ゆるふわ芦毛のクソかわウマ娘になってトレーナーを勘違いさせたい   作:へぶん99

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95話:不完全燃焼を乗り越えて

「っ、は――……っ、は――……っ」

 

 負けた。1着はカイフタラ、2着はアポロレインボウ。黄昏のメイダンを包む大歓声の中、私はゆっくりと速度を落とし始めた。

 1歩1歩進む度、敗北感が全身を支配していく。斜め前方を緩やかに走るカイフタラさん。肩が上下しており、息も荒い。背中側の体操服がびっしょりと濡れていて、肌に張り付いている。カイフタラさんも思ったより消耗していたらしい。恐らく彼女にも厳しいマークがあったのだろう。

 

「っ、ふぅ――っ……」

 

 早歩き程度の速度になっても、目眩が止まらない。全身の細胞が酸素を欲している。どれだけ吸っても足りない。頭がくらくらする。視界がぐにゃりと歪んで、平衡感覚が怪しい。気持ち悪い。軽く吐きそうだ。

 不快感が臨界点を超えた瞬間、ふっと意識が暗くなりかけた。脳髄が大きく揺れている。脚が動かなくなり、堪らず私は鋼鉄の柵にしなだれかかった。

 

「…………っ」

 

 ……走るだけで、こんなにも体力を消耗してしまうとは。肉体のスペックが上がった分、なまじ限界まで頑張れるようになってしまったのだろう。

 心臓が肋骨を突き破ってきそうだ。何なら、ただ立っているだけなのに、重力に従って引っ張られるような感覚がある。とにかく身体が重い。空気にさえ、のしかかってくるような質量を感じる。運動後特有の脇腹の痛みと接触で受けた打撲痕が重なって、お腹の横がずきずきと痛んでいた。大したことはないと思うけど、後で病院に行かなくちゃいけないな。

 

 しばらく立ち止まってゆっくりしていると、やっと呼吸が整う。乱れてあちこちに張り付いた髪の毛を整えて、私は顔を上げた。大歓声の中、汚れた体操服姿のカイフタラさんがスタンド前に佇んでいる。ぶるぶると震えたかと思うと、彼女はウィナーズ・サークルに向かって歩き出していた。

 

 ……敗北者は消えるのみだ。私は踵を返して地下道に歩いていき、みんなの出迎えを待たずして控え室に引っ込んだ。

 

「……ふぅ」

 

 扉を開け放ち、静かな控え室内を見渡す。適当な丸椅子を見つけて腰を下ろすと、どっと疲れが襲ってきた。油断すれば眠りに落ちてしまいそうな、異常とも言えるような疲れだった。

 ゼッケンを外し、体操服を捲り上げる。シアトルチャーミングさんの腕が当たった箇所が薄ピンクになっていた。自分の肌が白いぶん、赤く腫れているのが嫌でも分かる。症状は見たところ軽めなので、ちょっと安心。

 

 脇腹を確認した後は、靴下を脱いで脚の具合を確かめる。

 ……うん、特に異常はない。一応は病院で見てもらうことにするけど、脚に異常は無いし、脇腹の痣も大したことはなさそうだ。身体が丈夫な方で良かった。

 

 とみおが帰ってくるのを待たず、私は手元のデバイスでレース映像を見返し始める。……どんな形であれ、私はカイフタラさんに負けた。あの妨害は確かに痛かったが、シアトルチャーミングさんとの接触が無くても結局負けていたのだろう。カイフタラさんはマークの躱し方が上手く、長距離での爆発的な末脚も私を捉えるには充分だった。それだけの話だ。

 レース映像を見ているうちに、彼女が途中で大きく位置取りを下げたのはマークを避けるためだと分かってくる。暴走する私達に釣られたウマ娘達の速度が相対的に上がり、体内時計の優れていたカイフタラさんが自分のペースを貫き続けた結果でもあるが。

 

 レース映像を見れば見るほど、カイフタラさんが私と離れた場所でブロッキングを受けていることに気づく。それと同時に、彼女が巧みなステップでライバル達から距離を取っていたことにも。

 

(……カイフタラさんを気にしてるのは、少なくとも3人。3番人気のチーフズグライダーさん、シーサイドアックスさん、それにカロメモリーズさんだ。集団の斜め前から見る視点だから、カイフタラさんが大袈裟すぎるくらい距離を取ってるのが分かりやすい)

 

 私達の斜め前方、内柵を隔てて車が走っていたのだが――その車視点で見ることによって分かることもあった。

 レース中盤。チーフズグライダーさん、シーサイドアックスさん、カロメモリーズさんがカイフタラさんの進路をブロックすると、カイフタラさんは大外に持ち出して進路をこじ開ける。1番人気の彼女を妨害しようと画策する3人だが、大外は距離ロスが大きすぎて手を出せない。何故なら、彼女達も勝つためにカイフタラさんをブロックしているのだから。大外までマークしにいく体力はないし、勝手に距離ロスして消耗してくれるなら放っておけばいい――そういう思考になったらしく、カイフタラさんは次第にマークされなくなっていき、レース後半になると大外を回って超加速。距離のロスをものともせず、カイフタラさんはマークを凌いで1着をもぎ取ったのである。

 

 私は彼女の恐ろしいまでのレースセンスに舌を巻く。一瞬の加速や減速によってマークしてくる相手を逆に乱し、大外に持ち出してブロックを煙に巻こうとする大胆さ。これは、自らの肉体スペックを熟知することにより実現されているのだろう。こうすれば勝てる、こうすれば相手は嫌がる、ここまでの無茶なら通せる――ひとつひとつの選択が驚異的で合理的。何より、彼女の判断力を支える冷静さが凄まじい。

 

 あの落ち着きと、マークを避けるための技巧。私に足りなかったのはこれだ。カイフタラさんは距離ロスを恐れず、大外を回ってライバルのマークやブロックを避けていた。そして強者のみに許された()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、私の大逃げを計算したかのように差し切ってみせた。

 欧州の長距離王者たる実力と、そのベストパフォーマンスを引き出すためのブロック回避。注目すべきは特に後者だろう。位置取り争いと、上位人気に対するマークの執拗さ。そして、それに対する解答。私は海外のレースに対する理解が足りなかった。……だから負けたんだ。

 

「――4()0()0()0()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……っ」

 

 海外に挑むならもっとアメリカやヨーロッパのレース風土を知っておくべきだったのだ。位置取り争いの激しさ、競り合いに対する容赦のなさ、ラビットと呼ばれるウマ娘の存在。――もっとも、このレースにラビットウマ娘はいなかったのだが、これからのレースでもシアトルチャーミングさんのような走りで私を妨害してくるのはほぼ間違いない。

 

「……くそっ。もっと視界を広く保たないと……世界は広いんだから」

 

 油断があったのかもしれない。日本ダービー、菊花賞、ステイヤーズステークス、有記念を制して、もはや長距離界に敵はいないと……無意識のうちに驕り高ぶっていたんだろうか。

 その可能性だって無くはない。ダブルトリガーさんに勝って、カイフタラさんもあの擦り切れた様子だったんだ――きっと私は、「今日も勝てるだろう」という安心感さえ持っていた。何やかんやで重賞を連勝して、今日も華麗に逃げ切れるんだと。私の大逃げに食らいついてこれるウマ娘なんていないだろうと――……あぁ、考えるだけで嫌になってくる。

 

 とにかく、私はここまで苛烈な妨害を受けることを考えていなかった。レースに絶対はないと言うのに油断していたんだ。この敗北を機に色々と考え直さなきゃいけないな。海外コース対策に加え、海外式のトリックやマーク対策。他にも色々と。

 

「はぁ……考えるだけで疲れてきちゃった。……って、んぇ? 鼻血出てる。やだなぁ、考えすぎた反動かなぁ」

 

 一通りレース映像を見返して今後の展望を纏めていると、突然鼻の奥から生温かい液体が垂れてくる。指の付け根で擦ってみると、真っ赤な血液がこびり付いていた。慌ててティッシュを鼻に詰め、不格好を晒す形になる。

 トレーナーそろそろ帰ってきそうだから鼻ティッシュは見られたくないなぁなんて思っていると、丁度とみおが控え室に戻ってきた。人混みに揉まれたのか、髪が少し乱れていた。

 

「――アポロ、そのティッシュは」

「鼻血出ちゃった」

「……脇腹のこともある。病院に行って見てもらおう」

「病院に行く前に、カイフタラさんのトロフィー授与式を見たいんだけど……さすがにダメだよね」

「ダメだ。病院に向かうタクシーの中で見てくれ」

「……分かった」

 

 とみおは勝敗について何も言わなかった。だけどその拳が震えているのに気づいてしまって、口を結んでしまう。更に、彼の利き手が赤く腫れているのに気づいて、私は反射的に()()を注視した。

 右手の拳頭、中指のとんがった辺り。表皮が捲れている。どこかに擦ったような――いや、叩きつけたような生傷。ピンクの皮下質から紅い珠が膨れ上がり、限界を迎えるように垂れていく。

 

「とみお、その手どうしたの?」

「え? あ〜……ちょっとぶつけちゃって」

 

 とみおはサッと右手を隠し、早歩きで関係者用の通路を歩いていく。呆気に取られてから、私は後を追った。とみおが嘘をついているって、ちょっと考えれば分かってしまう。壁に向かって拳を叩きつけない限り、ああいう傷はできないものだ。しかも、己の力で出血してしまうほど強く壁を殴るなんて……それ相応の激情に駆られなければできないだろう。

 ずきり、と心が痛んだ。私が勝つって信じてくれてたんだろう。期待を裏切ってしまった自分が情けない。

 

「……ごめんね」

「……何のこと?」

「…………」

 

 とみおは苦しそうに顔を伏せてタクシーに乗り込んだ。私もそれに続き、鼻を押さえつつシートベルトを締める。車が発進すると同時、私はドバイミーティングのライブ配信を付けた。とみおが隣で思い出したように言う。

 

「……シアトルチャーミング、審議の結果失格になったらしい。ただし、順位の変動は無しだ」

「え? 審議になってたの?」

「当たり前じゃないか。多少の接触ならどうこう言われることは無かっただろうけど、あれはやりすぎだ」

 

 意外や意外。てっきりグレーゾーン的な妨害だと思っていたが、私への接触は危険とみなされたようで、シアトルチャーミングさんは審議の対象になっていたらしい。色々とショックすぎて全然見てなかったし気づかなかった。

 ……どちらにせよ順位は覆らなかったし、想像上でもカイフタラさんには勝てないのだから気にすることはないか。もっとポジティブに考えるなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。しかも体験として知識を蓄えられたことは、何よりの強みになるだろう。私はライブ配信画面に視線を戻し、ドバイの王族が仕切るトロフィー授与式を視聴することにした。

 

 ドバイは色んな要素の関係上、ウイニングライブが存在しない。そのために大々的なトロフィー授与式が行われるのだが、カイフタラさんは相変わらず1ミリも笑っていなかった。

 そんなカイフタラさんに暖かな拍手と大歓声が送られると、気のせいか彼女の頬が紅潮したように見えた。

 

 トロフィー授与自体が終われば、残りの式典なんて退屈でしかない。私はデバイスをカバンにしまって、ぼんやりと彼の肩にもたれかかった。

 

「……有記念の後も、病院に行ってたっけ」

「そうだな。アポロは菊花賞の時から頑張りすぎだ」

「……頑張らないと勝てないんだもん」

「……まぁ、そうかも」

「とみおはさ、今日の負けの原因は何だと思う?」

「……俺の指導不足だ」

「シアトルチャーミングさんの妨害じゃなくて?」

「正直ぶつかった瞬間、シアトルチャーミングのトレーナーがいたら掴みかかってやろうかと思った。でも……その後を見て考えが変わった。上手く言語化できないけど、最終直線に入った時にこう――ゾクッとしてさ。君のトレーナーとしては失格かもしれないけど、あの未知の怖気を感じた瞬間アポロが負けるかもって思った。あの圧倒的な寒気はアポロが使う末脚と同じレベルだったんだ」

「…………」

 

 カイフタラさんの『未知の領域(ゾーン)』のことか。あれは規格外の爆発力を生む最強の領域。とみおの言いたいことは物凄く分かる。

 天地がひっくり返っても、今のままじゃ勝てない。カイフタラさんにはそう思わせるだけの凄みがあった。あまりにもあっさりしすぎて分かりにくいが。

 

「めちゃくちゃ悔しいし、この結果には全然納得してない。けどさ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……どういうこと?」

()()()()()()()()ってこと。ヨーロッパに行ってこんなレースをしたんじゃ、後悔してもしきれないでしょ」

 

 G2・ドバイゴールドカップはレコードを演出したものの、カイフタラの2着に終わった。これ自体は当然納得できる結果ではない。私が目指していたのは1着――優勝ただひとつだったのだから。2着という結果は、数字で見れば悪くないが……負けは負け。むしろ、最も勝利に近づいた分だけ、なまじ悔しさは大きい。

 だが――きっとヨーロッパに遠征した時にも、()()()()()()レース風土の違いで満足なレースをできないこともあるだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。例えば大目標のG1・ゴールドカップでこういうレースをしてしまったら、後悔してもしきれない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。相手の実力を知れた上、私に足りなかったところ、海外のレースの雰囲気も知れた。敗北の悔しさはあるが、それ以上に今後の課題と方針がバッチリ決まったのだから、長い目で見ればこの負けはきっとプラスになる。

 ローテーションの関係上ステイヤーズミリオン完全制覇が厳しくなったのは事実だが、6月初旬までステイヤーズミリオンの対象レースがあるため、頑張ればまだリカバリーが効くのである。

 

 その意図を理解したのか、とみおは瞳の奥に強い光を宿す。

 

「アポロは強いな……」

「あったり前じゃん。トレーニング方法、一緒に考えていこうね」

「……あぁ」

 

 ――カイフタラ。レース前に会話を交わして、思った以上に打ちのめされて擦り切れているなと思った。レースに対するやる気が無くなっていようにも見えた。だけど、そんな考えは私の勘違いでしかなくて。

 あの走りを見せつけておいて、レースが嫌いになったみたいな雰囲気しちゃってさ。ありえないっての。あなた、全然レース大好きじゃん。

 

 カイフタラさんにも複雑な事情があるんだろうけど、レースに対する情熱が完全に消えたわけではないはずだ。金のためだけにあれだけの策を練ることができるのか、3200メートルの全力疾走という苦痛に耐えられるのか、という話だ。

 答えはNO。情熱を持っていなければ、あれほど濃密なレースを展開できるはずがないからだ。

 

 ルモスさんも言っていたではないか。彼女は救いを求めていると。きっと、カイフタラさんは元々レースが好きだったのだ。金のためだけにあれほどのレースができるわけがない。ダブルトリガーさんに勝てるわけもない。

 あの技巧、あの末脚、私の眼前を走る大きな背中。欧州王者の魂は未だに朽ちていない。目指すべき背中は見えた。今日のレースでは背中を見せつけられてしまったけど、次のレースでは私が見せつける番だ。

 

「…………」

 

 ――そして、こればかりは私の勘違いかもしれないが……このレースで()()()()()()()()()()()()()()()()()。必勝法ではないかもしれないが、このドバイゴールドカップで確実に掴めた……ような気がする。

 もちろん、今のままじゃ逆立ちしても勝てないし、その作戦とやらも更なる成長をしなければ私の武器とはならないだろう。彼女に勝つために必要なのは、更なる肉体のレベルアップと、彼女に立ち向かう勇気。今度こそ、正々堂々直接対決でぶっ倒してやるんだ。

 

 私は闘志を燃やしながら熱狂のメイダンを後にして、付近の病院で検査を受けるのだった。

 

 

 


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