『金』の棋譜   作:Fiery

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ぶん投げたらブーメラン返ってきたぞコラァッ!


居るだけで死亡フラグを折るって言うと、悪魔の像的な何かに見える

 

 金美がプロ棋士になり、雷を引き取った頃。

 順位戦で、師匠である清滝九段の居るB級2組を超えてB級1組に上がった彼女は、夜にその師匠と酒を酌み交わしていた。

 

「とりあえず奇行に走らなかったようで何よりです」

「お前、わしを何や思とるんじゃ」

「――…言って良いんですか?」

「……止めとこか」

 

 表情が無になった弟子を見て、師匠は早々とこの話題を切り上げた。

 こんな風にぐだぐだと飲んでいても良いのだが、今日無理にでもこの席を設けたのには理由がある。清滝は自分のコップに一升瓶の中身を注ぎ、金美の前のコップにもなみなみと注ぎ入れた。

 

「とりあえず、昇級おめでとさん。師匠を超えた気分はどうや?」

「現時点の師匠を超えた事については、一つの区切りだとは思っていますよ」

 

 互いに示し合わせたわけでもなく、同時にコップを煽る。

 金美が彼に弟子入りして十数年。こういう機会が来る事を最初は想像しても居なかったが、そう悪いものではないと清滝は思っている。実の娘の桂香は酒に弱く、飲み交わす事が難しい。ただ、この()()()()()()は、中々に飲める口だ。

 

「棋士として、お前は何処に行く気や」

 

 要領を得ない師の問いだったが、弟子はそれを気にする事はない。

 

「最初は、本当に将棋が楽しいだけでした」

「……お前の祖父さんが将棋好きやった縁で、わしらが出会えた」

「はい。そして次に……私を突き動かす衝動になりました」

「わしの妻が死んで……何とか持ち直した後に、あの祖父さんも逝ってもうた」

 

 ちょうど、清滝が銀子や八一を弟子に取る半年くらい前だ。金美の育ての親とも言うべき祖父が亡くなり、彼女が消沈していた時期があった。祖母も既に亡く、両親はそもそも生まれてすぐの金美を祖父に預けて海外にいる。

 両親が何をしているのかなど、金美には興味が無い。緊急の連絡先も渡されてはいたが、祖父が亡くなったと一度きりだけ連絡したのが最後である。葬式と火葬を済ませた後に家に来た見知らぬ男性と女性の事など、もう彼女の記憶には存在しない。

 

「爺ちゃんと婆ちゃんの墓前に勝ち星を供えたい……これは、今も変わらない」

「そりゃあ、ずっとか?」

「そうですね……二人の歳を合わせた数の勝ち星を供えるくらいまでですかね」

 

 金美のコップが空になり、清滝がまた注ぐ。一升瓶を受け取り、今度は金美が清滝のコップへと酒を注いだ。

 

「お前の勝率やと、割とすぐやな」

「上はもっと厳しいですから、先の事はわかりません。負けるつもりはありませんが」

「……で、供えた後はどないするんや?」

「あー……」

 

 一口煽った後、金美は辺りをきょろきょろと見渡した。その様子に清滝は疑問符を浮かべるが、彼女が何か言ってくるのを待つ事にする。

 

「……内密な話でお願いします」

「何や、珍しいな」

「単純に知られるのが恥ずかしいんですよ。本当なら、師匠にも言いたくないんですが」

「ひょっとして、男か?」

「出来ると思います? 言ってはあれですけど私、稼ぎだけなら同い年のサラリーマンなんか目じゃないですよ?」

「自分で言うなや」

 

 互いに溜息を吐いて、ぐいっと煽る。その後少しだけ金美は言い辛そうにしたが、意を決したように口を開いた。

 

「……『恩返し』です。師匠への」

「ほう?」

 

 金美の言葉から、将棋界で言う恩返し……弟子が師匠に勝つ事、というニュアンスではない事は読み取れたが、清滝にとってそれは少し意外だった。彼女の性格からして、嬉々としてそれを狙うことはないと言い切れる。しかし、彼女が何を恩返しに考えているかは読み取れない。

 

「何を返してくれるんや?」

「……順位戦、その先に何がありますか?」

「……本気なんか?」

 

 娘の言わんとする所に、清滝は思い当たる。だからこそ、問わずにはいられなかった。

 

「本気ですよ」

 

 真剣な表情で、金美は()を見た。

 

「お父さんの獲れなかった名人を、私が獲る。それが私の考える、貴方への『恩返し』です」

 

 

 

 

 

 

 鍋の件から少し経ち、姉弟子命令で八一のマンションに銀子を叩き込んだ。銀子の両親の説得は金美が行ったが、何故か諸手を挙げての歓迎ムードだったので何故かと聞けば、家では大体八一の話が多いという。

 

「あの白髪、ツンデレとか今時流行らねーぞ……」

「あの子のアレは十年ものですからね。でも、素直になった方ですよ」

「アレでですか!?」

 

 金美の運転する車が高速道路を走る中、助手席に乗る雷は驚いたように声を上げた。八一と銀子の関係性については、清滝一門と顔を合わせた時に金美から軽く聞いている。その後は間近でそれを見続けて、『こいつらマジでやってんのか……』とスレていると自覚のある雷でさえ視線が温くなった。

 それが昔は今よりもツンツンしており、師匠である清滝鋼介に弟子入りしたのも『指導対局で負けたから』という反骨心の塊でもあった。それが弟子入り直後に金美にフルボッコにされ、復讐の矛先が金美に代わった。それからは一緒に負けた八一を巻き込んで将棋を指し、負けて桂香に泣きつき、二人が桂香に懐いて、彼女から金美の話を聞いて懐いて……その中で師匠だけがハブられていた。

 

「それはそうと、一年目の高校生活はどうでしたか? 雷」

「んー……正直、可もなく不可もなく、です。クラスの中では話をする子も居るけど、将棋の話題とかはあんまりしないし……」

「話す時の話題は?」

「色々ですよ。どこそこのスイーツが美味しかったとか、どこそこのリップが流行りだとか」

「……そう言う話題、今度銀子にしてくれませんか?」

 

 金美のお願いに、雷は真意を察した。

 多少マシになったという桂香の話も聞いているが、基本的に銀子は将棋漬けの生活を送っている。一門の中の誰か(主に八一)を捕まえてはVS(一対一の練習対局)をし、金美のスケジュールに合わせて家に来ては研究会をしていく。

 そう言うのも全て八一とやれ、と雷は思っているが、金美も金美で苦笑しながらも『仕方ない』と引き受けるものだから何も言えない。その時は雷も呼ばれて三人で研究会をして、途端に金美が実戦形式で二人を相手にするハメになった。

 

 気が付けば、銀子は姉弟子である金美よりも低い年齢で奨励会を駆け上がっている。金美の入会が小学五年生で、銀子の入会が小学校三年生である事を考えれば、それはある意味当然なのだが、そうは思わない輩も存在する。

 そんな輩が書いた、『水鏡金美を超える才能』などという見出しで銀子が紹介された記事を雷が見た時、衝動的に銀子へと詰め寄った事がある。それに対して、雷を超える剣幕で銀子が怒り狂い、その出版元へと突撃していき、一周回って冷静になった雷が止める事があった。

 

『姉さんがどれだけ苦しんで棋士になったか知らないのか!? それで、その為の研究内容をどれだけ私に惜しみなく教えてくれたのか、こいつらはわかってないッ!!』

 

 普段のクールさを盛大に放り投げて怒り狂う彼女から話を聞いて、清滝一門が出動しそうになって、『お土産買って来たよー』とバウムクーヘンを片手に現れた金美が、殺気立つ師匠と親友と妹弟子を弟弟子と一緒に止める事態になった。

 親友は妹弟子に負けず劣らず、ドスの効いた関西弁を発して完全にキレていた。彼女だって幼い頃から金美と将棋を指して、駆けあがる彼女に時に嫉妬しながらも、自分に対して真っ直ぐ向かい合ってくれる親友を誇りに思っていたのだ。それをこき下ろされたらキレるに決まっていた。

 

 後日、ノコノコと大会の取材に来たその記者は、銀子と雷の悪夢のタッグによって精神的に死んだ。八一は恐れ戦いて、金美は頭痛を堪えるように頭を抱えていたのは、必要な犠牲である。

 

 話が盛大に逸れたが、要は銀子に将棋以外の世界を見て、そこからインスピレーションを得る機会を増やしてほしいと言う事だ。プロ棋士と言えど、将棋だけを指して生きていくことはできない。今現在将棋界に君臨する名人であっても、テレビCMなどに出たりもしている。それは将棋の普及の意味もあるし、将棋界を支援してくれるスポンサーやパトロンへの配慮もある。

 銀子は今、女流棋士のタイトルである『女王』と『女流玉将』の二冠を持っているのでインタビューやメディアへの露出は当然存在する。これは雷も同様で、彼女は『女流玉座』の一つだけであるが、女流棋戦で銀子に黒星を付けたのが雷ただ一人である為に、注目度は高い。

 

「まぁ基本的に聞かれるのが将棋の事や、それに付随する事柄だけとはいえ、最初にネットって将棋用語ですかと聞かれたら怖くもなります」

「あー……はい。友達にも色々聞いて、知識仕入れときます」

 

 そう言う情報もキャッチできるようにしておこう、と雷は決意した。金美もその辺りはきちんと気を使っており、銀子にも基本的な化粧のやり方などは教えたりしているが、十一も年の差があるので流行については少し怪しい。

 桂香についても同上であり、八一は高校には行かずにプロ一本だ。故に頼れるのが、金美の伝手の中では雷だけである。

 

「それで先生。神戸方面に向かってるみたいですけど……」

「友人のお子さんに少し指導を、との話で。その友人の家に向かっています」

「私も行って良いんです?」

「でないと連れてきませんよ。友人の父上は関西棋界のスポンサーもしてくれていますし、顔を通じておいて損はないでしょう。本人はアマチュア名人ですし」

「あれ? それって所謂VIP的な相手では……? 何処で知り合ったんです……?」

 

 確かに目の前の師匠はプロ棋士であり、A級棋士ではあるが、アマチュア名人と友人であるというのが、雷にはピンと来ない。これが月光会長などの紹介で向かうというのであれば納得も出来たが、そう言う事ではなさそうなのだ。

 

「んー、いや、私が特別何かをしたと言う事ではないのですが……」

 

 数秒、金美は言いにくそうに口ごもったが、適切な表現が見つからなかったのか溜息交じりに口を開いた。

 

「その友人の言葉を借りるなら、私は命の恩人らしいです。本当に、何もしてはいないんですがね……」

 

 

 

 

 

 

 高速道路を降りて、辿り着いたのは神戸の一等地。そこにあるのは、広大な敷地を持った日本家屋の屋敷。そして、そのどでかい門から姿を見せた黒服の女性に二人は出迎えられた。

 

「ようこそいらっしゃいました、水鏡先生。こちらは?」

「ご苦労様です池田さん。私の弟子ですよ」

 

 池田と呼ばれた女性から滲み出る雰囲気が、完全に堅気ではない。屋敷の雰囲気も相まって、雷は『ここヤの付く自由業の事務所……』と腰が引けていた。

 

(大丈夫ですよ。今は真っ当な実業家です)

(今は!? 今はって言いました先生!?)

(まぁ、友人……夜叉神 天祐(やしゃじん たかひろ)さんは、本当に真っ当な実業家です。怪しいのは、彼の父上の夜叉神 弘天(やしゃじん こうてん)氏ですね)

(怪しいんじゃないですかヤダー)

(私達は呼ばれて来たので、別に普通にしてれば問題ありませんよ)

 

 『こちらへどうぞ』と門を潜り、屋敷へと案内される。その途中にはやっぱり黒服……しかもサングラス装備の強面の方々が並び、二人に礼を取っている。雷も、金美に出会う前は尖っていた自覚はあるが、視界に入る黒服はそんなものがお遊戯に見えるほどに『本物』にしか見えなかった。

 

(あ、あの腰にある黒い塊は……お、おもちゃだよな? いきなり抜かれて何か出てこないよな!?)

 

 そんな割と生きた心地がしない……少なくとも、ここでトイレは借りれないと理解した雷の気配を察して、金美は苦笑する。彼女はその前歴が怪しい弘天氏とも会ってはいるが、孫が絡むとキャラが壊れるだけの好々爺然とした人物である。

 そんな事を考えていると、ある一室の前で先導していた池田が立ち止まった。

 

「旦那様、先生がいらっしゃいました」

『あぁ、晶さん。入ってもらってください』

 

 襖の奥から男性の声が聞こえ、それに応えるように池田がそっと開く。『失礼します』と礼をして金美が入るのに続き、雷も礼をして中へと入る。

 

「よく来てくださいました、水鏡先生」

 

 部屋の中に居たのは三人。一人は眼鏡をかけた優しそうな面立ちの……ヤの付く自由業とは全く関係なさそうな男性。もう一人はこちらも優しそうな顔立ちの、いかにも家庭的な雰囲気を纏った女性であり、隣にいる幼い少女と手を繋いで、金美へと頭を下げた。

 

「お元気そうで何よりです、夜叉神さん。奥様もお変わり無さそうで……その子が?」

 

 その少女へと、金美が視線を向けた。

 少しだけ赤みがかった長い黒髪に、勝気そうな赤い目が真っ直ぐ金美へと向けられている。

 

「えぇ、娘です。ささ、天衣(あい)

「や、夜叉神 天衣です。よろしくおねがいします!」

 

 母親の手を離し、勢い良く頭を下げる姿が微笑ましい。金美は口元を緩めて膝をつき、少女と視線を合わせた。

 

「水鏡 金美です。こっちの彼女が、弟子の祭神 雷です」

「よ、よろしくお願いします」

「彼女が『捌きの迅雷(イカヅチ)』ですか……」

「あ、はい。何かそう呼ばれてます……」

 

 ふむふむと感心する天祐と、それに困惑しながらも雷は返事をした。そんな二人を余所に、金美はいくつか天衣と言葉を交わして、縁側に用意されていた将棋盤を挟んで座る。

 

「何枚落ちですか?」

「お好きに指してもらうので、平手で結構ですよ」

 

 互いに駒を並べた後、『よろしくお願いします』と礼をし、まずは天衣が一手動かした。

 

「あの……」

「祭神さんはこちらに。お茶を用意しますから」

「アッハイ」

 

 奥さんに促されて、雷は室内にある黒檀の座卓に用意されていた座布団の上へと正座する。対面には天祐が座り、程なくして奥さんが用意したお茶が前に置かれた。

 

「あの……先生をここに呼んだ理由って、あの子の指導だけですか?」

「それもあるけれど……水鏡先生から、私達の事は聞いているかな?」

「えっと、ご友人で……何もしてないけど命の恩人と呼ばれていると。後、旦那さんの方がアマチュア名人という事だけです」

 

 素直に答えた雷の言葉に天祐は苦笑して、奥さんは困ったように笑った。何か悪かったかな? と雷が考えた瞬間、天祐が口を開いた。

 

「私達は数年前、交通事故に遭いそうになった所を先生に救われているんだ」

「事故、ですか」

「とは言っても、先生は本当にその場に居合わせただけで、先生を見かけた私達が声を掛けようと先生の方に駆けていった直後に、さっきまで私達が居た所を暴走車が通っていっただけなんだけどね」

 

 なるほど、と雷は思った。それなら確かに金美の困惑した理由が分かる。本当に何もしていないけど、彼女が命の恩人になるという状況が完璧に完成していた。そして、その時の縁があり、アマチュア名人にもなるほどに将棋が出来る天祐やその奥さんと交流して、今回の訪問に繋がったと言う事らしい。

 

「……彼女を、先生の弟子に?」

「正直に言えば、それも考えたんだけど……()()が居てね」

「先約?」

「八一ですよ、雷。夜叉神さんはこの子を、竜王の弟子にしたいんです」

 

 疑問に答えたのは、天衣と対局中の金美だ。どういう事かと雷は金美に視線を送るが、彼女は盤に視線を戻して駒を指した。雷が盤を見れば、それが雄弁な答えを指し示している。

 

「一手損角換わり……」

 

 九頭竜八一が得意とする戦法。他には日本将棋連盟の会長である月光聖一もこの戦法を得意としており、『月光流』と称される物にすらしている。

 本来ならば一手損をするだけのものが、敵を倒しうる武器になるというミステリー。それを、()()()()()()()()()()()()

 

「月光会長ですか? 棋譜の出所は」

「先生にはバレますか……えぇ、そうです」

 

 ふと違和感を覚えて、金美は天衣のそれにあえて乗った。そこから紡ぎ出されたものは、金美もかつて見た事がある『九頭竜八一の将棋』だ。ただ、それは奨励会の中での一局でしかなく、奨励会に入っていない天祐が知る事のできる類のものではない。ならば、それを知らせた人物が少なくとも奨励会……もっと言えば、プロ棋士の中に居る可能性もある。

 それに以前、金美は天祐から自身と月光と八一の邂逅を聞いていた。だからこそ、色々と納得できた。

 

「私は……『九頭竜君の弟子』に、なれますか?」

 

 真っ直ぐに金美を見つめてくる少女の目は、真剣そのものだ。水鏡金美が九頭竜八一の姉弟子である事を知っていて、彼女はあえてこれを仕掛けてきたのだろう。

 その気質は、色々と清滝一門(じぶんたち)に通じるものがあると笑うしかない。弟子でもないのに、弟弟子の影響を受けに受けた少女がいるのは、それほどに可笑しいものだと思った。

 

「まだまだですよ。弟弟子の将棋ではない、()()()()()を見せてもらいます」

 

 そう言って笑い、現役A級棋士・水鏡金美の目が本気になった。

 

 

 

 

 

 

 最初の平手の後、金美の四枚落ちで二度指し、全部で負けた天衣は悔しそうにしていた。『いや、悔しそうにできるだけ立派だよ』と雷が思わず零すと、天祐が親馬鹿を発揮して奥さんにしばかれていた。御淑やかで家庭的に見えても、やはり母は強いのだろう。

 それに、雷の評価はお世辞でも何でもない。圧倒的な実力差を見せつけられても悔しそうにできるのは、その心が折れていないからだ。不屈の精神力というものをその歳で持っているのは、生来の気質が非常に大きいのだろう。水鏡金美相手にそうできるのは、あまり詳しくないと言う事を加味しても凄いと、雷は思う。

 

(ポッキリ逝った奴らと比べりゃ、雲泥の差だわこりゃ)

 

 雷は、金美と対局して折れた人間を何人も見ている。それは順位戦で当たったプロ棋士だったり、エキシビジョンで戦った女流棋士のタイトルホルダーだったりだ。特に女流棋士の方は、金美への反応が真っ二つに分かれている。

 

 史上初の女性棋士である彼女を見て奮起するか、諦めるか、だ。

 

 銀子や雷、桂香などは奮起する側だ。銀子と雷は彼女を目標としてプロへの道を目指しているし、桂香は親友である彼女と日々将棋を指して今は女流一級。今も棋力を上げて女流タイトルにも手を伸ばしている。

 数少ない女性奨励会員の中にも、金美に勇気づけられて燻ぶっていた自分に活を入れて殻を破った人が存在する。岳滅鬼 翼(がくめき つばさ)と言う、女性奨励会員で唯一三段リーグを戦っている、史上二人目の女性棋士に最も近い女性が居るが、彼女は二級で壁を感じていた頃にプロに成り立ての金美と会って奮起した。

 

 反対に、諦めてしまった側は徹底して彼女を避ける傾向にある。さながら、太陽から隠れて生きるように、その輝きから目を逸らすのだ。嫉妬もあるし悔しくも思う。でも、それよりも前に『勝てない』と諦めるのだ。

 そう言う意味では、天衣は将来有望と言える。

 

「先生、天衣はどうですか?」

 

 奥さんが別室で天衣を慰めている間、天祐が真剣な表情で切り出した。金美は一口茶を啜り、少しだけ考えた後に口を開く。

 

清滝一門(うち)の九頭竜の棋譜から学んだとはいえ、あそこまで指せると言う事は『受け将棋』の適性は非常に高いですね。才能としては、現時点で私に見えるのは女流棋士入りについては問題無いとだけ」

「プロは、どうでしょう?」

「なれないとは言いませんが、あまりにも不確定です。仮定の話ですが、九頭竜の弟子になったとして棋力は確かに伸びるでしょう。彼も様々な伝手を使って弟子を育成しようとしますから。ただ、どれくらいの伸び率かはやらせてみない事にはわかりません」

 

 普通なら言い辛い事ではあるが、金美はあえて言い放つ。天祐も、前日に『厳しい事を言う事になるかもしれません』と告げられていたのもあるし、そうだと勘付いていたのもあって腕を組んで黙り込んだ。

 親馬鹿ではあっても、その辺りを間違える事が無いのは流石アマチュア名人と言った所だ。

 

「祭神さんは、プロを目指されているのですよね?」

「あ、はい。今は奨励会二段ですけど」

「それはやはり、『史上初の女性棋士』の弟子となったからですか?」

「えっと、理由の一つ……ではあります。でも、一番大きい理由は……そこに先生が居るから、ですかね」

「ほう?」

 

 雷の言葉に天祐は興味深そうな視線を向けた。金美は『流石に本人の居る前でする話じゃないのでは?』と思いながら、お茶菓子として出された大福を食べている。

 

「詳細は話せないんですけど、ちょっと複雑な事情がありまして……先生には本当に良くしてもらいました。その恩返し……と言うか、力になれるかなと思いまして。勿論将棋が好きというのもありますけど、プロを目指す理由とすればそれが大きいです」

「なるほど……良いお弟子さんを持たれたようだ」

「夜叉神さん、お子さんを容赦なく負かした私への報復というならそう言ってもらっていいですよ?」

「いえいえ、そんな事は三割ほどしかないですよ」

「三割あるんじゃないですか」

 

 流石に恥ずかしくなってきた金美が口を挟めば、爽やかな笑いで返された。微妙な割合が彼の親馬鹿具合を示しているが、金美の羞恥心を刺激するだけでそれ以外の実害はない。必要経費かと金美が溜息を吐いたと同時、襖が勢いよく開いた。

 

「うちの孫を泣かせた奴は誰じゃぁぁぁぁぁッ!!」

 

 『マジモンが来て、あの時は死ぬと思いました』と、雷が真顔になるほどにキレた孫馬鹿が顔を出して、その孫に『騒ぐおじいちゃんはキライ!』と沈められるまで、天祐と金美は必死に宥めた。

 

 

 

 




イカちゃん:原作の魔物ではなく、キッチリ躾けられた狂獣。才能ない奴は見下すが、その『才能』の判定範囲は広い。躾けられたせいで常識人枠に収まっている。

天衣ちゃん:多分やるだろと思われた両親生存ルートをブチ上げて、将棋好きのお嬢様になっている。勝気なのは変わらないが、高飛車ではない。

銀子ちゃん:姉弟子が構築した、育成メソッドの実験体になっている。イカちゃんはその才能を純粋に磨くだけだが、彼女は才能を改造されている。

桂香さん:幼馴染兼親友と小さい頃からバチバチやっていたので、棋力は原作より上方修正。二十歳の自分に宛てた手紙の通りに、女流棋士になった。親友がプロ棋士になって、本人よりも喜んだ。彼女が女流棋士になった時は、親友が彼女より喜んだ。

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