『金』の棋譜   作:Fiery

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筆が乗っちゃったZE


前世の因縁なんかは色々と形を変えてやってくるんだZE

 

 前世とほとんど変わらない世界において、リリースされている将棋アプリも特に変わらない。だったら、と金美が始めたのは前世でも雷や銀子、岳滅鬼にも勧めたものだ。プレイヤーネームに『Kanami.Mikagami』と入力して、初期で選択できる最高段位からスタート。ソフト使用に引っかからないように指し回しながら、連勝を積み上げていく。

 

 彼女が気にしているのは、唯一の弟子であり愛する娘でもあった祭神雷の事。竜王戦の賞金が入った直後、親には秘密で月光会長経由で探偵に依頼を出してもらった。『岩手県奥州市で、祭神雷という少女が居るかどうか』というものを、会長は訝し気にしながらも『わかりました』と探偵に依頼してくれ、一月後に結果が来た。

 

 結果は、該当者無し。

 

 居ないのであれば、それはそれで諦めもつく。しかし居た場合、元気かどうかだけでも知っておきたいと思っている。自身が前世とは違う時期に生まれた為に彼女も生まれた年代がずれているという可能性は、当然ある。もっと言えば、生まれた場所が違う可能性だってあって、名前だって違うかもしれない。

 少なくとも、今回の調査結果は水鏡金美が弟子として、娘として引き取った祭神雷は存在しない……という事を証明するものだ。ならばもう、自分から動けるとしたら思い出があるこのアプリを使い、自分以外誰も知らないはずの前世の名前を入れてリアクションを待つというくらい。

 まぁそれは別としても、このアプリは前世と変わらず魔窟アプリと化している。奨励会に熱心なプレイヤーでも居るのか、奨励会員は元より関東の方ではプロも登録しているらしい。オンライン対戦だけでなく、ソフトと対戦も出来るのでその辺りが受けている理由かもしれない。

 

 この時期のソフトはまだ、そこまで強くない。

 素人や少し将棋を齧っただけの相手なら勝てないだろうが、奨励会員やプロならまぁ普段と違う実験などで慣れない場合以外は負けないだろう。女流棋士であっても勝ち越せるレベルであるが、これが数年後にはプロを食うまでに成長するのだから侮れない。

 

「それで、私に何か用ですか?」

 

 関西将棋会館一階にあるレストラン『トゥエルブ』。そこのテーブル席に座っていた金美がスマホから視線を上げれば、対面には清滝鋼介を除いた清滝一門の姿がある。

 小学生名人戦の後、八月にあった奨励会の入会試験をパスして六級で入会した八一と、未だ奨励会には入っていない銀子。そして、未だ研修会で燻ぶっている、清滝桂香。

 

「貴女の書かれた物だと聞きました」

 

 桂香が鞄から取り出してテーブルに置いたのは、銀子に渡したコピー紙の束。金美が構築した()()()()()()()へ向けた心構えや修練法。自己分析の方法などが書かれている……この時点でもし出版されれば、今後将棋を指す女性たちの中でスタンダードになるほどの完成度を持ったそれだ。桂香が食いつくのも道理だろう。

 

「それが何か? あぁ、感想なら有難く聞かせて頂きますよ」

「貴女はこれで、そこまで強くなったのですか? 明石竜王」

「いいえ? それで強くなったのは途中までです。それ以降はまだ理論の構築中ですから」

「銀子ちゃんに渡したのは、何故?」

「退院祝いですよ。私なりの理論と修練法、そして銀子向けの体力づくりの方法なんかを書いてるのはその為です。父は彼女の心身に良いのは将棋だと判断して教えましたし、それで強くなりたいと思っている事は知っています。だからそれが適当だと考えました」

 

 ただ、それが聞きたいのではないだろうと、金美はスマホをしまって真っ直ぐに桂香を見た。記憶を辿れば恐らく高校三年くらいだろう姿をした彼女は、前世では金美と同じ共学に通っていたが、今生では女子高らしい。

 それと、前は既にこの時点で女流棋士にもなっていたが今は違う……将棋を止めていた時期があるために、遅れに遅れている。

 

「……私に、将棋を教えていただけm」

「良いですよ。ついでに銀子がどれだけになっているか見ましょうか」

「ふぁっ!?」

 

 桂香の頼みをノータイムで引き受け、ついでに銀子を巻き込む竜王。さらっと畜生の所業に晒された銀子は驚愕の声を上げるが、それでも『お姉さん』と指せると聞いて気を取り直した。

 

「やる」

「では免状の署名が一段落したら道場で良いですか? 時間としては三時頃だと思いますが」

「え、えぇ……いや、いいの? わたしとしても唐突で図々しいお願いだと思ってたんだけど……」

「これ、清滝さんも読まれたんでしょう?」

 

 テーブルに置かれた紙束を銀子に渡しながら問えば、桂香は頷いた。

 

「恐らく書かれた修練法を試して、()()()()()()()。今現在自分の将棋を見失いそうになっている、という所ですか」

「どうして……」

 

 わかるのか、と呟いたのは八一だ。銀子からの縁でしか繋がっていないのに、見てきたかのように語る金美。どんな超能力を持っているのかと聞きたくなるが、対する金美の反応は淡白だ。

 

()()()眼は良いんです。観察眼とかそう言ったものは」

 

 『導き』の将棋は、相手を見抜く事から始まる。それが出来なければ如何に金美とて、相手を将棋で導くなど不可能なのだから。『照魔鏡』とも『浄玻璃鏡』とも呼ばれたその観察眼は、彼女の前世の生い立ちによって人を良く見ていたからこそ身に付いた。それが無ければ、金美の将棋はもっと別なものになっていただろう。

 

「後、お節介ながら一つだけ言わせて頂きますが」

「はい」

「ご自身の立脚点を見つめ直す事をお勧めしておきます。()()()()()()()()()を見つめ直す事で、見失っていたものの取っ掛かりは見つかるはずですから」

 

 

 それから今日の免状ノルマを終えて、告げていた時間通りに金美が会館二階の道場に顔を出せば俄かに騒がしくなる。それを気にせず、目的の二人が座る盤にまで移動して金美は腰かけた。

 

「九頭竜君は何故?」

「いや、二人がやるなら僕もと思って……」

「まぁいいでしょう。皆さん自身が一番得意だと思う戦法でどうぞ」

「「「よろしくお願いします」」」

「よろしくお願いします」

 

 礼をした後、三人に先手を譲り金美はそれぞれに応対していく。

 彼らの師匠の清滝は、前世では戦型に対してそれなりに柔軟な棋士だったが、今生では居飛車党だ。水鏡金美がいない事で振り飛車に対する意識改革を行う人間が居なかったのだろう……三人とも居飛車なので、金美の選択は決まった。

 

「っ、三面とも違う形……!?」

 

 桂香相手には5筋の歩を突いて中央に飛車を振り、銀子相手には相掛かりの攻め将棋。八一相手には()()()()()()()からの超急戦を仕掛ける。普通ならどこかでミスをしてもおかしくない……三人相手に全部違う戦型など、脳の処理がおかしくなってしまう。

 だが、前世で名人だった彼女の最たる才能……自分自身に常に施していた脳への修練は、その脳内将棋盤と符号の読み上げの数に裏打ちされた並列処理能力だ。前世の最盛期では二十の脳内将棋盤と二百の脳内符号処理で戦局を読み、勝率九割を上げた事もある。

 

 その生涯を懸けて練り上げた修練法を、ゼロ歳児の頃から行った今の金美の並列処理能力は脳内将棋盤の数で()()。符号処理に至っては()()。身体的に成長しきっていないままで前世の十倍から二十倍。成長すればさらに増やす事が出来るのは明らかであり、それは金美も織り込み済み。

 ただ、全開で使えばすぐに倒れてしまうので普段は当然セーブしている。故に限度はどちらも半分程度の数であるが、それすらも破格の性能だと言えた。

 

「凄い……」

 

 そんな頭の中であると他の誰も知る由はないが、紡がれる将棋はその圧倒的な読みの深さと修練の密度を雄弁に伝えてくる。八一が思わず呟いた言葉には、桂香も銀子も同意せざるを得ない。

 

(小学三年生? これが? 何をどうしたらこんなに将棋が強くなれるの……!?)

 

 銀子も八一も、その歳で破格の才能を持っていると、桂香は思っていた。自分には届き得ないものだと嫉妬して、そんな時に銀子と八一に割り当てた部屋の中で、金美の書いたこの紙束を見つけた。

 最初はちょっとした好奇心で読んだだけ。しかし読み込んでいけば、そこに書かれていたのは桂香が現状で最も欲していたもの……女流棋士になる為に強くなれる道程。今までの清滝桂香の将棋観を破壊して、再構築するだけの威力を持ったものの数々。それを書いたのが誰かと言えば、この小学生にしてプロになった竜王……ついでに言えば、プロ棋士なら誰もが最初に名乗る段位である四段すら名乗らなかった存在。

 

「……状態は理解しました。しっかりと踏ん張ってください」

 

 そんな竜王の呟きに反応する間もなく、各々の盤の厳しい所に手が指される。

 

「現状の限界点です。その限界の向こう……一歩でも、何なら半歩でも構いません。踏み出してください」

 

 声音は優しい。心の底から限界を超えてほしいと願う、まるで自分が彼女達の師であるかのような言葉だ。厳密には違うが、こうして教えを乞うている時点であながち間違いではない。

 銀子も、八一も、桂香も歯を食いしばって読みを入れる。見えた手を指そうとして、踏みとどまって三人が利き手を強く握り込む。三人の師匠と同じ仕草に、金美は笑みを零す。やはり間近で見てきただけあってもう、三人には清滝鋼介の将棋が根付いているのだと嬉しくなった。

 

 読め、読め、読め、読め、読め、読め!

 

 目を見開いて、顔を赤く染めて、桂香は示された闇の中を歩く。一歩間違えれば奈落の底に……目指す光である夢が遠のいてしまうと本能的に感じているから、一切手を抜かない。

 試されている事に怒りは覚えない。目の前の竜王が自分達に対して真摯に、そして誠実に応対している事が理解できているから。あれだけの理論を構築できる人間が今こうして自分を指導しているというのは、宝くじに当たるような確率だ。

 

「……あ」

 

 闇の中で、光を見つけた。そこに指すと、真っ直ぐに光の道が出来ていく。

 

「おめでとうございます」

 

 そう言って金美は、あらかじめ買っておいたスポーツドリンクのペットボトルを桂香の方に置いた。有り難くそれを貰って半分ほど飲み干した後、桂香の頭の中に先ほど見たビジョンが鮮烈に蘇る。

 

「いまの……」

「道が見えたでしょう? 貴女が望んだ貴女だけの道です。踏み外しそうになったら、家族に支えてもらってください」

 

 慈愛に満ちた微笑みを桂香に向けて、金美はまず八一を詰ませに行った。『えげつないっ』と彼が叫ぶのも気にせずに指された奇手の連発は、今後確実に彼の糧になるだろう。

 

「これはいつもの詰ましに来るお姉ちゃん……!」

「はいはい。いつも銀子を詰ましに行く怖い将棋のお姉ちゃんですよー」

 

 言った銀子もそうだが、笑って言い返す金美も金美である。相掛かりであり、純粋な力比べとなった銀子の盤面は既に劣勢というよりも敗色濃厚だ。それでも最後まで指す……見えた詰めろから脱し、もっと指す為に。

 

「はいドーン」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 棋戦では絶対に言わないような擬音を口にして金美が指せば、銀子が崩れ落ちた。『お姉ちゃん酷い』と抗議する彼女に、金美は苦笑する。

 

「強くなってますね。それに身体の方も、これくらいの読みにはついてこれるようになりましたか」

「うぅぅ……最近八一にも勝てないのに……」

「あぁ、都道府県予選で負けたんですか。だから九頭竜君が出てきたんですね」

「も、もう一回お願いします!」

「今回の趣旨は清滝さんですからね? 負けた二人で指しといてください」

 

 もう一回と強請る八一に銀子を嗾け、金美は桂香へと向き直る。彼女だけまだ詰んでいないから、本腰を入れるのだ。

 

「清滝さんは、女流棋士になりたいんですか?」

「え? そう、だけど……」

「なってから何がしたい、という目標は?」

「……それは」

「無いなら無いで良いんです。そういうのはなってから決めても良い物ですから」

 

 会話をしながらパチリ、と金美が一手進める。

 

「女流棋士になりたいという夢の、出発点は?」

 

 同じ事を問いかける。

 前世と同じであるならばという前提だが、桂香の夢の始まりを金美は知っている。彼女が挫けそうになった時、金美は同じ事を問いかけた。

 生きていく中で、上手くいかない時は必ずある。金美だって、史上初の女性棋士だのなんだの言われても順風満帆な人生だったわけでは無い。それでも挫けずにやってこれたのは、自分の出発点をちゃんと覚えていたから。

 

「夢の、出発点……」

「貴女の夢の、貴女だけの出発点――…それを忘れないならきっと、その道は光り続けます」

 

 導かれていく。桂香の中にあった出発点から、夢へと続く道が示され、確かな形を帯びていく。

 

「忘れないでください。夢を叶えたら、またこうして指しましょう」

 

 いつの間にか、盤の上では桂香は詰んでいた。しかしその胸の裡に溢れ出してくるのは、もっともっと将棋を好きになりたいという情熱だ。

 将棋を指す中で、こんなにも自分と向き合った記憶が桂香にはない。銀子と八一が内弟子として家に来て、その無垢な情熱に中てられて再び夢へと走り始めた自分。そんな自分の中にまだこれだけのものが眠っていた事に、彼女は気付かされた。

 

 席を立って道場を出る金美の背中に向かって、桂香は深々と頭を下げる。

 

「ありがとう、ございました……っ」

 

 目から零れ落ちた雫には、確かな熱が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 色んな物を完全に無視してプロ入りした金美に、奨励会の知り合いなどほとんどいない。だからと言って誰も金美の事を知らないのかと言えばそんな事はないし、会えば挨拶を交わす程度に交流もある。

 

 そんな彼女の、将棋会館にある棋士室へのデビューは、誰よりも早く来ての掃除からスタートした。

 

 女子小学生であるが、現役の竜王である彼女が新入りのようにせっせと掃除する様は奨励会員の胃に深刻なダメージを齎す(残当

 奨励会員たちにとってプロ棋士は殿上人にも匹敵する。特に竜王は棋戦としては序列一位であるし、タイトルの権威は名人と同列に扱われる最高位。そんな人間が額に汗して、数十年放置されてきた棋士室の頑固な汚れなどを清掃している。如何に棋士室では将棋が最も尊ばれると言えど、土日に最も早く来て掃除をする彼女を放って将棋を指せる人間はほとんどいない。

 

「申し訳ありません。将棋を指したいでしょうに、こんな事させてしまって」

「いえいえ! 竜王だけに掃除をさせてる方が恐ろしいですから!」

 

 そんな彼女を手伝ってくれているのが、金美も知る関西奨励会で最もお人好しな鏡州 飛馬(かがみず ひうま)である。現在二十歳の奨励会三段で、棋力もあれど絶妙な所で運を逃す人だ。

 金美が頭を下げれば、鏡州は恐縮したように両手を振る。彼の協力もあり、予定より遥かに早く清掃……もはや大掃除ではあったが、それは完了した。壁や床に染みついたタバコのヤニや棋士の血と汗は綺麗さっぱり落ちて、ピカピカに輝いている。

 

「盤駒の修繕は『天辻碁盤店』に連絡しましたし、とりあえずはこれで。有難うございました」

「あはは……この部屋がこうなるとは思いませんでしたよ。しかし何故掃除を?」

「私なりの奨励会の方々への敬意と、奨励会にも入らずにプロになった私がここを使わせてもらう為の代償行為という奴ですかね」

「……竜王である君がこの棋士室に来る事を拒める人はいないと思うけど」

「じゃあ私が気持ち良く使いたいからという事にしておいてください。陰気な部屋だと、文字通り陰の気を呼び込んで将棋に悪いものも呼びそうですから」

 

 くすりと笑う金美につられ、鏡州も笑みを浮かべる。

 こうして話すまで接点のなかった相手ではあるが、将棋に対する真摯さには好感が持てると彼は思う。アマから直接プロになった天才だから一体どんな変人かと思えば、中々どうして常識を弁えているのも驚きだ。

 

「失礼な事考えましたか?」

「いえそんなとんでもない」

「まったく……手伝って頂いたお礼に、研究会でもしましょうか。鏡州さん」

「良いんですか!?」

「それくらいしかお礼になりそうなものがありませんし」

 

 小学生が大人に御飯を奢ってもマズいだろう、と金美は考える。だったら将棋で返すのが一番角が立たない。曲がりなりにも竜王である金美と研究会が出来るとなれば、奨励会員で飛びつかない人間はほとんどいないだろう。

 早速、修繕に出す予定ではない盤と駒を用意して並べていく。

 

「竜王は居飛車党……ではないんでしたか」

「どちらも指しますからね。鏡州さんは居飛車党で?」

「一応振り飛車党ですけど、居飛車も指せます」

「なるほど。とりあえず十秒将棋で何局か指してから研究会をしましょうか」

 

 平手で先手を鏡州に渡し、彼の将棋を俯瞰する。

 鏡州の将棋は元は振り飛車だが、一手損角換わりや相掛かりの居飛車も指してくる。オールラウンダーである分どちらも粗が見えるが、実力としては流石三段リーグとも言える物は持っていた。

 

「まずは振り飛車から行きましょうか」

 

 三局指して粗方を把握した金美は、鏡州との研究会へと思考をシフトする。

 飛車を振り、攻撃的なゴキゲン中飛車から通常の守備型。一手損角換わりを指せるならばと、その感覚に近い形の角交換向かい飛車や、どちらも指せるからこその奇襲・二手損居飛車など、鏡州だけでは出てこなかった発想の手が彼の将棋観を粉砕していく。

 

「こんな、手が……」

「形を示しただけで鏡州さん用にカスタムしていく必要はあるでしょうが、こんな振り飛車もあると言う事で」

「ほーぅ。俺を差し置いてこんなん隠してやがったのか、竜王サンよぉ」

 

 集中していたせいか気付かなかったと、金美は観念したように溜息を一つ。鏡州もびっくりしたように肩を震わせて声の主を見る。

 というより、いつの間にか多数のギャラリーに囲まれているのに、二人は今更ながら気が付いた。

 

「生石八段……!」

「聞かれなかったんで隠してたわけでは無いですよ? という事は聞かなかった生石八段が悪いのです」

「まだ隠してんだろ? ほら、とっとと振り飛車出せ」

「我竜王ぞ?」

 

 ぎゃいぎゃい言い合う大人と子供に、周りの空気が弛緩する。思った以上に張りつめていたのかと、鏡州も息を一つ吐けば肌着がじっとりと濡れて重くなっていた。

 

「はっ、俺に敬語使わせたきゃ棋戦で勝ってみるんだな」

「お、言いましたね? じゃあそれでいいので、とりあえず一個出しましょう。でもこれ生石八段に使えるかなー! どうだろうなー!?」

「その挑戦受けてやろうじゃねぇかコラァッ!? 飛馬!」

「あっはい」

 

 大人棋士と子供棋士の言い合いではなく、ガキとガキの言い合いに退化したそれは十秒将棋での戦いに変わるらしい。鏡州が退いて代わりに生石が座り、『よろしくお願いします』と互いに礼をする。こういう所は二人ともキッチリしていて、ギャラリーの笑いを誘った。

 

「くっそ!? 何だこの気持ち悪い振り飛車はぁっ!?」

「あれれー? 受けないんですかぁー? 振り飛車ですよぉ?」

「金美テメェ後でうちの銭湯の風呂掃除させっからなぁ!?」

「母へ連絡してくれたらいいですよー」

「そこで普通に引き受けんじゃねぇよ」

「普通に銭湯好きですし。飛鳥さんとも久しぶりに指したいですから」

 

 一匹狼気質の生石の新たな一面が見れた事で、今生の金美の棋士室デビューは良い意味で奨励会員の印象に残ったという。

 ちなみにこの日生石が棋士室に顔を出したのは、父親の圭から『今日娘が棋士室に行くから様子見て』と頼まれたからだった。こういう所で面倒見が良いのは、同年代の娘を持っているからだろう。

 

 

 

 

 

 

 女流棋戦は、2009年の段階では四つしかない。

 女流名跡に女流帝位、女流玉将と山城桜花だ。女王と女流玉座は知っている流れで行けば、2011年から始まる。その四つあるタイトルを全て手にしているのが、今金美の前に座っている釈迦堂里奈だ。

 時は夏休み。金美は順位戦対局と、数日のイベントをこなす為に東京に来ていた。その際の保護者を買って出たのが彼女。ちなみに師匠は金美に触発されて、地方への将棋普及活動に出て行っている。

 

「小学生名人戦ではお世話になりました。これ、母からです」

「ご丁寧に済まない。母君には釈迦堂が礼を言っていたと伝えてくれ」

「わかりました……のは良いんですが、ここは?」

「余の城だ」

 

 違うそうじゃない、と金美は突っ込みかけたが堪える。

 新幹線に乗り、東京駅で合流した二人はタクシーでそのまま原宿にある建物へとやってきた。重厚な石造りの外観を持った、おとぎ話に出てくるような建物の正体を金美も前世で知っているが、今生では知らない事になっている。故に迂闊に口を開くわけにもいかないが、言わねば進まない。

 

「何かお店でもされてるので? 住居にしては……」

「広すぎる、か? まぁそれはその通り。流石の洞察力よな明石竜王」

「多少考えれば洞察力抜きでもわかる気がしますが……」

「ここは住居兼店舗だ。結婚式場やスタジオにも使えるスペースを持ち、余のデザインした服も売るセレクトショップもある」

 

 明石金美、ここで猛烈に嫌な予感がしている。しかし今現在は小学生の身体であり、逃げだせば親へと通報待ったなしだ。それは各方面にとってよろしくない為、逃げ出すのを我慢しながら、それが墓場への道だと知りつつも口を開く。

 

「……どのような服を?」

「君をイメージしてデザインしたらいい案が幾つも出来てな。今回、ここに泊める代価として着てもらいたいのだよ。要はモデルだな」

 

 やっぱりかよぉっ!? と叫ばなかった事を、金美は後に大絶賛するだろう。自画自賛だが、彼女にとっては竜王獲得並みの快挙である。だが目の前の現実はそれでは変わらない。棋力が上がろうと、ソフトでも到底追いつけない経験を有していようと、今この状況の明石金美竜王は無力な小学三年生だ。

 容姿も決して悪くない……というより普通にアイドルも出来るほどに美少女であり、物静かで捉えどころのない不思議な魅力を持っていると評価されている。捉えどころのない点は前世と大差ないが、容姿は王子様系から可愛い系へと変わっているので、本人の意識とはズレた服を用意されている事が多い。普段着も、年齢などの兼ね合いでそれ系ばかりだ。

 

 ずらり、と用意された衣装は数着。ドレスのようなものが大半だが、和風の物や天使をモチーフにした物まである。それだけ釈迦堂の興が乗ったと言う証拠を突き付けられて、金美の退路がどんどん無くなっていく。

 

「……これらを着ろと」

「ついでにイベントにもこれで出て、宣伝してくれると滞在の間のご飯のグレードが上がる。お菓子も付けよう」

「尊敬すべき方の顔にグーパン叩き込みたいと思ったのは初めてですよ……!」

 

 食事とおやつを盾にされれば、選択肢は一つだけ。それに自分が着てイベントに出れば、それだけイベントも盛り上がるだろう事はわかる。釈迦堂も将棋界発展のために尽力してきた人物の一人であり、多分に個人的趣味が含まれようとその目的を外す事はない。

 だったらこれは将棋界の為に必要な事なのだと、自己暗示をかける。前世では断っていたのに何の因果で今生は着ないといけないんだと言いたくなるが、将棋界の為と頭の中で念仏の如く連呼する。この時ばかりは脳内将棋盤も符号処理も解除だ。

 

「それは『新緑の淑女』だな」

「すみません、私のサイズ何時測ったんです?」

「母君と以前連絡先は交換していた。その時にな」

「身内に裏切られた……ッ!?」

 

「次は『甘美なる姫君』」

「天使の羽根つきとか、これ絶対普段着じゃないですよね」

「天使の羽根は、撮影などでの貸衣装で幼い子に人気があるぞ」

 

「『幸福のひととき』。まぁウェイトレスだな」

「さっきのよりマシだと思ってしまう自分が怖い」

「気に入ってくれれば余としても嬉しいがな」

 

「『聖夜の祝宴』はクリスマスをモチーフにした」

「今夏休みですよ? 先走り過ぎでは?」

「何、冬休みでは必ずクリスマス関係のイベントには呼ばれるさ」

「嫌な未来予測有難うございます」

 

「和をモチーフにしたドレス、『優艶の花尽し』だ」

「ただの露出度の高いドレスなのでは? 肩丸出し……」

「十二単のような重なった感じは少し苦労した」

 

「花の妖精のイメージの『芳声の花姫』はどうだ?」

「確かにそれっぽい……はっ、今普通に受け入れてた!?」

「フフフ、順調に染まってきたようで何より」

 

「『心映す瞳』は、まるで先を見通す氷で出来た鏡の眼をイメージした」

「だから所々に氷っぽい飾りと冷色が使われてるんですか……とすると、腰のは氷の薔薇?」

「分かってきてくれて嬉しいよ」

「わかりたくないのにわかってしまった時のダメージが酷い」

 

「『誘惑の招宴』はまぁ、そのままだ」

「猫耳に尻尾とか狙い過ぎじゃないですか? コスプレ?」

「君は猫というより、竜王だけに竜だがな」

「まったく上手くないです」

 

「さて、名残惜しいが最後だ」

「や、やっと終わる……」

 

 金美が着替え、釈迦堂が衣装について解説しながら、ポーズをとる金美を見て撮影し、紅茶を飲むというよくわからない光景が繰り広げられて二時間ほど。ようやく最後の一着にこぎ着けた。

 

「名付けて『神秘の女神』。余の会心作だよ」

 

 白を基調にしたドレスで、ふんだんにレースをあしらった胸元とその下には大き目の花飾り。首に巻かれたレースからはヴェールが背に向かって垂れ、頭には同じヴェールの髪飾りが付けられていた。

 

「……ウェディングドレス?」

「まぁそうとも言えるな。イメージとしては捕らわれの姫君……王子様が必須であろう?」

「言わんとする事はわかりますが、私まだ小学三年生ですよ?」

「姫には憧れんか?」

「小学生なのに自分で竜王獲りに行った馬鹿が、大人しく助けられるの待つと思います?」

「それもそうか。一本取られたな」

 

 愉快そうに笑う釈迦堂に対して、複雑そうに金美は溜息を吐いた。この手の相手には口で勝てる気が一切しない。月光会長もそうだが、師匠である名人もそこそこイイ性格をしていると最近知った。

 

「し、失礼しますせんせ……じゃなくてマス、ター……」

 

 そんな所に入ってきたのは、小学生名人戦後に釈迦堂が声を掛けて弟子に取った神鍋歩夢だ。何か用事かと思い、金美が疑問符を浮かべて彼を見るが、彼は金美を見たまま動かない。

 

「どうした、ゴッドコルドレン」

 

 あ、この時期から既にそれなんですね、と今度は釈迦堂に視線を送る。

 

「弟子になった者には洗礼名を与えるのが余の流儀だ」

「独特過ぎません?」

「よく言われるよ。まぁ拒否したらそのままで呼ぶがな」

「まさかの選択制だった……!?」

 

 軽口を叩いても、歩夢が再起動しない。

 流石にどうしたのかと疑問に思い、金美は彼に歩み寄る。

 

「あの、神鍋さん?」

「……きれい、だ」

「……んんっ?」

 

 何かがおかしい。いや、前世よりヤバいと感じて、金美が一歩後退った。

 

「その麗しさ、まさに女神……」

「釈迦堂さーん! お弟子さん止めてー! 暴走してるー!?」

「流石ゴッドコルドレン。余の弟子なだけの事はある」

「この人全く止める気ないなァァッ!?」

 

 跪いて完璧な騎士の礼をする歩夢を説得するのにさらに一時間かかった。

 

 

 

 なお、対局は普通に小学校の制服で出たが、イベントは釈迦堂の用意した衣装で出た。かなり評判が良かったらしく、月光からは『この調子でお願いします』と言われ、釈迦堂も『売り上げ上がったぞ』とお礼の品が贈られ、師匠からは『君は苦労するねぇ……』と労いの言葉を貰った。

 全国ニュースでもイベントの映像が流れて両親の知る所になり、『これからもっとオシャレしないとね!』と言われた。

 

 家に帰ったら着た衣装が郵送されていて、金美は初めてベッドで泣いた。

 

 

 




衣装についてはデレマスの高垣楓のカードの事を調べただけ。



まぁロリにショタが一目惚れするのは仕方ないかもしれん(などと供述しており

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