ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

104 / 151
91話:きっとあなたを助け出す。だから海の向こうで共に往きましょう。

 

 ――暗闇の中、キラキラと光るものがある。まるで流れ星のように煌めきを放つ金色の光が、視界の前方に向かって吸い込まれていく。前方の遥か彼方には、眩い太陽のような光球が沈黙していた。

 上も下も存在しない不可思議な異空間。既視感(デジャヴ)に満ちているようで、何処にも見覚えがない。微睡みの中、私はそんな場所に立っていた。

 

 いや、立っているのか浮いているのかも分からない。自分の身体を見下ろすことさえ叶わない。瞬間、これは夢だと理解する。夢の中で自分の身体を確認できたことなどないという――あまりにもちっぽけな根拠ではあったが。

 夢の中は思ったように動けない。思考も覚束(おぼつか)ない。闇の中で惚けた私は、呆然と佇むだけ。そしてきっと、理由もなく歩き出す。夢だと自覚しているのに、夢の中でも不自由で。私はこれから決められた行動をなぞるのだろう。

 

 まるで、運命に絶対的に従う私達(ウマ娘)のようだ。自由に行動できているように思えて、世界の絶対に逆らうことはできない。

 アポロレインボウという存在には運命など存在しないと――そう思っていた。だが異空間を進むうちに、想像以上に過酷な運命(さだめ)が待ち構えているのだと理解する。

 

 私の夢は、世界へ飛躍し最強ステイヤーを証明すること。あまりにも大雑把な夢だけど、絶対に譲れない大切な夢。

 そして、私はこの夢に潜む(ひず)みを知っている。夢の土壌がとうに枯れ果てているのも当然知っている。自覚すれば何かが壊れてしまうのも分かっている。現状を見て見ぬふりをして、その時まで破滅を先送りにするのも、決められた運命のうちなのだ。

 

 夢から醒めれば、私は全てを忘れているだろう。いつものように、(とぼ)けたアポロレインボウが顔を表す。

 真っ直ぐで、一生懸命で、愚かな少女。空虚な夢に気付かないふりをして走り続けるウマ娘。まだ完全な解決には至っていない『夢の不確かさ』は、近い将来私の根底を揺るがすだろう。いつか致命的なタイミングで()()を自覚するというのに。

 

 ――異空間を歩き続けていると、誰かの声が聞こえた気がして足を止める。

 誰かの悲鳴。すぐそばで誰かが泣いている。

 

「……あなたは」

 

 暗闇の中、『彼女』は泣いていた。

 小さなウマ娘。顔は見えない。

 向こう向きになって、小さく丸くなって泣いている。

 

 彼女は諦めの混じった声で言う。

 

 ――無駄だよ

 お前のちっぽけな夢で世界を変えられるわけがない

 

 彼女には覚えがある。名前も知っている。距離適性も、走法も、出身も、何もかも。私と彼女には運命の繋がりがあった。

 天才的な才能を持ち合わせ、その実力を熱狂の舞台で遺憾無く発揮するはずだった彼女。しかし、運命の悪戯によって彼女の夢は閉ざされた。誰も悪くなかったはずなのに、()()()()()()()()()()彼女の世界は深い闇の中に繋がれている。まるでこの異空間のような――……。

 

 ……そうか。この世界は彼女の『領域』でもあるのか。てっきり因子継承の異空間かと思っていたのだけど……。

 

 熱狂のない土壌じゃ、夢なんて育まれない

 お前が知らなくていいこともある

 夢を妥協しろ

 

 『領域(ゾーン)』はその者の心象風景をありありと映し出す。先程まで見えていた光の欠片や光球は跡形もなく消え去り、彼女の姿形が闇の中に溶けていく。

 冷たい絶望と先の見えない未来。彼女の『領域』は暗黒そのものだ。心の中がここまで暗い感情に染まることがあるとは、どれほどの経験が彼女の心を変えてしまったのか。彼女が直面した絶望の深さは計り知れない。

 

 こっちに来るな

 お前を失望させたくない

 

 小さなウマ娘はそう言って、闇の中に向かって歩いていく。私を突き放すように、遠ざけるようにして消えていく。

 しかし、彼女の姿が深い暗黒に溶ける直前。悲鳴のような声が微かに漏れた。

 

 ……助けてくれ

 

 震える小さな背中。幼子であった彼女は瞬きする間に少女へと成長していくが、その体躯に反してあまりにも寂しげな後ろ姿が辛い。

 少女然とした姿まで成長しても、彼女はずっと泣いている。涙がとめどなく溢れて、痛々しい啜り泣きの声が異空間に響き渡る。

 

 助けてくれ……アポロレインボウ……

 

 ……彼女の名はカイフタラ。ヨーロッパ現役最強のステイヤーにして、最も深い闇を湛える者。

 

 彼女を救わねばならないと思った。理由は無い。いや、あるかもしれない。何故なら、彼女は()()()()()()()()()()()()。私達はコインの裏表なのだ。だから救わなければならない。誰かに言われたから、というのもあるし、自分がそう思ったから、というのもあった。

 

 どうやって救えばいいかは、()()1()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。さもなくば、私も彼女も闇に消えるだろう。私は絶対に折れちゃいけない。私だけは。だって、彼女の心はもう折れているから。

 私の傲慢な我儘かもしれないけれど、彼女を救うことが私の夢の成就へと繋がっているのなら、この手を伸ばさないわけにはいかない。

 

 私は確固たる勇気をもって、彼女に手を差し伸べる。自分の顔は分からないけれど、きっと優しい笑みを零しているのだろうと分かった。

 

「――大丈夫。大丈夫だよ。ずっと辛かったよね」

 

 ……あぁ、辛かった

 今だって、ずっと辛いよ……

 

「安心して。ほら、こっちを見て――」

 

 闇の中から彼女を引きずり出そうと渾身の力を振り絞る。尚も闇の中に留まろうとする彼女。抵抗が激しい。でも、絶対に諦めない。私が折れたら、彼女はずっと孤独なままで――

 刹那、辺りを埋め尽くす暗黒の力が強まる。ダメだ、助けられない。夢の中でも、私は――! 抵抗を強めた闇が彼女を再び呑み込む。助けられない。反射的にそう思って、息を吸い込む。

 

「私があなたを助け出してみせる! だから待ってて――カイフタラさんっ!!」

 

 ……その気持ちだけでも、言葉にならないくらい嬉しいよ

 

 夢の中の幻だ。目覚めれば忘れてしまう幻影に過ぎない。そもそも、これが彼女の本音かも分からないのに。

 それでも私は彼女にそう誓って、暗黒に囚われていく彼女を見送って――

 

 

 キラリ――雪の結晶が舞った。

 

 

 気がつくと、私は飛行機に乗っていた。こめかみが鋭く痛む。うたた寝していたようだ。何か大事な夢を見ていたような気がするけど、気のせいかな?

 

 不可解な頭痛は日本との時差のせいだろう。慣れるまでは大変なこともあるだろうけど、案外何とかなるものだ。私は大きなあくびをして、姿勢を変えながら再び目を閉じた。

 そんな中、前の席からカシャッというシャッター音が響き渡る。不快に思いつつ目を開けて音の方向を見ると、グリ子がケータイを構えて気色の悪い表情をしていた。

 

「アポロちゃんのあくび顔と寝顔の写真ゲーット」

「……グリ子、機内はお静かに」

「少しくらいいいじゃん。撮って減るもんじゃないし、寝顔も可愛いんだから」

「私が良くないの」

「この写真、アポロちゃんのトレーナーさんに見せたら喜ぶだろうな〜」

「ちょ、それはマジでダメ!」

 

 グリ子の言葉で完全に目が覚める。咄嗟にグリ子のデバイスを取り上げ、ふにゃふにゃな大あくびをする写真と、身体を丸めて安らかな寝顔を晒している写真を即座に消去した。

 

「可愛かったのに〜」

 

 口を尖らせるグリ子。私は窓の外を眺めながら、大きな溜め息をついた。

 ――ドバイワールドカップミーティングの1週間前、私達は報道陣に見送られてドバイに旅立った。今はその旅路の途中なのである。ここから1週間忙しくなるのだから、グリ子みたくはしゃいで無駄な体力を消耗するのは御免(こうむ)りたい。

 

 今回ドバイ遠征に帯同したのは、スズカさんのトレーナー以外の9人。沖野トレーナーは大阪杯に出走するスペちゃんの様子が気になったらしく、そちらに集中するようだった。逆に言えば、芝1800メートルでうちのスズカに勝てる奴はいないぜ……という自信の表れでもあるのだろうが。

 

 飛行機が傾き、高度を下げ始める。いよいよドバイに到着だ。私達は窓に張り付いて、異国情緒溢れる光景に歓声を上げた。

 

「おぉ〜、テレビでよく見る島があるじゃん! あの……何かこう……キモいゲジゲジみたいな島!」

「いやアポロちゃん、あれはヤシの実を模した島だよ」

「ほへ〜」

「キモいゲジゲジはないでしょ……」

 

 アラビア半島のペルシャ湾沿いに位置し、アラビアンナイトが現実に現れたかのような国、アラブ首長国連邦。その中心都市として存在感を放つのがドバイである。

 名だたる超高層ビル、最先端施設、遥か下界に見えるパーム・アイランド。この人工島はドバイを象徴するかのような大リゾート地である。多分今年は無理だろうけど――暇さえあれば、あの人工島にも行ってみたいものだ。

 

 飛行機がどんどん高度を下げ、青い海と大雑把な海岸線と人工島くらいしか見えなかったドバイが、いよいよその全貌を現し始める。まず目に付いたのが、高層ビルや巨大施設の多さ。想像以上に地表面がでこぼこしている。東京とはまた違った大都市という感じで新鮮である。

 

「ケ! レース場が見えてきましたよ!」

「あれ? でもレース場が2つ見えるんだけど……」

「……空港に近い方が、『ナド・アルシバ』レース場。空港から遠い方が目的の『メイダン』レース場」

「ミークちゃん詳しいね!」

「……ふんす。これくらい当然」

 

 ナド・アルシバレース場は、アメリカのチャーチルタウンズレース場をモデルに建設されたレース場である。ヨーロッパに比べると個性のない画一的な楕円形のコースをしていて、空から見るとより綺麗な図形に見える。

 ただ近年、隣接地に新たにメイダンレース場が開設されるのに伴って、ドバイワールドカップを始めとするドバイミーティングの競走は全てメイダンレース場での開催となった。つまり、ナド・アルシバレース場は現在お役御免となって、全く使われていないのである。

 

 一方、ドバイ国際空港に近しいレース場はメイダンレース場。このメイダンレース場は、6万人を収容できるという客席(グランドスタンド)の他、映画館やホテル、更にはショッピングモールを併設した複合商業施設になっている。

 これは完全な予想だが、ナド・アルシバからメイダンにレース場を移転したのは、世界最高峰のレースを開催するに相応しい大舞台を用意したかったからであろう。商業的にも、スケール的にも。実際、レース場近くの商業施設は儲かるらしいし、レース場新設の思い切った判断は結果的に大正解だったようだ。

 

 しかもこのメイダンレース場(というかドバイの王族)、ドバイワールドカップミーティングに参加するウマ娘の遠征費用の全てを負担してくれるという大盤振る舞い。レースの超高額の賞金も手伝って、世界各国からドバイにやってくるウマ娘が増え、結果的に参加者のレベルは爆上がりした。

 こういったフットワークの軽さや大胆さが、ドバイのレースを世界レベルまで押し上げたと言えるだろう。

 

「そろそろ着陸デース!」

 

 飛行機が速度を緩め、着陸姿勢に入る。座席がゴリゴリと揺れて、不快な振動が私達を襲う。一瞬、事故でも起きたんじゃないかと思ったが――普通に飛行機が静止したのを見るに、日常の風景だったようだ。

 割と心配だったけど、乗客が普通に席を立ち始めたので、私達も飛行機の外に降り始めた。

 

「――ここが、ドバイ……」

「風が温いデス」

「……日本とは違う空気」

「そこまで暑くは――いや、暑いわ。これで冬季ってマジ?」

「……早く走りたいわ」

 

 初めて味わうドバイの空気は、からからと乾燥した砂混じりの風だった。誰に言われたわけではないのに、私達は羽織っていたパーカーや上着を脱ぎ始める。東条トレーナーに「ドバイは夏服でいい」って聞いて疑問だったけど、ここまで暑いとは……。

 

 ドバイ国際空港から出て、大荷物を持ったままホテルにチェックインする。これから1週間はここで寝泊まりすることになる。ホテルに入る際、スーツを着たトレーナーらしき大人やウマ娘達とすれ違ったのだが、多分彼女達もドバイミーティングに関係のある人達なのだろう。

 メイダンレース場と1番アクセスがいいのはここだし……と言うか、主催者側が用意してくれたホテルだから当たり前だったわ。

 

 チェックインを済ませて荷物を部屋に置くと、私達は東条トレーナーの指示で一旦集合し、そのままマイクロバスに乗ってメイダンレース場を見に行くことになった。

 ドバイに到着してからまだ1時間も経っていない。いくら何でも(せわ)しすぎないか? と感じるけど、東条トレーナーは歴戦の凄腕トレーナーだ。レース場を見ておくのは早ければ早い方が良いという経験則があるのだろう。実際に触れて感じてみないことには分からないこともあるし、現地を知った1分1秒の差が勝敗を分かつことだって有り得る。旅路の疲れと時差感覚のズレで正直疲れていたが、ここは疲労を押して文句を言わないことにした。

 

 バスの中で東条トレーナーが前に立つ。咳払いした彼女は、バインダー片手に辺りを見回した。

 

「え〜……みんなに言っておくわ。ウマ娘が海外遠征で失敗する時の理由として、『芝やレーススタイルが合わない』って答えは簡単に予想できるでしょうけど……実はその他にも大きな原因があったりするものよ。エル、分かるかしら?」

「はい! 食事と気候デース!」

「その通り。特に大きなものは食事ね。全身全霊をかけて戦うレースにおいて、ウマ娘の体力は絶対に無視できない。エネルギーを摂取してレースに備えるのも立派な海外遠征の作戦だわ。もし食事が合わないと思っても、心を鬼にしてお腹の中に入れなさい」

 

 ウマ娘が出走するレースは、精神はもちろん体力を大きく削る。『数千メートルを走るトレーニングなんて、いつもやってるじゃないか』『5分にも満たない運動じゃないか』という声もあるだろうが、どれも戯言だ。

 本番レースは、その格に関係なく()()()()()()()()()()()()。その精神(こころ)さえ削って、本当に命を燃やして駆け抜けるのだ。これまでの人生で捧げてきた何万時間という血の滲むような努力を、たった数分で証明しなければいけないのだから――心と体のエネルギーの消費量は計り知れない。

 

 だからこそ。基本中の基本――食事による栄養摂取を怠ってはならないのだ。何万時間の準備がたった1度の食事で無駄になるなんて、絶対にあってはならない。東条トレーナーはそういうことを言っているのだ。

 

 気候については問題ないだろう。3月のドバイは冬季。冬季と言っても昼間は20〜30度だし、夜は10度中盤まで冷え込むが、いずれも日本の3月よりは大分暖かい。

 湿度の違いについては……まぁ、そこまで敏感なウマ娘はいないだろう。ちょっと気になるのは、冬季に発生するという砂嵐。強い北風によって巻き起こるらしいけど……トレーニングできなくなったりしないかな?

 

 東条トレーナーに砂嵐のことについて確認してみると、どうやら3月下旬の砂嵐は滅多に発生しないらしく、あまり考えないで良いとのこと。頭の片隅に入れておく程度に気にかけておこう。

 

 東条トレーナーの質疑応答が終わると、バスがメイダンレース場前で停車する。10分もかかっていないから、ウマ娘に限れば走って行き来した方が早いかもしれない。

 マイクロバスを降りた先、メイダンレース場はすぐそこだ。早速、ハチャメチャにデカくて白いスタンドが視界を覆うほどに伸びているのが見える。隣接するホテルを合わせれば全長1000メートルにも及ぶ豪華絢爛なスタンドは、メイダンのシンボルとも言えるだろう。

 

 英語とアラビア語に出迎えられながらレース場に入ると、鼻をつんと突くような青い芝の匂いがした。同時に、馴染みのない砂の香りも。

 あまりにもあっさりドバイに到着したから分からなかったけど、ここは本当に異国なんだと今更自覚する。異国言語を話す人々を見てではなく、ターフの匂いで外国かどうかを判断してしまうとは……私も立派なウマ娘だなぁ。

 

 関係者に挨拶していくトレーナー陣をよそに、私達はメイダンのトラックコース内に立ち入ることを許可される。周囲にも同じようなウマ娘とトレーナーのペアがいて、跪い(ひざまず)て直接手に触れる者もいるほど。それほど本気で現地の調査をしているのだ。私達も負けていられない。

 私以外のウマ娘もそう思ったのか、みんなで自然と腰を下ろして芝に手を触れたり、シューズの裏で軽く踏みつけて()()()()の具合を確かめたりした。ミークちゃんと桐生院トレーナーは内に入ってダートコースを調べているが、アメリカ出身の屈強なウマ娘達に囲まれてあわあわしている。ミークちゃんは白毛だし、それが珍しいのかもしれない。

 

「グリーンティターンは知っているかもしれないけど、ドバイの芝は香港の芝とそっくりよ。そして幸と出るか不幸と出るか、私達が出走するレースは全てナイターでの開催。みんな分かっているでしょうけど、安全面・放映的な関係で照明はとんでもなく眩しいわ。コーナーを曲がる時、うっかり光源を直視しないように。一瞬の視界妨害や()()()が勝敗を決めるというのは、ウマ娘であるみんなの方がよく知っていると思うけど」

 

 そうか。ドバイミーティングは深夜の開催なんだった。高低差のないコースだから上を見る心配はないだろうけど、警戒だけはしておこう。

 

「ふむふむ……これがドバイの芝ですか」

「結構走りやすそうね。そう思わないアポロさん?」

「うえぇ? スズカさんの感覚が分からないですよぉ……」

「確かに香港と一緒の芝だけど、気候とか湿度の違いがあるからね〜……どうなることやら。結局は始まってみるまで分からないかな」

 

 こうして芝状態を各々で調べていると、視界の端にキラキラと光る何かが映った。

 

「――?」

「アポロちゃん、どうしました?」

「今、雪の結晶が――」

「いやいや、ここドバイだよ? 砂のキラキラがそう見えただけだって」

「グリ子の言う通りデス!」

「でも――」

 

 2度、3度。――ふわり、雪の結晶が視界を横切る。幻覚かと思って目を擦るが、蝶の如く舞う雪は消えない。こめかみがずきずきと痛む。脳内を針金で掻き混ぜられているような不快感と痛みが襲い、怯むように眉間を押さえる。

 

 ――誰だ。()()()()()()()()()()()()()()()

 私はそいつを知っている? でも、思い出せない。頭が痛い。まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。間違いない。

 

 では、誰が?

 痛い。はやく、確かめないと。

 

 荒くなる呼吸。狭くなる視界。重くなる四肢。原因不明の異常を訴える身体。そちらを見たその瞬間、何が起こるのか予想もつかない。でも、雪の結晶は輝きを増して――

 

「――――っ」

 

 光の主を探すと、ものの数瞬で見つけ出す。僅かな逡巡。あまりの異質さに言葉を失う。

 

 距離にして、15メートルほど北。傍にトレーナーを置くこともなく、メイダンの空を見上げて立ち尽くす孤独なウマ娘がひとり存在した。

 腰まで届きそうな鹿毛のロングヘアー。額の頂点に付けられた盾型の白い流星。その憤怒を表すかの如く絞られた両耳。表情筋を削ぎ落とされたかのような無表情。切り揃えられることもなく無造作に伸び切った尻尾。何よりも――170センチを優に超す雄大な体格。傍目で分かるくらい、彼女は圧倒的な貫禄を醸し出していた。

 

 間違いない。あの人は、きっとそうだ。知っている。知らないはずなのに、知っている。()()()()()()()()()()()()()

 

「――カイフタラ、さん……」

 

 ――彼女の名はKayf Tara(カイフタラ)

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 3月の末、ドバイのメイダンレース場。

 後に最高のライバルとなるカイフタラとの運命の出会いだった。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。