『金』の棋譜   作:Fiery

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書きたくなって書いた(と言うような供述をしており

将棋の知識はあまりないです。


本編
ご都合主義です、イイネ?


 パチリ、と室内に軽快な音が響く。音の発生源は、炬燵の天板の上に置かれた折り畳み式の将棋盤。そこに駒が置かれた音。

 盤を挟んで向かい合うのは、どちらも女性だ。片方は明るい茶色がかった金髪を一纏めにして垂らしたおっとり目の女性。もう一人は長い黒髪をポニーテールにした切れ長の目が、怜悧な印象を与える女性。

 

 黒髪の女性が駒を打ち、金髪の女性が『うーん』と唸る。

 

「……かなちゃん、これ詰んでるよね?」

「後五手で詰みですね。という事で、明日のデザートは桂香持ちで」

「くっ……お手柔らかにお願いしますぅ……!」

「ランチ自体は私持ちなんですから、そこまで悲壮感たっぷりに言わなくても……」

 

 はぁ、と溜息を吐きながら『かなちゃん』と呼ばれた黒髪の女性は盤上の駒を動かして、初期の配置に並べ直す。そして、互いの手を再現していき、少しして手を止めた。

 

「最初に躓いたのはこの場面ですね」

「えー、マズかった?」

「桂香の性格を考えるとこう指すのはわかりますが、選択肢を広げたいならこっちですね」

 

 『かなちゃん』が意見を述べながら駒を動かし、『桂香』と呼ばれた女性は真剣にそれを聞いている。趣味や遊び……と言うには熱が入っているそれは、二人からすれば当然の事である。

 

 桂香……清滝 桂香(きよたき けいか)は、女流()()を持つ女流棋士。

 かなちゃん……水鏡 金美(みかがみ かなみ)は、()()()()……史上初の、女性のプロ棋士である。

 

 要は、将棋と言う戦いで糧を得ている人種だ。故にその事で手を抜いたりはせず、こうして日常的に指している。ただ、二人は小さい頃からの馴染みであり、戯れにご飯代をかけて指したりもしている事から、その関係性は非常に気安いものだ。

 何せ、金美は桂香の父親である清滝 鋼介(きよたき こうすけ)九段の弟子であり、付き合いからすれば十五年以上になる。二人は同い年であり、通う学校は違ったが週に何度も顔を合わせていた。

 初期のコミュニケーション手段はもっぱら将棋であり、思春期を迎えた辺りで異性の事や化粧の事など、色々な話をした事を桂香は覚えている。自身の母親が亡くなった時は、金美が何も言わずに傍に居てくれ、互いに黙ってただ駒を動かすだけの将棋を指していた事も。

 

「んー、飛車落ちのかなちゃんにはまだ勝てないかなぁ?」

「私の二枚落ちではそっちの勝率が高くなってきましたし、指してればその内勝つようになってくると思いますよ」

「その内って?」

「……毎日私と十局指して、最短で二年くらい?」

「わたし、かなちゃんみたいに脳内に将棋盤浮かばないからね?」

「私を変態みたいに言わないでください。三段リーグで狂ってた時の後遺症みたいなもんですよこれ」

「うん……突破直前のかなちゃん、ふとした拍子に人殺してもおかしくない目付きだったもんね。大学受験失敗しなかったのが不思議なくらいだったけど」

「この将棋盤が浮かぶのを、受験にも応用できなければ失敗してましたね……」

 

 二度と味わいたくない、とうんざりしたように金美は溜息を吐いた。桂香としても、当時は余り思い出したくはない。ストレスによる睡眠不足な上に、プロ棋士となる四段への昇段がかかった三段リーグの事と、高校三年時の受験勉強の事が重なって地獄だったのだ。

 桂香も自身の受験の事があり、サポートらしいサポートは出来なかったが、それでも勉強の合間を縫って金美の事を気に掛けていたし、何なら愚痴にも付き合っている。そんな時に相談されたのが、『頭の中に将棋盤が出てきてオートで指してる』という、奇々怪々なものだった。

 

 当初桂香は救急車を呼ぼうとした。親友が壊れたと思ったから。

 金美は『後にも先にも、あの時ほど焦った事はない』と思うほどの勢いで彼女を止め、結局妹弟子と弟弟子を呼ばれて、何やらカウンセリング紛いの事をされる始末であった。

 その結果、『焦ってもいい事ないですよ!』と弟弟子が正論を叩き付け、『一緒にどこか行きましょう!』と妹弟子が人見知りなのに提案してくれて、不覚にも号泣した。爆睡して遊んでリフレッシュしても将棋盤は消えなかったが、それをどう利用するか考えられるようにはなり、結果は第一志望の大学合格と三段リーグ突破という二兎を仕留める偉業。

 

 師匠である清滝九段が『今夜はすき焼きだ!』と、お高い所に金美と桂香と妹弟子と弟弟子も連れて行ってお祝いした。それから大学生とプロ棋士の二足の草鞋もそこそこに忙しかったのだが、あの地獄に比べたら生温いわーと言わんばかりに精力的に過ごし、きっちり四年で卒業して『人間辞めてませんか水鏡さん……』と弟弟子からは畏怖の目で見られた。

 

「それが今やA級棋士だもんね」

「A級で勝ったり負けたりで、未だ名人挑戦とは行きませんけどね」

「大学で勉強しながら毎年昇段していったのは、控えめに言って狂ってる」

「運が良かったのと、脳内で将棋盤が浮かんでくるのが悪い」

「毎日それで十局以上指してるって話だっけ。頭おかしいよね」

「大学で脳波計ったらやばかったみたいです。何か普段使わない所まで真っ赤だったって」

 

 他愛もない雑談をしつつ、桂香は時計を見た。時間としてはそろそろ夕飯の準備があるが、視線で金美にどうするかを問う。

 

「手伝いますよ。おそらく二人も来るのでしょう?」

「だねー。というか銀子ちゃんは、かなちゃんと暮らしてるよね?」

「暮らしてるというより、奨励会の対局前とかに私と研究会する気で来るというか……結果的に一年の大半を家で過ごしているので、暮らしてるで合ってる……?」

「そこで迷わないで?」

「流石に進路相談はご両親が呼び出されていたので……いや、一度『来てくれ』と言われましたが……」

「わたしそれ初耳ですけどぉっ!?」

 

 人見知りが激しい妹弟子にそこまで懐かれている事に、桂香は戦慄を禁じ得ない。彼女の後に父親に弟子入りした二人……妹弟子の空 銀子(そら ぎんこ)と弟弟子の九頭竜 八一(くずりゅう やいち)との最初の出会いは、あまり良い物ではなかった。

 というのも、最初に来た時に師匠のご指名で金美が二人と将棋を指し、二人をボッコボコにしている。当時八一が六歳、銀子が四歳。金美は十五歳であり、清滝九段の下で修業して五年ほど経ち奨励会でも鎬を削っていた頃だ。

 圧倒的な実力差で打ちのめしてしまったために、最初は二人から避けられていたのである。金美は影でガチへこみし、桂香は父親を〆た。ただ、それから二人は毎日のように金美に対局を挑み、金美もそれに応えて暇を見ては駒落ちから始め、二年ほどで二人とも平手で指すようになった。金美は二人同時に相手をする二面指しだった為だが、それでも二人の才能に感心し、恐ろしさも感じ、嬉しさも感じていた。

 

 私生活の面では桂香が二人の面倒を見て、懐かれるのも桂香の方が早かったが、事将棋に関しては金美へと相談が集中する。鋼介はそれを見て『こっちが師匠なのに……』とへこんでいた。その頃に家によく居たのは彼女の方なので然もありなん、と言った所ではあるのだが。

 

「まぁ、最近は(いか)と将棋で殴り合っているようで、私と指す事はあまりないんですけど」

「あー、大学生の時に拾ったお弟子さん?」

「弟子であり、私が後見人になってしまったというか……まぁ、少し複雑な事情の子ですよ。今日はゴキゲンの湯で揉まれてくるよう言ってます」

「その子も呼ぶ? 皆で食べれるように鍋にしよっか」

「買ってくるものがあれば、LINEで知らせてください。車で雷を拾ってきます」

「師匠は大変だねぇー」

 

 立ち上がる金美に対して桂香が揶揄うような声音で言えば、彼女は怜悧な表情を崩して笑った。

 

「大変ですけど、中々楽しいものですよ」

 

 

 

 

 

 

 私、祭神 雷(さいのかみ いか)には、この世で唯一尊敬する先生がいる。孤独だった私を拾い、ネグレクトをしていた親から引き離して引き取り、住む所を与えてくれ、私が生きる為の事も教えてくれた人だ。

 実の親から『ウリ』を強要され、逃げた先で出会った先生は優しく手を差し伸べてくれた。怯えて、心を開かなかった私に根気よく付き合い、事情を聞けば自分の事のように怒ってくれ、各方面に頭を下げてまで、見ず知らずの私の為に動いてくれた。

 

 何故そこまでしてくれたのか。私でも知っている()()()である先生に聞いた。先生が少し考えた後で述べたのは『貴女のネット将棋を見たので』という言葉。疑問符を浮かべると、私がネット将棋をしている時に見た棋譜が、先生の価値観に与えた衝撃が凄かったからという事のようだった。

 

『貴女の将棋の才は、誤解を恐れずに言うなら歪です。ただ、どんな花を咲かせるか誰にも予想できない程の才能である事も確かだと、私は考えます』

 

 そして、『貴女次第ですが』と前置きをした後で、道を示してくれた。親から引き離し、先生が後見に入るのは既定路線で、その上で示された道は二つ。

 一つは、普通に暮らす道。学校は先生の地元に転校して、先生の住む家から通って、やりたい事を見つける道。でも、私が選んだのはもう一つの……先生が言いにくそうにしていた道だ。

 

 すなわち、史上初の女性プロ棋士である先生の弟子になり、プロ棋士を目指す道。先生はその道の困難さを良く知っているから、当然止めた。

 

『困難な道です。皆が其処を目指し、命を削る戦場です。出来れば、『私の後を追う』という理由では入ってほしくない。将棋が好きで、そこに命を注ぎ込みたいというのなら……止めはしませんが』

 

 そんな話を、将棋を指しながら話しても説得力が無いと思った。まぁ先生にとっては既に将棋を指すと言う事はコミュニケーションの一つになっているから、仕方ない面もある。

 先生は、私の才能を惜しいと思ってくれている。私の独特の才能が良くも悪くも、将棋界に波紋を起こす事をこの時から読んでいたのだろう。先生自身が、初の女性棋士という将棋界に一石を投じた存在だから。

 

 生きていいと教えてくれた先生に恩を返すなら、これしかないと思った。私はそう思ったら曲げないエゴイストだ……それに初めて気付いたのは、この時。

 弟子になる事を伝えれば、先生は『やれやれ』と言った表情をした後にその美貌を冷たく研ぎ澄ます。

 

『私は厳しいですよ。プロになるその時まで、きちんと付いてきなさい』

『はいっ!』

 

 先生の指導はまぁ、うん。『自分が感じた地獄よりは温い』って言ってたけど、厳しかった。学校に行く様に厳命され、最低でも高校卒業と言う課題が課され、その中で指導対局から先生の師である清滝九段の内弟子……先生の妹弟子、弟弟子との対局。

 先生の方針はとにかく対局をメインにして、数をこなす。早指しを主にして思考の深さよりも速さを重視し、まずは自分の得意戦法を一つ定めさせる。それに一年費やした後は、幅を広げる方向に舵を切り、様々な戦法を私に体験させた。

 

 それは、先生の真骨頂を見せると言う事。"千変万輝(せんぺんばんき)"と称されるほどに多彩な戦法を操るオールラウンダーである先生は、対局ごとに性格すら変わっているのではないかと思えるほどに、まったく違う戦法を披露し、全てを使いこなしている。

 だからこそ、この時の始めは様々な戦法を披露する先生との対局がメインだった。その中で私はプロ棋士という存在の強さをその身に、脳に刻んでいく。

 

『……先生と指すだけで、経験値が凄い貯まるんじゃ?』

『人をボーナスステージや、どこかのメタルスライムみたいに言わない。それに、何処まで行っても私の呼吸と言う物は消せませんから、これはあくまで戦法を学ぶだけのものです。色んな人と指して、色んな呼吸を知りなさい。ネット将棋は、そう言う意味ならとても手軽ですね』

 

 時間が足りないという感覚は、その頃からついて回った。学校に行って、勉強して、部活はせずに先生の家に帰り先生と指すか、清滝九段の家に行ってその弟子たちと指す。特に白髪は私が行く度に突っかかってくるからその度に対局で殴り合いだ。

 もう一人の弟子である八一は私と同い年だったが、中学三年の時に史上四人目の中学生棋士としてプロデビューを果たした。その事で白髪が焦っていたようだから、対局漬けで余計な事を考えないようにしてやった。おかげでその翌日は私も寝不足だったが、先生が抱きしめて頭を撫でてくれた事が嬉しかった事を覚えている。

 

『……何でそこまでした』

『ウザかったからに決まってんだろ』

 

 次の日、いい気分だったところで白髪が先生の家に来た。時間がただでさえ足りないのに突っかかってくる白髪に私は迷惑していたが、邪険に扱って先生に迷惑がかかるのは私が自分を許せない。

 その頃、私と白髪は女流棋士の大会にも出るようになっている。互いの戦績は一進一退で、世間から見ればライバルだ。才能としては私が上だが、白髪は先生の指導を受けた期間が長い分、将棋の懐が深い。総合で互角なのは先生も認める所であり、口惜しいが今の私にとって最強の敵であり最高の練習相手でもある。

 

『……あんたにとって、カナ姉さんは何?』

 

 白髪は先生の事を『カナ姉さん』と呼ぶ。姉のように慕っているからだとかは正直どうでもいいが、私より先生に近いんだと言っているようで、それは気に入らない。

 

『今は、命の恩人で先生で、後見人』

『今は?』

『将来は、先生と同じ場所で、横に並ぶ。同じプロとして』

『……あんたも()()か』

『アん?』

『姉さんは、一人だから』

 

 言葉は全く足りないが、白髪の言いたい事は何となくわかる。史上初の女性棋士であり、A級棋士でもある先生は、同性と公式で将棋を指す機会が極端に少ない。女流棋士との実力差は圧倒的の一言で、女流棋士のタイトルホルダー達相手に多面指しをした時などは、全員に勝ってしまったというのだからその実力差はわかるだろう。

 そして、多くの強敵が集う順位戦での最高位に居続ける事から、全棋士の中でもトップクラスの実力がある事に疑いはない。タイトル戦も行った事があるから、その実力は完全に証明されている。だからこそ、先生は孤独だ。

 

『先生の次になるのは、私だ』

『そこについては、恨みっこなしでやり合いましょうか』

『上等……!』

 

 そんな事を言い合ったが、その後は結局対局だ。その棋譜を先生に見られて、『何か喧嘩でもしましたか?』と聞かれて、私と白髪は沈黙を選ぶしかなかった。

 

 

 

 私の先生は、今はまだ遠い。でも必ず追いついて、必ず命の恩を返す。

 これが、今の私のエゴだ。

 

 

 

 

 

 

「水鏡さんって、人気ありますよね」

「唐突ですね……」

 

 清滝家で鍋を突いていれば、九頭竜八一が唐突にそんな事を言い出した。金美が怪訝そうな視線を向ければ、彼は少し慌てたように取り皿を置く。

 

「いえ、まぁ……ちょっと色々とありまして」

「ネットで炎上でもしましたか?」

「はぐぉ」

「八一……エゴサは止めなさいってカナ姉さんも言ってるでしょ」

「水鏡さんに教えてもらわなければ、ネットも将棋用語と誤解していた姉弟子に言われたくないです」

「ぶちころすぞ」

「銀子ちゃん、物騒な事言わないようにね?」

 

 桂香に窘められて、銀子は自分の分を食べる作業に戻った。そんな彼女を見て雷が笑いをこらえていると、射殺さんばかりに睨みつけている。

 

「まぁ人気はあるとは思います。月光(つきみつ)会長からも、私が出る将棋解説は明確に数字が変わると聞いているので」

「人気の理由って、何だと思います?」

「かなちゃん美人だし」

「先生強いし」

「姉さん人当たり良いし」

「……いや、あの、いきなり言われるとどう反応して良いのかわからないんですが」

 

 理由を親友と愛弟子と妹弟子から言われてしまい、それが予想外の誉め言葉だったので金美は顔を真っ赤にして撃沈した。頭のてっぺんから首まで真っ赤になり、ぷるぷると小刻みに震えている。身内が本心でそう思っているのが伝わってくるからこそ、金美の心にクリーンヒットするのだ。外で言われる他人の美辞麗句は、金美の心に一切届かないので特に気にした事はない。

 

「何や、まだ褒められ慣れとらんのかお前」

「うるさいアゴの部分だけヒゲを抜きますよヒゲ師匠」

「地味に陰湿な事はやめろォッ馬鹿弟子ィッ!?」

 

 清滝九段が揶揄ってみたら、そこそこ陰湿でガチ目な罵倒が返ってきた。『ひえぇぇ』と恐れ戦く姿は師匠の威厳もないが、この師弟の関係は大体こんなものである為にこの場に居る人間は誰も気にしない。

 

「……俺の将棋って、つまらないでしょうか?」

「あぁ――…竜王獲得からの、連敗の件ですか」

 

 この弟弟子が何を言いたいか、金美は何となく察した。

 九頭竜八一……史上最年少で、将棋の八大タイトルの一つである竜王を獲得した、掛け値なしの天才棋士であり、金美の弟弟子。中学三年の時に史上四人目の中学生棋士になり、そこから一年ほどで竜王を取った早さは異常の一言だ。

 竜王と、『名人』の称号は将棋界でも特別なものであり、保持者は別格の扱いを受ける。ただ、今現在の竜王である彼は現在公式戦十連敗……散々たる結果だ。ネット上では心無い言葉が飛び交ったりしている事は、金美の知る所でもあった。

 

「貴方の棋譜は確認していますが――…というかこういうのは私より、師匠が言うべきなんじゃないですか? ヒゲ」

「お前、わしに対する言葉遣いがなってないから二人にうつったと自覚した方がいいぞ? しかし……この馬鹿弟子もそうだが、わしもタイトル獲得経験は無いしなぁ……正直、そう言う重圧はわからんやろ」

「このヒゲ使えませんね」

「じゃあお前が何か言うてみろ馬鹿弟子。師匠命令」

「横暴すぎません? だから半裸で走って会場から摘まみだされるんですよ。あの時、関係各所に頭下げたの、私と桂香ですよ?」

「あの時は本当に、親子の縁を切りたいと思ったのよね……」

「それは本当にすまんかった……あの、金美さん。わしの代わりに何かアドバイスして?」

 

 娘と弟子達からの絶対零度の視線に耐え切れなくなった師匠、渾身の土下座である。それを見て溜息を一つ付いた後、金美は八一に視線をやった。

 

「あくまで私の印象と感想ですが、竜王になったからと言って『それに相応しい棋譜を残そう』とか『相応しい将棋をしよう』なんて事は考えなくていいと思います」

 

 『え?』という弟弟子の声に、金美は鍋から具材を取り出しながら思った言葉を続ける。

 

「私自身、ネット上では好意的な意見も多いですが、悪口なども当然あります。『戦法が変わり過ぎて気持ち悪い』など、将棋に関する事で否定的な意見ならばまだいいですよ? 『体を使ってプロ棋士になった』なんてのもありました」

「「「「「は?」」」」」

「既に終わった事ですよ?」

 

 殺気立つ師匠他四人を宥めるジェスチャーをしながら、金美は溜息を一つ。この件については、彼女自身が動く前に日本将棋連盟が動いており、彼女が関わったのは『史上初の女性棋士にそんなイメージを付けられては堪ったものではない』と、その書き込みをした人物に対して裁判まで起こす準備が全て整ってからだ。

 『裁判しますか? しましょうか? しますよね?』と月光会長が笑顔で聞いてきた時、金美には頷くしか選択肢はなかったが。

 

「まぁこの話は良いんですよ」

「かなちゃん、後で詳しく聞かせてね?」

「月光会長の方が詳しいと思います……で、私が言いたいのは、別に竜王らしくなどと殊勝な事を考えても、何かを言う輩は必ず出ます。そんな、面と向かって言ってくる事もない人間の言葉に振り回されるのは、馬鹿らしいですよね」

「裁判を起こすまでは行きませんから……」

「それと、貴方の将棋が竜王らしくない、などと誰かに言われたわけでもないでしょう?」

「……そう、ですね」

「貴方は良くも悪くも気にし過ぎです。タイトルを取った棋士の数だけ、そのタイトルの将棋が存在する――…『九頭竜八一の将棋はこうだ』と押し通しても、文句は言われるかもしれませんが、少なくとも貴方自身は天に恥じる事なく胸を張れるでしょう?」

 

 タイトル保持者に相応の振る舞いが求められるのは良くある話ではあるが、それは対外的な話だ。言ってしまえば、公の場での言葉遣いや振る舞いに限った話で、将棋を指す事においてまでタイトル保持者としての振る舞いなどは求められていない。

 八一が得意とするのは、定石から外れた力戦調の将棋。純粋な己の力だけで戦う、実戦派とも呼ばれるものだ。時に華麗でも何でもなく、泥臭くても勝つという執念すら垣間見せるそれ。

 

 竜王のタイトルを取った時、最後の一手を指す前に緊張で吐いたというが、それでも九頭竜八一は勝って見せたのだ。ならば、それが九頭竜八一の将棋である。そう胸を張れと、姉弟子は弟弟子に告げた。

 

「……言うようになったのぉ」

「タイトル持ってない私と師匠じゃ、説得力が無いと思いますがね」

「一言余計やぞ馬鹿弟子」

 

 はっはと笑う清滝九段と、口元を緩めて笑う金美。桂香はにこにこと笑いながらそれを眺めている。内弟子になってから何度も見た温かい光景に、八一は思わず頭を下げる。

 

「……俺、頑張ります。自分、らしく……!」

「せやな、それでえぇ。プロになっても、竜王になっても、お前はお前やぞ、八一」

「はい……!」

 

 優しい眼差しを向ける師匠と、頭を下げて涙を隠す弟子。感動的な場面だと思うが、それだけではこの一門は終わらない。

 

「それと、スランプから抜け出すには環境も変えてみた方がいいと言う話ですが……」

「環境……ですか?」

「まぁ思い切った事を提案してみようと思います。八一、銀子と一つ屋根の下で暮らしなさい。姉弟子権限で」

「「……は?」」

 

 名前を呼ばれた二人がまったく同じ表情で聞き返す様子に、とうとう耐え切れなくなった雷が爆笑した。

 

 

 

 




ぶん投げたまま終わりダオラァッ!
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