今回、少しオリジナル要素を入れましたが本編には関連させません。
極上の酒をもって客を酔わせるのはバー「エンジェルズシェア」。とある界隈では圧倒的な人気を博し、酒の天国と評される程の質を常に保ち続けている。しかしその裏には、オーナーの並々ならぬ努力があり、その結晶が今を支えている事を忘れてはならない。
ディルックがエンジェルズシェアを営むきっかけにも、複雑に絡み合った過去が大きく関わっているのだが、経緯の説明には半日は要するのでここでは割愛しよう。
しかし、今日は目印のランプの輝きも失って眠りこけている。肌寒い夜のそよ風に体を揺らすのみだった。準備中かと思ったら、五月蝿いくらいの静寂と、レンガの煤けた匂いが鼻を弄るだけ。人の気配は感じられない。
望みは薄いか。既に何人かは、己の運の悪さを呪い肩を落とし、または震わしながら帰っていく。
たった一つの、お気に入りの酒場がやっていない。それで憤怒するほどちっさい器ではないが、ただそれが、エンジェルズシェアでなければに限る話。幾ら目立たない立地であろうと、彼の店は様々な人から強く愛されている。今日はその証左と温かい人情が窺えた。
では、宴も盛り上がる頃だと言うのに件のオーナーは一体何処へ。夜も更けた今、明確な外出先があるのもおかしな話だ。たとえ要件があったとしても、紳士な彼は真夜中に訪問する等の迷惑になる行いはしないだろう。
だと言うのに彼は、街にくりだしこの闇の中を駆ける。その目には鋭い光が宿り、且つそれは強固なものだった。まるで玉鋼の剣のように揺らぐ気配はない。
確かにディルックは明確な目標を掲げて走っている。それも今日限定のものという、趣味の延長としての副業のようなものだ。まあ、それすら当の本人は決して認めないが。きっと自嘲混じりの微笑みで「これが一番容易い事だからだ」と言って話を終えるに違いない。容易に想像出来てしまう。
では、その肝心の目的というのは何か。黒の外套を翻し、闇の中を疾駆する彼は何を見ているのか。
その答えは、彼の背にある漆黒の大剣に存在する。
再三言うように、ここは冒険者の街オラリオ。広義的な強さとロマンに恋焦がれる老若男女が無尽蔵に居る。だとすれば、酒場のオーナーだろうと神の恩恵を授かっている可能性は少なくない。
昔は冒険者であったとか、更により多くの資金を調達する為だとか、一見、戦いにもこの世の全てにも興味無さそうな無表情クールフェイスを貫いていようとも、戦う理由も戦える理由もこじつければ幾らでもある。
しかし、彼が向かっている方向は奇しくもダンジョンの入口とは真逆だった。オラリオの住人が武器を手に往く所といえば、ダンジョンへ魔物狩りに行く程度しか挙げられないだろう。
だが彼、ディルックは更に深く影の中へと進む。気づけば人の気配は無く、どこか湿った気味の悪い空気が漂う場所へと来ていた。滅多に人が行き来しないため、特に名付けられた名もなく捨てられた廃屋が並ぶだけのそこは、しかしそこはかとなく怪しい。
その中心部にはディルックは佇み、背中の大剣を静かに手に取る。剣呑な眼光は更に鋭く研ぎ澄まされ、ややゆっくりとした歩みの一挙手一投足から凄みが溢れる。
「ここか……」
今宵、月夜が更けた頃に、一匹の狼に焔が荒ぶ。
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廃屋の並び。誰もが寝静まった夜に動きがあった。
夜空と同化するような黒のローブを深く被り、吹き抜ける夜風と一体になるような体運びで何処かへと向かっている者がいる。
如何にも怪しいといった様子。心做しか挙動不審で落ち着かないようにも見える。こんな真夜中に息を潜めて、かえって更にきな臭くなる。
件の男は、一つの廃屋の前で足を止めた。斑模様を描くように苔は繁茂して、叩けば瓦解する恐れがある程に老朽化の痕が窺える。生暖かい湿気は酷い臭いだ。
フードを取り、男のお手本の様な犯罪者顔が顕になる。臭いに顰めて更に凶悪な面構えだ。
一度二度と辺りを見回し、周囲に人の気配が無いかを確認する。そうして確認が取れたところで男は扉を小さく叩く。
「俺だ、開けろ」
「……少し待っていろ」
叩いた扉の向こうからもドスの効いた男の声がする。この真夜中という時間帯では、怖さも二割増で重圧感も与える声だ。
ギギギ、と今にも壊れそうな音を立てながら扉は開いた。光の通ってない部屋に、頼れるのは一本の蝋燭の灯火。見えた光景は不気味の一言に尽きる。
「じゃあ早速。これがお求めの品だ」
「『
男が懐から取り出したのは、一本のダガー。しかし、何の変哲もないとはとても言い難い代物であった。見た事のない不自然な軌道を描く刃には、微かに紫電が走り一層妖しく光る。龍の牙にも見えるそれは、神聖という言葉とは果てしなく遠い対極にあるものだろう。
神に仇なす反逆の牙。一から全、人が織り成したヴェンデッタ。それが『
「これ一つありゃ、たとえ「
「闇というのも恐ろしいな。これ程のもの調達するとは」
「伊達にこの世界を生きてねえからな」
何とも恐ろしい物を、ローブの男は軽々しく片手で弄ぶそれは、水面下にどす黒く蔓延る闇に精通している者ならば、誰であれ知っている。嫌な噂の絶えない有名な武具であるのだ。
そして、主に神やその眷属に怨恨を抱く奴に高値で売れる。確かに材料は貴重だが、流通している所を見ると幻と言われる物でもない。しかし、誰も彼も値段を上げるためか相場は日に日に上昇している面白い商品でもある。
「一本につき三十万ヴァリス。ちょいとお高いが、効力は折り紙付きだぜ」
「乗りかかった船だ。今更後には引けん。……二本売ってくれ」
苦渋の決断だと言わんばかりの表情に、恐らくその六十万ヴァリスが全財産だと言うことが分かる。
買い手の大男は、家も地位も全ての宝も何もかも失ってここに居る。もう何を失おうと彼にとっては二番煎じ。要するに慣れてしまったのだ、失う事に。
両手にも収まらないほど膨張した皮袋の中には、丁度六十万ヴァリスが入っている。男はそれを目の前の売人に渡そうとして……。
「まいどあr──誰だ……!!」
男は咄嗟に振り返る。瞬く間に流れ出た冷や汗を拭う暇も無く、その勢いに飛び散った。
確かに確認した筈だ、と男は見るからに焦りながらも、大きな舌打ちをする。ただ、見つかっただけならばここまで動揺しない。男は己の持つスキルが、容易く破られる程の脅威が迫っている事に、どうしようもなく慄いていた。
自身のレベルよりも低い人間は、自身を中心とした一定の広さの領域内に、認めた人間以外は一切合切近づけさせない。それこそ、男が絶対の信頼を寄せるスキル。そして男のレベルは4であり、大抵の者はその力に平伏す事になるだろう。
しかし、思惑通りにはならなかった、という事がどれ程恐ろしいのか。
「『
狼は牙を剥く。紅のたてがみを翻し、愛すべきオラリオに巣食う悪性共を消し去るために。
さあ、粛清の時だ。
「その思想ごと燃やし尽くす!」
手の得物を大きく振り上げ、構える。その動作に伴って微かに風が舞い上がり、彼、ディルックの瞳は切れる。
そうして顕現されたのは、鳥の形を成した凄まじい程の紅蓮だった。たとえ如何なる闇であろうと、照らすどころか焼き尽くす。彼の赫怒を表すような烈火の前には、蝋燭の灯火など無いも同然。
全力の一太刀。吹き荒れる熱風と火の粉は、罪人の業の数だけ肌を焼く。鳥かごから解き放たれた火の鳥が創る一時的な煉獄に、裁かれる二人は死を超えた何かを見た。
「お前は、闇夜の英雄……か」
「んだと……?!」
炎が齎した被害はこの廃屋に留まらず、辺りをも焦土に変えた。この凄惨な状況の中で息をする生命はディルックと売人の男のみとなる。大男は手に持った六十万ヴァリスと共に、圧倒的な火力を前にして既に塵と化してしまった。どこまでも救われず憐れな。
しかし、売人の男も酷い火傷を負っているようで、左腕は使い物にならない荷物となっている。五体満足ではないようだ。皮膚が溶けるような熱気は、未だに肌をジリジリと焼く。
「クソッッ!! 俺はレベル4だぞ……! なのになんでこんな……」
「遺言は、それで終わりか」
炎の影から飛び出したディルックは、男の顔を片手で鷲掴み、地面へ叩きつける。その反動で少し浮いた男の身体を息をする間もなく上へと切り上げ、思いっきり地を踏み込んだ彼は夜空へ跳び、空中で大剣を大きく振り上げ焦がす炎の兜割り。
男の先程の余裕は見る影もない。ボロ雑巾の様に無様に転がり、後は死を待つだけ。
今ここに、裁きは下った。
「ハッ……。正義、のみか、たの……つもりか? 闇夜の英雄……」
「生憎、僕はもう正義を掲げていない」
淀みない揺れる真紅に、濁った赤が混じった。
これが、エンジェルズシェアのオーナーディルック・ラグヴィンドのもう一つの姿。
黒い外套に黒い大剣、まるで罪人を裁く火の如き赤い髪。そして悪敵には一切の容赦なく裁断する冷徹な一面から、授かった二つ名は「闇夜の英雄」というものだった。当の本人は納得していないが。
彼の行いの全て、万人は正義だと評価するだろう。なにせ彼は紛れもない英雄なのだから。全てはあの日から。
「正義はもう、過去に置いてきた。僕には、相応しくない」
ディルックの兄貴のステイタスは少し考え中です。レベルは6の予定ですかね。