいと思うぞ。」

 

意趣返しとばかりにモルティはデボーナに言う。デボーナはそんなふうに返されると思っていなかったらしく、少し照れながら「……えへへ。」とはにかんだ。

 

気まずくない、暖かい沈黙が二人の間に降りた。

 

「モルティ→F-05-52に本能作業」

 

「……俺か。行ってくる。」

 

「はい!行ってらっしゃい!」

 

突如やってきた管理人からの指示にモルティは動き出す。無気力に、緊張せずそう言ったモルティの様子にデボーナも安心して声をかける。

 

「……ここで頑張れば、妹も巣に連れてこれるかな……あいつも、デボーナに合わせてやりてぇな。」

 

外郭に残してきた妹のことを考えながら、モルティはF-05-52の収容室へと向かう。

 

「本能作業だからっつってメシ持たされたけど……これ渡せばいいのか?……あぁ、あと観察所見書かないといけないのか。」

 

デボーナも言っていたマニュアル片手にモルティは悩む。彼は裏路地で“掃除屋”に一矢報いたことから“爪”に目をつけられ、家族を都市に入れるためにロボトミーコーポレーションに入社したのだ。

 

そのため彼は、正義感は強いものの、勇気と自制がやや低く、慎重はこれまでの新入社員の中でも特に低い値を示していた。

 

「……とりあえず、初めの一歩は踏み出さねぇとな。」

 

モルティは収容室の扉を開ける。

彼の目にいの一番に飛び込んできたのはエビ、それも2匹。

 

「……は?」

 

頭がおかしくなったのかと思って目を擦るが現実は変わらない。

 

「……えぇ」

 

驚きのあまりそれしか言葉が出なかったモルティは、とりあえず本能作業を遂行する。

 

「えっ……と……これ、差し入れです。良かったら食ってください。」

 

申し訳程度の敬語を使いながら、モルティはエビに話しかける。一般教養があまりにもあんまりなモルティには、これが限界だった。

 

【おや、そうなのかい?それは嬉しいね!】

 

(喋った?!)

 

【差し入れかい?助かるよ!このウェルチアースは無料だけど、僕らが飲んだらダメだって言われてるからさ!】

 

(喋った!今絶対エビが喋ってた!!)

 

訳の分からない状況にモルティは放り込まれたが、そこは裏路地を生き抜いた者と言うべきか、そんな困惑の中でもモルティは情報収集を続けていた。

 

(……なんだあの自販機?あのエビが言うには……ウェルチアースの自販機?外郭じゃ壊れて捨てられたのしか見たことねぇけど……)

 

モルティは観察して得た情報の要点だけをサラサラと箇条書きでメモする。

レポートをこのかた書いたことのないモルティは、後でデボーナに頼ろうと同期を宛にする気満々だった。

 

【時に、】

 

モルティが無言で作業を進めていると、暇になったのかエビの一尾がモルティに話しかけた。

 

【君は、この会社をどう思う?】

 

「……どう思う……ですか?」

 

唐突に漠然とした質問を投げかけられたモルティは困惑する。勤務初日に、しかも初作業でそんなこと言われても、モルティはまだこのロボトミーコーポレーションを理解しきれていない。

 

しかし、そんなことはお構いなしにエビはモルティに畳み掛ける。

 

【あぁ。ここでは上手くやれてるかい?もし力が発揮できないようなら、僕らに相談しておくれよ。】

 

「そう……ですねぇ……」

 

モルティは言い淀む。慣れていけるかはこれから考えることとして、彼らに相談してどうなると言うのだろうか?

 

「……まだ初日なんで分からないですけど、外郭の妹を安全な都市に入れたいんですよ。それまでは、くたばる訳にはいかないですね。」

 

そう決意を語るモルティに対して、エビたちは少し考える素振りを見せる。

その後、エビたちはモルティに笑顔を見せた。

 

【【そうか。それじゃあ、このあとも作業頑張って。】】

 

そう言うと、2尾は自動販売機からジュースの缶を取り出してモルティに渡す。

その缶は、黒いソーダの三大巨頭の赤いやつに似たパッケージをしていた。

 

(……うへぇ……蓋開いてんじゃん……こんなん外郭で出されたら、例え子供だって飲まねぇよ……)

 

怪しさ満載のそのソーダを、モルティは受け取ることが出来ない。

 

「……いや、俺、まだ仕事が……」

 

【【僕らの親切を受け取れないのかい?】】

 

ピシリ、と空間が歪む音がした。暴風にも似た威圧感がモルティを襲う。エビ2尾は何もしていないはずなのに、モルティの頬が浅く切れた。

 

(これは……しょうがねぇな……)

 

モルティは生唾を飲み込み、覚悟を決める。

 

「……それじゃあ、いただきます。……あの、これ上司には内緒で……」

 

【もちろん!僕らがそんなことをする人に見えるかい?】

 

【大丈夫さ!もし会ったら上手いこと言っておくよ!】

 

2尾は嬉しそうに言う。

さぁさぁ、と急かすようにモルティにソーダ缶を渡した2尾は、嬉しそうにモルティがそれを飲むのを待っている。

 

(後で飲む、は通用しねぇんだろうな……)

 

ままよ、とモルティは渡されたソーダ缶を一気飲みする。

甘い砂糖の味にコーヒーのような苦味が微かに鼻腔をくすぐる。その瞬間、炭酸がパチパチと口の中で弾け、その感覚が辛みへと変換されてモルティの脳へと届いた。

言葉にすると陳腐で安っぽく聞こえてしまうが、そのソーダは甘み・苦味・辛みの三味がひとつにまとまり、調和していて、モルティがこれまで飲んだどんな飲み物よりも美味しかった。

 

「……うまっ。」

 

【だろう?妹さんのためにも、仕事頑張ってね。】

 

「……はい。」

 

そう言ってモルティは退出していった。

長い廊下を歩きながら、モルティは自分の走り書きを見返す。

 

「なんかエビいた

 なんかメシ喜んでた

 なんか相談乗ってくれるらしい

 なんか蓋開いたジュースよこしてきた

 ジュース うま 」

 

「なんかって書きすぎだろ俺……」

 

自分のメモに愕然としながらも、そこは割り切ってモルティは情報チームメインルームに戻ってくる。

 

「あ!おかえり、モルティくん!」

 

「お、おう……」

 

嬉しそうに笑顔を振りまくデボーナにタジタジになりながらも、モルティはかろうじてそれだけ返す。

 

誰かが出迎えてくれる

 

外郭を出た時に諦めたそれを、やってくれる人がいたのだ。モルティにとってこんなに嬉しいことは無い。

 

「ねぇ、本能作業ってどんな感じだったの?」

 

作業の時に使うメモ用紙を取り出して、デボーナは準備万端といった様子だ。モルティは「うまく説明できっかなぁ……」と不安そうな苦笑いを浮かべていた。

 

「そうだな……デボーナがいくのは本能作業か分からないから、F-05-52の特徴からな?」

 

「確かにそうだね……分かった!」

 

デボーナは自身の能力を過信しない。誰よりも努力してきた彼女だからこそ、自分のやってきたことだけを信用する。

デボーナがコントロールチームであれば、部門担当セフィラであるマルクトと気があっていたかもしれない。

 

「F-05-52は……なんて言うかな……エビと自販機だ。」

 

「エビと自販機?」

 

デボーナが首を45度に傾ける。実際にF-05-52を見たモルティでさえ頭がおかしくなったんじゃないかと思ったのだ、デボーナが首を傾げるのも無理はない。

 

「いや……もう……なんかうまく言えねぇけど、エビと自販機なんだよ……」

 

「へ、へぇ〜……それはすっごいビックリするよね……」

 

デボーナはわけのわからないアブノーマリティという生物に恐れ戦く。自分のこれまでの常識が通用しない存在に、デボーナはいっそう気を引き締めなおした。

 

「ち、ちなみに、作業はどんな感じだった?」

 

「作業?あぁ〜……なんか、「会社はどうだ〜」とか言われた。たぶん、F-05-52は相談に乗ってくれる良い奴だと思うよ。」

 

「そうなんだ……案外優しいアブノーマリティなのかな?」

 

「ん〜……そうでもない……かな?最後に蓋の開いたジュースを渡されるんだけど、それ飲まねぇとすごい攻撃してくる。」

 

2人はポツポツと作業について話し合う。まだ一度しか作業を行っておらず、作業そのものにも慣れていないためにそこまで情報は出ないが、それでもないよりは幾分かマシだ。

 

「デボーナ→ ウェルチアース(F-05-52)に本能作業」

 

多くはない情報を共有したところでデボーナにも初めての作業命令が出される。指示された作業は先程のモルティと同じ本能作業だった。

 

「……残念。もう少し聞いておきたかったんだけど……」

 

「ま、気楽に行けよ。学のない俺にだってできたんだ。デボーナにもできるだろうよ。」

 

「……ありがとう。」

 

少しだけ緊張が解けたデボーナはモルティの方を振り返って小さく手を振る。

モルティはデボーナが出ていった扉の先をじっと見つめていた。

 

「……作業、できるかなぁ?」

 

メインルームから出てウェルチアースの収容室に向かっていたデボーナは、幾分かマシになったとはいえ緩みきってはいなかったらしく、やや緊張の面持ちでウェルチアースの収容室に向かっていた。

 

「エビと自販機……エビの方にこのご飯渡したらいいんだよね……?」

 

いつまでも扉の前でグダグダしているわけにはいかないと、デボーナは息を大きく吸い込んで扉を開ける。

 

【おや?さっきの子の妹さんかな?】

 

「え?……い、いえ、違います。えっと……モルティくんの同僚のデボーナといいます。」

 

【へぇ!初日の彼の先輩って言わないってことは、君も勤務初日なのかな?】

 

「はい、そうです!……あ、忘れてた!これ、ご飯です!」

 

【おやおやこれはこれは。ご丁寧にありがとう。】

 

穏やかに進む作業にデボーナはホッと胸を撫で下ろす。この感じなら自分でも作業できそうだと。

 

その瞬間、施設全域にブザーが鳴り響く。

 

「ひっ!」

 

【おやおや、誰かのクリフォト抑止力が弱まっているらしいね。大丈夫だよ、お嬢さん。】

 

【そうそう。誰かが作業に入ったらクリフォト抑止力はすぐに元通りさ。】

 

「そ、そうなんですか……びっくりした……」

 

エビたちの言葉通り、ブザーはすぐに止まった。デボーナは目をぱちくりさせて、未だ興奮冷めやらぬといった様子だった。

 

「と、とりあえず、バイタルチェックをしていきますね?」

 

デボーナはこほん、と咳払いをして先程の失態を精一杯誤魔化す。エビたちは微笑ましいものを見る目でデボーナを見つめていた。

 

「えっと…………式が……これで……ここに代入して……独立変数がこう……剰余変数が……?」

 

【……おや?分母の√が抜けてないかい?】

 

「……あ!ホントですね!助かります!」

 

【ん?その√はA+Bにまとめてつけちゃあいけないよ?ちゃんと別々につけないと。】

 

「そうでしたっけ?忘れてました(>_<)」

 

ほとんど共同作業という様子だが、デボーナはエビたちの外皮の一部を貰い、恐らく血液だろうというものを採取し、コギト37%の割り当てと武器の回帰分析を済ませた。

 

外皮を取る時に少し指先を切ったが、それ以外は大きな怪我もなくデボーナは作業を終える。

 

「作業はこれでおしまいです!ご協力ありがとうございました!では失礼しますね!」

 

【……ねぇ、その怪我大丈夫なのかい?】

 

【そうだよ。僕らの外皮で切ったんだ。ちゃんと処置しないと……】

 

退出しようとするデボーナを気遣うようにエビたちは言う。デボーナはその言葉に明るく笑って返す。

 

「……大丈夫です!ちゃんと応急処置はしましたし、治療もメインルームでできるので、心配ないですよ!」

 

【……そうだ!このジュースを飲みなよ!傷もすぐに塞がるよ!】

 

【そうだったそうだった!僕らのウェルチアースはすごいんだよ!さぁさ、これを飲んで!】

 

エビたちは少し考えた後に思い出したかのようにウェルチアースの自販機から赤いジュース缶を取り出す。それはモルティに渡したものと同じだった。

 

(確かこれ、受け取らないと怒られちゃうんだっけ……?)

 

「……はい!いただきますね!」

 

モルティから聞いていた情報を思い出し、デボーナは笑顔でそれを受け取る。エビたちも嬉しそうにデボーナの笑顔を見つめていた。

 

(蓋空いてる……怖いなぁ……)

 

デボーナはすごく嫌そうにウェルチアースを見るが、飲まなければこの状況を打破できないこともモルティから聞いている。

 

(…………すごく怖い……でも、やるしか……)

 

デボーナは覚悟を決めてウェルチアースを一気飲みする。

 

甘い砂糖の味にコーヒーのような苦味が微かに鼻腔をくすぐる。その瞬間、炭酸がパチパチと口の中で弾け、その感覚が辛みへと変換されてデボーナの脳へと届いた。

 

「………………!美味しい……!」

 

【そうだろう?それと、傷を見せてごらん?】

 

そう言われたデボーナは首をかしげながらもエビたちの外皮で切った部分をエビに差し出す。

 

【……うん、良かった。ちゃんとウェルチアースは機能してるみたいだね。】

 

「……?あ、あれ?」

 

エビの不可解な言動にデボーナが傷口を確認すると、先ほどまであったはずの傷口がきれいさっぱり消えていた。

 

「な……なんで……?」

 

【まぁまぁ、そんなことはいいじゃない。】

 

【そうだよ。それより、早く戻らないと怒られちゃうよ?】

 

デボーナがふと時計を見ると、そろそろモルティが戻ってきたのと同じくらいの時間が過ぎている。今分からないことは考えていても仕方がないと、ウェルチアースについてそれ以上考えるのをやめて収容室から出ていく。

 

「あ、また来ますね!」

 

エビたちに小さく手を振り、エビたちも上機嫌に返した。

作業結果は普通の値を示していたが、それはエビたちがデボーナの怪我にあたふたしたために生産されたネガティブ・エンケファリンボックスのためだろう。

 

「……いい感じに作業できたんじゃないかな?」

 

デボーナは今度こそ情報チームのメインルームに戻る。

メインルームではモルティがなにやら作業を行っていた。

 

モルティはデボーナに気づくと顔を上げてデボーナに笑いかける。

 

「……ん、おかえり。」

 

「……!ただいま!」

 

デボーナは驚いたように目を見開き、また嬉しそうに微笑んで返事をする。

 

「……なぁデボーナ、レポートの書き方ってこれでいいのか?」

 

「んー……イェソドさんに見せたら怒られそうだねぇ…………一緒に書く?」

 

「……!いいのか?」

 

「うん!一緒に頑張ろー!」

 

情報チームの2人は仲良く並んでセフィラに提出する用のレポートを書いていた。

 

「デボーナ→ウェルチアースに愛着作業」

 

「ありゃりゃ……呼ばれちゃった……」

 

初めてのレポートに四苦八苦しているモルティをレポートの書き終わったデボーナがサポートしていると、またも作業命令がデボーナに飛んでくる。

 

「ごめんねモルティくん。」

 

「いや、管理人の指示じゃ仕方ねぇよ。作業頑張ってな。」

 

申し訳なさそうに謝るデボーナにモルティは飄々と返す。デボーナは何度も頭を下げながらメインルームを出た。

 

「愛着作業は……たしかアブノーマリティたちとおしゃべりしたらいいんだよね。」

 

デボーナはウェルチアースのことを優しいアブノーマリティだと思っているため、何も心配することなく収容室の扉を開けた。

 

「こんにちはー!」

 

【おや、さっきのお嬢さん。こんにちは。】

 

【こんにちは。君はいつでも元気だね。】

 

またもエビたちはデボーナを温かく迎え入れる。デボーナは安心して愛着作業を始める。

 

「今日はお2人に、小さい頃どんな子供だったのかを聞こうと思いまして!」

 

デボーナは早速レポート用紙を取り出して作業欄に「愛着タイプ分類」と書き加える。そもそもエビに愛着形成があるのか、あっても人間のそれと同じなのかは分からないが、とりあえずあるかどうかを調べるだけでも作業結果としては上々だろう。

 

【子供時代……?】

 

【うーん……そうは言っても、僕らは自分たちがどうやって生まれたのか分かってないからなぁ……】

 

「うーん……そうですか……それじゃあ、別のことにしましょう!何がいいかな〜……」

 

思っていたよりもすんなり引き下がったデボーナに、エビたちはいささか驚きながらデボーナに訊ねる。

 

【ねぇ君、本当に聞かなくていいのかい?……ほら、君も仕事でやってるんでしょう?】

 

「???でも、覚えてないって言うってことは、本当に分からないか、聞かれたくないことですよね?」

 

【ま、まぁそうだけど……】

 

「なら、いいんです。誰にでも、聞かれたくないことはありますから。」

 

デボーナは少し悲しそうに笑う。エビたちもその姿を見てそれ以上デボーナに作業を中止した理由を訊ねるのをやめた。

 

「……でも、作業はちゃんとしないとイェソドさんに怒られちゃうから……そうですね、おふたりの好きなこととか、心に残ってる風景とかを聞いてもいいですか?」

 

【あぁ、いいよ。でも君の仕事は結構個人的なところまで聞いてくるんだねぇ。】

 

「えっと……言いたくなかったら、断ってもらってもいいですからね!」

 

【ふふっ、ありがとう。気にしないでいいよ。僕らも誰かと共有したい話が沢山あるんだ。】

 

デボーナは「愛着タイプ分類」と書いた部分を消して「心的表象の具現化」「好みを分析」と書き換える。

1人と2尾はキャッキャウフフと会話をして、和気あいあいとしたまま作業を完了する。ただ、途中ノスタルジックな雰囲気に包まれ、NE-Boxが生産されたために作業結果としては普通の値を示していた。

 

「では、そろそろお暇しますね!」

 

【あぁ、また来ておくれ。】

 

【楽しみにしてるよ。】

 

花が咲くように笑ってデボーナは退出する。デボーナの飲んだ紫のウェルチアースの空き缶を手に、ぴちぴちと手を振る。先ほども飲んだ蓋の空いたウェルチアースを飲むことを躊躇することなど、デボーナにとっては今さらだろう。

 

「モルティくん、書き終わったかな?」

 

てくてくとメインルームに戻りながらデボーナは作業レポートの仕上げをする。

 

メインルームにいるモルティに「レポートが終わらない」と泣きつかれるまで、あと数分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これから2人で一緒に、頑張っていこうね!」

 

「仲間がいるってのは、案外悪くないな。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「メイ→ウェルチアースに洞察作業」

 

「……新しいアブノーマリティ、か。」

 

デボーナとモルティの2人がレポートを書いていた時、部門を超えてメイにウェルチアースの作業が命じられる。

コントロールチームの研究で部門を超えた作業指示ができることはこの前行った研修で分かっていたが、最初の指示が鎮圧指示ではなくて良かったとメイは胸を撫で下ろした。

 

「…………でも、新しいアブノーマリティだからね。」

 

メイは気を引き締めなおして作業に向かう。エレベーターを2階分降り、情報チームの管轄に入る。

 

「……あ。」

 

「……あ!コントロールチームの先輩ですね!」

 

その時、メイはちょうどイェソドにレポートを提出しに行く新人2人と出会った。

 

「新しい子かな?さっきは作業お疲れ様。作業はどうだった?」

 

「……まぁ、大丈夫そうですかね。」

 

「ウェルチアースはいいアブノーマリティだったので大丈夫でした!」

 

「そう。」

 

メイはふっと微笑んで2人に返す。その目は柔和に歪められていたが、瞳は笑っていなかった。

 

「……でも、アブノーマリティは安全なのばかりじゃないから気をつけて。自制ができないと、アブノーマリティたちは私たちに牙を剥くから。」

 

「…………気をつけます。」「頑張ります!」

 

モルティとデボーナが気を引き締め直したのを見て、メイは「それじゃあ、これから作業だから」とウェルチアースの収容室に入る。デボーナがぺこりと頭を下げる姿が収容室に入る直前に見えた。

 

「……こんにちは。お掃除していきますね。」

 

【おや、さっきまでの子とは違う子だね。こんにちは。】

 

【さっきの子たちの先輩さんかな?こんにちは。】

 

メイは「音響システム点検・収容室照明強度調節」とレポートに書き加えて作業を開始する。

 

「床の汚染中和プロトコル開始……清掃手順稼働……よし……お待たせしました。部屋の環境関係でお困りのことがあればお話を聞きますよ。」

 

メイはいつもと同じように、自らを自制して作業にあたる。

過去を受け入れ、自らの罪がために自身に難題を課すその姿は、もう二度と誰も失わないという強い決意と、触れれば壊れてしまいそうな儚さを兼ね備えていた。

 

【……いや、特にないよ。】

 

【そうだね。それよりも、僕らはキミの話が聞きたいな。】

 

エビたちもそれを感じ取ったのかメイに質問を返す。

 

「私……ですか……?」

 

メイは訝しみつつもエビたちにそう返す。エビたちはそれに鷹揚に頷いて返した。

 

【あぁ、そうさ。仕事は上手くやれてるかい?】

 

「……えぇ。みんなが死ななくていいように、私が生きて、アブノーマリティへの関わり方を伝えていかないと、死んでも死にきれないので。」

 

メイは冷たく、痛みをこらえるように言う。エビたちもただならぬ雰囲気をメイから感じて言葉に詰まった。

 

【……そっか。】

 

「……えぇ。」

 

収容室に沈黙がおりる。だが、メイが何か思い出しているのを感じてかエビたちがそれについて言及することはなかった。

 

「…………あ、黙ってしまって申し訳ないです。清掃リアクターが終了したみたいなので、ここで失礼しますね。」

 

【あぁ、作業頑張ってね。……ほら、差し入れだよ。】

 

ウェルチアースはいつもと同じようにメイにジュースを勧める。ウェルチアースはいつもと同じように蓋が空いていたが、缶の色は赤でも紫でもなく、さざ波のような水色をしていた。

 

(………………蓋、空いてる……)

 

「いただきますね。」

 

メイは内心では何が入っているのかと心配になるが、その不安を押し込め、渡されたウェルチアースを飲む。

 

爽やかな風に似た清涼感が鼻腔を突き抜け、パチパチと弾ける辛みにも似た刺激が波のように押し寄せる。その後になって初めて甘みが口いっぱいに広がった。

 

「……美味しいですね。」

 

【でしょう?】

 

メイは表情を崩さないようにエビたちに伝えると、エビたちは嬉しそうに返す。メイがウェルチアースを飲んでいた時に表情が緩みきっていたのはエビたちだけの秘密だ。

 

「では、失礼します。」

 

【うん。またね。】

 

メイは作業を終えて収容室を後にする。メイがウェルチアースを飲む様子を見て管理人が大歓喜していたことを、彼女は知らない。

 

メイはエレベーターに乗り、コントロールチームのメインルームに急ぐ。メインルームに着いた時、メイをサンチェスとダコタがいつものように出迎えた。

 

「メイさん。おかえりなさい。」

 

「おかえりなさい!新しいアブノーマリティはどうでした?」

 

「うーん……なんか、エビが2尾とジュースの自動販売機があったよ。作業を終えたらジュースを渡されたし、オブジェクト名がウェルチアースだったから、多分自動販売機の方が本体だよ。」

 

いつものようにメイはアブノーマリティの特徴を伝える。いつもと同じ行動だったが、メイはなぜか浮かない表情をしている。

 

「メイさん?どうかしました?」

 

「…………いや、なんでもないよ。」

 

サンチェスが不思議に思ってメイに訊ねるが、メイははぐらかすだけだった。

 

「サンチェス→オールドレディに愛着作業」

 

「サンチェスくん、呼ばれてるよ。」

 

「…………行ってきます。」

 

そのタイミングでサンチェスに作業命令が出される。メイに作業に行くよう急かされ、サンチェスは腑に落ちないという表情を浮かべながらも作業に赴く。

 

「メイさん、」

 

「何?」

 

「本当は、情報チームの新人さん達に情報の共有をすべきだって思ってるんでしょう?」

 

「………………」

 

メイは何も言えずに押し黙る。ダコタはそれに何も言わず、ただじっとメイを見つめていた。

 

「ダコタ→ウェルチアースに抑圧作業」

 

「メイさん、助け方は一つじゃないんですよ。……行ってきます。」

 

「えぇ………………えぇ。」

 

メイの曖昧な返事を聞いてダコタはメインルームを後にする。ダコタの伝えたかったことが伝わっているか否かはメイにしか分からないのだ。

 

「マルクトさん、抑圧作業を行うのでクリフォト抑止力を上げてもらえますか?」

 

「分かりました。中層セフィラに掛け合ってきます。」

 

エレベーターに乗りながら、ダコタはマルクトに無線機を通してお願いを出す。抑圧作業を行うことは管理人からの通達だったため、その申請は間をおかず承認される。

 

「……さて?」

 

そうこうしているうちに収容室の前に来た。新人たちが世話をしていたアブノーマリティだ。そこまで危険がなさそうだと思うが、その油断が命取りだとメイはいつも言っている。

 

「……メイさんに心配かけないためにも、頑張らなきゃな。」

 

ダコタは収容室の扉を開けた。

 

【おや、気の強そうな子が来たね。こんにちは。】

 

ダコタはウェルチアースの挨拶に応えない。ダコタが行うのは抑圧作業、あらゆることを押さえつける作業だ。

 

ダコタはレポート用紙に「生物毒素の無毒化及び超自我の注入」と記入して作業を開始する。

 

「とりあえず、これを飲んでください。」

 

【……?これは?】

 

「いいから飲んでください。」

 

ダコタは生物毒素の無毒化のためにと渡された、トロポミオシンを分解する薬剤をエビたちに渡す。

エビたちはそんなダコタを訝しみながらも薬剤を飲み下した。

 

【飲んだよ。】

 

【いきなりで驚いたよ。】

 

エビたちはダコタに抗議の視線を送る。しかしダコタはその視線を盛大に無視する。

ダコタは職務に忠実に、メイに言われたように自制を心がけて作業を進める。

 

メイの時とは別種の沈黙が場を包んだ。

 

【……おや?よく見るとお嬢さんには最近付いたような傷があるねぇ。】

 

【ホントだ、それもかなり多い。……何かあったのかい?】

 

「…………いえ、何も。」

 

エビたちにそう言われてか、ダコタの古傷がジクジクと痛む。ダコタはそれが錯覚だと頭では理解出来ている。

けれど、自分の自制が足りなかったことの証左でもある傷跡が、その時の痛みを克明に、鮮烈に伝えてくる。

 

ダコタはそっと首筋に手を当てた。

 

【ふぅむ?時おり遠くから犬の鳴き声がするし、犬のアブノーマリティとかがいるのかな?】

 

【よく見たら、首のその傷跡、犬に噛まれたみたいな傷だね?】

 

【となると……作業が上手くいかなかったのかな?】

 

ダコタの心臓が大きく一つ跳ねる。少ない情報からそこまで正確な答えを導き出せることに、ダコタは恐怖すら感じた。

 

【そうか……ねぇ、ここから出ていく気はないかい?】

 

【そうだね、それがいい。適材適所ってやつさ!】

 

うるさい。

 

ダコタは思うが何も言わない。

得体の知れない、生物かどうかすら定かではないアブノーマリティの言うことになど耳を貸すものかとダコタは頑なに無言を貫く。

 

【なぁに、心配はいらないよ。ロボトミーコーポレーションは一度入社したら退社はできないって言われてるけど、僕らはそれを可能にできる。】

 

【君だって、こんなに危険で命の価値が低い、なんなら適性もない仕事をするのは嫌だろう?】

 

【大丈夫さ!生きていくための生活基盤や新しい仕事は僕らが全部用意するからさ!】

 

ネガティブ・エンケファリンボックスが次々と生産されていく。古傷が塩を塗りこまれたかのように熱を帯びて存在を主張する。

 

「…………っさいな……」

 

【だからどうだい?ここから逃げ出して、新しい人生を歩もうよ。】

 

【明日すら分からないこの地獄から抜け出そう!】

 

「うっせぇな!!!」

 

エビたちの再三の問いかけに対して、ダコタは怒声で答える。

エビたちはダコタの反応を予想していなかったのか2尾ともにたじろぎ、ダコタから距離をとる。

 

「私がいなくなったら、メイさんはどうなる?あの人は咎人で、自分の罪を赦さない断罪者で、贖罪のためにここに戻った受難者なんだ。背負った重荷に潰されそうな、惨めな殉教者なんだよ!!!」

 

ダコタの独白は止まらない。

 

「私は、メイさんの【罪】は知らないけど、だからって私が何も出来ないわけじゃない……そう、たった一つの罪と何百もの善に言われたんだ。」

 

ダコタは犬歯を剥き出しにして叫ぶ。

それはウェルチアースに向けた雄叫びか、それとも自身に向けた慟哭か。

 

「なのに!なのに私はまだ、何もできてない!彼女に助けられてばかりで、まだ何も返せてない!彼女が自分の罪を赦せるまで、私は何があってもいなくなる訳にはいかないんだよ、メイさんのやってることは正しいんだって、私が証明しないといけないんだよ!!!」

 

猛るダコタに、エビたちは何も言えない。

ただ、どれだけ辛いことがあろうと決して折れない芯がダコタにあると理解したエビたちは、ウェルチアースに入れようとしていた薬をそっとしまう。

 

【……そうか。君は、すごい決意を持って仕事をしてるんだね。】

 

【悪いことを言ったよ……これ、お詫びに飲んでおくれ。】

 

蓋の空いた、紫色のラベルが貼られてあるウェルチアースがダコタに渡される。

ダコタも見知らぬエビたちに作業とは関係なく個人的な感情をぶつけたことを後悔しているのか、熱くなった頬に冷たいウェルチアースを押し付けて熱を冷まそうとする。

 

「いえ、こちらこそ…………いただきます。」

 

グイッとダコタはウェルチアースを一気飲みすると、振り返ることなく収容室を後にした。

 

ただ、これまで秘めていた決意を新たに胸に刻みつけて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は1人で、そしてみじめだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダコタがウェルチアースの収容室から出た瞬間、アラートと共にけたたましいファンファーレが鳴り響く。

アラートこそいつものクリフォト暴走を告げるアラートだったが、ファンファーレなど聞いたことがない。

 

「とりあえず、メイさんと合流しよう……!」

 

ダコタは急いでコントロールチームのメインルームに向かった。

 

「メイさん!何事ですか?!」

 

「私にも……分からない……こんなことは今まで無かったから……!」

 

メイも混乱した様子でメインルームに留まる。とりあえず3人は、ファンファーレが鳴り響くまでの状況を整理し始めた。

 

「ファンファーレがなった時、私はウェルチアースの作業を終えたところでした……もしかしたら関係が?」

 

「でも、同時に鳴ったアラートはクリフォト暴走が起こった時と同じものでしたよ?」

 

「さっき、たった一つの罪と何百もの善の収容室に新しい子が来てた。資料を見るところ、モルティくんかな?それでクリフォト暴走レベルがが上がったのかも。」

 

3人がそこまで考えをまとめた時、コントロールチーム担当セフィラのマルクトがメインルームに入ってきた。

 

「その通りです。ただ今回はクリフォト暴走が起きたのではなく、異常存在が施設に出現しました。私たちは便宜上、これらを【試練】と呼んでいます。」

 

マルクトはコントロールチームの地図と自らのメモを広げて詳しい説明に入った。

 

「今回の試練は【深紅の黎明】、ピエロのような見た目の試練で、2体出現しています。便宜上、これらを【開始の歓声1】【開始の歓声2】と区別して話を進めます。」

 

コントロールチームの3人は神妙な顔で頷く。

 

「【開始の歓声1】はM1収容室前廊下、【開始の歓声2】はM3収容室前廊下にそれぞれ現れています。管理人から指示の出た【開始の歓声】を鎮圧してください。オペレーションは耳元の無線機で行います。」

 

「メイ→【開始の歓声1】鎮圧」

「ダコタ→【開始の歓声2】鎮圧」

「サンチェス→【開始の歓声2】鎮圧」

 

マルクトがそこまで説明を終えると管理人から【開始の歓声】の鎮圧指示が出される。3人は弾かれたように鎮圧へと赴く。

 

一番最初に【開始の歓声】と出会ったのはメイだった。

メイは小さなピエロのような人形の姿を確認すると、腰にホルスターで下げていた【孤独】を抜いて構える。

 

「……知らないことばかりだけど、私がしっかりしないと。」

 

メイは冷静に【開始の歓声】に立ち向かう。E.G.O.武器は初めて扱うが、長年扱ってきた武器のように手に馴染み、使い方も本能的に理解出来る。

 

「……!」

 

メイは撃った。ろくに狙いも定めず、ただ引き金を引いただけだったが、【孤独】から発射された弾丸は寸分たがわず【開始の歓声】の眉間を撃ち抜く。

 

だが、それで【開始の歓声】が止まることはなかった。扉の前で爆音のファンファーレを流しながら踊り狂っている。

 

「なに……してるか……わかん……ないけど……!とめる……よ……っ!」

 

メイは【孤独】を連射しながらそう呟く。ファンファーレがそろそろ1周するかというタイミングで、たった一つの罪と何百もの善の作業をしていたモルティが収容室から出てきた。

 

「?!なんですかコイツ?!」

 

「とりあえず援護して!詳しい話は後でセフィラから!」

 

「了解です!」

 

それだけ聞くとモルティは【懺悔】を取り出して【開始の歓声】に殴り掛かった。

 

時を同じくして、ダコタもキュートちゃんの収容室前にいる【開始の歓声】の元へとたどり着いた。

 

「何しようとしてるのか知らないけど、とりあえずぶっ潰す!」

 

物騒なことを言いながらダコタは【開始の歓声】に【カワイイ!】で殴りかかった。

 

その瞬間だった。

 

「「消えた?!」」

 

場所は違うが、メイとダコタが同時に叫んだ。先程まで踊り狂っていた【開始の歓声】が、曲が1周するとともに消え失せたのだ。

鎮圧が完了したのなら問題は無い。けれど、異常事態を告げるfirst trumpetはけたたましく鳴り響いている。

 

まだ、奴らはこの施設にいる。

 

「コントロールチーム各員、聞こえますか?」

 

「「「はい!」」」

 

マルクトから無線が入る。コントロールチームの3人は気を緩めずに手早く返事をした。

 

「【開始の歓声】は両個体共にM2収容室前廊下に再出現。また、たった一つの罪と何百もの善及びキュートちゃん収容室のクリフォト抑止力が弱まり、両アブノーマリティの固有PE-Boxが減少、キュートちゃんのクリフォトカウンターが下がりました。各員、引き続き鎮圧に当たってください。」

 

「了解」「承知です」「分かりました!」

 

各々が返事をしてM2収容室──オールドレディの収容室に通じる廊下へと急ぐ。

 

「引き続き援護しますか?」

 

「管理人から指示が出てないならそのまま待機して。大丈夫、私たちが何とかするから。デボーナさんにもそう伝えて。」

 

「指示が出しだい、すぐに援護に行きますから!」

 

モルティはそう言い残して情報チームメインルームへと戻る。ここからは先輩たち3人の戦いだ。

 

「……!見つけたっ!」

 

一番最初にたどり着いたのはメイ。【開始の歓声】の損傷具合いから、手負いの方の【開始の歓声】を【孤独】で撃ち抜く。

 

【ギャハハハハハハハハハハ!!!】

 

「!?」

 

その瞬間、メイの撃った【開始の歓声】がぶるりと震えたかと思うと、けたたましい笑い声を上げながら爆発した。メイは距離が離れていたために無事だったが、至近距離で食らっていたら少なくないダメージを負っていただろう。

 

「メイです。【開始の歓声1】カット。もう一体いるので引き続き対処します。」

 

無線を通してメイはマルクトにそう伝える。

メイの声色は驚きを隠せていない様子だったが、惚けているわけにもいかないと何とか平静を装いもう一体の【開始の歓声】に攻撃を続けていた。

 

「指示されてないけど……目の前にいる限りは……ねっ!」

 

「メイさん、援護します!」

 

遅れてサンチェスがM2収容室前廊下へとたどり着く。だが、その瞬間にまたもファンファーレが1周した。

 

「また消えた……」

 

「いったいどこに……?」

 

焦る2人に向けて、マルクトは迅速に無線で指示を出した。

 

「【開始の歓声2】はキュートちゃんの収容室に向かっています!メイさんは別命あるまでメインルームで待機、ダコタさんとサンチェスくんは引き続き対処に当たってください!…………最悪の場合、キュートちゃんが脱走します。覚悟を決めてください!」

 

「「「了解!」」」

 

3人は再び動き出す。メイは管理人からの指示をメインルームで待ち、ダコタとサンチェスは再び【開始の歓声】鎮圧に赴く。

 

その間もファンファーレはけたたましく鳴り響き、キュートちゃんがクリフォト抑止力での抑えが効きにくくなるほど不機嫌に暴れだした。

 

しかし、M2収容室はM3収容室の対角に位置する。急いでも、ファンファーレが一巡する前に【開始の歓声】にたどり着くことは、【正義】の低い2人には出来なかった。

 

「キュートちゃんが脱走しました!各員、気をつけてください!」

 

「メイ→キュートちゃん鎮圧」

 

【開始の歓声】がキュートちゃんの機嫌を損ね、クリフォトカウンターが0になったことでキュートちゃんが脱走する。

当の【開始の歓声】は次なる目標をたった一つの罪と何百もの善に定めたのか、M1収容室に再び姿を見せた。

 

「ダコタさん、サンチェスくん、【開始の歓声】は現在M1収容室の前にいます。」

 

「すぐに向かいます!」「追いつきます!」

 

「メイさん、キュートちゃんは現在eta9を追跡中、被害が拡大する前に止めてください!」

 

「承知しました!」

 

3人は急いで管理人の指示を遂行しようとするが、【開始の歓声】はダコタとサンチェスが見えた途端にワープし、eta9はパニックになって施設中をめちゃくちゃに走り回っているためにそれを追いかけるキュートちゃんを捉えるのも容易ではない。

 

【開始の歓声】は2人の武器が拳銃やそれに似たE.G.O.であれば鎮圧も容易であっただろう。

キュートちゃんはeta9がパニックでなければ攻撃が通っていただろう。

 

けれど、たらればを述べたところで意味は無い。

 

「あいつ……すぐワープしやがって!次はどこに逃げましたか?!」

 

「【開始の歓声】はM4からM2へワープしました。メイさん、キュートちゃんは現在東エレベーター連絡通路に来ています。エレベーターに乗ってください。」

 

「もう乗ってます!」

 

マルクトの指揮の元、3人は施設を縦横無尽に走り回る。たった2体の【開始の歓声】にこれほどまでに振り回されるなんて、3人は思ってもみなかった。

 

「見つけたっ!」

 

エレベーターから降りるとすぐにeta9とキュートちゃんを発見する。

しかしその姿はいつものような子犬の姿ではなく、筋肉が膨張して普段の10倍程の大きさになっていたキュートちゃんだった。

 

「……!逃げられた!」

 

エレベーターから降りたメイは即座に【孤独】を構えるが、自分が乗ってきたエレベーターをキュートちゃんにうまく利用されて逃げられる。

 

すぐに後を追うがキュートちゃんの方がメイより速く、なかなか追いつくことができない。

 

「みんなに被害が行く前に……!」

 

東エレベーター待合室にてキュートちゃんに追いついたメイは【孤独】を連射し、キュートちゃんに外傷を負わせる。

しかしキュートちゃんは痛がる素振りもメイの方に注意を向けることもなく、一心不乱にeta9を攻撃していた。

 

「クソ犬!?」

 

キュートちゃんとメイが戦っているところにダコタが闖入する。ダコタは普段と違うキュートちゃんの姿に驚き、思わず【カワイイ!】を構えた。

 

「ダコタさん!【開始の歓声】を優先して!」

 

「メイさん!?でも……!」

 

「【開始の歓声】が残ってる限り、キュートちゃんは何回でも脱走する!ダコタさんは先に【開始の歓声】の処理をして!」

 

ダコタの高い勇気は守護する力。かの断罪者が自身の罪に潰されないように、アブノーマリティの収容違反で誰かが死なないように守護する力。ダコタは自身の美徳に従いメイを援護しようとするが、メイはそれを押しとどめて管理人からの指示を優先するように伝える。

 

規則に加え、経験からくる考察に納得したのか、ダコタはメイの言葉に従う。

 

「お気をつけて!」

 

そう言うとダコタは【開始の歓声】のいる方に向けて走り出す。メイはキュートちゃんを食い止めるために【孤独】を連射し続けていた。

 

「大人しくして……!」

 

東エレベーター待合室から出ていったキュートちゃんにそう悪態をついてメイはキュートちゃんを追いかける。

しかし、メイが部屋を出た時に目に飛び込んできたのは、メイがいつも収容室で見ている姿のキュートちゃんだった。

 

「マルクトさん、キュートちゃんのクリフォト抑止力はどうなってますか?」

 

「正常値に戻っています。ですが、収容室に戻るまでは気を緩めずに追尾してください。」

 

マルクトの言に従い、メイはキュートちゃんを追いかける。キュートちゃんは自身の収容室の前まで歩くと、ジャンプで器用に収容室の扉を開けて自ら収容室へと帰っていった。

 

「メイさん、キュートちゃん鎮圧完了です。お疲れ様でした。」

 

「ふぅ…………」

 

メイはひとまず安堵の吐息を漏らす。eta9がどうなったかは知らないが、毎日入れ替わるオフィサーのことを考えても仕方がない。

生きていようが死んでいようが、どの道明日にはいなくなっているのだ。

 

「ダコタさん、サンチェスくん、【開始の歓声】は現在M3収容室に……え?…………はい、分かりました……みなさん、今日の業務は終了です。クリフォト抑止力を大幅に上げますので撤収してください。」

 

インカムからマルクトが3人にそう告げた。情報チームでも同じことが言われているのか、新人2人はさっさと撤収している。

 

「でも【開始の歓声】が……!」

 

「試練は非常に不安定なアブノーマリティです。クリフォト抑止力が大きく上がれば自然消滅します。明日にはいなくなっているので安心してください。」

 

「そういう意味じゃ……」

 

ダコタは腑に落ちないという表情をしていたが、業務規則に従って撤収を始める。

 

初めての試練は良いと言える出来ではなかったが、脱走アブノーマリティが出たにもかかわらず退職したエージェントがいなかった点では悪くない出来だろう。

 

「明日からも試練は現れます。覚悟を決めてきてください。」

 

マルクトの一言が、この体たらくで後輩たちを守れるのかとメイに重くのしかかった。




本当は、この次の回も入れるつもりでした。長いのでやめましたが、出来れば地続きにしたかったなぁ……

エグい描写をよりエグくするために、今回のほんわか描写は多めです。安心安全ですね!
次回の話は捏造多めです。
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