一時は短編で一位だったのビビってたんですけど……
思えば、俺は本当の意味で姉さんと戦った事はなかった。今、俺の二人の弟子と相対して本気の――…現役A級棋士・水鏡金美としての顔をしているこの人を見ると、どうしようもなくそう思う。
俺の頼みで姉さん……プロになってからは水鏡さん呼びに変えたけど、心の中では大体昔のまま呼んでいる……は、あいと天衣に対する対局を了承してくれた。この対局の意図するところは、来たるマイナビ女子オープンに向けて戦う事になる可能性の高い、姉さんの弟子である祭神と、勝ち残った先で当たる姉弟子対策だ。
対策、と言っても戦法を学ぶだとか研究するだとかではなく……言い方は悪いけど、尋常な女流棋士では持ち得ない空気を体感させるためのもの。俺や師匠、現役のプロ棋士の中では姉さんだけがその条件を満たす――…今の二人より遥か格上の同性が持つ空気を体感させる。
知っていれば、少なくとも本選で当たれば本気で戦ってくる二人の空気には呑まれない。研修会試験で二人目当てに顔を出した姉弟子と祭神と指したけど、駒落ちで二人の才能を推し量るのが目的だったという意味では、姉弟子も祭神も本気じゃなかった。姉弟子は少なくとも手加減なく潰す気だったけど、得意戦法は見せずに天衣の攻めを涼しい顔で受け流していたし、祭神は終盤のあいの攻めをほぼノータイムで捌き切っていた。
姉弟子と祭神には負けてしまったが試験には合格して、あいのご両親も説得……説得できたのだろうか……特大のカタに嵌められた気がするけど……まぁ、条件は出されたものの、弟子入りに関しては認められた。
そこから、二人の才能に期待する形にはなってしまうけれど、最短で目下の目標である『女流棋士』になる為に女流将棋界最大の棋戦である女子オープンへの出場を決めた。予選の予選であるチャレンジマッチまでに、姉さんと対局を組む機会に恵まれたのは幸運ではあった。
棋帝戦の解説を頼まれたそうで、関東まで来てくれた姉さんと将棋会館に向かい、そこで始まった対局は姉さんの二面指し。
「こう……こうこう……こう……」
「くっ、うぅ……」
姉さんは、俺のお願い以上に二人に対して真剣に相対してくれた。決して油断せず、ともすれば順位戦に臨むような心持ちで二人の前に座る姉さんの発する『気』は、俺も感じた事が無いほどに鋭く、力強く、荒々しい。
運が良いのか悪いのか、俺は今まで姉さんと公式戦で相対した事が無い。順位戦はクラスが違うし、タイトル戦も俺と姉さんでは予選リーグが違ったりするから。だから、俺が相対してるわけでは無いけど、あいと天衣の後ろに控えて、本気の姉さんを正面に見据えるのは初めてだ。
二人は既に疲弊している……姉さんと指し始めてから一時間も経っていないが、もう既に何時間も戦ったように、汗が額だけでなく全身からも出ている。理由は姉さんの威圧感だけじゃなく、盤外戦術の一つ……二人の呼吸のタイミングを狙って指し、軽い過呼吸の症状を引き起こす技を使っているために、二人の疲労は加速度的に増している。
……これから向かう戦いは、並の女流棋士は問題じゃない。問題なのは、女流棋士になるのがギリギリの手合い。そう言う人間が盤外戦術を使ってくる事だってあるから、姉さんがやっているのはまだ優しい方だ。
「我が麗しの
借りている対局室に入ってきたのは、マントをなびかせた見覚えのある顔。
「……よく来てるってわかったな、歩夢」
「麗しの女神が座すところに、
(いつもだとテンション高く喋るのに、姉さんが対局中だと声をちゃんと潜めるんだよな……)
俺と同期の、神鍋歩夢六段が隣りに並び、指す盤を眺める。いつもは芝居がかった口調……というか中二病的な言い回しをハイテンションで言うが、姉さんが居ると割と大人しい。まぁ対局中は大人しくするものだし、同じ部屋に居るのだからそれが普通なんだけど……
「我が好敵手よ。女神に拝謁する栄誉はわかるが、これはあまりにも酷ではないか?」
戦況は既にあいも天衣も、その陣形の傷を大きく広げられてボロボロだ。姉さんも最短で詰ませには行っておらず、傍から見ればなぶり殺しにも見えない事はない。それでも、姉さんは棋士の矜持を持って、二人を棋士と認めて全力だ。そして、全力で殺しに来ているからこそ、俺の頼みを全力で果たしてくれていると分かる。
「マイナビ女子オープンに、二人は出る」
「白雪姫と雷帝が狙い、という事か?」
「今はまだ、勝つのが難しいと思う。でも、やる前から呑まれたら、難しいが絶対に無理になる」
「故に洗礼を賜るか」
「そんな所だ」
一際、駒を指す音が大きく響く。それは天衣の前にある盤に指した音であり、疲労困憊と言った体でありながらも悔しそうに顔を歪めた彼女が『負けました』と頭を下げる。『有難うございました』と姉さんは礼をした後にすぐ、あいの方へも指した。直後に彼女も『負けました』と頭を下げて……むしろ同時に投了させるために盤面を操ってたのか。いくつの作業を並行でやってたんだこの人は……
「やはり美しいな……」
そんな姉さんに熱視線を送る歩夢は無視して、俺も頭を下げる。
「有難うございます、水鏡さん」
「感想戦は師匠である貴方からの方がいいでしょう。どちらも覚えていますね?」
「大丈夫です」
「ではお願いします……何で神鍋六段がいるんです?」
姉さんが歩夢に気付いて、ほんの僅か顔を引き攣らせた。あぁ、姉さんは歩夢の中二……独特な言い回しと世界観が苦手だったっけ。
「ゴッドコルドレンさん……」
「何でゴッドコルドレンがここに……」
「我は関東所属の
ドヤる歩夢を横目に、ギギギとさび付いた機械のようにゆっくりと姉さんが俺の方を見て、歩夢を指さす。
「八一、貴方の弟子が洗脳されてますけど良いんです?」
「そんな!? 我が麗しの
「神鍋六段。すみませんが
あいと天衣、研修会の申し込みに行った時に歩夢と会ってから、呼び方がそれで固定なんですよね……何かすみません、姉さん。
◇
『多かれ少なかれ、現名人と対局すると相手の棋士は調子を崩す』
そんな話が、プロ棋士の間では存在する。それは『神』とも称される彼との対局の中に、自分にはさせないであろう『神の一手』を見て、それが眩しすぎる光となって自身を焼くとも、毒となって蝕んでしまうとも言われているが、正確な事は誰にも分らない。
しかし、何事にも例外は存在する。現役A級棋士の
そして、その例外がもう一人。
二年前、現名人がタイトルを保持する玉座戦で戦った金美は、五番勝負のうち最初の二戦を連敗した。しかし三局目を千日手とし、指し直しから二連勝した後で今度は持将棋となり、最後は三百手を超える死闘を持って名人の勝ちとなった。
その後の金美と言えば、翌年……去年の順位戦では序列を大きく上げ、他のタイトル戦の予選や本選でも好成績を残すという、不調とは無縁の状況。名人と対局経験のある他の棋士が首をかしげる状況だったのは間違いない。
「水鏡先生。ここまでの進行をどうお考えになられますか?」
「ここまでは定跡通りの展開、と言えるでしょうね」
ニコ生の解説で、隣に立つ
金美も、別に解説役が嫌なわけでは無いが、相方となる女流棋士によっては映ってない時などに敵意バリバリの視線で見られたりするので遠慮したいというのが本音である。桂香なら同門であり親友なので、仕事をする分にも非常に気が楽。ただ桂香は、状況が接戦になると研究家気質な所が顔を出すので黙りがちになるのが玉に瑕ではある。
その点、今回の相方である鹿路庭女流二段は聞き手も上手い。金美に対しても頭を下げてまで研究会を願い出るくらいには、将棋に対して真摯に向き合える人物なので今この場に居る二人の相性は悪くない。
鹿路庭女流二段の別名に『研究会クラッシャー』と言う物があるが、その実態としては相手の男が勘違いしまくっているからという事実もある。恵まれた容姿で、将棋が強くなりたいという思いから距離感を無視して金美を除くプロ棋士に向かっていけば、大体の男は勘違いするだろう。
その事を一度金美が言えば『え? 本当ですか?』と珠代が真顔になっていた。どうやら天然だった模様なので、胸部装甲が同等な桂香も呼んで清楚な服装を勧めた経緯もある。そんなこんなで、忙しくなければ週に一回はネット上で一時間ほど研究会をする程度には交流はある。そこに三段リーグで戦っている岳滅鬼や、金美の家に住んでいる雷、やってくる桂香や銀子などを加えれば、彼女達が一応は水鏡金美主催の研究会のメインメンバーになるだろうか。
「
「慶応大学を首席で卒業して、ニュースのコメンテーター等もされていると言う事で……言っては悪いんですけど、棋士以外でも普通に食べて行けそうな人ですよね。才能が二つ三つあるという感じで」
「ファンも多く、『王太子』と呼ばれていますね」
「コメントにも流れてますけど、容姿もイケメンですから言いたい事は何となくわかります」
「水鏡先生とは年齢も近いですけど、交流などはあるんですか?」
「関東と関西であまり交流はありませんね。テレビに呼ばれて会った時は挨拶と雑談をするくらいですし、一般棋戦で一度か二度戦った事があるだけです」
「なるほど」
現棋帝とは、少なくともタイトル戦の予選や本選で当たった記憶は金美には無い。というか、将棋はあまり関係ない場で会う仕事が多いというのも、何気に奇妙な話であるが。
「棋帝と対する名人とは、二年前の玉座戦で棋界の歴史に残ると言われるほどの死闘をされましたが」
「初めてのタイトル戦を名人と戦えたのは良い経験だったと思います――…と、戦局が動きましたね」
後手番の篠窪棋帝が指すが、長考の後の一手にしては有利になる印象はない。指した後も額に汗を浮かべ、自問自答しているような表情は、見ている人間には明らかに棋帝が不利だと思わせるものだ。
「水鏡先生、いかがでしょうか?」
「追い詰められて焦った――…というよりも、そこしかないと言う事ですかね。戦局は名人が優勢になりました」
「次の名人の一手は同歩、でしょうか?」
「4八玉から寄せて終わりになると思いますよ」
事も無げに告げられた内容に珠代はぽかんとして、ニコ生のコメントも『どういうこと?』や『そんな事ある?』と懐疑的なものが流れていく。そんな中で、名人が4八玉を指した。
「先生の言った通りの手です……!」
「ここから名人は寄せてくるでしょう。対して篠窪棋帝は時間が迫っていますね」
名人の優勢は何も盤面の中だけではない。持ち時間の残りも、精神的なものも、棋帝は減らし過ぎた。金美もそれを察しているからこそ、もうこの戦いの結果が見えている。
(
金美が予想した最善の寄せよりも少し悪い名人の寄せを確認し、ふと画面に映った名人の表情に不愉快そうな雰囲気が見えて、金美は苦笑しながら解説へと意識を切り替えた。
◇
「やっぱ先生が解説出ると、プレミアムでも入りづらくなるなー」
「今回は
「お前もお前でホント口悪いよな……」
マイナビ女子オープンのチャレンジマッチにあいや天衣、桂香が出た翌日。大阪に居る銀子と雷は金美の家でパソコンを立ち上げて、その家主が出ている生放送を見ていた。
この二人、そろそろ行われるマイナビ女子オープン五番勝負で戦うのだが、去年の五番勝負も同じ対戦カードである為、二人とも気負った様子は一切ない。普段から奨励会で鎬を削っている相手であり、日常的にもほぼ毎日顔を合わせる相手に気負えというのが無理な話ではある。
ちなみに主催者やスポンサーにとっては、同じ女王に同じ挑戦者というのは悲鳴を上げたい事態である。同じ展開が去年はこのマイナビ女子オープン、女流玉将戦、女流玉座戦で起こっているのは、そのまま銀子と雷の実力が女流の枠に収まらないという証明だ。
女流タイトル戦の他三つをこの二人で分け合っていないのは、そもそも出場資格が無いから。二人は女性奨励会員であって女流棋士ではない。それでも参加可能な女流棋戦に出ているのは、俗にいえば賞金の話と、公式戦で横に居る
「……なァ」
ふと、雷が視線を上げて銀子を見る。何が聞きたいのか、同じ物を見ていたのだから簡単に理解できた。
「あんたは読めた? 私は同歩だと思ってた」
「4八玉は読めてねぇ。でも同歩とも思ってなかった」
「……カナ姉さんは読んだんだと思う?」
「普通なら『先生スゲー』で済むんだけど、言い出すまでの時間が短すぎる。だったらあの手を知ってたって事だが……」
「そうでなかった場合、読みが速くて深い……脳内将棋盤でそんな事が出来る?」
「無理だな。アンタは今二面出来て、私は三面。でもそんな風にすぐ読めるなんて事はねーよ。例え十面あっても無理だろーな」
研究をしていれば、この答えの速度はあり得るだろう。ただ、二人が見ている中でこの盤面の研究はなかったし、研究の成果であるならば金美にとっても虎の子であるはずだ。それをわざわざこの生放送の場で言う事はあり得ない。
「なァ、白髪」
「何よ」
「お前、前に先生の脳内将棋盤は
「えぇ。カナ姉さんから実際にそう聞いた……あれ?」
「今更だけどさぁ、私らの脳内盤は
「……姉さん以外の別の意識で、駒が動いてる……?」
「か、今は脳内将棋盤ですらないのかもな」
「将棋盤で無いなら、一体……」
棋士にとって、脳内に浮かぶ将棋盤は必ずと言って良いほど存在する。感性の違いはあれど、そうして思い浮かべる事が多いからだ。違うものを浮かべる棋士が存在する可能性もあるが、銀子の周りでは居なかったと記憶している。そしてそれは雷も同様で、ならば棋譜かと考えを巡らせるが、将棋盤に慣れ親しんでいる自分にとっては余計に時間がかかりそうだった。
「聞いたら教えてくれっかな、先生……」
「教えてはくれるでしょう。私達が理解できるかが問題なだけで」
「だよなぁ」
コメントでも、二人の心境を代弁するような『読めてたのマジあり得ねぇ』や『今の男でも読める奴いないだろwwww』などと言ったものが流れていく。
『水鏡先生、コメントでもありますがアレは読めていたんですか?』
『一応は。後の寄せは少し違っていましたんで、完全とは行かなかったんですけど』
そう言って、画面の中の金美が自身の予想したという手順を示していく。それは確かに名人の指した手とは違った、最善の寄せ。結果論で言えば幾らでも言えるだろう――…いや、
それに、あの時の読みで到達していたとするなら。
『名人の寄せだと、ここを突かれた場合に』
『……あっ、逃げる事が出来てる』
「いやこれ、後で元棋帝が聞いたらへし折れねぇ?」
「この場合、聞いてきた駄肉が悪い」
当然、対局している者にしかわからない空気もあっただろう。第三者として見たから辿り着けたというコメントもあるが、それは他多数のコメントに潰されていた。
第三者の目で見ていた大多数が読めなかったのだ。銀子と雷も……金美の薫陶を受けている二人ですら、金美自身の領域に未だ辿り着けていない。
「……指すわよ」
「負けた方が買い出しな。寝落ちるまでやんぞ」
それが無性に悔しかったから、とりあえず手近な相手にそれをぶつける事にした。
◇
最近、若い子が家に集まるようになって大変よろしいと、清滝鋼介は考える。マイナビ女子オープンのチャレンジマッチが終わり、あいと天衣と桂香は予選トーナメントに駒を進めることが出来た。それのお祝いとして今日はあいと天衣の友達も呼んでいるのだ。
「若い子って言っても小学生で、雛鶴さん繋がりですけどね。後それを見てニコニコしてる師匠が純粋にキモいです」
「だから言い方ァッ!?」
「取り繕っても、意味は変わらないんですが」
「受け取り方は変わるやろ」
「孫弟子とその友達を見てお爺ちゃん面しているのはどうかと思います」
「……それは確かにそうやけどな」
あいと天衣を含めた五人……元気いっぱいのショートヘアの少女・
あいと天衣が居るのでこの研究会の師範は八一が務めているが、たまに互いとのVSに飽きた銀子と雷がふらっと現れて蹂躙したり、顔が蕩けた清滝が五人に教えようとして桂香に小遣いを減らされたりしているようだが、概ね平和なようだ。何だかんだで身内の友達が来るのだから、この一門はそう言う相手は邪険には扱わないので彼女達も居心地は悪くない様子だった。
「み、み、みみみみみみみ」
「澪ちゃんがすっごい震えてる!?」
「み、水鏡八段が何故ここに……!?」
「そりゃ、あの師匠の姉弟子なんだから居るでしょ」
研修会員であり、金美と初めて会う澪と綾乃がガッチガチに緊張していた。澪に至っては緊張のし過ぎで壊れたラジオみたいになっているが。
シャルロットは最年少の六才であり、日本の将棋界の事もあまりわかっていないようで、金美に対しても『しゃうおっと・ぃずぁーうだよ』と舌っ足らずに自己紹介していた。確かに可愛いが、それを聞いた隣りの清滝のリアクションが奇妙過ぎて金美は素になっていた。
「ビビられとりまっせ、水鏡八段」
「久しぶりに指しますか清滝九段。ボッコボコにしてやりますよ? 皆の前で」
「お、ええやろ。やったろうやないけ」
唐突にメンチを切り合う師弟に澪と綾乃、あいと天衣もアワアワし始めた所で、救い主が現れる。
「はいはい二人ともやめなさーい。お昼無しにしますよー」
「……今日は勘弁したろう。桂香に免じてな」
「……命拾いしましたね。桂香に感謝する事です」
「本当に昼抜いたろかお前ら」
注意してもメンチの切り合いを止めない二人に対する、ドスの効いた桂香の最後通告に師弟は速攻で投了した。こういう時の彼女には勝てない事が分かりきっているので、二人の行動は迅速であった。
温度差に置いてけぼりを喰らうJS研の面々には、桂香が『たまにある事』と笑顔で説明する。事実、八一や銀子が来た頃には頻度こそ減ったがこの師弟のじゃれ合いのような諍いはあった。金美がプロになってからは彼女が忙しい事もあって殆どなかったが、時間が出来るようになって清滝家に顔を出す頻度が戻ってくればこうもなるのは、道理なのかもしれない。
「……水鏡八段はもっとこうクールで、掴み所のない印象がありました」
「まぁ、そうですね」
ほぼ素のキャラクターではあるが、金美はそう言う部分を意識して出すようにはしている。一種のアイドルのようなものであり、『史上初の女性棋士』というキャラクターを守る為の行動だ。何事も初めての存在は色々と気苦労も多く、その癖やる事は手探りな為、金美も苦労した。
「で、こっちに来た用事は何や?」
「せっかくなんで、こっちで女子オープンの五番勝負を見ようと思っただけですよ」
「そう言えば第一局が今日だったかー」
出るのが銀子と雷である為、一人で見るのも味気ないとこっちに来たのが金美の来訪理由である。まぁ普段から特に意味もなく清滝家に来る事もあるので、理由の有無は今更だ。
あいと天衣が居るのも都合がいい、と早速居間のテレビで解説付きのネット中継が見れるように設定し、チャンネルを合わせた。
「……すごい」
JS研の誰が呟いたかはわからないが、この場に居る誰もがその感想に納得する。
画面の向こうに居るのは、いつもとは全く雰囲気の違う二人。銀子は淡い青色の振袖に濃紺色の袴。いつぞやに八一からプレゼントされた雪の結晶をモチーフにした髪飾りをいつも通りにつけて、盤を睨み付けている。
対する雷は黒と紅をあしらった振袖に、カラシ色の袴。いつものツーサイドアップの髪ではなく、金美と同じように後ろで一つにまとめたポニーテールをしている。着物については金美が二人に贈ったもので、細々とした小物は桂香や清滝からの贈り物もある。
そんな二人の纏う雰囲気は、普段の生活では決して見せないほどにピリピリとしたものだ。ほとんど毎日顔を合わせ、盤を挟んで向かい合っていても、今回のような雰囲気には決してならない。
「これが棋戦……それも、タイトルを賭けたタイトル戦の雰囲気です。銀子と雷は、普段から私の家やここ、それに関西将棋会館でもやり合っていますが、公式戦というのはまた違う意味を持ちます」
「状況は……どっちも馬鹿弟子、お前を意識しとるようやな」
はっは、と笑う清滝の言う通り、序盤の立ち上がりを終えた盤面はそれぞれ、二人が最も得意としている陣形を組み終えた所だった。それは、金美が二人に合ってるんじゃないかと思って提案し、集中的に鍛えさせた得意な……もっと言えば、二人にとってのエース戦型と言うべきものだ。そして、二人のそれがぶつかり合うと言う事がどういうことなのか、教えた張本人は理解するまでもなく知っていた。
「これ、確定で定跡をぶっ飛ばす力戦ですよ……去年は別にそんな事しなかったのにここでやりますか」
間違いなく荒れる。普段でもエース戦型のぶつかり合いはやった事はあるにしても、この女王戦第一局に持ってくるとは思わなかった。
「どういう事……なんですか?」
「銀子の方は、馬鹿弟子が昔毎日のように銀子とやっとった時に教えたもんや。こいつは今でこそ色々と指すオールラウンダーやけど、最初は金開きばっか指してたしな。名前繋がりで」
「一言多いですよヒゲ師匠。雷の方は、私に弟子入りした時に何度か対局して決めた得意戦型です。尤も、二人とも教えた当時の物からは別物に進化していますが……だからこそ、荒れます」
天衣の問いかけに清滝と金美が答えている間に、展開を完了した二人がどちらからともなく口火を切った。剣の達人同士が踏み込み、鞘に納めた刀を抜き放ち、斬り合うように。少なくともあいと天衣は、画面の中の二人が
「こ、怖い……」
「それだけ目の前の相手に勝ちたいと思っているから、あれほどになります。全身全霊を出し切ってでも、目の前の相手には負けられない――…だからこそ、二人はここまで強くなりました」
感慨深く、早指しによって目まぐるしく変わる盤面を金美は見ている。時折挟まる長考はおそらく、それぞれが研究し、目の前の相手を想定した戦局の確認だ。相手の研究を自分の研究が上回るか、もしくはその場で相手を超えなければいけない。定跡から外れれば、自分の培ったものと持っているものでしか戦えない。
それはまるで激しく殺し合いながらも、自分の何もかもを相手に曝け出す対話のようだと、金美は考える。
銀子と雷は互いを好敵手だとは思っていないだろう。いけ好かない奴だと思っているだろうし、現時点の最強の敵だとも思っている。敵意が先立ってはいるものの、普段の生活においては互いの呼吸を合わせるように上手く回している。それは、こうして将棋で本気でぶつかり合って、無意識の中でもお互いを理解しているからだ。
いがみ合いながらも高め合う、そういう強さを携えて、二人はいずれ金美の前に現れてくれるだろう。ひょっとしたらそこに、金美と同じように一人で歯を食いしばって、三段リーグを勝ち抜いた岳滅鬼も居るかもしれない。
「雛鶴さん、夜叉神さん」
「は、はいっ!?」
「な、なに……ですか?」
「お二人は同じ師を持つ姉妹弟子ですが、同時に最も近いライバルです。願うなら、あの二人のように互いが互いに全力でぶつかり合える相手になってください」
『もちろん、JS研の皆さんもそうなればいいですね』と、いつの間にか自分の膝に乗ってきたシャルロットの頭を優しくなでながら、金美は未来において自分と同じ場所に来てくれないかと、淡い期待を込めた。
やがて、画面の中の妹弟子と愛弟子が互いに頭を下げる。
どちらも汗だくになりながら、片や悔しそうに次への意欲を滾らせて、片や次も勝つと言わんばかりに。
お互いが、笑っていた。
歩夢きゅんの言語が難しいねん。
厨二回路がさび付いて久しい。