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今夜もゆったりと酒精香る筈の裏道は、余りに暗く伽藍堂。指標を担う夕陽色のランプも風に虚しく揺れる。
どうやら、今日は営業をしていないらしい。
一体、何故だろうか。
先ず挙げられる要因といえば、不定期の悪人退治。決して眠る事の無い夜の街へ、粛清の刃を振るいに。
そしてもう一つは、ダンジョンへ赴き魔石の採集に励んでいるか。商う者としては、商品の枯渇は何よりも恐れる事。余裕を持ち、念には念を入れる事は何とも彼らしくある。
他にもまだ、可能性という可能性は挙げられるが、過ぎれば際限なくキリがない。
それに、今回は何れも当てはまらないようだ。
彼はまた珍しく、夜の入口でオラリオを闊歩する。子供もまだ目を擦る時間ですらない。酒飲みで言えば景気付けの一杯だろうか。取り敢えず、という口上のような触り。
その中で一人、ディルックは何処へ訪れようというのか。
案外目的など無く、自由気ままに夜風を感じるだけの散歩かもしれない。若しくは、度重なる心境の変化による負担を、酒と共に飛ばそうと。それとも、気まぐれに出会う人の温度に触れようとする一種の試みか。
存外的外れでは無いようだが、正鵠を射る予測とも言えない。確かにその意思も、彼の心中に留まっている様だが主体では無かった。
彼の目的は約束を果たす事。と言っても壮大な背景と重苦しい過去の轍による、尊い契りでは無く。囁かな文通からの口約束である。
礼儀と格式、形式的且つ由緒正しいものでも無く、一夜共にする誘いの様に。
要するに、お遊びだった。
この様な機会でなければ能動的に夜遊びをする心も持たないが、案外彼はこの様な事を好いている。
普段は、自身の「エンジェルズシェア」のカウンターで特製ぶどうジュースを雅に煽る。それが毎夜の慣わしであり、彼にとって落ち着くのがあの定位置だから。
しかし、人並みに新鮮さを好む彼には、異なる店で交わす酒(ノンアルコール)も美味い。
経営しているだけでは見えてこない、不明瞭であった客の目線にも合わせて酒が楽しめる。その一連の中には、多くの発見と新たな知識が詰まっている。まさに、彼にとって宝物に溢れる箱の様な一時である。
まだ見ぬ今夜の酒(ノンアルコール)の味に思いを馳せれば、あっと言う間に目的地に着く。
そこはとある酒場。木造のドアにはいくつかの打撃痕など傷むところも少々。しかし、それは長年とこの店が慕われてきた証左でもある。
店内へと踏み入れれば、よく賑わう空間であった。彼のエンジェルズシェアと対比させれば、これまた真逆のよう。
更に、店内の証明も若干明るめに設定されているのも、一つの知恵か。視覚から人の精神に訴えかける体制は、思わず感心する程に賢い。
強烈な酒の匂い。舌に置かずとも酔いそうな程に香ばしい。この店は、たった一瞬で客を酒に没頭させる。
描かれた光景は如何なる時も不変。筋骨隆々のならず者から熟れきれぬ若者まで、一様に無邪気に笑い合い、飲み交わす。品が無いとは言わせない。この店では、その笑顔が最高級であって不文律。剣呑、陰鬱、湿っぽい話は置いておき、愉快に酒に溺れる場であるから。
相変わらずだと、彼は微笑んだ。
「豊饒の女主人」は、今夜もきっと騒がしい。
「一名様ご案内にゃー!」
独特な語尾で案内された席は、店側の都合でカウンターの端の方。照明の当たり具合の関係か仄暗い席だが、彼にとっては僥倖だろう。
騒ぐのは、どうにも性にあわない。楽しい酒に嫌悪はないが酒の肴にならないというだけ。しかし、騒がしいのは好む。他者の奏でる喧騒が、酒の肴に丁度いい位で彼は好んでいる。その点で言えば「豊饒の女主人」は打って付けだった。幸いにも、店主とも顔を合わせて話す関係であるため心置き無く楽しめる。
「今夜も一人かい? 女っ気がないねえ」
酒の席で盛り上がる話題と言えば、恋愛譚であるのは否めない。しかし必ずといった具合でも無いだろう。紳士淑女も多少下劣に寄るとはいえ、何故自身の周りはこうもその方面を目指すのか。
彼は少々だらしなく肘をつき項垂れる。そしてこの場を制す店主に対し、責めるような目で視線を合わせる。
「余計なお世話だ。……いつものを頼む」
「はいよ。ツマミはいるかい?」
「君のおすすめを貰おう」
「じゃ、これもいつものだね。少し待ってな」
店主は早々に店の奥に消え、彼は手持ち無沙汰なのか、暇を弄ぶ為テーブル席に目をやった。
十人十色。一瞥のみで色鮮やかだと解る景色は、美しいとはまた異なる情景を心に映す。価値の坩堝だが混沌の悪寒はなく、一つ一つが独立して混ざり合う。色同士、ひしめき合い衝突し合い濁らず。とても透き通っていた。
これがここの醍醐味。酒の前のお通しには高尚過ぎるが、味は濃く応えがある。
「お待ちどうさま。はいよ!」
「悪いな。……っ、ああ、美味い」
「下戸のくせにいい飲みっぷりだねぇ」
ご存知の通り、彼は酒に滅法弱い。本来であれば先の一口で溺死する程にカナズチな体質をしている。そんな彼が酒場を営むのも可笑しな話だが、それよりも今、彼を夢中にさせているのは彼が嗜む酔わない酒。
彼と店主が共同開発をし、遂に完成させたのは下戸が幾ら飲もうと酔わない酒、という代物であった。
これは革新であり救済。今まで下戸として虐げられる日々からの解放の一助として、これは成り立つ。実際彼も、その恩恵に肖り大きく感動した事だ。
つまり、今彼は酔わない酒を飲んでいる。そんなの酒じゃない、とそれも一理あるかもしれない。だが、飲めなかった人々にとっては正しく救いだったのだ。
少々長く浸っていた彼だが、ふと何かに気付き辺りを見渡す。その寡黙な表情も、若干の焦燥に歪んでいるように見える。
彼らしからぬ反応。努めておくびにも出さない様に心持ちを強くしているようだが、長く人情に触れてきた店主は、一目で理解が可能だった。
「安心しな。あんたが来る時はリューは下がらせてるよ」
「……何も言っていないが」
「図星だろ? 目は口ほどに物を言うからね。あんたの場合、分かりやすくて助かるよ」
それほど目を泳がせた自覚は無いが、この推測は店主の超人的な対人理解力によるものでもある。並大抵の人間では崩せぬ彼の仮面も、彼女にとっては豆腐の如し柔さ。
やはり彼女には敵わない。内心で白旗を翻す。
「まだ引きずってんのかい。リューはもうとっくに振り切っているよ」
「分かっている。ああ……分かっている」
いとも容易く悟られた己の悔恨。まるで彼女には、全てを見透かされているようで、何となく居心地が悪く感じる。
逃避するように箸を進ませ、しかし絶妙な塩梅のツマミすら何の味もしない。
一度核心に触れられれば、この有様。こんなにも脆弱な鎧であっただろうか。僕はこんなにも弱いのか、今一度彼は苛まれる。
もしも、この様な彼が、過去の遺恨に再び向き合ってしまえば、どうなってしまうのか。余りにも悲惨且つ、呆れるほどに弱小な己の未来像に、合わせる顔がないと彼は自身を糾弾する。
どうしようもなく、彼は弱いのだ。
まるで非の打ち所の無い天才肌ですら弱点を、欠点を抱えて生きる。彼もまた人間だっただけの話だ。
「……少し、外の空気を吸おう」
「ああ、行ってきな。席はとっておいてやる」
「ありがとう」
今だけは形骸の感謝で、その対応を流す。口は悪くとも空気は読める。そして何より慮れる優しい心が店主には備わっている。
引きずっている、と彼女は言った。
確かに彼は、決して切れぬ鎖で繋がれているように引きずる。歩く度に重くなり、日々の幸せがその縛りを強くする。既にその鎖も風化し、錆びているというのに。いや、だからこの有様かもしれない。と彼は自嘲する。
だが、前には進めている。今を生きる一瞬が如何なる刻苦に成り代わろうとも、あの日あの時、虚しく翳る墓標の前誓った復讐は今も、刃の研石となって。
憤怒もまた、忘却せずに遺産として心にある。
そして、何よりも彼女の正義を借りているままだった。もう返せないこの意志は、今尚彼の心象に燻る。
こんな借り物でしか刃を振るえない己は、否応なく最低だ。
長い髪は冷たい夜風に靡く。なんの抵抗もなく揺れ動く様子に、卑屈にもまた自己を投影する。
「う……そ……」
そんな夜闇に、靡くものがもう一つ。
「ディルック……なの、です、か?」
それは、見覚えのある一輪の花であった。
遂に邂逅の時ですがちょっと短いかもしれません。申し訳ない。
ちなみに、オリジナル設定として追加した酔わない酒は、ただノンアルというだけです。